「……謹慎中じゃ、なかったのか」
 兵士たちが鍛錬に汗を流す修練場に、赤い髪の男が立っていた。彼は後ろから近づいた影に、振り返らないままに、そう声を発した。
「嫌ですね。そのことは、城の多くの者たちには内緒でしょう? 殿下失踪に絡んでいる疑いのある者は監視の必要あり、しかし疑いが完全なものでない以上、下手に処分を下すことはならない。特にわたくしは、『裏の』役職上、周囲の信用を落とすようなきっかけをつくらせてはなりませんからね。――まあ、最も、信用がなくては、『表の』仕事も務まりませんが。わたくしが冤罪で処分を下されるようなことがあれば、即、新任の教師が必要になってしまいますね? 『裏』の方は、ファルド様が引き継いで下さることと存じますが」
「ふん! それでこんなところに顔見せか」
 男の言う『裏の』役職が必要とされる時、その役に就く者は、重臣たちは勿論、兵士たちからも信頼を得ている必要があった。
「……ええ。ここしばらくはエスト大陸への侵攻は途絶えていますが、魔族達の動向も気になります」
「………………」
 実は、その考えについては赤髪の男も同意見であった。現在、エスト大陸は人間の領地となっているが、過去に、魔族達が攻めてきたという記録はいくつも残されている。近年は何の音沙汰も無く、逆に不気味なくらいである。主な戦地として挙げられるノーゼ大陸で魔族達が疲弊し、エストへの侵攻に兵力を裂く余裕がない、というならまだ分かるのだが、伝わってくる話を聞く限り、ノーゼでの両戦力は今も拮抗しており、得に人間側が優勢ということもないらしい。また、いくら今は人間の支配下にあると言えど、魔族達がエストを完全に放棄したということも、考えにくい。
(何かある――。いや、今はそれより、この男だ――)
 彼は、紅い瞳で、隣の男を見遣った。彼は、穏やかかつ理知的な瞳で稽古場を眺めながら、こちらに気づいて敬礼をしてくる兵士などに、小さく頷き返したりなどしている。そんな男のことを、彼は食えない者として睨んでいる。
 修練中の兵士たちに激励の眼差しを向けながら、男は、隣の赤髪の男の方を見ないで、何食わぬ顔で会話を再会した。
「最悪、私が『裏の』職に就かねばならない事態に陥る可能性考えられます。くれぐれもそのような事態にならぬよう、日頃からの注意は怠っていないつもりですが……はぁ。私としては、現職のほうがよほどに向いていると思うのですが」
「ふん、言ってろ」
 切れ者で腹黒い彼なれば、教師なんぞという職に甘んじているよりは、軍師として身を立てたほうが、よほどにその才を生かせるのではないか――と、赤髪の男は心中でぼやいた。
 スロウディアの現、役職として、『軍師』というポストはあるにはあるものの、あまり知られていない。実際に兵を率いる将とは違い、軍師は常設ではなく、他国や魔族と直接戦争をしていない現在、その役職は空きとなっていた。他国を牽制する抑止力として、また、付近に出没する危険な魔物の討伐のために軍事力の維持は必須だったが、それには有能な兵とそれを束ねる将こそが重要で、戦争をしていなければ、相手の策を読み、策を講じる軍師が必ずしも必要ではなかった。
「ところで、今日は稽古はなさらないのですか?」
 ここで初めて、赤髪の男の顔を見ながら、男は尋ねた。
 彼は、時折兵士達にまじって剣の鍛錬をすることがあった。仮にも女王の騎士という立場がある以上、剣の腕を鈍らせないのは良いことではあったが、普通は、彼のような身分の者が、一介の兵にまじって訓練することはまずない。せめて、兵士長や近衛騎士に相手を務めてもらうのが通例だ。
 しかし、彼の場合、立場上、かなり微妙な位置にある。城内でも宙ぶらりんな身分で、それこそ生まれは一介の兵士達と変わらず、そのため、兵士達と鍛錬を行なったところで、誰に咎められはしない。周りも、好きにさせている。だが一方で、彼が所望したなら、由緒正しい生まれの近衛騎士団長に試合の相手をさせることも可能だった。
 赤髪の男彼自身に特別大きな権限が与えられている訳ではなかったが、女王への発言力は無視ないものがある。彼は文官なのか武官なのかもはっきりせず、護衛の仕事中以外は駐在しているはずの執務室にいないと思えば図書室で本を読みあさっていたり、はたまた昼寝中であったり。また、列記とした庶民の生まれでありながら、周りも無下には扱えないとういう、いかんせん奇妙な立場にあった。
 実を言えば、はっきりとした役職名も無く、言うなれば彼は『女王の身辺警護役』ということになる。城内に限らず他国への訪問の際でも女王の側につくことが許され、よほどに高貴な人物との謁見などという特殊な事例を除いては、帯剣が認められていた。が、女王がスロウディアの城内にいる限り、余程のことでなければ、昼の城内に危険が潜んでいることなどなかったので、女王の言いつけで普段は雑用全般をやらされていたりもする。
 要するに、彼は女王の忠実なる下僕……もとい、女王のナイトであった。
「お前のせいで、余分な仕事が増えてな」
「これは失礼」
 嫌味をさらりと流し、謹慎中の表向き休職中現役教師は優雅に微笑んだ。
 面白みの無い反応に、赤髪の男は更に続けて言った。
「ここいらで、事件の黒幕が素直に自首してきて、行方不明の王子の居場所なんてのを白状してくれると、大変に助かるのだが」
「そうでしょうねぇ。そうすれば陛下のご心労も軽くなりましょうに……ああ、今日も良い天気です」
「…………」
 隣の男を胡散臭げに見やる、赤髪の男に関して。
 奇妙な身分に在るこの男について、二つだけ、はっきりと断言できることがある。
「心配なお気持ちはお察し致しますが、いつまでも子離れできないようでは、戻って来た殿下に、笑われてしまいますよ?」
「余計な世話だ」
 それは、彼には一人息子がいて、子煩悩な父親であること、そして、この国の女王に溺愛しているということだった。





STAGE 5 SHIROGANE #2 〜白銀 #2〜



「おはようございます」
「ん。おはよ」
 1階の食堂でパンをかじっていたライアは、2階の部屋から下りて来たフェリーナの声に、顔を上げた。昨日に比べると、だいぶ顔色も良くなったようだ。
「あの――リーティスさんは……」
「んぐ?」
 きょろきょろと落ち着きなく辺りを見回すフェリーナに、ライアは口に頬張っていたパンを飲み込んでから、言った。
「あー、まだ寝てるんだろ」
 呑気なライアの声に対し、フェリーナの方は焦っている様子だった。
「私、見てきます!」
「――え? ほっときゃ、そのうち勝手に顔見せるだろ?」
「ですが……もしかすると、夜のうちにいなくなっていたり……」
「まさかぁ?」
 外は、昨日一日中降り続いた雨が嘘のように上がり、空はすっきりと晴れている。先を急ぐ旅人は、朝早くに出立することも可能だったろう。
「やっぱり、様子を見に行ってきます……!」
 医者としての使命感に燃えていたのか、フェリーナはそのまま踵を返して、ぱたぱたと階段を駆け上がって行った。
 一方で、ライアはバスケットに手を伸ばして、新しいパンを一つ取った。まるで、いなくなっているかもしれない仲間のことなど、全く気にかけていないようにもとれた。
 左手にパンを持ち、右手に持ったコップの水を飲み干しながら、ライアは思った。
(リーティスって、朝弱いみたいだしなー……)



「起きて下さい!!」
「ぅう〜、あとちょっと……」
 果たしてリーティスは、ライアの予想通り、寝ていた。
 仰向けで、負傷した右手をお腹の上に置いたまま、寝返りを打つことが出来ないために、首だけを横に曲げていて、若干寝苦しそうな体勢である。
「起きないと、寝ている間に、回復魔法かけちゃいますよ!?」
「うん……――えええ!?」
 どうやら、思考力は働いていたらしい。
 リーティスががばりと飛び起き、爽やかな笑顔のフェリーナがそこにいた。
「おはようございます」
「……おはよう……」
(お……起き抜けから、心臓にわるーっ!! も〜、脅かさないでよっ!!)
 過度の魔力の消費は、激しい体力の消耗も同然なので、回復には時間が必要になる。昨日の今日では、とてもフェリーナが魔法を使えるまでに回復しているとは思えない。
「すみません、起こしてしまって」
 フェリーナは、律儀に非礼を詫びた。
「ですが今日は、ちょっと早くに出かけなきゃならない場所があるんです」
「?」
 ベッドを出たリーティスが、片手で不自由をしながら自分の荷物の中身を漁っている間に、フェリーナはシーツのしわを伸ばし、毛布を綺麗にかけ直して、ベッドを整えた。
「あっ、ごめん。そんな、いいのに……」
「大した手間ではありませんから。それより、他に、手伝うことはありませんか?」
「んーん……多分へーき……」
 言いながら左手で目を擦るリーティスは、まだどこか寝ぼけ眼だ。
「それじゃあ、下で待っていますから、仕度が出来たら、降りて来て下さい。……2度寝しちゃ、駄目ですよ?」
「ん…………」
念を押された側から、うつらうつらしていたリーティスは、ぼーっとしたまま荷物からくしを取り出して、そこではっと気がつき、まさに部屋を出て行くところだったフェリーナを呼び止めた。
「ごめんフェリーナ! 髪とめるのやってもらえる?」



「……いいのかよ? こんな時間に――」
「いいんです。診療時間中じゃ、忙しくて看てもらえないかもしれませんから」
「なんか、悪いなぁ……」
「リーティスさんは、何も気にしなくていいんですよ。私が個人的に話したいことがあるので、そのための時間が欲しいんです」
 町に、まだ人の通りは少ない。そんな中、3人は、『診療時間:9時 〜 17時 (昼休み:12時 〜 13時)』その下に小さく『15時・おやつタイムv』と書かれた建物の前までやってきた。
「お邪魔します」
 そう言って勝手に入り口を潜って中に入っていってしまったフェリーナに、ライアとリーティスは顔を見合わせ、それから、後に続いた。
「あのねぇ。外の看板見たでしょう? 9時からよ。まだ8時にもなってないじゃない」
 気だるそうに、診療室の椅子に座って白衣を羽織った美人は文句を言った。
 町には水力と歯車を利用した時計台があって、日に16回、正確に鐘が打ち鳴らされる。歯車の調節によって、夜の10時から朝5時までは鐘が鳴らない仕組みだ。
「すみません」
 ぬけぬけと謝罪するフェリーナの顔には、ちっともすまなそうな様子が覗えない。
「あの、すみません。診療時間外なのは分かっているんですけど……」
 流石に黙ってはいられずにライアが言うと、女医は手をひらひらとさせながら言った。
「あー、いいの。私、この子に言ってるだけだから。あなたたち、この子に連れて来られただけでしょう?」
「えーっと……」
 ライアは、返答に困った。言われるままに入って来てしまった自分達にも、責任がなくもない気がする。
「で? そっちのコの治療ですって? 診せてごらんなさい。ほら、そんなに固くなる必要、無いんだから」
 それまではフェリーナの後ろに納まっていたリーティスは、シエラの前に引っ張り出されて、幾分緊張しているようだった。
「にしてもフェリーナ……あなた、回復魔法、使えたわよね?」
 言いながら、シエラはすっと目を細めて鋭い視線になった。
「ええ。そのことでちょっとお話があって、迷惑を承知で、こんな時間に来ちゃいました」
「……そう。分かったわ」
 訳ありと察して、シエラはそれ以上、そこでは追求しなかった。
「あらまあ、酷いわねぇ? でも、幸い開放骨折には至っていないし、ちゃんと固定してあったから、そんなに大変なことにはなってないみたいね。じゃあ――いくわよ」
 そう言って、シエラは詠唱を唱え、リーティスに治癒魔法をかけた。
「ありがとうございました」
 リーティスがぺこりと頭を下げて礼を言い、シエラはこう付け足した。
「骨はくっついたけど、腫れが引くまでは、まだしばらくかかるわ。それと、今日辺り熱が出るでしょうから、安静にしておくこと。いいわね? ……まあ、医者ってならフェリーナもついていることだし、何かあっても大丈夫とは思うけど」
 それからシエラは、フェリーナに向き直ると、少しだけ呆れたような表情で尋ねた。
「それで? 話したいことっていうのは?」



「――そう……心無いことをする人も、居たもんね。悪戯にしたって、タチが悪すぎるわ」
 そう言って、シエラは心底残念そうに眉根にしわを寄せた。フェリーナがシエラに明かしたのは、ライア達も初めて聞く内容で、事のあらましはこうだった。
 昨日、診療所に高熱を出した道具屋の男の子が運ばれて来て、急遽、切らしていた解熱の効能のある薬草が必要となった。診療所には、シエラ以外にも、看護師の娘が一人勤務していたが、折悪しくも、その日は具合を悪くして寝込んでいた。そこへひょっこりフェリーナが顔を出したのは、まさしく渡りに船であった。
 フェリーナは二つ返事でシエラの頼みを聞き入れ、森に向かった。フェリーナはこの森には何度か来ていて、薬草の生えている場所も、おおよそ頭に入っていた。
 しかし、着いてみると、薬草が群生する湖のほとりは何者かによって荒らされていた。
 薬草の大部分は氷に閉ざされて儚く散り、残りは無惨にも踏みにじられていた。
そのあまりの光景に、フェリーナは言葉を失った。
「氷?」
 おかしい、とライアは思った。この季節、スロウディアで氷が張るにはまだ早い。
「あれは、魔法によるものです……」
 氷や岩など、形あるものを形成する魔法は、術者の魔力に依存して、消滅までの時間が決まる。それを踏まえたシエラが、口を挟んだ。
「そう。でもそれじゃあ、融けなかったでしょう? 湖のほとり――その大半を凍りつかせてしまうなんて、並の魔力じゃできっこないわ」
「ええ。ですから、賭けに出たんです」
 氷に閉ざされてしまった薬草は諦め、草むらに両膝をつき、両手を祈りの形に組み合わせたフェリーナは、踏み荒らされた土壌の一帯に回復魔法をかけた。
 回復魔法にも種類があるが、フェリーナが操る魔法は水に属するため、対象の生命力を活発化させ、回復を促す質の魔法が使える。それを利用し、フェリーナは土壌そのものが持つ力を活性化させ、まだ生命力の残っていた強い草を甦らせたのだった。
 疲労困憊したフェリーナの手からライアに託され、最終的にシエラの手に渡った熱さましの薬草も、そうして復活した、数少ない薬草のひとつだった。
 フェリーナは、昨日自分が届けに来られなかったことを、その魔法のために疲れすぎてしまったからだ、と説明した。
「……。ほんと、無茶する子」
 ぽそりと、シエラはそれだけ呟いた。
 そして、診療開始まであと30分と迫った頃、診療所の入り口で、リーティスは帰り際にもう一度、深々と頭を下げた。
「こっちも、昨日は薬草届けてもらって助かったからね。気にすることないわ」
 結局、シエラは無償でリーティスの右腕を治した。リーティスには、感謝してもしきれない部分があっただろう。
 一旦、全員で宿に戻ってから、リーティスが不調を訴え、シエラの言った通りになった。
「壊れた組織が血中に流れ出して、体に吸収される際に、熱が出ちゃうものなんです。正常な反応ですから、心配はいりませんよ」
 フェリーナの説明によると、そういうことらしい。
 フェリーナ自身もまだ休養が必要な身ということで、今日は宿で大人しくしています、と、自ら宣言した。ライアももちろん、その意見には賛成だった。
「医者の不養生って、よく言うもんな」
 フェリーナは、座って話をする分には問題ないということで、リーティスの部屋に集合して、まだ明かしていない詳しい事情を説明することになった。昨晩と同じような状況で、ただし今日は、フェリーナではなく、リーティスがベッドに横になっていた。
 先程シエラの前で語った内容は、嘘ではないが、少しはしょっているところもある。
「ええっと……お話する前に。具合、大丈夫ですか? 気分が悪かったら、すぐに言って下さいね」
「う〜……水……」
 リーティスも、この面子相手では下手に遠慮はしないと決めたらしい。
 台の上に水差しが置かれ、リーティスがコップに半分ほど注がれた水をコクコクと飲み干すのを待って、フェリーナは静かに語り始めた。
 そう、それはつい昨日のこと――……



「こうして手土産も残してあげたことだし、そろそろ行くとしましょうか」
 そう言ったのは、背の高い女だった。上はタートルネックの黒い長袖に、下は細かいプリーツの入った灰色のロングスカートで、その上から、襟元がV字に大きく開いた、黄色がかった橙色の袖なしのロングコートを着ている。露出の低い服装でありながら、その肢体はしなやかな色香を放ち、腰まで真っ直ぐに伸びた銀髪と、切れ長のアメジストの瞳を持つ彼女は、掛け値なしの美女であった。
 女の連れのうち、一人は無言で頷いて了解の意を示し、もう一人、背の低い方は、欠伸を噛み殺しながら言った。
「つまんねーの。こんな平和ボケしてる国、ホントに偵察に来た意義なんてあんの?」
「あら」
 ふと、近づいてくる何者かの気配に、湖畔を離れようとしていた女は、足を止めた。
(ふぅん……なかなか、高い魔力と素質を持っているみたいじゃない……これは、少しは楽しめるかしら――?)
「アンタ達。先行ってて頂戴」
 魔法の資質に優れた者を見つけると、腕を試したくなるのが、彼女の悪癖だった。

 やって来たのは、青い髪の乙女で、最初、連れを先に行かせてそこに残っていた女の存在には気付かず、変貌した湖畔の様子に驚き、困惑を隠せない様子だった。
「酷い――……一体誰が、こんなことを……!」
「酷い?」
「え――貴女は……?」
「お嬢さん。ちょっと貴女に、用があるの」
 近づいてきた美女の微笑みに、危険なものを感じ、ぞっとしながら、フェリーナは一歩後ずさった。と、その体のすぐ脇を、鋭い針のようなものが走った。
「――少しつき合っていただけるかしら?」
 そう言って薄く微笑む女が、今何をしたのかと、フェリーナが振り返ってみると、大人が手を開いたくらいの長さがある氷の針が、地面に浅く突き刺さっていた。
(さて。どう出てくれるのかしら、お嬢さん――?)
 今のはほんの牽制に過ぎなかったが、相手を警戒させるだけの充分な自信が女にはあった。
 しかしフェリーナは、女の思っていたように、防衛のための反撃に出たのではなかった。
「この一帯をこんなふうにした、これは――あなたの、仕業なんですか?」
 僅かに震える声で、瞳はしっかりと女を見据えて、フェリーナは言った。
「さぁ、どうかしら?」
 言いながら、左手には自分の背丈ほどもある長い杖を持った女は、フェリーナに見せつけるようにして、右手に魔力を込めた。具象化する前の魔力は普通、目に見えるものではないが、高い素質を持ち、ある程度魔法の修練を積んでいる者ならば、魔力に対して、その存在を感知できるほどに感覚が研ぎ澄まされている。例えばこの氷使いの女が然りで、フェリーナにもまた、当てはまることだった。
「貴女が私に勝てたら、教えてあげてもいいわ!」
「っ!」
 一瞬、身を固くして目を瞑ったフェリーナの足元に、先程と同じような氷の針が突き刺さった。
 フェリーナは青ざめて、言葉を失った。
「どうしたの? ほら、突っ立ってたら、貴女の足元、凍っちゃうわよ――」
 女の足元から、地面を這う蛇のように、フェリーナの足元へ氷が成長していった。
「ッ!! どうして!? 私には、あなたと傷つけあう理由が解りません!!」
 足元を這う氷から逃れつつ、フェリーナが声を張る。
(甘いのね――所詮、戦争なんて他人ごとの国じゃあ、こんなもんなのかしら?)
「理由? クスッ、そんなの、私がそうしたい、それだけで充分よ。貴女の方だって、命の危機にさらされて、それでもそうやって黙っている気? それとも、ここら一帯を氷に閉ざしたのが私だと言ってあげれば、貴女にも、戦う理由は出来たのかしら?」
(やっぱり――このひとが、こんなに綺麗なひとが、こんなにも酷いことを……っ)
 確信して、フェリーナは、ぽっと胸の奥に小さな怒りの火種が灯るのを感じた。
(いいわ……ふふっ、少しは、『らしい』表情になってきたじゃない……あとひと押しってところね――)
 女はそれから、問答無用でフェリーナに向けて氷の針を飛ばした。今度は、先程までとは違って、体をかする程度には狙いをつけている。
「やめて下さい! こんなことをしたって、争いの解決にはなりません!!」
 それでも、フェリーナは戦わなかった。――戦えなかった。
 フェリーナは、回復魔法に関しては、人並み以上の知識と力を持っていたが、攻撃系の魔法は、ただのひとつも習得していなかった。今まで、後天性魔法として習得する必要性も、先天性魔法として目覚めるきっかけもほとんど無かったことが原因だが、何より、フェリーナは、人を傷つけるのが怖かった。その心理が大きく作用して、攻撃魔法に目覚めるきっかけには何度か直面していたかもしれないのに、無意識のうちにそれを抑制し、機を逃していた可能性は強い。
 女は、フェリーナの説得を聞き入れず、一方的に魔法で攻撃し続けた。
 どうにか身を守りながら、それでも、戦い慣れしていない普通の娘でしかないフェリーナは、徐々に傷が増えていった。美しくも鋭い氷の刃に、頬が裂け、服が傷付き、腕や脚などの白い肌には、細く赤い線が刻まれていった。
 女を撒いて逃げ切ろうにも、町はいささか遠すぎた。
「あっ……」
 逃げ回るしか術を持たないフェリーナが、一面に広がる氷の隙間に顔をのぞかせた地面を這う蔦に足を絡ませ、転倒した。
起き上がろうとするフェリーナに、ゆっくりと、確実に、女が迫る。紫の瞳には、慈悲など微塵も窺えない。
 怯えながら、それでもフェリーナは勇気を振り絞り、女を見据えながら尋ねた。
「あなたは、どうして――こんな、酷いことを……!?」
 フェリーナを追い詰め、女は、絶世の美貌を冷たく凍りつかせて、フェリーナを見下ろしていた。
「いいわ。冥土の土産に教えてあげましょう」
 女は、手にした杖の、三日月のような銀の刃と、槍のように鋭く尖った透明な水晶がついた先端の方をフェリーナに向けて、不敵に薄く微笑んだ。刃の付け根の部分には、蝶結びになった薄紅色のリボンが揺れている。
「私達はね、戦争をしていないこの国がどれだけ脅威になるか、それを調べに来たのよ」
 女は、『私達』と言った。
「なぜ、っ!」
 言いかけたフェリーナに杖を突きつけ、脅すような据わった目線で、女はさも下らないことのよう言った。
「だったらなぜ、ここら一帯をこんな風にする必要があったか、って言うんでしょう? こんなの、ほんのついでよ」
「つい……で……?」
 フェリーナは、信じられない女の返答に、大きな衝撃を受けていた。ついで、などという軽々しい理由で、この女性は、多くの人を困らせる真似をした。
「――……」
 フェリーナは、ふつふつと胸の底から湧き上がってくる感情を自覚した。それは、怒りだけでなく、悲しみ、哀れみ――フェリーナは、女のしたことに怒りを覚え、人々を救う薬草が失われたことに悲しみ、そして目の前の女を、哀しいひとだと思った。冷酷で、美しく――けれども、乾いた満たされない心を持つ女性。フェリーナには、そう思えた。
「こうすることで、当然、困る人も出てくるでしょうね。町の人間は、誰がやったのか、お互いを疑い始めるわ。そうやって不安が広まって、いっそ暴動でも起きてくれれば、それはそれで好都合。あっちの大陸のことには関与してない国と言っても、勝手に弱体化してくれるなら、それに越したことはないもの」
「あな、たは……!?」
「お喋りは、ここまでよ」
 女が冷たく言い放ち、フェリーナの体のすぐ前で、杖の先についた水晶に魔力が集まっていくのが判った。
「とんだ期待外れね。貴女、歯ごたえがなさすぎてつまらなかったわ。じゃ、おやすみなさい」
(私、ここで死ぬの……!? ティス、おばあさま……っ!!)
 その時、瞬間的に甦った記憶は、幼い頃、故郷を離れていった両親のことだった。
 小さい時はよくフェリーナを肩に担ぎ上げてくれた、大好きだった父の腕。その力強い腕は、糸や針を驚くほど繊細に扱うことが出来たし、メスやはさみを魔法のように操ることだって出来た。
 いつかフェリーナも、父のような立派な医者になりたいと思っていた。
(だめ……まだ、私は、こんなところで終わっちゃ、だめ……!!)
 その強い想いに呼応するかのように、フェリーナの体から、周囲に魔力が解き放たれた。
「!!」
 その魔力を感じ取った女は顔色を変え、退いた。
(お願い……!)
 フェリーナが背に平面の四角形を背負っているかのように、4つの頂点に凝縮した魔力が、それぞれ水の龍に化け、突き抜けるように空間を走った。
「くっ――!?」
 4本の水の柱から華麗に身をかわし、女は、不敵な笑みを浮かべた。
「へぇ……? なかなか、やるじゃない……」
(だけど、この感じ……魔力の立ち上がりも不安定だし、コントロールもまだなっていない……? まさか、これが初めてだったとでも言うの!?)
 舐められたような気分で、女は、不服そうに鼻を鳴らすと、フェリーナに背を向けた。
「気が変わったわ。今日のところは、見逃しといてあげる。……ただし」
 女はただ一度、顔だけを後ろに向けて振り返った。
「次に会うことがあれば、その時は、もっと楽しませてちょうだい……? それじゃあね、お嬢さん――」
 初めて使った攻撃魔法にすっかり気力を消耗してしまったフェリーナは、女の後ろ姿が森に消えていくのを、ただ呆然と眺めていた。
 それから少しして、はっと我に返ったフェリーナが、まず考えたのは、シエラに頼まれた薬草のことだった。
 そこから先は、診療所でシエラにも述べた通りである。
 薬草を甦らせるために魔力を使い切り、疲れ果ててふらふらと町に戻って来たところを、ライアに見つけられた。
「それじゃあ、フェリーナを襲ったのは――」
 行き着いた答えは、決して気分のいいものではなかった。
 リーティスもライアと同じ考えだったらしく、寝たままで小さく呟いた。
「魔族……?」
「……ええ。ですが、あのひとの言葉だけでは、真実かどうかは判りません。確証はないので、あまり大きな声では言えませんが――スロウディアにも、魔族が入り込んでいる可能性が考えられるということです」
 それを聞いて、ライアは表情を固くした。まだ動き出す気配こそないものの、自国に魔族が入り込んでいるとすれば、それは憂慮すべき事態である。
 眉間にしわを寄せて考え込みながら、ライアは話を振った。
「そう言や結局、リーティスの方とは、何か関係あんのか?」
「銀髪……」
「え?」
 フェリーナが訊き返すと、リーティスは、確証がないのか、やや頼りのない様子でこう言った。
「ううん、フェリーナが見た人とは、多分別人だと思う……声も、間違いなく男の子だったと思うし……」
 そこで一度言葉を切って、思案するようにしていたリーティスは、骨折の痛みで意識を失う直前、最後に銀色の髪を見た気がする、と言った。
「銀髪、ね……」
 ライアは、ふと思い当たった節を探ってみることにした。



「――え? 僕ですか?」
 仕事の合間を見計らって、ライアは厨房にいた同年代の少年に声を掛けた。
 邪気のない顔つきの少年は、短く刈った銀色の髪をしていた。
「そうです、ノーゼの生まれなんですよ。8年ほど前、家族でこっちに渡ってきたんです。でもどうして」
「え、いやさ――銀髪って珍しいな、って思ってさ。あっちでは、みんなそんな感じなのか?」
 ひと目でスロウディアの人間と判るライアの髪の色を見て、少年はにっこりと微笑んだ。どうやら、その質問で気分を害してしまった様子はない。ライアはほっと胸を撫で下ろした。
「ええ。僕の生まれた村では、これが普通でした。――あ、まだ時間あるんで、そっちで座ってお話しません?」
 ライアは頷いた。
 厨房の隅にあった木箱に腰掛けながら、少年は話し始めた。
「あ、僕、エストに渡って来てから生まれた妹がいるんですよ。って言っても、もう7歳になるんですけど。だから、こうやって、僕が少しでも稼げるようにしないと」
「がんばってるんだな」
 ライアの率直な褒め言葉に、少年は、へへ、と照れ笑いをした。いかにも根が純朴そうだ。
「僕が住んでた村は、ヘムル、っていう、あまり名も知れていない、小さな村でした。のどかな場所で、僕達家族も、そこそこの暮しを送ってたんですが――」
 視線を下げ、少しだけ弱ったような顔つきで、彼はトーンを下げながら言った。
「僕が、まだ5歳だった頃、村からはそう遠くない町が、魔族の一団に襲われて壊滅したんです。幸い、すぐに大都市から増援が来て、魔族達も、ヘムルのような小さな村には目もくれずに引き上げていったんですが……。その頃から、両親は、相談し合って、村を出るつもりでいたようです。今思えば、ヘムルにいたころ、色々と我慢をさせられたのは、こっちに渡ってくるためのお金を貯めるためだったんですね」
 少年は、今はスロウディアで家族で生活が出来て幸せだ、と言った。
「スロウディアは、いい国ですよね。平和で、気候も良いし」
 その言葉に、ライアは思わず顔が綻んだ。
「ありがとう」



 フェリーナの話を聞いて、翌日になっても、ライアの憂いは晴れることはなかった。
(リーティスも、セーミズじゃほとんど見かけないし、エスト大陸で銀髪は珍しいんじゃないかって意見だった。これで、リーティスとフェリーナを襲った犯人がノーゼから来たって線が有力になったけど……問題は、そこに魔族が絡んでいるかどうか、なんだよな。まさか、あん時、ノーゼでは魔族も銀髪なんですか、なんて訊けそうになかったし……)
 ライアが昨日、宿の厨房で話をした少年は、リーティスの骨折が明らかになった折に、氷を作ってくれた人でもある。だから、ライアとしても、あまりに不躾な質問をするのは憚られた。
 考えても答えの出そうにない問題に、自室でひとり頭を悩ませていたライアのところへ、フェリーナがひょっこり顔を出した。
「リーティスさんから、大事なお話があるそうです」
 呼ばれて行ってみると、そこには、硬い表情のリーティスが、背筋を伸ばして座って待っていた。
「あのね、私……」
 すう、と息を吸って、リーティスは言った。
「もう少しだけ、一緒に旅をさせて下さい!!」
「は?」
 勢い込んで頭を下げたリーティスに、ライアはきょとんとし、フェリーナはのほほんとしたいつもの顔のままでいた。
「――なんだよ。大事な話っつーから、もっと大変なことかとイテ!」
 ライアの左の頬を右手でぎゅっと抓ったリーティスは、手を離して言った。
「大事なことなの」
「いってー……何も抓ることないだろ?」
 頬をさすりながら、ライアは胸中で文句を吐いた。
(心配することなかった、って意味なのに……くっそ、どうして俺にはこうも風当たり強いんだか……)
「これでも、昨日一日かけて、考えて考えて出した結論なんだからね!? そっちのお気楽な家出と、一緒にしないでよ!」
「わーるかったなぁ、お気楽で」
 ライアとて、何も考えずに城を出た訳ではないのだが。
「それであの、フェリーナ……この前のこと、許してくれる?」
 どうやら、リーティスが畏まっていた原因は、そこにあるらしい。
「えっ?」
 そこに間があって、奇妙に平和なときが流れたかと思うと、やっと、フェリーナが思い出したようにぽんと手を打った。
(当人がこの調子じゃあ、全く心配いらないみたいだな……)
 それを見たライアは、ひとり納得していた。
「もしかして、まだ気にしていたんですか? 大丈夫です、ちゃんと、あれは嘘だったって、謝ってくれたじゃないですか。だからもう、気にしないで下さい。ね?」
「うん……ありがとう。あのさ――ところで、ちょっと気になったんだけど、変なこと、訊いていい?」
「はい。何でしょう」
「いつの間にか、ライアだけ呼び捨てになってるんだけど……」
「あー、それは、えーと……そうだ、そうそう! 峠で話してる最中に、堅っ苦しいのやめてくれって、俺が言ったんだ」
「そうでしたね」
「むぅ……」
 たまたま、その時の会話に自分が加わっていなかっただけの話だったが、抜け駆けされたようで、何だか悔しい。
「だったら、私も呼び捨てでいいのに……」
「――だってさ?」
「はい。それじゃあ、これからはリーティスって呼ばせてもらいます」
「うん。その方がいいな。歳だって、そんな違わないでしょ?」
「えっと、私ですか? 18です」
「そっか、じゃあ1つ違いなんだ。私、先週17になったばっか。で、ライアは……別にいいや」
「いいやって何だよ、いいやって!? 俺16だって!!」
「あっそ。じゃあ、少しは年上を敬ってよね」
「〜っ!!」
(何だよそれ!?それって、ほんのちょっと前は同い年だったってことだろ!?ちくしょ〜……追いつくのに半年か……)
 ライアは、言いようのない理不尽を感じた。



 町に滞在している間、読み書きの出来るリーティスは代筆の仕事を見つけ、フェリーナは診療所の手伝いに行き、ライアは宿で短期バイトをしていたため、宿代も少しは浮き、順調に旅費を稼ぐことができた。
 リーティスの代筆の仕事だが、セーミズとスロウディアは同一の言語を使用しているので、仕事自体に何ら問題は無かったのだが、依頼主の青年が女好きで、リーティスを迎えに来たフェリーナのことをすっかり気に入ってしまい、しつこく言い寄るという場面があった。
「へぇ〜、じゃあ、お医者さんになるために勉強をしているのか。いいなぁ、僕も君みたいな子に看病されたいよ」
「そんな。健康が一番ですよ」
「はっはっ、こりゃまいったね。まったく、君の言う通りだよ」
 フェリーナはこの通り天然気味の対応で、青年の思惑になど気付いた様子もなかったが、リーティスに言わせてみれば、青年の態度は下心丸出しであった。
 その日は仕事も最終日で、賃金も受け取った後だったということもあり、リーティスは強行策に出た。
「どいて」
 フェリーナを脇に押しやると、リーティスは毅然として依頼主の前に立った。
「ん? なんだい? 僕はフェリーナちゃんとお話して、る――」
 そのまま、青年は後ろ向きにばったりと倒れた。慌てて駆け寄ろうとしたフェリーナを、リーティスが手で制する。
「いいの。眠らせただけだから。こんな奴ほっといて、行こ」
「えっ、ですが――」
 青年の方をちらちらと窺うフェリーナの手を引いて、リーティスは代筆の仕事場を後にした。
「へぇ。催眠魔法なんて使えたんだな?」
 後で話を聞かされたライアは、意外そうに言った。炎系の術にも催眠の魔法はあるが、なかなか特殊な魔法であるため、知識として知っていただけで、これまで、ライアの身近なところでは習得している人間もいなかった。
「はぁ……昔、無理矢理覚えさせられたの」
「……? ですが、それなら、普通は後天性の魔法として、学習して覚えるものじゃないですか?」
 フェリーナが疑問に思ったのも無理はない。青年を眠らせた時、リーティスは一切詠唱をしなかった。つまり、なんらかのきっかけで目覚めた、先天性の魔法だ。しかし、フェリーナが使える魔法の大部分がそうであるように、後天性の魔法は、まず、正しく魔力を引き出すための詠唱を覚えることから始め、その後、修練を積み重ねて習得する。
「ううん。それじゃ、いざって時、役に立たないからって。一応、曲がりなりにも良い家に生まれたんだから、万が一、危険に巻き込まれて、例えば誘拐されたり、人質にされそうになったりした時、身を守れるようにってね。そういう時、詠唱は無いほうが有利に決まってて――それは、解るんだけどさ。だからって、うちの親、気合いで出来るようになってみせろ、なんて無茶言ったの!」
「…………。なんか、リーティスんとこ、すげー教育方針の親なんだな……」
「お母様はもうその時亡くなってたから、お父様のせいなんだけどね。因みに、魔法の練習台はうちの兄」
「はあ……」
 リーティスがさらりと流した部分には触れず、それにしてもすごい家族だ、とライアが考えていると、フェリーナが表情を曇らせて言った。
「それにしても、本当に、あのまま放っておいてよかったのでしょうか……?」
 青年を放置して来てしまったことが、よほど気がかりだったらしい。
「気にしなくていいと思うぜ? 話を聞いた限りじゃ、リーティスの判断は間違ってなかったと、俺、思うし」
 それでも表情の冴えないフェリーナに、二人はまさか、という思いに駆られた。フェリーナは、例の口の上手い青年に、まんまと引っかけられてしまったのではないか、と。
「あの倒れ方、脳震盪を起こしていないか心配で――」
(なんだ、そーゆーことか……)
(はぁ……心配して損しちゃった)
 二人は、ほぼ同時に、似たようなリアクションをとった。

 フェリーナがその日、リーティスをわざわざ仕事場まで迎えに行ったのは、その日が西に向けて出発する前日で、最後に全員でシエラのところへ挨拶に行こうと決めていたからだった。

 フェリーナ達を送り出すにあたり、シエラからは餞別があった。
「峠の話をしてくれた時、自分も何か、武器の一つも持ったほうがいいんじゃないかって、そうこぼしていたわよね?だから、私からこれをあげるわ」
 どうやら、診療所の手伝いに来ていた時にフェリーナ本人から直接話を聞き、自分の身を守れないことを真剣に悩んでいたことを知って、シエラなりに考えてくれたらしかった。
「ほら、これって邪魔にならないし、なかなか便利なのよ?」
 そう言って、シエラは白衣の下から、すらりとした足を惜しげもなくのぞかせた。短いタイトスカートの裾からヒールまで続く曲線が、まぶしい。ライアは慌てて目を逸らしたが、嫌でも目に入ったそれは、激しく脳裏に焼きついていた。
(な、何てものをフェリーナに!!)
(ちょっとちょっと、何なの〜!? この人っ)
 医者であるはずの彼女は、なぜか、小型のナイフをベルトで太腿に装着していた。
一体どれだけストックがあるのか、同じものを取り出して、それをフェリーナに渡す。
「確かに、護身用には役に立ちそうですね。ありがとうございます、シエラさん」
 そう言って、あっさり当人が受け取ってしまったものだから、その場にいた二人は、止めようにも、止められなかった。
(あれ、ひょっとしなくても、太ももに装備しろってんだよな? でも、フェリーナのスカートって膝丈まであるし……てことは、使う時――際どっ!? てか、何想像してんだ俺!! 馬鹿馬鹿馬鹿!)
(そこのお姉さんならともかく、フェリーナにそんな真似、させて堪るもんですか――!)
「フェリーナ……絶対、私が守るから」
 フェリーナの両肩にしっかと手を置いて、真剣な顔つきで言ったリーティスに、フェリーナ自身は何とも無自覚に、笑顔で答えた。
「はい。これからは、魔法で少しは援護ができると思うので、私も、お二人を守れるように頑張ります」
「うん。そうして……ナイフなんか、持たなくていいから……」
 気疲れしたような調子のリーティスに、フェリーナは小さく首を傾げた。
(あー、でも、折角もらったのに、使わないのはちょっともったいな――くないっ! 使わないで済むように、俺も、しっかり守れるようになんねぇと……!)
「ああそう、それと、そっちのあなた」
「私ですか?」
「そうよ、お嬢さん。フェリーナから聞いたわ。ここに来る途中、峠で、魔物を倒した時に剣を駄目にしてしまったんですってね。……はい、これ」
「?」
 そんな話は初耳だったが、フェリーナが気を回してくれたのだろう、とリーティスはすぐに察した。
「これは――」
 渡されたものの重みは、確かに金属のそれに違いなかった。リーティスが確認するようにシエラの目を見て、シエラがひとつ、頷くと、リーティスは柄の部分を持って刀身を引き出してみた。
 リーティスがそれまで使っていた剣よりは、やや、無骨で、重量もあり、一部刃こぼれしている部分も見受けられたが、これならば実戦にも使えそうだった。
「甥っ子が、まだ剣術を習いたてだった頃に使っていた剣よ。今は不用なものだから、好きなように持って行って。ただし、質はあまり良くないけれど……ね。剣士さんがいつまでも手ぶらのままじゃ、格好付かないでしょ? それでしっかりフェリーナを守って、安全に目的地まで連れてってあげて。そこのボクも、頼んだわよ」
「え、あ、はい……」
(『ボク』って……俺、もう16なんだけど? あ、涙でそ……)
 この歳にしてその呼ばれ方は、流石に傷付くやら、情けないやら。
 そうしている間に、シエラはリーティスの方にくるりと向き直っていた。
「た・だ・し、折角治してあげたんだから、また腕を壊すような、過激なリハビリだけは禁物よ?」
 そう言って片目を瞑ったシエラは、流石に医者らしい気遣いを見せていた。
「――はい。色々、お世話になりました!」
「はいはい。それじゃ、仕事の邪魔だから、3人とももう出てって頂戴! ――良い旅を」
 3人は、明るくそう言ったシエラに、診療室を追い出された。


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