お互い子供で、無邪気に走り回っていられた時代。それは、どんなに願っても戻っては来ない、遠い日々。
 その頃から既に、大人の世界では逃れられない、責任だとか、事情なんてものは付き纏い始めていたのだけれど、でも、少なくとも、自分の心には素直でいられた。そう、あの頃はまだ、ある意味で「自由」だった。

 それでも、僕は後悔しないだろう。今はこうして、あの頃にはなかった力をつけた。守る為の、力を。だから、大人になる代償として失くしたものを、僕は後悔するつもりはない。

 例え、心を鉄の鎖で縛ろうとも、相手や自分の意思に背いてでも、僕は、僕の守りたいものを、きっと守る。



STAGE 6 rainyday 〜雨降り〜



 集落に着く前から、ヘンだったのには気付いていた。
(寒い――……)
 初めは、降り始めた雨のせいだと思った。まだ当分雪にはならないけど、この季節の雨は冷たい。でも、しばらくしたら寒さは感じなくなって、逆に、歩いていると暑いくらいだったから、小雨のうちに急ごうと思って、そのまま歩き続けた。
「ね、ちょっと顔赤くない?」
「は? ……気のせいだろ」
一瞬どきりとして、しかし顔には出さないようにして答えると、あっちはそれで勝手に納得した。
「……ははあ。じゃ、フェリーナに見とれてた?」
「うわ、馬鹿!」
(いっくら天然て言ったって、本人がすぐそこにいるんだぞ!? ――あ、よかった。気付いてなさそ)
 しかし、それはそれでまた悲しい。
「冗談だって、冗談。焦ったら余計怪しいって」
 言われてみたら頬が少し熱いような気がしたけれど、それはリーティスが変なことを言うからだ、と思って、俺は気のせいだと自分に言い聞かせた。
 でも、やっと集落に着いたかという時、突然に震えが来た。
「――! この震え……熱が上がってます……!」
「ちょっと馬鹿! 具合悪いなら、悪いって、どーして先に言わないのよっ!?」
 抑えようとしても、歯がガチガチいって、止まらなかった。

「ごめんくださーい! 誰かいませんかーっ」
 宿屋の看板を潜って、リーティスが叫ぶが、返事はなかった。どういう訳か、全くの無人らしい。
 念のためリーティスが奥の間を覘きに行く間に、フェリーナはライアに2、3、質問をし、脈を診て、口を開かせて咽の奥を見て、耳の後ろ、丁度あごの付け根辺りに触れてみて、こう結論付けた。
「風邪ですね――扁桃腺が腫れています。きっと、のど熱でしょう」
(あー、俺、昔っから、風邪ひくと大体、咽からだもんな……)
 熱の原因が特定されたことは、多少の気休めにはなろうが、だからと言って、熱が出ても辛くないということにはならない。頬や耳たぶや火のように熱いのに、体は氷の中にいるように寒かった。
 戻って来たリーティスは、フェリーナの視線を受けて首を横に振った。
「駄目。やっぱ誰もいないみたい」
「そうですか……ライア。人を探して来るので、それまで、ここで少しの間だけ、辛抱してて下さい」
 冷たい雨の中を、これ以上、病人を連れては歩けない。
「分かった……」
 ライアを宿屋の建物に残し、集落を回る二人は、3件目にして、人っ子ひとり見つけることができなかった。リーティスは、頬を引き攣らせながら言った。
「ねぇ、この集落、不気味じゃない……?」
 フェリーナも戸惑った様子で頷き、それからこう言った。
「もう少しだけ、捜してみましょう」
 4件目は、軒先に武具屋の看板が下がっていた。中に入ってみると、やはり人の姿はない。と、そこへ声がした。
「どろぼーめぇ!!」
「え?」
 声の主が見当たらず、リーティスは目をぱちくりさせた。すると、店のカウンターの下から、坤を持った男の子が現れたではないか。
「あ、あの、私達、泥棒じゃないから!」
「じゃあ、なんだー? おれが店番している間は、好き勝手はさせないぞー!?」
「ええっと……」
リーティスが対応に困っているところへ、柔らかな口調で、フェリーナが言った。
「すみません。お尋ねしたいことがあるんです」
「おぅ、なんだ?」
「大人達が、どこへ行ったのか、教えてもらえませんか?」
 おっとりとした優しそうなお姉さんに尋ねられて警戒を解いた男の子の説明によれば、何か大変なことが起こったらしく、大人達は全員、昼頃に集会場に向かって、そのまま戻って来ないのだという。
 店番の男の子に場所を教えてもらい、集会場に行ってみると、建物に入った途端、二人は邪険な目線に中てられた。
 どうやら、大変なことが起こっているのは本当らしく、集会場全体に、ぴりぴりとした空気が充満していた。
そこへ、適役と思われるフェリーナが、穏便に、簡潔な自己紹介から始め、熱を出した仲間がいるので休ませて欲しい、と頼んだ。
しかし、彼らの反応は意外なほどに冷たく、病気の連れがいるという事情を聞きながら、集落の一大事にそんなことには構ってられない、と平気で主張する者まで現れた。
 それまで黙っていたリーティスも、いい加減、我慢の限界に達していた。だが、リーティスの堪忍袋の尾が切れる前に、フェリーナが、強い、しかし失礼にはならない程度の口調で、淡々とその場にいた者達を諭したのだった。すると、正論を持ち出し、柔らかでありながら、毅然とした物腰のフェリーナに、その場にいた彼らも、反論することが出来なくなった。
 そうして、話し合いは一時中断され、集落の人々は、宿に人をやることを渋々承諾した。
「かっこ良かったよ、フェリーナ」
 後でこっそり、リーティスがその活躍ぶりを褒めると、フェリーナはあくまで自然体で答えた。
「いえ……とにかく、必死だっただけです」
 そうは言っても、自分なら必死になったところで、あんな風に人の心を動かすことは出来ないだろうな、とリーティスは思った。



 服も乾かないまま宿に放置されていたライアだったが、二人が宿屋の夫婦を伴って戻ってみると、どうにか生きていた。
「大丈夫ですか?」
 フェリーナに心配をかけたくない気持ちは山々だったが、空元気を装うだけの気力もなく、ライアは立っているとぐらぐらする頭を押さえながら答えた。
「う〜、あ〜……あんま、大丈夫じゃねぇ……」



「あの、ごめんなさい。……部外者の私達が、こんなこと聞いちゃ、いけないのかも知れないけど――」
 宿を経営する夫妻のうち、奥さんのほうがベッドを整えてくれているところへ、リーティスがおずおずと尋ねた。
「一体、何があったんですか?」
 奥さんは肩を竦め、それから作業の手を止めずに集会場いた訳を軽く話した。その間、旦那のほうは黙々と、季節には少し早い暖炉に火を入れていた。
病人が休める環境をすっかり整えると、夫妻は揃って集会場に戻ろうとしたが、そこへ、意外にもフェリーナが申し出た。
「あの、私もご一緒してお話を伺ってもよろしいでしょうか? もちろん、私は集落の人間ではありませんから、話し合いに余計な口出しをするつもりはありません。ですが、何かお力になれることが、あるかも知れません」
 夫妻は最初、困った顔で互いを見合わせていたが、そこにリーティスの後押しが入った。
「あの! 私達、これでも、自分達の力だけで、ずっと東のほうから旅をして来ました。だから、少しはお役に立てるかと思います。それに、仲間がお世話になるんです。やれることがあるなら、私達にお手伝いさせて下さい。お願いします」
 プライドの高いリーティスだったが、ここは敢えて下手に出た。へたに突っぱねてフェリーナの気持ちを無駄にしたくなかったのと、閉鎖的な集落の事情に何とかして食い込もうという思惑がそこにはあった。

 かくして、集会場までついて行った二人は、なんでこいつらまで、というあからさまな白けた視線を受けながら、ともかくも再開された話し合いに、辛抱強く耳を傾けた。その甲斐あって、半分はもしかしたら、という期待を、半分は所詮よそ者、という疑いを含めて、二人には、ある仕事が与えられた。
それは、集落の者から案内人を出すので、集落を出たまま行方の知れない騎士を捜索してほしい、というものだった。



「でね、ここの集落の人たちが使ってる水汲み場の近くに廃墟があって、そこに強力な魔物が住み着いちゃったんだって。でも、この集落じゃ、魔物と戦えるような人はひとりしかいなくて、しかも次の長を決める争いのごたごたのせいで、魔物を倒しに行こうにも、その人が手柄を立てるのを疎む人達の邪魔のせいで、行けなかったみたい」
 一度、宿に必要なものを取りに戻った二人は、これから出かける旨と、その理由を、ライアに説明していた。
「あんま大きな声じゃ言えないけど、この集落って、見たところ、そんなに裕福そうに見えないでしょ?」
 布団を巻き込んでみのむしと化していたライアは、頭を動かして肯定した。これまで通って来たスロウディア領の他の町や村と比べると、この集落はひときわ閑散としている。
「だよね? それで、実際その通りらしくって、魔物を倒すために、他の町から傭兵を雇う余裕もないらしいの。でも、そこへたまたま通りかかったひとりの騎士が、少ない報酬で、それを受けることにしたんだって」
「ええ。そしてその方は、今朝早くに集落を発たれたそうです」
 そう言って、フェリーナが説明を引き継いだ。
「魔物が棲みついたという廃墟までは、大人の足で、1時間もかからないそうです。ですが、お昼を過ぎた今も、その方が帰って来ないということで――みなさん、気が気じゃないらしいんです」
 そう言ったフェリーナ自身もまた、心配そうに表情を曇らせていた。
「それでね、私達、その人の捜索を引き受けることにしたの。案内人と、フェリーナと、私、これから3人で行ってくるから、ライアはここで大人しくしててよ?」
「フェリーナも、行くのか……?」
 少し驚いてライアが聞き返すと、フェリーナはしっかりとした表情で頷いた。
「はい。もし、その方が怪我をなさっていたら、その場で私の力が必要になるかもしれません。それに今は、微弱ながら、魔法で戦いのお手伝いをすることも出来ます。ですから、心配なさらないで下さい」
 それでもつい、不安になるのは、きっとフェリーナの容姿のせいだろう。これでいつか、彼女が竜をも倒す、魔法の使い手になったとしても、清楚可憐な乙女を戦場に立たせるのは、何かが間違っている気がしてならない。
 そこに、リーティスが言った。
「そーだよ。今はひとの心配より、とっとと自分の風邪治す! 分かった!?」
 言い方は乱暴だが、ライアのためを思ってのことには違いない。
 しかしやはり、フェリーナのような娘が、危険が潜むかもしれない場所に赴こうというのに、自分が動けないというのは、いたたまれなかった。
「ごめん……俺、こんなんで、役に立たなくって……」
 言いながら、ライアは余計に情けない気分を味わった。
「謝らないで下さい。私のほうこそ、自分の我が侭でついて行くようなものなんですから。それより、ゆっくり休んで、早く元気になって下さい。ね?」
「ん……」
 目で了解を伝え、ライアは、大人しく療養に努めることを決めた。お荷物にならないためにも、今は、早く体調を回復しなくてはならない。
「頼まれたのはあくまで捜索で、魔物の討伐じゃないしね。もし、敵が手に負えないようなら、ちゃんと逃げて来るって!」
 それもそうだな、とライアは思った。リーティスがついているなら、多少の危機くらい、どうにかして上手くやり過ごすことだろう。
「ほんと、気をつけろよ……?」
 そこでライアは、リーティスの持って行こうとしていた剣に目をとめて、数瞬の思考で決断した。
「リーティス。俺の剣、持ってけよ……」
「え……? いいの?」
 ライアが使っている剣は、実はかなりの値打ちがある。若いながらに剣士の端くれであるリーティスが、製作者の名による付加価値までは知らぬにしろ、名匠によって鍛えられた刃の質を、見抜けない訳がない。
 峠の麓の町からここまで、魔物との戦いで、リーティスが今までとはいささか勝手の違う剣の扱いに苦戦していたのを、ライアは知っている。
「そっちのが、ましなはずだろ……?」
「うん。ありがと。借りてくね」
 この時ばかりは素直に礼を言い、リーティスは持っていた剣の代わりに、ライアの剣を借り受けた。
 シエラから譲られた剣は、やはり、というか、あまり切れ味の良いものではなく、重心やリーチ、重さなど、これまでの剣とは異なる特性に、リーティスには扱いに戸惑う面も大きかった。
 それに対し、ライアの剣は『まし』どころか、リーティスには格段に使い易いはずだった。剣のリーチは、折られてしまったリーティスの剣と大差は無く、刀身の幅がやや広い分、多少は重いが、シエラにもらった剣に比べれば軽かった。そして何より、刃の質という点で、申し分が無い。それは、城で、実戦向きの護身用の剣としてライアに授けられていたもので、癖の無い刃の形をしているが、城内にある武具の中でも最高のランクに属する品であった。加えて、ライアは日々の手入れも怠ってはいない。シエラのところで倉にしまわれ、錆び付いていた剣とは、訳が違っていた。
 これから魔物と1、2戦交えるかもしれないという時に、ライアの申し出は、リーティスにとって非常にありがたいものだった。



「本当は、オレ一人で大丈夫だったんだぜ?」
 そう豪語したのは、武器屋の店主を務めている青年で、名をグレッグといった。
 土地に不慣れな二人の道案内についたのは、例の、集落でただひとりまともに戦える人間だった。彼は槍を使うという。店番をしていた弟のジョージに言わせると、『うちの兄ちゃんは、世界一強いんだぜー!』とのこと。
 それまでは、次期長の座を巡る問題で、出向くことを許可されなかった彼だったが、今回、余所者二人の同行という条件が加わったことで、道案内の役を任ぜられた。
それというのも、この条件下で、もしもグレッグが魔物を倒して帰ったとしても、それは彼ひとりの功績などではなく、残る二人の力によるものだった、と後から主張することが出来たし、それに万が一、リーティスかフェリーナの身に何かあろうものなら、それこそグレッグを長の座から遠ざけたい者にとっては好都合であった。そうなれば、彼は娘ひとりも守れない軟弱者として、名を辱められることとなる。
 ともするとグレッグは、そんな裏に隠された意図にも、勘付いてはいたかも知れない。しかし、彼は引き受けた。
 それにしても横柄なグレッグに、フェリーナは嫌な顔ひとつせずに、のほほんと返した。
「ええ、差し出がましい真似かとは思いましたが」
 一方で、リーティスは何も言わなかったが、自分達の腕を疑われているのが気に食わないらしく、不服そうな目をしている。
 グレッグは、そんな対照的な二人の余所者を胡散臭げに見やり、それから自嘲気味にため息をついた。
「――いや、オレだって、弟の言葉を真に受けて、いい気になっていられるほど、世間知らずじゃない。自慢の兄でいたいってのはあるがな。ただ、今回遺跡に棲みついた魔物ってのは、オレ自身、まだ目にしてないんで、正直、オレひとりの手に負える相手なのかは判らん」
 そう正直な心境を暴露した直後で、グレッグは付け加えた。
「だがな、あの兄ちゃんの捜索だけなら、女子供を連れて行く必要性は、全く無かったんだよ!!」
「〜っ!? こんのぉ……女だからって、馬鹿にしないでくれる!?」
 真っ向から異議を唱えるリーティスを、グレッグは鼻で笑った。
「ハッ。女、子供って言うなら、そっちのコはともかく、嬢ちゃんはガキ(子供)ってほうだろう」
「何ですってぇえ……?」
 獰猛に犬歯を剥き出しにしたリーティスは、冷静な表情になって、くるりとフェリーナの方を見ると、グレッグを指しながら真顔で尋ねた。
「ね。ちょっとこの柄でそこの頭殴るくらい、ライアも赦してくれるよね?」
「え、あっ、だめです! いけません!」
 手に持った剣をまさに振り上げんとしていたリーティスを、慌ててフェリーナが止めた。
「ん? ライアってのは、男の名か? ……ああ、連れがいるんだったか。そいつが今、寝込んでるってんだな。ハッ、全く、こんな時に、連れの女も守れねーなんざ、情けねー奴だぜ」
 見もしない人間まで矛先に上げて、臆面もなく馬鹿にしたグレッグだったが、何やら、やかましい小娘の反応が今までと違った。
「馬鹿って風邪ひかないってゆーけど、あれ嘘だったんだねー……」
 どこか遠い目をしながら、他人事のようにリーティスは呟いた。言うなれば、あ、鳥が飛んでいる、と見たままの情景を言うのと同レベルという、見事なまでの薄情さだった。
「あ、それはよく言われますが、医学的根拠に基づくものではありません。ですが、『気は病から』っていう言葉がありますよね?そちらは、どうやら本当みたいですよ」
 大真面目に対応をしたフェリーナだったが、あくまで『馬鹿は風邪ひかない』という迷信から発展させたのであって、フェリーナの中では、迷信とライアとは結び付いていない。
「ふーん。それじゃ、やっぱ馬鹿は回復早いってこと?」
 一方で、リーティスの言葉が誰を指しているかは、明白である。
「え? あの、そういうお話ではなくって……でも、その……どうなんでしょう? 知能の発達度合いと病気の関連性についての報告は、私の知るところでは、今のところないはずですが……」
「えー? でも、絶対に治んの早そーだよ」
 とても、今しがた仲間をこけにされたとは思えない調子で進められていく話を、グレッグは呆気に取られて聞いていた。すると、会話が一段落して、リーティスがいきなり話題を振った。
「あのさ。ひとつ、訊いていい?」
「……何だ」
「魔物を倒しに出て行ったって人の話だけど、報酬だけもらって、そのまんま逃げたってことは考えられない?」
 リーティスの鋭い質問に、グレッグは、どうやら頭の弱い小娘ではないようだ、と内心で見解を改めた。集落には、賢い女などいない。集落に住む女性たちは、専ら、家を守り、夫を支えることだけに一生を費やす。先程話し合いの場に呼び集められていたのだって、集落の一大事に、彼女たちが家で安穏と過ごすのを夫たちが善しとしなかっただけの話で、そこに人形のように畏まって座っているのが、女性たちの務めであった。そこへ乗り込んで行ったリーティスとフェリーナ二人の存在は、集落での慣わしにしてみたら、かなり異質であったと言って良い。
 グレッグは、大きくかぶりを振った。
「いや。報酬は、自分が魔物を倒せた時でいい。……そう言って、一切受け取らなかったそうだ」
 斜に構えたところがあるだけに、リーティスは、このご時世によくそんなお人好しがいたものだ、と思った。自分なら、集落の人達の対応があれでは、せめて報酬の半分くらいは前金として要求しただろう。
素直に納得していない様子のリーティスを、逆にグレッグは見直した。
 その時、上空でギーギーと鳥の鳴くような声がした。
「魔物!?」
「ちっ……人喰い鳥どもか……!」
 リーティスもグレッグも、すかさず自分の得物を手に取った。廃墟に棲みついた強力な魔物とは、まさかこの魔物達のことではあるまい。
 敵は、全部で4体だった。そのうち1体をグレッグが、2体をリーティスが仕留める。
「どうしたの! 女子供の助けは必要ないんじゃなかった!?」
「ふん……」
「行きます! 避けて下さい!」
 そこへ、1本の水の柱が、まるで意思を持つ龍のように、最後の1体目掛けて襲いかかった。
 徐々にではあるが、攻撃呪文にも慣れつつあるフェリーナは、もとの素質が高いこともあって、その一撃で完全に魔物を黙らせた。
「やるな……」
 これには、グレッグも驚嘆した。その後で。
「だが、この程度ならオレひとりで充分だ」
 そう言って、ニヤリと笑った。

「……正直、助けは要らなかったが、オレが行けるよう、話を持って行ってくれたことには感謝している」
 廃墟への道すがら、グレッグはぽつりと洩らした。
 現在、集落の長は、南に行った隣町に用事で出かけていた。そのため、あと2日ほどは戻って来ない。そこで、話し合いの場を執り仕切っていたのは、長に次ぐ年輩の男であった。
 ところが、姦しいハンナは、なまじ他の町から嫁いで来て多少の教養があるために、他の女達とは違い、話し合いに首を突っ込んで来た。彼女にはロバートという一人息子がいて、息子をぜひにも次の長に、と目論んでいるため、少しでもグレッグの評価が上がることは、耐えられないらしい。
 ハンナが、主だって、グレッグが動くことに反対し続けたひとりなのである。
 そこへフェリーナが仲介に入って、どうにか3人で行かせてもらえるよう、話の流れを変えたのだった。
 そんな、一筋縄ではいかない有り様を目にしているリーティスは、思ったままの感想を口にした。
「……なーんか、面倒なことになってるみたいだけど……」
(この人かなりムカつくけど、大変そうってのだけは、認めといてあげる……!)
 グレッグが答えないでいると、不意にフェリーナが尋ねた。
「長になりたいとは、思わないんですか?」
 驚くほどストレートな問いかけに、困惑を隠しきれないグレッグのみならず、リーティスも目を見張った。
「……驚いたな。普通、外の人間が、そんなことを訊くもんじゃないぜ?」
 グレッグが脅しとも呆れともつかない声でそう言うと、フェリーナはにこにこと笑ったまま言い返した。
「外の人間だから、訊くんです。それとももし、失礼なようでしたら、今言ったことについては、謝ります」
 悪びれた様子のないフェリーナに、外の女はやっぱり変わっている――と、グレッグは改めて思った。
「……いや」
 グレッグは、視線を落としながら語った。
「そうだな……長になるとかならないとかは、ぶっちゃけたところ、どうなろうと構わない。あのロバートの奴が次の長になったとして、周りの者だって助けるだろうし、ちゃんとやるなら、オレは構わない。ただし、な……」
 そこで、グレッグは顔を紅潮させた。
「長の、娘さんのことですか?」
 フェリーナが控えめに尋ねると、口篭っていたグレッグは小さく頷いた。
「ああ。リーザは長の血縁で、長にとっちゃ孫のような歳の娘だが、実質上、長の養子だ。もし、次の長になるやつがいたとしたら――いやいい、やめよう。オレの一方的な思慕だ。この話は、無かったことにしてくれ」
 しばらくして、リーティスが尋ねた。
「そう言えば、さ。その騎士の人の顔って、当然、判ってるんでしょ?」
「ああ」
 そう言って、記憶にある騎士の顔を思い浮かべたグレッグは、複雑な面持ちになった。
 ひとことで説明するのは簡単だったが、どうにも、グレッグは男として負けたような気になってしまうのだった。

 その頃、宿屋では。

 外の雨をぼーっと眺めながら、押入れの奥から引っ張り出してもらった冬物の毛布を何枚も重ねた下で、ライアは思った。
(……そう言えば、前にもこんなこと――……あの時も確か、雨で、熱出してて……)
 目を閉じたライアの思考は、すうっと過去へ飛んだ。
 あの、雨の日の出来事へと繋がる過去に……。



 うちは、誰のうちより大きくて。そこにいれば、何も不自由なんてしやしなかった。
 でも、その大きな大きな家の中を、自分の行ける範囲で探検し尽くしてしまってからは、ちょっと退屈で。外に出てみたい、なんてたまに思いもした。
 テラスから見える街に、石橋のすぐ向こうに見える街に出るだけの為に、大人の同伴と、建て前でもちゃんとした理由と、それから、『じょおうへいか』の許可がなきゃいけなかった。……父さんなんかは、月に1度くらい、街の酒場に飲みに行くことがあったから、そういう時に、たまにこっそり連れていってもらったりはしたんだけど。でも、当時の俺には、昼間の街をうろつける機会なんて、無いに等しかった。
 多分、それは自分がまだ、子供だったからなんだろうけど。
 でも、大きくなって、自分を守れる知識と力がついたら、そういったこともある程度は自由にさせて貰えるなんて、その時は思ってもいなかった。だから、大きくなっても、ずっと城壁の中だけの世界で暮らさなきゃいけないんだろうなって、半ば諦めたような、寂しいような思いもした。城から見える景色は、すぐそこにあるのに、俺には縁のない場所なんだ、って。
 当時、俺に色々と教えてくれる先生は、今の先生ではなくて、もっと歳をとった、おじいちゃんの先生だった。勉強中、外に出たい、って俺が愚痴をこぼすと、
「そのうち出られるようになりましょうて」
 なんて、呑気な答えが返ってきて、
「いつかって、いつだよ?」
 と訊き返せば、
「さぁて……殿下が沢山お勉強をなさって、うんと賢くなられたら、でしょうな」
「えー!? 俺、ちゃんと勉強してる!!」
「いやいや、まだ足りませぬな」
と、はぐらかされるのがオチだった。俺がごねれば、果ては、
「おぉ、殿下は、このじいやめを、お見捨てになられると申されますか……」
 などと言って、演技にしたって大袈裟に、よよよ、と目の前で嘆いてくれるものだから、子供心にも良心が痛んで――或いは、子供だったから、かもしれないけど――結局は大人しくしているしかなかった。
 俺だって、その時はもう、何も解らない子供じゃなかった。おじいちゃん先生のことは、何も見捨てるほど嫌いではなかったし、俺が逃げ出したりすれば、それがばれた時、先生も責任を追及されるんだろうなって、それ位は理解していた。だから、城を抜け出してみたいって好奇心はあっても、それを実行出来ずにいた。
 ある時、俺は、城壁のすぐ内側の草むらで、虫捕りをしていた。その時に偶然、俺は、城壁に小さな穴が空いていたのを発見した。穴の前には石を積んであって、その穴を隠してあったのだけれど、俺が石を除けてみると、そこには、子供が通れるくらいの、小さな穴が空いていた。
 これがもっと大きな穴で、大人が出入りできるような大きさだったら、とっくに修繕されていたことだろうと、俺は思う。
 その日は、若い見張りの兵士だとか、小間使いの少年だとか、遊び相手になってくれそうな人はみんな忙しくて、それで俺は、一人で虫を捕って遊んでいたのだった。
 俺は、誰にも見られていないか、周りをよく確認して、素早くもとのように石を積み直した。多少石の積み方は崩れていたけれど、まあ、問題ないだろう。
 俺は、このわくわくするような秘密を、自分だけの胸にしまった。たかが城壁に空いた穴ひとつ、でもそれが、子供の俺には、お宝の眠る洞窟の入り口に思えた。
 あの穴は、もしかすると、街に出るための脱出口になるかもしれない。行く時も、帰る時もこっそり、ばれないようにすれば、誰に迷惑がかかることもないだろう。そう考えた俺は、夕食の後、部屋に戻ってからも、子供なりにあれこれと知恵を巡らせた。脱走の計画を完璧にするには、それから何日も要した。
 東の城壁の穴を潜り抜けるにしても、その先には水を張った堀がある。東西の跳ね橋は、普段は使われずに上がったままで、子供の力で操作できる仕掛けではなかったし、第一、橋を下ろせばその音を聞きつけて人が来てしまう。北の跳ね橋は、昼間は下ろされていたけれど、ずっと見張りが立っていて、夜になると跳ね橋は上げられてしまう。それから、城下に面した南側の橋、これは跳ね橋ではなく、石造りの幅の広い橋で、昼夜を問わずに、常時2名以上の衛兵が、武器を手に、見張りを行なっていた。
 平和なスロウディアだが、衛兵たちは案外真面目だ。抜き打ちの監査報告による昇級、あるいは降格もあり得たので、2人が2人してさぼるということは、まず考えられない。それに、スロウディアの民は、悪政をやっていた代を除けば、王、あるいは女王を敬愛する気質があったので、城に仕える者達の士気は、総じて高かった。
 そんな手堅い防備を前に、俺はどうしたものかと頭を悩ませ、そしてついに、解決の糸口をつかんだ。東塔に登ってみて、一番高いところにある窓から見下ろした時、堀にぽつんと浮かんだ筏があるのを見つけたのだった。それは多分、緊急用の筏で、城側の岸に一隻だけ、杭でつなぎ留めてあった。
 俺は、期を見て計画を実行に移した。庭に出て、ひと目のない隙を狙って、大急ぎで石をどけ、穴を潜ると、今度は壁の外側から、手を伸ばして、穴が見えないように石を移動させた。
 余談だけど、この話を今の先生に話して聞かせたことがある。そうしたら、先生には笑われた。
「わたくしだったら、きっと、そんなへまはしなかったでしょう。例え野良猫しか通れないような穴でも、見つけたら即刻、塞がせていましたね。……なに、殿下の考えることくらい、お見通しですよ」
 その笑顔に、俺は、この人なら本当に、俺の考えつくあらゆる脱走手段を、片っ端から、あの手この手で封じてしまっただろう、と戦慄した。あの時は、おじいちゃん先生でよかった。うん。
 話を戻すけど、穴を潜った俺は、そこで一息ついて、それから、東塔から見えた筏のところへ向かった。
そこから先のことは、自分でも驚くほどに上手くいった。
 街に出ていられる時間は少なかったけれど、俺は、同年代の街の子達とも知り合うこともできた。
 それからというものの、空いた時間を見つけては、俺は街に遊びに行くようになった。もちろん、あの穴を通って、行く時も帰る時もこっそり、だ。
 それで、自分では、ずっと上手くいっていると思っていたのだけれど、本当はとっくにばれていて、それは女王の耳にも届いていた。でも、昼間の城下ならばどこだって大人の目があったし、大目に見てくれていたのだ。そのために私服で街中を巡回する兵の数が増やされていただなんて、当時の俺は知る由もなかった。
 ある時、街を出て、近くの平原までこっそり魔物を見に行こう、という話が、子供達の間で持ち上がった。それは女子には内緒の秘密の探検で、中には降りた子もいたけど、体の大きい子や足の速い子、それに年上の子達が中心となって、探検隊が結成した。
 だけど、これがいけなかったんだ。
 城下周辺に出没するのは、比較的大人しい魔物ばかりなので、誰かが怪我をするようなことはなかった。でも、俺達が出かけるのを見ていた女の子が大人にそれを通報していて、街に戻った俺達は、大人達からこっぴどく叱られた。


 その日を境に突然、悪夢が俺を襲った。


 街に出ても、誰も俺と遊んでくれなくなり、それどころか、みんな、俺と顔を合わせることすら避けている様子だった。


 遊ぶ時にいつも待ち合わせていた場所に行ってみても、もう、誰かがそこへ現れることはなかった。街角でそれらしき姿を見つけたかと思えば、みんな、こぞって俺から逃げ出した。……俺は、鬼ごっこの鬼じゃない。
(嫌われたんだ)
 ショックだった。どうしていいか分からず、しばらくは同じように、いつもの場所でただ待つだけの日々が続いた。
 だけど、結果は同じだった。
 もう、誰かが来ることはないんだと悟って、待つのは今日で最後にしようと固く誓ったその日、城を抜け出してみると、空はどんよりと曇っていた。
 そのうち、ぽつぽつと雨が降り出した。でも、今日が最後だという未練のためか、俺は、城に戻らなきゃいけない時間ぎりぎりまで、そこにいた。

 俺の望みは、叶わなかった。

 『裏切られた』――そう、初めて思った。
 そして、その日の晩、俺は高熱を出した。

 俺自身はよく覚えていないところもあるけれど、母さんの話だと、結構ヤバかったらしい。丸2日、ほとんど熱が下がらないままで、ずっと、うなされながら、友達に約束を破られたって、そのことを思い出しては、泣いてばかりいた。
(ずっと、友達だって、俺達は友達だって、言ってたくせに! 嘘つき……!!)
 肺炎の併発には至らなかったものの、薬を与えて少しは熱が収まったかと思えば、またすぐに高熱をぶり返す、の繰り返しで、主治医も相当に気を揉んでいた。
 精神的に深く傷付いた幼かった俺は、もう、世界のお終いのような気持ちだった。

 熱が出始めてから3日目、その日は朝からシトシト小雨が降っていて、暗くなってからもずっと、雨粒が窓を叩いていた。
 その日、俺のところに意外な訪問者があった。
 本来は、このようにして会うなんて絶対に許されないところを、街でこっそり俺のことを監視するように命じられていた兵士の一人が、その子の顔を覚えていて、それを耳にした女王が、直々に、通しなさいとの命令を下した。
 熱のせいで、その数日間は朦朧としていたのだけれど、その時のことは、今でもちゃんと覚えている。
 生まれて初めての城内で、あまつさえ、部屋に通されたところをこの国の女王その人に迎えられ、がちがちに緊張していたその子は、俺の顔を見て、ようやくほっとしたらしい。
「――ライア」
 その子は、大人から教えられていたであろう俺の本名ではなく、街で遊んでいた時のあだ名で呼んだ。
 俺は、ぼーっとする頭で、どうしてこんな、俺の部屋なんかに、この子がいるんだろう、夢でも見ているんだろうか、と考えていた。でも、それからしばらくも経たない内に、目の奥から熱いものが込み上げて来た。
「みんな、俺のこと、嫌いになっちゃったのか……? だから、逃げたりして、もう俺とは遊んでくんないんだろ!?」
「違う!」
 その子は、街で遊んでいた仲間の1人で、俺より5つ年上だったけど、周りには色んな歳の子がいたし、俺はそんなことなんて気にせずに遊んでいた。ただ、その子は、彼のお兄さんやお姉さんと同じで、スロウディアで一般的な赤髪赤目ではなく、金髪碧眼という珍しい容姿だった。最初はそれで、変わってるなぁと思ったけれど、すぐに、そんなことはどうでもよくなった。
「うそだ――俺、待ってたのに!! ずっと……ずっと待ってたのに!! 誰も……っ、来なかったじゃないか!!」
 泣きじゃくる俺を、すぐ側で蒼い目をしたその子が、遠巻きに母さんが見守っていた。
「違うよ。そうじゃなくって……ああもう!だから、謝りに来たんだ」
 その子は、みんなが俺を避けていた理由について説明した。その歳の子供にしては、その子は冷静に物事をまとめるのが上手くて、俺は一度も聞き直さずに、話の内容を理解した。俺が王子だということは、親達に聞かされて知っていたということ。この前、街の外に出てしまったことがきっかけになって、もう俺とは一緒に遊んではいけない、それが、俺のためなんだ、と子供達はみんな、大人達からきつく言い聞かされていたこと。そして、何も言わずに突き放したことを謝りたくて、その子はここに来たということ。
 全てを聞かされて、俺は、擦れ声で確認した。
「本当に――俺のこと嫌いになって、みんな、俺のこと遠ざけてたんじゃ、ないんだな……?」
「うん」
「……だったら……」
 今言わなければ、これが夢で、伝える前に、目が覚めてしまうかもしれない。俺は、鼻を啜りながら、胸に閊えていた言葉を懸命に吐き出した。
「だったら、ずっと……友達で、いてくれるか――? もう、一緒に遊べないんだとしても、それでも……」
 これが夢ではないんだとしても、もう、外出は禁止されるだろうという理解と覚悟が、その時の俺にはあった。
「何言ってるんだ、そんなの――ごめん……今度からはもう、こんなこと、絶対にしないから。何かあっても、次からは必ず、事情を話すことにする。約束するよ。これからもずっと、友達だって」
 そう言って差し出された小指と指切りをしたところまでは、鮮明に記憶に残っている。でもその後は、その子が俺に何を言って、いつ帰ったかも、俺はよく覚えていない。
 次に目を覚ましたのは、多分夜中で、灯りの落ちた薄闇の中、まどろみながら、俺は漠然と思った。
(明日の朝も、俺、生きてんのかな――?)
 それまで、風邪をひいても、高熱が続くのはせいぜい1日で、2日目には微熱になっているのが普通だったのに、今回に限っては、もう3日も、何回寝て、何回目覚めても、状態は同じままだった。だから、このままずっと、何度起きても、熱は下がらないままなんじゃないかって思い始めた。その想像は、俺にとっては死よりも恐ろしいことだった。

 けれども、変化は突然に訪れた。

 次の日、朝日でぱっちりと目が覚めて、俺は自分でベッドから起き上がった。
 寝ている間に汗をかいたらしくて、下着の湿り気が少し気持ち悪かったけれど、それ以外は何も不快なところはなかった。程なくして、ぐー、と、お腹が鳴った。

 元気になったのは良いけれど、結局、あれが夢だったのか、本当だったのかは判らないままに数日が過ぎた。あの子が来た時、側で母さんが見てたはずなんだけど、もし、俺の見た夢だったら恥ずかしいから、母さんに直接訊く気にもなれなかった。
 そして、俺の疑問は、妙なところで解決されることになった。
「喜べ、息子よ」
 そう言って、親愛なる我が母上様こと女王陛下が突然に話を切り出した。
「……何が?」
 『何を』と尋ねるべきところだったろうが、それはさて置き、一応、俺が尋ねてみると、待ってましたとばかりに、母さんは答えた。
「えー、コホン。うちの王子様も、一人で城を抜け出すくらいの知恵はついたようだから、いいでしょう! 今日からは、昼の間なら、好きな時に城下に出ていいわよ。たーんと暴れてらっしゃい!」
 余談だが、うちの母上様は、その昔、じゃじゃ馬姫と呼ばれていたそうだ。そんな話を、俺は近衛騎士団長(当時はまだ団長じゃなかった)から聞かされていた。
 俺が本当に大丈夫かと心配しているものと勘違いして、母さんは、どこか場違いに胸を張りながら言った。
「大丈夫よ? 心配しないでも、昨日の会議で、無理矢理通しておいたわ。この決定は、大臣でも覆せないもの」
 俺が呆けたようにしていたのは、そんな心配をしてたからじゃない。急にそんなことを言われても、実感が伴わなかったのだ。
「どうした。わらわ直々の許しぞ!?」
「え?あ、はい! 母さ…母上。身に余る、もったいなきお言葉」
「よろしい」
 俺が片言の礼儀作法で応じると、母さんは満足して鷹揚に頷いた。そして急に、一国の女王からどこにでもいる母親になって、せかせかと注意事項を並べ立てた。
「お勉強の時間は、ちゃんと守ること。いいわね? これを守んなきゃ、外出禁止!それと、お勉強やお稽古が無い時でも、夕方の鐘が鳴るまでには戻ってくること。夕食に間に合わなかった時は、罰として、ごはん抜きよ。あと、これね、これだけは絶対に守ること。街の外には、何があっても出ちゃ駄目。いい? 返事は? ……よろしい。これだけのことを守れば、空いた時間は好きにして良し!」
 要するに、俺を城に閉じ込めておくよりは、ある程度は自由にさせてやればいい、というのが、あの日の一件を目にしていた母さんの見解だった。
 俺が、また街に出て友達と遊べるようになったのは、全て、あの日、あの子が勇気を奮って城まで訪ねて来てくれたお陰だった。
 あの子とは、その後3年でお別れになってしまったけれど、その頃に丁度、先生が持病の腰痛が酷くなってきたのでそろそろ引退したい、と言い出して、後任として推した新しい先生が来て、一方で、剣術の訓練の方もいよいよ本格化したことで、俺のほうも忙しくなり始めた時期だった。忙しさの原因は、何も、学ばなくてはいけないことが増えたばかりじゃなくて、特定の分野には興味を持ち始めた俺が、勉強が楽しいと思うようになったこともあった。新しい先生との相性が良かったのか、興味のある分野に関しては、俺自身、進んで学ぼうとしたし、先生も、答えられることは、例えもっと先で学ぶはずの内容でも、もったいぶらずに教えてくれた。
 そうしている間に時は過ぎて、あの時城まで謝りに来てくれた子も修行を終えて一人前になり、たまに城下に立ち寄った時には、顔を出してくれるようになった。身分は違ったって、俺にとっては、かけがえのない親友だった。

(――そんなことも、あったよな――……あー……なんか眠む……寝よぅ)



 廃墟に辿り着いた三人は、信じられないものを目にしていた。
「う……そ。これ、ひとりで――!?」
 そこには、小山ほどもあろうかという、絶命した魔物の巨体が横たわっていた。見た目にも凶悪な牙と爪を持ち、屈強な戦士が数人がかりでようやく倒せようかという外見である。
 廃墟の石床には、戦闘の激しさを思わせる飛び散った血の跡が残されていたが、周辺に、話に聞く騎士らしき者の姿は見えない。
「でも、ここに来るまで、誰にも会わなかったよね。すれ違っちゃった……とか?」
 リーティスの疑問に、フェリーナは首を横に振った。
「判りません。ですが、この様子では、もしかすると魔物を倒したその方が、怪我をしていた可能性もあります」
「なら、早く戻るぞ」
 ぶっきらぼうに言いながら、グレッグは心の内に怯えを隠していた。運よく騎士が通りかからなかったなら、最悪、彼が一人で、この魔物と対峙することになっていたかも知れない。
(――ったく、縁起でもねぇ……)
「ちょっと!けがをしてるかも知れないって言うのに、捜さないの!?」
「どの道、ここにはいねぇんだ。帰りに、注意して捜しながら戻ればいい。ぐずぐずしてっと、日が暮れちまう」
 グレッグの意見は正論だった。
 帰り道、脇の草むらに逸れていく踏み分けられた足跡を見つけたのは、例によって目聡いリーティスだった。その足跡を辿っていくと、木の根元に、銀色の鎧を身にまとった人影があった。
 ぐったりとした首を持ち上げて、顔を確認したグレッグが言った。
「間違いねぇ」
 気を失っている青年の体にはいくつもの傷があり、雨に体温を奪われ、深い傷からは血が流れ出して雨水を薄い紅色に染めていた。しかし、フェリーナの手早く適切な応急処置によって、命の危険は去った。
 意識の戻らない青年をグレッグが背負い、リーティス達は、急ぎ集落へと引き返した。
 後から判ったことだが、廃墟に棲みついた魔物は、平衡感覚を麻痺させる毒を牙に持っており、青年はその毒にやられ、魔物は倒したものの、毒が回って帰り際に道を外れ、そのままあの場所で力尽きたのだろう、というのが結論だった。



「はー……なんか、思ったより大変だったみたいだな?」
 昨日、二人が宿に帰って来た頃にはすっかり寝こけていたライアは、体調も回復した今朝になって初めて、その話を聞かされた。
 あの後、青年は長の家に担ぎ込まれて、きちんとした治療を受けたので、心配は要らないだろう、とリーティスは話した。治療をしたのがフェリーナだというから、ライアもその点は信用している。ただ、主不在の長の家でも泊めてしまう辺り、どこの馬の骨とも知れない一介の旅人であるライア達への対応と、魔物を倒した英雄への対応とでは、やはり、随分と差があるようだ。
しかし、その英雄を助けたということで、リーティスとフェリーナも、少なからず人々からは感謝された。少なくとも、宿の夫妻の態度は、前よりいくらか好意的になっている。
「あの、リーザさんから、こちらにお泊りになっていると聞いたのですが」
 と、そこに、宿の入り口の方に来客があったようだ。他に宿泊客はなく、廊下で立ち話をしていたライア達は、声がするので、誰か人が来たらしい、というのが判った。
 宿の奥さんと客人の話す声が聞こえたかと思うと、誰かが、ライア達のいる廊下の方に向かってやって来た。
足音がした方に背を向けて立っていたリーティスとフェリーナが振り返ると、そこには、背の高い好青年の姿があった。
「すみません。貴女達が、昨日、私を見つけて集落まで連れてきてくれた方ですよね?」
 紳士的な態度で確認を取った青年は、ダークブロンドのややくせっ毛の短髪に、優しそうな空色の瞳の持ち主だった。
「あ、はい。そうです。怪我はもう大丈夫なんですね? よかったです。安心しました」
 リーティスがはきはきと答え、ライアは、リーティスの尻尾頭が邪魔で見えないけど、この人が、魔物を倒した騎士なんだな、と思った。
「ええ。昨日のことでお礼が言いたかったので、こんな朝早くからお邪魔してしまいましたが――本当に、ありがとうございました。折角魔物を倒しても、その後があれでは、私も、まだまだですね。貴女達のおかげで、助かりました」
 畏まる青年に、リーティスは慌てて言った。
「えっと、でも、私は何もしてないんです!お礼なら、集落まで貴方を運んでくれたグレッグさんと、治療をした、ここにいるフェリーナに言ってあげて下さい」
「そうですか。貴女が、私のけがを……」
「そんな、私は、私の出来ることをしたまでです……」
 ほんの少し俯いたフェリーナの頬に、赤みが差した。
 ふと、そこでリーティスが振り返って、頭の位置が動いたので、狭い廊下で死角になっていた青年の顔が、ライアからも見えるようになった。
 青年と目が合った途端、ライアは、有無を言わさずリーティスとフェリーナの間をかき分けて、青年の腕をつかんでそのまま廊下の端まで直進した。
「え?」
 きょとんと目を瞬かせるリーティス達に背で壁を作りながら、ライアは青年の肩に腕を回し、必死で口元に人差し指を当てるジェスチャーをした。青年は酷く面食らって何か言おうとした様子だったが、ライアのジェスチャーの意味を理解して、頷いた。
「ちょっと、ライア……??」
 不審の眼差しを送ってくるリーティス達の前に、青年とライアは戻って来た。
「すみません、急なことで、私も驚いてしまいましたが――彼とは、知り合いなんです」
「ええ!? ほんとにーっ?」
「そう、だったんですか……」
 二人とも、青年の発言が意外だったらしく、フェリーナは両手を口元に当て、リーティスなどは、無遠慮に目の前のライアと青年を見比べた。
「……何だよ?」
「ううん。随分まともな知り合いもいたんだな〜って」
「あんなぁ……?」
(お前、俺のこと何だと思ってんだよ……? ――いや、王子だなんて思わないのはトーゼンだろうけど)
 するとそこへ、青年が、あくまで穏やかに言った。
「ライア。立ち話はなんだから、後で、どこかで話がしたい。いいかな?」
 青年の目の語るところを理解して、ライアは答えた。
「分かった」
 青年は再びフェリーナ達に向き直ると、最後にもう一度、礼を言った。
「私はこれで失礼しますが、貴女達には、本当に感謝しています。ありがとうございました」
 それは、老若男女を問わずして惹きつける微笑みだった。



 長の娘の厚意で、青年の宿泊先である、長の家で会うことに決まった。
「え? 行くの? 行ってらっしゃーい」
「積もる話もあるでしょう。出発は明日ですし、どうぞごゆっくり」
 そう言って宿を追い出され、もとい、送り出され、ライアは長の家に向かった。
(やっぱり――逃げずに、来たね?)
 ライアの顔を見て、青年は思った。これから彼がどういう話をするのかくらい、ライアの方でも、流石に勘付いているだろう。それでも、ライアの性格を知る彼は、必ずここに現れるだろうと踏んでいた。
「待っていたよ」
 通された部屋で、青年に出迎えられ、ライアは複雑な笑みを浮かべた。
「――久しぶり。……考えれば考えるほど、みょーな再会だけど」
 こうして2人が顔を合わせるのは、青年が春に城下を訪れた、半年前以来だった。
 2人は、気を利かせたリーザの出した茶を飲みながら、普通の旅人同士の再会を装って、当たり障りのない話をした。しかし、一旦リーザが買い物に出て、すぐに戻ってくる気配がないことを確かめると、青年の中で何かが切り替わるのが、雰囲気で感じられた。
 来た、とライアは少しばかり身を固くした。
「――で?」
 呆れを隠さずに、青年がため息を吐く。
これから、青年に何を話すべきかは、ここに来る間に、頭の中でまとめてある。それでも、いくらかは緊張した。
「あの二人は、君の素性のことを、何も知らないみたいだけれど――?」
 二人にはばらさないでくれ、とライアがジェスチャーで告げていたことを、彼はあの時、瞬時に理解していた。
 ライアは頷き、口を割った。
「……俺、城から逃げてきたんだ。お忍びの旅とかじゃないから、もちろん付き人なんていない。あの二人は、そうやって逃げている途中に知り合ったんだ。だから、俺の事情については、何も知らない。城を出た理由については、これから話すけど、それをアルドがどう思ったとしても、あの二人だけは、絶対に巻き込まないでくれよな?」
「解った。約束しよう」
 リーザが戻って来るまでに、ライアは、ここまでの経緯を説明した。
 話を聞き終わった青年が下した答えは、こうだった。
「帰りなさい」
「でも……っ!!」
 青年は動じず、ただ静かに論じた。
「――帰りなさい。いいかい、君一人が行動を起こしたところで、セーミズや他の国からの圧力が、なくなる訳じゃない。それに……――世の中はきっと、君が思っているより、もっとずっと危険なところなんだ」
「……んなの……っ」
(なんだよ……。アルドなら、解ってくれるって……信じてたのに――!)
 失望しながら、それでも、心のどこかでは理解していた。13の時、修行のため騎士の家に奉公に出て、今はエスト大陸騎士団に所属する一騎士となった彼には、立場というものがある。彼が騎士として守るべきは平穏であり、王子失踪などという混乱の引き金になり兼ねないものには、最優先で対処しなければならなかった。
 だから、それが解っていたから、ライアはそれ以上、言い返すことが出来なかった。本当は、まだ、言わなくてはならないことが沢山、胸の内に積もっている気がしていた。けれども、何を言ったとしても、目の前の友を困らせるだけだと自覚する自分もそこにいて、動けない。
「僕は、一番近い騎士団の詰め所がある西の町に、これまでの報告と、昨日倒した魔物のことを報告しに行かなきゃならない。でも、その後なら、君を城まで送り届けることが出来ると思うよ。逃走中の君を見つけてしまった以上、僕には、その義務も責任もあるんだ。……明日の朝、迎えに行く。それまでに、あの二人とは、話をつけておいて」
 そう言って、青年は立ち上がった。
 仲間にどう話すかはライア個人に任せ、ライアのことを外部には洩らさずに自分で城まで送り届ける。それが、せめてもの青年の誠意だった。
 ライアは、すれ違う悔しさと、もどかしさと、腹立たしさで、しばらくはそうして俯いたまま、膝に載せた拳を強く握り締めていた。

 もう、お互い子供ではない。あの頃にはもう、戻れない――……


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