05- 追憶



 線は細いが、しっかりした意思を宿した端整な顔立ちの若者は、本から顔を上げ、ゼクトに言った。
「まったく、バルドの手癖の悪さには、困ったものですねぇ……」
 はぁ、とため息をつく様は、若い娘ならば、ぽーっと見入ってしまうところだ。
 ゆったりとした衣の肩を流れ落ちる髪は、ごく薄い金色をしている。
「一体、どれだけフィナを困らせれば気が済むのやら――」
 言われて、ゼクトはつい、反射的に謝った。
「うっ……ごめん……。また、止められなくって……」
 すると、若者はからからと笑った。
「いやですね、ゼクト。別に、僕は貴方に責めてるんじゃありませんよ」
 緑灰の瞳が、穏やかにゼクトを見た。
「ただ、次からは、兆候を見つけたら、早めに僕に知らせて欲しいですね。……ええ、お察しの通りです。次からは、僕が、止めますよ」
 ルイスが本気になれば、魔法で辺り一帯を吹き飛ばすなど、造作もない。
 その瞬間ばかりはゼクトも、悪友に加担するのは、もうこれ限りにしよう、友よ、どうか安らかに、と、心の中でバルドに合掌した。



 フィナの部屋の向かいが、この家で最年長のジークが、専用で使っていた場所だ。

 そこには、得体の知れない薬品やら、暗器やら、爆発物やら、果ては大人の男の本までもが、ごっちゃになって積み重なり、いくつもの山を成しているので、彼が出て行ってからも、ゼクトは、一度も足を踏み入れていない。
 本人が在住の時分にも、その扉を開けるのは、本当に、用のある時に限られた。

(……。ジークは、ちょっと苦手だったな)

 つかみどころのない性格で、いつもよれよれの黒いロングコートをひっかけた、自称『オニイサン』ジークは、子供から見れば、おじさんでまかり通る歳だ。
 口が悪いバルドなどは、よく、あんのオヤジ……と、悪態を吐いていた。

「お前さん、フィナの着替えをのぞこうとしたんだって?」
 ある日、からかうようにジークが言った。
「いや、だからあれは事故で……」
 どこでどう、誤解が生じたのか、はたまた噂好きのバルドが、尾ひれをつけて情報を流したのか、いつの間にか、そういう事になっていた。
「若いねぇ……」
 ジークは感心したように、顎の無精ひげを撫でながら呟いた。
「いや、だからあれは、事故だって……!」
 人の話を聞かず、ジークは一人で納得して、うんうん頷いた。
「ま、あのナイスバディーを拝みたい、って気持ちは解らんでもないけどよ。相手が悪すぎだろ」
 いつもは大声を出さないゼクトが、声を張った。
「のぞく気はなかったって、さっきから言ってるじゃないか!!」
 バルドならともかく、ゼクトに、そんな事をする勇気があるはずがない。
 ジークは、気色悪いほど親しげに肩に手を回すと、ゼクトに耳打ちした。
「まぁまぁ。……次からは、俺に事前に相談しな。じっくりコツってもんを――」
(だめだ、この人わかってない……てゆーか、実際フィナをのぞきたいのは、ジークだろっ!?)


 フィナは、家を出る日、泣き出しそうな笑顔で言った。
「西の領主のモリス様のところでお仕事をしないかって、お声がかかったの――ゼクト、あのちゃらんぽらん男と、ルイスを、よろしくね……」

 もう、この家には戻れない。――戻らない。
 言葉にならない決意が、その響きから、にじんでいた。

 何の仕事かは、聞いていない。それでも、この家に来る以前、過去の何かに通じるものだろうとは、ゼクトにもぼんやりと理解できた。
 捨てたはずの、かつての自分に戻る。その手を再び、汚すのだろう。
 だから、もう、彼女はこの家には戻らない。


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