「いよいよ、明日か……緊張するな」
「ふーん、ライアでも緊張するんだ?」
「んだよっ!?」
「あのー……二人とも、本当に大丈夫?」
「だいじょーぶだって!」
「まかせといて!」
「ぅうん――信用してない訳じゃないけど、後でちゃんと、剣とか見せてね? 念のため、携帯品の最後チェックは全員でするから。装備の手入れなんかは、普段から自分でしてるとは思うけど、少しでも不備があると、洒落にならないよ、今回は」
 最終チェックの時間を打ち合わせると、砦に出かけるアルドは、じゃ、解散、と言った。
「あの……っ!」
 ばらけようとした各人を、フェリーナが呼び止めた。
 真摯な青い瞳で、思い切ったように、彼女は言う。
「みなさん、何が食べたいですか?」
 3人が怪訝な顔をした。
「明日の、お弁当です」
 真剣に尋ねたフェリーナに、3人は、はたと動きを止めた。そして、一瞬の後、
「ぷっ……、ははっ」
 誰からともなく、笑い出した。
「こーゆー時ってさ、ふつう、『帰ってきたら何食べたい?』って訊くんじゃないか?」
 フェリーナは、のほほんと首を傾げた。
「そうですか? でも、それは、帰ってきてから訊けばいいことです。だって、みんなで、無事に帰ってくるんですから」
「そだな……うん、そーだった!」
「それなら、私はサンドイッチがいいかな――」
「何言ってんだよ! 遠征なら握り飯が定番だろー!?」
「あー、はい、そこ。元気があるのは良いけれど、戦う前から喧嘩しない」
「心配しなくても、両方作りますよ。任せて下さい。アルドも、好きな物言って下さいね。気合い入れて作ちゃいますから!」

 嵐に身を投じる彼らの命運を知る者は、ない。
 全てはその日、決着がつく。



STAGE 18 never beaten! 〜勝負の行方〜



「ここまで来たからには、やるっきゃねぇよな……!」
 二股に分かれたルーテ川の支流を渡ると、そこにまばらな森林地帯が広がっていた。林はもう、目の前だ。
 本当に彼らが待ち構えているとは思えない程、冬晴れの林は穏やかだった。
 フェリーナお手製の弁当で腹も満たされ、体調も万全に整えてきたライアは、林に足を踏み出す段になっても、不思議と落ち着いていられた。
(この先に、あいつらがいるんだよな。けど、負ける気がしねぇ――!)
「行こう」
 そう言って、アルドが全員に目で合図を送りながら、先陣を切った。ライアとリーティスが、それぞれ左右を警戒しながらアルドに続き、その後ろをフェリーナが歩く。彼女は、いつぞやの友から受け取ったナイフをスカートの下に装備していたが、願わくば、それを使わずに済むよう祈っていた。お医者さん=癒す人、という先入観から、ライアはすっかり失念していたが、戦いのプロであるアルドに教わるまでもなく、医者の彼女は人体の急所を心得ていた。不意をつければ、彼女にも、一撃で相手を仕留められる可能性がある。しかし、できることなら、それで人を傷つけたくなかったし、使わなくてはならない危険な状況に陥ること自体、仲間の足を引っ張ることだと、フェリーナはよく弁えていた。

 しばらく行くと、林の影で何かが動いた。咄嗟に、アルドが臨戦態勢を取る。
(…………!!)
 その後ろで同じく剣を抜いていたリーティスの顔色が変わる。
 ライアが、現れた相手の方を見ながら、小声でリーティスに囁いた。
「大丈夫。やれんだろ」
 不意を衝かれたようにライアを見たリーティスは、それからしっかりと頷いて、前に出た。
「ここは私が!」
 やはり女の子一人を置いていくことに騎士として抵抗があるのだろうが、それを振り切るように、アルドは声を投げて駆け出す。
「――気をつけて!」
「勝って来いよ!」
「後で会いましょう!」
 仲間の背を見送りながら、リーティスは長身の若者と向かい合った。
「やっぱり、来てしまったのか……」
 その声には、静かな失望が籠められていた。
 剣を握り直しながら、リーティスは強気に若者を睨んだ。
「お生憎様! 私、往生際が悪いの。それに――二度は負けてあげないから!」
 若者がため息をつき、それから、武道家の瞳に変わるのが、リーティスにも判った。
(来る……!)
 息を飲んで、リーティスは相手を見据えた。



「あいつが居たってことは、間違いなさそうだな……?」
 早足で移動しながら、アルドに尋ねる。アルドは前を見ながら頷き返し、冷静に注意を促した。
「とにかく、油断はできない」
 と、その時、後ろでフェリーナが小さく悲鳴を上げた。
 狙いはライアだ。
「っと!?」
 斜め上から飛来した氷のつぶてを避けて、『あんにゃろ……』とライアは自分を狙った相手を睨んだ。岩の陰から姿を見せたのは、人を見下すような瞳をした、小柄な少年。まだこちらと若干距離をとっているのは、三対一に持ち込まれるのを避けるためだろう。
「弱いのに、よぉっく、そうやってのこのこ現れるよね?」
 呆れ顔で言った銀髪の少年を前に、ライアが言う。
「次は、俺だな……」
「無茶は、しないでね」
「気をつけて下さい」
「ああ」
 フェリーナには、アルドがついているから大丈夫だ。そう言い聞かせて、ライアは目下の敵手を睨んだ。
 二人が去るのを横目で確認して、少年は呟いた。
「あーあ。あのクソ騎士が居ればまぁだ、オレの首、取れたかもしんないのにね――?」
 内心ムカついたが、ライアは平静に努めた。
 少年の表情に、恍惚とした狂気の色が浮かぶ。
「ははっ……これで、テメエを好きなよーに潰せる……」
(言ってろよ……!?)
 ライアは、斜め上から降りかかる氷の軌道を睨んで、剣を横薙ぎに抜き放った。



(あの二人がいたということは、ヤツも、この近くに……!)
 追い続けた仇の気配に、逸る気持を抑えながらアルドは言った。
「フェリーナ。もし、『彼女』が現れずに、僕が奴との決闘に入ったなら、今通ってきたのとは別の道で、全力でここを離れるんだ。道は、判ってるね」
 昨夜の最終打合わせで、各自、周辺の地形は頭に叩き込んである。
「……はい」
 真剣な顔でフェリーナは答えた。ライアやリーティスの勝負も気がかりだったが、戦士でない彼女は、一人でも安全な場所まで逃げ延びて、仲間の帰りを待つことを約束して、この場にいる。仲間を信じて待つ強さと覚悟が、今の彼女にはあった。
 だが、そこにいた女性が、フェリーナの戦線離脱の可能性を消去した。
「来たわね……」
 銀髪の美女は、厳しい表情のアルドに微笑みかけた。
「どうかしら? 『あの人』との勝負をつける前に、私を倒してみる? ……私は、それでも構わないけれど」
「…………」
 二人掛かりで来るかとそそのかす言葉に、アルドは答えなかった。
 彼女が本物の『銀髪の魔女』ならば、アルドにとっては、倒すべき相手の一人だ。しかし、ここへ赴いた真の目的からは外れてしまう。
「アルド。行って下さい。ここは、私がやります」
「あぁら、勇ましいこと。でも、いいわ。戦う事への覚悟ってものも、『前よりは』有るみたいだしね……?」
「フェリーナ、気をつけてくれ」
「はい。アルドも、ご武運を」
 腕を真っ直ぐに伸ばし、地面に平行にした杖をフェリーナに向けながら、美女は言った。
「伊達男の騎士さん、心配しなくていいわ。そちらの可愛いお嬢さんなら、貴方があの人に倒される頃には、すぐに後を追わせてあげる」
「いいえ」
 フェリーナが、毅然と返した。
「貴女は、私が止めます……!!」
 銀髪をかき揚げて、さながら獲物を狙う豹のような目つきになった女は、目を細めた。
「面白いじゃない……」



 後ろ姿でも、すぐに彼だと判った。

 アルドが、立ち止まる。
 背を向けたまま、黒い短髪の男は言った。
「名くらいは、名乗っておこうか」
 彼が、振り返る。こげ茶色の涼しい瞳が、アルドを見た。
「ビゼス。我ら魔族の障害を消し去る者」
 小風に揺れる水面のごとく静かな気配の相手に対し、正面決戦を決めたアルドは、気迫を込めた表情で、思い切って口上を述べた。
「……アルディス。アルディス=レンハルト! エスト大陸正騎士の名において、今日こそ貴様を倒す!!」
 ここに、剣で自らの道を示す剣士達のたたかいが始まろうとしている。



「くっ……!」
 針状の氷による連続攻撃で、相手は間合いに近づかせない。斜め上空から足元を狙う氷をバックステップで避けてばかりでは、間が開くばかりだ。
(どうにか、タイミングを――)
 わずかに魔法と魔法の間が空くのを見切ったその瞬間、ライアは極端に姿勢を低くして、強く前に踏み込んだ。
 頭髪の後ろぎりぎりを氷がかすめた気配は、決して上手くやったと手放しで喜べたものではない。
「ちぃっ!!」
 自分とライアを結ぶ直線方向に軌道を切り換えて集中攻撃を浴びせる少年に、ライアは、回り込むようにして間合いを詰めていく。
(もう少し……!)
 至近距離で少年が放った氷がライアを捉えた。しかし、ここまで来て後退する気はなかった。
「はッ!!」
 氷の塊を剣で打ち払い、次の一挙動で決めにかかった。
 少年の顔に、初めて焦りが浮かぶ。
「……っ!!」
「終わりだっ!」
 迷いが無かったかと問われれば、肯定できない。
 心のどこかで、嫌だと思ってはいた。それでも、ここで倒さなくては、少年はこの先も無差別な虐殺を繰り返す。だから、ライアは想いを殺して剣を振り切った。
 ……
 おかしい。
 迷う心が、わずかばかり手元を狂わせたのだとしても、この感触は。
「ッ……」
「な……!?」
 詠唱なしで、少年は自らを包む球状のバリアを発生させていた。
 バチィッ!!
「!!」
 本能的に危機を感じ取ったライアは、傷一つ付かなかった球体の表面から剣を引いた。
 その瞬間、球体の表面を稲妻が走り、少年を守っていた球全体がスパークした。
 閃光に目を焼かれたライアの視界が回復すると、再び後退した少年が、天に手を振りかざすところだった。
「なっ……」
 転がるように右に避けたライアのすぐ脇を、雷撃が打つ。
 ライアは、目を疑った。
(どうなってんだ……!? アイツ氷使いじゃ……!?)
 通常の人間ならば、一生涯、持ち得る護属性はひとつ限りだ。
「ナニ驚いてんの?」
 ニヤニヤしながら、下目使いに少年が言った。
「お前……何なんだっ!?」
「何ってさァ……こーれだから、凡人てほんっと頭クズだよね。前に一撃食らっといて、二つ属性が使えるって、思わなかった? 一般じょーしきなんかで計られちゃ、困んだよね。なんたってオレ、天才だしぃ?」
(マジかよ……っ)
 攻撃手段は氷のみと踏んでいたからこそ、思い切った行動が取れていた。だが、今のように雷を使われては、緊急回避に想定していた炎による相殺が、通じない。
「くそっ!!」
 大きく勝算を削がれたが、まだ、勝つ方法ならあるはずだ。ライアは、再び離されてしまった相手からの追撃をかわしながら、必死で考えを巡らせた。
(…………。危険な賭けだけど、やるしか……っ!)
 度重なる勝負の中断により、3度目の今日こそは、ライアを完璧な形で潰すという感情が、少年の中で絶対のものになっているに違いない。そうなると、前々回で、ライアに雷が効きにくいと気づいているであろう少年は、何を手段に用いるか。
(俺を動けなくした上で、氷の刃か、物理的な近接手段による攻撃――だろうな)
 前回アルドを倒し損ねた腹いせも含めれば、ただでライアを殺すとも思えない。痛めつける間に反撃されないよう、まず、こちらの動きを封じにかかるのは確実だ。
(……あの裏に!)
 視界の端で身を隠せそうな岩を探し当てライアは、踵を翻した。
 背丈よりも高い岩の後ろにぴたりと背をくっつけてしまうと、向こうからは、狙おうにも通常の氷の軌道では狙えなくなった。
「ふーん? そうやって、虫けらみたくみじめに這いつくばって逃げだせば、見逃すとでも思ったぁ? ハッ。馬ッ鹿じゃね。考え幼稚すぎて、マジ死ねば!?」
「っ!」
 ライアの至近距離で、上から雷撃が降って来た。だがそれはとどまらず、雷は更に膨張して四方を焼いた。
「ぐっぁあああっ!!」
 四肢から力が抜け、ライアはうつぶせに倒れ込んだ。岩の向こうから、少年が草を踏む音が、一歩一歩近づく。
「よぉっくさぁ、能無しのクズのくせに、ここまで生きてたよね?」
 感情の無い紫の瞳が、意識はあっても痺れが解けないライアを見下ろした。
(弱いのに生きてるヤツがムカツク。戦って勝つ能力のあるヤツ以外、生きてるイミなんてねぇのに)
 少年の手が、おもむろに腰の短剣に伸びる。動けない獲物に、銀色に光る短剣が降り上げられる。
(まず手足。それから顔。みじめに泣き叫んで許しを請いて、のたうち回りながら無力さを知ればいい――)
 憎悪と共に落ちて来た短剣は、地に刺さり、少年が目を剥いた。
「!!」
 短剣をかわしたライアは、転がった勢いで少年と位置を入れ替えながら立ち上がり、咄嗟に身を引く少年へ、手加減なしの拳を見舞った。
 体重の軽い少年は、軽く吹っ飛ばされて後ろの岩に背面を強打し、そのままがくりと頭を垂れて動かなくなった。
「はぁ、はぁっ……」
 まだ、若干体は痺れる。相手の嗜虐心と、自分の魔法抵抗の強さにたのんだ賭けだったが、どうやら成功だ。
 拳がずきずき痛むほど本気で殴ったとは言え、それだけで致命傷とはいかないだろう。しかし、岩に打ち付けた加減によっては、即死かも判らない。
 ライアは、確認しないでその場に背を向けた。事切れているにしろ、とどめを刺す必要に迫られるにしろ、確かめれば気分が悪くなるのは必至だった。
 どの道、無事では済んでいないはずのあの体で、一人でその場は動けない。それなら、充分だと思った。



「……ひとつ、教えて下さい。貴方が、銀髪の魔女なんですか? 10年前、集落を一つをまるごと氷漬けに変えたという、冷酷な、氷の女王――」
 こんな事を訊いている自分が、酷く哀しかった。訊いて、どうなると言うのだろう。
 ただ、彼女が人間かもしれないというリーティスの証言と、人間の歳で考えた10年前の彼女とが、違和感として残り続けていたのは確かだった。
「そうね。そんな事もあったわ」
 怒りもせず、笑いもせず、彼女は答えた。
「だけど、殺されない為にはそうするしかなかった。……これで、満足かしら? それじゃ――始めるわよ!!」
 銀髪の美女の放つ魔法は、恐ろしく精度が高かった。素質が高く、5、6年魔法の鍛錬を積んだ者は、具象化前の魔力も感じ取れるようになるが、美女の魔法の構成は、息を飲む程に美しかった。ライアやリーティスのような一般人が使う魔法の構成は、もっと大雑把で雑じり気がある。それらを画用紙に色とりどりのクレヨンで描かれた絵と例えるなら、美女の魔法構成は、絵画などには留まらず、触れる事すら憚られる大自然の芸術に匹敵した。一方で、フェリーナの素質も、銀髪の美女が見抜いた通り、平凡ならざるものだった。美女の魔法構成が真冬の凍れる滝ならば、フェリーナの構成は、芽吹きの季節を迎えた草原のように土の下の生命力を感じさせるものだ。
「私が、止める――……止めてみせます!!」
「面白いじゃない!!」
 フェリーナの魔法は、水のスクリーンで美女の前方を覆うように展開した。
(ふん、目隠し――……甘いわね)
 少し、目を閉じて集中した美女は、
「そこね!」
 視界が開けたか開けないかというタイミングで、魔力を感じた一角に氷を撃ち込んだ。
(あら……避けた。やっぱり、視えなかったせいで少し調整が甘かったかしら)
「で・も――そうじゃなくっちゃね……!」
 彼女は、心底この状況を楽しんでいた。魔族の一兵士として戦場に立つ以上、納得の行く戦いばかりとは限らない。邪魔が入らず望む相手と全力で勝負できる機会は、二度とあるか判らなかった。
 そこに、怯えて立ち尽くした少女の面影はない。戦える事に誇りを持った、魔族の戦士の顔だ。

 あの日、潜入捜査に送り込まれた先で受けた衝撃。
 集落の人間は、身寄りのない幼子を装う彼女に、優しかった。
 ところが、任務完了の期日間近に、素性が知れてしまうと、彼らは豹変した。

 その子供は魔族ですって! 助けて!

 早く! 早く、誰かやっつけておくれよ!!

 あれは魔女だ! おれたちを騙してたんだ! 殺せ!!

 魔族を殺せ!! 生かしておくな!!

 泣き叫ぶ子供や娘達、喚き立てる母親、鍬や鎌、猟銃を持って少女を取り囲んだ大人達。
 同じく潜入していたはずの仲間は離れていたため見当たらず、凄まじい恐怖の中で、少女は魔法を暴走させた。その日、ノーゼ大陸から一つの集落の名が消えた。
 養母の家で目を覚ました彼女は、潜入先に同行していた仲間が彼女を連れ帰ったこと、魔力を使い果たして3日も生死の境を彷徨ったことを、弟達の口から聞かされた。

 以降、彼女が魔法を暴走させた事は、一度もない。かつては名の知れた魔族の魔女であった老齢の義母は、優れた戦士として魔法の才を発揮する娘の成長を、心から喜んだ。
 自分が人間で、魔族に滅ぼされた村の生き残りであろうと、関係ない。利用する価値があるから拾われたのだって、少なくとも、道具として扱われた記憶はない。魔族の中で支えられて育った彼女には、返すべき恩があった。それに、何より、ずっと昔に決めていた。弟たちを守るのは、自分だと。
 生まれ故郷を壊滅させた魔族の軍に拾われた時、上の弟は3つ、下の弟はまだ2つだった。

(そうよ――私には、勝つための意思と、理由がある。それが、貴女との決定的な違いね……。悪いけれど、勝負は決まっていたのよ。……残念だけれど……せめて、貴女のその力と成長に報いて、全力で倒してあげるわ!!)
 天に向かって突き出す氷の柱が、次々とフェリーナを襲う。
 フェリーナの方も、それを何とかかわしながら水の竜で美女を狙うが、かする気配もなく、攻撃魔法の才能を開花させてふた月と経たない彼女は、徐々に圧されていた。
 時間と共に、戦歴の違いが表面化した形だ。このままだと、フェリーナに勝機はない。

 そんな中、フェリーナは、戦っている自分を、どこか遠くから見ていた。



(大丈夫――落ち着いて)
 すー、はー、と息をして、リーティスは冷静に記憶を辿り始めた。
 相手の動きに合わせて応戦する中で幾度か危ない場面はあったが、まだ、決定打は受けていない。

『なんだよ〜! 知ってたんなら、最初からアルドに聞いときゃ……って、そっか。あん時まだ、アルドは居なかったんだよな』
『それで、"気"の話だよね。少ないけれど、騎士団には何人か使い手がいたよ。使えない僕が言うのも変かもしれないけど――感覚的に言って、性質は光魔法と近いものなんじゃないかって思う。あくまで、感覚だけどね。光魔法を習得している僕には、何となくそう思えるんだ』

 手刀が、うなりをあげて空(くう)を薙ぐ。地を踏み鳴らす震脚の一歩一歩が相手を圧倒し、その踏み込みの強さが、拳に確かな力を与えていた。

『リーティスと戦ったそいつも、"気"を使ってたんじゃねぇかって思うんだけど。どだ?』
『話を聞く限り、そうじゃないかな。魔力を――てのは、僕の勝手な解釈だけどね、実際は魔力じゃないかもしれない『何か』、"気"の流れを体内で変化させることによって、自分の体を強化するんだ。……と言っても、鋼を切断するほどの強度にまでってのは、なかなか聞かないね。相当の鍛錬と、集中力が必要なはずだ』
『……つまり、魔力の外向きな具現が魔法で、内向きな作用が"気"と呼ばれてるかもしれないって事ですね?』
『うん。騎士団で見てきた経験的に、僕はそう考えてる』

 少し距離が取れたところを風魔法でかく乱を狙っても、若者の体芯はわずかも揺らがない。
 若者に勝負を急ぐ意思さえあったなら、自分は疾うに負けていると、リーティスはぞっとしながら考えた。

『それで、肝心の対策はどうなんだよ? 体中、鉄より硬いなんつったら、剣でも倒せっこねーだろ??』
『……いや。待ってね。最後まで話すから。僕が、"気"と魔力が同質だって思う由縁でもあるんだけど――"気"ってのは、強度と範囲、二つの成分があると考えればいい。二成分の掛け合わせがその人のキャパ、限界って事になる。例えばだけど、その人の限界が6だったとする。1っていう小さい範囲なら、最高6まで強化ができる。だけど、範囲を伸ばして3倍の部分を強化したいって思うと、』
『強度の限界は、2になるって事か!』
『その通り。だからね、はっきり言って、全身を鋼のように、なんてのは、まず無理なんだ。うちの騎士団でも、専ら、防御、あるいは攻撃の瞬間に合わせて、局所的に、それも一時的に用いるのが、普通だったからね』
『ああ、なんだ。成分二つっつったけど、時間も含めて三成分ってことだな。長く使えばそんだけ消耗すんだろ』
『ん。そういう事だね』
『ちょっとライア、そんなこと言い出すなんて、熱でもあるんじゃない……?』
『何だよその気味悪げな顔ッ!! リーティス、俺の事バカだと思ってんだろ!?』
『違うの?』
『〜〜っっ!!』

 繰り出された神速の突きが、リーティスの耳のすぐ横を通過する。
 拳のスピードは脅威だが、更に威力の高い足技のリーチも非常に厄介だった。
 まともに反撃の機会を与えられないリーティスがまだ酷い傷を負っていないのは、奇跡に近い。

『……で、二人とも落ち着いたかい……話を戻そう。人の体を鋼をの強度にまで上げようと思えば、対象に触れるまさにその瞬間を狙って、本当に狭い一部分だけを"気"で強化しなきゃならない。そのためには、尋常じゃない集中力も必要だ。だからね、魔法なんかで全身をまんべんなく同時に狙うだとか、集中力を乱すだとかいう戦法は、多分に有効だと思うよ。それ以外は、相手が"気"を使うであろう、ここぞという一撃を、わずかにタイミングをずらしてやる、なんてのも有効だろうね』

 先程からリーティスがぎりぎりのところで攻撃を回避し続けているのには、相手の踏み込む速度を読んで、"気"を上手く使わせないようにしているのもある。それは、リーティスの動体視力と身体能力の高さを窺わせたが、体格、体重、体力、筋力、どれをとっても若者に及ぶ要素など無く、彼女の不利は依然としていた。
 そしてリーティス自身、このままだと体力で押し切られるのを薄々感じていた。
 次にわずかでも疲労で動きが鈍った瞬間に、若者は確実にとどめを刺してくる。それは、考えただけでも、精神の弱い者は立ち竦んでしまうところだ。
(……って、そう簡単に負ける訳にはいかないの!!)
 ガードから続く動作で、リーティスの剣がしなやかに攻撃に転じた。
 ……が、それは若者の服をかすめただけだった。
(速い――)
 易々と攻撃を捌いてしまう様は、若者が如何に加減しているかを物語っているようでもあった。



「……ふっ!!」
 渾身の気合と共に発動した魔法は、フェリーナの周囲全てを囲い込み、氷の檻に閉じ込めた。
(どうやら――私の勝ちね?)
 敬意を示す全力の魔法に消耗を感じながらも、美女の唇は、にやりと笑みの形を描いた。
「さよなら、可愛らしいお嬢さん――」
 無慈悲な宣告と共に、美女は、最後の魔力を使って、囚われの娘を刺し貫いた。
(くっ……さすがに、今のは消費したわね……)
 長身の彼女は、背丈ほどもある杖に寄り掛かりながら、肩で息をした。
 然るべき勝利には満足感を覚えながらも、フェリーナがまだ才能を伸ばす余地があった事に関して、どこか寂寥を感じさせる瞳をした。
「――でもね、これが、現実ってものなのよ……、!?」
 木陰から現れた、一人の乙女。
「なんですって……!?」
(この私が――まさか、水幻影(イリュージョン)ごときに!?)
 離れた場所から、乙女は疲労を隠してはっきりと声を通した。
「これが、貴女の驕りの結果です」
「待ちなさっ……く!」
 背を向けるフェリーナに言いかけた美女は、その場に膝をついた。フェリーナの見せた幻影を相手に使用した魔力は、さしも彼女でも大きかった。

 戦闘開始直後にアルカディアのレナ直伝の水幻影を使ったフェリーナには、その時点でもうほどんど魔力は残っていなかった。むしろ、美女に見せた幻影の方にこそ、フェリーナの魔力の大半が宿っていた。だからこそ、美女は、フェリーナの魔力がそっくり移った幻影を、本物のフェリーナと錯覚してしまった。魔法の扱いに長けて魔力を感じ取れる事が、逆に仇となった結果だ。
 戦闘中は息を殺して木陰に身を潜めていたフェリーナだったが、これが、魔力の読めない者との戦いであれば、逆に気取られていた可能性もある。

 駆けだしたフェリーナの行く手には、霧が立ち込め始めていた。



 若者が、一旦距離を取った。まだ、体力切れという事はない。ならば、なぜ。
 リーティスは、相手の意図を必死で読もうとした。
 答えを見つけるのに、時間はかからなかった。
(……そう――そう、だよね。これが、最後のチャンス――!)
 若者は、勝つ方法ならいくらでもあったにも関わらず、リーティス相手に手段を限定した戦いをしていた。
 相手を負傷させ、弱らす事は戦いの定石だが、あえてそれを避け、おそらく、決める時は一撃で決めようと、彼は考えている。
 若者が一度引いたのは、次が最後だという宣告であり、同時に、剣士としての意地を見せてから散れ、という、武人としての最後の情けだった。
(速さじゃ、適わない。リーチも、体格差を考えると全然有利じゃない……。なら、何? 私に出来る事――)
 リーティスの瞳が据わった。
(……来るか)
 若者は、構えを解かずにリーティスの出方を待った。
 卑怯な手段は使わず、リーティスの最後の一撃を、全力をもって迎え撃つ。それが、武道家としてのせめてもの手向けだと、彼は考えた。

 リーティスが地を蹴る。
 多くの戦場を経験した若者の目に、一人の少女の本気が、脅威に映る事はない。決してぬるくない動きでも、若者にはその一つ一つが読めた。
 リーティスの軌跡は、若者の脚部を狙っていた。
(これはフェイント。脚を斬ると見せかけて――次は?)
 筋力の差から、速さで劣るこの少女が、自分に真っ向勝負を仕掛けたところで勝ち目はない。
 若者は、剣の動きが変わる瞬間を待った。その瞬間、勝敗は決する。
「っ!?」
 若者の顔に、突如戸惑いが浮かぶ。
(何を取っても勝てないなら――こうするしかないでしょ!?)
 リーティスは、若者の脚を狙って、そのまま躊躇なく剣を振りきった。最初の動きは必ずフェイントで来ると信じて疑わなかった若者は、僅かに反応が遅れ、咄嗟に脚を引いたものの、とどめの攻撃に使おうとしていた"気"を防御に回すのが追いつかずに、腿にざっくり斜めの一文字を引かれた。
「っ……」
 薄緑の瞳がリーティスを睨んだ。間合いにとどまれば殺されると理解していたリーティスは、斬りつけの動作から間を置かずに、軽やかに身を離した。
 青眼に構えたリーティスと、腿から血を流す若者は、5メートル程の距離で睨み合った。

 3秒待って、相手が仕掛けて来ないのを見て、リーティスは戦闘離脱を決意した。
 いつの間にか、辺りには薄く霧が立ち込めている。
 若者がその場から動かないところを見ると、深く傷を付けることに成功したらしいが、体から放たれる闘気には凄まじいものがあり、自分から間合いに入ったが最後、手負いの獣の本気を見せつけられる気がしてならなかったのだ。
 その正しい判断は、リーティスの命を救った。

 霧の中に消えて行く少女を見据えて、若者が何を思ったか。それは、彼自身しか知り得ない。



「ライア!」
「!! 無事だったのか」
 合流地点では、先にライアが待っていた。
 まあね、と空元気で余裕を見せつけてから、リーティスは顔を曇らせた。
「――フェリーナは?」
「いや……まだ」
 ライアが首を振った。
「…………」
「…………」
 無事に戻って来たら、この場所で待つ。それは、同行するにあたり、アルドと交わした約束だ。
「……ライア?」
「――行こうぜ」
 リーティスは目をぱちくりさせた。しかし、確かめたライアの目は真剣だった。
「…………でも」
「この霧だ。フェリーナだって、道に迷ってるかもしれない。少し戻って、こっちから呼んでやった方が、確実だろ?」
「そうかもしれないけど……」
 はぁ、と諦めたようにため息をついたリーティスは、肩を竦めて尋ねた。
「怒られる時は、連帯責任?」

「フェリーナーっ! お〜いっ!」
 幸い、霧はそんなに酷くない。こうして呼びながら来た道を辿れば、どこかで会える可能性は高かった。
「そんなに……遠くまでは行ってないはずでしょ?」
 リーティスが白い息を吐きながら尋ねると、ライアは顎を引きながら頷いた。
「途中までアルドが一緒だったはずだから、そんなに大変な事にはなってねーと思う。すぐ会えるだろ」
 それは、どこか自分に言い聞かせるようで、リーティスは、ライアの横顔に若干の焦りを見た気がした。
 不意に、リーティスが怪訝な顔をした。ライアが何か呟いたのかと思ったが、彼の唇は動いていない。
「……え?」
「リーティス?」
「ね、今何か聞こえなかった? 人の、声みたいな――」
「! どっちだ」
「あっち。多分」
 二人は、目で示し合い、迷わずそちらに駆け出した。



(ここは……)
 霧が一時的に濃くなった時期に、無理をして移動したのがいけなかったのだろうか。
 あるいは、森林歩きには慣れているという驕りがあったかもしれない。ここは、フェリーナが慣れ親しんだ故郷の森とは、植生も勝手も違っていた。
「っ……!?」
 その時、自然の音ではない何かが聞こえて、反射的に足が止まった。
(人の、声……?)
 鼓動が速くなる。アルドかもしれない。
 逃げなければ、という理性と、確かめたいと強く願う気持ちが、彼女を躊躇わせた。
 彼女の耳に、今度ははっきりと、人の声が届いた。
「誰だっ?」



 もう長い間、彼らはそうして睨み合っている。
 双方、剣を抜いたまま仕掛けようとしない理由は、一つだ。
 ――攻撃の機を窺っている。
 じりじりと場を変えては、無言のまま対峙する、その繰り返しだった。一、二度、剣を交える場面はあったものの、どちらも相手を傷つける事が出来ずに、再び後退した。

 一瞬でも気を抜けば、次の瞬間に死が訪れる。その中で、彼らは集中力を切らせる事なく、今なお対峙している。

 霧が出て来た。それでも相変わらず、戦況は傾かずに均衡を保っていた。
 事態が動いたのは、次の瞬間。
 黒の疾風が左を警戒するのと同時、アルドが右に声を発した。
「誰だっ?」
 その声に、意図せずその場に迷い出てしまった娘は、息を飲んで硬直した。
 黒の疾風は、アルドに攻撃の機会を与えない程度に牽制しながら、霧の向こうの気配を確かめようとした。
「――――……」
 彼は、霧の向こうの存在が、アルド以上の脅威になりえない事を悟ったらしい。
 風向きが変わり、霧が薄くなった事で、震えながら立っていた娘の姿が露わになる。
「……っ」
 顔色を変えたアルドが、彼女を背に庇うように移動する。
「フェリーナ、なぜここに……」
 その時、別の方角から、二つの影が浮かび上がった
 ろくにそちらを見ないで、今度は黒の疾風が咎めた。
「何をやっている」
 どちらも負傷しているらしく、支え合うようにしてその場に現れた長身の若者と背の低い少年は、黒の疾風に返す事ができなかった。
 ライアが去り、意識が戻った少年は、動ける程度に治癒魔法で自らの傷を癒し、移動の途中で兄を見つけた。脚をやられた兄に、残り少ない魔力で止血だけ施して、支え合ってようやくここまで来た。
 銀髪の兄弟に続き、今度は銀髪の女が姿を現した。
「……!! 姉さん――?」
「ちょっと、手こずっちゃってね……」
 苦しそうに言いながらも、目だけは死んでいない。それが彼女だった。
 フェリーナとの戦いでほとんど魔力を使い切り、精神力の弱い者ならば、気絶しているかもしれないところだ。
 霧が晴れる中、危険を顧みずに飛び込んで来た者が二人。
「アルド!!」
「フェリーナ、大丈夫!?」
「ライア! リーティス!」
 アルドが、驚きながらも、駆けつけた彼らの名を呼んだ。
 それを見た黒の疾風は、完全に呆れ切った様子で短く息を吐いた。
「下がってろ。貴様らには、素人の相手すら務まらんらしいからな――」
「兄さん!?」
「そんな、貴方まさか」
「負け犬は黙れ」
 姉弟を一瞬で沈黙させた彼は、地獄から舞い戻った悪鬼の如き冷酷さと気迫で述べた。
「下がれ。それとも巻き込まれて死にたいか……!?」
 そう言うと彼はすっと前に出た。
「ライア! リーティス! 君たちはフェリーナを連れ…」
 言い終わるより先に、黒の疾風の体から危険な気配が発せられ、アルドは言葉を止めた。
「――残念だ。貴様とは、剣で勝負を付けたかったんだがな……こちらがこの体たらくでは、仕方あるまい?」

 バリッ!!

 すぐ脇を抜けた雷に、ライアは戦慄した。
『 危険 ≒ 死 』
 理屈ではなく本能が、そう叫ぶ。
 その雷は、具象化した完璧な魔法ではない。雷の元となった魔力の一部がそのまま残留しているが故に、『魔族』のそれと反発し合う魔力を持つ『人間』は、一撃で死に至る程のダメージを受ける。
 雷を撃った当人を見たライアは、雷に打たれたような衝撃を受けた。
「嘘……だろ……!?」
 一瞬にして干上がった喉から絞り出された声は、かすれている。

 目の前にいたのは、黒の疾風だ。
 しかし、
「……ァアアぁッ!!」
 叫びながら一瞬にして間を詰めて剣を振り下ろした動きは、人間のそれではない。常軌を逸した速さは、野生の獣に近い。
 咄嗟に前に出ながら剣を受け流したアルドは、先程までとは違う手応えを感じていた。
(重い……!!)
 一撃一撃の精度自体は粗雑になっているものの、スピードが尋常ではない。通常、ヒトの体は、壊れてしまわないように使える筋力が制限されているが、そのリミッターが外れたとでも言わなくては、説明のしようがなかった。
「このっ!」
 リーティスが風の刃で援護に回っても、アルドと戦いながら、難無くかわしてしまう。
 ゥウゥゥ……と低い唸りを洩らしながら低い姿勢でアルドを睨み上げるその瞳は、金色をしていた。そこで、ライアの中で記憶の糸が繋がった。
「あいつ――シュネギアの湖で見た化け物――!!」
 『勝てる訳が無い。』逃げ出したい衝動に、自分を叱咤して、ライアは何とかしてその場に踏みとどまった。
 まず、蛇に睨まれたように動けなくなっているフェリーナを、逃がさなくてはならない。
 しかしライアが動こうとしたその時、たまたまアルドから離れた瞬間に、黒の疾風は標的を変えた。
「っ、リーティス!」
 考えるより先に、ライアは走り出していた。
「ッ!?」
 背後からのライアの突きを、黒の疾風は左手の剣であっさり受け流し、右手の剣では、ほぼ同時だったはずのリーティスの斬撃を弾いていた。金の瞳に中てられた瞬間、ライアは、心臓が止まるかと思った。
 ライアを助けたのは、アルドの剣だ。
「させない! お前の相手は……僕だ!!」
「……ッ、ウあアァッ!!」
 手近な者に、見境なく飛びかって猛攻を浴びせる。今の黒の疾風は、縦横無尽に破壊の限りを尽くす、凶暴な獣も同じだった。今の状態では、およそヒトとしての理性を失い、一切の言葉は通用しないようだ。
 アルドの援護に回るリーティスが、必死で叫ぶ。
「フェリーナ!! 早く逃げてっ」
「くっ……そぉっ!」
 リーティスと連携して剣を振るいながら、ライアは悪態を吐く。
 誰か一人が彼女を連れられるならよかったが、先程の同時攻撃を避けられた事で、それが出来ないことはよく解った。
 今の実力では、ライアかリーティス、どちらかが欠ければ、残った方が殺される。アルドがどうにか一人で応戦できると言っても、相手の異常な身体能力を考えると、不意にフェリーナの方へ注意を向けさせないためには、ライア達も、二人一組で絶え間なく攻撃を与え続けなければならなかった。
「アルド――頼むっ!!」
『……あいつを倒してくれ』
 想いは、言わなくても伝わった。手段も、解ってはいた。
 だが、アルドの心には迷いがある。
(僕が詠唱を唱える間、君たちは――……!)
 魔族である黒の疾風を倒すには、アルドの光魔法を用いるのが最も確実だ。しかし、アルドが魔法を完成させるその間(かん)、応戦が疎かになるのは至極当然の事だった。
 少しでも、戦闘中に頭を悩ませた原因だったのか。
 僅かだが隙のできたアルドに、黒の疾風の刃が襲いかかった。
「アルドーーー!!」
 幼馴染の少年の声が、今は酷く遠くに聞こえた。
 次の瞬間、彼の視界を水流が覆い尽くした。
「!!」
(これは……!)
 アルドには、すぐにその正体が解った。
 水の竜の追尾を撒くのに一旦下がった黒の疾風に立ち向かうアルドの心は、その時決まっていた。
(僕が――やらなきゃ……!!)
 大剣を手に駆け出しながら、冒頭の詠唱を紡ぐ。
「 裁きの力 我が手に… 正しき心 標となれ… 」
 最後の魔力を使い果たしたフェリーナは、ゆっくりとその場所で倒れた。
 アルドの詠唱に気づいた剣士二人が、目配せし合う。
「リーティス!」
「うん!!」
 ――もう退かない。
 恐かった。逃げたかった。震え出しそうだった。
 それでも、ここを繋げなければ、生き残れない。
「 我示すは光の軌道! 我撥ね付けるは闇の誘惑―― 」
 やはり、アルドの剣に対する集中力は落ちている。それでも、目の前の怪物を相手に剣を振るっているのだから、その技量は尋常ではなかった。
 アルドが一対一で完璧には敵を抑えられなくなった分、必然的にあとの二人との接触は増す。
 しかし、二人がかりで、どんなに絶妙の攻撃を仕掛けようと、向こうからは、まるで子供の扱いだ。
 その上、ライアよりは体力の無いリーティスは、動きが落ち始めている。
 その時、黒の疾風の周囲に何かが巻き起こった。
「フゥ……ッ」
 咆哮と共に、魔力のうねりは雷へと変化(へんげ)する。
 気配を察した二人がすぐさま左右へ散る中、アルドの詠唱は続く。
「 其は純然たるつるぎ 邪に非ず 聖に非ず… 」
 次の瞬間、雷は、疲労に脚を取られたリーティスを襲った。

 短い悲鳴の直後、ひとりの少女が地面に伏していた。


 余りに突然で、涙も出なかった。

 もう二度と、笑い合えない――?
 これが、別れ……!?

 訳が解らない。違う、解っている。解らないのは、実感が伴わない理由の方だ。
 数秒間、思考が停止していたかと思ったのに、まだ数瞬も経っていなくて、凍りついたのは自分ではなく時の方だったような錯覚に陥った。
「うわぁあーっ!」
「ガァアッ」
 全身の筋力をバネに放ったライアの渾身の一撃は、金の瞳の化け者の一太刀に相殺された。続けざまのもう一太刀を、アルドの横からの牽制に乗じて、ライアは紙一重でかわす。
 アルドは、仲間を討ち取られた苦痛にも耐え、冷静に言葉を紡ぎ続けた。
「 我が心を映し 絶えなく移ろう内なる力よ―― 」
(すまない……守れなかった――だけど、君の犠牲は絶対に――無駄にさせない……っ!!)
 アルドの気合の高まりから、ライアにも、光魔法の完成が近いことが知れた。
 金の瞳は、魔法の発動を控えて大きく後ろに跳躍したアルドを捉えていた。

 ライアには、読めた。
 次に出そうとしている攻撃が、人間に死を呼ぶ雷である事を。

 不思議と穏やかな心境で、ライアは思った。
(――なら、こうするしかないだろ……?)
 怯える気持ちと裏腹に、体はすんなりとそれを受け入れて動いた。

 ライアが立ったのは、詠唱中のアルドを庇う位置。
 人間が喰らえば一撃で命を落としかねない、黒の疾風操るいかずち。しかし、ライアは、戦いを通して、人より魔法が効きにくい事を承知していた。
(……恐い。けど……ッ、俺なら、きっと一撃なら耐えられる……!!)
「来いよ……ッ!!」
 静かに目を閉じ、自分が身代わりにはなれなかった少女に心の中で謝って、ライアは、親友に全てを託し、目を開けて敵を直視した。
 雷が眼前に迫っても、決して、ライアはそこを動かなかった。

「 我が意思に依りて 立ちはだかりしものを滅せ――!」
 詠唱の最後の一節を聞きながら、雷に打たれたライアの意識は深く沈んだ。


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