なぜあの時、一瞬でも躊躇ったのだろう。

 手を伸ばせなかった自分は馬鹿だと罵って。

 後悔して、だけど、現実は変わらない。

 変えられないから、今が在る。



STAGE 16 foe? 〜交錯〜



 ライアは一人で野外にいた。空には、満天の星が輝いている。

 少し離れたところで、仲間が野営をしていた。しかし、帰る気にはならない。
 ライアは、ひとり岩陰に隠れるようにして、うずくまっていた。かれこれ20分以上は、そこでそうしている。
 キャンプの設営だけに参加して、早々にライアが輪から抜けた頃に始めた調理も、そろそろいい匂いをさせている。しかし一向に、ライアが戻る気配はない。
 普段は馬鹿正直だけが取り柄でも、一度子供のように拗ねてしまうと、意固地になってなかなか謝れない性質を知っている幼馴染は、食事の仕度が済んだので、一応、声をかけてみた。
「ライアー?」
 返事はない。
(駄目か……)
 こうなると、ほとぼりが冷めるのを待つしかない。そう思ってアルドが諦めかけたところに、近くで不機嫌にだんまりを決め込んでいたもう一つの影が立ち上がって、岩の裏にいるライアの方へ、すたすたと近づいていった。
 危ういものを感じながらも、アルドはその場から見守った。こればかりは、当人達に解決してもらうより他にない。

「一体どーゆーつもり?」
(うっせぇ……ほっとけよ!?)
 岩を背にうずくまっていたライアは、膝を抱え込む腕に力が篭った。
「どーゆーつもりだったかって、訊いてるの!!」
 アルドは、ちらりと横目でフェリーナを窺った。
 フェリーナは、何事もないかのようにシチューを取り分けている。肝が据わっているのか、全面的な信頼がそこにあるのか、どちらにしろ、この状況でこれは大物である。
「……っ……」
 仲間からは死角の岩陰で、ライアは額を押さえた。すると、岩の向こうで止まった足音が、こちらに回り込んで来ようとする気配があり、ライアは反射的に叫んだ。
「死んで欲しくなかったんだよ!!」
 足音が、ぴたりと止まった。
 そこには、驚いた顔で固まって、きょとんと目をしばたくリーティスがいた。

 アルカディアから転送される瞬間、遅れて目覚めたリーティスを引き込んだのは、フェリーナだった。彼女は、転送の陣から身を乗り出すようにして、間一髪、リーティスの手を取った。
 その瞬間、彼らの体は光に包まれてアルカディアから消えた。
 気がつくと、夕暮れ時のヴィータ渓谷、魔族達を相手取って戦ったあの場所に、『4人は』立っていた。
 そこから、目を覚まして間もないリーティスが説明を求め、ライアが不機嫌になり……という流れで、今がある。

 本音が出てしまった以上、これはもう、洗い浚い、吐くしかなかった。
「こっちにいれば、またいつ、魔族とかち合うかも判んねぇんだ。だから――」
 リーティスが言った。
「それで、あの時迷った、なんて言うの?」
 理由になっていない、とリーティスの表情は語っている。
 リーティスは、顔を背けながら言った。
「……くっだらない。こっちに戻った方が危険だなんて、そんなの、みんな承知の上じゃない。なのに、何? 私は来ちゃ駄目だって言うの? だいたい、それが原因で死ぬだなんて、突飛もいいところ……! 本当は、他に理由があるんでしょ? 私が側にいてまずいなら、はっきり言えばいいじ――」
「ねぇよっ!! 他の理由なんて……」
 遠くからキャンプの火が照らす薄闇の中で、赤い瞳と緑の瞳が睨み合った。どちらも、一歩も譲らない。
(だいたい何よっ!? 地上に戻ったら死ぬかもなんて言って、ちゃっかりフェリーナは連れてきちゃってるじゃない!? あの時迷ったのは、ぜぇったい、私が何かの理由で邪魔になったんでしょ!?)
(〜〜〜、なんで信じねぇんだよ、このわからず屋っ!! あと一秒だってあれば、俺だってちゃんと手ぇつかめてたっての!!)
 先に言葉を発したのはライアだった。なぜか急に、トーンダウンしている。
「……俺もフェリーナも、決着をつける気でこっち来たんだ……」
「……!」
 その決着という言葉が何を指すのか、リーティスは悟ったらしい。ライアが火のところに居るアルド達に届かない声で言った事も、推測の材料になった。
 リーティスは、何も言わずに続きを待った。
「俺はもう、覚悟決めたんだ。それがどんなに危険かは、解ってるつもりだ。だから、当然、もしもって事も、何度も考えた。それが、あん時に限って、頭ん中過って……」
 ライアは、自嘲気味に息を吐いた。
「最悪だよな、俺。あと一秒あれば、そんな迷いは振り払えた、なんて、今更言い訳したところで、手ぇ伸ばせなかったのは事実なんだし――」
 フェリーナは、ライアと同じ思いを抱いていたにも関らず、あの瞬間に迷わず陣から身を乗り出して、真っ直ぐにリーティスを受け止めた。フェリーナの強さと優しさが、リーティスの命運を決めた。
「……ほんとーに、それだけ?」
 怪しむように、リーティスが首を傾げながら覗きこんだ。
「だから、嘘言ってねぇって!」
「ふーん」
 腕組みしながら、ふんぞり返ってリーティスは言った。
「じゃ、許す」
 高飛車な態度とさっぱりとしたもの言いのギャップに、ライアは言おうとした言葉を言えずに躊躇した。
「そ・の・代・わ・り、今度置いて行こうものなら、末代まで呪ってやるんだから!!」
 ライアには、その裏に込められた意味が、何となしに解った。つまりは、リーティスもその戦いに参加する意志があるということ。
 自分もフェリーナも危険を承知で意思決定をしてきた以上、今更、危険があってもやる気なのかなどと問うのはくどい。
「〜〜っ、わぁーったよ!!」
 頭を乱暴にかいて、岩陰に座っていたライアは、ふて腐れた表情のままリーティスを見上げた。
 星明りに照らされて、リーティスは、よろしい、という顔をした。
 そこに、フェリーナののほほんとした声が響いた。
「ライアも、リーティスも、早くしないと、先に食べちゃいますよー?」
「えっ? 待って! 今行くっ!」
「あっ!! おい、置いてくなっ」
 踵を返したリーティスを追って、立ち上がったライアも駆け出した。
 何を話していたのかはよく聞こえなかったが、火のところに戻って来づらくなるだとろうと予想していたライアをあっさり呼び戻してしまったフェリーナを、やはり大物だとアルドは思った。



 久しぶりに戻ったシュネルギアは、やけに慌しい。
 通りに出ている騎士の数は、以前よりも少ない気がする。それにも関らず、各々が早足で行ったり来たりしているせいで、人数の減少をあまり感じさせなかった。
 ライア達は適当な人間を捕まえて事情を聞こうとしたが、アルドがそれを制して言った。
「まず、砦に報告に行こう。僕達がこれだけ不在にしていた理由を説明しないと」
 事情は、そこで聞くことができるだろう。その方が、情報も正確だろうし、動き回る騎士達を邪魔することもない。アルドの意見に、ライアは頷いた。

 アルドが報告している間、他の3名は専ら黙って聞いていた。アルドが一番に、ここで報告すべきことと、そうでないことをきちんと把握しているに違いないと思ったからだ。
 案の定、アルドに任せておいたお陰で、報告は解り易く簡潔にまとめられた。
 報告を受けた壮年の騎士は、一同の顔を見渡して言った。
「そうか、君たちも大変だったね」
 黒の疾風を討ち損じた責任を人一倍感じているアルドは、深刻な表情のまま視線を落としていたが、彼の言葉は、決して嫌味ではなかった。黒の疾風の足取りを追って、そのまま帰らなかったアルド達を、皆、死んだものと思っていたので、その生還を喜んでいるのだ。
 そのまま帰らなければ栄誉の戦死と言われただろうが、生き恥を晒してでも同胞が戻って来た事を喜ばない騎士は、このシュネルギアには居ない。
 にっこりと笑ってライア達を見ていた壮年の騎士は、微笑みの度合いを落としながら言った。
「戻って早々すまないが、私達の方も、今、君たちに構っていられる余裕はほとんどないのだよ。あとは、適当に暇のある者を見つけて事情を聞いておくれ。アルディスからの報告は、きちんと伝えておく」
 そう言うと、壮年の騎士は立ち上がった。アルドが礼を言い、それに倣って、ライア達も頭を下げ、騎士の退出を見送った。
「さて、どうやって暇そうな人を捜す?」
 それまでの堅苦しい言葉遣いをやめたアルドが、苦笑しながら、ライア達を振り返って尋ねた。

 見張り台に、見習い兵らしい少年を発見して、ライア達は状況を尋ねた。
「えっ? はい、そうですねぇ……。現在、かなりの数の騎士が、ここを出て、黒の疾風その他の魔族捜索と討伐の任に当たっています。状況がこんなじゃなきゃ、僕なんかが見張り台に立たされる事なんて、無かったんでしょうけど」
 少年の話によると、アルド達が姿を消して10日近くが過ぎた頃、つまり、今から3週間程前に、辺境で姿を見せたきり、黒の疾風は現れていないと言う。黒の疾風以外にも、爆炎使いのギガル、静寂と鮮血の狩人クシャーなど、辺境に潜む脅威は多数存在した。
 シュネルギアでは、一人でも多くの味方が生き残ることを重要視するので、捜索に出ている一部隊の構成人数は、必ず規定以上を守っている。その為に、機動性にやや劣り、現在のように砦からかなりの人数が裂かれてしまうという問題も生じていた。
(あまりいい状況とは言えないね――。これで、すぐに目標を討ち取れるなら問題ない。だけど、相手方が姿を晦まして、捜索が長引くと厄介だ……)
 エスト大陸の正騎士とはいえ、ここノーゼでは新参者であるアルドは、本来、シュネルギアの方針に口を挟める立場にない。しかし、日頃の誠実な行いと冷静さで着実に信頼を得ているアルドは、助言という形で進言する程度なら許されるように思う。例え部外者的な立場にあるとしても、アルドは、シュネルギアの置かれた正確な位置というものを、常に把握しておくよう心掛けていた。
「あっ! ごめんなさい。僕、そろそろ下の人と見張りを交代して、炊事をしないと」
 そう言って、見習いの少年は、槍を壁に立てかけると、石造りの螺旋階段を下りて行った。
 ひとまず状況を飲み込めたライア達は、人のまばらな砦を出た。

「うわ、息白ーい!」
 初めて訪れた頃には紅葉の季節だったシュネルギアも、もうすっかり冬だ。木枯しが、石造りの建物が並んだ路地の落ち葉を連れ去って行く。
 心なしかはしゃいだ様子のリーティスに、ライアは、上着の襟を寄せながら言った。
「よく、寒いのに元気でいられるな?」
「何よ。スロウディアの冬って、寒くならないの?」
「そりゃ、冬は寒いけど……。でも、こんなには冷えないぜ?」
 フェリーナが言った。
「ライアのいた城下町の方は、特に海が近いですからね。私の故郷はもっと陸寄りですけど、城下よりは南ですから、やっぱり、冬の始めでここまでは冷えません」
 そこに、アルドが言った。
「スロウディアとセーミズの国境に、山脈があるだろう? 冬に、北西から吹く冷たい風は、あの山脈で遮られるんだ」
「そーだよ。だからセーミズじゃ雪は普通かもしんないけど、俺んとこじゃ、雪かきしなきゃなんないのは、冬の一番寒い時期一週間くらいのもんなんだって」
 ふーん、とリーティスは納得して、ライア達を急かした。
「じゃ、早く宿屋行こ!」

(何だよ、やっぱリーティスだって寒かったんじゃないか――)
 宿に着いて早々、上着を置いて暖炉の火にあたりに行ったリーティスを見て、ライアは思った。
「やっぱり、お部屋が暖かいと、ほっとしますよね」
 フェリーナの一言に、ライアはリーティスへの愚痴を引っ込めて、相槌を打った。
 部屋を取って落ち着いたところで、4人は団らんしていた。今いるのは、ライアとアルドが泊まる部屋だ。
「不思議ですよね。私達、黒の疾風や、その仲間と戦って、あの谷に落ちて、それでまた、ここに戻ってきているなんて」
 アルドも、感慨深く言った。
「そうだね――僕も、時々、まだ夢でも見てるんじゃないか、って、思うときがあるよ」
 そんな2人を前に、ライアが控えめに発言した。
「俺は……色々ありすぎて、不思議とか考えてる余裕もなかったけど。でも、よく考えりゃ、凄いことだよな。やっぱ、リーティスのお陰なんだよな、これって」
「ええ。あそこでリーティスが魔法を使ってくれなかったら、私達が全員、こうして無事に戻って来ることはありませんでした」
 フェリーナをはじめとして仲間に改めて謝礼を述べられると、リーティスは焦ったように言った。
「そ、そんな、いいって。やめてよ。あの魔法だって、ほんとは、その……知らなかったんだし」
 ライア達が怪訝そうな顔をすると、リーティスは言った。
「だから、あれは私が知ってた魔法じゃなくて……あの瞬間になって、急に頭の中に詠唱が浮かんできて、私はただ、必死でそれを唱えただけ。多分、あの魔法は――」
「アーサーか!」
 ぴんと来てライアが叫んだ。フェリーナとアルドが心得顔になり、3人の視線を受けたリーティスが頷いて、複雑な顔つきで言った。
「何が『面白い魔法』なのか、全っ然わかんないけど。でも、その魔法で助けられたんだから、文句は言えない感じ……」
 フェリーナが、くすりと笑った。
「アーサーさんらしいですね。気まぐれで、でも、結局助けてくれたなんて」
「むぅ〜……」
 一時は極度の魔力の消耗で危篤にまで陥り、それから1ヶ月以上も眠り続けたリーティスにしてみれば、いい迷惑だろう。それでも、彼らは自分たちの強運とリーティスの魔法に、感謝せずにはいられなかった。



 それから2日間は、街で待機となった。最も、ライア達も何もしないで安穏と過ごしていたのではない。アルドは毎日、街の中心にある砦に通って、最新の情報を入手しつつ、客員騎士として人手不足の砦を手伝っていたし、フェリーナは、魔族との戦闘に入った時に、まさに備蓄が必要となる薬の調合の人手として、大いに歓迎された。
 ライアとリーティスは、得にこれといって仕事はなかったが、アルドから、砦にいる自分の代わりに、街の様子を注意深く見ていて欲しい、と言われている。そして、何か気づいたことがあれば、例えば、騎士以外の市民の不安といったものでも、気にかかれば報告することになっている。こんな時期だからこそ、騎士達は自分たちの仕事に追われ、それ以外のところで生じる問題を見落としがちだ、とアルドは考えていた。
 そういう訳で、二人は今日も偵察だ。
 騎士達が相変わらず忙しく動き回っている中で、自分たちだけ気楽に散歩でもしているようで気が引けるが、騎士ではない自分たちが首を突っ込んだところで、大した役にも立たないだろう。アルドの言う通り、偵察だって、大事な仕事の一つだ。
 その日は、まず、荷台が壊れて、修理を頼むにも人手がなくて困っている果物売りのおばさんを助け、それから、平時は遊んでくれた騎士達が構ってくれないからと、危険が潜む街の外へ飛び出してしまった子供達を安全な街の中に連れ戻した。
 この位のことなら、ライア達の力で解決できたし、アルドに逐一報告する必要もない。
 正午になって、ライア達は一旦宿に戻って昼食を取ったあと、出かけついでに食材の調達を頼まれながら、再び街に繰り出した。
「ちょいとそこの兄さん達!」
 あまりきちんとした身なりとは言えない露天商の男に呼び止められて、ライア達は足を止めた。
「なぁ、兄さんがた、見たところ騎士じゃないだろう? だったら、手も空いてるよなぁ?」
 二人は、顔を見合わせた。
「へっへっ……実はさぁ、ミリオン、って魔物の皮を切らしちまったんだが、監視が厳しくって、ちょっくら街の外に出るってのすら、一介の市民にゃ許しちゃくれねぇ。だからさ、なぁ……兄さん方、旅の剣士なら、うまーく誤魔化して、魔物の2、3体、狩ってきてくれんかね? こちとら、貴重な資材を切らしちまって、商売上がったりなんだよ」
 二人は目配せし合って頷き、丁重に断った。アルドから、必要のない限り街の外には出るなと忠告されており、二人ともそれを守っていた。
 返事を聞いた露天商ががっくり肩を落とすのを見て、一応騎士達と取り合ってはみるが、期待はしないでくれ、と言って、二人はその場を去った。
 街道を行きながら、ライアは隣を歩くリーティスに洩らした。
「遊びに出た子供達が監視の目を抜けられるのに、大人が抜けられない、なんて、あれ、前科者で目でもつけられてんじゃないか?」
「ぜったいそう」
 商魂逞しいのは結構な事だが、面倒事を起こされては厄介だ。ライア達は一応、砦に寄ってその旨を伝えた。

「ねぇ」
 通りで、何かに目を留めたリーティスが、ライアの袖を引っ張った。
 何だよ、と言って立ち止まったライアに、リーティスは、一件の家の窓を指した。
「あれ」
 家の中で、椅子に腰掛けた女の人が、しくしくと泣いていた。
 ライアは、見てしまったのが気まずくなって、行こうぜ、と促した。しかし、リーティスは動かなかった。
「だめ。町全体で人が足りてないこの時期なんだから。もしかしたら、困ってるかもしれないじゃない」
「何が原因かもわかんないのに、それっておせっかいって言わないか?」
「聞いてみないと解らないでしょ? すみませーん!」
 ライアが止める暇もなく、リーティスは戸口に立って声を張った。
「あの……どなたですか?」
 中から、女性のか細い声が帰って来た。
「私達、騎士のお使いで、街を見回っている者です。何か、お手伝いできることはありませんか?」
(やめとけよ……)
 リーティスの後ろに立ってライアがそう思っていたところ、意外にも、戸が開かれた。
 そこには、泣きはらした赤い目の女性が立っていた。

 その若い夫人は、まだ子供とも呼べる年頃のライアとリーティスを見て、一瞬だけ失望の色を露呈したが、すぐにそれを引っ込めると、二人を中に招き入れた。
「ひどい熱……」
 リーティスは、ベッドでぐったりしていた幼児の額に触れて呟いた。
「騎士の方たちは、高熱など、薬を飲ませて安静にしておけば問題ない、とおっしゃられるのです――ですがもう、二日もこんな状態で……! このままでは坊やが……ああ、わたくしは、一体、どうすればいいのでしょう?」
 我が子の身を案じ、嘆き悲しむ夫人を前に、リーティスがライアを振り返った。ライアが小さく頷く。やはり、同じ事を考えていたようだ。
「すみません、少しの間、待っていて下さい。俺たちが、お子さんを看てくれそうな人を、すぐに連れてきます」
 夫人は、騎士達が取り合ってくれなかった経験からか、すっかり人をあてにする事を諦めてしまったらしい。酷く悲しそうな虚ろな瞳で、彼女は頷いた。
 10分もしないで、ライア達は再びその家の戸を叩いた。
「お邪魔致します。私でお役に立てると良いのですが」
 ライア達が呼んできたのは、彼らとそう歳の変わらない、一人の可憐な少女だった。

 その夜、一度は宿に戻っていたアルドが緊急で呼び出しを受けて、砦に出向いた。
「なんだろーな?」
「さあ」
 リーティスの返答はそっけない。考えても仕方がないし、騎士のアルドだけ呼ばれたということは、自分達は蚊帳の外なのだという見解に基づく言葉なのだろうが、そんな言い方は無いだろ、と、ライアは心中で文句を唱えた。
 会話が途切れて話題も乏しいままに、時間が過ぎた。部屋に戻っていても構わないのだが、リーティスの方も戻る気配が無く、ライアはそのまま、食堂を兼ねた一階のテーブルに座って二人の帰りを待った。
 フェリーナがいないので、お茶のおかわりが欲しければ、自分で淹れ直すしかない。恨めしげに空になったコップの底を見詰め、ため息をついてライアが腰を上げた時、戸が空いて、冷たい空気が食堂に吹き込んだ。
「ただいま」
 先に戻ったのはアルドだった。
「フェリーナは? まだ、戻っていないのかい?」
 少し心配そうに、アルドが尋ねた。
 幼い少年の症状は、ただの風邪ではなかったらしく、フェリーナは付きっきりで看病している。
「やっぱ、様子見に行った方がいいかもしんないな?」
 時刻を考えて、アルドは言った。
「そうだね。もう少しして、帰って来ないようなら迎えに行こう。ところで――」
 それまで会話も続かず手持ち無沙汰だったリーティスも、顔を上げた。
「僕は、明日の夜明けに、ここを発つことになった。事情はこれから話すけど、人手があると助かるんだ。もし可能なら、二人にも協力して欲しい」
 アルドの方から協力を要請してくるのは珍しい。こうした一端からも、シュネルギアの人員不足が窺えた。
「それで二人とも、乗馬は得意かい?」
 アルドは、二人の目を順に見ながら尋ねた。それは、単に馬に乗れるかというだけでなく、多少荒っぽい日程で遠出する覚悟があるかと尋ねているようだった。
「……俺は、別に問題ないけど」
 ライアの視線を受けて、リーティスが噛み付いた。
「馬鹿にしてる? 乗馬くらいできるに決まってるでしょ!」
「いちいち突っかかってくんなって! ともかく、行くんだな?」
「とぉぜん」
「自信がないなら、僕が一人なら後ろに乗せられるよ。かなり急ぐけれど、問題ないね?」
「私は平気。ライアは?」
「俺もへーきだ。てか、問題は、リーティスが早起きできるかどうかじゃねぇのか?」
「……うーん、それはまた、その時考えるとして……」
「ぇえ? 嘘!? アルドまでそんな事言うの!?」
「ごめんごめん、冗談だよ。でも、協力してくれるのは本当にありがたい。助かるよ」
 そこに、寒さで頬と鼻を赤くしたフェリーナが入って来た。
「遅くなりました」
 どうだった、というリーティスの問い掛けに、フェリーナはにっこりと微笑んだ。

 全員集まったところで、アルドが詳細を話し始めた。
「ここから南南西に下ったところに、ロレンスという大きな町がある。そこに、魔族が襲撃を仕掛けたという話が上がっているんだ。今のところ、向こうからの正式な伝令もなくて、真偽が不確かでね。ここの騎士達は、主に北の方の魔族を追いかけているから、噂に振り回されている余裕もない。でも、もしそれが本当なら――」
「止めないとまずい、って事だな?」
「ああ。場合によっては、今追っている魔族の討伐を後回しにしてでも、援軍を送るべきかもしれないしね。そこで僕達が、早急に事態を確かめに行く必要がある。できるだけ早くに、正確な情報を入手するのが目的だ。ロレンスに行く途中にも、幾つか人の住む集落があるから、そこで状況がつかめれば、それでも構わない。あくまで、この任務で重要なのは、情報の真偽と鮮度だ。早く聞き込みをするには、人数がいた方がいい。ライアとリーティスには、了承をもらっている。フェリーナは、来てもらえないかい?」
 フェリーナは、顔を曇らせた。
「私は……あの子の事がありますから。ここに、残ります」
「え? でも、ちゃんと病名も判って、お薬も処方して来たんでしょ?」
 リーティスの問いに、フェリーナは真剣な眼差しで答えた。
「ええ。あの症例の患者さんは、過去に二度、受け持った事があります。ですが、まだ幼いので、ちょっとしたことから悪化してしまう恐れがあるんです。少しでも兆候があれば、その都度適切な処置を施さなくてはなりません。ですから、今回は――」
「そっか、それだったら任せて。私達が行って、ぱぱっと済ましてきちゃうから!」
「だな。フェリーナは、安心してその子に付いていてくれよ」
「ええ。よろしくお願いします。みなさん――どうか、気をつけて」
「ああ。すまないけれどフェリーナ、僕達のいない間、留守を頼むよ」
「はい」
 夜も遅いので、各自部屋に戻ることにした。
「じゃ、明日な」
「うん。気合い入れてこ!」
「……寝坊すんなよ?」
「むっ。」
 リーティスの剣幕を察して、フェリーナが慌てて言った。
「だ、大丈夫です! リーティスが起きられなかったら、私が起こします」
「うん。明日は早いよ。僕達も早く寝よう。それじゃ、おやすみ」



 早朝、ライア達は馬を駆っていた。事前に調べをつけていたアルドが選んだ道は、障害物の少ない平地で、飛ばしても危険は少なかった。
「そういえばさ」
 並んで走る馬の背で、ライアが尋ねた。
「どうして、そのロレンスって町だけ、どうしても調べなきゃならないんだ? 他にも、いっぱい人の住んでるところはあんだろ?」
 地図で見た限りでは、ロレンスだけが際立って大きな町というのではない。周りの町と比べて優先される理由が、ライアにはよく解らなかった。
「……ノーゼの南東の方に、戦争介入にはあまり積極的でない国があるんだ。ロレンスは、その国と縁が深くてね。何でも、その国が所有するとんでもない兵器も、僕達がこれから向かうロレンスに、眠っているらしい」
「……? だったら、それを使えば、魔族も簡単に襲って来れなくなるんじゃ?」
「言っただろう。今のところは、参戦に乗り気でないんだ。土壌や資源に恵まれなくって、国力が乏しい、ってのもあるだろうし、ノーゼじゃそういうのは珍しいけれど、城を構える本国が東寄りだから、戦線から遠いってのも理由の一つだろう。それに、兵器を使わないのは、何か別の理由があるのかもしれない」
「別の理由――?」
「ああ。例えば、使う側にも多大なリスクがある、危険なものなのかもしれない」
 そこに、リーティスが言った。
「それじゃ、本当に、最終兵器ってこと?」
「そうかもしれないね。ともかく、僕らは急がなくちゃいけない。ロレンスが落とされたとなれば、きっと、南東のその国も、重い腰を上げるよ。そうなれば、いよいよ戦火は拡大する。今は、これでも領土が隣り合う地域で紛争が起こっているに留まっているけれど、人間側が総力戦となれば、向こうだって、多少の犠牲を払ってでも、本気でこちらを潰しにかかってくるだろう。両軍、各地に散らばっている小規模な軍隊も総動員して、ノーゼ全土が戦場となる危険が強い」
「…………」
 改めて事の重大さに気付いたリーティスが、口を閉ざした。
 ライアは、間に合えばいいんだ、と自分に言い聞かせて、馬の操作に神経を集中した。

 昼過ぎに着いた小さな集落では、あまり目ぼしい情報は得られなかった。ロレンスは、どちらかと言うと、町から見て北に点在する小規模な集落よりも、東にある大きな町との交流が盛んらしい。情報があるとすれば、アルド達が通る集落よりも、東側の町だろう。しかし、わざわざそちらを迂回するよりは、直接、ロレンスに乗り込んだ方が早い。
「仕方ない。ぎりぎりまで近づいて、様子を見よう。今のところ、北部に魔族が流れて来る様子もないみたいだからね」
 いざとなったら、二人を帰して自分一人で乗り込む覚悟で、アルドは風向きを案じた。

 結局、三人は途中で怪しい気配を感じ取ることも、有力な情報を得ることもできずに、そのまま夕刻まで馬を走らせて、ロレンスに辿り着いた。
「!!」
 町には、確かに襲撃の跡が見られた。
 ところどころに火が放たれ、まだ炎が燻っている家もある。
(間に合わなかったのか――?)
 アルドは、はやる気持ちを抑えて、ライア達に、自分の後について慎重に動くよう指示をした。

 敵の姿も、住人も、人っ子ひとり見当たらないのが、妙である。目的を達成した魔族は、引き上げていったのかもしれない。しかし、住民達はどうしたのだろう。打ち壊されていない無事な家を何軒かのぞいてみたが、そこには、死体や血痕の一つも残されていなかった。
 もぬけの空となった町に、遅れて来た魔族達が腹いせに火を放った、というならば、この状況の説明はつく。ただ、生活の匂いが残る町から、住民達が突如として消えた理由が解らない。
 魔族が彼らを連れ去ったのかもしれないが、それにしては、争った形跡が無いのが不自然だった。
(どうしたものか――)
 今すぐにでも、誰か一人をシュネルギアに返してこの状況を報告すべきかもしれない。しかし、現時点では、解らない事が多すぎた。
 そこでアルドは、ロレンスの北西に、小さな祠があるという地元の人間の話を思い出した。宗教的な意味合いを持つ場所なのか、時折、ロレンスの選ばれた女性だけが、その祠と町とを行き来していたという。
 出入りするのが女性だけという話を信じるなら、そこに、軍事的な何かがあるとは思えなかった。しかし、調べてみる必要がありそうだと、アルドの勘が告げていた。
「行ってみようぜ」
 ライアが、そう言って促した。

 祠の方面に向かうには、狭い山道を通らなければならない。木々の密集した林の中を行くので、そこから先は、馬を降りて自分達の足で行くしかなかった。
「誰か一人が、残った方がいいな」
 馬たちが、咄嗟に何かに怯えて逃げ出さないとも限らない。ライアの意見に、アルドも賛同した。
 長くはないが、やや険しい山道をできるだけ早く往復して来る必要を考えて、アルドはリーティスを指名した。
「すまないけれど、この子たちの番をお願いするよ。僕たちも、できる限り早く戻ってくるから」
 アルドは、出掛けにこう言い残した。
「いいかい。もし、それこそ本当に、魔族の残党なんかの気配を感じたら、僕達の帰りを待たずに、君だけ馬で逃げるんだ。そして、今判っている事だけでも、シュネルギアの騎士に伝えて欲しい」
 リーティスは頷き、ライアとアルドは、早足で山道に入って行った。
 それから、二十分も経っただろうか。連れて来た馬は皆大人しく、適当に寛いだり、草を食んだりしていた。万が一、魔物が現われたなら、馬を襲われないよう、リーティスが追い払う手はずになっていた。
 辺りを警戒して、3頭の馬から少し離れて見回りをしていたリーティスの背後に、突然、何者かが現れた。
「抵抗するな」
 ノーゼの言語で喋ったその声は、若い男のものだった。
 まるで、誰もいなかったその場所に、何の前触れもなく湧いて出たかと錯覚させる程、彼は見事に気配を消していた。
(うそ――……)
 仮にも剣士であるリーティスが、簡単に背後を取られた事が、相手の実力を物語っている。リーティスは、気持ちを落ち着けて、男の指示に従った。
「そのまま歩け」
 さっきライア達が向かった方向に誘導されながら、リーティスは、駄目もとで、後ろから白刃を突きつける男に言ってみた。
「ちょっと! 言う通りにするから、その物騒なものをしまってよ! 女の子一人を歩かせるのに、やりすぎだと思わない?」
「……――いいだろう」
 顔の横にあった切っ先が引っ込み、ほっとしたのも束の間、リーティスは、横目で男の顔を確認して、後悔した。
「ただし、お前がその剣を抜けば、腕の一、二本は覚悟してもらおうか。お前を生かして連れて行きさえすれば、それで事は済むのだからな」
 リーティスは、隙を尽いて逃げるという考えを捨てざるを得なかった。
 自分では、この男に勝てない。



 その頃、ライア達は奇襲に遭って、本来の道を大きく逸れていた。
「なんなんだよっ!」
 剣を振るいながら、ライアは、襲い来る人影を退けた。
「ライア、離れるな! 落ち着いて動きを見て。そうすれば、君でも対処できる!」
 アルドは、敵の実力が二流だと見抜いていた。人数は、確認されただけで3人。アルドが1人に深手を負わせたので、残すはあと2人だ。
 夕闇が迫って視界が悪かったが、ライアは落ち着いて応戦できた。やはり、アルドが背後を守ってくれるのは大きい。
 決着まで、そう時間はかからなかった。
「……やったか?」
「ああ。リーティスが心配だ。引き返そう」
 祠の調査は中止して、二人はすぐに、林の外を目指した。その胸には、襲撃者達が残した、不吉な言葉があった。
『人間の女を殺せ』
 彼らが口々に呟いたそれは、不気味な合い言葉のように、耳にこびりついた。



 入れ、と言われて、風変わりな石の祠を見上げて躊躇したリーティスに、男はその腕をつかんで強引に中に入れた。
「痛! 離してよ!!」
「連れて来た。この娘、間違いなく人間だろう」
「……あら」
 中では別の3人が待ち構えていた。
 その中で唯一の女性が、ぞっとするように甘い声音で囁いた。
「貴女だったの……」
 リーティスは、いよいよ、退路を断たれた自分の命運を呪った。
 銀の髪をした美しい女の後ろで、同じ髪の色の少年が声を上げる。
「うげ!」
 胡散臭そうに、少年は言った。
「もしかして、ユーレー? つか、他人の空似ってヤツ?」
「双子?」
 物静かな印象の長身の少年までもが、怪訝そうに言葉を発した。
 そこへ、リーティスを連れて来た本人が言った。
「違うだろう。確かこの娘、風を使う」
 あの状況で、よく見ているものだ。彼は、正騎士として伊達でない実力を持つアルドと戦いながらも、周囲の状況の観察を怠らなかった。風の魔法には衝撃を緩和するものがあるという事も、知識としては知っていたようだ。
「ああ、そういえば、そういう魔法もあったわね」
 艶やかな銀の毛先をくるくると指で弄びながら、女は何でもなさそう言った。彼女自身は氷使いだが、他の属性についても、魔法に関しては相当な知識を持っている。
 彼女は、奥の間に消える前に、少年らに言った。
「じゃ、あんた達、そのコが逃げないように、しっかり見張っときなさい」
 長身の少年は黙って頷き、小柄な少年は、女の背に向けてあっかんべをした。
 3人に囲まれて身動きができないまま、リーティスは周囲を睨んで言った。
「何をするつもりなの?」
「黙っていろ」
「そんな事も知んねぇの?」
 黒の疾風と銀髪の少年の声が重なり、黒の疾風が静かにため息を吐いた。それが、勝手にしろという合図だったらしく、少年は、背は殆ど変わらないリーティスの前で、ふんぞり返って顎を逸らしながら、下目使いに言った。
「わかんねーなら、教えてやるよ。ここにはな、魔族と違ってぜーじゃくな人間どもが、無い知恵しぼって造りだした、図体ばっかの巨人、ゴーレムが封印されてんだ」
「…………!?」
 アルドが言っていた兵器とは、これのことだろうか。
「ただし、その操作には、人間の女性の魔力が必要だ」
 そう言ったのは、それまで黙っていた長身の少年だった。
 その顔を、リーティスが忘れたはずがない。彼は、鋼鉄の剣を素手で叩き折る程の体術と"気"の遣い手だ。
 黒の疾風がぼやく。
「人間の、しかも女でないと駄目な仕掛けとは、まったく……人間どもも、要らんものを造ってくれる」
「そーそ。けど、マジちょーうざいのって、アイツらの方じゃね? 魔族でも、なぁんにも考えてない頭空っぽの戦闘好きの連中がいるから、困んだよね。ロレンスに手ぇ出せば、だーぃ好きな戦争ができるってゆーんで、わっざわざ、巫女に巨人を起動させるような真似しちゃってさ。巨人を止めようとするオレ達の邪魔はするし、マジ死ねっての」
「――それで私に、巨人を止めさせようって言うの?」
「言っとくが、お前に選択の余地はない」
 内心ではたじろぎながらも、リーティスは、黒の疾風を睨み返した。
「本当にそう? 私が協力しなければ、あなた達は巨人の餌食になる。巨人を止めようとするのは、焦っている証拠じゃない」
「……ふ。恐れというものを知らん娘だ」
 そう言った黒の疾風の横で、小柄な少年が口を出した。
「ククッ、そんな目ぇしてられんのも、今のうちだし? ――用済みになったら、どんな目に合って死ぬのか、楽しみにしてなよ……?」
「ウィル。今は手を出す時じゃない」
「チッ。解ってるよ、兄貴」
 再び、黒の疾風が口を開いた。
「冥土の土産に教えてやる。今、ノーゼ大陸で全面戦争に持ち込んだところで、人間どもに勝ち目はない」
(……嘘よ。だって、敵である私を生かしておいてまで、巨人を止めようとしてるんだから……)
 揺るがぬ意思を汲み取ったのか、黒の疾風は、挑戦的な笑みを浮べて言った。
「だが、今はまだ仕掛けるべきときではないと、賢明な者達は考えている。戦いとは、勝つことだけを考えて仕掛けるようでは三流だ。――今、私達と対立するあの過激派の馬鹿共が、まさにそれだな」
 リーティスは、沈黙した。
「全面戦争になれば、相当なヘマをしない限り我ら魔族の勝利に終わる。たかが巨人1体では、それは揺るがん。だが、戦いによる損害があまりに大きくては、戦後の立て直しが容易でなくなる。軍事的損害も大きいだろうが、それを下支えする民は、戦争が終わっても尚、苦境に立たされる。そうすれば、いずれ徴税や搾取に反発する内乱が起こり、結局は、争いが途絶えない世界が続く」
「――……」
 リーティスは悔しげに唇を噛み、床を睨んだ。
(何よ何よ! 魔族なんて、流血と侵略を好む、粗野で野蛮な種族じゃなかったの!? これじゃ、私達と……変わらない、じゃない……!?)
 黒の疾風の言葉は続いていた。
「だからこそ、被害を最小にとどめて勝利を得られるだけの圧倒的な戦力と策が整うまで、人間どもを追い詰め過ぎてはならんのだ」
「…………」
 真実かは判らないが、正論だった。
 そこへ、ぷりぷり文句を吐きながら、女が戻ってきた。
「全く、手こずらせてくれたわね! さてと、お嬢さん……?」
 紫の瞳が、リーティスを捉えて細まった。氷点下に凍りついた目をしながら、女は、猫撫で声で言った。
「貴方に、お仕事を手伝ってもらいましょうか――?」

 奥の間に入った瞬間、悲惨な光景が目に飛び込んだ。
「――――!!」
 そこには、リーティスよりも年下かと思われる少女達が、血を流して倒れていた。2人はいずれも黒髪で、巫女が着るような、儀式めいた、似たような格好をしていた。
「これ――あなた達……!!」
 例え相手が4人だろうと、リーティスの中の正義は消えなかった。
 黒の疾風が言った。
「勘違いしてくれるな。こいつらは、先走った奴らの襲撃で追い詰められ、孤立したと思い込んで、巨人を目覚めさせた後に、自ら命を絶った。巨人を停止させる鍵を、私達がわざわざ殺すものか」
 リーティスの方を見ることもせずに、彼は淡々と述べた。
「じきに、奴らもここを嗅ぎ付ける。巨人の本格起動までの時間もない――急ぐぞ」
「ええ……――それがいいわね」
 女が、リーティスを通り越したその向こう側を睨みながら呟いた。
 いつの間にか、祠の入り口の方に人が集まっている。彼らは恐らく、魔族だ。その目つきは、決して友好的ではない。話に聞く好戦的な過激派というのは、彼らの事だろう。巨人の停止を妨害しに現れたのだ。
「そっちは任せたわ」
「ああ」
「姉さん達には、指一本触れさせない……!」
「うっざいんだよねー。テメェらまとめてぶっ潰してやるよ!!」
 女は、ばさりと髪を払って、割り切った足どりでリーティスに近づくと、それまでとは違う、さばさばした口調で忠告した。
「お嬢さん。死にたくないなら、あなたも従うことね」
 心の中では抵抗を捨てていなかったが、今は実質、入り口を敵対する魔族によって塞がれて、逃げる手立てはない。女とその仲間に関して言えば、巨人を停止させるまでリーティスをどうこうする気はないだろうが、たった今現れた連中は、明らかに鍵であるリーティスの命を狙っている。
 従うしかなかった。
 リーティスは、2つある石碑のうち、片方の前に立たされた。
 それに対応するように建てられたもう一つの石碑の前には、銀髪の女が立っている。
「いい? そこの中心に埋め込まれている、緑の石に触れるの」
 嫌々手を伸ばすと、一瞬、石が眩しい光を放った。
「っ!」
「術は、私が巨人を停止させる方向に修正してあるわ! あなたは魔力を注ぐことだけに集中なさい!!」
 同時に、女の方も、もう一つの石碑に触れていた。そちらからは、閃光の後、青色の淡い光が溢れ出している。
 淡く緑に光る石にぴたりと吸い付いてしまった手は、放そうとしても、離れなかった。銀髪の女ほど魔力の扱いに長けていないリーティスは、石碑に吸い取られる魔力の奔流に、意識を持っていかれないようにするだけで精一杯だった。
 彼女達の後ろでは、戦闘が始まっていた。多勢に無勢だが、狭い祠の入り口から雪崩れ込める人数の制約もあって、今のところ、こちらが圧される気配はない。
 永遠に続くかのように思われた魔力の吸収は、リーティスの意識が呑まれる前に、突然に切れた。緑石を包んでいた淡い光が消え、手が自由になる。
「……終わっ、た……?」
 よろよろと壁に手をついたリーティスは、辛うじて自分の脚で立っていた。
 一方、銀髪の女の方は、隠しているだけかもしれないが、見た目には顔色を変えずに立っていた。
 そこに、対立する魔族を撃退した他の3人が戻って来た。
「ね、ね。こいつ、どーすんの?」
 からかうような口調で、小柄な少年が周りに尋ねた。
 長身の少年は答えない。
「好きになさい。私は疲れたわ」
 存外すんなりと消耗を認め、銀髪をかきあげながら、女は言った。小柄な少年は、リーティスの方をちらと見ると、残虐な氷の視線を向けた。
「へーぇ……? なら、ボロボロになるまで切り刻んでから、その辺に捨てちゃう?」
 立つのが精一杯の状態で、リーティスは歯噛みした。寡黙な少年は、その言葉に僅かに繭をひそめたが、咎めるには至らなかった。
「余計な手間をかけさせるな」
 そこに、黒の疾風が割り込んだ。
「どうせ殺るのなら、今この場で斬り捨てる」
 リーティスにすたすたと近づきながら、あまつさえ、彼は抜剣していた。
「っ!」
 この大事に、リーティスは、膝が砕けてへたり込んでしまった。戦いでも、魔法は補助程度にしか使わないリーティスにとって、これだけの魔力の消耗は、やはり、かなり厳しい。
 遠巻きの女と長身の少年を含め、いつの間にか、リーティスは壁を背に、4人から距離を詰められていた。
 リーティスは、ゆっくりと息を吸って、吐いた。
 ――脚に少しだけ、力が入る。
 絶対、もう一度、立ってみせる。

 4人を睨み返して、リーティスは立った。
「へぇ……? 女なのに、泣かねぇんだ?」
 少年が、興醒めしたように呟く。彼自身、幾度と無く他人の命を奪って来たが、大抵は、彼を子供と見て大上段に構えてくる。そんな者に限って、いざ自分が止めを刺される段になると、泣いて命乞いをする。そんな光景を、いくらでも目にしてきた。
 立ち上がり、背を壁から離そうとしたところで、しかし、リーティスは力尽きた。



「リーティスー!!」
 暗い林に向かって叫ぶが、返事はない。敵がその声を聞きつけるかもしれないが、構っていられなかった。近くに潜伏する魔族という危険が確認された今、一刻も早く合流しなくては、リーティスが危ない。
「! ライア、待って」
 夕闇の向こうに、アルドは一頭の馬を見つけた。
「! お前……!」
 ライアが近寄っても、迷い馬は逃げなかった。それは、ライアが乗ってきた馬だった。
 ライアとアルドは顔を見合わせ、何かの拍子にはぐれてしまったらしいその一頭を連れて、残りの馬がいるはずの場所に向かった。
 他の2頭は、大人しく最初の場所で待っていた。しかし、馬の番を任せたはずの人間がいない。
(くっそ、どこ行っちまったんだ――!!)
 辺りは既に、暗くなっている。今から林の中に戻るのは危険だ。それを解ってはいても、このままここで待つという選択は、どう考えても最良とは言えない。
「アルド」
「……ああ。行こう。絶対に、僕から離れないで」

 林の中で、ライアたちは再び襲撃に遭った。
 しかし、敵は2人、それも本体が撤収した後の残党と言った様子で、アルドの敵ではなかった。
 襲撃者には、祠に向かう途中にライア達を襲った魔族との共通点が見いだされた。
『人間の女を殺せ』
 そう言っていた魔族の仲間だとすると、この状況は最悪ということになる。
(ほんと、どこ行ったんだよ――)
 焦りは募る一方で、ふと、ライアの前に、庇うようにアルドが無言で歩み出た。
 はっとして、ライアは、アルドが睨んでいる闇に潜む何かを捉えようと、目を凝らした。
 闇から、人のかたちが表れる。黒衣を着た、黒髪の男。
 男の顔を見て、アルドが歯軋りするのがライアには判った。
 ライアは、男の腕に抱えられた人間を見て、息を飲んだ。
(――――!!)
 人質を取られ、ライアは無論のこと、アルドも容易には動けない。
 表情を消したままで、黒の疾風は言った。
「娘を返しに来た」


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