STAGE XX succeed hope 〜遠い昔の未来の約束〜



「ぅぅう〜! あ・ん・の鬼教師っっ」
 犬歯もむき出しに、ぷるぷると震えながら1枚のプリントを左右に引き裂かんばかりに力を込める黒髪の女子生徒は、周囲から学友と後輩達を引かせるには十分すぎた。そこに後ろから近付いた長身が、ひょいとプリントを奪ってしまう。
「あっ」
「『3−B 作文課題:私の尊敬する人』……なんだ」
 興味が失せた、とばかりに長身の男子生徒は無造作にプリントを投げ捨て、女子生徒が慌てて回収した。
「ちょっと! 聞き捨てならないわ、ギル!」
 名指しされた男子生徒は、眼鏡を押し上げながら冷ややかに言った。
「作文ごとき――何を大騒ぎしてるんだか」
「あなたは思慮が足りないわ!」
 腰に手を当て、ビシリと男子生徒を指さした。
「いい? 今は何月?」
「2月の末。きっかり半月前ロッカーに染み付いた甘ったるい匂いが、ようやく薄まった」
「ぐぐぐ……嫌味な男ね……。この際だからはっきりさせとくわ! 私はあんたのロッカーに大洪水を巻き起こした犯人の1人じゃ、ない!」
「ああ。その件は感謝している。半分以上、うちの妹と食べてくれたお陰で、食べ物を捨てずに済んだ」
「あんたそーゆーデリカシーのないことしてるから、卒業前にカノジョにフられるのよ」
 これには少しだけむっとした表情で、男子生徒が返す。
「互いの進路をわかり合った上での結論だ。ふられたんじゃない」
 やっと弱みを握れた、というように、にやにやする女子生徒に、男子生徒は沈着に話の軌道を戻す。
「で、作文が何だ。そんなもの、20分で書ける」
 女子生徒は、怒りながら笑うという器用な芸当を見せた。
「主・席・の・ギ・ル・様・は、そうかもしれませんけどね〜? もう2月も終わりです! 進路の決まった3年は、自由と栄光に満ちたヒャッハーな青春ライフを送っていて良い時期なのです!」
 そのまま妙な熱弁をふるう。
「なのに! うちの担任は!! このような時期に課題なんぞを出しやがったのです!」
「……今の時期だから、だろう? 近頃じゃ、目標もなくただアカデミーに進学する生徒が多いっていうし。自分の尊敬する人物を書くことで将来を見詰め直す機会にして、ついでにその作文を卒業文集にでも載せる気だ」
 地中から蘇ったゾンビの如き様相で、女子生徒は言う。
「そ〜ですかぁ〜。『秀才の』ギル様は、さぞかし立派な目標をお持ちで、アカデミーに進学なさるんでしょ〜ねぇ〜……」
「いや、俺は進学しない」
「えっ」
 今までで一番真剣な表情で、男子生徒は述べた。
「卒業したら……アリヤに行く。六世紀前の都と、当時としてはとんでもなく高かった魔法技術を、この目で確かめたいんだ」
 女子生徒は、面食らったように言う。
「でっ、でも……今のところ、外からの入国は、22歳以上しか認められてないじゃない!」
「おあいにく。俺はルーシェの4歳年上、22だ」
「あっ……」
 主席のギルフォードは、留年などしていない。彼は心身の発達上、『就学年齢が平均より4年遅かった』だけなのだ。
 エストの現在の義務教育期間は9年で、その後も3年間は学校に通う者が多い。彼らはその最高学年だった。クラスメイトの多くは18だが、今日日、魔族とのハーフや留学生も珍しくなく、見た目は同年代でも齢は25、6の者もいた。
「そっ……そうだけど! 都を覆ってた『時止めの術』を解除して、まだ1年も経ってないじゃない!? 情勢だって安定してないし、どんな危険があるか……」
 男子生徒は、冷静な中にある種の情熱を灯して、しっかりと言葉を紡いだ。
「暫定政権の有力ポストに就いてるソウっていうのは、若いながらに、聡明で人格者だって聞く。問題ない。現代の魔術でさえ、『解除』するので精一杯な時止めの術を、実際に600年前に『使った』んだ。この目で見て、研究して――ま、昔に比べて大地の魔力が枯渇してるってのはあるだろうけど、新しい魔術革新につなげて見せるんだ!」
「ふ、ふ〜ん……」
(やっぱギルはギルなりに、将来のことしっかり考えてたんだ……。それに引き替え、私は――)
「私は……もぉ〜!! それで、作文には何書けばいいのーっ!?」
「ルーシェ、給食とエスト史だけは得意教科だったろう? いないのか、歴史上に、尊敬できる人物とかは」
「ぇえー? ……んーと……」
 下校する生徒の数もまばらになる中で、腕組みを始める。普段は食事の時にしか活性化しない、休眠がちな脳細胞を叩き起こして総動員し、結論を導く。
「そう! 昔、この辺りに王政が残ってた頃、スロウディア王国に仕えたっていう白髪の魔女。私、その人の伝記なら、何十回も読み返してる」
「? 聞いたことないな。その時代なら、ノーゼにいたっていう、銀髪の魔女の方がよっぽど有名だろ。ほら、テストには出なかったけど教科書に載ってた――」
「もぅ! そんな猛々しいのは、女の子の憧れじゃないの。わかってない!!」
「えらい美人だったって言うぞ。少しは見倣ったらどうだ」
「あのねぇ!? 女は見た目じゃないの。中身なの。白髪の魔女は確かに知名度低いけど、その知恵と魔法で王家を助けた賢人なんだから」
「俺は知らないが。作文はそれで書けるだろ?」
「う、うん、まあね……」
 紛争や種族差別が、地上から消えた訳ではないけれど。
 人間の少女と、魔族の血が入った青年が、同じ学校で当たり前のように話をしている。それが、今のエスト大陸だった。



 大陸に王国が乱立していた華やかな時代、歴史に名を残さない一人の『ライア』は、別れ際の仲間に言った。
「ウィーロスから聞いた。ウィリアの事だけど――」
「なんだ」
 心底迷惑そうに、こげ茶の瞳が睨む。
「自分は魔族だから人間のウィリアを受け容れられない、って。そうなのか?」
「自分の血なんて、今更変えられないだろう」
 ライアには理解できた。遠回しな肯定だ。
「――俺さ、大きな力はないけど……でも、この国が変わっていけるように、変えていけるように、努力する。スロウディアが変わって、いつかエスト全体が、魔族と戦わなくてよくなるように、少しずつでも、変えてみせる」
(現にアリヤでは……出来てたんだ。例え小さな国家の中だけだったとしても。それなら……)
 頭は大丈夫か、と無遠慮にため息を吐いて呆れながらライアを見たビゼスは、しかし、そこで思い直した。
「……いや。そうだな――お前のような奴が王だったら、この世界は変わったのかもしれないな……」
 その言葉が、そんな事は起こらない、の前提であるのは判っていた。だからライアは、ラーハネット=ディル=スロウディアは、心の中だけで返す。
(ああ。絶対――約束、する)



 ……それは、遠い昔の、未来の約束――――


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