STAGE 32 his own fate 〜托す者、托される者〜



「ライア!! 右に二体! 左は僕が!」
「おう!」
 アルドに返しながら、ライアが砂地を蹴る。その先には蛇の胴体とヒトの上半身を持つ魔物。魔物はくすんだ青の髪を振り乱し、鋭い牙を光らせている。
「ミハエル」
「つらぁあ!」
 別の方向では、槍を手にヨーゼフとミハエルが野獣と奮戦している。そこをウィリアとウィルが援護する。
「行きます!」
 フェリーナの魔法がアルドの周囲に集まった魔物を蹴散らし、アルドとビゼスで左手の魔物を一気に叩く。
「こっの!」
 気勢と共にリーティスが振るった剣を、右手の魔物は頑丈な牙で受け止めた。そこにライアが斬り込む。
「いい加減っ……倒れろよ!」
 一体を下し、残るもう一体は、ラファーガの手で沈められた。

「フン――今の戦闘、こちらに加勢など必要なかった。そうだろう? リーティス」
 戦闘後、ラファーガの第一声はそれだった。
「なんだ……? 他に言い方とか……っ!!」
「どーどー、抑えてライア。なぁラファーガ? せぇっかくこっちとしても協力してもらってんのに、そりゃないんじゃ――」
 ミハエルの指摘に、彼はあっさり改めた。
「協力大いに結構。感謝する。ただし、余計な手出しは無用だ」
「く……!」
 反発しかけたライアだったが、無言で肩を押し留めるミハエルに免じて拳を下げた。
 少し離れた場所で、アルドが目線でどう思う、とビゼスに訊いた。当事者達を眺めつつビゼスは呟く。
「……別段、ライアの入るタイミングは問題なかった。寧ろ、あの男――いやに自分だけで済まそうとするな。何をそんなに抱え込みたいんだ?」
 それを聞いてアルドが表情を緩めた。
「君って普通の感情には疎いけど、こういう荒事が絡むと、外れるって気がしない」
 ビゼスが微妙な顔をした。
「――それは褒めているのか?」
「もちろん。褒めてるよ」
 アルドは食えない笑みで返した。

 向かっているのは、リライの北西。渓谷沿いに二時間ほど歩いた先に、最近凶悪な魔物が棲みついたという噂の廃墟がある。
「大丈夫、なんでしょうか……?」
 道中、思わずフェリーナが口にした。先刻から、ライアとラファーガの間に会話はない。間に挟まれ微妙な立場のリーティスも含め、空気がぎくしゃくしていた。
「放っておけ。どうにでもなるだろう」
 ビゼスが突き放して言うが、それではフェリーナの気は休まらない。そこでウィリアは言った。
「でも、問題は問題よ? これから怪物とご対面ってときに、この調子でどうするつもりかしら」
「その時は、あいつらを無視して私達だけで討つまでだ」
 相変わらず冷淡である。考えると、以前、ビゼス達はレイヤの怪物をたった4人で破っており、その自信の裏付けもあった。

 リライで聞いた話では、廃墟までまだかかると思われたが、既に異変は始まっていた。
「何……? この白い糸」
 リーティスが警戒した声で言う。
 渓谷が細く曲がりくねっていたので、近くまで来てようやく判った事だが、行く手に白く細い布のような物が幾重にも張り巡らされ、先の様子が確認できなくなっていた。
「触らないで」
 警告しながらアルドが前に出て検分する。遠目には、薄く長い布で形成した幾重ものネットに見えたが、布に見えたのは何百もの細い縦糸ばかりの集まりだった。
 その高さは地面から2メートル程度までに集中している。ウィルやミハエルが下に何か見えないか覗き込む傍ら、ライアは上を指して言った。
「上から見てみたらどうだ?」
 アルドに担いでもらい、ライアは見える限りの状況を報告した。
「何だ?? ……何か細いの?が糸にかかって――」
「細いのじゃ判らん説明しろ!」
 手を拱いて苛々と不平を言うビゼスに、今視てる、と返してライアは目を凝らす。
「……!! あれ、多分矢だ……。突き刺さったってより、弾かれて糸にくっついたっぽいのもある――」
「最初からそう言え」
「うっさい!! お前なんてなんもしてねーだろ!?」
 肩の上で喚くライアに、冷静にアルドが訊く。
「ライア。それで他には見える?」
「ん。矢が4本と、あとは、茶色っぽいのが一つ……皮の、水筒だと思う」
「調査に来た人達の、でしょうか」
「そう考えるのが妥当だな」
 ラファーガが涼しく言って、アルドはライアを降ろした。どこぞの黒い人と同じく、自身は一切動かず周囲を見張っていたラファーガが訊ねる。
「下はどうだ」
 ウィルとミハエルがラファーガの方を向き、ミハエルが先に答えた。
「鉄の剣やらメイスやらが落ちてる。――確実に、調査隊ってのはここまで来たな。んで、戻れなかった」
「そうそ。そんで、どこにもニンゲン本体っぽいのが見えないんだよねー」
 ビゼスが、判り切った問いを投げかける。
「引き返すか?」
 どこかに消えた――恐らく生きてはいないであろう――調査隊と運命を共にしたくないならば、今ここから全力で離脱する他ない。だが彼らが一人として引くはずがなかった。
「下がって」
 アルドがおもむろに大剣を引き抜き、手近な糸目掛けて振り下ろした。
「「「 !! 」」」
 糸は驚異の粘り強さを持っていた。斬撃の衝撃を弾力で吸収し、剣に粘着してはがれない。アルドの力でも、それは外せなかった。
「っく! 切れない!?」
「いや、斬れなくはない」
 ビゼスが冷静に糸を断ってアルドを解放する。しかし、片刃の剣にも糸の断片はふわりと巻きつき、それもすぐには取れそうになかった。
「刃を垂直に当てればその部分は斬れる。だが、他に引っ付く分はどうにもならんな。上手くやらんと、得物でも何でもこの糸に捕られるぞ」
「どーすりゃいいんだよ……?」
「ライア、貴様は剣を抜くな。剣は最悪の時まで取っておけ」
「了解……っ」
 『斬る』事に最も特化したビゼスの剣でさえこうなので、妥当な指示だ。ウィルが言う。
「てかさぁ? これだけ広い範囲に糸張ってるってことわぁ、さっきの剣の衝撃も全体に伝わって――」
 悪寒を感じたらしいリーティスが、さっと青ざめながら言った。
「本体が……来る?」
 直後、ガサガサと糸の上を這って来た仔象ほどもある影に、リーティスとライアが言葉にならない謎の悲鳴を上げるのは、それからきっかり3秒後の事だった。



「何だよあれ! 何だよあれ!?」
「もう……嫌ぁ!!」
 有無を言わさず後退しつつ、ライアとリーティスが口走る。若干涙目。
 幾多の戦場をかい潜った剣鬼でさえ、嫌そうに呟く。
「気色悪いな……」
「え、えぇ……でも蜘蛛よ、ただの蜘蛛よ!!」
「姉貴ィ? 声うわずってっケド?」
「お黙り!!」
 それはこの世界では鬼蜘蛛と呼ばれるモノに近かったが、鬼蜘蛛ならば身体の色は薄紫で、体長も大きくてせいぜい1メートルだ。しかし、今迫っているのは軽くその2倍はある巨体で、びっしりと毛の生えた身体は赤と黒の縞模様だった。グロテスクさでも常軌を逸している。
 だんっ!
「とっ、跳んだ!?」
 ライアの声も若干裏返っていたが、巨大蜘蛛はライア達の側面の崖に垂直に接地したかと思うと、もう一度高く跳ね上がって退路に立ち塞がった。ライアは歯噛みする。
(くそ……っ)
 剣が届くほどには近くなく、一同は構える。すると大蜘蛛は臀部から白い糸束を放出した。
「げっ!?」
「下がってください!」
「援護するぜ!」
 フェリーナがやや右手に水の竜を、ミハエルが左手に風の初級魔法を放つ。
「そんなっ……!」
 リーティスが声を洩らす。フェリーナの水は確かに糸に命中したが、弾力のある糸は切れずに残った。ミハエルの風が数本の糸を切ったものの、糸の生成スピードの方が速い。
「チッ――これならどう!?」
「喰らいなッ!!」
 ウィリアが蜘蛛の真下から貫くように氷柱を、ウィルが空中を乱舞するブリザードを発生させた。が、蜘蛛は自らの吐いた糸を足場に跳躍し、巧みにそれらをかわした。
 アルドは状況の不利を感じ取った。
(思ったより、ずっと速い……!)
 巨大蜘蛛は今ので退路に糸を張ってしまった。ライア達に逃げ場はない。
 その時、ラファーガの大喝が響いた。
「取り乱すな!!」
 そこで冷静さを取戻した者は少なくなかった。すぐにミハエルが反応する。
「リっちゃん! ラファーガ!! 俺とヨーゼフは初級魔法しか使えない! 援護に回るから、糸は頼むぜッ!」
「わかった」
 ラファーガは冷静に答えた。風で糸を断てることは判ったが、問題は蜘蛛本体だ。動きが速すぎて、魔法で狙い撃ちにするのはこの面子でも困難だ。
(動きを止めないと――)
 そう考えたライアは宣言した。
「俺が囮になって、なるべくアイツを引き付ける……!」
「殊勝な心がけだな。手を貸すぞ」
 ビゼスとライアが囮、リーティスとラファーガが糸を断つ役を引き受け、残りの者は狙われないように散開した。フェリーナにはアルド、ウィリアにはミハエルが護衛に付く。
「きみ、顔色……良くないね」
 ウィルの近くに残ったヨーゼフは、戦闘中にも関らず無感情のままぽつりと吐いた。
「ご心配……間に合ってますっての……!」
 強気に返すが、ウィルは先の魔法でかなり消耗していた。
 蜘蛛は高速で移動しながら糸を吐き、攻撃されそうになると、後退してそれらかわした。
「ちょっと! 切ってもきりがないって!」
「不平を言うな」
 リーティスをたしなめ、風の魔法を放つラファーガだったが、自身も焦れていた。今のところビゼスとライアが上手く誘導しているが、一向に本体の活動が衰える気配がない。
「っ、リーティス!」
「えっ」
 ラファーガの表情に鬼気迫るものを感じたリーティスが振り向くより早く、フェリーナが飛び出して蜘蛛の注意を引いた。
「こっちです!」
 リーティスの視界を水の魔法が遮り、それが去ったとき、
「フェリーナぁっ!」
 糸でぐるぐるに巻き取られた白い塊がそこにあった。隙間から、わずかに青い髪が零れている。それだけでなく、
(え……っ、アルド――?)
 リーティスは直前でアルドがフェリーナを庇い、共に糸に捕われた事を知った。
「分が悪いな……」
 悪態をつきながらビゼスが蜘蛛の気を引く。今、動けない二人のところに行かれては堪らない。
「はぁ……はぁ……」
 倒れそうな顔色のままビゼスを援護しようとしたウィルの腕を、ライアが見つけて横からつかんだ。
「おい顔色やばいぞ!! もう魔法は撃つな!」
「うっせ、んだよ……馬鹿ライアなんかに、指図っ……」
 事態は更に悪化した。あろう事か、地形の不利でビゼスまでもが糸に捕まった。

(く……っ、俺一人の魔法では――)
 ラファーガは己の無力を痛感していた。いくら糸を断とうとも、本体を潰さない限り、糸は無限に生成される。恐らく魔法陣によって歪められた大地の魔力を無尽蔵の供給源としているのだろう。
 ……これまでの人生、一番だけを目指してきた。生まれた時からそうあるべきだったし、それを疑った事はない。そのための努力もした。結果、誰にも文句のつけようがない今の地位がある――はずだった。
 怪異は、彼が譲り受けるべきものを根こそぎ奪った。それを取戻すために、今、戦っている。この戦いに勝つには、国で一番の品格を備え、誰よりも若くして師団長と認められ、馬術と剣の名手であるだけでは、まだ、足りない。
 彼は目を閉じ、瞬時に決断した。目を開き静かに言う。
「力を――……貸してくれ、リーティス。複合魔法でヤツを叩く……!」
「え……? でも、あれってできるか――」
「『やる』しかないんだ……!!」
 人一倍プライドが高く、常なら人の助けを必要としないラファーガの意を汲んで、リーティスはしっかりと頷き返した。

「グッ……!」
 首にかかった糸と、身体、手足に絡む糸が一斉に締まる。怪物は、首を絞めればヒトを殺せると考える知能はないようだが、無闇やたらに締め付けることで、まずビゼスを圧死させようとしていた。
「させねーんだよ!」
「逃がすかっ!!」
 ミハエルとライアが一斉に飛びかかり、槍と剣が空を切る。しかし、寸でのところで蜘蛛は逃れ、鋭く糸を放出した。切迫したライアの声。
「ミハエルッ」
「ッくしょうッ!?」
 蜘蛛の糸には二種類あった。蜘蛛自身が足場とする粘性のない糸と、粘ついて獲物を逃さない粘性の糸。今回は後者だった。
「つ……っ」
 少量の糸だが磔になって動けないミハエルに、蜘蛛自らがその牙を光らせて迫った。――速い。
(だめか……ッ)
 ミハエルが固く目を瞑る刹那、眼前を風刃が通り過ぎた。ラファーガの風だ。
 蜘蛛が咄嗟に退く。張り巡らされた糸が切れるのを見て、蜘蛛は風の動きを読んでいた。左から回り込むラファーガの風と、右から回り込むリーティスの風。大蜘蛛は、二つの風が重なる予測地点より更に後方へジャンプした。
 このとき、ラファーガとリーティスの顔は確信に変わった。
「甘い。」
「行ける――!」
 蜘蛛の読み自体は完璧だった。そして、二つの風が迫る前に安全な後方に『間違いなく跳んだ』。
 だが――
「まあ」
 ウィリアがきょとんと目を瞬かせる。ライアは愕然とそれを見た。
「まじ、か……」
 二つの風は相殺せず、巨大な竜巻へと化けた。荒れ狂う風の刃に巻き込まれた大蜘蛛は、無残な姿で地に叩きつけられ、動かなくなった。

「げほっ……。くそ、散々だな……」
「大事に至らなくてよかったじゃない。ねぇ?」
 ぼやくビゼスにウィリアが言う。ビゼス、フェリーナ、アルドが捕まった糸は幸い粘性がなかったので、程なくして全員が救出された。
 直前までアルドの腕の中だった事を思い出したフェリーナは、急速に頬を染めた。
「あっ、あの……ごめんなさい!」
「ん、いいよ。けがが無くてよかった」
 アルドは落ち着いている。それより、大変なのはこの人である。
「うえ〜、べったべた……」
 ミハエルは風の魔法で救出されたものの、あちこちに粘ついた糸くずがくっついたままだ。ヨーゼフが首を傾げて普段通りの抑揚のない声で言う。
「水に浸ければ取れるかな?」
「さあねー、取れないんじゃない?」
 幾分生気を取戻したウィルも言う。
「あっ、あの……宿に戻ったら、取れやすくする薬湯なら作れるかもしれません」
 フェリーナの言葉に、ミハエルは騎士らしく格好をつけて言った。
「お気遣いありがとーお嬢さん。何にせよ、女の子にけががなくって何よりってね」
 こんな状態で決まらないと解っていても、ウインク一つを飛ばしてみせるのが、彼であった。

「それにしても――」
 アルドが廃墟の方角を見つつ、眉間に皺を寄せる。
「先に進むのは、断念するしかないようだね」
 蜘蛛が残した糸の層はあまりに厚く、とても見通しは利かない。
「同感だ。廃墟までどれだけ距離があるのか判らないが、俺とリーティスの魔力が尽きる前に、帰り道を確保するのが優先だろう」
 リライに戻る前に、彼らはこの事態を対策課に報せようとした。以前、最初の怪物を倒した後でアルドとウィリアはローゼスを訪ねたが、その際に、離れていても連絡がつくようにと渡されたのが、開発中の小型通信機の試作機だった。ライアの掌に収まるそれは、平らな石版のような外見をしている。表面に指で文字をなぞり、最後に魔力を篭めれば文字が送信される。ところが、なぜか装置が反応しない。
 もう一度、最初から試す。……、エラー。
 フェリーナがライアの手元を覗き込んで確認するが、操作に不備はなかった。
「おかしいですね……」
「先に受信してみたらぁ?」
 ウィルの何気ない一言から、今度は受信操作をしてみると、対策課からのメッセージが入っていた。
 ―― オマエタチハ モウ マニアワナイ
「!?」
 瞬間、魔力に敏感なウィルとフェリーナが同時に叫んだ。
「ライアっ!」「それを離して!!」
 ビゼスが咄嗟に人のいない方向を腕で指し、ライアはそちらに全速力で石版を投げた。
 次の瞬間、ボン、という破裂音と共に、石版が砕けた。
「……。」
 少し遅ければ、両腕を持っていかれたかもしれない。薄ら寒い空気の中、彼らは抜き差しならない事態が迫っているのを認識した。



「ローゼスには、もう戻れないな」
 宿に戻ってラファーガが吐いたその言葉には、どこか達観した響きがあった。まるで、もとから戻る気がなかったかのようだ。冷汗を一筋、頬に伝わせてミハエルが問う。
「……。どうすんだ」
 壁際に佇むヨーゼフと、緊迫した面持ちのミハエルに、ラファーガは挑むように強気に言い放った。
「リェートに向かう」
 瞬間、ヨーゼフの目が据わり、ミハエルがラファーガに詰め寄った。
「おいッ! 正気か? どう見たって罠だぜ!?」
 胸倉をつかまれたラファーガは、放せ、と高飛車にその手を払った。不服そうに彼を睨みながら、ミハエルは続ける。
「……。なら、せめてお前は安全な場所に……!」
 ラファーガの双眸が、静かに二人を見詰めた。
「ミハエル。ヨーゼフ。俺は行かなくてはならない。ここで離脱する選択をしてもいいのは、お前達の方だ。……これまでの働き、感謝している。幸運にも、怪異を打ち破ってくれそうな連中にも出会えた。俺はな、リーティス達に未来を託すと決めた。そうなれば、俺のやるべき事はただ一つ――」

 ラファーガの一行は、現在別行動中の本隊と合流し、山脈を挟んだ北西の地リェートで流れる不可解な噂の真相を確かめるべく、明日にもリライを発つことになった。
 その宵、ラファーガの個室を訪ねる者あった。
「――邪魔するぞ」
 反射的に警戒して見開かれたエメラルドの瞳は、相手を認めて元に戻る。
「聞きたい事がある」
「ビゼスか。何だ」
 彼が発したのは、ごく短い質問。
 ラファーガは瞳を瞬かせ、それからこう言った。
「……リーティスに聞いたか」
「いや」
 予想外の返答につい睨むような眼になってしまう。貴族社会で若造と舐められないよう生きてきたが故、他人に対して無意識に威圧的になっている自覚はあった。
 沈黙の後、ビゼス当人が首を傾げながら気の抜ける回答をした。
「気配というか……雰囲気?か。ともかく、リーティスからは私にも他の奴にも、何も言わなかったぞ」
 疑問形のままいともあっさり片付けるビゼスに、さしもラファーガもどっと疲れた気分だった。小さく息を吐いて閉じた目を開いたとき、彼はどこまでも穏やかな顔でいた。
「そう……か。フィアンセなんて、迷惑だろうに」
「否定したところで、うちのウィリアが全力で面倒な方向に持って行こうとするからな。まあ何か知らんが、そっちにも事情があるんだろう」
「――」
 ラファーガは、さも不思議そうにビゼスを見た。それから苦笑して言う。変な奴らだ、と。どこの馬の骨とも知れない連中ではあったが、リーティスがその中にいて不自由していない事だけは知れた。
「ひとつ、訊かせてもらう。貴公がリーティスに剣を教えているのか?」
「そうだ」
「――そうか。……強くなったよ、アイツ。これでも、貴公の腕は認めている」
 そうでなくては、この先自分達が別行動という選択はありえなかった。
 何か考えていたビゼスが、口を開いた。
「興味本位で訊く。この先、待ち受けてるものは生易しくない。しかも、相手は恐らく――ヒト、だ。もしも、選べるなら――リーティスが誰を殺める事もなく、綺麗なまま死ぬのと、人殺しになってでも生きるのと……どちらを、望む」
(……!)
 ラファーガの瞳が憤怒に燃える。自分が側にいてやれる立場なら、リーティスをそんなにはさせない。なぜこの男に預けなければならない。誰よりリーティスを愛しているのは自分だ――様々な葛藤が通り過ぎ、やがて、彼はふいと背を向けた。
「アイツが鉄の剣を握り、誰かの血を浴びて、その手を汚すしかないなら――」
 押し殺したような掠れ声が、微かに響いた。
「……それでも、俺はアイツに生きて欲しい」
「奇遇だな」
 淡々とビゼスは言う。
「生憎私は人殺しだ。お前が望もうと望むまいと、師として教えられるのは相手を倒すその方法だけだ。あの手が穢れるのが嫌なら、今のうちに私をどうにかしておけと言おうと思ったが……必要なさそうだな」
 渾身の睨みを利かせた後で、ラファーガは拗ねたように鼻を鳴らした。
「貴公に任せるしかないのは不服だが……リーティスを、頼む」
 そして夜が更け、皆が寝静まる頃、最後の夜だからとラファーガを訪ねたリーティスは、同室の女子二人が眠った後に戻り、一人で泣いていた。そして、その涙は誰にも見せなかった。

 別れ際、ミハエル達と交わした挨拶は軽いものだったが、ラファーガは最後にリーティスを抱擁し、リーティスもそれを拒まなかった。ラファーガは何事か呟き、リーティスがそれに頷いて、身を離す。
 ライアは先刻フェリーナが救出された時の事を思った。初々しく頬を染めたフェリーナとは違い、リーティスに恥じらうような素振りはない。――それだけに、彼らの間にどれだけの信頼があるのか、見せ付けられたような気がした。
 そうして、短い間だが共闘した3人は、彼ら自身の目的のために去った。

 程なくして、魔物との戦闘でライアはリーティスとの複合魔法に失敗した。
「……別に貴方のせいじゃないでしょう? この私とウィルだって、血が繋がっていてもなかなか合わせられないんだから。ほら、行くわよ」
 戦闘後、珍しく口数の少ないライアに、フェリーナものんびりと語りかけた。
「今までも成功するときとしないとき、ありましたよね。大丈夫です。複合魔法は、魔力の相性が余程良い人同士でも、滅多にできないものですから」
(『滅多にできない』――? けど、あいつとリーティスは……できた……)
 悔しさとでもいうのか。けれどそれ以前に、自分でも何が気に入らないのか不明のまま、今日は気が立っている。
「気を抜きすぎだ」
「はぁ?」
 反射的に聞き返すと、ビゼスが呆れてため息をついた。
「……気付いてないのか。今日の貴様は、全くもって注意散漫だ」
 わかっている。ただ、この苛立ちを消すために、何に当たっていいのかが判らない。
 そのままどうにか一日を乗り切ったところで、アルドは一つだけ提案をした。
「気持ちを整理するんだったら、リーティスと話してみたら」
「いや、でも……」
「昼間の魔法の事なら、リーティスは気にしてないみたいだよ。ほら、行っておいで」
 アルドに背を押される形で、ライアは気乗りしない足取りでリーティスの所へ行った。

 ――5分後。
(どーして……こーなったんだよ……?)
 気配の死んでいるライアを指して、ウィルがアルドに言う。
「ねー、なんか悪化してませんかぁ〜」
「うん……。あのまま何も話さないでいるよりは、よかれと思ったんだけど……」
 どうやら二人は喧嘩別れになったらしい。リーティスの方も、許さないんだから、と腹を立てた様子で消えかけの焚き火の前に戻ってきて、今はウィリアに宥められつつ文句を唱えている。
 アルドに促され、渋々声をかけに行ったライアだったが、リーティスの態度は至って普通だった。問題は、リーティスの告白の内容にあった。
「ラファーガは……死ぬつもりだから」
 リェートの噂とは、セーミズのリーティス王女を保護したというものだった。彼女は怪異当時、最も被害の大きい王城を実は離れており、ライア達のように記憶を失くしたまま彷徨っているところを拉致され、自治区を通してノーゼ大陸に売り飛ばされたというのだ。その後、巡り巡ってリェートに流れ着いたところで王女と判明し、今はリェートの保護下にあるという。
 しかし、リーティスの話では王女は怪異が起きたとき王城にいた『はず』という。だが、城が怪異に閉ざされた今、確かめる術はない。
「これは多分、罠。誰が、どうして仕掛けたのかも判らない。だけど、罠なんだとしても――ほんの少しでも、本物のリーティス様の可能性がある以上、ラファーガは譲る訳にいかなかったの」
 騎士が、命を懸けて守るべき姫君。確かに理屈だけなら通る。
「けど……そーかもしんねぇけど、あいつッ……リーティスのこと、すげー大事に思ってんだろ……!? だったら何で、死ぬかもしんない罠ん中に、そーやって行っちまうんだよ!?」
 それでリーティスの怒りに火がついた。
「そんなの、あの人が誰より守らなきゃいけないのは、一国の王女様の方だからに決まってるじゃない!! これは私達の事なんだから、他人のライアは口出ししないで!!」
 こうなっては、どちらも引っ込みがつかなかった。
 リーティスに事情を聞いたウィリアは、ライアの迂闊さにぼやいた。
「ばかね…………」



「どうしたの、ウィーロス?」
 仲間の少女の言葉に、ウィーロスは残念そうに言った。
「あ、うん……。最近、あの子見ないなと思って――ほら、いつも花壇の側とかに座ってた、耳の聞こえない子」
 ああ、と言って少女が答える。
「確かね――要請があって、静寂の槍に引き抜かれたって。あ、ウィーロスは知らなかったよね、静寂の槍。ウィーロスが仲間に加わるちょっと前、"トレイター"との戦いで、ほとんどが殉職しちゃったの。だから、今回はその人員補充ってことじゃないかな」

 背の高い痩せ型で筋肉質の男が、小柄な子供を連れて人目を避けるように店の隅でオーナーと会話していた。
「……ほんとうだな?」
「ええ。勿論です旦那。眼も髪も赤い男の子なら、一昨日ここを通って、お連れさん方と西のセールという片田舎へ向かいましたよ。馬車の手配をしたのもウチですから、行き先に相違はございません、旦那」
「そうか、謝礼だ」
「えぇえぇ、ご贔屓に……」
 金を受け取り恭しく男に頭を下げたオーナーは、男に続いて立ち去ろうとする子供とぴたりと目が合った。
(……!?)
 途端、酷く落ち着かない心境になる。少し焦点のぼやけた、深い森のような瞳と目が合ったのは一瞬だ。そこに敵意も害意もありはしなかった。ただ、肉体を通り越して魂を視られたような奇妙な感覚に捕われ、後ろめたい事も抱えた部類の人間であるオーナーは、心臓を冷たい手で撫でられたような気分だった。彼は冷汗を拭い、気のせいだと首を振った。
 店を出た男は眉間に皺を寄せ、子供の足に合わせる事も忘れて強い歩調で進んだ。
(見つけた――やっと見つけた……! もうすぐだ、イーシャ……、メルダ……。殺してやる……絶ッ対殺してやる……!!)



 セールには、資金調達のために訪れた。対策課に異変が起こり、いかなる支援も望めない今、自分達の力で道を切り開くしかない。
 ノーゼ東部を横断してきた彼らの手元には、各地の特産品もある。それらをセールの富裕層に売り付け、替わりにセール特産の珍しい実を干したものを購入して旅先で売るのだ。セールには高値で毛皮が取引される獣も生息しているため、腕の立つ冒険者ならそれを狩るのも手だった。火力なら申し分無いこのパーティーである。到着からわずか半日で、節約すれば先3ヶ月は旅を続けられるだけの毛皮を手にしていた。
「ふふっ、このおねーさんの美しく華麗な交渉で、値切れるだけ値切ってきたわ」
 ウィリアが実際活躍したかは定かでないが、フェリーナとライア、ウィリアの3人で、特産品の実の方も首尾よく入手した。ここでライアとリーティスが別行動だったのも、やはり先日の事が尾を引いている。互いに顔も合わせない酷い状態は脱したが、まだ、周りから見てどこか危うい。

 夕暮れ刻になると、人口の割には敷地面積が広いこの土地は、すっかり人通りが絶えてしまった。
 人気のない広場に今、短髪を炎の舌先のように立てた一人の男と、小さな子供が立っている。
「おい――……」
 広場を横切ろうとした一行に、男が低く声を投げる。傍に立つ子供に、その声は届かない。代わりにその瞳には男の内で渦巻く魔力が見えていた。魔力とは即ち、生命力そのもの、あるいは感情。絶えず揺らぎながら形を変える。
 男にあったのは、殺気。ひび割れた大地のような乾いた心。後悔。苦悩。傷ついた魂。
「……!!」
 アルドはすぐに、男の敵意に反応した。鋭く返す。
「何者だっ!」
 嘲笑うような眼でゆらりと両腕を広げ、否、両腕というのは正確でない。左腕は肘から先が無い男は訊いた。
「何者……? 忘れちまったのかよ、オレのこと」
 酔い痴れたような壊れかけの口調で続ける。
「オレははっきり覚えてるぜ……この腕は、そこの金髪の嬢ちゃんと黒い野郎の借りだ。オレぁ命からがら脱出したが、腕はこの通り。弓は撃てなくなっちまった。おい、他の奴らも無関係ってカオしてんじゃねェぞ……オレの仲間は――テメェらに殺された!!」
 怒りの双眸から、涙が溢れ出す。
「メルダは……そりゃあイイ女だった――それを、テメェらは奪った。イーシャは、堅くて小うるさいが、可愛い妹みたいなもんだった……酒を酌み交わしたトルガも、でけぇ体に似合わず気のいい男だった……威張り散らすだけのアークスのジジィはどうでもいいが……」
 男の怒りの矛先は、名指ししたリーティスやビゼスではなく、ライアに向けられた。
「この恨み、晴らさせてもらうぜ!!」
 右腕に二尺程もある鉄の爪を光らせて、男は辺り構わず突進した。
「ウォぁああーーーッ!!」
 ジャリン!
 真っ先に飛び出してそれを受けたのはビゼス。片刃の剣と鉄の爪が擦れて耳障りな音を立てる。そこで、広場に佇む子供の存在に気付いてフェリーナが駆けつけた。
「ここは危ないです! こっちに!」
 子供は自分を保護するフェリーナを、焦点のぼやけた瞳でぼぅっと見ていた。
 躍起になって得物を振り回す男に、ビゼスが警告する。
「引け。この人数で貴様に勝ち目はない」
 男は目の前の者を攻撃する事しか頭にないように、引きつった嗤いを浮かべて闇雲に鉄の爪を振るった。
「ハハハハッ……知ってるぜ、んな事――オレは、テメェらに絶望を教えに来てやったんだよ……」
 自暴自棄ではなく、何かあるようだ。男の眼が脇のライアを捉えた瞬間、その顔が狂った笑みに歪んだ。
「――死ね」
 ぞくりとする気配が通り過ぎ、その場にいた全員の動きが止まる。静寂の中、男の乾いた笑い声だけが木霊する。
「はははっ……ははっ、はははっ……」
 男は、攻撃もせずただ笑っていた。だが、誰も彼に手を出せない。ウィルとウィリアは大気中の異常な魔力の動きに中てられて、驚愕の表情のまま固まっていることしかできない。子供を抱きとめていたフェリーナは、恐怖にガタガタ震えていた。
 ビゼスは剣を構えているが動けない、いや、『動かない』。
(馬鹿な――既に『間合いに入っている』だ――!?)
 彼だけでなく、アルドも同じだ。身体の自由こそ奪わていないが、『今動けばやられる』気配だけをはっきりと感じていた。ライアやリーティスにしても、どうする事もできない。
 場を支配する圧力の中心は……1人の子供だった。
「――ぁ、アー」
 それは詠唱などでなく、言葉とも呼べず、だが、その強大で異常な魔力を一気に突き動かした。
「グッ――が、ぁあ……!!」
「いっゃぁああ!!」
 標的のライアと、射程内のリーティスが悲鳴を上げる。荒れ狂う恐怖の中、フェリーナは葛藤していた。魔力に敏感な彼女は、あと一押しでライアの命が絶たれるのが解った。
(あ……ぁあ……!)
 汗ばむ指先が腿の柄に触れ、鞘から引き抜くと、一気に突き刺した。
「かっ――」
 子供の咽から声が洩れ、小さな体があっけなく地面に倒れた。
 泣きそうな顔で血の付いたナイフを握っていたのは――フェリーナだった。
「セファ、セファーッ!!」
 男が血相を変えて叫び、駆け出す。彼はフェリーナになど目もくれずに子供の体をひったくると、その頬を何度も撫でた。
「ぁぁ……すまねぇ――このオレの復讐のために……。けど、やったぜ……お前はやったんだ……来世では、きっと神様が、天使のような子にしてくださる……耳だって聞こえんだ。ぁぁ、こんなに小せェ体で、よく頑張ってくれた……」
 その間に、フェリーナ、ライア、リーティスのもとにはそれぞれ仲間が付いていた。男は、子供に覆いかぶさるように背中を見せたまま言い捨てた。
「……殺せよ」
 アルドが近付いて、男のすぐ近くに金属のロケットを放った。
「!?」
 カシャンと音がしてロケットが開き、はにかむように笑う娘と、色白の少年が並ぶ姿が見えた。少年は、どこかこの男と似ている。アルドは言う。
「――わかったよ。君はレイヤの洞窟で、意識のないライアに矢を打ち込んだんだ」
「そォだ……許せないだろう? だからやれよ。オレの復讐は『遂げられたんだ』」
「……そのロケットを持って、消えろ」
 アルドは静かな威圧と共に言った。この男を脅して情報を吐かせようとしたところで、自害するのは明白だ。或いは、決死の特攻で玉砕を狙うだろう。
「もう、憎しみの連鎖による殺し合いは沢山だ……。行け! それは、何かの証拠になるかと思って、僕が洞窟で拾っておいたものだ。けど、僕らじゃそれを返してやる場所も判らない――」
 ペンダントをのぞき見た男は驚いた顔つきになり、次いで顔を歪ませた。
「くっ……ははっ……イーシャ、やっぱ、あいつと付き合ってたのか……。でもきっと最期まで知らなかったんだな……あいつが2ヶ月前に死んだこと。兄のオレには知らされたが、イーシャには言わなかった……」
 男は、幽霊のような顔つきのまま誰にともなく呟いた。
「ったく……生まれながらに体弱くて生っ白い弟の、一体どこが良かったんだか――最期まで、部屋の外を駆け回るって事を知らずに逝っちまったやつだ。それとテメェらとも戦ったあのお転婆が付き合ってたんだ。……笑っちまうだろ? なぁアンタ――」
 そう言ってアルドを振り返る男の貌には、気が触れる寸前の光があった。
「言ったはずだ。それを持って、どこへでも去れ」
 男が酷くあどけなく、がっかりした顔をした。それから、再び虚ろな目になると、ロケットの鎖を握って立ち上がり、ふらふらと背を向けて歩き出した。
「後悔しろよ……どうあがいても、セファの刻印は消えない。……いいか……オレはこれを持って弟の墓に行く。その後で――お前ら全員を、ぶちのめしてやる。次は、仲間を亡くす以上の絶望を、必ず、テメェらに……」
 言いながら、ただの一度も振り返らずに彼は広場を後にした。
 打ちのめされ、弟の墓を詣でた男の心に何が去来したのか、それからもう二度と、ライア達の前に姿を現すこともなかった。

 男が連れていた子供はフェリーナの必死の治療で息を吹き返したものの、余命幾ばくであった。意識は戻らず、残り僅かな生を、彼女は教会で看護されて過ごすことになった。
 教会に彼女を引き渡したフェリーナは、一心に祈った。蝋燭に浮かび上がるステンドグラスの医の女神が、固く目を閉じ祈るフェリーナを見おろしている。
 医者である彼女は、人体のあらゆる急所を知っている。ライアが殺されようとした瞬間、彼女の中で、その知識が働いた。――働いて、しまった。
 フェリーナは懺悔した。医者の自分が、命を奪う側に立ってしまった罪。決して赦されないことをしたと告げるフェリーナに、シスターは語りかけた。
「では、もし貴女の前に、あと数日も生きられない少年と、彼の心臓を今日中に移せば助かる少女がいたとしたら、医者の貴女はどうするのですか」
「それは――……」
 少女を助けるという事は、少年に残された数日を奪う行為だ。少年に余命を全うさせてやるならば、救えるはずの少女の治療を怠ったことになり、そこに人命を救う医者としてのジレンマが生じる。
「貴女の罪は、それと同じです。貴女はどうやっても両方を救うことはできない立場にありました。どちらを救うのか、決めるのは貴女の意思です。主は、貴女に試しておいでなのです」
 青い瞳がすがるように答えを求めた。シスターは、背筋を伸ばして凛と言った。
「主は、これからも貴女に試練をお与えになるでしょう。試練を越え、一人で多くの命をお救いなさい。主はいつも見ておいでです。清き行いによって、貴女の魂が救われんことを」



 ベッドの端に腰掛け、下を向いたまま左腕を前に突き出したライアは、やや辛そうに呼吸をしていた。今、全身を循環しているべき魔力の大半が左手に溜まってしまっているため、言ってしまえば貧血のような状態だった。
 ライアが左手に握った平たい川原の石のようなものは、引石(いんせき)と言って、直に触れるとそこに魔力を吸い付けられる代物だった。道具として精錬された引石は非常に高価なため、ウィリアが持っていたのは原石に近い低ランク品だ。本来なら吸引力が強すぎてそのままでは使用に耐えないところを、ライアの左手に触れるウィルが、吸引力制御の役割を果たしていた。
 横の机では、ウィリアが張り詰めた表情で口の中で呪文を唱えては銀色の腕輪の表面に一画彫り込む、という作業を繰り返している。それが10分も続いて、腕輪の表面が文字で埋め尽くされると、彼女は目を細めて用心深く文字列を確認し、颯爽と立ち上がってライアに近付いた。
 腕輪の切れ目の部分を下に向け、最後の呪文と共に、それをライアの左腕へ落とし込む。
「これでいいわ……」
 ウィルが手袋越しに引石を回収する。左手を引いて、ライアは頷いた。

「大丈夫、何ともありませんよ」
 教会から戻り疲弊していたフェリーナだったが、帰ってすぐにリーティスの魔力をチェックすると、気丈に微笑んだ。
 まともに魔法を受けたリーティスは先刻まで休んでいたが、自分で起き出して立ち歩けるまでになっている。そこで、いつぞやのビゼス達による拉致の直後のように、宿の一室でフェリーナが魔力の流れを診断し、体に徴が顕れていないのを確認した。
「あの魔法は未完成のまま終わりました。でも、攻撃を受けたのに変わりはないですから、まだ寝ててくださいね?」
 あの子供を止めてくれたのはフェリーナだ。彼女がいかに深く傷ついているか、リーティスには解っている。だから、眠くない、と言わずに素直に目を閉じた。彼女に泣く間も与えないのでは、立つ瀬がない。
 眠くないのに目を閉じた結果、やはりダメージは蓄積していたようで、少しの間、リーティスは眠った。
 目が覚めると誰も居ない。ふらりと部屋を出ると、そこで今一番聞きたくない声を聞いた。
「もー平気なのか?」
「……ッ!!」
 振り向きながら、つい警戒するように睨みを利かせてしまう。
「――そっちこそ、いいの」
 どうしても、突っぱねた言葉遣いになってしまう。心配してくれたのは解っていたのに。
「ああ。ウィリアに診てもらったけど、問題ないってさ。フェリーナから聞いたけど、ほんと、よかったな。何ともなくて」
 すっきりと笑う。
(――!? 何で……)
 急に、ライアが大人びて見えた気がした。距離が遠くなったというか。らしくない。どうして。
 そこに、アルドが来て手招きした。
「ライア、ちょっと。」
「ん。じゃ、後でなリーティス」
「そうだ、みんなだったら7号室にいるよ」
「あ、うん……」
 それは勘だったか、偶然だったか。リーティスはアルドと連れ立つライアの左手が目に付いた。



「エストに帰っても、多分解呪の方法はない。二人とも、そう言ってる」
「……――聞いたよ。通常の火喰い鳥の紋章なら、エストに、或いはノーゼにもどこかには解呪の文献が残ってるだろう。だけど、明らかにあの魔法は異質だった」
「……俺の意思は、最初伝えた通りだ。折角クリスタルを砕ける力があんだ。最後まで、遠慮なんかしないで利用して欲しい。ただ延命のためだけに外れるとか、そんなん俺が望まないのは解ってくれるよな――?」
 アルドはやりきれない瞳で、それからライアを小さく抱擁した。それが答えだった。
「……ありがとう、君の意思は、無駄にしない――」
「……いんだ。サンキュ。俺の方こそ、我侭言って、これから一番嫌な役、アルドに押し付けちまう」
「そんなの、いくらだって買うよ」
 汚れ役を買おうと、この身で代わってやれはしない。だからだろう。常ならばポーカーフェイスのアルドが、悔しさと苛立ちを隠しきれていない。
「頼みがあんだ」
 そう言って、ライアは父から渡され肌身離さず首に下げていた鎖を外した。鎖に通された金の指輪ごと、アルドに手渡す。
「スロウディアに戻ったら、これを、キアに」
 初代国王ヴィシュタットが妻に送った指輪。それはスロウディアでは次期国王の証だった。その直々の命を、アルドに拒否することはできない。
「は、必ずや」
 跪き、アルドは指輪を托された重さと共に受け取った。

 それから催されたいつもより遅い夜のミーティングでは、ライアとリーティスの体調を考慮し、出発が明後日に延期された。このところ急襲が続くので、下手に強行するより、万全で備えたいというアルドの意見が反映された形だ。
 ミーティングが終わると、フェリーナを始めとしてメンバーは早々に退った。その中で、ライアが自分からリーティスに声をかけた。
「フェリーナんとこ行こうと思うんだけど……ほら、お礼、まだちゃんと言ってなかったろ?」
「あ……うん」
 ライアとの関係は依然不安定だが、フェリーナの名が出たことで、リーティスもすんなり頷いた。だが、礼を言いに行くのにわざわざ自分も誘うという、ライアにしては殊勝過ぎるような振る舞いは、どこか不安にさせる。
 フェリーナは二人が訪ねると無理に笑った。その表情にリーティスは胸が締め付けられる想いだったが、そこでライアが頭を下げた。
「……ごめん! それに、ありがとう。あの時フェリーナが魔法を止めてくれたから、俺、あそこで死なずに済んだんだ」
 遅れを取るまいとリーティスも続く。
「あ、あの! 私も――何ともなかったのは、フェリーナのお陰だから。本当に、感謝してる。だからその……一人で背負わないで」
 幼い命の犠牲を、フェリーナ一人の罪にはしたくなかった。少しでも彼女の負担を軽くしたい一心から二人が礼を言うと、フェリーナは弱弱しい声で告げた。
「私は、大丈夫です。でも、少しだけ……心の整理をする時間を、私にください」



「悪いな。手が離せないんで頼まれてくれ」
 そう言って買い足しのメモを差し出したビゼスは剣の手入の最中だった。丁度正午を過ぎたところで、外から充分な光が差している。
「い、いいけど……」
 本当のところ、あまり良くはない。メモに目を通したところ、どうしても鍛冶屋に行く必要があった。
(あそこの親父さん、顔合わせたくないんだけど〜)
 しかし、躊躇してみせた所でビゼスは見向きもしない。淡々と作業を続けながら言う。
「代金は後で払う」
 もはや確定のようだ。リーティスは諦めて部屋を出た。
「あっ! リーティス、ごめんなさい。一つお願いがあって……」
 これから急患を診に教会へ行くので、代わりに商店で注文していた品を受け取って欲しいという相談だった。少しかさばる品というが、フェリーナの頼みとあっては断れない。引き受けて、荷物持ちにライアを探した。
(も〜! こーゆー時にどこ行ったの!? 使えないっっ)
 結局見つからず、リーティスは一人で商店に繰り出した。かつての取決めが今も有効なのか不明だが、『雑用係』に悪態を吐きながら。
(嫌な事は先に済ませちゃお……)
 憂鬱な足取りで鍛冶屋へ入ると、予想通り怒鳴られた。曰く、剣での戦いは神聖なもので、婦女子が立ち入るべきでない、と。先日訪れた際も、リーティスだけが目の敵にされた。彼女の師であれば、『戦いに男も女もあるか、下らん。』と一蹴するに違いなかったが。
「あの、そんなに嫌なら中には入りませんから。これ。頼まれたんです」
 そう言って店先でメモと代金を渡し、引き換えにメモにあった品を受け取った。
「はぁ……」
 一仕事終わり、自然とため息が洩れる。次は自分の買い物だった。
 気を取り直し、買い忘れが無いよう雑貨屋の陳列棚と睨み合っていると、三つ編の若い女性店員が話しかけた。
「ねぇ! この腕輪買って行かない? 今なら無料で裏に名前が彫れるの」
 リーティスは興味が無いので断ろうとしたが、
「ここに名前を書いた二人は、恋が叶うのよ。彼氏さんか、気になる人、いるでしょ?」
 なかなかに押しが強い。こういう時、黙ったら負けだ。
「あ、あの、そういうのは……それよりこれ、お会計お願いします」
「ありがとうございます! あ、腕輪の方、気が変わったらいつでもまた見に来ていいんだからね!」
 急いで会計したせいで、後で一つ、個人的な買い忘れに気が付いた。しかしあの店員のところに引き返す気力もなく、リーティスは虚しくため息をついてフェリーナの注文品を受け取りに次の店に向かった。
「え……コレですか?」
 目の前にででんと置かれた二抱えの紙袋は、小脇に抱えればリーティスの頭よりも高く突き出る。ただ、中身そのものは軽い。
「お嬢ちゃん一人で大丈夫かい? 夕方で良かったら手が空くから、うちの手伝いに運ばせるけど――」
「い、いえ。何とか持てそうです」
 品物を受け取り、店長にドアを開けてもらいながら両手が塞がった状態で店を後にした。
 帰りがけ、リーティスは軽い頭痛に見舞われた。
「っ…………」
(まだちょっと、具合悪いかも……)
 魔法を受けてからまだ一日だ。着実に回復してはいるが、まだ全快ではない。ライアなどは今朝の調子を見てもあっけらかんとしており、どうして自分ばかり、と恨み言の一つも吐きたくなる。
「っ!」
 瞬間、石畳の段差に足を取られて、リーティスは派手に転倒した。
「つ――……」
 擦りむいた膝から薄く血が滲む。不調とは言え、手に何も持たなければこうはならなかった。咄嗟に荷物を庇おうという思考が働いたせいで、受身を取れなかった。
 幸い、荷物は無事だ。遠くにいた住民に大丈夫かいと声を投げられ、大丈夫ですと返しながら赤面した。こんななら、誰も見ていない方がよっぽどましだ。
 惨めな気分で立ち上がろうとしたリーティスに、今度は犬が吠えかかった。
「ゥウー……ワウワウッ!!」
 ――厄日だ。
 そう確信したところに、別の人がきて犬の注意が逸れた。犬が機嫌よく尻尾を振っているので飼い主かと思ったが、違った。
「……何やってんだよ?」
(誰のせいで……ッ!)
 リーティスの理不尽な怒りは沸点に達した。
「貸せよ。宿戻るんだろ」
「いいっ!」
 荷物を持とうとしたライアが疑問を洩らす。
「なに荒れてんだよ……? まだ怒ってんのか、この前の。悪かったって……」
 思い切りライアを睨み付け――そこで、左手の腕輪が目に入った。そうだ、これをしているのは、この町に来てからだ。
(まさかとは思うけど――あんな下らない商法に乗せられたとか……)
「それ――」
 荷物を置いたまま手を伸ばすと、ライアが反射で左腕を背に隠した。
「いいでしょ! ちょっと見るくらい」
 怒って言うと、ライアは左腕を遠ざけたまま言った。
「見たいのか? ほら、いいだろこれで」
 腕を一回転して、確かに腕輪の表面は見えた。だが気になるのは内側だ。
「じゃなくて。すこーし外して見せてくれたっていいじゃない!」
「なんだよ、んなもん見ても面白くな――うわっ! やめ――」
 こうも抵抗するとなると、怪しい。自分ばかりが大変な目に遭ってライアが浮ついているのが何だか許せず、絶対に外してやるとリーティスは意固地になった。
「その辺にしたげればぁ?」
 そこに、冷めた目のウィルが立っていた。


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