07- 青き旗のモリス



「よく来てくれた」

 まったく、予想していた印象と違うわ、と、フィナは内心で思った。

 西の領主と聞いて、いいように権力を振りかざす傲慢な男か、さもなくば、自分を雇うくらいだから、梁に潜むねずみが怖くて、一人で用も足せない小心者か、と考えていたのだ。

 しかし実際は、モリスは落ち着いた壮年の男だった。
 『冷血のモリス』とも評される男だが、それは、かつて領内で起こった内乱を、わずか4日で鎮めた際に、恐ろしく冷静な判断を下し、泰然自若として、指令の椅子を動かなかったことが要因と見られる。


 面を伏せたフィナに、楽にせよ、と声をかけると、モリスは話し始めた。
「ぬしを呼んだのは、他でもない。『東』の動きに、不穏な気配があるからなのだ」
「……承知しております」
「近頃は、妻や娘の事に言及した、脅迫めいた書状まで送りつけられてな。シャズの若造め、一体何を考えているのやら」
 そう言ったモリスの言動を、注意深く見定めて、フィナは、慎重に口を開いた。
「お言葉ですが」
 黒曜石の瞳が、心を宿さない石のごとく、静かにモリスを見ていた。
「それは、間違いなく、東の領主がモリス様に宛てたものと、判明しているのでしょうか」
 感情を消したフィナを、モリスは胡乱な目で見やると、大きく息を吐いて告白した。
「ぬしは、なかなか痛いところをついてくれる。『氷のフィナ』よ――」


 仕事人としてのフィナは、冷たく冴えた印象を与えるが、妙齢の美人には違いない。
 しかし、モリスは、彼女に手を出すほど、馬鹿ではなかったようだ。
 その気になれば、フィナが簡単に人の首をかいてのける事を、存分に承知しているようである。

 もっとも、フィナの方にしてみれば、それが仕事の内容に含まれ、見合うだけの金を積まれたなら、拒みはしなかったろう。
 彼女は、仕事という名義のもとに、いくらだって非情になれる。

(――そうよ。私は、氷の心を持つと言われた女。これまでの所業、……いえ、これからも……)



「差し当たっては、館内に潜む不穏分子を洗い出して欲しい。もし、東側に加味する者を見つけたなら、直ちに――」
「わかっております」
 あまりに歯切れの良い即答に、さしもモリスも気圧されたようだった。取り繕うように、二の句を継ぐ。
「おぉ。そうか、それは頼もしい。そうそう、ぬしに紹介しておかねばな。参謀のルナタークだ」
 脇に控えていた、黒髪を前分けにした若者が、一歩、前に出た。
「お見知りおきを」
 深く頭を垂れた二十代の若者に、フィナは、勉強が出来そうだという以外の印象を、特に持ち得なかった。
 フィナ本人は、教育とは無縁の人生を送っている。
 非合法な薬の配合ならお手のものでも、ルイスのように、多くの文字を理解し、あらゆる書物を解読できる訳ではない。

 若き参謀の瞳に、ほんの一瞬、怯えが差した気がした。
 フィナは思う。

(まあ、いいわ――……。恐がられるのは、慣れてしまったもの)

 そこで、ゼクトの事を思い出した。彼だけは、初対面のフィナを恐れなかった。フィナが一度足を洗った後だったとはいえ、彼は、失礼がないかと戸惑いながらも、よろしく、と言って右手を差し出したのだった。


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