28- 怪盗



(う〜ん……)
 壁を背に、張り付くような体勢で、青年は、路地から通りの様子を窺った。
(困ったなぁ……)

 どうにか人目につかずに町を出たいのだが、通りでは、警邏隊の男達と、彼らが連れた獰猛そうなシェパードが、目を光らせている。

 青年も、一旦は町の西にある駅を目指したのだが、見張りが二人張り付き、検問していたため、引き返して来た。


 その時、通りの方で、にわかに緊張が高まった。
 青年は、静かに、左手に魔力を溜める。暗がりで、指抜き手袋を嵌めた手が、淡く青緑の燐光を放っていた。
 彼はこう見えて、一撃でこの町を半壊させる魔法が使えたが、強大な魔力を暴走させず、自在にコントロールする事もできた。だから、これまで、人を殺めた事は一度もない。
 それにも関わらず、彼は、凶悪極まりない、大量虐殺者として名を知らしめている。ともすれば、今を時めく、大陸一の超有名人かもしれない。

 そんな裏事情は、さて置き。

「……! ――だ! 早く……、…を」
「待て、…… ……、? ……上だっ!?」
「で、出たッ!」

 警邏隊は、青年が隠れる路地には見向きもしなかった。彼等の注目は、今、屋根の上に現れた、一つの影に集中している。
 見るからに派手な真紅のビロードで、巧みに人相を隠しているが、どうやら男のようだ。
「――今夜も、珠玉の宝石、俺の女が迎えを待っている……ガルアノ邸の『火蜥蜴(サラマンドラ)のルビー』、この俺がいただくぜっ」

 次の瞬間、屋根から人影が消え去ると同時、地面で煙幕が破裂した。
「うわっ」
「げほ、げほっ」
 場の混乱に乗じ、青年は路地を出て走り出した。

 あまり、土地勘がある訳ではない。しかし、迷っているよりは、今のうちに、突破口を探す方が賢い。
 最悪、相手を倒して逃げられない事もないが、騒ぎが大きくなる事は、望まない。


 次の角を曲がったところで、飛び出してきた男と、激突しそうになった。
「わ!」
「っと」
 豹のようにしなやかな身のこなしで、相手の方が避けてくれなかったら、きっと今頃、額にたんこぶを作っていただろう。
 ひと目で、相手が警邏隊で無い事は判った。動きやすそうな服装に、頭と上半身を、黒い布で覆っている。
 この事態で、この格好。全うな者とも思えないが、月光を映す琥珀の瞳は、知性と品位すら窺わせる。或いは、黒いマントの内に、武器でも隠し持ってたかも知れないが、青年は、少なくとも、恐い、とは思わなかった。
 反射的に、両手を顔の横に挙げたのは、急にかち合って吃驚したのと、こちらに敵意が無い事を示すためだった。
 その試みが通じたのかは謎だが、相手は、口元に薄く笑いを浮かべて、こう訊ねた。
「あんた、ここで何をしてる?」

「いや、その――お構いなく」
 青年は、冷汗を流しつつ、弁明した。目の前の相手こそ、巷で噂の怪盗ではないか、という気がしていたが、それよりも、早く逃げなくては、警邏隊に見つかってしまう。
「そういう訳にもいかねぇな。あんたの行き先によって、俺の安全が左右される。言え。どこに行こうとしている」
 ここで、警邏隊の所です、とでも言えば、ナイフで頚動脈をすっぱり、なのだろうか。
「えーと、……駅に。できれば、その、人に見つからずに」
 相手が妙な顔をする。次の瞬間、声を抑えて笑い出した。
「ぶわっははは! 何だお前、本気か? ――笑わせる」
 確かに、正気の沙汰ではないだろう。自ら、警邏隊に怪しんでくれと言いに行くようなものだ。

 相手はくるりと背を向けると、青年に言った。
「来な。こっちなら通れる」


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