STAGE 2 her resolution 〜乙女の決心〜



「ふーっ、だいぶ、二人で魔物とやり合うのにも慣れてきたって感じだな!」
 剣を納め、少年が言う。道中ちらほらと現れる魔物との戦いで互いの戦い方の感覚が掴めてきた彼らは、徐々にではあるが戦闘で連携をとれるようになってきている。最初は目の前のことしか見えていなかったライアも、場数を踏むうちに、少しずつ周りの状況が視界に入るようになってきた。あとは、即座にその場での最善の判断ができること、そしてそれを行動に移すことが出来るかどうかが問題だったが、その辺りは地道に経験を積み重ねていくしかない。
「そこ! 気ぃ抜かないっ!」
 対する少女は、勝ち気なエメラルドグリーンの瞳に金髪のポニーテールという、スロウディアではあまり見ない容姿の持ち主で、少年をびしりと指差しながら諌めた。内心図星の少年は、背後に転がる魔物が再び動き出したりしないか、そろりと横目で窺いつつ、答えた。
「分かってるよ。それよか、次の町まであとどんくらいだ? 俺、もー腹減って……」
 先日パーティーを結成したライアとリーティスの二人旅は、凡そこのような調子で続いていた。
 さっき携帯食かじってたくせに、と心中でぼやきつつ、リーティスは懐から取り出した地図に目を落とす。ライアも見せてもらったことがあったが、それは、城の周辺に限れば正確な地図を嫌と言うほど見慣れて、位置関係が頭に入ってしまっているライアの目から見ても、そこまでいい加減ではなかった。旅人に売られる地図の中には、存外いい加減なものも多い。しかし、少なくともリーティスの持つ地図には、主要な町や川など、ほぼ正しく記されているようだった。
「ええっと? さっき川を渡って、分かれ道を右に来たから……今歩いてるのがだいたいこの辺だとして――ううん、あと、半時もしないで見えて来る筈だけど」
「っしゃあ! 気合い入れてこーぜ!」
「はいはい……。せいぜいその気合い、町に着くまでちゃんと持続してよね」
 現金なライアに呆れつつ、地図を懐にしまって、リーティスも歩き出す。
 しばらくして、弱った人の声がどこからか聞こえた。
「うぅ……だ、だれか……」
「! リーティス、あれ!」
 指差したライアに、リーティスはすぐに頷き返し、二人は声の主のもとへ駆けつけた。岩に背をもたれるようにして倒れていた男性の腹部が、赤黒く染まっている。
「大丈夫ですか!?」
 ライアが耳元で尋ねても返事はなく、玉のような汗を額に滲ませ、男性は、苦しそうに顔を歪めて怪我をした腹部を押さえたまま、呻くだけだった。
「すぐに治療を……!」
「って、待って! こんな深い傷、私達みたいな素人じゃどうにも出来ないって! 今持ってる道具だけじゃ、ろくな治療も出来ないし――」
「なら、止血だけでもして町に! ――くっそ、間に合うか!?」
 町はもう、すぐ側のはずだったが、如何せん初めての地故に、二人とも土地勘が無い。
 その時、そこへ、小鳥の囀りように軽やかで澄んだ声が響いた。
「あの――どうか、なさいましたか?」



「お手伝いいただき、ありがとうございました。お連れ様も、お時間を取らせてしまってすみません」
 丁寧におじぎをした少女の青い髪が、左右の肩から零れ落ちる。肩まで届く波打つ髪に、深い海の青をした瞳。そして、おっとりとした柔らかな物腰。『可憐』を絵に描いたような少女だった。
「え? わ、私は別に、何も……っ」
 言われて、リーティスは戸惑った。
彼らが立つのは、町の診療所の目の前で、怪我をした男性の傷は少女が魔法によって癒し、経過を看るために診療所まで運んでほしい、という少女の願いに、否の無いライアは、意識を失ったままの男性をここまで背負って来たのだった。
「こんくらい、軽いって! んじゃ、あの人にも、お大事にって伝えておいてくれよな?」
 歳の近い気安さから、少女に対するライアの口調は砕けている。少女は見た感じ、ライア達より少し上か、しかし二十歳には届いていない雰囲気だった。
 少女は、おっとりと丁寧な口調で答えた。
「はい、必ず。あの……お二人は、しばらく町に滞在されるのでしたよね。困ったことがあれば、いつでも訪ねて来て下さい」
「サンキュ。何かあったら、そうさせてもらう」
 そう受け答えをしながら、診療所という多忙かつ町の重用な役割を担う場所である以上、そう気軽に立ち寄れるものではないだろうな、とライアは思っていた。
「ええ。では、私はこれで」
 見送りのため外に出て来ていた少女は、一礼をすると、羽のように軽やかに踵を返し、青いウエーブの髪を揺らしながら、ぱたぱたと診療所の中に引っ込んでいった。割と小さな診療所で、人手も少ないらしい。
 少女の姿が見えなくなってから、ライアがこう呟いた。
「まっさか、偶然通りかかったのが町の診療所の子だったなんてなー……っておい、リーティス?」
「な、何でもない!」
 去って行った少女の背をじっと見ていたリーティスは、はっと我に返ったかと思うと、すたすたとライアの半歩先を歩き出した。
「? へーんなの。――ああ、それより飯、飯っ! 俺もう腹減って死にそうだっ」
 それから二人は繁華街へ出ようとして、途中の広場に人だかりが出来ていたのを怪訝に思いながらもそのまま通り過ぎようとした時、広場中にファンファーレが鳴り響いた。
「な、なに?」
「えーっと……第51回豊……穣……祭ぃ?」
 ライアが、人ごみの中から背伸びをして、遠目に掲げられた弾幕の文字を読み上げる。弾幕が掲げられた幅の広い特設ステージの上には、司会らしき若者が立ち、朗々と声を響かせている。先程のファンファーレは、舞台袖に控えた小規模な楽団によるものらしい。
「さてさて、午前の部、喉自慢で盛り上がってきましたここで、今年もやって参りました! 『大食い大会の部』!! 今年の食を制するのは一体誰だ〜っ!?」
(あの兄ちゃん、はっちゃけてるなー……)
 僕の人生はまさに、この瞬間のためだけに存在すると言わんばかりに今、彼はまぶしく光り輝いている。30年後もあの場所に立ち、司会を続けている彼の姿を、ライアはありありと想像できた。
「ルールは至ってシンプル! 『銀の魚』亭名物、特製カレーレギュラーサイズを、30分で何皿平らげられるかで勝敗を判定! 途中、水を飲むかは個人の自由。た・だ・し!この大会、敗者には食べた分の代金を支払わなければならないペナルティがあるぞ〜っ☆」
(『あるぞ〜っ☆』って……)
 もはや突っ込んだら負けな気がしなくもないのだが。何にせよ、ノリノリの彼を阻むものは、何もない。世界を脅かす魔王であっても、彼に出くわしては、今日のところはと、すごすご帰って行きそうな勢いである。
「さぁ!只今より、飛び入り参加も3名様受付中! 果敢なる勇者は誰だっ!? チャレンジャーは、いざ、舞台上に――おおっ! 来ましたねぇ……さぁ〜、枠はあとふたつ!!」
「やめときなさい!」
 ライアが何か言う前に、リーティスが先回りして先手を打つ。ライアは、舞台上を指差しながらあっけらかんと言った。
「えー? いいじゃん、面白そうだし」
「そーゆー問題じゃないでしょ!? 聞いてなかったの? 負けたら、食べた分は支払なきゃなんないって――滞在してしばらくの旅費を稼ごうってこの時に、余計な出費があったんじゃ、たまったもんじゃないでしょ! ほら、行こってば」
「ちぇー……」
 両手を頭の後ろで組んだライアは、やや名残惜しそうにステージのほうをちらと見て、リーティスの後に続く。丁度、ステージ上では『銀の魚』亭主人とやらが、司会のインタビューを受け、ホクホクの赤ら顔で自慢のカレーへの熱意を語っているところだった。
「――ありがとうございました。では、ご主人には調理場のほうで存分に腕を振るっていただきましょう! さぁてっ! お待たせしました! ここで、みなさんお待ちかね、気になる優勝賞品の発表だぁ〜っ!!」
 人混みを縫って抜け出そうとしていたライア達の耳に、聴衆のおおおおー、という歓声が飛び込んだ。出場は諦めたものの、流石にこれには興味をそそられ、ライアはリーティスを見失わないよう後を追いつつ、耳だけをそちらへと傾けた。
「今年の栄誉ある勝者に贈られるのは――な、な、なんとっ!町長直筆サイン入り、あの伝説の著書、『髪のメモリィ50'』だーっ!!」
 今度は、おー、とテンションダウンした歓声と、一部でちらほらと上がるブーイング。しかし一向にお構いなく、司会の兄ちゃんは喋り続ける。因みに、『髪のメモリィ50'』とは、町長が日々こつこつと付け続けていた研究日誌の題である。テーマはサブタイトルでもある、『育毛×発毛 秘訣は愛v』。
「今回は多忙な町長におこしいただき、直に手渡ししていただく予定ですので、町長の気分次第では、愛用のヅラすら譲って貰える!? さあ、このチャンスを見逃すな! なんとこの品、初対面の相手にヅラだと気付かれない率が当社比43%というスグレモノ! 彼女に、奥さんに、最近あなた薄くなってきたわよ、なんて、もう言わせない!」
 司会というか、もう胡散臭い通販そのものである。ただ一つ違うのは、ギャラリーのテンションか。
(いらねー……正直、いらねーよ、マジで……。つか、ここで宣言しちゃった以上、その町長ってのと同じ髪型してるやつ、一発でばれちまうんじゃ……)
 しかし、こういった催し物というのは、賞品ではなく、祭りに参加して楽しむ事自体が目的なのであって、勝者にとっては優勝したという事実が何よりの記念として残るのだろう。
 それから小1時間程が経過し、手近な食事処で空腹を満たした二人は、再び広場を訪れ、丁度お昼時なので少し人数の減った観衆達に混じって立っていた。
「――ね? やめといて正解でしょ?」
「……まぁな――」
 ステージ中央に立った恰幅の良い中年の女性が、にこにこと笑いながら、ぷっくりとした丸太のような片腕を司会の若者に?まれ、高く掲げている。彼女が今年の大食い大会を制した優勝者だった。共に出場していた小柄な中年男性は、後半追い上げを見せ良い勝負だったのだが、わずかの差で記録は5皿半、6皿を完食した女性に敗れ、惜しくも準優勝に終わった。聞けば、彼らは毎年この大会で競い合っている常連夫婦だという。
(なんつーか、あのおばさんは最後まで心底美味そうに食ってたからよかったんだけど……下位の人達が、最後のほう、悲惨だったよな……吐きそうになりながら、それでも水で流しこんでまで食うかって……)
 ふと、ステージ上から視線を外したライアは、斜め下に視線を落とす。拳には無意識に力が篭り、その瞳に、普段のライアらしからぬ気配が漂っていた。
隣のライアのことなど全く気に留めていなかった様子のリーティスが、不意に言った。
「あのさ。まーださっきの事、気にしてんの?」
「…………」
 沈黙。この場合のそれは、認めたくない肯定を意味していた。
先程、食事処での話だが、料理を待っている間にたまたま飛び込んできたのが、近くに陣取っていたグループの会話だった。
「しっかし、あれだね! こうやって平和に祭りなんてやってられるのも、戦争反対の立場を貫かれている、ルネット様のお陰さ!」
 町を上げてのお祭りムードのせいか、昼間だというのに、多少酒が入っている様子だ。話に挙がったルネットというのは、この王国の現女王、ルネット=セルソン=スロウディアの事だ。
「そうかぁ? 海の向こうじゃ、俺達と同じ人間の兵隊さんが、非道な魔族ども相手に、勇敢に戦ってんだぜ? 少しくらいは加勢してやっても、バチは当たんねぇと思うぜ」
 当人にしてみれば、軽い冷やかしのつもりだったろう。しかし、その言葉はライアをヒヤリとさせた。元より、顔には出やすい性格だ。ライアの斜め向かいに座っていたリーティスは、間違いなく気がついていただろう。しかしその時は、何も言わずにいた。
「でも、お隣のセーミズなんかは勇敢よね? 鍛え上げた兵士をノーゼに派遣して、戦場でも直接加勢してるって話じゃない。平和ボケしたスロウディアとは違うわぁ〜」
「けど、下手に戦争なんかに加担なんかして、真っ先に魔族に攻め落とされるのはごめんだぜ? おれなんか生命線短いってのに、これ以上寿命縮められちゃ堪ったもんじゃねぇ!」
「はっはっは。違げぇねぇ。最も、血も涙もない魔族どものこった。攻める時は、この大陸ごと攻め滅ぼすつもりでやって来るだろうさ」
「……やめやめ! せっかくの祭り時に、そんな辛気臭い話してたんじゃ、敵わねって!」
「んま、そりゃ言えてら。生きてるうちが華ってな? ルネット陛下に乾杯だ! スロウディアに、栄えあれ!!」
 あちらでの盛り上がり方とは対照的に、ライア達のテーブルでは気まずい空気が流れた。スロウディアの現体勢についてのみならず、リーティスの故郷であるセーミズの事にまで触れられたとなれば、然りではある。だが、幸いにもすぐに料理が運ばれて来て、上手く他愛のない話に切り替える事が出来たので、耳にしてしまった会話に関してはそれきりであった。



「…………」
 リーティスは、何か考えるように少し沈黙した後、行こ、と言って広場から遠ざかろうとした。ライアは疑問を口にしかけたが止めて、黙ってその後ろに従った。
 やがて、祭りの広場から遠ざかり、大通りを外れた人気のない小道にまで来ると、リーティスは、周囲に聞かれないか再度確認した上で、こう言った。
「……私はさ、セーミズがしてる事、間違ってるなんて、思わないよ?」
(――なんだよ。そんなこと言うために、わざわざ……)
 だったら、わざわざこんな離れたとこまで来なくても、とライアは思ったが、この国の人間でないリーティスにとっては、慎重にならざるを得ない事情があった。下手に口を滑らせて、うっかり反戦派で血の気の多い人間に聞かれたら、面倒事にも発展し兼ねない。
「だってさ……死ぬんだよ」
「ん?」
「人間が。こうしている間にも、魔族の侵攻によって、命を落としていく人達が、私達の知らないところに沢山いる。戦わなきゃ、もっと多くの人が犠牲になる……だから――」

『私は、セーミズのやり方が間違っているだなんて、思わない』

リーティスが言おうとしている言葉が解り、もういい、とライアは首を振って制した。
リーティスの弁も最もで、周りからは、スロウディアが戦うのが恐くて逃げている国だと思われても、仕方がないとは思っていた。だが、それでも、ライアは知っている。先代が夭折し、若くして王位を継いだ母が、臆病風に吹かれて戦争の加担に尻込みしているのではない、という事を。ともすれば、魔族よりも脅威となる、周囲の人間の国々からの参戦への圧力に、君臣一丸となって抗い、戦ってきた、そして今も戦い続けている母の背を、幼い頃からライアは見て知っている。戦争に反対する者たちの動力となる、情熱と信念の深さをよく弁えているだけに、ライアはもし自分が王位を継いでも、今の体制を蔑ろにするつもりはなかった。
発言を止めていたリーティスは、俯きながらぽつりと言った。
「ううん、分かってる……この国には、この国のやり方や考え方が、ちゃんとあるんだよね。だから、スロウディアも戦わなきゃなんて、私は言えない。でも――」
 ……ごめん、やっぱいい、と言って、リーティスは言葉を切った。
戦争という、全てのヒトに突きつけられている筈の課題に真っ向から向き合おうとしているリーティスに比べ、やはり自分は自覚に疎かったと痛感させられ、それでも、ライアは何とか自分の胸の内にある想いを言葉にしようとした。
「上手く言えないけど――その……俺、この国が好きだ。この国に住んでる、友達とか、家族とか、先生とか。そういうのみんなひっくるめて、大好きなんだ。だから、やっぱ、死んで欲しくないよな――いくら戦争だからって、大切な人に、戦いに行っては欲しくねぇ。けど、実際はノーゼで戦って、体張って、命張って食い止めてくれてる人達がいるから、俺達は平和でいられんだよな。……やっぱ、俺には、戦うのが正しいのか、間違ってるかなんて、結論出せそうにねーよ……」
「…………」
「…………」
「ああもうっ! こんな話、なしなしっ! ここまでにしよ! 確かに、避けられない問題だし、絶対に目を背けちゃいけないことだとは思う。でも、私達が今考えなきゃなんない問題は、別にあったでしょ!」
「家出予算とその調達、か――? ……はぁ……」
 一気に現実に引き戻された気分のライアは、一方で、ラーハネット=ディル=スロウディアとしての立場の自覚を新たにした。



「待てよ。……ってことは、ここまで着て、野宿するしかねぇってのか!?」
「そりゃ、ただで済ませられる点は魅力的だけど……ってぇえ! 今日に限って暑くなるんだからぁ〜! お祭り見て歩き回ったせいで、汗でベタベタだし……久しぶりにさっぱりしたかったのに! も〜!!」
「んなの、俺に文句言ったってどうにもなんねぇよ!」
「分かってるわよ!」
「だから! 何で俺に当たんだって!!」
「そこに居るからでしょ!!」
「ハァ? 意味わかんねぇっ」
 二人が口論を繰り広げているのは、軒先に灯が灯され始めた宿屋街の一角だった。町にある宿屋は、今日、明日と行われる祭り見物の客のため混雑し、どこも部屋に空きが無かった。大商人や貴族でも無ければ、金にものを言わせて融通を利かせる事も出来ない。
「祭りに気ぃ取られて、宿のことすっかり忘れてたろ」
「そっちこそ」
 お互い、じろりと相手を見る。――そしてしばしの沈黙。
「あーあ……」
「失態だわ……」
 そう言って各々、頭を抱えた。
 近頃だいぶ朝夕の気温が落ち着いて来たとは言え、今宵はじっとりと空気が湿り気を帯び、吹く風も生暖かかった。
 宛ても無く、ライアが瞬き始めた星空を見上げていると、近くの路地から二人連れの声が聞こえた。
「ねえちゃんもさ、気をつけなきゃ駄目だろ? 暗くなってから独り歩きなんて、危ねぇよ」
「迎えに来てくれて、ありがとう。でも、おばあさまは心配しすぎなんじゃないでしょうか? 町の中だし、今はお祭りで人も多いのに――」
「だーかーらー。酔っ払いとかいるだろ!? それが危ないんだって」
「そうでしょうか……? あ」
(――ん?)
 会話が途切れたので、何気なくそちらのほうに目を向けてみると、そこには、昼間の診療所の娘が立っていた。
「またお会いしましたね?」
 そう言って、少女は微笑んだ。隣に立つ、14、5の少年の『知り合い?』という目線に頷いて、少女は言った。
「お昼前、森で倒れられていた怪我人の方を、町まで運んで下さった旅人さんです」
「ふぅん?」
 少女は、浮かない表情のリーティスに目に留め、尋ねた。
「どうか、なされたのですか?」
「うーん……それが、うっかり宿取り忘れちゃって――」
「はぁ――」
 あくまでのんびりとした少女の反応に、そちらをちらりと窺った連れの少年は、自分は知らない、と言うふうに目を逸らした。
 少し間があって、少女はほわほわとライア達に尋ねた。
「あの、でしたら、うちにお泊まりになられます?」
「えっ? ええ!? でも、お家って――診療所、でしょ……?」
「メーワクなんじゃないのか?」
 戸惑っている二人に、それまで傍観していた少年が口を挟んだ。
「ん。いいんじゃない? 今は付きっきりで看なきゃいけない患者さんもいないし、物置きにしか使ってない部屋がひと部屋、あるから」
「ティスもこう言っていますし。――あ、申し遅れました。私、フェリーナと申します。こっちは、弟のティス」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらって――」
「よろしくお願いします」
 ライアが言って、リーティスが頭を下げると、悪びれず少年は言った。
「そっちのお兄さんだけならどうかなって思ったけど、女の子が一緒ならヘンな気も起こさないだろうし」
(起こさねぇよ)
 と、ライアは心の中で反論したが、フェリーナと名乗った少女に、異性として惹かれるのは確かだった。容姿は申し分無く、性格もおっとりとして優しそうだ。
 ちらと、ライアは横を見る。
(いや、比べる対象が悪かった……)
 視線を逸らす寸前で目が合ってしまい、何よ、という視線に、別に、とライアは肩を竦めた。顔がどうこうというのではなく、少々、体形的な色気に欠けるだとか、女性らしさを感じさせる性格ではないとか、まあそういう事情があったり、なかったり。
 フェリーナ達の前である為か、リーティスがそれ以上突っかかって来なかったことに、ライアは内心で安堵した。
「失礼ですよ? ティス。……申し訳ありません。では、行きましょうか。こちらです」
 弟の非礼を詫び、フェリーナが先導する。
  先を行く少女達の後を歩きがら、ティスがふと、ライアに視線を送り、小声で耳打ちをした。
「ねーちゃんって、そーいうとこ疎いから心配なんだよ……」
「あー、成る程……」
 フェリーナは、見た目通り、おっとりとした気質の持ち主なのだろう。そんな彼女を姉に持つ弟の気苦労は、きょうだいの居ないライアにも、何となく察しはついた。
「あーそうだ、忘れてた」
 と、それまで捌けた口調で喋っていたティスが、急に改まった様子でこう言った。
「うちには、何年生きてるのかさっぱり判らない魔物が住んでるから、気をつけてな」
「魔物?」
「それって――」
 口々に問い返すライアとリーティスに、フェリーナは苦笑してかぶりを振っただけだった。
 果たして、彼らは診療所に足を踏み入れるが早いか、例の魔物と遭遇した。
「ただいまー」
「遅くなりました」
「なんだい、なんだい。若いんだから、友達なり彼氏なりつかまえて、祭り見物にかこつけて遅くなるのが、普通ってものじゃないのかい。ぇえ?」
「ねーちゃんに、そういういい加減さを求めても無駄だって……」
「あの、遅くならなくては、何か不都合だったんでしょうか?」
 不思議そうに首を傾げるフェリーナは、とても冗談で言っているようには見えない。
「違うってば……」
 言いながら、ティスは、ほらね、と小さく肩を竦めた。
「……はて。ところで、そこの見ない顔はどうしたものかのぅ? 今晩のメインディッシュかいな? ――なかなか活きが良さそうじゃが……けっけっけ」
(ま、まさか、本当にっ……?)
 これには流石にライアもたじろぎ、退路を確認しかけた瞬間、フェリーナが言った。
「もう!ふざけないで下さい、おばあ様。こちらのお二方は、客人です!」
 いかにも、人を喰らって数百年は生きていそうな、おとぎ話に出てくる悪い魔女そのものの外見をした老婆は、愉快そうに声を立てて笑った。
「ひゃっひゃっひゃ、冗談じゃよ。祭りで宿にあぶれて、そのコに連れて来られたってくちだろぅ? フェリーナはお人好しだからねぇ……だいたい察しはつくってもんさ。さぁさ、奥にお入り――なぁに、安心するがえ。取って喰やぁしないさ」
 老婆は、ところどころ欠けた白い歯を見せてニタリと笑った。その笑いに、ライアがどことなく嫌な予感を覚えたのは、言うまでもない。
「じゃあ……あの、リーティスさんは、狭くて申し訳ないんですが、今日だけは、私の部屋にご一緒で構いませんか? 片付ければ、明日はもうひと部屋使えますから」
「えっ? あの、全然、お構いなく! ――じゃなくて、いいんですか!? いきなり、他人の私がお邪魔しちゃって……」
「ええ、気にしないで下さい。ライアさんは、これから空いているお部屋をご案内します。お二人とも、荷物を持ってこちらへ」
「おう!」
「ええと、じゃあ、遠慮なく……」
 フェリーナに案内されてライア達が奥へと消えてしまうと、老婆は、心底楽しそうに、子供のような無邪気な笑みを浮べた。
「ばあちゃん?」
「なぁかなか、面白い子達を連れてきたねぇ、フェリーナや」
 老婆は、目を細めつつ、ひとりごちた。
「へー……また占い?」
 この老婆は、これでもかつては、薬草の調合など本業の傍ら、占いの的中率の高さから、魔女として広く名を知らしめていたのだったが、引退後の今の姿しか知らないティスなどは、その話については半信半疑、といった所だった。
「さぁあて……どうだろうねぇ?」
 その答えからは、老婆がライア達を見て何か看破したのか、それとも老人の戯言なのか、ティスにはさっぱり判らなかった。
 翌日。
「よおっし、準備オッケー」
 リーティスは、いつもの旅装束に、しっかりと剣を携えていた。ただし、荷物は極力減らしてある。
「行って来まーす」
 そう行きがけに声を掛けたライアもまた、リーティスと似たような様相である。
「気をつけるんじゃよ」
「はい。行って参ります」
 最後に、大きめの籐の籠を腕に下げたフェリーナが続き、3人は、朝もまだ早いうちに町を出発した。
「――すみません、こんな事に付き合わせてしまって……」
 街道沿いに森を目指しながら、フェリーナが謝罪する。彼女が森の案内役だった。
「ううん、いいって! これから4日もお邪魔させてもらうのに、このくらい当然だって」
「ほんとだよな。それに、ちゃんと最終日まで働けば、それ相当の賃金は出してくれるって言うし」
 それを受け、フェリーナは昨日の事を思い出していた。
 普段なら、身内でもない人間を働かせるような事はあまりしない老婆が、二人に仕事を任せると言い出した時、不審に思っていたフェリーナは、後から老婆に尋ねたのだった。一体、どのような心変わりなのかと。すると、老婆は捉えどころ無い返答をした。
「なぁに……滅多にこき使える人間じゃないからねぇ。ちょいと、仕事をさせてみたくなっただけじゃ。じゃが、本人達が嫌がるようであれば、無理にとは言わんよ」
 首を傾げ、しかし、老婆の思わぬ洞察の鋭さや、ティスよりは占いや予見の事を信頼しているフェリーナは、それ以上何も問わなかった。万が一、ぼけの兆候でも見られれば大事だが、この調子なら心配要らない、と思ったのだった。
 しかし、やはり無理矢理仕事を押し付けてしまったのではないか、という不安がフェリーナにはあった。
「あ、あの――孫の私が言ってしまうのもあれなんですけど、報酬といっても、あのおばあさまが、どれだけし払うつもりがあるのかは、保証し兼ねます……。もっと確実に旅費を稼がれるのなら、今から町で別のお仕事を探して、そちらに移られても構いません。薬草摘みなら、私一人でも平気ですし――お仕事が見付かるまで、おばあさまには黙っておきますから」
「って、今日はいつもより奥まで行かないと採れない薬草の採取、頼まれてんだろ? それで俺達が、一応護衛を任されたんだし。そんな危険な場所に、女の子ひとりで行かせられっかよ?」
「ですが――」
「引き受けた仕事は仕事。どっちにしろ、私達、最後まで付き合うつもりでいるよ? 報酬は、まあ結果だし、期待はしないでおく――その程度に考えておけば、済む話でしょ?」
「それは、そうですが――本当に、構わないんですか?」
「勿論! まかせとけって」
「ありがとうございます」
 そう言うと、フェリーナはふわりと微笑んだ。
(うっわ〜。何て言うか、反則的だよね、この笑顔。私が男の子だったら、絶対に惚れちゃってるってば……)
 そこで、リーティスはふと、ライアの方を窺い見た。
(そういえば、ライアとかってどう思ってるんだろ? ……って、興味ないってほうがおかしっか。ま、いいけど)
 それから、1日目の薬草採取は難なく終え、ただで置いてもらっている客分の二人は、何かと診療所の手伝いに動き回り、その内に夜は更けていった。フェリーナだけは、途中で女友達の一団に捕まり、少しだけ診療所に戻るのが遅かった。というのも、森からの帰り、まだ町は祭りの最中で、たまたまフェリーナを見つけた友人達が、美少女コンテストの舞台へフェリーナを押し出し、結果的に彼女が2位に収まってしまったからであった。
「確かに、1位獲ったレナさんは大人だし、幅広い年齢層に人気があるけどっ!! フェリーナだって負けてなかったんだから!」
「そうよ! ぜぇぇったい! フェリーナのが可愛いわ!」
 コンテスト終了後、彼女達は口々に言いながらフェリーナを囲み、しばらくはフェリーナもその輪を抜けられそうにない様子だったので、場を読んで、先に診療所に戻ってる、とライアが目で合図を送った。友人達に囲まれながら、フェリーナはライアの目線に気付くと、困ったように笑って頷いた。
 そして、帰り際。
「はぁ……フェリーナって、可愛い上に、性格までいいなんて……そこら辺の子とは格が違うわ……」
「そーだな……」
 などと、先に帰った二人は呟きを洩らした。
 ところでその晩、女性陣は薬草摘みの間に意気投合したらしく、リーティスはそのまま同室を使わせて貰う事になった。フェリーナも昔、姉と一緒の部屋だったとかで、珍しくはしゃいだ様子を見せた。
 流石に修学旅行中の女子高生のような会話にはついていけないライアであったが、
(羨ましいよなー。あんな可愛い子とずっと一緒に……って、別にやましいコト考えてる訳じゃなくってっ! 別に部屋が一緒になれるからって女になりたいとは思わねぇし、だから違うって俺! ああもう!!)
 などと、ひとり激しく頭を振る姿は、完全に不審者であった。



 滞在3日目。この日も三人は、老婆の使いで、珍しい品種の薬草を探しに森の奥深くにやって来ていた。
 森の深くとは言っても、フェリーナのような普通の娘にも辿り着けるような比較的穏やかな場所で、日差しもそこそこに降り注いでいた。遭遇する魔物も、ここ2日で、小形のものが数体といったところだった。

「なぁ、これ違うか? この白い花」
「惜しいですけど、少し違います。この品種は良く似ていますから――でも、ほら、こっちのほうは、葉っぱの先端が三つに分かれているでしょう?」
「あ。ほんとだ……」

「今まで気付かなかったけど、道端の草にも、こんなに種類があったんだ……。薬草の知識くらい、少しはかじってるつもりだったんだけど……」
「でも、リーティスさんはこの2日で、これだけの種類が区別出来るようになったんですから、凄いです。私なんか、最初は覚えるのにもっと時間がかかりました」
「そ――そう? そー言ってもらえると光栄だけど」
「なぁ? こっちの木の芽って、食えるやつだったっけ?」
「あ〜の〜ねぇ!! 食い気ばっかじゃなくて、薬草のほうも少しは覚えたら!? さっきから、似たようなの間違えて、フェリーナの手ぇ煩わせてるでしょ!?」
「なんだよー。食えるか食えないかだって、大事なことだろー?」
「ふふ……あ、ごめんんさい、笑ったりして。でも、後少しです。頑張りましょう」

「そろそろ、日が傾いて来ましたね。戻りましょうか」
「っしゃ! 帰って飯だ! ……今日は大分勉強したぜ!」
「って、やぁっと判るようになったのが、毒キノコ含めてきのこ4種類と、食べられる苺、赤いのと黄色いのたった2種類だけじゃない。私なんか、似たような草ばっか10種類以上も覚えたんだからね?」
「ええと……そうですよ、興味は人それぞれですし、得手不得手はあります!リーティスさんが薬草の知識に詳しくなった分、ライアさんは木の実やきのこ類に詳しくなったと思えばいいじゃないですか」
「いいのいいの、ほっといて。おだてる必要皆無なんだから。……にしても、まだしばらく旅は続きそうっていうのに、頼りな……」
「……何か言ったか?」

 翌日は、雨だった。
「あーあ。これじゃ、外出できそうにねーな」
「何? そんなに薬草摘み、楽しみだったー? そりゃ、勉強には、なるけど……」
 そんな二人に本日与えられた仕事は、書庫の整理、及び居住空間を含む診療所の掃除であった。フェリーナは、本職、つまり今日は診療所の助手として朝から働いている。
 当初、リーティスに与えられた仕事は台所周りが中心だったのだが、剣術とは変わって惨い包丁捌きを見兼ねた老婆によって、そちらは免除、代わりに掃除をするよう命じられた。
(はぁ……そりゃあ、私だって、女性らしく料理のひとつも出来るようになりたいとは思ってはいるけどさ……)
 現実とは、酷なものである。目の前には、端が繋がったままの輪切りの根菜と、形、大きさが見事にばらばらの野菜達。微塵切りと乱切りと銀杏切りと千切りと、その他諸々がミックスされた状態だった。これでは、後ろで見ていた老婆が深々と息を吐くのも無理はない。リーティスが、これまで台所に立つ必要の無いお嬢様だったというのは、どうやら本当だったらしい。それに、ライアなどは知り得ぬことであったが、リーティスは、まだ7つの時分に、実母を亡くしていた。
一方、ライアの方はと言えば、当て付けではないかと思う程、堆く詰まれた分厚い本の山が並ぶ、薄暗い書庫に案内された。天井の隅には蜘蛛の巣が張り、床も少々、埃っぽい。
(てゆーかここ、本当に使ってんのかよ――?)
 ライアはそう疑いたくなったが、敢えて不平や不満は口に出さなかった。
「いいかい、ここにあるリストの通り、ちゃんと棚に並べて戻しておいておくれ。くれぐれも、間違えるんでないぞぇ……?」
「けほっ……分かりました。どうにか夜までに、ここを整理しとけばいいんですね?」
「ふぉふぉふぉ……せいぜい頑張っておやり。今夜は、あの子が腕を振るうと言っとったからの」
 うんざりしそうな本の量に、少し老婆を恨めしく思ったのは事実だったが、夕飯はフェリーナが作るというのには、期待に胸が躍った。診療所のほうが忙しい時には、調理を任されていたのはティスだった。
(俺だけ怠けてらんねぇし……よしっ!)
 気合を入れ直し、ライアは老婆の残した長いリストを手に、作業を開始した。



「お疲れ様です」
 そう言って、お盆に2人分の茶を載せたフェリーナがひょっこり書庫に現れたのは午後のことで、ライアは課されたノルマのほぼ半分を終わらせようという所だった。この分だと、作業に慣れた残り半分は、最初の半分より早く終わらせられるだろう。
「お。悪い。……そっちも大変なんだろ? 仕事」
「ええ。でも今は、休憩中ですから」
 そう言って微笑むと、フェリーナは、ここいいですか?と尋ねて、頷いたライアの隣にちょこんと腰を下ろした。
「そういや、ティスは? 学校とか言ってたか?」
「ええ。週に2度。今日は、その日なんです」
「――……でも、大変だよなぁ。いくら、町に診療所は1軒じゃないっつったって、ここじゃ、フェリーナが1人で働いてるみたいなもんだろ?」
 すると、青い髪を揺らして、フェリーナは首を横に振った。
「いいえ。私なんか、まだまだ半人前で。――そういえば、ライアさんはお仕事中は見た事が無いんでしたね。診療をしているのはフォレスおばあさまで、私は、そのお手伝いをしているだけなんです」
「はぁ!? ……いや、ごめん、その……ちょっとだけ、意外だった……」
 これまでライアが医療現場に立ち入る機会も必要も無かった為、そうした実態には今まで気づけなかった。ライアの見た限り、老婆は自分で動かずにフェリーナやティスを使っている印象が強く、医療に携わる者というよりも、怪しげな笑い声を立てながらこれまた怪しげな大鍋をかき混ぜている姿のほうが、余程にしっくり来るのだった。
「ああ、そろそろ行かないと」
 そう言って、フェリーナは空になった2つの茶碗を乗せた盆を手に、立ち上がった。助手とは言え、素人には難しい立派な仕事なのだから、彼女とて、そうそうゆっくりはしていられない。
「わざわざありがとな! ごちそう様。お茶、うまかった」
「それは何よりです」
 フェリーナが下がってしまうと、ライアは再びリストと睨み合いとなった。
(そーいや、リーティスはどうしてんだろ……?)
 向こうは向こうで、何かしら仕事を申し付けられているには違いない。
 ライアは片手に4、5冊、本を抱え、空いた手に持ったリストを確認しつつ、地道に本を元あるべき場所に戻していった。本のタイトルは様々で、医学に関する書物から、魔法学は古の禁呪の解析に至るものまで、そして時折訳の分からないものも少々、中に混じっていた。
(『楽しい黒魔術』……楽しいのか? 黒魔術って……『これであなたもベリーダンサー!』……一体、何を考えて……『屋上から安全に飛び下りる方法100撰』……なんだこれ……――っと)
 本に挟まっていた何かが滑り落ち、ひらひらと舞った。
 拾ってみると、それは白黒写真だった。今とほぼ変わらぬ外見の診療所の前で、後ろの大人達の列に、今よりも少し若い老婆が写っている。手前の列には、おすましした少女と、少女より少し小さな男の子と女の子。子供達はそれぞれ少しずつ違う顔立ちで、けれどもそれぞれ、どこかしら後ろに立つ大人達に似ていた。老婆を除く二人は、恐らくはフェリーナ達の両親。
「…………」
 ライアは複雑な表情で写真と睨み合い、それから何も言わずにそれを本の間に戻した。
 その晩、ライアがどうにか全ての本を戻し終えたそこへ、老婆が様子を見にやって来た。
「ほっほっ……どうやら、片付いたようじゃの。――にしても、よぉく読めたのぉ?普通のもんには、3分の2くらいが限界かと思ったんじゃが。けっけっけ……」
(しまったーっ!?)
 リスト内にあった本の題名は、識字率の高い城下では、一般人でも半分以上の者が読める普通の文字が半数以上であったが、中には高等な学術や公式の文書に用いられる言語や、あろう事か、スティルト文字まで混じっていた。スティルト文字とは、現在では使われず、今では古代魔法に関する書物でしか見られない特殊な文字で、一文字一文字が意味を持つ、表意文字であった。王族の直系の者には、格式と伝統によって、スティルト文字から名付けの際に1文字を与えられるが、例えばライアの『ディル』がそうである。
『あ、はは……その、文字の形とかで、何となく並べてみたんですけど――』
 などと誤魔化してみたところで、本の題名はともかく、リストには記載されていなかった数字を、巻数順に整列できた理由については、説明のつけようがない。
「ああ、実はうちの父さん、お城に上がって仕えていた学者なんです。だから、ガキの頃から俺、そういう変な文字も知ってて」
 ぬけぬけと言いつつ、咄嗟の事ながらに平然と言ってのけた自分に、ライアは自分でも少し驚いていた。傍から見ても、不自然な動き一つなかったように思える。
  実はこういったところで、母親似と言われるライアの、父の血を受け継ぐ一面が垣間見えるのだった。
「そうかぇ、そうかぇ。若いのに博学で関心じゃのう」
(ほっ――……)
 ライアが胸を撫で下ろすと、老婆は手にした杖を小さく振り上げながら言った。
「――ほれ、終わったなら早く来んかい。あの子達が首を長くして待っとるよ」
「あ、はいっ! すぐ行きます!!」
 それから、食卓で振舞われた文句なしのフェリーナの手料理に胃袋も満たされ、今日一日の仕事の疲れも吹き飛んでしまうようだった。
 その夜。フェリーナはひとり、両親の写真を手に、静かに深いため息を洩らしていた。リーティスは、疲れたのか先に寝てしまっている。青い瞳が彷徨うようにして、最終的に止まったその先には、棚の下に隠すように押し込まれていた、ひと抱えもある荷物。
(お父様……お母様……)
 打ち明けられない悩みを胸に、少女は、秋の夜長にまた一つ、ため息をこぼすのだった。



 草むしり3日目、もとい、薬草摘み3日目。昨日の雨も止み、泥濘までは乾かないものの、森に立ち入るには十分なほどに天候は安定していた。
「はーっ、これも今日で最後かぁ……こうしてみると、面倒だと思ってた仕事も、感慨深く思えて来るよね……」
「ふふ、そんな風に思ってたんですか? でも、リーティスさんは中々筋が良いですし、意外と楽しんでるように見えましたよ」
「えーっ、そう?」
 リーティスが思わず正直な感想を洩らしてしまう程、自分でも気付かずフェリーナには気を許していたらしい。元は気位の高いお嬢様であり、頭が回る分、警戒心も人一倍強いリーティスにしては、珍しい事ではあった。それを考えると、一応はリーティスに信用を置かれているライアの馬鹿正直さの度合いも、一目置くべきものなのかもしれない。
 ライア達は明日、町を発つ予定で、老婆から仕事を任されるのも恐らくこれが最後になとうという事で、老婆はここぞとばかりに、普段フェリーナ一人では行かせられない森の奥での薬草採取を、めいいっぱいに注文してきた。
「俺は別に、面倒なんて思わねーけど。なんかこういうのって、ピクニックみたいで楽しいじゃねぇか♪ フェリーナに教えてもらったお陰で、色々覚えたし、一石二鳥、ってな!」
「お気楽―」
「でも、私も一人で森へ来るより、お二人と一緒のほうがずっと楽しいです。……3日間、護衛を引き受けて下さって、本当にありがとうございました」
「あー……そう言われっと、照れるだろ。寧ろ、色々世話になってお礼言うのは、こっちのほうなんだからさ」
「あの……」
 言いかけて、ふとフェリーナは表情を曇らせた。
(もし、よかったら――私、ライアさん達と――……)
「何だ?」
「…………」
 フェリーナは、顔に浮かんだ憂いのようなものを振り払うように首を横に振り、何でもありません、と言っていつものように微笑んだ。
「さぁ、行きましょう。おばあさまに、こんなに色々頼まれちゃいましたから。お二人とも、最終日とはいえ、今日はばっちり働いてもらうので、覚悟して下さいね?」
 その言葉に、ライアは元気に答え、リーティスは苦笑した。



 探していた希少な薬草が1種類、中々見つけることが出来ずに手間取ったものの、夕刻までには、目的の薬草を全て籠に詰めることが出来た。
「あの、もう少しだけ待って下さい!」
 西の空が美しく夕日に染まる頃、そう言って引き止めたのは、門限は厳しく守る筈のフェリーナだった。
「? いいけど、どうしたんだ?」
 ライアの声を背に受けながら、フェリーナはその場にしゃがみこみ、一心に草むらの中で何かを探している様子だった。
 首を傾げつつ振り向いたライアは、いいよ、待ってあげよ、という顔をしたリーティスに頷き返し、黙って見守った。
(いいよな。ちょっと位、遅くなったって、問題なく町に着ければいいんだし)
 こういう時、剣を持つ者が一人でないというのは、ライアにとって心強かった。
 それから、数分が経過しただろうか。フェリーナが小さく、歓声のような声を上げた。そして立ち上がると、そこで待っていたライアとリーティスのほうへやって来る。
「お待たせしてしまって、すみません」
 そう言って二人の前で頭を下げたフェリーナの滑らかな白い手には、小さく愛らしい葉をつけた、うす緑の草が握られていた。
「あ、これ……」
 言いかけたリーティスに笑いかけながら、フェリーナは1つをリーティスに、もう1つをライアに差し出した。
「四つ葉は、古くから幸運の印と言われます。どうかこの先、あなた方の旅に、ご加護がありますように」
 思いがけない贈り物に、ライアは胸の奥がじんわりと暖かくなった。



 そして迎えた、滞在中最後の夜。思い詰めた様子のフェリーナに、不審に思ったリーティスが尋ねてみると、逡巡したフェリーナは、思い切って、こう切り出した。
「リーティスさん。私の両親の話、聞いて貰えますか?」
 一瞬きょとんとしたリーティスは、それからしっかりと頷いた。
「ありがとうございます」
 そう言って、フェリーナは両手を胸に押し当てひとつ深呼吸をすると、語り始めた。
 最後まで真剣に話を聞いていたリーティスは、迷いを打ち明けられ、それにこう応えた。
「それは――やっぱり、フェリーナ自身が決める事じゃないかな。でも、もし決めたっていうんなら、その時は私、反対しないよ!」
 その頃、ライアは珍しく寝付けずに、部屋の灯りを消したまま、板張りの壁に背を預けて物思いに耽っていた。
(母さん達、きっと心配してんだろーな……)
 城を出て、もう2週間が過ぎようとしている。そろそろ、ライアの不在も外に広まっているかもしれない。両親や、自分を慕う者達の心労を想うと心苦しいが、ライアにはライアなりの信念があって、このような行動に出た。そう簡単に後には引けない。
(だめだ……やっぱ俺、まだ帰れない――俺自身の答えが、まだ見つかってないんだ……。最終的には折れて、実行の手助けをしてくれた先生にも、こんなんじゃまだ、とても顔向けできねぇよ……)
 ライアは、たまたまフェリーナと二人きりになれたのを機に、何気なく、魔族との戦争について尋ねてみたことがある。心優しい彼女なら、この戦争をどう思うだろう。やはり争いを嫌うのか、それとも、人を傷つける魔族を憎むのか、そこが純粋に知りたかった。
 疑問を投げかけたライアに、フェリーナは意味ありげな視線を送った。臆する様子も無いその瞳に、ライアは一瞬どきりとさせられた。
「魔族は悪。普通は、そう教えられています。それに、エスト大陸ではそう多くはありませんが、親族やご友人を魔族によって亡くされた方々にとっては、魔族は全て、仇なんです」
(そう……だよな)
 所謂世間の一般論が飛び出したことに、ライアは、案外普通で、拍子抜けしたような、ほっとしたような、妙な気分だった。
 そして、フェリーナは秘めごとを打ち明けるように、声を落とした。
「……ですが、本当は、誰も戦いなんて望んでいないんじゃないかって――私は、そう思うんです。人間も、魔族も……一体誰が、この争いを望んだのでしょう――」
 そこでフェリーナは、少し間を置いた。どうやら、ライアの反応を伺っているらしい。仮に相手が魔族に怨恨を抱いていた場合、こういった思想を下手に主張しては危険だ。
 ライアが、大丈夫、という肯定の意を示して首を縦に振ると、フェリーナは微かに目もとを緩めて続けた。
「ただ――悲しい事ですが、一度、強い憎しみに駆られてしまった人々に、制止の声は届きません。そういった人達は、憎しみの対象を、個人から、魔族全てに広げてしまって、この地上から全ての魔族を打ち滅ぼすことだけが、平和を取り戻す唯一の方法だと、信じてしまっているのです。――平和に暮らしたいのは、みんな同じ筈なのに。……難しい、ですね」
「……だな」
 その時はそうして、お互い、苦笑し合った。
 大切な者を守るために、戦わなければいけない、と言っていたリーティス。誰も戦いを望んではいない、と言っていたフェリーナ。どちらも、それぞれに筋は通っている。
(どうすりゃいい……?どうすれば、この戦争を止められる――?)
 それには、自分はあまりにちっぽけだった。だがライアは同時に、時期国王という、人や物を大きく動かす可能性を持った立場にもある。とりわけ、迫るセーミズの王女との婚姻問題は、非参戦の立場を一貫しているスロウディアにとって、大きな転機にもなり得た。
 やがて、知らずまどろんでいたライアは、朝になってはっと目を覚ました。よく覚えていないが、あちこち逃げ回って、やたらと気疲れする夢を見ていた気がする。故郷の見知った人間が、夢に数人現れたのは、多分気のせいじゃない。
(……そうだ……今日はここを発つ日で――急がないと、待たせてるか?)
 夢見のせいか、寝過ごしてしまった気がしたのだが、実際はそうでもなく、ライアが身支度を整えて居間へ行くと、リーティスはまだ来ていなかった。
「おはようございます、ライアさん」
「おはよ! 何か手伝うか?」
「じゃあ、私は火を見ているんで、ライアさんは、お水を汲んできて貰えます?」
「りょーかい」
 朝からすっきりとした顔のフェリーナは、いつもと何一つ変わらず、だからライアは、彼女が胸に秘めた重大な決意など、この時は知る由も無かった。
 少し遅れて居間に出てきたリーティスと、学校に行く前のティス、そして老婆と、水汲みから戻って来たライアを含めてこの家の5人全員が顔を付き合わせた朝の食卓で、フェリーナがふと手を止め、真剣な眼差しでこう宣言した。
「おばあさま、大事なお話があります」
「ふぉっふぉっ……まあ、そう気張らんといて、ゆったりとお話し?」
「はい……」
 突然の姉の宣言に何事かと目を丸くしているティスに対し、老婆は少しも動じた気配も無く、落ち着き払って、フェリーナに先を話すよう促した。
「実は、私――その……」
 胸につかえた想いを言葉にしようとするフェリーナを、老婆は静かな瞳で見守った。
 老婆には、最初からこうなる事が分かっていた。占いによる予見は勿論、それ以前に、ひとり息子によく似た孫の事なら、手に取るように理解出来た。だから、フェリーナがその決断にどれだけ迷い、悩んだかを、知らぬ筈が無かった。年老いた老婆と弟を置いて行く選択は、彼女にとってどれだけ苦しいものだろう。しかし、老婆としては、そのことで彼女自身を縛り付けて欲しくはなかった。
「私……ノーゼ大陸に渡って、少しでも、父や母のように、傷付いた人達を救える人間になりたいんです――!!」
「ねーちゃん……」
 何やら込み入った雰囲気に、部外者の自分は退出するべきかと、ライアが周りの顔色を覗いつつ、そろりと腰を浮かせかけたところを、隣に据わっていたリーティスが、無言でライアの袖を引っ張りそこに引き止めた。
「フェリーナや……」
 老婆がゆっくりと立ち上がり、フェリーナに近づく。フェリーナはといえば、両膝の上で硬く拳を握り締め、お仕置きを受ける前の子供のように、俯いたまま身を堅くしていた。白くなるほど握り締めたフェリーナの手の上に、皺だらけのかさかさした手が重ねられた。
「いつか、言い出すと思っておったよ……」
 そこに咎めるような響きは無く、老婆の表情は、どこまでも穏やかだった。
「おばあさま……。っ、ごめんなさい。私は、本当は、ここにいなきゃいけないって、判って、いるのに……」
 フェリーナの青い目の端に水滴が溜まり、いよいよ居辛くなったライアは隣のリーティスを見遣ったが、一向に袖を離してくれる気配は無く、ライアの方など見向きもせずに、成り行きを見守っている。その真剣な表情に、出て行こうぜ、とも言い出せずに、ライアは内心狼狽しつつ小さくため息を吐いた。
「お前さんはの、父親にそっっくりじゃ。妙なところで、頑固さを発揮しとくれるんじゃからのぉ? 一度決めたら、てこでも動かんじゃろうて。……行くがええ、フェリーナ。この老婆なら、命の続く限り、ここで待っておろうよ。いつか、一人前に成長したお前さんが、この町に戻って来る日まで、の」
 嗚咽を洩らしながら、フェリーナは何度も頷いた。老婆の手が、優しくその背中をさする。
「診療所の事なら、心配すんなって!」
 明るく励ますように言ったティスは、それから照れくさそうに頬を掻いた。
「俺、さ……診療所継いで、一生この町から出らんないなんて、つまんない人生だなーって、男なのにそんな生き方ダサいって、ずっと思ってたんだ。だから、診療所のほうは、色々ねーちゃんに任せっきりで、正直手伝いん時も、あんま身も入ってなかった。……でもさぁ、よく考えてみっと、人の怪我や病気を治せるって、すげぇ事だよな? 親父の仕事も、実はかっこよかったのかも、って、ちょっとこのところ、思ったんだ。でさ! これからは、もうちょっと真面目に勉強して、診療所の後継ごうと思ってんだ。一人でも仕事できるくらいになって、そんで、ばーちゃんにも楽させて、留学してるミュラ姉なんかが戻って来た時には、きっと吃驚させてやるんだ!」
「けけけ……言いおったのぉ、ヒヨっこめが……」
 老婆がニヤリと笑い、フェリーナは、零れ落ちる涙を必死で拭いながら、笑顔で一つ、頷いた。
「ごめんなさい……それに、ありがとう。おばあさま、ティス。私のわがままを聞いてくれて――私、お父様やお母様、そしておばあさまに恥じない、立派な医者になって見せます!」
「……という訳じゃ。この娘をよろしく頼んだよ。ケッケッケ……」
「ええ!?」
 唐突な展開に、ライアは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ご無理は承知しております。ですが、ノーゼ大陸への定期船が出ているポルタまで、道のりが一緒になった所まででいいんです! 一緒に行かせては貰えないでしょうか? そこから先は、護衛を雇うなり、商隊にご一緒させて貰うなり、ちゃんと考えはありますから」
 真摯でひたむきな眼差しにつられて思わず首を縦に振りそうなったライアは、慌てて理性を呼び戻して、冷静になって答えた。
「……なぁ。今までさ、かっこ悪いから、黙ってたんだけど……俺達、ほんとはまともな旅人じゃない。それぞれ、理由があって、今は家に帰れないから、成り行きで旅をしているだけなんだ」
 フェリーナは、同様した様子も無く、青い瞳でじっとライアを見詰めている。その反応に戸惑いながら、ライアは続けた。
「俺達だって、いつ解散したって不思議はない。どちらかが自分の答えを見つけられるまで、っていう、とんでもなく不安定な旅なんだ。だから、一緒に来るっつっても、責任は取れない。それに、俺なんか――情けないけど、自分の身を守るのに精一杯な、未熟者の剣士だ。やっぱ、とてもじゃないけど、戦えない女の子を連れて、旅なんで出来ないよ」
 諦めてくれるよう突き放したつもりだったが、傷つけてしまったのではないかと、フェリーナの顔をまともに見るのが、ライアは少し、恐かった。
 そこへ、こう声が返された。
「自分の身くらいは、自分で守ります。足手まといにはならないよう、努力しますから」
 その声には、確かな堅い決意が込められていたが、とは言えライアも、はいそれなら、と軽々しく答える訳にはいかない。
「でも、俺たちは所詮素人だ。絶対、ちゃんとした人を雇って守ってもらったほうがいい」
「ちゃんとした人、ね……」
 そこで冷静な瞳をしたティスが、ぼそりと、含みのある呟きを洩らした。
「世の中、腕が立つ立たない以前に、信用できる人を見つけるのって、案外難しい事だと思うんだ。ばーちゃんだって、それを承知で、ねえちゃんを任せるって言ったんだと思う。だから、俺からはどうこう言わない。ねえちゃんも普段こんなだけど、案外しっかりしてっから、大丈夫だと思うな、俺。ってことで、ねえちゃんをよろしく」
「…………」
 自分以外の反対意見がゼロの中で、最終的に、ライアは同行者であるリーティスに意見を求めた。
「いんじゃない? 仲間は多いほうが楽いって、ね!」
 リーティスは既に昨夜、本人から相談を持ちかけられて、全て了承済みであることを、ライアは知らない。
 もう一度、よくよく本人とその家族達に意志を確認して、やがてライアは、諦めたように言った。
「わかったよ……」
「よし決まりっ! じゃあ、これからよろしく!! フェリーナ」
「ええ、よろしくお願いします」
 そうして、家族了承のもと旅の仲間に加わったフェリーナの晴れ晴れとした表情に、最後まで渋ったライアも、まあいいか、と思ってしまうのだった。
 しかしながら現実はそうそう上手く行くものではない、と承知しているライアは、浮き足立つ心を鎮めて、心構えを新たにした。
(可愛い女の子と旅出来んのは、そりゃ色々と期待も大だけど……大丈夫か? ホント…………――俺、もっとしっかりしなきゃな)


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