始まりは、たった一つの願いだった。


『 ヒトが、互いに傷つけ合うことなく生きられる地を、どうかこの地上にも―― 』


 これは、その一つの夢が迎えた終着点。






STAGE 40 turning point 〜水の国の黄昏〜



「姉上達の暴走を、言葉で止めたいって?」
「うん。できるならだけど……」
 絶対できる、と言えない意気地なし。嘘でも、そう言えれば良いのに。
 でも、この時はもう、薄々予感してたのかもしれない。衝突は免れないことを。その言葉を――守れないことを。
 そんな私をまじまじと見る少年は、蒼(ソウ)と名乗った。アリヤがセーミズのような王政だったら、ソウは王子様にあたる。
「『できるなら』――……」
「できなかったら……その時は、ごめん。私は、お姉さん達と戦ってでも、故郷を取り戻す」
 こんな時に限って嘘の一つも出なくなった自分に胸の内で悪態をつきながら、私は真っ直ぐにソウを見た。
「できる限りの説得はしてみる。だから、ここを通して」
「…………」
 ややしばらく沈黙があって、ソウは重たい口を開いた。
「できるなら、か。そうだね。オレなんかは、色んな事、最初からできないって決めつけて生きてた。でもお姉さんは、できないかもって思っても、簡単に諦めないんだね――」
 一瞬遠い目をしたソウは、白虎のヘレナと踊り場の脇に避けて道を空けながら、降参したように言った。
「いいよ。オレは、正面きって姉上達と対立する勇気はないけど。でも神官としてのオレじゃない、『ソウ』っていうオレ自身は、多分、姉上達と同じ考えじゃないから」
「ありがとう、ソウ」
 お礼を言って、私はソウとヘレナの脇を通り、階段を駆け上がる。私に聞こえないその後ろで、ソウがとても小さく呟いた。
「国を救うため、剣一本で勇敢に挑む剣士、か。これじゃ、お姉さんの方が王子様だ」



 胸の底から沸々と沸き起こる怒り、悔しさ。だけどそれは頭に血を上らせる質のものでなく、怖いほどに頭は冴えた。
 一度も本番で使用したことのない詠唱は、驚く程すらすらと口をついて出てくる。
 エストの怪異を司る石柱を守る二人の巫女も、同じく詠唱に入っていた。

 本当はこんな事、望んじゃいない。
 だけどどうしても、ここで片方が折れるしかないというなら。

(俺は――何がなんでも、ここを、越える……!)
 中盤を過ぎた詠唱を口走りながら、俺は持てる限りの集中力を魔法に注ぐ。魔法は得意でないなんて言い訳、ここでは通用しない。
「…れんの槌の大神よ ラーハネット=ディル=スロウディアが ここに乞う……!」
 残り二節。そこで、第5層から駆け上がって来る人影があった。



「…び声に応え 今ここに顕現せよ!!」
「……ッ!」
 階段を上りきった瞬間、目の前で炎と水が弾けた。
(間に合わなかった……)
 こちらに背を向けて炎を操(く)るライア。向かい合った巫女姫は、一人が圧倒的な水で攻撃を、一人が水壁で防御に徹している。ライアは巫女姫の攻撃を相殺しながら、水壁の突破を試みていた。
 次の瞬間、猛スピードで私の後ろから飛んで来た白い閃光が、私のすぐ脇を通過した。
(え――!?)
 閃光の正体は、白虎(ヘレナ)だった。
『わたくし達の長年の悲願、ここで潰えさせる訳には参りません』
 かすかに聞こえた、落ち着いた強い意志を感じさせる女の人の声。白虎の姿が炎とせめぎ合う水に溶けるようにして消えたかと思うと、水勢が増し、炎を押し返す。
(……っ!!)
 気づけば、後先考える間もなく、詠唱を口走っていた。
「我は烈風の子 今ここに荒れ狂う嵐を呼ばん 我が意思は風の軌跡 我が呼び声は…」
 駆ける先は、ひとつ――!

「ごめん、母さん」
 リーティスを行かせた後で、ソウは小さくヘレナに謝った。白い虎は何も言わず、青い瞳で彼を見上げている。
 その時、上層で大きな魔力同士がぶつかり合う気配があった。
「!!」
 その波長を感じ取ったソウは一瞬身を震わせ、ヘレナは真っ直ぐに階上に視線を向ける。
「……ヘレナッ」
 駆け出そうとするその気配を察して、ソウが慌てる。その手に、白虎は一度だけ頭を擦り寄せた。
『お別れです、蒼。側にいてやれなくてごめんなさい。姉さん達を助けて、しっかりやるのですよ――』
「やだよっ!」
 8年ぶりの懐かしい母の声。ソウはすがるように叫んだ。
「行かないで!! 母さ……ぅ!!」
 ソウに当身を食わすと、白虎は光となって階上へ駆けた。

 目の前で威力を増した水が、すぐそこまで圧している。
「ち、く、しょぅ……!! ぅわぁあーーー!!」
 俺は、残り少ないありったけの魔力を絞り出し、突き出した両手に籠める。じりじりと押されつつあった炎は、そこで留まる。だけど、押し返すだけの力が出ない。
 千年の想い? 相手が無手の姫? それが何だ。『相手が正しいと認められない以上』、俺は、勝たなきゃ駄目なんだ……!!
 俺は消えたっていい。だから……
「!」
 俺の目に、この場に飛び込んで来ようとするリーティスの姿が映った。
 来るな――!
 これだけ激しい魔法の衝突になると、外部からは近付いただけで致命傷を負う。
 解っているのに、俺は魔力を緩められない。いま力を抜けば、水に貫かれて俺達は二人とも死亡する。だからリーティスを殺すことになっても、魔法は中断できない。
 コンマ数秒で出た結論に真っ白になった頭で、俺は絶叫した。
「ィス=「来るなあぁーーーーッ!!」…に乞う 我が真名(まな)のもとに その力を解放せよ――!!」
 魔力の余波で周囲に衝撃波を発生しているはずの俺の手に、もう一つ手が重ねられた。隣に立つリーティスの体は、どこも傷ついていない。
 ほとんど力の残っていない俺の目の前で、萎えかけた炎が大火に化ける。
 俺は息を呑む。複合魔法だ。
 だけど、それだけで簡単に譲ってくれる相手ではない。最後の悪あがきのように、逆に水は威力を増している。
「お母様、私達に、ご加護を……っ!!」
「くぅ、私達の想いは! 決して折れない――!!」
 けど、負けられないのはこっちだって一緒だ。
「リー…ティス!」
「わかってる……っ!」
 俺は、砕けそうな自分の膝を叱咤し、ありったけの力を――体中の魔力を、全て魔法に注ぎ込んだ。



 人には届かぬ声で、リーティスを衝撃から護った力と、もう一つの力が対話する。
『……久しいな』
『よーォ、無茶してんな。助けが必要かい、お・坊・ちゃ・ん?』
 互いにもう人間ではないので肉体はなく、思念同士の会話が続く。
『断る! ……と言いたい所だが、このままではこいつらの体が持たない。私の存在そのものと引き換えに、8代目に手を貸す』
『ぉーぉー、殊勝なこって。精霊として力を使いきるってこたぁ、もう人間にも生まれ変われねぇし、本当に消えてなくなっちまう事だってゆーのによォ? ったく……』
『貴様はどうする』
 ぎろりと刃物のような目線をくれてやったつもりで問う彼には、ニタリと品のない笑みを浮べる大男の姿が見える気がした。
『愚問だっての。男二人で心中なんて、シュミじゃねぇけどな……! 今ここで体張ってる嬢ちゃん達のためだってなら、ひと肌脱いでやるぜ――!』
『承知した。ならばそちらは任せる……!』
『おうよ……ッ!!』

(くそ、意識…が…………)
 巫女姫達はまだ、倒れていない。ヘレナの助力を得た姉妹は、苦しそうに息をしながら、それでもまだ耐えている。
 気が遠のき始めたライアも、力を出し切ったリーティスも、彼女達に対抗する魔力が残っていなかった。
 彼らが立ったままほぼ意識を失ったとき、何者かが魔力を与え、炎と風を内側から支えた。
 目を見張る巫女姉妹の視界に、炎は広がって行き―――――

 バキンッ!

 第6層の石柱に亀裂が走ると同時に、魔力に敏感な乙女二人は、はっと顔を上げた。
「今の――」
 眼鏡をかけた娘の呟きに、髪の長い乙女は辛そうに返した。
「ええ……ステラ様とミーナ様は、敗れてしまわれたようね……」
「そんな……っ」
「行きましょう、リサ。万一に備えて私達がここへ来たのは、間違いでなかったわ」
 毅然と顔を上げて先導する乙女の後ろを、リサは左拳を胸に当て、不安に揺れる瞳で追いかける。リサは、怪異を起こしていたのが他でもない自国の上層部だったと、先程無二の親友に吐露されて、ショックを受けたばかりだった。
 彼女達がいるのは、第7区画――神殿の、地下第1層だった。そして、これから行こうとしているのは常人にはその存在すら知られぬ第8区画――地下第2層である。
 ひんやりと薄暗い第8区画の中央まで行くと、そこには黒曜石の円柱が安置されていた。
「ねぇ、クローゼ……姫様達がいない今、こんな事――」
「リサ。私達は選ばれしミースの巫女。恐れることはないわ。これは、姫様達の意志。そして遠き昔より紡がれてきた、遙かなる先代からの遺志なのよ」
 クローゼと呼ばれた乙女は、石柱の周りにある術を流れるような手つきで始動させた。その後ろで、体の前面に下げた両拳をぎゅっと握りながら、リサは俯く。竹馬の友が何をしようとしているのか、リサには解っている。事情を聞かされた今、本来なら、自分もそれに加担しなくてはならない立場だ。けれども、リサには手が出せなかった。
 ここにある石柱は、ノーゼに怪異を起こすためのもの。侵入者によって破壊されてしまったのは、エストに怪異を起こすための石柱だ。だから、次の満月まで2日と迫った今なら、多少の精度や安定性は犠牲にして、すぐにもノーゼに怪異を起こす事ができる。
「あぁ、姫様――このわたくしが、御身に代わり、戦火を絶やさぬ愚かなる者達に永久なる安らぎを与えます――」
 どこか恍惚とした表情で術の発動段階を進めていくクローゼの後ろで、リサは小さく拳を震わせた。
「…め、て……」
 クローゼの長い指が、怪異を発動させるための最後の紋様をなぞる。
「やめてぇー!!」
 後ろからその腕に組み付いたリサは、
「あぅっ」
 冷たく友に振り払われた。地面に倒れたリサには見向きもせず、クローゼは――最後の紋様を描き、術を完成させた。
「姫様――天国(そこ)からご覧になっていますか? これが…」
「うわああぁっ」
「なっ――リサ!?」
 渾身の体当たりにバランスを崩したクローゼは、誤って石柱の向こうにある、4メートルほどの溝に転落した。青い顔ですぐさま溝を覗き込んだリサは、頭から血を流し、溝の下で動かなくなった友を見た。
「ひっ……!」
 ここまでするつもりはなかったのだ。そこへ――
「相っ変わらず、どん臭いカオしてるわね」
「ペ、ペルラっ!?」
 腰を抜かすほど驚きながら、リサは尻と両手を床についたまま溝の方に後ずさりした。
「後ろ気をつけなさい。落ちるわよ」
 そう言って、手を差し出す。
「あ……あんたに言われたくないわ!」
 ペルラの手を借りて立ち上がったリサの膝は、がくがく震えていた。
「あ、あたし……」
「あんたは、よくやったわ」
 溝の下を一瞥して、ペルラは言い放った。眼鏡の奥から、強くリサが睨む。
「こ…の……裏切り者お! 目の前で親友があんなになっても、敵に寝返ったあんたは何も感じないんでしょうっ! これは私の意思じゃない! 事故なのよ!!」
「でしょうよ。あんたは私と違って、人なんか殺せない」
「……ッ」
 クローゼのために涙を流しながら、ペルラへの怒りで顔を真っ赤にさせたリサは、そこで緊張の糸が切れたのか、ぺたりと座り込んでしまった。
「ペルラ……あと10分でね……ノーゼが、あれに呑まれちゃうの……」
 冷汗を浮べたペルラは、石柱の周りの術を素早く見渡す。
「リサ! 手伝いなさい!!」
 鋭く叫んで、ペルラは必死に術を読み取る。こういった事にはクローゼが最も長けていて、今、彼女の助力は得られない。だから、自分がやるしかないのだ。

 第二区画では、まだユーシュ達が衛兵と戦っていた。防一戦の衛兵相手に、思ったように兵の数を減らせていない。それに、途中からペルラを下層へ逃がしたので、実質3対多数で戦い続けていた。
 彼ら3人、大きな怪我はないものの、疲労の色が濃い。それぞれの得物も、切れ味や威力が落ちてきている。
 この場には魔力に鋭敏な者がいなかったため、第6層での異変はまだここには伝わっていない。そんな時、大男のロットンは、隣で戦うビゼスに言った。
「兄さんは、もう行くといい。ここは、私達二人が引き受ける」
「同感ね」
 どの道、この二人は長くは戦えないだろう。だが、ビゼスが残った所で、その時間がわずかに延びるだけだ。短期決戦に持ち込まなくては、どちらにしろ敗北が見えている。
「恩に着る……」
 戦場を離脱したビゼスは、ペルラとは反対の――『上層』を目指した。

 第5層まで昇って、逡巡の後に彼が選んだのは、右の入り口だった。
 左は複雑な迷路だ。それに、ライアを追っていった衛兵が、今は中をうろついているに違いなかった。
 階段を上っていくうち、途中に倒れている人影を見つける。
(こいつが、例の不死身のガーディアンか――?)
 いや、違うだろう。どう見ても普通の少年で、しかも気を失っているので、ビゼスは無視して先へ進んだ。

 第3層東の空中庭園を彷彿とさせる第6層には、4人のヒトが倒れていた。いや、正確には『2人と、ヒトであったもの2体』と言った方が正しいのか。
 焼かれた遺体は、どちらも背格好から女である事が窺えた。戦いに男も女も無いとは思っているが、若い女が亡くなっているのは、やはり気分のいいものではない。
 それから私は、近くに倒れた男女の安否を確認した。
(息はある、な……)
 その時、眠ったままのリーティスの腕輪からペルラの声がした。
『聞こえる? いい? これを聞いてるなら、速やかにアリヤから遠くに退避して』
 腕輪はリストがリーティスに渡したものだったが、私はそんな事は知らない。ただ、ペルラの語る由々しき事態に、眉間に皺を刻んだ。
『事情はこれから説明するけど、落ち着いて、逃げながら聞いて。エスト大陸は、怪異から解放されたわ。でも、もう一つの方、ノーゼの怪異は発動してしまった。――正確には、『あと8分で始まる』。だから私はここに残って、この怪異を…』
 腕輪からの音声はかすれてやや聞き取り辛い。私は聞き漏らすまいと耳を近づけた。
『…ノーゼじゃなく、このアリヤに向けさせる。どの位の広さで怪異が起きるかまでは、保証できない。ごめん、それは謝っとく。それと――そうね、こんな所で言うのが正しいか判らないけれど――ありがと』
 それが、ペルラが腕輪を通してメンバーに発信した、最後の言葉だった。

「ね……ペルラ」
「ん?」
「私達、とても畏れ多い事をしてるんじゃないかしら……。もう止められないからって、この力を、アリヤへ向かうよう勝手にねじ曲げるなんて――」
「このままノーゼで怪異が起きて、その原因がアリヤだってばれて、人間からも魔族からも一斉に攻められて国が亡ぶよりマシよ。それに、ね」
「?」
「ノーゼに渡ったエリーゼね、もうすぐ、産まれるんだって」
「エルに、赤ちゃん??」
「そ。私達3人が無茶苦茶しちゃった分、誰か一人くらい幸せになってもらわないとね。私達がこうする理由――エリーゼの事だけじゃ、不足?」
「……ううん、そんな事ない……」
 リサはうるんだ瞳を誤魔化すように顔を上に向けて、笑顔を造った。
「ねぇ、それにしたっておかしくない? どうして私、最後までペルラなんかと腐れ縁なんだろ? ほんとなら……ひっく、今頃、クローゼも、みんな元気で……、っ、あたし、素敵な男性と恋に落ちてる予定だったのに……」
「さあね、それは私が聞きたいわ」
 クールにペルラは返した。

 ユーシュは、変わらず防御に徹する衛兵達との膠着状態の中で、ペルラからのメッセージを受け取った。無論、側にいるロットンや、彼らと退治する一部の衛兵の耳にも、その言葉は届いた。
「お待ちくだされ」
 その時、それまで戦闘の場には見えなかった小さな老翁が、衛兵達をかき分けて、杖をつきながらユーシュ達の前に歩み出た。
 老翁は、一切の武装をしていない。腰は曲がり、背もロットンの半分しかなく、銀色の長い眉や髭がシュナウザー犬を思わせた。
「先のお声――ペルラ様とお見受けする。ならば、その言葉に偽りはありますまい」
 老いて尚、その聴力は衰えていないのか、何らかの魔法を使ったか、老人の耳には、先刻の言葉が克明に伝わったらしい。
「武器を下げい」
 老人の言葉に従って、戸惑いつつも衛兵達が一斉に得物を持つ手を降ろした。
「よもや、これ以上の戦いは無意味じゃ。皆も聞いたであろう。このアリヤは――眠りにつく」
「「「「…………」」」」
 しん、と葬儀のような沈黙が流れた後、ゆけい、と老人に促され、衛兵はそれぞれ愛する家族や恋人のもとに散っていった。それから、ゆっくりと老人は二人に向き直った。
「『あの現象』を起こせるのは、地脈の魔力の集まる場所だけでのぉ。人工的に作り上げたそれは、スロウディアの国境、ノーゼの奥地、そして――このアリヤだけじゃ。ほっほ、流石ペルラ様はご聡明だの。本来、あの現象を起こすためでなく、研究に利用するためにアリヤに地脈の魔力を引いていたことに、目をお付けなすったらしい」
 ゆったりと解説をするピンクの頬の老人に、毒気を抜かれたユーシュとロットンは、顔を見合わせ、二人して苦笑した。
「どの道、アタシ達は逃げられそうにないね」
「……まぁ、そうだな」
 心残りは、と若い身空を気遣うロットンに、ユーシュはからりと笑った。
「ウチは兄弟なんかごろごろいるしね、まァ家の方は何とかなるって。教授は?」
 どっかりと腰を下ろした大男は満足げに目を伏せた。そのまぶたの裏に、教え子達を映して。
「ああ。研究室には、ミュラ君をはじめとして優秀な院生が揃っている。私の後をついで、立派にやってくれるさ」



 最後の切り札。それは『空間転移』だった。しかし、それには転送する物体の質量に比例した莫大な魔力が必要になる。出来るとすれば、術者自身ともう一人が限界だろう。
 足元の二人は、もう子供でない。彼が連れて跳べるのは、一人。
(片方は連れて行ける。だが――……)
 ビゼスは、魔力を失って昏睡したままのライアとリーティスを見下ろす。
(貴様らは、どっちを助けたとしても、文句を言うのだろう……?)
 助けた方に必ず文句を言われるのでは、割に合わない。
 ペルラの通信から、既に1分が経過している。残り7分。ビゼスはその場にしゃがみ込み、ライア達の装備を外し始めた。
 剣、胸当て、肩当て、硬貨――質量の大きいそれらを除いてそこいらに適当に積み上げると、ビゼスは最後に、腰の剣を鞘ごと外し、その上に載せた。初めに、長く命を預けた無二の相棒を。次に、セイルからもらった、あの剣を。
「…………」
 装備を外し始めて、そこまで4分。
 らしくないと、自分でも思う。二人なら跳べるのだから、一人を確実に助ければ良い話だ。三人で跳べる保証などない。全員が命を落とすリスクを抱えてまで、することなのか。
 その疑問の答えは出ないまま、作業が終わったビゼスは地面に尻をついて足を投げ出し、両脇に二人を抱えて、天を仰いだ。
 巫女姫を失っても変わらず天井を覆っている水のカーテン越しに、傾き始めた陽の色が見える。薄い黄色がかったその光は、このアリヤの趨勢を暗示しているかのようだった。
 と、ここで最後の難関が生じる。ビゼスの空間転移は、動物的本能で命の危機を感じ取った瞬間に、『突発的に起こるもの』だった。決して、自分の意思では起こせない。
 だから、怪異が始まる瞬間に、何か危機的な状況が生まれる事に賭けている。
 だが、怪異が一瞬で意識を奪ったり、穏やかに、緩やかに進行する質のものであればお手上げだ。
 残り2分。ビゼスは知らない。怪異の性質が、『後者であることを』。

 それは、単なる偶然の重なり合いだった。
 経年劣化で脆くなった、天井近くまで延びる白い石柱の一つが、時の侵食に耐え切れず、破断した。
 折れた柱の先は巨大な石の塊となり、柱の陰にいた3人のヒトを襲う。
 ビゼスは、自分達の上に降ってくる石の塊を、他人事のように――ただ見上げた。



「おじいちゃーん?」
 祖父の姿を捜すワルト家の若奥様は、彼が居間のテーブルについていたのを発見した。
「ぉおメリー。今日の昼飯はまだかの?」
「もぉ、おじいちゃんたら。さっき食べたでしょう?」
「? おぉ、そうだったかな? ところでのぉ……そうじゃ、今日の昼飯は」
 よもや、一家はこの後行き倒れを、それも複数拾うとは夢にも思っていなかった。

 城下が怪異に見舞われてからも、辺境の農村ラベットでは、比較的平和が続いていた。
 ただ、もとから決して裕福な村ではない。自分達がその年を食べていく食糧には困らないだけで、贅沢品には手が出ず、細々と、昔ながらの生活を続ける住民がほとんどだ。
 だから、その行き倒れ達を見つけてしまったとき、村の者たちはいい顔をしなかった。悪いとは思いつつも村長命令で身体検査をしたところ、追いはぎにでも遭ったのか、金品を一切身につけていなかったのだ。村に泊めたところで、支払いは見込めない。
「とは言え、我が家は宿屋だ。幸い、繁忙期でもなく部屋は空いている。目覚めるまでの間なら、うちでお預かりしよう」
 と、暗に『長く預かる気はない』事を示しながら、ワルトは行き倒れ達を運ばせた。
 担ぎ込まれた行き倒れのうち一人を見て、常ならぼんやりとしている老人、ワルトの義父が、呆然と目を見張った。
「……おじいちゃん?」
 ひ孫を抱く孫娘のメリーに心配そうに覗き込まれても、老人は石になったかのように、しばしの間固まっていた。
 その夜から1日半が過ぎ、夜明けに最初に目を覚ましたのは、見た目からスロウディア人と判る若者だった。早朝から、家の代表であるワルトと長男のルッツが同席し、見つけた時の状況や、無償で長逗留させる余裕はない旨を簡潔に伝えた。ルッツなどは、居候されると迷惑な事を露骨に顔に出していたが、折目正しく礼を述べた若者は、厚かましくもこう申し出た。
「すみません、あの二人が目を覚ますまでの間は、ここに置いてください。後で必ず、補償はしますから」
 そうして、若者は胸元に隠し持っていた金のリングを取り出し、男達に見せた。

 どうして自分が生きているのか、不思議な事は沢山あった。
 あの時、確かに自分は魔力を使い切ったはずだ。でも、思えば気が途切れる寸前、何か温かいものが流れ込んでくる感じがして、リーティスじゃない誰かもそこに居る気がした。
(俺が今朝起きたってことは、リーティスもきっと、すぐに気が付くよな――)
 と、そこに後ろからこの家の老人が近付いてきた。どうも痴呆が入っているとかで、家族には少し煙たがられてる節があった。
 だけど、俺の前にたったその人は別人のようにしゃっきりとした表情を取り戻し、嬉しそうに目を細めた。
「大きくなられましたなぁ、殿下」
「ああ。先生も……少し痩せたかな。でも、ぼけても俺のこと覚えててくれて嬉しいよ」
「む……。少々口がお悪いですぞ? これは、再教育が必要なようですな、ゴホン」
 ショック療法というのか、俺の顔を見て、ぼけかけていた先生も、だいぶ頭がはっきりしているようだった。それから、おじいちゃん先生はこう言った。
「フォルの若造めは、わしの後任をしかと務めておりましょうな?」
 俺は苦笑する。
「大丈夫だよ。フォルワード先生には、まだまだ、これからも習うことが沢山ある」
 それからすぐに、俺は家の奥さんから、リーティスが目覚めたという報せを受けた。

 俺達がこうして無事でいる事について、リーティスなら何か判るかとも思ったが、結局、俺達の感想はまるっきり同じだった。巫女姫達と対決したあの時、それからその後、何が起きたのかは曖昧なままだ。
 ただ、判るのは。
「ビゼスが……助けてくれたんだよね」
 ベッドで死人のように眠り続けるビゼスを見下ろして、リーティスが神妙に呟いた。
「ああ……」
 それは、間違いない。それから、もう一つはっきりしているのが。
(俺は、人を殺した)
 はっきりと覚えている訳ではないが、あの時、俺の炎は水の防御壁を貫いて、巫女姫達はそれを避けなかっただろう。
 自分の身を守るために敵兵を斬るのとは違った後味の悪さが、胸の底に染み付いた。
 怪異を止めるためだったと、正当化する気はない。ただ、彼女達が最後まで願っていたこと――平和――を忘れずに覚えておくことが、俺の生涯の責任だと思った。

 その日の昼過ぎ、俺の周囲は一気に賑やかになった。
「貴女がいなくなったら、もう、もう! どうやって生きて行こうかって考えてたわ!」
「ぇエ〜? うっそ、そのバカ面、もー二度と拝めないと思ってたんですけどぉー」
「く、苦しい……やめて、ウィリア……」
「悪・か・っ・た・な!? ここに居て」
 寸でのところで怪異から逃れ、負傷者を抱えながら移動してきた生き残りの面々が、ラベットに到着したのだ。
 家の人達には口止めしてあるので(というか俺が王子だという事を半分は信じきれていないので)、そこは安心だ。問題は、おじいちゃん先生がぼけてうっかり口にしないかだけど、その心配も、杞憂に終わった。
 アルカディアや第6区画での事と、アリヤの顛末とを情報交換して、ようやく一息吐けたのも束の間――それから3日経っても、ビゼスは、目を開けなかった。



 ――誰もいなくなった空のベッドは、現実感がなさすぎて。

 開いた窓からは、オレにとって異国の春風が吹き込んでいた。
 そこには、誰もいない。これは夢なのか、それとも現実か、かすかに外から花の匂いを運んでくる温い空気のせいで、判断が鈍る。
 もしかしたらあの人は、このまま春の風にさらわれて、ふわりと空へ昇っていったのではないか。そんな、らしくない詩的な考えが頭を過ぎるほど、ここは穏やかで、風は軽かった。――ああ、そっか。こんなにも現実らしくないのは、平和(これ)が、『オレの』非日常だからか。
 兄ちゃんが、いない。本当なら、すぐに知らせるべき事態だ。だけど、奇妙な現実感の欠如から、ふわりと空に消えていったオレの頭の中のイメージそのままに、気付けばオレは、廊下から屋根の上に続く梯子をよじ登っていた。
 屋根にひょっこり頭を出すと――居た。
 足を投げ出し、屋根の上からただ遠くを眺めるその人は、だけど、視界に入らないオレの存在には気づいてる。素で気づかないとか、ありえないし。
 俺は、屋根の上に頭だけをのぞかせたまま、動けなかった。本当は、嬉しくって駆け寄ったって良いところなのに。体が凍り付いて、言う事をきかない。
 だって、夢ならこの手が届く前に消えてしまうに違いなかったから。オレの手は、きっと届きやしない。そこで夢から覚めて――ああ、きっと、嫌な現実と向き合うんだ。今オレの目に映るあの人は、もう目覚めないまま。
「ここはラベットか。――何日寝てた」
 オレの方を見ないで、だけど、間違いなくオレに向けてその人は言う。
 現実なら、傍へ行って――そうじゃなくても、声を返したいのに。
 ……いや、違うか。現実だから、オレは隣に行けない。その強さが憧れで、まぶしくて、オレ自身とは、どうしても距離があって。それは、遠い未来を暗示していたようでもあったけど、この時のオレに、それは分からない。
「やけに大人しいな……?」
 不審そうに、兄ちゃんはオレを振り返った。
 そこへ、下から姦しい声が上がった。
「気が付いたんですねー!」
「ちょっと! 勝手に居なくならないで!!」
 フェリーナとリーティスだ。フェリーナは微笑んでるけど、リーティスは怒ってる。
 そっか。オレが無断で部屋を放置してきたから、下で騒ぎになってたんだ。
 5日も眠って勝手に抜け出したかの当事者は、オレに向けて肩をすくめた。その眼は言っている。大騒ぎすることでもなかろうに、と。

 ビゼスが帰って来たその日、一つの悲しい出来事があった。
 ライア達が幻惑の森に突入した後の戦闘で深手を負ったメリルが、課員達に見取られて、静かに息を引き取ったのだった。
 彼女は戦闘後すぐに応急手当を受け、ラベットに着いてからは持ち直したようにも見えたが、昨日になって容態が急変し、今朝方この世を去った。
 遺言に従ってラベットの外れに建てられた小さな墓碑の前には、メリルが身につけていた、あの白乱晶石(はくらんしょうせき)の腕輪が置かれた。
 それがなければ、一同はペルラからの忠告を受け取れず、今頃アリヤで全員怪異に巻き込まれていた。
 献花して手を合わせたライアは、胸の内で、たくさんの感謝の想いを一つの言葉に籠めた。自治区で行商に扮していた課員のメイナも駆けつけて、その場でおいおいとむせび泣いている。
 漂う悲壮感の中、リーティスは思い出したように、身につけていた腕輪をリストに渡した。
「すみません、お借りしたままで。これのお陰で、私達は無事生還することができました。ありがとうございます」
「いや、礼を言うのはこちらです。君はあの時、僕らの愚行を止めてくれた。――この腕輪は、彼女の形見として、僕らが大切にします」
 そう言って、カイと見詰めあった。
「メリルさんは、私の命も救ってくれました」
 フェリーナは、変形してひしゃげた腕輪の残骸を白い花と一緒に携えていた。森の入り口の戦いで、フェリーナにも凶刃が降りかかった際、辛うじて腕輪で受け止め身を守ることができたのだ。フェリーナはそれをメリルの腕輪の横にそっと置いた。
 残り2つの腕輪の持ち主は、怪異で静止した時の中にいる。ユーシュ、ロットン、ペルラ――彼らの命がけの尽力のもとに、今回の一件は、ここに終局を迎えることができたのであった。

「この戦いで、多くの犠牲があった」
 課員達が去り、8人になったパーティーにアルドは言う。
「だけど、こうしてノーゼの怪異は未然に防がれ、エストも元に戻すことができた。みんな、本当にありがとう。傷跡は、大きいけれど……今、ここにこうしているみんなが生き残れたこと、本当に、心の底から嬉しく思う」
 それからアルドはまず、自身の方針を述べた。
「僕は、本部に任務達成の報告をした後、大陸騎士団の仕事に戻るよ。これからの復興が、スロウディアの頑張り時だからね」
「そう。頑張って、正義の騎士さん」
 魔女が美しくふわりと微笑む。
「私はノーゼに帰るぞ」
「僕も」
 それから自然に弟に目をやったウィーロスに、
「オレ、しばらくこっち残る」
 ウィルは意外な返答をした。その言い分は、こうだ。
「いーかげん自立っての? そーゆーの考えてるから、兄貴達さ、義母さんのとこ帰ることがあったら、伝えてよ」

(……ほんと、いきなりスゴいこと言い出すよな……)
 ウィルが残ると聞いて、スロウディアで何かよからぬ事をしでかすのではとつい想像してしまう。国内で軽犯罪を犯して城の地下牢にでも放り込まれた日には、一体どんな顔して会やいいんだよ、と半ば本気で心配しかけた俺は、その実、ウィルと直接顔を合わせるのはそれが最後となるのだった。
 しばらくはスロウディア地方を旅してみるというウィルは、ここでいーよ、と言ってラベットで俺達と別れた。
 自治区に向けて発った俺達7人は、野宿の合間、残り少ない時間を惜しむように、これからの生活では必要なくなるであろう剣の鍛錬に打ち込んだ。
 きっと、上級貴族のリーティスなんかは、この先一生、剣を持つ機会なんて無いんだろう。それでも、リーティスも、俺も、ビゼスも、ウィーロスも、子供みたいに本気になって手合わせなんかをした。呑気にお茶会を開きながら観戦するウィリアとフェリーナの横で、そんな俺達を苦笑しつつ眺めるアルドは、でも、それを咎めなかった。それが、俺達なりの、不器用な別れへの準備だったから。
 ちなみにその間、俺は密かに城のフォルワード先生からの使者(鳥の形をしたやつだ)を受けており、生存の返答をしている。今頃は、城から忽然と消えた俺の無事が、母さん達にも伝わっているだろう。
(帰れるんだ。怪異が起こる前の、あの城に――)
 そう思うと、込み上げて来るものがあった。

「それじゃ、あなた達も、元気にやるのよ?」
 怪異の消滅で俄かに人の往来が激しくなった自治区で、ウィリアは銀髪を陽光に煌めかせ、まぶしい笑顔を見せた。ウィーロスが確認する。
「フェリーナ、ほんとに良かったの? 故郷に顔を出すくらいの寄り道、僕達には何でもないのに」
 フェリーナは恥ずかしそうに頬を染めて、もじもじと地面を見た。
「……はい。怪異が消えたのはすごく嬉しいですが、今の私は、ティスやお婆様の顔を見たら、それきり、離れたくなくなっちゃいそうですから」
 顔を上げたフェリーナの青い瞳は、確かに未来を見詰めていた。
「ローゼスで最後まで研修を終えて、一人前のお医者様になれたら、その時は、胸を張ってお婆様達に会える気がするんです」
「それなら、急ぐ事もなかろう」
「その時は、絶対にこの私を呼びなさい? 格安で故郷まで護衛してあげるわ――それとも、その頃にはフェリーナも頼れる王子様を捕まえてるかしら? ふふふっ……」
 悪戯っぽくウインクを飛ばしたウィリアは、素早くビゼスに腕を絡めた。
「さぁて、弟も独り立ちした事だし、そろそろ甘ぁい家庭を築きましょうか、ア・ナ・タv」
「……寝言は寝て言え」
 心底迷惑そうに犬歯を剥いて半眼で呟くビゼスに、ウィリアは即刻ウィーロスに加勢の目配せを送る。敵に回したら怖い兄と姉を持つウィーロスは、乾いた笑みと共に、素早く話題を転換して安全な着地点を確保するより他なかった。
「あ、はは……こっちはこの通り、『何も心配ないから』、ライア達も、どっかで会うようなことがあったら、ウィルのこと、よろしく」
「お前、そんな姉ちゃんを持って最後の最後まで大変だな――」
 リーティスも無言でこくこくと頷いている。それから、頑張れ、の意を込めたと思われるハンドサインを、ウィーロスに送った。
(リーティスも、いい加減要領いいよな……)
 魔王と女王、両名に気に入られている時点で、既に天下は彼女のものなのだ。
 銘銘、別れの挨拶を済ませる中で、フェリーナは手を後ろで組んで、ちょこんとアルドの隣に立った。
「アルド……」
 彼女は精一杯背伸びをして、ほんの一瞬、頬に口付けた。
 真っ赤になって、フェリーナははにかむ。
「幸せに、なってくださいね」
 ここに居ないウィルの冷やかしの口笛が聞けないのをどこか空虚に思っていたライアの耳に、ヒュウ、と口笛が響いた。
 驚いて顔を上げると、そこには、格好良く自慢の銀髪を潮風に靡かせるお姉様が立っていた。



 フェリーナをローゼスまで送り届けてくれるというウィーロス達の出航を見送り、3人になった彼らは、セーミズ-スロウディア間の山脈が始まる辺りまで北上し、そこで顔を突き合せた。
「リーティスは、どうするんだ? もし……南側のルートで良いなら、『俺の知り合いを通じて馬車を手配するから』、国境まで送って行けるけど」
 山脈の南、つまりスロウディア領に沿って延々と進むと、セーミズ領に入るまでに時間がかかる。今いる場所からセーミズ王都までの距離は変わらないが、ここですぐ北上して山脈の北側を通った方が、リーティスにとっては勝手知ったる国内を移動できる訳だ。
 申し出を蹴ってすぐにセーミズへ入ると思われたリーティスは、予想外の答えを返した。
「うん……。じゃあ、お願いする」
 妙に素直なリーティスに驚きつつも、ライアは、アルドと示し合わせて怪しまれないランクの馬車を用意した。無論、その依頼主は正式にはラーハネットとなっている。
 アルドは気を遣って、馬車では端に座って外を眺めたり、経由地の町では席を外したりしていたが、だからと言って、特に何が進展した訳でもない。ただ、アリヤでの決戦の事だけは、その間に二人の間で処理する事ができた。
 巫女姫達と和解できなかったのは自分一人の責任だとライアは言い張ったが、それではリーティスが納得せず、二人で背負うことに落ち着いた。二人で背負っても、罪が軽くなる訳ではない。それでも最後まで共に戦った相棒として、リーティスは巫女姫達の事を決して忘れないと誓った。

 騎士達の駐屯地でアルドがパーティーを外れ、約束通りリーティスを国境まで送り届けた俺は――懐かしい、城下を目指した。
 最初に俺を見つけた一人の住民が、目をぱちぱちさせてから、大きく手を振った。それから次々に、通りに居た人達に歓声が伝播する。何人かは俺の帰還を報せに、城の方へ走ったようだ。
 ラーハネット様、殿下、ラーハネット殿下、と少しこそばゆい呼び名が飛び交う中で、俺は応える。
「――ただいま」



 ――季節は、春。怪異によって生育を狂わされた桜も、春の陽気に叩き起こされ、今年もまた、枝に満開の花をつけようとしていた。


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