12- 戻る所を無くしても



 ゼクトは夕暮れ時に、『家』に帰った。

 狭い路地を帰宅する彼の姿は、夕日に照らされ、とぼとぼと歩いていたように見えたかもしれない。
 しかし彼は、落ち込んではいなかった。表情は硬いが、背筋だけはしっかりと伸びていた。その点が、無気力に過ごしていた5日前までとは違う。

 にゃー、と、相変わらず野良達は呑気に鳴いたが、子供達は、ゼクトを敬遠した。やんちゃなスラムの子供達は、お金を、あるいは遊び相手を求めて、近所のお兄ちゃんに寄ってくるのだが、今日はそれが無かったのを見ると、敏感な子供達は、大人達の気づけない微妙なゼクトの変化に気づいたらしい。



 戸を開ける。
 誰も居ない――当たり前だ。

 誰も帰って来ない。
 誰も取り戻せなかった。……けど、僕がいる。みんながそれぞれの事情で動けなくても、まだ――僕がいる。

「……なら、やるしかないだろう」
 声に出して、ようやく、ゼクトは自分が動ける気がした。

 いつだって、優柔不断と言われた。
 でも、それは演技じゃない。自分のしたいように、生きてきただけだ。
 それを、一部の人は不思議がる。
 鋭い人には、自分の境遇を見抜かれた。どうして笑っていられるの、どうして人を恨まないの? 怒らないの? と、訊かれた。
 そんな時には、決まって思う。怒る理由なんて、ないんだけどなぁ、と。

「誰が悪いんじゃないよ。誰だって、『恐い』って思う。だけど、みんなが恐がるのは、『僕』じゃない。力の事さえ知らなければ、みんな、普通に接してくれる。だったら、それでいいと思うんだけど――」

 一箇所に長く留まれない生活に、苦はないのか、と問尋ねられた事もある。
 けどそれは、決まったところに定住している人の意見だと思った。
 病気もしないで、こうして生きていられるのなら、何も、必要ないと思った。




 力を露見させれば、もう、この『家』には戻れない。そんな予感があった。

 二十四年の人生で、一番長く、時を過ごした場所。

 脚のがたつくテーブルに、真っ直ぐに手をつき、俯いたゼクトは、今まで『家』の誰も見た事がない表情をしていた。
 もどかしさと、自嘲と、決意。


「……みんな、ごめん」

 我知らず、口をついて出た呟きは、何への謝罪か。

 二度と戻らない事だろうか。それとも、勝手に決断した事なのか。
 ……いや、彼らが疾うに決断したのに、今の今まで、先延ばしにしてきた事へのやましさから出た、呟きかもしれない。



 ガタンッ
「!?」

 灯りをつけない夕闇の室内に、壊れかけた表の戸が蹴り開けられる音がした。

 ――忘れてはならない。ここはスラム街。ならず者の街。


 振り返ったゼクトの青い目に、飛び込んだものは……。


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