the Another Part of STAGE 20 〜王女試練の裏舞台〜



 コツ、コツ、と靴音を響かせて僕を先導してきた衛兵は、両開きの重厚なマホガニーの扉の前で、足を止めて振り返った。
「ファルド様、こちらへ」
 無言で頷き、足を踏み入れる。手斧を手に扉の左右に直立した兵士達から、ある筈のない被害妄想のプレッシャーを感じながら。
 庶民でしかない僕にとって、王宮を歩き回る事はそれだけの負荷となる。ここで生まれ、息をするのと同じように自由に歩き回れるあの子とは、違う。
(ルネットならこんな扉、元気よく開けすぎて、大きな音をたてたって気にもしないんだろうな)
 そこで今、彼女がどんな状況にあるかを思い出し、僕の気は再び沈んだ。
 そんな僕の目の前に広がったのは、僕には眩し過ぎる空間だった。整然と並ぶ本棚。庶民が願ったところで滅多な事では立ち入れない、王宮の書庫だ。
 城下には一般解放されている王立図書館があり、一定年齢以上の市民であれば、誰でも利用できる。一方でこちらの書庫には、スロウディアの歴史を刻む文献から、王室の機密文書まで、ありとあらゆる重要書物の原本が、それは厳重に保管されていた。
 困惑しながら、衛兵を振り返る。自分はなぜ、ここに案内されたのだろうか。
「ファルド様。貴殿の試練は、ここで待つことであります。姫を待つ間に限り、王から閲覧の許可も出ております。わたくしはここで監督させていただきますので、どうか姫が戻るまで、ご静粛に」
「…………」
 途方に暮れてしまった。僕にしたら宝の山も同然の書物たちが眼前にあって、でも現在ルネットは試練の最中で。
(僕に、どうしろって言うんだ――)
 冷汗をかいて、横目で衛兵を窺う。曲がりなりにも、姫の学友として、僕は信用されているのか。衛兵は別段こちらに注意を払いもせず、そこの椅子にかけてぼんやりしていた。やむなく、僕は圧し掛かるような本棚の群に向き直る。
 鼓動が早い。僕は試されているんだ。だって、ルネットだけが試されるなんておかしいだろう。これは『2人の問題』なのに。
 最初に行きついたのは、そう。至極全うで、一番あり得そうな話。国の柱となる彼女を支えるため、この限られた時間を活かし、貪欲に知識を吸収できる、勤勉な男であるか?それを見られているのではないか。――そう考えた。
 僕が、どの本を手に取るのか。それによって、僕の資質を定められる気がした。

 ――10分後。

「…………」
(なにをやっているんだ、僕は……)
 政治、外交、軍事、農学、産業、その他国営に不可欠な本は数限りなくあったのに、シックな赤いカバーの本を手に取ってしまった僕は、自己嫌悪に陥った。
 『地水之書』。王立図書館に入れる年齢になって、一部省略された写本を目にしてから、ずっと気になっていた本。著者は、50年程前死去したスロウディアの老兵デンス。その戦いのセンスと業は本物だったが、平和なスロウディアでは著しい功績を立てる事もなく、余生に多くの若い兵を育てた功労を讃えられた程度だ。スロウディアでもさほど広くは知られていない。
 だが、真に剣の道を志すスロウディアの士ならば、その名を知らぬ者はないと言える。
 彼は晩年、多くの若者を育てながらも、一人として完璧に自分の全てを継いだ者を見出せず、その半生で得た徳を、地水之書として書き著した。彼の剣は、基礎を固めた確固たる地の上に成り立ち、常に弛まず、張り詰めない、水の如く自在な精神を以って、初めて操れる賜物だ。
 原本を前にして、ルネットが大変な時だって言うのに、不謹慎にも心躍ったのは事実だ。
 僕は席に着いて、黙々と書を読み進めた。こうなったら儘だ。どうせ、試練が終わるまでに読めるのは一冊が限界だろう。一字一句、脳内に納めるように没頭する。
「ファルド様」
 何分が過ぎた頃だったろう。僕が四分の一程読み終えたところで、衛兵が声を発した。
「本日は、随分とごゆっくりお読みになりますね。どうです、それだけその本がお気に召しましたか」
 内心を悟られまいと、早口に返す。
「ええ、長年焦がれた一冊なもので。わたくし如きの身には余る程の内容です」
 自分でも自覚がなかった。『読むのが遅かった』か? いや。僕はこれでも、人よりかなり早く読める方だ。『今だって』『人と比べたらまだ早い』。
「それは結構」
 衛兵はにこりと笑った。かわせたかとほっとした瞬間、衛兵は再び口を開いた。
「……確か、以前、仕官試験の前に参考書をお読みになっていた時には、尋常じゃない頁送りだったもので、思わず見入ってしまったのですが。あれは、既に頭に入っていた部分の復習か何かだったのでしょうね。あれには驚きましたが、ファルド様も、常識的な人間の速さで読まれると知って、今はほっとしています」
 わざとらしい口ぶりに、心の中では舌打ちしたい気持ちだった。
(『知っている』のか――普段の、僕の読破スピードを……)
 顔を上げず、文面に没頭する振りをして言う。
「――買い被り過ぎです」
 声が硬いのは自覚済だ。だが、今の僕に余裕なんてない。
 自分では、普段と同じ速読のつもりだ。咽から手が出るほど閲覧したかった本なのだから、いつも以上に集中しているとさえ思っていた。でも、今日は時間の感覚がない。それに、衛兵の指摘で嫌でも気付かされた。普段と同じに、読めてない。
 ならば、努めていつものようにできるか? いや、できるものか。

 あのこが、暗闇で怯えている。それを思うだけで、気が狂いそうだって言うのに。



 ルネット帰還の報せを聞いて書庫を出た時、なんだか2日分ぐらいの疲れに見舞われた気がした。
 それでも思考力は働いていたから、御前に出た時には背筋を伸ばし、臣の鑑たるよう振舞った。
 月眠りの森から戻ったルネットは、傷だらけのドレスで、挑戦的に玉座の人を見た。
 一人の衛兵が玉座に近付いて、経過を耳打ちする。
「陛下。彼は始終、大人しく読書されてました。最も、普段の集中力はどこかへ行ってしまったご様子でしたが」
 内容は、とてもじゃないが遠すぎて聞き取れない。無論、それは父王と対峙するルネットも同じだ。
 王は小さく頷き、衛兵は畏まって退いた。
 王は、玉座からルネットを見て言う。
「ぬしは、確かに余の試練を成し遂げた。その者についても、ぬしが課題に挑む間、大人しく書庫で待っておったことを認めよう」
 僕は思わず眉間を押さえる。ルネットがこの場で激昂しない事を願うばかりだ。流石は親と言うべきか、我が子の気質を解っていて、挑発している。
 ルネット、頼むから怒らないでくれ。弁明は後で、いくらでもする。
 その時、右を見たルネットと目が合った。僕はどんな顔をしていたのだろう。わからないが、彼女は顔を背けた。それきり、意図してこちらを避けるようにしているので、表情が読めない。
 そこに続いた王の宣告は、驚くべきものだった。
「では、最後の審判と参ろう」
 僕は、不快感を顔に出さずにいられなかった。これ以上、何を。彼女は約束通り、試練を突破したはずだ!
 瞬間、王の赤い瞳が、王座から不敵にこちらを見下ろした。
(――!?)
(若造が。娘が森へ行く間、あれの心配より目の前の希少な本に目が眩もうものなら、その場で婿として不適と言い渡してやったものを。こうなっては、力づくで引き剥がすしかなかろうて――)
 緋のマントを引いて立ち上がった王が、ルネットを見て言う。
「――来るがよい、ルネット。余を越えられるか? 次期後継者としてその力を示すなら、余は、ぬしを一人前として扱い、その意思を認めようぞ」
 僕は聞いていない。そんなの。
 王といえど、約束したからには守るのが筋だ。
 こんな気持ちは久しぶりだ。純粋に腹立たしい。

 従者? ご学友? 所詮は民間の出……? そりゃ、立場ってものがあった。でも、今はそんな事――
 僕は周囲に止める間を与えず、ごく自然で素早い足運びで、ルネットの前に立った。
 ルネットが驚いて息を飲む。僕は、段上から見下ろす王を見据えた。
「ルネット様は、貴方がお出しになった難題を見事やりとげて、この場にお戻りになられました。なれば、これ以上の審議は不要でございましょう。力を見せる必要がおありなら、この場は、ルネット様に代わり、わたくしがお受け致します」
 地の底から響くような、王の声。
「……そこをどくが良い、若造よ」
 冷汗が背を伝う。だけど、今は何にだって負ける気がしない。
「……いいえ。陛下の命であれど、それには従えません」
 背中に、華奢な手が服をつかむ感触があった。
「いい! やめてファルド、貴方がやったら、殺されてしまう……!!」
 そう、かな。
 そうかもしれない。王は、初代ラシアン王に始まり、代々国王のみが受け継ぐ炎の最上級魔法が使える。周囲に目を走らせると、王室お抱えの名だたる魔術師たちの姿も見える。この場に於いて、周りへの被害を気にする必要はない。ならば、王は僕に向けて最上級魔法を放つ事ができる。
 相殺しきれるか。――自問する。答えは判っていても。
 声を落とし、背後のルネットを安心させるように告げた。
「ルネット。大丈夫。だから、下がって」
 我侭を、許して欲しい。これ以上黙って見ているなんて、できないんだ。
 君がお父上に負かされるか、辞退を申し出れば、僕の生命は守られる。だけど、君の隣に居るのが他の男なんて、とても耐えられない。ここで退けば、一体誰が君の婿になるのだろう。あのカルサって騎士かな? 彼は文武両道、品格も礼儀も兼ね備えた人物だけれど、それで君は幸せになるかも知れないけれど、それだって、やっぱ駄目なんだ。僕にとっては。

 今の僕は、書庫での注意散漫な僕じゃない。今は完全に集中しきって、八方どちらへも動けるし、いつでも魔法を放つ準備はできている。
「……ふ……」
 王の表情が、僅かに動いた。僕は、集中したまま出方を待つ。
 その後に見えたのは、露骨な苦々しさを混ぜた、王の微笑。
「それだけの覚悟を持って、ルネットを愛そうというのか? 守ろうというのか? ……いいだろう。ただし、余を失望させるな」
「陛下……」
 臨戦態勢を解き、驚きと共に父王の顔を見る。
 僕の肩越しに、あのこが顔を出す。
「嘘じゃないでしょうね。本当に、本当っ?」
「ぇえい、くどい! 余に二言はないっ!」
 するとどうだろう。あっという間に場が沸いて、いつの間にか祝福ムードになっていた。
(……流石だな、ルネットの人気は)
 実際は『僕らを』祝福してくれていたのだが、僕にはどうも実感が湧かず、他人事のようにそう思った。
「えぇい、静まれ、静まらんか!」
 父王が喚くが、聞く人なし。王は忌々しげに鼻を鳴らすと、面白くなさそうに玉座に座り直した。
 場の変わり様に流されて、半ば呆けていたルネットを、僕は強く抱きしめた。
 これでやっと、君に言える。

 『ずっとずっと、大好きだった』って――

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〜あとがき〜

 STAGE 20とか、今更そんな昔の話掘り起こすなよ!と言われそーですが、作者特権です。協賛なし、支援なし(悲しい)、完全ワンマンだからこそできる好き放題。辺境個人サイト万歳!
 もはや自虐に走っている翠ですが、この作品に限っては自分がいなくなった時にそこで終わる物であって欲しいと思います。例えばド○えもんや、その他数多くの作品のように、偉人が去った後に形骸化してしまうよりは、終わりある物でありたいです。
 こう書いたので誤解されたかもしれませんが、二次創作については全く否定しません。むしろ、二次と銘打って新しい作品を創造する事は素晴らしい事だと思います。
 自分はただ、利益のために人気キャラクターを歪めて利用し続けているビジネス行為を醜いと感じている、それだけのことです。

 ここからは本編について語りますが、『地水之書』は、五輪書に近いものを想定しています。
 武蔵の五輪書は、剣術をちょっとかじっているとよく理解できる本。とてもお勧めです。さらに深く剣を知ってから読めば、また違う局面が見えて来るのではないかと思います。(自分はまだそんな境地に至っていませんが……)

 今回この話を選んだのは、うちのサイトに足りていないロマンス成分(他にも足りていないものはありすぎですが。大目に見てください)を補充する目的もあります。外伝4はそういう話になりそうなんですが、5周年には間に合いそうになかったので、特別編としてこちらを書き下ろしました。
 そんな感じで、需要があるのかないのか不明のまま、好きなように書き綴っている翠ですので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
(2012/11/11 サイト5周年記念 翠【SuI】) 
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