STAGE 0 prologue 〜 家出娘と城出王子 〜



「へぇー……それじゃ貴方も、親に反発して、家を飛び出してる最中なんだ」
「まーな……」
 生返事をしながら、ライアは鬱々と考えた込んだ。
 きっかけは、縁談を持ちかけられたことだった。別に、相手が嫌だったとか、そんなんじゃない。そもそも、相手とは、顔も合わせた事のない、山向こうの隣国の姫君だった。
 ラーハネット=ディル=スロウディア――彼は、まあそれなりにまともに育った、女王の一人息子、つまり、スロウディアの王位継承権第一位の者だった。
 春に16回目の誕生日を迎えた彼は、赤い短髪と赤い瞳、それに溌剌とした雰囲気の持ち主だった。若者らしく、きらきらと輝くような真っ直ぐな瞳は、王室という特殊な環境ながら、歪むことなく育った何よりの証だった。
 その彼が、なぜか今、城下から離れた、片田舎の、それもかなり貧相な民間の宿屋にいる。
 隣に立つ少女とは、奇妙な縁から、この人里までの道のりを伴にした。
 剣士のはしくれを自称する彼女の剣腕は、道中現れた魔物との戦闘でライアが目にした限り、若さを考慮すれば中々のものだ。型がいい加減ではない辺り、女だてらに、きちんとした師について剣術を学んだと見える。
 瞬きする大きな翠緑の瞳と、頭の後ろで揺れるポニーテールは、彼女が一見して剣の心得を持つ者と思わせない印象だ。やや勝ち気に釣り上がった瞳に、髪はスロウディアでは珍しい生粋の金髪。この地域では平凡すぎる容姿のライアとは大違いだった。
「……で、何だっけ? そっちは、無理矢理結婚させられそうになったとか言ってたか?」
 ライアは、手繰り寄せた会話の記憶から、どうにか話題を繋げた。少女とは、本当に今朝出合ったばかりで、お互いの事などほとんど知らない。
 知り合ったきっかけは、追っ手と思しき騎士から逃げていた時の事だ。
 ライアは、城から逃亡した際、途中で馬を乗り捨て、愛馬がたがわず帰途に着くのを見届けてから、馬の蹄鉄で痕跡がばれないよう、そこから徒歩で山道に踏み入った。そこから、とある伝から教わった秘密の抜け道に入り、途中の分岐では、山脈を越えた西のセーミズにではなく、スロウディア領の人里がある南へ足を運んだ。
 これからの冬、北部へ向かうのは、得策でない。
 山道を抜ける際、捜索隊らしき騎士を見かけたライアは、身を低くして茂みに身を潜めていたのだが、そこで、偶然隠れていた少女と出会った。
 『目的地が同じなら、一人より二人のほうが安全でしょ』と言う少女の主張に流されるまま、事実、魔物相手に数回の戦闘を乗り切って、この里まで来た。
 しかし、それだけといえば、それだけの仲である。
 無事、目的地に着き、別れた二人は、数時間の後に宿で鉢合わせた。
 それもそのはず、家出、城出の少年少女のお財布事情を考慮すれば、互いに納得せざるをえなかった。
 歳も近い気安さから、それからこうして少し話をしていたという訳だ。

 会話の中で、当然ながら、ライアは地位や本名を伏せ、ただ、親ともめて家を飛び出し、解決策を見つけるまでしばらく放浪するつもりだ、と、当たり障りのない範囲で、嘘ではない事実を述べた。
 少女のほうも、最初こそ、わずかに警戒の色を浮かべたが、そのうちに、ぽつりと身の上を語った。
 何でも、親に婚約者を決められ、無理矢理結婚させられそうになって、逃げ出して来たという。
「俺達、どっちも家出もん同士ってことかぁ〜……にしても、お互い、大変だよなー……」
 ライアの横で、少女も、ふーっ、とため息を吐いた。
「ほんとうよ――…ってちょっと!? 貴方と一緒にしないでくれるっ!? そっちもなんか込み入った事情があるのかもしれないけど、こっちのほうが一大事なんだから! 女の結婚なんて、それで人生決まっちゃうようなもんでしょ?? それにね、こう見えても私、結構な家の出なの。逃げ出すのにどれだけ苦労したか、貴方に解る!?」
 ライアがぽかんとしていると、誤解したらしく、少女はこう続けた。
「あのねぇ……絶対信じてないでしょ、その目。ま、いいけど――」
(い、いや、そーじゃなくって……いっくら位の高い貴族っつったところで、城を出てきた俺のほうが、そりゃ、ぜってー厳しいって……よくよく考えりゃ、とんでもない話だもんな? 王子が、城どころか、城下も抜け出して逃走中、なんて)
 自分でも、よくまあここまで逃げ切ったものだと思う。それはひとえに、ある強力な味方がいたお陰だ。少なくとも、ライア自身は、そう信じて疑わない。
 まだスロウディアの領内とは言え、城下を離れれば、途端に、王族の顔を認識する者の数はがくりと減る。警備上の理由もあるが、辛うじて女王の肖像は知る者がいても、城下から距離のあるこの地では、ライアが特に変装もなしにうろついていても、誰もその正体に気付くことはなかった。
 もっとも、スロウディアを統治する女王の、たった一人の大事な子息がこんな所をふらふら歩いている筈がない、という大常識が、ライアを守る最大の盾であった。
「別に、信じないとは言ってないだろ? でも、そんなに凄い家のお嬢様なのに、そこまで思い切った事するなんて――やっぱ、好きな奴でもいたのか?」
 何の気なしに外を見ながらそう尋ねたライアのデリカシーの無さに、少女はぼっと顔を赤く染めた。
「ななな、何よっ! あのねぇ、そーゆーんじゃなくって……だからぁ、ふつー、会って間もない相手に、そんな事訊く? 非常識よっ」
「悪かったな。非常識だってんなら謝っけど。言いたくないなら、言わなきゃいいんだし」
「〜〜〜」
 言葉を発したときだけちらりと視線を向けたものの、その言葉通り、あまり関心がなさそうに外を眺めているライアをひとしきり睨んで、やがて、少女は小さく鼻を鳴らした。
「……分かんないって。たかが17年生きたくらいで、この先の人生ぜんぶ、決めちゃうなんて。今押し付けられたって、正直、困るんだから」
 声だけを聞きながら、ライアは、そんなもんか、と思った。
 王家という特殊な血筋に育った為か、はたまた、両親が互いを伴侶と決めた時期が早かったせいか、ライアは、自分に見合いの話が舞い込んで来た時にはさして驚かなかったし、見合いというワンクッションがあったので、さしたる抵抗もなかった。
 しかし一方で、貴族と言えど、早熟でない娘にしてみれば、結婚に多少の戸惑いもあるかもしれない、とライアは思い直した。
 これから不確定の期間、各地を転々とするにあたり、普通の旅人として振る舞うには、下手な偏見は棄てなくてはならない。今の事態があてはまるかは別にせよ、ともかくも、ライアは、自分の常識に無いものを頭ごなしに否定するのではなく、まず人の話を聞いてみる姿勢を実践していた。
 心地よい秋の夜風が頬を撫で、やや肌寒くもなってきた頃合いに、ライアは、そろそろ自分の部屋に戻ろうか、と考えていた。
 その矢先、少女がぽつりと言ったのだった。
「……ねぇ、そっちも、どうせしばらくは宛ての無い旅を続けるって言ってたよね? ――どうせなら、逃げてる者同士、一緒に行かない?」



 いくら温室育ちの王子とて、いきなりの提案に、即答は避けた。少女の人柄に関してはともかく、素性は知れない。ライアに語った身の上も、悪気のあるなしに関らず、虚言の可能性は充分にあった。何者かの指図で、自分を連れ戻しに来た可能性だって――
(いや、流石にそこまではな……)
 考えたところで、最後の1つは除外した。自分を連れ戻しに来たのなら、こんなところまでやってくる前に、一も二もなく、引きずってでも城に帰せばいい。そうであれば、腕力で勝る男のほうが適任だったし、少女には、それとなくライアを城下へ向かわせようとする気配がない。何より、ライアは、少女のような容姿の者を、城および城下で目にした記憶が無かった。
 少女の提案に、ライアは思った。
(確かに、今の俺の剣術と一般常識じゃ、旅すんのに心許ないってのはある――相手がもし本気でお嬢様だったとしたら、常識って点で互角かもしんねーけど……、見たとこ、あっちのが放浪暦長そうだしな……?)

 かくして、ライアが返事をした、あくる朝。
「あ、悪りぃ、待ったか?」
「……待ってない」
「じゃ、行くか。……っておい、本当にいいんだな? ってか、大丈夫か? あんま顔色よくねーように思えんだけど……」
 むすりとした表情のまま、目を擦って少女は言い放った。
「いーの。……早朝に出発しようっていったの、私なんだから」
 朝は苦手なのか、ロウテンションで返された言葉に、肩を竦め、ライアはやむなく、動きの鈍い少女の荷物を半分持ってやる。
 朝日がまぶしく降り注ぐ中、こうして、彼らの旅路は始まった。


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