ラース山地の盆地に在る集落。
 その宿の一室で、4人の旅人が沈黙を守っていた。
「…………」
 深刻な表情や、包帯や湿布といった治療の跡を見るまでもなく、場の空気は重かった。
 彼らのうち、背もたれのない丸椅子に腰掛け、左の頬に湿布を貼った赤い髪の少年が、頭を抱える。
「勝てねぇよ……」
 ――低く、彼は呟いた。



STAGE 23 crossing their roads 〜敗北〜



「……何? もう一度言ってみなさいよ!?」
 明らかに気が立った様子で、リーティスが仕掛ける。
「勝てないって言ったんだ!」
 ライアも負けじと声を荒げた。
「二人とも、やめて下さい! ……傷に響きます」
 一時勢いを削がれた両者だが、フェリーナの言葉をもってしても、くすぶる火種までは消せなかった。
「ふざけないでよ……」
 俯いて立ったまま、リーティスが拳を震わせる。
 ライアも退かなかった。
「『ふざけるな』だ? そっちこそ、現実見ろよ」
 言い捨てて、赤い瞳がリーティスを睨んだ。
 ローゼスで突き止められた場所へ向かう途中で、彼らは見た事もない怪物と遭遇し、危ういところで退却した。
「何度だって言ってやる! 『俺達じゃ、勝てない』――!!」
「…………!!」
 数秒睨み合いが続き、やがてリーティスが呟いた。
「もういい。そんな意気地なし、私知らない」
 リーティスはそのまま部屋を飛び出して、廊下を走り去った。足音の消えた先は、彼女の部屋とは逆だった。ただでさえ標高の高いこの場所だ。外は、当然のように冷え込んでいる。
「私……追いかけてきます!」
 慌しく出て行こうとするフェリーナに、アルドが言葉を投げる。
「うん。すまない、頼んだよ」
 軽い足音ががぱたぱたと遠ざかるまで扉の方を見ていたアルドは、再びライアを振り返り、視線を合わせるように椅子の前で屈んだ。
「しばらく、ここで頭を冷やしておいで」
 ぽんとライアの肩に手を置きながら、アルドは立ち上がった。
「……ともかく今は、休んで」
 そう言うと、アルドは、黙りこくるライアを残して部屋を出た。
「…………」
 曇天の昼下がり、暗い室内に佇んだライアは、じっと床を睨んでいた。



 集落の空き地は、凍てつく初冬の気候のせいなのか、今は閑散としていた。
 息を切らして走って来たリーティスは、そこでやっと立ち止まり、上体を折り曲げて息をついた。
 呼吸が落ち着き、手の甲で鼻をこすりながら上体を起こしたリーティスは、緑色の瞳で、誰もいない遠くを睨んでいた。
 背後から、小走りに足音が近づいた。それがすぐ隣で止まったので、リーティスは吃驚して、そちらを見た。
「! フェリーナ!?」
「はぁ、はぁ……よかった。追いつきました」
 困ったように笑いながら、小柄な乙女は言った。
「戻りましょう? ここは、冷えますよ」
「……私――……」
 言いかけて、黙る。フェリーナは決して急かさず、リーティスが再び話し出すのを待った。
「……ゃしい……」
 やがて、押し殺したような声が響いた。
「悔しいよ……っ」
 人前で涙を見せないリーティスが、目尻に涙を溜めていた。フェリーナは、負けん気の強い子供をあやすように、そっと彼女を抱いて、回した腕で、背中をさすった。
 フェリーナに抱かれながら、リーティスは、血を吐くように告白した。
「勝てないなんて言わせといて、そのままなんて――もっと強かったら――私にもっと力があれば、あんな事言わせて、黙ってないのに……っ」
 フェリーナが、春風のように囁いた。
「私も、同じです」
 リーティスが顔を上げる。先日までの、精神衰弱したフェリーナの姿はそこにはなかった。
「私も、負けたくない――そう思うから。だから、一緒に見つけましょう。この窮地を切り抜ける、方法を」
「うん……」
 まだ幾分表情の暗いリーティスに、フェリーナは、陽だまりのような微笑みを向けた。
「大丈夫です。強く、なればいいんです。私も、みんなだっています。みんなで強くなって、次は、ちゃんと勝てばいいじゃないですか」
 目を瞬かせ、それから鼻をすすって強気な瞳で頷いたリーティスは、上空を見上げた。
「あ……」
 天空から、真っ白な冬の使者が舞い降りていた。
「あらあら、奇遇ねぇ」
 不意に、声をかける者があった。
「お嬢さん方、どうしたのかしら、この寒いのに、こんなところで。ひょっとして――仲間割れ、でもした?」
 勘ぐるように言って、女は、意地悪く微笑んだ。

 二人の帰りが遅いので、最終的に、アルドも捜しに出た。
(降ってきたな……)
 白い息を吐きながら、どこから捜そうか、と集落の地図を頭に思い浮かべていたところ、道端で、どこかで見た顔と遭遇した。
「君達は……!」



 窓を見遣ると、外は、いつしか雪に変わっていた。
 謝りに行く気はない。自分が悪いとは、これっぽっちも思っていなかった。
 怪異の原因を突き止め、故郷を取り戻す。それは、強い願いではあっても、仲間の命と引き換えにしてまで推し進める意義を感じなかった。だからあの時、『勝てない』と断言した。今の実力では、強行突破したところで、きっと誰かが、帰らぬ人となる。
 一方で、怪物を倒してその先に進んでみない事には、調査は進展しない。
 意識しないようにしながらも、ライアはつい、窓の外をちらちら見ながら考えた。
(だいぶ経ったよな――……もういい加減、戻って来てるか? いや、でも俺にはカンケーないし! ……って、フェリーナも行ったんだっけ……。やっぱ、ちょっと様子見に行ったほうが……?)
 黙考の末、ライアは席を立った。

 アルドの部屋に寄ると、留守だった。
 正直、リーティスの顔は見たくない。しかし、女子二人が同室なので、やむを得ず、ライアは扉をノックした。
(……? 居ない……?)
 おかしい。リーティスが出て行って、既にかなりの時間が経過している。あと二時間もすれば、完全に陽が落ちる。
 早足で廊下を歩きながら、ライアは考えた。
(……俺があんなだったから、愛想尽かして、みんな、どっか出かけちまったのか……? 勝手に夕飯食べて戻ってくるとか、そんくらいなら、まだいいけど……)
 胸の内がざわつく。宿で、一人で、誰も帰ってこなくて――それは、かつての苦い記憶を連れて来た。現状は、妙に『あの日』と被って、違うのは、あの日は雨で、今日は雪だという事。
 何の偶然か、リーティスと盛大に仲違いした『あの日』に関わったはずの人物に、ライアはいきなり出くわした。どうやら、先方は待ち伏せていたらしい。
 長身の若者は、銀色の髪をうなじで留めて、後ろに流し、変わらぬ春の若草の瞳で、ライアの前に立った。
「……! すごい偶然だな……まさか、こんな所で会うなん、て――?」
 人違いか、と、ライアはヒヤリとした。相手が無反応だったからだ。
 若者は、感情を押し殺すように告げた。
「ウィルが、再戦を望んでいる――」
「何だって……?」
 言われた事が、即座には理解出来なかった。
「お前に負けた事に、本人はまだ納得してない。集落の北の林で待つ。そこでもう一度戦え。そうしたら――仲間は返す」
「――!!」
 今度こそ、聞き違いようが無かった。
「お前……ッ!」
 いきり立つライアに、若者は、あくまで静かに告げた。
「仲間は預かった。でも、決闘を受けるなら、必ず無傷で返す」
「っ……。もう手は出さねぇって……あの口約束は、丸っきり嘘だったってのかよ!?」
 若者はライアに背を向け、答えなかった。
 最後に何事か呟いて、彼は、細雪の中に消えた。
 失望と怒りとで立ち尽くすライアの耳に、若者の残した言葉が、不可解にこびりついていた。
 『信じてくれ』――彼は、そう言った。



「あぁら、ほんとに来ちゃった」
 それまで、誰かと話していた声が聞こえたのだが、銀髪の魔女は、何事も無かったかのようにライアと対峙した。
「よく来たわね。もっとも、招待したのは、私じゃないけど。くすっ」
 そう言って彼女が振った視線の先に、小柄な銀髪の少年が立っていた。
「久しぶりィ? ってか、これで今度こそ、サヨナラだけどね?」
「みんなを……どうしたッ!?」
「心配しなくて良いわ?」
 目を細めながら、美女は、くるりと半回転して、先に刃がついた背丈程もある杖で、背後を示した。近くには、ライアにこの場所を指定した若者の姿もあるが、沈黙を守っている。
 美女が示した分厚い氷壁は、透明度が高く、目を凝らすと、氷越しに人影が見えた。
「…………!! お前、ら……ッ!!」
 ライアがここまで本気で怒る事など、滅多にない。
 燃えたぎる紅蓮の瞳を、微動だにせず受け流す美女の先に、氷壁に囲われた三人の姿があった。
「てかさ、兄貴からきーてない? そんなの、おびき出すためのただのエサで、別に興味とかねェし……」
 少年の周りで一気に魔力が膨張し、パリパリと放電した。
「オレが叩きのめしたいのは――テメェだけだってゆーんだよ!!」
 ライアのすぐ右横を、雷撃が走った。
 すぐさま、ライアも剣を抜く。氷壁の傍らに立った美女、そして、始終沈黙を貫き通す銀髪の若者に目を走らせながら、ライアは叫んだ。
「だったら!! 俺が来たなら、先にみんなを解放しろ!!」
 答えたのは、少年魔術師ウィル。
「折角の機会だし、ジャマされたくないかんね? ケド――安心しなよ? テメェがくたばったら、ちゃーんとあいつらに、死体返しといてやるからさぁ……ククッ、あははっ!!」
「〜〜っ、んの、悪ガキィ……ッ!!」
 堪忍袋の尾が切れ、ライアは、ウィルの氷に、焼け付く炎で応酬した。
 普段は魔法の威力が低いライアだが、今は怒りの力が作用して、威力を増している。ただ、その分、コントロールが利かないのも事実だ。
 相手は、魔法戦の専門。炎を軽くあしらわれるのは承知で、ライアは間を置かずに、距離を詰めるべく踏み込んだ。
「甘いね」
「!」
 ピキピキ、と足元に妙な感触があって、ライアは横に大きく跳躍した。
「くッ……!?」
「あははッ!!」
 一瞬前まで立っていた場所に、びっしりと氷の棘が生える。
(冗談じゃねぇ……!)
 着地と同時、ライアは体勢を崩しながらも、すぐさま地を蹴った。
「逃がさねェし――?」
 凍りつく狂気の瞳で、ウィルは更に追撃を加える。
「……っ! く!!」
 また新たな棘が生み出され、ライアの移動範囲を狭めていく。
 一挙動では間を詰められなくなったライアに、ウィルはすかさず次の一手を打つ。
 ライアは、足元の左右の棘が、キラキラと光りながら空中に昇華するのを見た。ライアの腰から頭程度の高さまで舞い上がった細かな氷の結晶は――
「喰らいなよ……」
 左右からクロスするように、猛烈な雹の嵐が襲った。例えガードしても、無数のつぶてに皮膚は裂け、全身に裂傷を負うだろう。
 それは正真、直感による反射でしかなかった。ライアは瞬時に、頭を庇いながらその場に伏せる判断をした。
 雹が止み、ライアは、手の甲から腕の外側にかけていくつか小さな傷を作ったものの、驚くほど軽傷で済んだ。
 しかし、喜んではいられない。見下したその表情から、向こうが魔力に余裕を残している事は明白だ。
 ドン!
 その証明のように、ライアの背後を2箇所、雷が撃った。
 雷に追い立てられるように、ライアはもつれそうな足で立ち上がり、剣を右手に走り出す。
「正面からとか、ほんっっとワンパターンなんだよね……!」
 憎憎しげに吐き捨てて、ウィルは、半指グローブの片手を前に突き出した。
 魔法が放たれる前に、ライアは、左手につかんでいた物を、鋭くウィルの眼前に放った。
「!? ちッ……!!」
 魔法を中断せざるを得なかったウィルは、攻撃に回すはずだった魔力をバリアに転換した。
 ガッ!と音を立て、バリアの表面で跳ね返った物を見て、ウィルは激しく憤慨した。
(ただの、石――っっ!? ……バカにしやがって!!)
 結果的にそれはただの石ころであったが、ライアが放ったのがナイフや爆薬であったなら――魔法が発動するまでのタイムラグを考えると、ウィルの判断は、あながち間違いではなかった。
 近接戦覚悟で、すぐさまバリアを解いて単発の魔法を仕掛けるか。バリアを解かず、隙を見て反撃するか。――前者だと、純粋な速さでの勝負となり、後者だと、間の読み合いになる。
 そこへ、ライアの死角に現れた一つの影が、風のように割り込んだ。
「!!」
 たった一瞬で、ライアは攻撃を封じられていた。あと半歩でも踏み込めば、目の前の刃に触れて、腕が切れる。
 ウィルとライアそれぞれに、右手と左手の剣を向けた黒髪の剣士は、彼自身、刃のような目をして、油断なく両者を睨んでいた。
「そこまでだ」
 冷汗をかくライアとは対照的に、ウィルは肩をすくめ、あっさり両手を上げて降参した。
「え〜、終わりぃ? つまんね」
 ウィルが退いたのを確認して、彼はライアの方を見た。向けられた剣が僅かに引く瞬間、ライアは、全力でその間合いから逃れようとした。そのはずが。
(え――?)
 目の前で、何が起きたのか。ライアは信じられない思いでいた。
(嘘……だろ……?)
 いとも簡単に剣を弾かれ、気づいた時には、取り落としていた。
「ふぅ……」
 何を思ったか、彼は目をつぶり、剣を弾いた姿勢のまま、眉間にしわを寄せて、うんざりと呟いた。
「――握りが甘い。ただ力を入れていれば良いというものじゃない」
 それから、彼は後ろを振り返って大声で文句を言った。
「アルディス! 貴様が付いていながら、このザマか」
 場外から歩いて来ながら、美丈夫が言う。
「うぅん……発展途上って事で、大目に見てくれないかい……?」
「アルド!? って、な――どうして、みんな……」
 氷壁は消滅し、丁度、囚われていた3人がこちらに向かって来るところだった。
 ライアに喧嘩を売った張本人はと言えば、彼らと争う気配もなく、つかれたー、と伸びをしてぼやいた。
「つかさぁ、ヤル気無くしてダメダメってきーてたのに、話ちげぇじゃん!?」
 リーティスが言い返す。
「で……でもさっきまで、勝てないー、だの、やる気の欠片もなかったんだから!」
「おい…………?」
 誰か説明しろ。そんな眼で、ライアはその場にいた全員を睨んだ。
 真っ先に頭を下げたのは、あの銀髪の若者だった。
「ご――ごめん。悪気はなかったんだ。なんだけど――姉さんとかが、悪ノリしちゃって……」
「やぁねぇ。盛り上げてあげただ・け・じゃない? 人質取られてるほうが、臨場感増すでしょう?」
(魔女だ――やっぱこいつ、魔女だ……)
 ライアが確信したところで、アルドが来て言った。
「悪かった、いきなり試したりして。本格的に気力を失ってるようなら、どうにかしなきゃと思ったんだけど――杞憂だったね。……外に出て、偶然、彼らと会ったんだ。それで――」
「テメーが腐って腑抜けのまるで使えねーダメ人間に成り下がってるってゆーから、渇入れてやったんだけどぉ。感謝しなよー?」
 非難がましくちらちらとウィルを見て、リーティスがぼそぼそ述べた。
「……そこまで言ってないんだけど……」
 そこで、ライアの前で立ち止まった黒髪の剣士が、こげ茶の瞳でライアを見て言った。
「お前の仲間に了承を取って、戦いを見させてもらったが――まだ随分と、改善の余地があるな」
「……最初から見てたのかよ?」
「気配は消してたがな」
 それでも、割り込まれる瞬間まで全く気づかなかったのは不覚だ。
 苦い顔をするライアに、銀髪の若者が言った。
「気にする事ないよ。兄さんは、そういうの、並じゃないんだ」
「ん? ――『兄さん』?」
「ちょっと」
 ライアが首を傾げたところに、銀髪の美女が割り込んだ。
「話し込むのはいいけど、ここは寒いわ。戻ってからにしましょう? どうせ貴方達も、今晩は宿を取っているのでしょう?」
 ウィルが、ニヤニヤしながら口を挟む。
「冷え性ぉ? ――トシだね」
 姉の紫の瞳が、瞬時に氷点下に降下する。
「ぁんですって……? ふふふ、もう一度言ってごらんなさい――? 氷漬けよ?」
「へぇ? やんの?」
「ウィル! 姉さんも、抑えてッ!」
 その遣り取りを見ながら、黒髪の青年、ビゼスは、淡々と説明した。
「――まあ、あの姉弟は、いつもあんな感じだ。行くぞ」
「はぁ……」
 生返事をしながらアルドが続き、他のメンバーも従った。
 決して後ろを振り返る気にはならない。背後の林で、雪に交じって氷の矢が乱れ飛んでいたとか、そんなのは幻覚だ。俺は何も見ていない――ライアは、そう固く心に決めた。

 集落には3軒の宿があったが、昼に着いたばかりだという4人は、ライア達に合わせて、同じ宿の二部屋を押さえた。
 姉弟喧嘩という名の魔法大戦は終結した模様で、当事者達は不機嫌顔で互いを無視しながらも、辛うじて横に並んで最後尾をついて来た。一番疲れた顔をしていたのは、言うまでもなく、毎度仲裁に入っているという銀髪の若者だ。お前も大変だな、とコメントを残しつつも、ビゼスは傍観を決め込むのが常らしい。
 そんな個性的な彼らと、ようやく落ち着いて話ができたのは、日も暮れる頃だった。

「ってな訳で、取り分はこちらが3、そっちが1。とぉってもお得なプランでしょう?」
 見るからに胡散臭い通販チックに、銀髪の美女はハイテンションで言い切った。
 ここまでの話で、あらかた事情を飲み込めたライアが答える。
「何が『とってもお得』なんだかさっぱり解んねぇんだけど……要は、怪物倒すの手伝う代わりに、あの怪物にかかってる賞金を寄越せ、ってんだな?」
「あぁら、高いって言うの? とってもフェアじゃない」
「そぅそ、びた一文負けらんないね」
 金にがめついところは姉弟似たようで、こんな時ばかりは意見の一致を見る下の弟と姉上様である。
 他方、彼らのような金に対する執着は無いものの、ビゼスからも厳しい意見が飛んだ。
「だいたい、貴様らの短期特訓にも付き合ってやると言っているだろう。貴様らがあの怪物に拘る理由も聞かずに協力してやるんだから、感謝してもらいたいものだな」
 アルドは、ライア達の旅の目的を明かしていない。それは、ローゼスで指摘されたような危険に対する、最大限の警戒だった。
 ただでさえ、一年前までは命を狙い合う間柄だったのだ。協力するという口約束の上であっても、とても気を抜けるアルドでなかった。
 難しい顔で、ライアサイドのリーダーは返した。
「……。わかった。分け前はそれで手を打とう。それで、明日からの行動だけど……具体的に、どうするんだい?」
 ビゼスが、表情筋というものをほとんど動かさずに答える。
「短期間であれこれ直そうとすると、却って悪くなり兼ねんからな」
 アルドが素っ気無く言う。
「同感だね」
 元敵同士ではあるが、流石に優れた剣士同士、見解は通じる所があるらしい。
 そこに、自称『ノーゼ大陸一の美女』魔法使いのウィリアが、ウインクを飛ばす。
「折角8人で攻め込むんだし、まずはアレでしょ? お互いの事を知らないと」
 上の弟が、そこに補足する。
「まずは手合わせしてみて、お互い、様子が見えてきたら、詳細な作戦を練る、って感じかな?」
 結果、ほぼその通りに計画は落ち着いた。

 そして夜。事件は起きた。

 アルドとビゼスが、それぞれ単独で腹の探り合いを仕掛けて、ひと悶着起こしたのだ。
 それは、互いに怪異に関する断片的な情報を仕入れており、相手を、怪異の大元に繋がる関係者と疑った事に起因する。
 ビゼスが部屋で一人のところを、アルドが一人で訪ね、一触即発の事態に発展した。先に鎌をかけたのはアルドで、手っ取り早く、腕ずくで情報を引き出そうという気配をいち早く見せたのは、ビゼスだ。
 例え素手での格闘であっても、玄人の彼らでは、一歩踏み誤れば、殺し合いも同然だ。あまつさえ、手の届くところに得物があったビゼスが、左手の親指で鯉口を切ったところで、ウィリアがずけずけと乱入して、未然に事は防がれた。
「その辺にしておきなさいな。そこの伊達男のお兄さんを締めたところで、何も出やしないわよ」
 ライアとリーティスを伴って現れたウィリアは、簡潔に事情を説明した。
 どうやらライアが、旅の目的を明かしたらしいと知った時には、アルドは掌で額を押さえて首を振った。結果オーライとは言え、もっと慎重に行動して欲しいと、切に願うアルドお兄ちゃんである。

「まず、こちらの現状だけれどね」
 急遽、全員が再召集されて話し合いの場が持たれた。向こうのパーティーでは、ビゼスではなく、ウィリアが仕切り役のようだ。戦闘以外に関しては完璧なる放任主義のビゼスは、リーダーなど務める気は更々無いらしい。
「貴方達に負けてから、軍には戻らないで賞金稼ぎを続けてる訳だけど、一度だけ、元同僚と会ったのよ」
 元、と付けてはいるものの、魔族勢力との繋がりを疑ったアルドに、ウィリアはきっぱりと否定した。
「勘違いしないでね。出遭ったのは偶然だし、本当にその一度きりだから。接触したその子も、以前の私達と似たようなお仕事――間諜よ。末端ではあるけれど、裏事情には通じている。彼女の話だと、エストで起きてる怪異について、軍部も秘密裏に調べさせてるらしいのよ――」
 疑いを魔族の軍部内に向けさせないための自作自演でなければ、かなり本気になって、魔族達も調査を進めている事になる。
 広い範囲で戦争が繰り広げられているため、魔族の軍部も決して一つにまとまっているとは言い難い。そんな状況で、自分達の預かり知らぬ術による攻撃がエストに加えられたとなれば、疑うべき可能性は2つだった。
 ひとつは、人間達が、自分達の領内の一部を犠牲に、対魔族の強力な術の実験を行ったという説。同胞を踏み台にするとは信じ難い話だが、人間勢力が圧され気味である現状、そして、被害の中心地が、派兵に消極的なスロウディアであったことを考慮すると、可能性はゼロと言えない。表向き、犯人は魔族として公表し、同胞に多くの犠牲者が出たとなれば、憎き魔族へ対する士気も上がり、国民感情の統一も図られる。
 もうひとつは、魔族内のどこかの一勢力が、強力な術を密かに開発し、それをエスト大陸に放ったという説だ。それ程の巨大な力を手にしたとなれば、人間勢力を打ち滅ぼすにとどまらず、その力を使って魔族をも支配するやしれない。そんな事態では、魔族は同胞すら警戒しなくてはならないが、表立って調査を進めて探り合えば、内部分裂が起こり、人間勢に遅れを取る。そうなると、更に裏を返して、やはり、魔族の同士討ちを狙った人間の仕業であるとも考えられる。
 二つの説は、いずれも複雑な事情が絡むものだが、あり得る話だった。
 ウィリアがあらかた話したところで、ビゼスがコメントした。
「まあ、もっとも、私達がラースに足を運んだ理由は、怪異なんぞとは全く別のところにあった訳だが」
「そうよねぇ。まさか、それとこれと関係あるなんて、思わなかったものねぇ……」
 ライアとリーティスが同時に尋ねた。
「何がだ?」「どういう事?」
 ウィーロスが答える。
「賞金稼ぎをしてるうちに、ここ1年で、各地で気になる魔物が発生している事がわかったんだ」
 ビゼスが後を引き継ぐ。
「奴らの共通点は、3つ。降って湧いたようにどこからか現れて棲みつき、周りの生態系に馴染まない、決まった地点を動かない、それと、バカ強い事だ」
「で〜、そのひとつがぁ、ここの魔物っぽいんだよね? 話きーてる限り」
「そうなのか……。それにしても、なぜ、君達はそういった魔物に目を付けているんだい?」
「決まってんじゃん」
 ウィルが、親指と人差し指で円を作る。世の中マネー。お金万歳。
「奴らには大抵、多額の賞金がかかっている。それにだな、こっちは知っての通り、貴様らのせいで、見事に無職だ」
 賞金稼ぎなど、職と呼べるほどのロクなもんじゃない。そう言ってビゼスは毒づいた。
「放浪の目的もはっきりせんのなら、気になりついでに追ってみたって構わんだろう?」
 バカ強いなどと認めておきながら戦いを挑むのは酔狂だが、腕に覚えのある彼らにとっては、大した事でもないのかもしれない。
 アルドは、頭の中で、少なくとも彼らが現時点では敵ではない事を冷静に判断して、こう言いかけた。
「君らの事情は把握した。で――」
「教えて欲しい? ここ以外で、オレ達が、気になる魔物が出るって聞ーてる、その場所」
 完全に弱みを握ったカオで、ウィルは尋ねた。

 賞金を全て巻き上げる形で交渉を持ちかけたウィルだったが、その姉が妥協してくれたお陰で、取り分は1対4(魔物に関する情報料込み)に決まった。これでライア達の配分は更に縮小した訳だが、元がかなりの額なので、2割でも旅費の足しくらいにはなる。

 真面目な話合いがひと段落して、ライアはふと、疑問に思ったことを口にした。
「なぁ――さっきから気になってたんだけど」
 ライアは、人差し指で線をなぞるように、4人を指した。
「きょうだい……なのか??」
 確か、銀髪の三人は人間で、ビゼスは魔族のはずだ。しかし、さっきから聞いていると、ウィルは「にいちゃん」、ウィーロスは「兄さん」とビゼスを呼んでいる。
「ああ、そう言えば、ウィルも、こうやって一緒に旅するようになってから、昔の呼び方に戻ってるしね。――何ら、不思議な事じゃないんだ」
 僅かに憂いを帯びた若草色の瞳で、おっとりとウィーロスが回答する。
「魔族に拾われた僕達と、戦争孤児だった兄さんは、同じひとに育てられたんだよ。義母さんには、感謝してる。僕たちは人間なのに、一人前になれるように、自分の子みたいに一生懸命育ててくれたんだ」
「そうよ。それにね、お義母さんは100を過ぎてたけど、現役の時は名の知れた魔女で、私とウィルにとっては、先生でもあったのよ」
「100過ぎ……ってと、人間で50くらい……か?」
 ライアの計算は正しく、魔族は、人間の倍以上の寿命があった。100を超える大台となると、人間ではまず居ない。
「……でも、そっか。そういう事情だったんだな。二人がそう呼ぶの。お兄ちゃんかー」
 ライアの素朴な疑問が解消されたところで、ウィリアが、悦に入ったようなため息混じりの声で弟達に言った。
「ていうかアナタ達、『義兄』って書いて、にいさん、って呼んでくれて構わないのよ?」
 ウィリアの豹変ぶりにライア達は面食らったが、ビゼスが青ざめつつ、心底迷惑そうに身を離す方向に移動したのを見ると、どうやら、そういう事でもないらしい。
 恐る恐る、ライアが近くのウィーロスに尋ねる。
「えと……何が?」
「何が起きたって……その、見たまんま。兄さん、ちょっと迷惑がってるみたいなんだけど――」
「ちょっとじゃない、大分だ! 貴様らの姉貴だろう。どうにかしろ!」
 ビゼスが叫ぶが、もう一人の弟が、マイペースに解説を始める。
「なんかさー、今までこれっぽっちも兄ちゃんに男としてキョーミ示さなかったのに、一緒に旅するようになってから、急に恋心に目覚めちゃったとかでぇ? 兄ちゃんが断り続けても、何かにつけてアプローチするんだからさ。ほんっと、性質悪いよねー?」
「そう思うならとめろ……!」
 そう言ったビゼスは、かなり目がマジだった。相当、被害を被っているらしい。……精神的に。
 伸びやかな肢体の美人に言い寄られて、男なら悪い気はしないのだが、熱烈なアプローチに、ビゼスは辟易している様子だった。まして、彼は魔族であって、ウィリアにまともに取り合うつもりは、端から無かった。
 つれないビゼスの態度に、お姉様は紫の切れ長の目を細めて、不敵に呟いた。
「いいけど……諦めないわよ? 私は」



 解散後、ライアとリーティスは、ウィリアとウィーロスの部屋にいた。
 ウィルとビゼスは、3階の屋根裏の部屋に帰った。先刻は、ウィルがウィーロスの所にいて不在のところを、アルドが訪ねて、例の衝突が起こった。
 あの時は部屋割りに関係なくばらばらに行動していた彼らだったが、今は、ほとんどのメンバーが、自分の部屋で休息を取っていた。
 そんな中、ライアは、『まだ眠くないから』、リーティスは、『まだ彼らを信用してないから』という、なんとも素晴らしく温度差のある理由から、姉弟の部屋にお邪魔した。
 油断しまくりのライアと、何事にも慎重なリーティス。案外、バランスが取れているのかもしれない。
 バランスと言えば、過激な姉と弟の分を相殺するかのごとく、ウィーロスは気の優しい若者だった。
 彼は、開口一番に、リーティスに謝った。以前、敵対するリーティスを無力化するために骨折させた事を、本人はいたく気にしていたらしい。彼らを疑ってかかっているリーティスは、気まずそうに、お互い様だから、とだけ断った。
 ウィリアは始終、自分のペースで話を進めていたが、ライア達がローゼスで審査を受けた話を聞くなり、目の色を変えた。
「……姉さん?」
 左手で右手の肘を支え、サイドの銀髪を人差し指にくるくると巻きつける姉に、ウィーロスが不安そうに顔色を伺う。苛立っている時の、姉の癖だ。
「……ウィーロス。『クロマトやるから』って、ウィルに伝えてらっしゃい」
「え?? あぁ、うん――」
 ウィーロスは、ライア達と同じく、クロマトの意味が解らないようだった。だがともかく、部屋を出て行く。
 残った二人に、魔女は真剣この上ない瞳で言った。
「よくもまあ、個室での催眠なんて、そんな怪しいものに易々と応じたものね。その間、何を仕掛けられてるか、判ったものじゃないわ。貴方達が立ち会ったっていうアルディスはともかく、アナタ達二人は、調べる必要があるわ」
 忠告を通り越して非難するような口ぶりに、ライア達は面食らうばかりだ。
「つったって、あの人達に信用してもらうには、俺達、他に方法がなかったし……。だよなぁ? リーティス」
 リーティスが頷き、由々しき展開に二人が視線を交し合っていた所に、早々とウィーロスが戻り、彼は首を傾げながら、ウィルから渡されたらしい二枚の紙きれをウィリアに差し出した。
「ありがとう」
「それ――何に使うの?」
 弟の質問に、ウィリアはウインクしながら告げた。
「ま、見てなさいな」
 薄い緑色の紙は、長辺が大人の掌程度の長さで、短辺がその半分ほど。短辺の一端には、中央に一つだけ、小さな丸が描いてある。
「さてと、お二人さん。ちょっと、片手をお借りしましょうか?」
「待ってよ!? 勝手に――!」
 抵抗するリーティスに、ウィリアは、真剣な紫の瞳で言った。
「心配なら、お嬢さんを連れてくるといいわ。怪しい術ではない事は、彼女に証明してもらえば良いでしょう」
 魔法に長けたフェリーナに見られて問題がないと、ウィリア本人が言っているのだ。ライア達は顔を見合わせ、呼ぶまでもないと判断を下した。
「わかったよ。で、何すりゃいい?」
 二人の前にそれぞれ薄緑の紙を置きながら、ウィリアが言った。
「その丸のところに、できるだけ力を絞った魔法をぶつけて頂戴」
「……って、紙燃えるぞ……??」
「燃えないわ」
 にやりと笑ったウィリアは、貴方のコントロールがしっかりしてればね、と付け加えた。
「丸のところを外れちゃったら、残念ながら、ただの紙として燃えるわ。リーティスなら、切り裂いちゃうって感じかしらね。――で、その紙のお値段だけど……」
 据わった瞳でウィリアが価格を公表し、ライアとリーティスは息を飲んだ。ライアの本来の立場なら、難なく手にできる価格とは言え、一度家出を経験し、もとから庶民派王子で通っている(?)ライアは、それって一般的な家庭の半月分の収入じゃ、と咄嗟に試算できてしまった。
「今回は、特ッ別に、タダでテストしてあげるわ。感謝なさい! でもね、失敗したら、二枚目からは弁償よ。いいわね――!!」
 異様なプレッシャー(主に、食い入るように見ているウィリアの視線)に圧されながら、半信半疑で、二人は集中し始めた。威力を抑える作業というのは、実は、かなりの集中を要する。
「はっ!」
 先に風を命中させたのは、リーティス。
(燃えたって知らねぇからな……?)
 魔法が不得手なライアが遅れて、それでもきちんと丸の部分に炎を放った。
「あ――ほんとだ」
 横から覗き込んだリーティスが、紙が煙を上げない事に驚嘆の声を上げる。
 マッチの炎程度の小さな火は、丸の上に一瞬だけ灯ったかと思うと、そのまま吸い込まれて溶けるように消えた。
「……なんだよ、これ。ちょっと変色したけど、これでなんか解るのか?」
 丸の外にはみ出すように、蘇芳と黄色が滲んでいた。リーティスの方は、黄色と、紫がかった青色。
「慌てない、慌てない。ちょっと時間かかるのよ。……そぉねぇ。ウィーロス、お茶でも淹れてくれない? ノド乾いたわ」
 弟を常習的にこき使っている気配を察したライアは、不憫になって耳打ちした。
「……ウィーロス。ねえちゃんだからって、たまには、逆らったっていいと思うぞ?」
 隣で、リーティスもうんうんと頷いている。
「心外ねぇ。別に、私が自分で淹れてもいいけど、この子のほうが淹れ方丁寧なのよ」
((きっ――聞こえてた……!!))
 ライアとリーティスが硬直する。ウィリアが怒っていないのは、幸いと言うべきだったが。

「ねー、どだった〜? 成功?」
 タイミングを計ったように、ウィルがひょっこり姿を現した。ビゼスも一緒だ。
「一応ね。診断はこれからよ」
 紅茶をすすりながら、呑気にウィリアは応じた。実際、味に関しては、紅茶にはうるさいと公言するお嬢様のリーティスも唸る程だったから、茶葉を選んだウィリアのセンスはもちろん、ウィーロスの淹れ方も適切だったのだろう。
 ライアとリーティスの前に置かれた紙には、丸から伸びた、一本の線が描かれていた。それぞれ色は違ったが、途中で大きく左右にぶれた位置や、最後の方は薄くなっていく部分など、様相は似通っていた。
「ふぅん……」
 それを見て、ウィリアは美しい紫の目を細めた。
「貴方達、本当に大変な目に逢ったみたいね」
 普段の派手な振る舞いとは異なって、真摯で落ち着いた言動だった。多分、そこにあったのは、哀れみとか同情とかいった類のものではなく、純粋な労いだ。ウィリアにしてみれば、クロマトを通じて事の深刻さを理解し、二人がここに至るまでの苦労を推し量ることができた。
「ローゼスで受けた審問っていうのは、多分、時期からしてこれね。20日くらい前の事でしょう?」
 丸から程近いところにあった、直線の小さな乱れを指して、ウィリアが言う。言い当てた時期はぴたりそのままで、ライア達がローゼスで催眠をかけられたのは、21日前の話だった。
「これはね、クロマトグラフィーって言って、貴方達の体内の魔力の変動を映すものなの。外部からの魔力に中てられた時――例えば、治癒魔法とか、催眠魔法ね――の影響で、本来真っ直ぐであるはずの線がぶれるのよ。あまりに昔の出来事だと、痕跡には残らないんだけど。色は、ヒトが固有に持つ魔力の色。で、丸に近いほど、最近の出来事を現わすわ」
 解説の傍ら、姉と同じくクロマトグラフィーを読めるらしいウィルが、ぽつりと呟く。
「ヨカッタね? これ、催眠術でちょっと荒れたけど、直線に戻ってるから、今はなーんも異常がないって事」
「ちょっと待ってよ!? でも、もっと遠くにあるこれは――!?」
 血の気の引いたリーティスが、紙の中ほどにあった、大きすぎる線の乱れを指す。
 ライアが、腹を据えた硬い表情で言った。
「――あの時、だな」
 真剣な赤の瞳を、紫の瞳が受け止める。
「ええ。間違いなく、貴方達二人は、怪異の只中にいて、影響を受けたのよ。どれくらいの負荷がかかったのか知らないけど、ここまでの大きな乱れ、私でも見たのは始めてよ。――ほんとう、死んじゃっても、おかしくなかったくらい」
 リーティスが、自分で自分の腕を強く抑えた。怪異前後の記憶が抜け落ちているとはいえ、言い知れない空恐ろしさを感じていた。
「運が良かったんだな」
 それまで黙っていたビゼスが、口を利いた。意外だったのは、無表情に反するその内容だ。
「安心しろ。私は門外漢だが、ウィルとウィリアが診断するなら、間違いない。今は、どんな後遺症も残っていないという事だ」
「……ああ」
 返事をしたライアも、顔色は冴えない。怪異当時を思い出してしまい、気分が悪くなったのだ。
 日頃、優しさとは疎遠、断絶、別居状態にあるビゼスが口を挟んだのも、そんなライア達の顔色を見ての事だったろう。
 ウィリアが、ただならぬ不穏な光を瞳にちらつかせながら、宣言した。
「……でもこれで、一つ確定ね。貴方達が直面した怪異は、間違いなく、魔法によって引き起こされたものよ」
 言いながら、ウィリアは怒っているようだった。
 ウィルはそれに気づいていても、半眼のまま何も言わない。ビゼスは何か思うところがあるように、ウィリアの様子を観察している。
 ウィーロスが、ライアとリーティスに言った。
「ごめんね。なんだか、脅すみたいな結果になっちゃって。悪気はなかったと思うんだ。許してくれる?」
「いや、気にしてない――それより」
 お前の姉さん機嫌悪くないか、と視線で訴えかけたライアに、ウィーロスは微笑んだ。
「大丈夫。明日には収束してると思うから」
 それ以上何も聞けず、ライアとリーティスは、そのままお暇する事になった。

 二人が出て行った後で、ウィルが冷めた瞳で、他人事のように呟いた。
「姉貴ー? もしやと思うけどぉ、アイツらに肩入れするつもり? たかったところで、アイツら金持ってそにないよ?」
「黙らっしゃい? ……でもそうね、認めるわ。私、案外あの子、好きよ。個人的な怨恨で、怪異を起こした奴らに喧嘩吹っかけられる程度にはね……?」
「げーっ、どんだけ気に入ってんのさ?」
「あら、当たり前でしょう。ずっと前から目を付けてたんですもの。あのくらい度胸のある娘って、イイわ。言ったじゃない、ロレンスで巨人を止めた後、あの子欲しいって」
「あー、そう、そっちね。あの赤毛馬鹿じゃなくって。にしても、けっこー生意気そーな女だけど?」
「あぁら、貴方に比べたら、随分可愛らしいわよ〜?」
「チッ……! こっちだって、可愛いとか言われたくねェし!!」
 脱線しかけた話を戻したのは、姉弟でただ一人真面目なウィーロスだった。
「姉さん。あの人達に協力するのは今回だけって話でも、その先までついて行くのでも、僕は反対しないよ。……今のところはね。彼らの事をもっと良く知ったら、意見も変わるかもしれないけど」
「そうね……。最悪の場合、私達のパーティーが分散するってのもアリでしょうけど、その時は、未来の選択は、各人に任せるわ」
 言ってから、彼女は不意に謝った。
「ごめんなさいね。いきなりこんな我侭を言い出して。でもね、正直ムカつくのよ。どこの誰だか知らないけれど、私達みたいなはぐれ者ならともかく、ああゆうコを、自分の都合でこんな目に合わせている輩が居るなんて」
 祖国も故郷の仲間も失い、世界にただ独り放り出された少女。その孤独が解るウィリアだから、腹を立てている。
 生まれた地を魔族に襲われ、実の両親を奪われた自分には、それでもまだ、弟達が残っていた。それに、育ての母と義兄という、新しい家族も手に入れた。だから、ここまでやって来られた。肉親のために、強くなる事もできた。
 ウィリアには、放っておいたらあの少女が壊れてしまうように見えた。下の弟のおかげで、他人に素直に心を開かない人間を見慣れていたウィリアには、リーティスがその部類の人間だと、すぐに見抜けた。ライアのような者ならば、あるいは彼女の力になれるかもしれない。だが如何せん、細やかな心遣いができる器用なタイプには見えなかったし、何よりまだ、ライア自身が、現実に押しつぶされないように耐えている状態だろう。支えとしては、いささか頼りない。
(くす……私も、思ったより心配性ね。何が出来るか判らないけど――しばらくは、あのコと、お仲間の様子を、見させてもらいましょうか……?)
「今日は、お開きにしましょう。どちらにしたって、化け物をやっつけるまでは、彼らと運命共同体だしね」
「いや、私は死にそうだったら一人で逃げる」
 身も蓋もない意見を口にするビゼスに苦笑しながら、ウィリアは、おやすみなさい、と言って、ウィルとビゼスを部屋から送り出した。

 ところ変わって、3階の屋根裏部屋。少し狭いが、寝起きするだけなら、何ら不便はない。
 ビゼスは率直に、あの場で意見を言わなかったウィルに尋ねた。
「どうする。首を突っ込んだところで、ろくな事にならん雰囲気だが?」
 しかし、ビゼスの口元は不敵に歪んでいた。どうせ危険と隣り合わせの旅路、喧嘩上等、とその顔には書いてある。国一つをほぼ丸ごと怪異で飲み込んだ、とんでもないスケールの術を使う相手であっても、この男は、平気で挑むのだろう――自分の心が赴きさえ、したならば。
 ウィルは、ふざけて手をひらひらさせた。
「えぇー、オレぇ?」
 自分の行き先なんてキョーミありません。そう嘯くかのように、ウィルはからからと笑って答えた。
「べぇっつにぃ。あいつらの目的に協力する理由なんて、これっぽっちもないっしょ? どぉーでもいいよ、ぶっちゃけ。でも、兄ちゃんがヤル気なら、ついてくのも、案外悪くないかもね?」
 口先だけでどんな事を言っても、ビゼスだけは騙されない。嘘も真もないまぜの言葉でも、ウィルの本心がどこにあるのか、ちゃんと解ってくれる。その安心感が、ウィルを自由にさせた。ここでなら、この人になら、何を喋っても、どんな大嘘をつこうとも、決して自分を誤解されない。
 天邪鬼なこの末っ子の気質を熟知しているビゼスは、ウィルが口が裂けても素直に言わない本心を、わざわざ指摘する事はない。本心に対するあからさまな返事をする事も、ない。
「そうだな。派手にやる事になったら、お前も連れてく」
 その答えが、全て。
 独りにしない。それを彼なりの言葉に訳すと、そうなるのだ。
 ライア達は見捨てる事になっても、姉弟が離れ離れになる事態だけは防ぐ努力をしてみるか。多くを語らぬこの男は、この時、そう考えていた。



 翌日になり、いよいよ特訓が開始された。集落から少し歩けば、模擬戦に格好の場所など、いくらでも見つかる。
「みんな、揃ってるね。それじゃあまず、組み手のペアを聞いて欲しい」
 アルドのアナウンスは妥当なものだった。今朝方、ウィリアとアルドが顔を付き合わせていたのは、この件だったらしい。その際、ビゼスも多少口を挟んでいた。その三人の決定で、狂いはなさそうに見えたが、一部からは不満の声が上がる。
「え――だって、ウィリア後衛でしょ!?」
 ウィリアと当たったリーティスは、戸惑いを隠せないようだった。
 ビゼスが言う。
「どうしても不満だと言うなら、後で組を変えてやる。まずは、戦ってみろ」
 その口調は、まず問題ないと確信している風だった。
 それにもう一人、こちらは、相手に配慮せず、手を挙げて暴言を吐いたウィル。
「ええ〜? これってちょっとぉ、オレには役不足じゃないですかぁ?」
 あからさまに、対戦相手のフェリーナを弱いと罵っているようなものだ。
 そこへ、姉が口を挟む。
「あら。こんな可憐なお嬢さんに相手してもらって、何がご不満なのかしら?」
「姉貴、舐めてんの? 素人の女が、オレとやり合えるワケ無いじゃん」
「言うわね〜。言っとくけど、女のコ舐めると、ろくな事ないわよ。せいぜい、油断して泣かされないように頑張りなさいな」
「な……っ」
 母なる海の如き懐の深さを持つフェリーナが、頭を下げてのんびりと言う。
「すみません。あまり強くはないですが、練習に付き合って下さい。少しでも追いつけるように、頑張りますんで」
 更にはビゼスの決定打。
「今回は、戦って相手をのす事が目的じゃない。互いの弱点を知って、指導し合うのも修練のうちだ。ウィル、お前が攻撃魔法において先輩を自覚するなら、フェリーナに制御法でも教えてやれ」
「ちぇっ……」
 不承不承、ウィルは引き下がった。
「いーけど、おまえ、女だからって、ちょっと厳しくされたくらいで、めそめそすんなよ?」
「はい」
 当のフェリーナはにこにこと笑って応じたが、姫君の親衛隊(?)が黙っていたはずがない。
「あんにゃろう……」
 ライアは犬歯を剥き出しに拳を固め、リーティスの目が据わり、ウィーロスが慌てた。
「それはまずっっ――待って! ライアはいいけどリーティス! 早まらないでッ」
「ウィーロス……とめないで。『さっくり』やるだけだから――!」
 いたく物騒な言葉が聞こえたが、ウィリアがさらりと止めに入った。
「はいはい。それだけ元気があるなら、私のお相手してちょうだいな。……あの子の言葉、いちいち真に受けてたら、きりがないわ? いい? 『慣れろ』とは言わないけど、フェリーナの実力が解れば、あの子だって、いつまでもあんな態度じゃないられないわ」
 不服そうに睨むリーティスに、ウィリアはにっこり微笑んだ。
「フェリーナは、ああ見えるけど、強い娘さん。そうでしょ? だったら、ウィルには良い薬よ。あの子も今に、思い知るわ」
 ライアがウィルを指差す。
「そうならいいけど、違ったら、お前の弟っつったって、容赦しねーぜ」
 ウィリアはすまして軽やかに答えた。
「そうね、それなら、お好きにどうぞ」



(そんな……間合いに入れない……!?)
「どうしたの? フフッ」
 ウィリアは、杖の先端の鋭い刃をリーティスへ向け、半身に構えている。得物は、ウィリア自身の背丈程もある、金属性の華奢な杖だ。先端に取り付けられた尖った水晶は、魔力の増幅と安定を司るだけでなく、槍のように突く事もできる。加えて、水晶の根元から三日月状の刃が伸びているため、斬る事も可能だ。エスト大陸南方の国々では、『ナギナタ』と呼ばれる武器が女性兵士達の間で使用されるが、用法は、それに近い。
「こちらからいくわ」
「っ!?」
 リーチを生かした大降りな斬撃から、リーティスは素早い身のこなしで逃げ回る。身体能力は流石にリーティスが上で、捕まる事は無かったが、護身術的に防御に特化した技を会得しているウィリアに対し、リーティスは、剣を絡め取られないように自分の間合いまで踏み込むのに苦心していた。
 杖の先だけを使う攻撃は大降りでも、防御および牽制となると、柄だろうが石突きだろうが、どこでも自由に使えるので、リーティスの連撃に対しても、ウィリアはその場から動かずに、かなり素早く対処できた。
 ウィリアの踏み込みが一旦止み、両者、牽制の構えを取りながら、じりじりと移動する。
(正直……ここまでと思ってなかった……。ウィリアがこのまま防一戦なら、体力切れを待つしかないかも――でも、一度でもいい、ウィリアが大振りの攻撃を出してくれたなら、その直後に……!)
 ウィリアがリーティスの剣を裁くことだけを考えて、速さに重点を置く動きを続ける限りは、下手に踏み込めない。しかし、ウィリアが攻めに転じた場合、その一撃さえ流したなら、相手の懐に潜り込む隙が生まれると、リーティスは考えた。
 不可欠なのは、度胸と、必殺の一撃を見切るだけの動体視力。
(やってやろうじゃない……っ!)
 昨日の、苦い敗走の記憶。こんな所で立ち止まれない。今度こそ、絶対に――
「負けられないから!!」
 ポニーテールをなびかせて、リーティスは目の前の魔女に立ち向かった。

「遅い!」
「させっかっ!」
 すれすれのところでウィーロスの足技を避け、身を反転させて、袈裟斬り、更に胴の払い。しかしそれらは、しなやかな動きで次々とかわされる。
「はッ!」
 反撃の突きが繰り出され、肌を掠めた熱にぞっとする暇さえなく、ライアは懸命に次なる一撃を防ぐ。
(やばい……これで"気"を使われたら……敵わない――!)
 体格はライアより一回り以上大きいにも関わらず、ライアの剣を避けて後方に着地した足音は柔らかく、そこからバネを使って高速の踏み込みへ。その流れるような動きは、野生の豹にも似て、見事としか言いようがない。
 関節の遊びを使って勢いを殺すのも上手ければ、踏み込みの速さ、強さも尋常でない。格闘家として足腰を鍛えているのは当然だろうが、踏み込む一歩一歩が地に穴を穿った。
「うわぁっ!!」
 突き出された拳を剣でガードしたつもりが、正面からまともに受けたために、そのまま体ごと後ろに吹っ飛ぶ。ウィーロスは、剣を構え直す猶予を与えなかった。密着された時点で勝敗はついたようなものだったが、僅かばかりの抵抗を試みたライアの首に、ついに手刀が当てられた。
「僕の勝ち、だね」
 悔しがるライアに、屈託のない笑顔でウィーロスは言った。

「ちょ、あれ――??」
 ライアには、それがどこまで手加減されたものなのか、判断できなかった。
 ウィリアやフェリーナも休憩がてら観戦していたが、彼女達とは違って、呆れたように見入る、少年剣士二人。
「すごい――」
 凄すぎてもはや訳の判らない顔をしながら、リーティスが感嘆の呟きを漏らす。
 固唾を呑んで呆然とライアが見ている先には、二人の剣士の姿がある。
 ビゼスがはやての速攻を仕掛ければ、アルドがそれを絶妙のところで弾き、牽制の一撃を繰り出す。反撃に出たアルドに追い詰められると、ビゼスは焦るどころか、不敵な笑みさえ返した。
 ビゼスは、退屈しない力量の相手と勝負できるのが、心底、楽しくて仕方ないらしい。
「あーあー、もう、おかしいよあのヒト達。兄ちゃんはもとから化け物じみてっけど、アルドもフツーじゃないね。なんで、あんなにでっかい剣振り回して疲れないんだか……」
「でも、お二人とも楽しそうですね」
「フェリーナ……貴女、実は天然ね」
 魔法使い組は呑気なものだ。片や、少年剣士達は大幅にテンションダウンしている。
(俺、あんなのと戦ったんだなー……)
 そう考えると、具合が悪くなりそうな光景だった。
「てか……俺、生きててよかった……マジ感謝」
 リーティスも同意見だったのか、隣で、ふー……と深いため息が聞こえた。


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