彼らの本当の目的を、人間達は知らない。

 そしてまた、魔族達も。

 同志である彼ら以外に、それを知る者はない。


 事態は今、静かに動き出す――




STAGE 7 emergency 〜帰れぬ故郷〜



 こうやって、馬車に揺られて。
 結局、何一つ成し得なかったっていう無念と、ああ、帰れるんだ、っていう、ちょっとほっとした想いと。そんな複雑な想いを抱えたまま、俺は、帰途についている頃だった。
 ――あのまま、何も起きなければ。



 馬車に揺られて、ライアは外の景色を眺めていた。隣には、ダークブロンドの騎士が付き添っている。彼の名はアルディスといい、幼い頃からの付き合いであるライアは、勝手に略してアルドと呼んでいる。彼の瞳の色は空の青で、背の高い美丈夫だった。
 集落から西へ行った町を出て、この馬車は北西に向かっている。もし、城下町方面へ向かうのなら、東であるべきところだ。それに、この馬車には、城に帰るのなら居るはずのない同乗者達の姿があった。
「セーミズには、精鋭の騎士団があると聞いています。だから、大丈夫です。元気を出して下さい。ね?」
「うん……」
 緊急事態のため、今は彼女達を含む4人で行動していた。ライアの素性は伏せたままで、アルドは、ライアの護衛ではなく、単に友人としてここにいることになっている。
 先程から元気の無いリーティスに、アルドは言った。
「僕も、セーミズ騎士団のことは知っているよ。あの国の騎士達は優秀だ。万が一、魔族が攻め入っても、そう簡単に攻め落とされはしないよ」
 アルドは、気休めにしても、口から出任せを言う人間ではない。言ったからには、それなりの確証があるということだ。
 だからこそ、ライアはアルドを信頼している。
「うん。ごめん……私は平気。だから、気にしないで」
 最初は、年上で騎士のアルドに遠慮していたリーティスも、本人がいいと言ったので、今は敬語を使わなくなっている。フェリーナの言葉使いが丁寧なのはもとからだったが、しばらく行動を共にするのだし、堅苦しい呼び方をされるよりは、折角だから友人として接して欲しい、というアルドの希望で、二人ともライアに倣って『アルド』と呼ぶようになっている。
 仲間に励まされて、リーティスは自分自身に言い聞かせた。
(そうだよ、セーミズには、騎士団のみんながいる――それより、スロウディアの騎士が集まるお城からも遠いところに家族のいるフェリーナのほうが、よっぽど心配なはずなのに……ああもう! しっかりしなきゃ、私!!)
 事態が事態であるため、やはり雰囲気はどこかぎこちない。そんな空気を嫌って、ライアは適当に質問をした。
「な。あとどれくらいで着くんだ?」
 その質問には、アルドが答えた。
「うーん……このまま、この順調に行けば、あと1日と半日ってとこかな」
 彼らが向かう先、それは、ノーゼを目指すフェリーナにとっては当初の目的地である、西海に望む海の玄関、港町ポルタであった。



 アルドが、ライアを城に送り返すために迎えに来るはずだった朝、集落に突然の報せが舞い込んだ。
「たっ、大変だ〜っ!!」
 そう言って、早朝から馬を飛ばしてやって来た余所者に、集落の者達は決していい顔はしなかった。大抵の者は、胡散臭そうに黙って窓から様子を覗うばかりである。
 しかし、必死の形相に只事ではない雰囲気を読み取ったアルドは、長の留守を守るリーザが、丁重に余所者を追い返そうとするのを制し、手紙を届けに来たその者に尋ねた。
「一体、何があったのですか?」
「ん、あんたは騎士様だね!? なら、字は読めるだろう。大体のことは、そこに書いてある。東から、魔族が攻めて来たんだ!!」
「!! 何ですって!?」
(ん? 待て、『東から』――?)
 聞き違いだと思った。そうでなくとも、伝達の者はかなり慌てた様子だったので、咄嗟に言い間違えた可能性も高い。
 穏やかならぬ報せにアルドは表情を険しくし、伝達役は、説明する間も惜しいとばかりに、慌しく馬上から言った。
「悪いが、時間がない。出来るだけ早く、ここの奴らにも、避難するよう指示してくれ!頼む!!」
 そう言って、彼は、他の村や集落にも情報を広めるべく、馬を駆り、大急ぎで走り去った。
 しかし、いきなりそんな内容の報せを鵜呑みにしてしまう程、アルドは用心に欠けてはいない。
 隣で、リーザが、アルドが勝手に手紙を開封してしまうのではないかと、ちらちら様子を覗っているのを知りつつ、アルドは思考した。
(こんな辺境の地では、真実なのか、根も葉もない嘘話なのか、確かめる術はない――だけど、今の人は町の方から来たみたいだ。もし、この話が本当なら――……用心するに越した事はない、か)
「リーザさん。この手紙を、私に読ませていただけますか?」
 リーザは、困ったように首を振った。いかに長の養子とはいえ、女性の権限が小さいこの集落で、彼女の一存でそれを許可する訳にはいかないようだ。それを察したからこそ、アルドは勝手に開封したりせずに、まず、尋ねた。
 話が本当ならばそれは緊急事態であったが、まだ事の真偽が判らず、どちらにせよ、今すぐにここへ魔族が攻めてくるという訳でもなさそうなので、リーザの立場を慮って、アルドは一旦、そのまま手紙をリーザに託すことにした。
 手紙を受け取ったリーザは、こう言って丁重に頭を下げた。
「すみません。いくら騎士様のお頼みとはいえ、長が不在の今、集落の者でない貴方に、この中身をお見せする訳には参りませんので――これから、集落の住民達を召集します。これからのことは全て、そこでの話し合いによって決定するでしょう」
 そこへすかさず、強要ではなく、あくまで失礼のない口調でアルドは言った。
「そうですか。では、私もその話し合いの場に同席させて下さい。出来るなら、宿に泊まっている、私の友人達も」
 それは、長年集落で暮らす人々の凝り固まった考えの中に、少しでも幅広い見識を取り入れたいと思ったからだ。厳密に言えば、ライア以外は友人と呼べる程の関係ではないが、ここでそれは明かさない。
 この場で頭ごなしに断られてしまうのを防ぐため、アルドはそこで、更に一言、付け加えた。
「私には、大陸の安定に尽くす者として、貴方がたの判断を見届け、強制こそしませんが、助言をする義務ならあります」

 そうして人々が朝早くから駆り出された話し合いの場で、一悶着あった。

 原因は、集落に住むほとんどの者が、字を読めないということであった。比較的識字率の高いスロウディアでも、大都市を離れた小規模な集落などでは、しばしばこういったことがある。
 ライア、リーティス、フェリーナ、アルドの部外者4人は、いずれもエスト大陸中部で使われている標準語を読めたが、余所者を信用しない集落の気質のために、手紙の中身を見せてもらう許可が下りなかった。ここに来てアルドは、やはり、伝達から手紙を受け取った際、無理をしてでも、先に内容を読んでおくべきだったかと、少し後悔していた。

 長の養女(むすめ)リーザは、『女は字など読めんでいい』という長の古い考えに則って、教育を受けたことがなかった。
 だが、幸か不幸か、集落の者にも少しは文を理解できる者がいた。他に誰も読めないのなら、ライア達にも読ませてもらえる機会が回って来たかもしれないが、やはり、不完全であっても、文字を知る『集落の』人間が優先であった。
 少しだが文字を知る人間、その一人が、武器屋のグレッグだった。しかし、彼が要約して伝えた内容に、ハンナがケチをつけたことで、事態がややこしくなった。
「本当かい? 本当に、そう書いてあるんだね? お前さん。どれ、その手紙を寄越してごらん。うちのロバートだって、ちゃあんと字は読めるんだからね」
 しかし、ロバートとて、長のように読み書きが出来る訳ではなかった。期待のこもった熱烈な母親の視線に、拒むことこそ憚られたが、正直、内容の解読に彼はあまり自信がなかった。
 そして、冷や汗まじりにロバートが読み取った内容は、こうだった。
「――東…から、魔族が、攻めてきて――西、に……避難、し…ろ?」
「ほれ見ろ。オレが言った内容の通りじゃないか」
 さも当然、といった調子で言うグレッグをひと睨みして、ロバートは、どうにか自分の威厳を保とうとして、躍起になって、もう一度よくよく文面をさらった。
「……? いや、お前は間違っている、グレッグ!! お前は、そうやって、ここに集まった人間を騙そうとしたな!?」
「……!!」
 この発言には、グレッグが表情を凍らせ、文字が解らない他の人間達も、不安そうに目配せし合った。
 いつだって棘のある言葉を吐く、皮肉屋の幼馴染をやり込めるチャンスに、ロバートは勢い込んでまくし立てた。
「お前は、この文書は長の書いたものだと断言した。だが見てみろ。ここに記された名前は、全くの別人のものだ!」 
「……間違っているのはお前のほうだ、ロバート。長は確かに、オレ達に、西に逃げろとそこに書いている」
 グレッグは、らしくない様子で、神妙に言った。そこにどんな思いが込められているのかをロバートが察したなら、或いは、常日頃からの二人の関係がもう少し違ったものだったなら、事態は変わっていたのかも知れない。
 俄然、鼻息を荒くして立ち上がったのは、息子の正しさを証明せんとするハンナであった。彼女は、息子と同じく、あやふやながらに文字を知っていた。ハンナは、頼りないが誰よりも可愛い息子の手から文を取り上げ、ひと通り目を通してから言った。
「どれどれ――ふぅん! そうだ……やっぱりロバートは間違っちゃいないよ。これは、長の書いた手紙なんかじゃないね!」
 自分の子可愛さにそう言ってしまった手前、ハンナは引き返せなくなっていた。ロバートを弁護しながらも、文面をおおよそ理解したハンナは、内心では激しく動揺していた。
 グレッグやハンナには解り、ロバートは知らなかった単語、それは恐らく、『亡くなる』という言葉だった。
 判断としては、グレッグの虚言も、混乱を最小限にとどめるという意味では、間違いではなかった。情が邪魔をしなければ、ハンナだってグレッグと同じようにしただろう。
 集落の人間達は、真っ向から対立する二者のどちらを信用していいのか、戸惑い、動揺していた。中には、魔族が迫っているという危機感に、パニックを起こしそうになる婦人まで出た。
 見兼ねたアルドは、発言しようとして、その前にライアと短く視線を交わした。ライアの方も、それを理解して頷いた。この場では、身分を隠したままのライアよりも、正式な騎士であるアルドの言葉の方が、当然重く扱われる。
「私に、その書状を見せていただけませんか? 偽り無く、公平に判断することをお約束致します」
 これには、ロバートとハンナの両方が、焦ったように抗議した。
 しかし、自分の正しさを確信しているうちは、そう簡単に引くアルドではない。
「貴方がたは、部外者である私には見せられないとおっしゃられますが、どうか、冷静になってよく状況をご覧下さい。私が内容を保証したなら、彼らの不安も、収まるのではないでしょうか。私は、大陸騎士の名にかけて、決してこの場で嘘は申しません。隠し事をしているのでなければ、必ずや、この申し出を受け入れていただけるものと存じます」
 人々の不審と不安の眼差しに中てられ、ついに、ハンナが手紙を差し出した。
(これは――!)
 アルドは、今までその文章を読んだ誰よりも速く、かつ正確に内容を読み取り、手紙を折り畳みながら、先に断った。
「私は、この集落の者ではありません。ですから、ここに記された真実を、そのままみなさんにお伝え申し上げます」
 その言葉に、ハンナは目を見開き、ロバートはもう駄目だ、という風にかぶりを振った。
「エスト大陸の東海岸で、魔族の上陸が確認されたそうです。みなさんは、集落を捨て、西に逃げるようにと、ここに指示されております」
「じゃが結局、その手紙は誰が書いたものなんじゃね?」
「んだ、それを教えてくんねば、おら達は、素直に従っていいのか、わかんねぇべ!」
 アルドは深く息を吸い、そして続けた。
「この手紙の差出人は、南の町の町長様です。大変、お気の毒なお話ですが――長様は、南の町でこの報せを受けた時、ショックのためにそのままお亡くなりになられたそうです」
 人々の間で、驚きと嘆きのざわめきが起こった。
「ああ、何てこと!」
「そりゃあ、本当なのかね!?」
「よ、余所者の言うことだ! う、嘘かもしんねぇぞ!? 気をしっかり持てぃ!」
 混乱がそれ以上大きくなる前に、アルドは付け足した。
「落ち着いて下さい、皆さん。長様のことは、お悔やみ申し上げます。しかし今、私達は危機に瀕しているのです。私も、この手紙を書かれた南の町長様と同じ意見です。すぐに西の町へ避難する準備を始めることが、今ここで、何にも置いて優先されるべき事項です」
 長の死を嘆く者、魔族の脅威に怯える者、皆を落ち着けようと必死で言葉をかける者。その中に、ひときわ凛と、娘の声が響いた。
「私は反対です!」
 その声に、一瞬、しん、と集会場全体が静まり返った。
「みなさん、よく考えて下さい。いかに小さな集落とはいえ、ここには、みなさんが、先祖の代から築き上げて来た、様々なものが根付いているのではありませんか?」
 どよめきが起こった。それぞれ、近くの者と、頼りなさげに視線を交わしあう。一度は決まりかけていた人々の心が、揺らいでいた。
(まずい――!)
 好ましくない兆候に、アルドは声を張った。
「みなさん!命を粗末にしてはなりません!もし、ここへ魔族がやって来ることがあれば、それこそ、築いてきた全てが無駄になってしまうんです!!」
 しかし、長のむすめは、それまで女性として抑圧されていた自信と誇りに頬を上気させ、きっぱりと言い切った。
「これは、集落の問題です。お客人の方はどうか、黙ってお聞き下さい」
 それから彼女は、まるで女王の演説のように、集会場に声を響かせた。
「ここは、ご先祖様の代より続く、人々の汗と想いの結晶が詰まった土地です。それを捨て、私達は逃げてよいのでしょうか?――長亡き今、それを継ぐ人間は、私ひとりとなってしまいました。ですが、私はこの先も、長の遺志を、精一杯に伝えていくつもりです。長が生きておいでなら、決して、ここから逃げることを善しとしなかっ――」
「……すみません」
 不意に娘の言葉が途切れ、アルドが、倒れこむその体を抱き止めた。
「リーザ!! 貴様……ッ!」
 顔を真っ赤にして叫んだグレッグが、リーザを気絶させたアルドに殴りかかろうとした。
「待てよ!!」
 そこへ、ライアが割って入った。
「どけ!!」
 グレッグの剣幕にも、ライアは決して道を譲らなかった。紅い瞳に真正面から見据えられ、不覚にもグレッグがたじろいだ隙に、フェリーナの柔らかな声が、混乱の中にある人々を諭した。
「この土地に、未練があるのは解ります。ですが、お願いです。どうかみなさんは、生きて下さい。こんなところで、命を無駄にしないで……!!」
 フェリーナの言葉に、半数の者は胸を打たれ、半数の者は強く反発した。
「余所者は黙っとけ!」
「んだ、んだ! おら達の築いてきたもんが、どんだけのもんかは、嬢ちゃんたちには、解らんべ!」
 だが、フェリーナはこの位で挫けてしまうような弱い娘ではない。心を見透かしそうに青く澄んだ瞳で、フェリーナは人々に語りかけた。
「生きて下さい。生きて、またここに戻ってくればいいじゃないですか――。そうすれば、みなさんがご先祖様の代から築いてきたものだって、無駄にはならないはずです」
 そこで声を荒げる者は、誰一人としていなかった。
 そうして、最後には、全員で西の町に避難することが決まったのだった。

 リーザが目覚めた時、彼女がいたのは、既に集落とは違う、別の場所だった。
「嫌! あの土地の全ては、長の残した財産は、みんなあたしのものになるはずだったの!かえして! ……かえしてってば!!」
 半狂乱の内に叫んだその言葉が、実は本心だったのかも知れない。

 西の町への集団移動が済むと、集落の人々は、ひとまず、騎士団の駐在するその町で、事態に収拾がつくまでは避難生活を送ることになった。
 しかし、ライア達の旅は、そこが終着ではない。



 西の町へ移動する途中に、ライアを追って来た白い光があった。
「それは……!?」
 迷わずライアを見つけ、その腕に飛び込んで来た小さな使者に、アルドは驚きの声を上げた。先天性の地の魔法以外に、魔族に有効な光属性の魔法も習得しているアルドは、当然、それなりの魔法の修練を積んでいた。そのため、見た目はただの白い鳥でも、それが魔力によって生み出された存在であることを見抜いたのだった。
「……城で、俺の先生やってた人からの、遣いだ――」
 他の者には聞こえぬよう、小声で説明して、ライアは白い遣いの足に括りつけてあった文を解いた。
 文面は、流れるような、整った筆記体で埋め尽くされていた。


 まず最初に、わたくしは、貴方に謝らなくてはなりません。このような事態を予測できなかったわたくしめの短慮を、どうかお許し下さい。

 簡潔に、現在のところの状況を申し上げます。どうか、落ち着いて先をお読み下さい。

 ――大変なことになりました。エスト大陸の東海岸から、魔族の一団が上陸して来たという報告が入ったのです。わたくしも、まさか、わざわざ魔族がエストの近海を迂回して攻めて来ることなどないと高を括っており、そこに油断があったことを否めません。最初は耳を疑いましたが、どうやら、今回ばかりは本当らしいのです。
 このような時に、貴方をお守り出来ぬ地へやってしまったのは、わたくしの痛恨の極みでございます。こうなると予測していれば、何としてでも、あの時、城を出ようとする貴方をお止めしたでしょう。浅はかな思慮から、貴方を危険な目に遭わせているわたくしを、どうかお許しくださいませ。

 このような失態を犯したわたくしを、それでもなお、貴方が信じ続けて下さるとおっしゃるならば、以下に、わたくしの考え得る最良の対策を記しますので、どうかご参考になさってください。


 その先は、ライアがどこにいるのかによって、地域ごとに、細かく指示が記載されていた。ライア達が今いる場所の場合、現在の町から北西のポルタを目指し、可能ならば海を渡ってノーゼに行くのが望ましい、という助言が適応された。
 彼の予測では、人間の支配下にあるノーゼ大陸東岸とエスト大陸に挟まれた海域では、魔族が現れる可能性は極めて薄いという。長らく魔族との戦いを経験していないスロウディアの領内に留まるよりは、軍備のしっかりしたノーゼに渡ってしまった方が安全だろう、というのが彼の見解であった。
 今回、エストの東から魔族が攻めて来たことこそ範疇の外だったものの、彼の予測は常に冷静で、的を射ていた。
「アルド……」
 隣からその文面を覗き込み、難しい顔をしている幼馴染に、ライアは意見を求めるような眼差しを向けた。
「……仕方ない。こんな状況じゃあ、今すぐに、城下を目指すのは危険すぎる。――僕も、その人とは同じ意見だよ。軍備の整ったノーゼに渡ったほうが、今は安全だろうね。だから、しばらくはその助言の通りに行動しながら、状況を見守ることにしよう」
「それじゃ――!」
 頼りになる友が一緒に来てくれるのか、とぱっと表情を明るくしたライアだったが、すぐに他のことが気になって、その表情を引っ込めた。
「うん。こうして君を見つけてしまった以上、僕には、騎士として君を守る義務がある。しばらくは、一緒に行動させてもらうよ」
「ああ……でもそしたら、あの二人は……」
 もし、アルドがあくまで王子として自分を守るのならば、もうこれ以上、あの二人と共に行くことは出来ないだろう。危険が迫る中で、こんな風に別れしまうのは、ライアとしても、非常に気がかりなところだった。
「ううん……そうだね。彼女達にも、きっとそれぞれ、考えや目的があるだろう? それで、もし、彼女達もノーゼに渡るというのなら、そこまでは一緒で構わない。……大丈夫、そのことを言うつもりは、今のところないよ」
「アルド――」
 持つべきものは友人であると、この時ライアは実感していた。
「んじゃあ、大変なことになっちゃったけど……しばらくの間、よろしくな! アルド!」



 かくして、今、4人は馬車に乗って北西の港町を目指している。
「――なあ、そういや、どーしてあのまんま西に向かっちゃ駄目だったんだ? 自治区からだって、船は出てるだろ?」
 野営で、御者が馬の体を洗い、リーティスが炊事係のフェリーナを手伝っている時に、ライアは、見張りをしていたアルドに思い出したように尋ねた。騎士団が駐在していた西の町から更に西へ行けば、ポルタよりも近い港があった。しかし、アルドも、ライアの師も、その港の存在には一切触れていなかった。
「うん。確かに、こうやってポルタを目指すよりは、自治区のほうが距離的には近かった。だけど、そこは、治安上の問題が絡んでくるんだ」
「?」
「いいかい、あそこは、スロウディアにも、そして、他のどこの国にも属していない、特殊な区域なんだ」
「それは知ってるけど、何か問題があるのか?」
 アルドは、他の人間が寄って来る気配がないのを見取って、ライアにこう説明した。
「自治区にはね、大陸中から、そして海を越えて、様々なものが集まって来るんだ。そして、集まるのはものだけじゃない。世界中から、様々な人が集まる。それこそ、大きな声では言えないような仕事をする人達だってね――ひょっとしたら、スロウディアの王族の顔を知っていて、本人だろうがそっくりさんだろうが、金になるなら誘拐しようとする輩だっているかも知れない」
「い゙っ!? 誘拐――!?」
 アルドは、空色の瞳に、遠くの焚き火の炎を映しながら答えた。
「そう、ひとことで言えば、自治区は、希望も欲望も詰め込んだ、喧騒溢れる場所って言うのかな。こう、結構荒っぽい風土でね。一攫千金を狙ってやってきて、果ては犯罪に手を染めるっていう人間も、少なくはない。あそこは、世界中の品が揃うっていう謳い文句の反面、そういった闇の面も抱えているんだ」
「――じゃあ、やっぱ地道にポルタを目指して正解だったんだな? ……誘拐されてみたいとは俺、思わないし……」
「それでいいよ」
 微笑したまま窘めるように言ったアルドを、ライアは不服そうに横目で見やった。
「……。いーたいことは解ってるよ! 俺に、危険なこととか、無茶はするなって言うんだろ!? ――俺だって、もう子供じゃねーんだ。少しは、信用してくれよな……?」
 拗ねたように言うライアに、アルドは小さく吹き出し、そして、笑ったことをすぐに謝った。
「ごめん。――なんだか、変わってないなって」
「なぁんだよそれ! 俺が子供だって言ってるのか?」
「違う違う。成長しても、中身は変わらないものだなって」
「……? でも、アルドだって、そんな変わってないだろ!」
「そう……かな」
 そう言って遠くを見たアルドの、ほんの僅かなぎこちなさに、向こうの声に気を取られてしまったライアは気付けなかった。
「熱っ!」
 どうやら、リーティスがまだ熱い鍋に触れて、火傷をしそうになったらしい。
 ライアが隣へ視線を戻した時、アルドは、先程とは打って変わって真剣な眼差しで、夜の闇を睨んでいた。
「? アル――」
「気をつけて」
 アルドが静かに警告したかと思うと、向こうで馬の面倒を見ていた御者が叫び声を上げた。
「おおい、兄ちゃん達! 出番だ、頼んだぞ!」
 4人を格安でポルタまで乗せる代わりに、道中の危険、例えば野党や魔物から馬車を守るということで、アルドが御者と話をつけていた。
 現れたのは、人の頭くらいの大きさのゼリー状の魔物が数体と、頭のてっぺんまで2メートルはあろうかという、人の形をした土塊の魔物だった。
「げっ……。あっちの奴、まさか、ゴーレムか?」
 ライアの声に、アルドは魔物達から目を逸らさないで頷いた。広い地域に生息するスライムはともかく、一緒に現れたゴーレムは、ライアも対峙するのは初めてだった。
 ゴーレムは耐久に優れ、倒すには厄介な魔物だ。動きは割と鈍いので、ライア一人なら逃げ出すことを選んだだろうが、今は御者と2頭の馬、そして馬車の荷を守らなくてはならない。
「フェリーナ!」
「はい!」
 リーティスとフェリーナも、勇ましく立ち上がって臨戦体勢を取った。剣を所持しているリーティスはともかく、フェリーナも臆せず参戦する気配に、御者は初め、目を丸くした。
「ゴーレムは僕が! その間に、そっちは炎でスライムを頼む。剣や水には強いから、気をつけて!」
「解った!」
「了解!」
 そう返事をして、ライアとリーティスがスライムの撃退に向かった。
 そしてアルドも、背に斜めに背負っていた大剣を引き抜くと、側で待機していたフェリーナに言った。
「フェリーナ。君は、水の魔法を使うって聞いた。ゴーレムは雨や水で脆くなるから、いつでも魔法を撃てるように、準備していて欲しい」
「はい!」
 アルドの指示は、的確で素早かった。
 戦闘中、ライアの炎とリーティスの風が接触して相殺するというアクシデントがあったが、揉めつつも、なんだかんだでリーティスが魔法の使用を中止して引きつけ役、そこをライアが確実に炎で仕留めるという形に収まり、そちらはどうにか片付きそうだった。
 問題のゴーレムの方だが、ゴーレムは、関節部を除いては驚くべき強度を誇り、剣でも打ち砕くことが難しかった。アルドは、剣と魔法を駆使して巧みにゴーレムを誘導しながら、フェリーナが魔力と狙いを安定させるまでの時間を稼いだ。
「今だ!」
 唸りを上げて振り下ろされるゴーレムの拳を飛び退いてかわしながら、アルドが言った。
「は、はいっ! ――行きます!!」
 攻撃魔法にはまだ完璧な自信がないこと、そして目の前の魔物が強敵であるというプレッシャーから、やや緊張しながら発動した魔法は、ゴーレムの半身に命中した。
「よし。ありがとう、後は任せて」
 水圧でゴーレムの体が崩れることはなかったが、水が浸透して脆くなった関節部分を狙ったアルドの正確な剣捌きが、ゴーレムを解体していった。
「っしゃあ! 終わりっ」
 最後のスライムが大慌てで退散し、ライアが歓声を上げた頃には、ゴーレムだったものは、ただの土の塊として、地に還ってゆくところだった。
「――って、もうアレ倒しちゃったのかよ!?」
「うん。フェリーナが手伝ってくれたお陰で、思ったよりも崩しやすかったんだ」
 偉ぶるでもなく、へつらうでもなく、アルドはそう答えた。
「はー、やっぱ強ぇー……」
 フェリーナの助けがあったにしても、ライアではこうはいかなかっただろう。機敏ではないと言っても、その腕力が半端ではないゴーレムの懐に飛び込み、素早く正確に関節部を狙って断つには、相当な度胸と集中力を必要とする。それをいとも簡単にやってのけたことが、アルドの、騎士としての経験と技量を物語っていた。
「こっちだって、余計なことされなきゃ、もうちっと早く終わってたかもしんないのに……」
 ライアがつい口走った、小さな呟きを聞き漏らさなかったリーティスは、目くじらを立てた。
「余計なこと、ですって……!? だいたい、あれは最初から私が狙ってたのに、後からそっちが魔法を使ったのがいけないんじゃない!」
 どうやら、先刻、お互いの魔法を打ち消し合ってしまったことについて言っているらしい。
 彼らが複合魔法を成功させたのは、峠での一戦、ただ一度きりだった。しかし、寧ろ今回のように、威力を相殺するのが、魔法の性質としては普通だった。
「いーや。絶対、そっちのが後だった」
「私が先」
「違う」
「ふーん? じゃあ、証拠は?」
「証拠? そんなもん……それよか、気付いた時、消すか避けるかすればよかった話だろ!?」
「そっちこそ。後から使ったライアがそうするべきだったでしょ?」
「だ〜か〜らぁ〜……あんな! そもそも、魔法はそんなに使ってない俺が、そんな器用な真似、出切るかっ!!」
 ライアが、きっぱりと言い切った。いっそすがすがしい。
「ライア……それ、威張ることじゃないよ……」
 ひそかにアルドの突っ込みが入ったが、喧嘩の歯止めとしては、全く効果がなかった。
「ああそう。自分もできないこと、人に押し付けないでよ」
「ぐっ……」
 そんな二人の口論をぴたりと止めたのは、厚手の鍋つかみで大きな両手鍋を抱えた、フェリーナの一言だった。
「あの。お二人とも、早く席につかないと、先に食べ始めてしまいますよ?」



 同日、スロウディア城。
 文(ふみ)がくしゃくしゃになるほど力を入れて、食い入るように文面を睨んでいる、赤毛の、壮年の男がひとり。


 先生へ

 事情はよく分かった。俺は無事だ。先生の区分けだと、ここから北西に逃れて、大陸に渡るのが安全だって地域にいる。
 これから、ポルタを目指す。出来るなら、ノーゼに避難するつもりだ。
 名前は明かせないけれど、今、近くにとても頼りになる人物がいる。俺とは旧知の仲で、身元なら俺が保証する。その人は、口も堅いし、頭のいい、信用に足る人間だ。しばらくは一緒に行動してくれるそうだから、心配しないで欲しい。

 それと、もし、この手紙が母さんや他の人の目に触れるところとなったとしたら。
 その時のために、以下、記しておく。

 もし万が一、俺の身に何かあったとしても、先生のことは責めないで欲しい。
 先生は、俺が城を出ようと考えていた時、何度も引きとめようと説得してくれた。それでも、俺が振り切って城を出てしまったから、こんな風に、身を案じて連絡を取り続けていてくれてたんだ。先生は、悪くない。
 それと、母さん、そして父さん。親不孝な息子でごめんなさい。後日、城に戻った際に、いくらでも叱られる覚悟でおります。

 最後に。母さん、父さん、先生、それに城のみんな。俺、無事に生きて帰るって約束します。だから、どうかそれまで無事でいて下さい。

ラーハネット=ディル=スロウディア■■



「これは、どういうことだ?」
 問われたフォルワードは、膝をつき、恭しく頭を垂れたまま黙っていた。
「どういうことだと訊いている!!」
 ファルドが声を荒げると、フォルワードはわずかに顔を上げ、いつもと変わらぬ落ち着いた調子で告げた。
「お察しの通りでございます。ファルド様」
 ファルドは、黙ったまま、無言の圧力を持って、ようやく白状した教育係を睨んだ。
「貴様の犯した罪、どれだけ重いものであるか――頭のいい貴殿のことだ。その位、とっくに理解しておろう」
「……おっしゃる通りでございます」
「貴様のせいで、この国の未来が――いや、今となってみれば、この城と、ラーハネットのいる場所、そのどちらが安全とは言い切れんが――それでも、先行きが不透明になったことは確かだ!」
 フォルワードは、黙っていた。床を睨む目線は険しく、それは反抗を示すものではなく、深い反省と自責の念が込められていた。
「……ひとつだけ、言っておこう。このことは、まだ、ルネットの耳にも入れていない。無論、他の、誰の耳にも、だ」
 僅かに不審の眼差しで、顔を上げた彼はファルドを見た。相変わらず、不精髭と紙一重の見て呉れも、こうしてみると、それなりに見える。
 やがて、フォルワードは視線を下げ、ふぅと息を吐いて自嘲気味に言った。
「このような状況下で、城内で余計な騒ぎは起こせませんからね。だからでしょう?」
「いや、違うな」
 あっさりと、ファルドは否定した。城内で1、2を争う智者同士、滅多に見られない、相手の疑問符を浮かべた顔に、ファルドは小気味良さそうに鼻を鳴らして、答えを言った。
「あいつは、割と人を疑わない。――まあ、育ちが育ちだから、仕方がないかも知れんが」
 言いながら、寧ろ、彼は自分のような疑り深さではなく、母親の一本気な気質を受け継いでくれたことを嬉しく思っていた。
 ファルドは、それからにやりとして、意図を読めないでいる紺碧の目を覗きこみながら言った。
「だがな。あいつに人を見る目が無いなどとは、全く思わん! 私は、あいつの目を信じている。そうなると、癪ではあるが、ひいては貴様を信用しなければならん!」
 フォルワードは、何を言っているんだ、という呆れた表情をしたかと思うと、やれやれと頭を振りながら呟いた。
「親馬鹿ですね。――ですが確かに、人を疑うのは、殿下やルネット様ではなく、私や」
 紺碧の瞳が、ファルドを見据えた。
「貴方のような人間の役目なのでしょう」
「…………」
 ファルドは、裏にある真意を探ろうとするかのように、じっと黙っている。
 やがて、斜め下に視線を落としたフォルワードが、今までとはどこか違う、弱い口調で語り始めた。
「……本当に、わたくしのような腹黒い人間を、殿下は、よくもまあ、あんな風に、純粋に信じて、お慕い下さいました……ですが――だからこそ、あのようなお方であるからこそ、わたくしは、何があってもあの方にお仕えしようと決めたのです」
「ほぉ?」
 ファルドの方は、まだ完全にその言葉を信じ切ってはいない様子だ。
 フォルワードは、小さく首を横に振った。
「でなければ、妹をゼークに置いて、この地で一生を捧げようとは思いませんでした」
 幼い頃、酒癖が悪く、すぐに手を上げる父親からフォルワードが守っていた、たった一人の最愛の妹は、エスト大陸の北方の国で、今は夫と二人で暮らしていた。伴侶を得た今でも、彼にとって、彼女がかけがえのない家族であることに変わりはない。遠方に暮らす妹の身を案じるのは、至極当然のことだった。
「では訊くが」
 厳めしい表情のまま、ファルドは尋ねた。
「ともすると、この襲撃も、貴様が裏で手引きしていたということが考えられるのだが、それも否定するのだな?」
 今度は、先刻とは違ってすぐにファルドの意図を察し、こう返した。
「ええ。貴方が危惧されているのは、恐らくこういうことですね? わたくしが、魔族が侵攻して来ることを知りつつ、それを隠してきた。そこにどんなメリットが生まれるかと申しますと、この襲撃によって、魔族への対策に不安のあるスロウディアが、ゼークなり、お隣のセーミズなりに援軍を求めることになる。そこで借りが出来てしまえば、いよいよもって、ノーゼへの派兵を拒み続けるのは困難になるでしょう。もし、わたくしがこの国を参戦に持っていきたいのであれば、それはそれは好都合なお話です」
「……流石だ」
 ファルドが疑っていたのは、実際、彼が言い当てた通りの内容だった。
「ですが」
 フォルワードは、静かな、しかしはっきりとした声を出した。
「わたくしは、ただ一人のその方にお仕えすることを、わたくし自身に誓っております。流れ者のわたくしをご信頼いただき、こうして城に置いて下さった陛下には、言葉では言い尽くせぬご恩があります。ですが、わたくしがお仕えするのは、陛下でも、もちろん貴方でもない。わたくしの主君は、ラーハネット=ディル=スロウディア様、ただお一人にございます」
「…………」
 膝をつき、面を下げて石像のように動かない臣を、ファルドは、長い間、そうやって見詰めていた。
 長い審議の末に、彼はこう結論付けた。
「――いいだろう。魔族襲撃の件に関しては、貴様はシロということで、引き続き国防に尽くすことを命ずる。ラーハネットのことだが、今のところは差し置いて、ルネットには黙っておく。悔しいが、海を渡らせるという貴様の判断は、的確と認めざるを得ない」
 ファルドの表情が苦いのは、フォルワードに対する敵愾心の現れというより、海を渡るリスクと自国の辺境の地での軍備状況を秤にかけた結果が明白だった為だろう。
 そしてファルドは、威厳のこもった声で宣言した。
「ただし、ラーハネットが無事でなかったその時は、私自らがこの手で貴様を肥しにして、末代まで呪ってくれる!!」
 その言葉に、臣下は今一度、深く頭を垂れて畏まった。



―― intermission ――

「一体、何がどうなってるって言うのよ……!?」
 こうして当たり散らすのは、目の前にいた相手が相手だからであって、これがもし他人の前だったなら、きっと恐ろしい程冷静でいたに違いない。
「……。判らない。でも、こっちに連絡が回って来ないってことは、極秘作戦で、別系統からの指示があって動いたのか、それとも――」
「不測の事態、ってこと?」
 やはり、本気で頭に血がのぼっているのではない。その証拠に、細められた目の輝きは鋭かった。
「まあ、いいわ。どちらにしろ、そろそろ潮時だったし、あの子が合流したら、さっさとあっちに戻るべきね」
 その言葉に、もう一人は寡黙に頷いた。

―― intermission END ――



 ポルタまであと半日を残す頃、反対方向から来た馬車とすれ違い、そこでまた、新たな情報が入った。
 今のところスロウディアでの損害は少ないようだということだったが、あまり気持ちのいい報せでもなかった。
 現在、東海岸から上陸した魔族は、北上して城を襲う気配も、南下して町や村などを襲う気配もなく、ただ真っ直ぐに西へ向かってスロウディアの領土を横切り、セーミズとの国境でもある山脈に突き当たったところに陣を構えているという。今のところ大きな損害がないのは、魔族達が兵力の消耗を嫌うように人里を避けてきたからであり、その意図が読めないことが、逆に不気味だった。
(ねえ、ちょっと待ってよ……? これって、帰れない――どころか、長く滞在すれば、ポルタも危険ってこと――……!?)
 今は、そこから北と南西に伸びる中央山脈付近でなりを潜めている魔族達だったが、これから、更に西へ向けて進撃して来る可能性がある。そうすると、山脈を横切ったならセーミズの領土に、山脈に沿って南側を進んだなら、やがてはポルタに辿り着く。
 引きずり込むようで気が引けたが、だからと言ってこのまま放ってはおけずに、ライアは顔面蒼白のリーティスに尋ねた。
「一緒に……来るか? 帰って来れる、保証はないけど」
 魔族がいつ、どこに向かって移動を始めるかは予測がつかない。ならば、長期戦を覚悟でノーゼに渡るか、早期に決断をして、騎士団の駐在している町に引き返すかが求められる。とは言え、大陸間の距離を考えると、そうそう気軽に決断できる渡航でもない。
「ちょっとだけ、考えさせて……うん、あんまり時間がないことは、解ってるから」
 そうやって、決心のつかぬままに馬車に揺られるリーティスは、どんなに不安だったことだろう。

 いつ危険が迫ってもおかしくない故郷に、このままだと、弟と祖母を残して行くことになるフェリーナ。
 騎士として、この緊急事態に国王の跡継ぎを守り切る責務を負ったアルディス。
 家出をした罰のように、故郷に戻れなくなってしまったリーティス。
 故郷の人々の身を案じながらも、師の助言に従い、海を渡る決意したライア。

 4人を乗せた馬車は、北へと。


   →戻る

inserted by FC2 system