10- 憂い



 今度は、少しばかり遠出だ。
 東の領内と言えど、南端に位置するスラムからの出発では、多少なりとも旅の準備が必要である。

 ――とは言え、ゼクトにとって、人里離れた空路が続く場所ならば、その限りではなかった。

 偶然、山に住む樵や、目の良い狩人などが、その巨大な影を目にしたところで、『背に人間が乗っていた事さえ気取られなければ』、何の支障もない。



 ゼクトは、堅い鱗が並んだ上にぴったりと身を伏せ、前方から吹き付ける風に、頬を撫でられていた。
 彼が移動に利用したもの――それは、驚くべき事に、生きた竜であった。

 切り立った崖や山間部に、竜は、少数ではあるが、生息している。
 しかし、彼が乗っているのは野生の竜ではなく、魔法で呼び出した召喚獣だ。

 小型の生物ならともかく、竜を召喚し従えるとなると、前代未聞だろう。しかしゼクトは、易々とそれをやってのけた。しかし、だからこそ、人目を避けなくてはならない。


 時折頭を上げ、下の地形で現在地を確かめる以外、伏せている事、小一時間。ゼクトは、都から2kmほど離れた森に降り立ち、その場で、乗ってきた竜を、呼び出す前の、もといた場所に還送した。

「……よし」
 周りに人の姿がないのを、今一度確かめて、ゼクトは都を目指した。




 ――王立図書館。それは、国で最高峰の、英知と文明の保管庫とされている。

「僕に、御用ですか」
 呼び出された若者は、ゆったりとした衣に身を包み、背にかかる金髪を、毛先に近いところで束ねていた。
 訪問者の顔を見ると、その声に親しみが加わった。
「おや、貴方でしたか。お久しぶり」
 バルドの前例のため、ルイスの反応には、正直ほっとしたゼクトである。

 ルイスは、ゼクトの意見を、最後まで真剣に聞いた。
 そして、正直な感想を漏らした。

「……そうですか。でも、難しいでしょうね」
 ゼクトは、頼み込んだ。
「わかってる。だから、みんなの協力が必要なんだ」

 ルイスは、立ち上がって、おもむろにソファーの後ろを歩きながら、言った。
「貴方はそうやって、いつも、自分の身よりも、何かを優先する。けれども、それで良いんですか? 戦乱の阻止には、当然あなたも『力』を使う必要があるでしょう。そのために、正体が晒され、最悪『全てを敵に』回すリスクと、戦乱を回避できないリスク……果たして、どちらが大きいのでしょうね、『貴方に』とっては……」
 ルイスの青い瞳は、ゼクトの決断を心より憂いていた。
 すぐには言い返さなかったゼクトに、ルイスは、声を潜めて囁いた。

「……ここだけの話、僕を雇った上層部の一部の人間だけは、僕の正体を知っています。承知した上で、受け入れてくれたんです」
 目を合わせたとき、ゼクトには、ルイスの言わんとする事が知れた。



 結局、誘いを断ったのは、ゼクトの方だった。
 求めていたその手を、自ら、跳ね除けた。

 貴方もここに勤めて、安寧を得られるのでは、というルイスに、同意する事はできなかった。
 ルイスは、残念そうに笑った。
「では、仕方ないですね」

 ゼクトの立案に、ルイスが協力するという答えもまた、聞けず仕舞いだった。


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