STAGE 31 uneasy contact 〜混迷の始まり〜



「まったく……酷い目に遭ったわ。よくもやってくれたわね、あの石像。お陰で玉の美貌が台無しじゃない! 次は羽まで氷漬けよ……!!」
「いたたた……」
 ウィリアとリーティスがフェリーナの治療を受けて戻ってきた。リーティスは右手で押さえた左の二の腕が痛むらしい。感染防止の染みる消毒液を塗られたのかもしれない。
「ろーほー」
 ウィルのやる気なさげな声が飛ぶ。
「案内してくれた二人だけどぉ、くたばり損なって地下迷宮から救出されたってぇー。ヨカッタね?」
 お前。他に言い方ないのかよ。そう心中で突っ込んで、俺は補足する。
「あの二人で、魔物一体封じたんだってな。結構重傷らしいけど、安静にしてれば一ヶ月で復帰できるってさ」
 今回、二人には色々と世話になった。面会できる状態なら、発つ前に一度は挨拶に行こうと思う。
 と、その前に。
 俺は、騒動に紛れてすっかり謝るタイミングを逃していた。
 俺は、持っていたそれを、謝罪と共に取り出した。
「…………」
 見慣れたビゼスの仏頂面。チリチリする殺気も洩れなくセットで。
 当然だ。俺が見せたのは、折れた剣なのだから。土下座した所で許してもらえないかもしれない。単に、あの剣がどれだけの業物かというだけの問題でない。俺は、ビゼスが自分の剣をどれだけ大事にするか知っている。何度も死線を掻い潜ってきたビゼスにとって、剣は、生身の戦友以上に頼れる相棒のはずだ。
「どうしてこうなった。話せ」
 頭を下げたままの俺にビゼスの声が刺さったが、土下座も覚悟だった俺は、魔鳥と戦った時の事を素直に話した。それに、巨鳥に乗った女性(?)と、クリスタルの事も。アルドとフェリーナが戻っていないけど、いずれ皆に話すつもりの内容だった。
 話し終えて、返ってきたのは、軽いため息だった。
「はぁ……。――まあいい。癪だが、『半分は』守ったからな」
「は、半分……?」
「うっわ、昼言われたコトもう忘れてっとか、頭だぁいじょ〜ぶですかぁ?」
「? ??」
 ウィルへの腹立ち以前に、疑問符が脳内を占める。鼻を鳴らして面白くなさそうにウィルが言う。
「言ったじゃん、兄ちゃん。貸す時に」
 言われて、不機嫌極まりない声を脳内再生。
『…護るのは当然として、それは必ず、お前自身の手で返せ。いいな……?』
「あ――……」
 もしかして……そういう事か? フェリーナは護ったし、剣は、完全じゃないけど確かに俺の手で返した。
 剣がこうなったのはやっぱり俺の責任だったけど、ビゼスは意外な事にそれ以上俺を責めなかった。



 翌日。出立には絶好の穏やかな晴天だった。最後まで南東のニアスにまで足を伸ばすことはできなかったが、この旅は遊びでないので仕方がない。
「おぉ、騎士殿よ。例の紋様について調べさせたが、我が国のどの家紋とも合致せんかったよ」
「そうですか。ご協力感謝致します、シュゼン公」
「……コホン。まあ、色々被害もあった事だが、我が国の管理不届きも要因にある。マスクも無事戻ったのでな、お互い様としようではないか。道中、気をつけられよ」
「はっ!」

「なんだ、アルド、用事は終わったのか?」
「ああ、待たせたね。ちょっと、公に個人的にお尋ねしていた事があったんだ――と、みんな、揃ってるね? それじゃあ、行こう。次の目的地へ」

 ワイズデールを出て再び内陸へ向けて出発した一行は、再び晩冬の寒さの中へ身を投じた。雪も降りかねない気温の中、ライアは血色の悪いウィルに話しかけた。
「大丈夫か? ――だいぶ歩いてるからな。少し休んだがい…」
 紫の瞳がきつく睨む。睨まなくたっていいだろ、とライアは怒りつつも引き下がった。
「あ。見えてきました――あの町ですね。これで休めますよ」
「はァ? だからオレはへーきだって……」
 ムキになって反論しかけたところを、姉は冷ややかに訂正する。
「馬鹿ね。よく見なさい。こっちには、か弱いレディが3人もいるんだから」
「自分で言うなよ……」
 ライアが呆れ、
「かよわぃい〜!? 百歩譲って、フェリーナだけは認めてやっけどね」
 ウィルがぼやき、
「同感だ」
 ビゼスが同意する。見慣れた日常。変わったのは、あの日出て行ったウィーロスの事を、最近は誰も口にしなくなった事くらいだ。

 町に入る前から、異変に気付いていた。町の一角で黒い数本の煙が細く立ち上り、何か指示を出す住人達の声と、泣き喚く幼児か子供の声が重なり合って聞こえる。
 到着したばかりの町は騒然となり、焦げ臭い匂いがした。
「早く! こっちにまだ市民のけが人が残ってる! 搬送を急いでくれ!」
「おぉい、鎮火が終わったら、この瓦礫をどけるのを手伝ってくれんか」
 どうも、町中で破壊を伴う争いがあったらしい。泣き止まない子供をあやす母親や、搬送されて行くけが人の姿を見るにつけ、事は収束したばかりのようだ。
 と、すぐ傍の地面で声がした。
「お、ぉいそこの兄さんら……ワシを介抱してくれんか――」
 見ると、袖なしのレザーチョッキを着た、がっしりとした体格のスキンヘッドの男が、出血している腕を押さえていた。
 そこに穏やかそうな若い神官が通りかかって、首を横に振った。
「旅のお人。関わってはなりません。この惨状は、彼らが原因と言っても差し支えないのですから――」
 目を伏せながら会釈すると、彼は市民の救護に急いだ。
 すぐ傍を、痩せた中年の婦人が、地面の男を一瞥しただけですぐ通り過ぎようとした。アルドが呼び止める。
「待って! すみません、少しだけお話を聞かせてください。私達は先程、初めてこの町に着いたばかりなのです」
 婦人は、困ったようにアルドの顔をちらちらと見た後で、ため息と共に吐き出した。
「そいつらはねぇ、あたしらの町の恥だよ……! 何かにつけて武力をちらつかせては、我が物顔で裏通りを闊歩してる、スパイニーって集団さ。……もうあたしは行ってもいいかい?」
「はい。すみません、呼び止めてしまって。ありがとうございました」
 足元で、男が呻く。
「なァ、後生だから、助けてくれぃ。悪人たって、人間だァ……見ろよ、この血……あぁ、痛ぇ……」
 命に別状なしと瞬時に見て取って、アルドは冷ややかに見下ろす。
「あのご婦人が嘘を吐いているとも思えない。自業自得だろう」
「そりゃねェよ……」
 情けなく言う男の傍らに、真剣な顔でフェリーナが両膝をついた。
「失礼します、私は医者です。もし、私がこの腕を治療したら、貴方はこの腕で誰かを傷つけますか?」
「し……しねェよお! だから助けてくれェ」
「わかりました。約束ですよ」
「フェリーナ! やめなってば!」
 リーティスが制止するも、フェリーナは真剣な瞳のまま言った。
「リーティス。スロウディアでは、仏の顔も三度までって言います。一回は信じてみましょう。――ですが、私は仏ではないですから、二度目はないですよ」
 薬箱の中から、左から3番目の赤いのを取ってください、と頼まれたリーティスは拒否するかと思われたが、左から3番目を覗き込み、
(あ……これ凄いしみるやつ――)
 大人しくフェリーナに消毒液を差し出した。

 スキンヘッドの男と、ついでに近くで悶絶していたスパイニーの男2人を介抱してやると、荒治療のため(?)青ざめながらも、彼らは揃って卑屈な笑いを浮かべた。
「へっへっへ……あんがとよ、医者のネェちゃん。お礼に――」
 その太い腕がフェリーナに伸びようとした瞬間、
 ビシィ!
「ぐあっ!」
「ラっ、ラス!?様……」
 歳は四十近いだろうが、雰囲気に隙のない男がそこに立っていた。皮手袋を嵌めたその手が握るのは、今しがたフェリーナに手を出そうとした男を打った鞭のグリップだった。
 その男は眼帯をしていない方の目で、スパイニーの男達を睨んだ。
「これ以上、組の名を貶めるつもりか。恥を知れ……」
 その声には、有無を言わせぬ迫力があった。
「だ、だがよぅ……市民どもに舐められてたんじゃ」
 ラスの隻眼に睨まれた瞬間、ひ、と息を呑んで、彼はそれ以上喋れなかった。
(く、くそ――……ラスの野郎が出てくるとは……)
 組員の一人は、焦りながら懐のナイフさえ探ったが、ラスは気付いていながら動じない。
「誰の指示だ? イファか? さっき、血みどろでアジトに戻って来るのを見かけたが」
 どうやら、ラス自身も、彼が口にしたイファという者も、同じスパイニーの幹部らしい。イファ寄りの組員達は、苦虫を噛み潰した表情で顔を見合わせた。それを見て、ラスは納得する。
「――そうか。しかし、なぜこの目立つ昼間に、表通りで戦闘などという馬鹿な真似をした?」
「どこぞの、怪しい宗教団体ご一行っすよ」
 一番最後に気を取り戻した若い組員が、ラスを前に、素直に白状した。他の二人は一瞬の間の後で、それに続く。
「そ、そうじゃ! 奴ら、意味もなくこの広場で市民を脅しよった! この町で"恐怖"であって良いのは、ワシらスパイニーだけっちゅうに……!」
「俺たちがつっかかったら、あいつら、訳のわかんねー奇術で反撃してきやがった! だ、だからこの破壊も、被害も、半分以上あいつらのせいだ! 本当だ! 嘘じゃないっ!」
 よほど恐ろしい目に合ったのか、その声は震えていた。
 ラスが、家屋の破壊情況を目にして言う。
「……なるほど。イファが居合わせたとしても、この頭数では、な。して、奇術とは?」
 しん、と静まったが、ラスの視線に中てられて、彼らは吐露する。
「お……おっかねぇ技よ!! 詠唱もなくそこの尖塔を爆破さしたり、ぁぁあ……あと、町の外の魔物どもを操ってきやがる奴までいた!」
 魔物は、戦闘終結と共に一行に衝き従って退き、人々に恐怖を残して嵐のように去った。
「い、いや、それだけじゃあない! 見てくれよ、俺のおニューのつるぎ! こいつを素手で叩き折った奴まで居んだ! バケモノに決まってる!」
(『恐怖』、か……。我らこそ、この町の理不尽な闇であり、恐怖でなくてはならぬというのに――)
 組員の怯え様に、ラスは凄惨な表情を造った。
「今のお前達を見て、市民はどう感じるだろうな?」
 反論できる者は無い。
「ちょっといいかしら」
 割って入ったのはウィリアだった。
「つるぎを素手で折ったと言ったわね。その人の風貌……覚えてるかしら?」
「ち……てめぇらとっとと去りやがれっ! いつまでも見てんじゃねぇよ――ただの旅人に答えてやる義理なんざ――」
「こいつらを治療したのは、お前達か」
 訊ねたのはラス。警戒した面持ちで、しかしラスから視線を逸らさず、フェリーナが挙手する。
「……私です」
「ほぅ……。貴様ら、正直に教えてやれ。これ以上、恥の上塗りは許さん。――それとも、組を放り出されたいか?」
 利き手に力をかけるラスに、スキンヘッドは震え上がり、ウィリアの問いに答えた。

 『長身の若者』『銀の髪』その回答は、あまりにライア達の期待に沿い過ぎていた。
「ここまで一致すると却って気味悪いよな……って、くそ、町はここまでか。リーティス、こっからぐるっと時計回りに見てってくれないか。俺は、少し外まで捜してみる」
「了解。無茶しないでよ!」
「あー解ってる! 気をつけろよ」
 7人は今、手分けして証言にあった若者を捜している。町を恐怖に陥れた一行は去ったというが、ウィーロスがその仲間と決まった訳でない。まだ町に居る可能性もある。
 民家や一部の市民まで傷付けた一行に、ウィーロスが加担したとは思えない――が、何らかの形で関わっているなら、事情を聞き出さねばなるまい。
 ライアは町から西へ伸びる道を探索した。その先は山岳地帯に繋がっており、大地の起伏が激しく、あまり見通しが利かない。
 乾いた土を蹴って走るライアの前に、奇しくも目的の人影が現れた。屈んで薬草を摘んでいたその大きな背中に、ライアは叫んだ。
「ウィーロスっ!!」
 若草の瞳が瞬く。
「ライア? こんな所で……ううん、それより傷はもういいの」
 彼らしい気遣いだ。レイヤでの一件は随分前になるが、ウィーロスは忘れていなかった。
「ん、大丈夫だ、もう完治した。それより、捜してたんだ」
 怪訝そうな表情。
「え……僕を? ……悪いけど、僕はもう一緒には行けないって――」
 その言葉で、ウィーロスは町での争いに関わっていないものと判断し、ライアは胸を撫で下ろした。来た方向を肩越しに親指で指して言う。
「いや、この先の町で、民間人を巻き込んだ戦闘があったんだ。そこでウィーロスとよく似た人相の奴が居たって聞いてさ。けど、俺達の早とちり――」
「僕だよ」
「……は?」
 顔が引きつる。何か、嫌な予感がした。
「僕らの神を冒涜した、彼らがいけないんだ」
 それはウィーロスの発言とも思えず、ライアは硬直した。
「僕らだって、争いたくはない。でもね、言葉だけじゃ、どうしても納得してくれない人達もいる。だから、『その為に』『僕らが居る』んだ……」
 そう説明した彼は辛そうで、しかし瞳には決意の火が灯っていた。だからと言って、ライアには到底受け入れられた内容ではない。
「ど――話違うだろっ!? 俺は……ウィーロスが決めた道だと思って……戦いを棄てるなら、それでもいいと思うようになった。だけどこれじゃ!」
「同じだよ――今は、戦うしかない。でもその先に、争わなくて良い未来が待ってるんだ。その為なら、僕はこの拳を血に染めて、魂を地獄の業火で焼かれても構わない」
「ウィーロス!!」
 悲痛な友の叫びに、ウィーロスはただ無表情でいた。この顔は、そう。敵対していたあの頃と同じ。望まぬ戦いであっても、感情を殺し、役目を果たす兵士の顔がそこに在る。
 今ひとたび、彼は表情を顕した。そして言う。
「教えてあげる。僕達が望む真の理想郷、そこでは、人間も魔族は平等なんだ。だから、本当なら……みんなにも力を貸して欲しい。理想郷の為に、この手を取ってはくれない? ライア」
 差し出された、厚く固い掌。若草の瞳は切望するにライアを見ている。
 もう、当惑による硬直はとっくに解けている。静かに、ライアは返した。
「本気で言ってんのかよ。争いを無くす為だからって、お前の事心配する姉ちゃんも捻くれた弟もほったらかして、関係ない市民まで傷付けて――それでいいって、ほんと言えんのかよ……ッ!!」
 ウィーロスが、名残惜しそうに腕を引いた。
「ごめん……。みんなを巻き込む権利なんて、僕にはないんだ」
「んな事どうでも良い――」
「えっ?」
「ふざけんな。まだ巡礼とかかましてる奴らに付いてくのか? よく考えろよ。騙されてんだろ!? 俺は納得しない!!」
「でも、行かないと。僕だから……できる事があるんだ」
「まだ言うかよ。だったら、俺が……止める!!」

 砂を巻き込んでつむじ風が舞う。強まる風に木立がざわめき、遠くまで声は通らない。
 左手で鞘を握り、固定していたベルトを右手で外して、俺は剣を地面に放した。
「……。それじゃ、相手にもならないよ」
「じゅーぶんだ。倒したいんじゃない、止めんのが目的だ。」
「……後悔するよ」
 言うと同時、ウィーロスが踏み込んだ。速い。
「ッそ!」
 俺だって、何もして来なかった訳じゃない。ウィーロスがいた頃はかなり組み手もしたし、今はビゼスとかアルド相手に鍛錬してる。剣は手放したって、ただで負ける気はない。
「考え直せよ!」
 互いに拳を交え、いなしながら言葉を交わす。肌すれすれの所を、何度も空気が掠めた。指が、手が武器となり、甲を、肘を盾とする。
「ライアこそ……どうして解らないんだ」
 声と同時、拳より遙かに威力のあるウィーロスの蹴りが飛んだ。
「ッぐ!」
 ぎりぎりで飛び退いてガードするも、僅か触れた腕を痺れさすのに余りあった。
 ウィーロスは、油断なく構えたまま続ける。
「犠牲は……人間と魔族でこのまま戦い続けるより、遙かに少なくて済む!」
「あのな――」
 溜めて、俺は間髪入れずに連続で拳を突き出す。
「戦争無くすために、無関係のひと何人巻き込んでも良いって言うのか!? 間違ってる!」
 何発当てに行こうと、ウィーロスの体芯は微塵も揺らがない。
(くそっ――もう切れる……!)
 ウィーロスほどの相手に隙を作る訳にいかない。体力が切れる前に連撃を止め、攻守を反転する。
 ゴッ!!
 思った通り、容赦のない反撃が来た。余力を残していなければ避けきれなかった。
「……っ!」
「僕は争いの消えた未来を信じる。何と言われようと退かない……!」
 だからその方法が間違ってんだよ!!
「ウィーロス! お前なら判んだろ!? 戦えない人の痛みだって! 戦ってる奴だってホントは殺し合いなんて望んでないって! そのお前がどうして――真っ先に話し合いでの解決を投げんだよ!?」
 ウィーロスの表情は動かない。
(一発も……ただの一発も届かないって言うのかよ!? 俺の拳も、声も……ッ)
「この……大馬鹿やろーーーーっ!!」
「!!」
 次撃を省みない俺のアッパーが、遂にウィーロスの頬を捉えた。
(届い、た……っ!)
 その時、仰け反りつつも獣のように鋭い若草の瞳が俺を捉えていた。
 ――ドスッ
 重い衝撃。
 それがあまりに速くて、俺には何が起きたか判らなかった。
 俺の鳩尾に刺さっていたもの――ウィーロスの膝。
 俺は体をくの字に折り、反吐を吐きながら砂塵に伏した。

 ライアを下した銀髪の青年は、突如、びくりと震えた。
 背後で、木立の裏に潜んでいた影がゆらりと姿を現す。青年も気付けなかったが、殴り合いが始まった頃、既に影はそこにあった。
 振り返らず、青年は泣きそうに歪んだ微笑になる。解っていたから。それが敵わぬ相手(ひと)だと。
「僕を……殺しに来たの? 兄さん――」
 青年が振り返ると、男は事も無げに苦笑した。男はちらとライアに視線をやり、思う。
(気絶、か……。死ねば仇は取ってやろうと思ったが。“気”を使わなかったとなると――)
「お前のこ…だ。…ん……はしとらん。だが、お前の姉弟は怒りしん…う来てるぞ。か…って…た時、助けんか…な」
 木々のざわめきに紛れた言葉に、青年は驚いた顔になる。だがすぐに、その表情は警戒に変わった。
 まだ距離があるが、獣の臭気と、羽ばたきの音。それに、どこからか人の視線。
 男が左腰の剣を抜いた。道を違えた青年に向けて。風に乗せ、男が低く囁く。
「いいな……」
 青年の頭部が、ほんの僅か縦に揺れた。次の瞬間、全身のバネを使って男に飛び掛かる。
 男の剣が横薙ぎに払う。青年の姿が掻き消え、次の瞬間“気”を篭めた鋼の手刀が男を襲う。男はほとんど動かずにかわし、青年の咽を狙って突きを繰り出す。それはフェイントで、すぐさま流れるように切り上げる。見切った若者は、“気”を張った腕で剣先を逸らし、バク転で蹴り上げつつ後退する。
「ひいて!」
 その時、上空から青年を制止する女の声が聞こえた。



「う……っ」
 腹部を押さえ、背を丸めながら目を開ける。ぼやけた視界に映ったのは、乾いた砂地と、その向こうの林。
 赤い瞳がはっとなり、すばやく周囲を見渡した。目に入ったのは、立っているヒトの二本足と、赤い雫を滴らせる切っ先。
(――!!)
 ライアは青ざめ、鳩尾の痛みなど構わず四つんばいの状態で身を起こす。
「ビゼス……っ!!」
「?」
 こげ茶の瞳がライアを振り返る。手にした片刃の剣に鮮血が絡み付いている。
「それ……っ」
 ライアが声を絞り出す。その視線を目で追い、ビゼスは自分の剣に行き着いた。
 呆れたようにため息をついたかと思うと、顎をしゃくって一方向を示した。今度はライアがその先を追う。
「え――?」
 狼に近い容をした魔物の死骸が横たわっていた。それも2体。ビゼスが斬ったかとライアが早とちりしたその人の姿は、どこにもない。
 ライアが息を吐く。その場で胡坐をかくと、ぽつりと言った。
「さっきまで、ここにウィーロスが居たんだ……」
「ああ」
 ビゼスが動じない事から、彼もウィーロスの姿を見たのだろうと予測できた。
「少し話しして。なんかあいつ、すごい間違った方向に進んでるみたいなんだ。だから止めようとした。けど――」
 胡坐をかいたまま、ライアは俯いた。
「……ごめん。俺、結局ウィーロスを止めらんなかった――……」
 直に接触しながら説得できなかった事を、相当悔やんでいた。
「構わん。あいつが自分で決めた事だ。好きにさせとけ」
 ライアがはっと顔を上げる。ビゼスは、仕留めたばかりの2体の魔物を見ていた。
「空に逃げられては、流石に追えんからな。――仲間が居た。恐らく、スパイニーの奴らが言ってた魔物使いだろう。魔鳥に乗った女が、あの狼どもを嗾けてウィーロスと逃走した。……最も、向こうはこちらを確実に仕留めたと思ってるだろうがな」
 魔鳥。聞き捨てならない単語だ。しかも相手はこちらを始末しようとした。それは、ウィーロスにとっては本意なのだろうか?
 ライアは改めて魔物を見た。2頭とも体重ならビゼスを凌ぐかもしれない。頑丈な牙と顎を持つ頭部に、締まった筋肉質の体。並の剣士であれば、あっと言う間に2頭に食いちぎられ、今頃は骨だけを残して胃袋に収まっている時分だ。
 ライアが途中で気を取戻す可能性もあった以上、ビゼスは雷を使わず対処したのだろう。剣一本でも強いのは知っていたが、あの魔物を正攻法で突破した実力を考えると、改めて敵でなくて良かったと思うライアである。
「こうしていても始まらんな。戻るぞ。アルディス達に報告だ」
 ライアは拍子抜けしたように頷いた。

 その頃、フェリーナとウィルのチームは、途中で捜索を打ち切り、一足早く宿に入っていた。戦闘のあった広場は町の北東だが、この宿は西の通りにあり、被害は出ていない。
 一室で、フェリーナがウィルを診察していた。
「……特に、悪いところはなさそうですね。疲労だと思います。休めば治りますよ」
「…………」
 裸になっていた上体に服を着直すと、冴えない顔のウィルが言った。
「……フェリーナ、『ウェリスの選択』って知ってる?」
 それはノーゼの言葉で、ある程度の医療用語を学習しているフェリーナでも、その言葉は知らなかった。首を振る彼女を、澄んだ紫の瞳が捉える。
「思春期に、魔力がテーカするやつ」
「……! あ、それなら『ウィンゼル症候群』ですね。だいたい3割の子が経験するみたいですけど……」
「エストではそーゆーんだ……。ウェリスってさ、魔力を司るって言われる精霊の遣い達で、あの症状は、ウェリスの審判の時間なんだってさ」
 頷いたフェリーナは、そこで勘付いた。
「ウィル、もしかして……」
 ウィルが見せた表情。彼は、かつてないほど辛い顔をしていた。
「……っ。フェリーナ、この事は、他の奴には――。姉貴にだけは、絶対に……っ」
 縋るような必死な瞳に、フェリーナは表情を緩め、優しく言った。
「解りました、約束します。あまり心配せず気長に待ちましょう。発症しても、8割の人は、半年から1年で元に戻るものですから」
「うん……」
 ウィルが、やっと安堵したように力を抜いた。フェリーナは、こう思って約束したのだった。プライドの高いウィルは、魔力の低下を姉に知られたくないのだろう、と……。

 町に戻りながら、ライアはビゼスに一部始終を話した。勿論、途中からビゼスが物陰に潜んでいた事などライアは知らない。また、ビゼスにしても、ライア達の会話を完全に聞き取れた訳ではなかった。
 話を聞き、ビゼスは眉をひそめた。
「なぜ今話した。帰ってから、アルディス達に言えばよかろうが」
 ライアがかぶりを振る。
「だめだ。よくわかんねぇけど……ウィーロスが言った事、ウィリアとかフェリーナには話さない方がいいと思うんだ。余計な心配かけると思う」
「は、成る程な」
 冷淡なビゼスはともかく、他の者には、会話の内容は伏せてウィーロスが例の一行と共に去って行った事実だけを話すつもりでいた。
 ウィル達が先に宿を取っていてくれたので、例によって7人が揃った所で話し合いになった。ライアはウィーロスを発見したが何者かの当身を食らって接触できず、そのあと来たビゼスが、ウィーロスを伴って逃げた魔物使いの女を目撃した事にして、話を進めた。
「魔鳥、ですか――……」
「ああ……俺も思った。直に見てないからデラスで助けてくれたのと同じとは限らねーけど、関係ありそうだよな、これ」
 フェリーナとライアの会話に、アルドが返す。
「うん。ただ、結びつけるにはまだ手がかりに乏しいね。魔物を操る女性、デラス山のクリスタル、巡礼の一行……。ウィーロスを捕まえて話を聞けたら一番なんだけれど」
「じゃあっ」
 切羽詰まって身を乗り出すウィルに、アルドは冷静に首を振った。
「相手は空だ。どっちに行ったかも判らない。明日、落ち着いてから聞き込みをしよう」
 そうして、誰もが晴れない気持ちを抱えたまま、一夜が明けた。

「お天気に恵まれて、よかったですね」
 彼らが集合したのは中央広場の一角、町で唯一の見取り図の看板の前だった。
「昨日、部屋でお話したんですけど、私とリーティスは、昨日けがをされた方が収容された診療所にお手伝いに行って、魔鳥を目撃した方がいないか伺ってみようと思います」
 広場からは四方に伸びる通りの様子が良く見えた。昨日戦闘のあった北の繁華街は早くも活気が戻りつつある。西通りは宿といくつかの商店が立ち並び、昼間から暗い雰囲気の南通りはスパイニーのアジトに通じている。残る東通りは職人街で、工房や住居があった。
「そうだね。お願いできるかい」
「まっかせて!」
「ええ。じゃあ、私達はこれで――」
 と、その時アルドの空色の瞳が何か捉えたらしい。声を出さずに、続けて、と唇に人差し指を当てた彼は、話し合いの輪を離脱した。
 アルドの対角に居たライアやリーティスは、後ろに何があるのか気になって仕方なかったが、先程のジェスチャーからすると、振り返るのは禁物だ。極力、周りから見て何事もないよう自然に振舞っているため、アルドが抜けた事に気付かない通行人さえ居ただろう。
「おい……うしろ、何があんだよ……?」
 ライアが訊く。正面のウィリアが一瞥し、さらりと答えた。
「ぇえ? 東通りね――特に無いわ。近所の子達が遊んでるだけよ」
 ビゼスが真顔で言う。
「小便か?」
「んな訳あるか」
 ライアが突っ込み、ウィルが意地悪くケラケラ笑う。
「いや、あり得んじゃね?」
 ライア達がそんな仕様もない会話を繰り広げていた頃……
「っひゃっ!?」
 建物の陰で、ぽん、と後ろから肩に手を置かれた女性が、ばね仕掛けのように跳ねた。
「なっ、なななな……」
 慌てた様子で振り返る女性に、アルドが丁重に断る。
「すみません、ちょっといいですか」
「なんデスか? ワタシ、まったク全然アヤシい者ジャ……ッ」
 外国の鈍りがある。どこの鈍りか、アルドは一発で看破した。
 敢えてノーゼ語のまま、彼女にも通じるよう、ゆっくり丁寧に言う。
「僕達の事、見ていましたね。――昨日も」
「ハッ!? 人違イデース」
 言いながらじりじり後ずさりした彼女は、瞬間、身を翻した。
「待って」
 しかし、そこはアルドだ。すぐに女性の手を捕まえた。涙目でアルドを見た女性が口走ったのは――
清き流れよ 集束せ…むぐぅ!?」
「失礼します。大人しく事情を聞かせてください。私も、手荒な真似はしたくないです」
 女性が抵抗をやめ、魔法を使う気配も失せたので、アルドが口に当てていた方の手を離す。すると、突然女性が叫んだ。
「助けてェ〜!」
(これは――まずかったかな)
 アルドは思うが、集まった近所の子らは。
「あははは〜」
「おねーちゃんそれ何の遊びー?」
 どこまでも無邪気だった。
「エエェ!? 違うノ、遊びジャなくて、このお兄サン悪い人。君タチ、大人の人連れテきて!」
「えー……」
 アルドをじっと見る子供達。
「嘘だぁ」
 がくりと肩を落とす女性。捕まれた腕を強調する。
「ドウシテそうなるの〜!? この状況を見テ! ネェ!」
「えー。だって、その兄ちゃんいい人っぽいよ! その背中のでっかい剣、金髪に青い目、どっから見たって正義の騎士様じゃんかー!」
「そーだよ! 本で見た騎士様とそっくりだもん! ね、ね、絶対そうだよねっ!?」
「あーっ、判った! ゲルダ姫ごっこね! あいする騎士様が死闘へ行かなくてすむように命を絶とうとするお姫様を、駆けつけた騎士様が引き止めるのよ」
 がっくりと項垂れる女性の目は、通り掛かった老婆を逃さなかった。
「そこ行くお方! ジケーダン、ジケイダン呼んでくだサイ!」
 目を丸くした老婆は、瞬きした後に言う。
「ほっほっほ。痴話喧嘩かぇ? 程々にのぅ」
 もはや、その場でへたり込むしかない女性だった。

「……で?」
 ビゼスが問う。一同は、再び広場から宿屋へと場所を移していた。
「彼女の顔、覚えがあるでしょ、ビゼス」
 アルドに促され、女性を見て一言。
「いや」
「……あのねぇ。レイヤの酒場で、並びに座ってたじゃないか! 丁度、僕らがライアに関する記憶を消される前だ」
 彼はカウンターに座る女性を美人だと請合ったはずだが、アルドの説明に、ああ、と返した生返事から、完璧に忘れ去っている事実がここに確定した。
「はぁ……。良いけど。僕もここに戻って来るまでに思い出したとこだしね」
 皆に囲まれ、肩を怒らせながらちょこんと椅子に座ったダークブロンドの女性は、頑なな態度を取った。
「何時間待トウと無駄。ワタシ喋らナイわ!」
 そこに、お盆を持ったフェリーナが湯気の立つカップを置いた。
「はい、どうぞ。お茶です。あと、そこのパン屋さんで買った焼き立てのカップケーキがあるんです。ベリーとチョコ、どちらがお好きですか?」
「エ? エット、ジャあベリーを…………って、ハッ!!!?」
(シマッタァア〜〜〜!?)
 勝手に絆されて独り落ち込む女性を、ウィルが指差す。
「ね。アレほんっっとにオレ達の事見張ってたの? あんな簡単にオチてるケド」
「ぅうん……言われると僕も自信無くしそうだけど、間違いじゃないよ」
 ――結果。ケーキを頬張りつつ、彼女は語った。
「ワタシは貴方達を、むぐむぐ……監視シテマシタ。ある目的ノ為ネ」
「『目的』……? それは?」
 アルドが尋ねると、女性は菫色の瞳に強い警戒の光を宿した。
「言えナイ。単独行動してル私は、敵に見つかレバ最後」
「……敵?」
 アルドが言った時、ウィルが流暢なエスト語で横槍を入れた。
てかさぁ、そのカタコトやめたらぁ? どうせここに居る皆、喋れるんだしー?
 女性が迷わずその姿勢でフリーズ。アルドもそこからエスト語に切り替えた。
そうだね。さっきの詠唱、エスト語でしたね。貴方がエスト語を話せる事は隠しても意味がないですよ
「アアア、そんな……隠れテ見張るつもりが、ドウシテこんナ事に……」
 顔を両手で覆い、しくしくと泣き出す。その後、フェリーナの淹れた美味しいお茶と2個目のケーキで気を取り直した彼女はこう明かした。
「デラス山で助けたのは、あそこで行き倒れられては困るから。だって、まだ見極められていないんですもの。貴方達が、私にとっての切り札となり得るのか」
 リーティスが、緑の瞳で女性を正面から見据えてずばり訊ねた。
「私達に、何をさせたいの? ――貴女は、味方? それとも……!」
 今度は少し考えて、彼女は口を開いた。
「……。貴方達が、このまま上手く行ければ……きっと敵の正体に辿り着く。私は、貴方達の敵を知る者――いいえ、正確に言うならば、この前まで『敵の側にいた』一人よ」
 菫色の瞳に、迷いはなかった。
「けれど、彼らがやろうとしている事に賛同できずに飛び出した。だから今は、こうして彼らを止められる者を一人で探している」
 ライアが言う。
「だったら、協力できないのか」
「無理よ。私は裏切り者だから、味方もいない。下手に誰かと手を組んで、足を引っ張られたらそこで終わり。まだ独りで確かめたい事もあるし――貴方達が信用に足ると確信した時、もう一度現れて、その時こそ貴方達の『敵』に関する全てを話すわ」
 ご馳走様、と彼女はカップを置いて席を立った。強く引き止める者もない。
「ひとつ、教えとくわ。美味しいお茶の礼、ね」
 彼女は去り際に言った。
「昨日、ここを発ったばかりの巡礼の一行――私は、彼らの目に触れる訳にいかない。あれは間違いなく、貴方達の『敵』よ」

(あれから4日も経つんだな……)
 ウィーロスとの接触から数えると5日。今のところ何の音沙汰も無い。ライア達も移動を始めていたが、例の女性もどこへ身を隠したのやら全く気配を感じないし、巡礼の一行の噂も途絶えている。
 先日の件で一番ショックを受けていたのは、言うまでもなくウィルとウィリアで、それを解っているからこそ、自分はしっかりしなければと思うライアであった。
 そんななか、今日も今日とて野宿の傍ら、鬼教官のありがたいご指導タイム。
「2人がかりで来い。事前の相談は構わんが、油断による大怪我は自己責任だからな」
 まだ一度も2対1でビゼスに勝利できていない少年剣士組である。魔法の使用可、砂での目潰し有効、要するに何でもありなのだが、2人のいかなる行動も悉く潰してきたビゼスであった。しかも反撃は容赦ない。鬼というより慈悲を知らぬ悪魔だ。いや、魔王か。かの二文字は、彼の為に地上に齎されたに相違ない。
 魔王を討つべく、戦いを挑む勇者達は――
「うっ、裏切り者ぉぉお〜〜!!」
 開幕直後、全力で逃走したリーティスにライアが叫ぶ。――赤の勇者、ここに眠る(予定)。君の犠牲は忘れない。
 仲間の死を胸に、緑の勇者は、
「まだまだ甘いな」
「うぅ……」
 師の前で正座していた。ライア渾身の叫びから2分、既にかたが付いていた。
 敵を騙すにはまず味方から。事前の話し合いを無視して、逃げると見せかけて中距離から風で攻撃する大胆な作戦だったが、百選練磨のビゼスの前に、両者あえなく散った。
 師の批評は厳しい。
「リーティス。『私がライアを殺さないと解って』こうしたな。実戦で今のようにできるなら悪くない。だが、ライアが死ぬかもしれない状況で躊躇うのなら論外だ。一瞬でも迷えばそこに隙が生じる。……よく考える事だな」
「はい……」
 大きなため息と共に、反省。こげ茶の瞳が、鞘で強かに打たれた肩の治療を受けているライアに向く。
「ライア。貴様はまだ前足にかかる癖が抜けんな。早く直せ」
「う……」
 やはり返す言葉なし。ライアには自分の剣を教える意味がないと言ったビゼスだが、剣技(特に奥技)を伝授しないというだけで、剣術全般の基礎や戦闘技術には遠慮なく口を出す。現在ライアはアルドに、リーティスはビゼスに師事しているが、実際は年長組が2人の面倒をまとめて見る事も多い。その指導方法は、片や鍛錬と座学中心、片や実戦と説教中心で、性格の違いが表れていた。
 ライアが斬り込む際、前に出した足に重心が偏りがちであるのを指摘したのはビゼスである。筋力では同等か、勝っているはずのライアがビゼスに剣を弾き返されたのはそこが原因と言える。ライアもそれなりに基礎はできているので後ろ足で踏ん張る事の重要性は弁えているのだが、攻めようとするとつい前に体重がかかるのは悪い癖だ。
 ビゼスに師事するようになって、リーティスは着実に腕を上げている。ライアもそれを実感しているが、男の意地で負けていられなかった。今のところ4戦すればライアが2勝、1引き分けといった所だが、純粋な剣の試合でなく現場の戦力としてはその差は縮まる方向だ。ビゼスは、剣術は勿論、戦闘をいかに有利に進めるかを徹底してリーティスに教え込んでいた。



 豊穣の都市、リライ。周辺に複数の農村を持ち、それらを束ねる領主が屋敷を構える。
 ここ最近、北西の廃墟に凶暴な怪物が棲みついたそうだが、それを確かめに行って戻った者は無い。廃墟の近くをリライの生活水である川の上流が流れているが、水そのものに問題はなく、近頃では廃墟を調査しようという動きも途絶えた。
 昼間の通りには、作物を積んだ台車や農耕を営む人々が仕入れや交渉のために行き来し、小さな市も立っていた。その街角に、騎士らしき若者3人が屯している。
 表情から察するに、彼らの景気はあまり良くないらしい。
 一人は金髪の大柄な若者で、表情に乏しい。その隣は、自信に満ちた深い緑の瞳と黒髪が特徴の若者。彼が最も積極的に喋っているが、専らその相手を務めているのが、一際気位の高そうな、曇りない金髪の青年だった。エメラルドの瞳は強い意思を宿しており、通りかかった旅の一行を目にした瞬間、彼は息を呑んだ。その瞳にはただ一人の少女が映っていた。
「ちょいちょい、聞ーてる? ラファーガ――」
 黒髪の若者の言葉など耳に入っていない様子で、次の瞬間、青年は身を翻した。
「あっおい」
 若者が止める間もなかった。黒髪の若者はもう一人を振り返って肩を竦め、程なくして彼らも青年の後を追った。

「リーティス!!」
 呼ばれた乙女が振り返る瞬間、背景に花びらが舞った――のは青年視点であって、実のところ世界は凍りついた。

「〜〜〜〜ッ!!」
 連れの二人が追いつく頃には、乙女がいきなり抱きついた青年を声無き声と共に全力で突き飛ばす所だった。
「あれ〜? なんだ、リっちゃんじゃない」
 気さくな声。変質者を突き飛ばして息を荒くしたリーティスは、今度は大人しくそちらを見た。
「うわー、元気だったー? そっちの赤毛君も久しぶりっ! 何か知った顔もいるけど、お連れさん増えたねぇ」
 見れば、それはミハエルだった。もう一人は言わずと知れたリーティスの天敵、ヨーゼフ。彼は突き飛ばされた青年に抑揚の無い声を投げた。
「何やってるの、ラファーガ」
「……ぶつぶつ……そうさ、これも愛の裏返し……」
 なんか危ない事呟いてるよ、この人。
 ミハエル達とは初対面のウィリアは、銀髪を弄りながら、とりあえず訊ねる。
「お知り合い?」
「うん。前にお世話になったの。こっちがミハエル。で……ヨーゼフ」
 明らかに二人目の紹介は嫌気オーラで満ちている。しかし当人は気にも留めず、相変わらず冷たい威圧感を放っていた。
 そこへ青年が食いつく。
「お……俺の事は無視かっ?」
「わたくし、往来でいきなり抱きつくような変質者なんて存じません」
 冷たく言い放ったリーティスの様子から、少なくとも顔見知りではあるらしい。頬をかきつつ、黒髪のミハエルが紹介する。
「あー……こっちはラファーガ。こー見えて、セーミズ王宮騎士団の第二師団長様なんだぜ! だよな、リっちゃん」
「え、あ……うん」
 紹介の身分に嘘偽りはないが、リーティスの返答は歯切れが悪い。
 アルドが感嘆を洩らした。
「驚きました。その若さで師団長とは――」
「ああ。今年22だ。貴公は騎士か?」
「はい。エスト大陸騎士団所属、アルディス=レンハルトと申します。以後、お見知りおきを」
 畏まって言う。歳ではアルドが上だが、貴族社会のセーミズで師団長ともなれば、相応の家柄である事をアルドは理解していた。
 エスト、と聞いてラファーガは少し意外そうだったが、すぐに赤髪赤目のライアを認めて納得したようだ。ノーゼには、瞳まで赤い人間はいない。
「エ〜、なになに? それじゃ、『偉い人』ってコト?」
 ウィルがわざと不躾に言うと、ラファーガは不遜に返した。
「有体に言えばそうなるな。――最も、国の危機に何もできないならば、肩書きなど無意味なものだ……」
 言葉の後半には静かな怒気すら孕んでいた。ウィルに対する怒りではない。彼は、怪異に対してあまりに無力な一人の人間である事を、嫌という程に自覚している。
「それで――こんな所で、何をしてたの」
 リーティスが迷惑そうに尋ねると、ここではな、とラファーガが小さく言って、彼らは場所を変える事になった。



「あ〜、ゴメンねぇ、コッチにも色々隠し事があって」
 そんな台詞にも茶目っけを込めつつ、ミハエルが喋る。
 彼らの泊まるこの宿の格は並で、いくらラファーガが貴族とは言え、遠方の地で節約している事が伺えた。
「俺達にとって身内のリっちゃんならともかく、その知り合いってだけで話せる内容じゃなくてね……。でね、提案。ウチのラファーガとリっちゃんで、とりあえずお互いどこまで話せるか先に折衝してもらおっかなって。ね、だからちょっとだけリっちゃん貸して?」
 人の好い笑顔に押される形で、リーティス本人の承諾も得て、今二人は別室で密談している。
 リーティスが自ら行ったので止める権利もなかったが、ライアにはどうも面白くなかった。アルドやビゼスは、リーティス本人の判断を尊重して黙っている。
 ただ、お姉様は放っておかなかった。密談の間、残った二人(主にミハエル)を相手取って核心に迫った。
「――で、若くて頼り甲斐のある師団長様とあのコは一体どういう関係なのかしら?」
 セクシーに足を組み、乗り出すようにしつつも冷静に訊く彼女に、ミハエルは答える。
「『大切な人』てとこか。……リっちゃんにとっての彼も、彼にとってのリっちゃんも」
 ラファーガの決意と使命を知るミハエルの微笑には、人知れぬ哀しさが隠れていた。しかし、付き合いの浅い彼らには気付けない。
 そんな会話のせいで、二人が別室から戻って来るや否や、ウィリアが騒いだ。
「んもう、水臭いじゃない。このおねーさんに真っ先に紹介してくれないなんて」
「へ? なに」
 怪訝な顔のリーティスにウィリアが耳打ちする。
「(こんな立派な殿方がフィアンセだった・な・ん・て!)」
 リーティスは耳まで赤くなってうろたえた。
「フィ――え、ちょっ!? そーいうんじゃなくて……」
「そーゆ〜んじゃない、世間では♪ 赤くなっちゃって、カワイイんだから、も・ぅ」
「ちっ、違う! どうしてそーなってんの??」
「だぁいじょうぶ。それはそれ、これはこれ。貴女が誰を想っていようと、私は貴女の素直な想いの方を、全力で応援するわ」
「あ〜……おっかえり、ラファーガ。そっちのはその――なんか成り行きで。」
 ミハエルの弁明に、さも下らないといった風に凍てつく視線をくれてやりながら、ラファーガは貴族としての風格をかざし、高らかに言い放った。
「静まれ。リーティスから話は聞いた。我々は奇跡的に同じ目的を有している。互いの情報を共有し、リライの化け物討伐に向けて全面協力するのが最善と見た。――しかし!」
 エメラルドの瞳が、周囲を一瞥する。
「ろくに素性も知れぬ貴公らに、いつまでもリーティスを預けておく訳にはいかない。俺達と来い、リーティス。泊まるなら俺の部屋に――げぶふっ!」
 リーティスが冷静に、至極明確に、拒否の意を示す鞄による一撃を見舞った。

「あははッ、今日みたいな暴力的なリーティス、初めて見たー」
 ウィルの呑気な声。ラファーガの一行は既に自室に引払い、いつもの面子しか居ない。
「あ――あれは、あっちが悪いんだから……」
 若干のやりすぎ感に俯きつつも、ぼそぼそとリーティスが反論する。ラファーガ達が同郷の士である事を考慮して、アルドが言い添える。
「よかったのかい? 彼らもローゼスの対策課を通ってきた事が判明したし、例のポイントの調査は一緒に行く事に決まったんだから、僕らに気を遣わないで、今夜くらい、彼らと積もる話をしてきて構わないんだよ」
「いいの! あの人、位が高いのを良い事に、すーぐ調子乗るんだから……」
 言った後で、極々小さな声で付け足す。
「そ、そりゃあ、そこまでに至った努力については、認めなくはないけど、ね――……」
 その反応は、ライアの知らない一面だった。こうしていると、どうも気持ちが悪い。無償に苛々してくる。別に自分はリーティスの全てを知っている訳ではないのだし、知らない事があって当然なのだが。
 他の者が談笑を続けている傍ら、ウィリアが隣のビゼスに囁きかけた。
「ねぇ――昼だけど、随分静かだったじゃない」
 ミハエル達の前で、ビゼスは殆どと言って良いほど発言を控えていた。ビゼスは低く返す。
「――勘付かれたかもな」
 ウィリアの切れ長の瞳が細まる。彼らのうち2人はシュトルーデルの騎士だ。闘う者の勘が、ビゼスを黒の疾風だと気付かせてもおかしくはない。あるいは、銀髪の魔女にしても同様だ。
「あのミハエルとかいう男、見た目より切れるな。だが、リーティスをこちらに寄越して何も言わないというのは、今は見逃すという意思表示か……」
「考えすぎよ」
 ウィリアは机に肘をつき、組んだ両手に顎を乗せて憂鬱そうに言った。彼女にしたら、極力無駄な闘争は避けたいのだろう。万が一正体がばれたなら、彼女は戦いを放棄するかも知れない。だが、ビゼスは違った。
(リーティスには悪いが、あいつら全員を殺す事になっても、生き延びる道を選ぶだろう、私は)
 それだけは譲れない事を、自身が最も理解していた。だからこそ今日まで生き抜いて来られた。その性分は、今更変えられない。

 だが、思わぬところで彼に絡んで来たのは、ミハエルではなくこの男だった。
「君――かなり腕が立ちそうに見えるけど。一度、お手合わせを願えるかな」
 打ち合わせの中休みに異様な闘気を纏って申し込んだ彼を一瞥して、ビゼスははっきりと言った。
「断る。」
「へェー? めっずらしー。兄ちゃんが試合蹴るなんてさ?」
「黙っていろ」
 単純に、『何となく悪寒がして嫌な感じ』だった。それ以上の理由など無い。ヨーゼフも強者との戦いに固執するタイプのようだが、決定的な何かがビゼスとは違い、こう、物騒で粘着質と言うのか。
 しつこく迫るヨーゼフを諦めさせると、後でミハエルが話しかけてきた。
「悪っいねー、うちの兄が」
「兄!?」
 ミハエルの髪は黒、瞳は深い緑だが、ヨーゼフの髪は金、瞳はエメラルドだ。第一、彼らは纏う雰囲気が全く違っていた。ミハエルが気さくにビゼスの肩をぽんぽん叩く。
「あれ、言わなかったっけか? 似てないってのがこれまた唯一の救いだったりはするんだけど、ふっしぎな事に、同じ親父とお袋から生まれたんだよね、俺とアイツ」
 言葉の上では納得したものの、ビゼスはやはり腑に落ちない表情だ。そこに、ミハエルが囁いた。
「……相当強いよな、あんた。ヨーゼフが絡むのも解るわ。できれば俺も試合申し込みたいとこだけど――……」
 ビゼスではないどこかを見て、一つ息を吐く。
「『別の意味』になっちまいそうで。恐くて」
 殺し合いになってしまう。『騎士』としてのミハエルと、『魔族』としてのビゼスの間で。
(この男――……!)
 射殺す鋭さでこげ茶の瞳がミハエルを捉える。ミハエルの頬に冷汗が伝うが、表情だけは強気でどこかを見て続けた。
「あんたがリっちゃんとか、あの子――ライアだっけ、とかと一緒にいるの見てさ、短い間だけど。そんで心底、『やりたくない』って思った」
「…………」
 それから彼は、ようやくビゼスの方を見た。
「……心配しなさんな。気付いてんのは俺だけだ。あの馬鹿兄ィは単純に強い奴と戦いたいだけだし、ラファーガは頭固すぎて変なとこ抜けてるしな――それに今、奴は大変な使命を負ってて、俺もそれどころじゃない」
「? なんだ、それは」
「だめ。ラファーガに口止めされてる」
「……。あいつが、お前らの上官なのか? むしろお前の方が、人をまとめるのに長けてそうだが」
「上官――うーん、違う気がするけど、ま、いいかな。ほら、あの通り、あっちは一応お偉いさんな訳だし。命令には従わないと」
 ミハエルは一気に口調を崩した。
「なんて言ってさー、身分で言っちゃ、俺達だって、世が世ならば王子様だったんだぜ?」
「何の話?」
 そこに、リーティスが入って来た。
「ん。もしセーミズが女性でも王位継げたら、俺達が王子やってたかもって話。リっちゃんはどー思う?」
 眉間に皺を寄せて、リーティスが真剣に考え込む。
「……。ミハエルは、わかんなくもない。でも、ヨーゼフがってのが……納得できない」
「はははっ! そりゃいーわ、傑作」
 そんなミハエルに、とにかくにも、今すぐ仕掛ける気がないと知って息を吐くビゼスだった。


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