STAGE 36 We wish... 〜あの虹の麓まで〜



「ってことで、俺達、その滝まで行って来る」
 元気よく言い放ったのはライア。リーティスもすっかりその気らしく、大きな瞳でじっと見つめて同意を求めてくる。
(こう言っちゃ何だけど――なんだか、二匹の仔犬を相手してるみたいだ……)
 許可しなかった場合の仔犬達の落ち込み様を考えると、罪悪感に駆られる。――何とも分が悪い。
「滝の近くは、随分と危険だって聞くよ?」
 痛む心を抑えてアルドが念を押すが、二人は怯まない。
「そ。だから二人で行ってくるの!」
(これは、とめても無駄かな……)
 アルドの敗北の色が濃くなると、ビゼスが二人を手で追い払う仕草をした。
「二日やる。一日粘って見つからなかったら、帰ってこい」
「サンキュー!」
「うん! わかった。必ず見つけてくるね!」
 そう答えて、仔犬達は早速旅支度を整えて出て行った。途端に静かになる。
「君、弟子には甘いんじゃない?」
「さあな。だが、万分の一でも、億分の一でも、本物という可能性はあるだろう?」
「……だね」
 ライア達が向かった滝には、こんな伝説がある。神の使いである白龍(はくりゅう)が棲み、その生き血は瀕死の者をも蘇らせる力がある、と。白龍は万年霧に覆われた滝に陽光が差し込み七色の虹が現れたときのみ、姿を見せるという。
 今、静かに燃え尽きようとしている命を救うには、もはやそんな伝説にすがるしか方法がなかった。

 フェリーナは、深いため息をつく。明け方から、しばらくやんでいた雪が降り始めていた。
 医者の出る幕ではない。それが判った以上、彼女のしてやれる事は、本人とその家族を精神的に支え、見守ることだけだった。皆が暗い顔をしていてはいけない。だから努めて微笑みを絶やさず、いつも以上に料理には気合いを入れた。
「フェリーナ」
 ウィリアと、それに続いてウィーロスがやって来た。
「どうでしたか」
「ええ、大分良いみたい。少し寝るって」
「姉さん。僕、セルクの実捜してくる」
「あなた、やめときなさい? こんな雪の中」
 呆れてウィリアが言う。何か食べたいものはないかと聞かれてウィルが所望したのだが、こんな季節外れでどこかの家にその果実が保存されている望みは薄い。
「そうはいかないよ」
 ウィーロスは、上着を羽織って町へ出て行った。
「……どうして、ウチはああも諦めの悪い子達ばかりなのかしらね?」
「それを言うなら、ウィリアもでしょう? どんなに過酷な戦いだって、諦めたこと、なかったじゃないですか」
 フェリーナは立ち上がり、茶を沸かし始めた。湯が沸く間に、彼女は告白する。
「……ウィル本人から、魔力が落ちてるって聞いていました。ごめんなさい。あの時伝えていたなら――」
「それって、いつ?」
 振り返ると、ウィリアは驚くほど穏やかな表情でいた。フェリーナが時期を伝えると、ウィリアはあどけない少女のように微笑んだ。
「なら、貴女に罪はないわ。私は、もっと前から気付いてた。舐めんじゃないわ、私はあの子の実の姉よ」
 命に関ると気付いたのは最近だが、ウィルの症状を見抜いたのは誰より早く、それをプライドの高い当人のために黙ってきたのだった。
 絶対に辛い顔は見せないウィリアに、笑顔でいようとしたフェリーナの口元がきゅっと引き結ばれた。

「……ウィルには、何て?」
 まだ昼を過ぎたばかりだが、二人が挟んだ丸テーブルには、アルコールのグラスが置かれている。
「道が雪崩れで数日は動けんと言ってある。その間は休め、とな」
 ヤケ酒ではなく、極寒のこの地方で体を温めるのに飲まれる酒だ。
「だが、あいつならすぐ気付くだろう。自分の余命にな――」
 ウィルは聡い。何を言わずとも勘付かれるとビゼスには判っていた。
「本当は雪崩れなんて起きてないけど、でも、丁度僕にもやることが出来た。ヴィータへ急ぐなら、最近異常なほど警戒態勢を強めてるジェタスの関門の一つを通らなきゃならない。今のうちに調査をして、できる手配はしておかないと」
「勤勉だな」
 小さく息を吐き、出かけるために立ち上がったアルドは言う。
「君は、今くらいは怠けてればいい」
「そうさせてもらう」
 何事もないようにウィルの側に在ること。それが今の務めだ。
 アルドが出ようとしたところで、思い出したようにビゼスが尋ねた。
「――あの女は?」
「ああ、ペルラかい? 彼女なら、レイドを一箇所に置いておくのは目立つからと言って、2日分の食料をせびってどこかに発ったよ」
「ハァ……」
 ため息の一つも出よう。神出鬼没な上、どこか抜けているのだ。彼等にとって味方には違いなかったが、吉と出るか凶と出るかは未だ測り兼ねる存在だった。

「……兄貴?」
 目覚めると、見慣れた顔がそこにあった。頬と鼻が赤いのは、たった今外から帰った証拠だ。窓から差す夕陽が、徐々に弱まろうとしていた。
 兄は嬉しそうに、枇杷に似た濃い黄色の果物を二玉差し出した。
「市場の倉庫の奥に、少しだけ残っていたのを譲ってもらったんだ。いま剥くよ」
 そう言ってナイフを取り出し、枕元で皮を剥き始める。
 紫の瞳でぼんやり天井を眺めていたウィルは、唐突に呟いた。
「兄貴、オレ死ぬの?」
 ナイフを持つ手が、ぴたりと止まる。
「…………うん。」
 兄ならば、隠さないで言ってくれるはずだ。そのウィルの予想は正しかった。
 ウィルは毛布の間で猫のように伸びをし、清々したように言う。
「そっかぁ。……よくゆーじゃん? 佳人薄命て」
 ライアの呪いが進行する前に急がなくて良いのか、とか、そんな事を聞くのはもうやめだ。今は、気心の知れた兄と居られるこの時間があれば良い。――もう本当に、長くないんだと自分で判ってしまったから。
 ウェリスの選択は、およそ3割の子供が発症し、その中の5人に1人は成人になっても魔力がもとのレベルまでは回復しない。その更に20人に一人は全く魔法が使え無くなってしまうのだが、そのうち0.7%は命にまで関る魔力低下を引き起こす。
(5万人にひとり。超激レアってね?)
 特別である。そう思うことは不快ではなかった。
 ウィルがセルクの実を平らげると、ウィーロスが尋ねた。
「もう一個、いる?」
「いーよ……。今ぜんぶ食っちゃったら、もったいねーもん……」
 幸せそうにまどろみながら、ウィルは返した。

 夜、看病に来たのはフェリーナだった。
「気分はどうですか?」
「ん、へーき……。少し寝たし」
 ぼんやり天上を見ながらオレは答えた。
「無理はしないでくださいね。まだしばらく除雪にかかるそうですから」
「ん……。」
 嘘かホントかはよく知らない。だけど、わざわざ訊く気も起きなかった。
 兄貴に確かめた以外は、誰も、オレが死に近づいてるんだって口に出さない。だから余計に、ああ、死ぬんだ、って思う。
 フェリーナは、こんなオレにも優しかった。オレが病人だからじゃない。死が間近だからでもない。どこまでも平等に、見返りを求めない、親切。
(バッカみてぇ――……)
 思うのだが、嫌な顔もせずに甲斐甲斐しく世話してくれることの心地よさは拭えない。
 少しぼぅっとする頭で考える。
「フェリーナが……」
「はい?」
「フェリーナが、姉ちゃんならよかったのに――っ……」
 オレは、光を避けるように腕で目元を隠した。
 優しくって綺麗な、自慢の姉。きっと、誰もが羨しがる。

 眠りに落ちながら思い出したのは、昔溺れた時のこと。無我夢中でつかんだ腕。
 逆光の中笑ったのは、強くて自信家で――態度でけぇし、スゲェむかつく……美人の、姉貴。



「こっちであってんだよな……」
 方向感覚には自信があったが、奥地の滝までは似たようなまばらな松林が続いていて、つい確かめたくもなる。
 連れはといえば、口を開けば『寒い』の一点張りだ。俺だって寒い。まだ日は高いのに、酷い冷え込みようだった。
(これは、寒さを凌げるいい場所早めに見つけとかねーと……)
 ポイントが見つかり次第、少し早くてもキャンプを設営するのが得策だろう。リーティスがいるからか、フェリーナが使いきりのバリアを張る道具をくれたので寝ずの番はしなくて済むはずだったが、寒さで眠れずに体力を削られるのは御免だ。
 そんな事を考えながら歩いて行くと、荒っぽく叫び合う声が聞こえた。
「リーティス……」
「うん――」
 警戒しながら慎重に歩を進めると、突然、林を縫って白い物体が空中を突進してきた。
「!!」
 剣を抜くより、その物体を避ける方に体は動いた。
 ビュッと風を切って耳元を通り過ぎた白い蛇のような物の背には、蝙蝠の羽に似た白い翼があった。
(あれが――まさか白龍!?)
 実在すると思わかった、はあまりに無責任だが、俄かには信じられなかった。
「小僧ッ!」
 間髪置かず、武装した男が血走った眼で追ってくる。進路上にいた俺を問答無用で叩き伏せようとする気配だったので、迷わず剣を抜いた。
「へッ!」
 男は小馬鹿にしたように手にした戦槌を振り上げた。鎧を着込んだ人間の骨すら砕く破壊力は可愛げがないが、日頃アルドとかビゼスとかを見てる俺にとって、その動きは緩慢だった。
「テメェら! 逃がすんじゃねーぞォー!!」
 その声に応じるように、同じような武装した男があと2人現れて、白龍の飛んでった方に向かった。どちらもその手には殺傷力の高い武器を握っており、戦意をたぎらせている。そのうち1人がすれ違い様に針のような武器を飛ばしてきたが、それらはリーティスの剣によって弾かれる。
 容易く俺達を仕留められないと知った大槌の男は、一度距離を置いて白龍の捕縛を優先した。
 自在に飛び回る真っ白な龍は、頭から尾の先まで1メートル程しかなく、まだほんの子供のように見えた。それが反転して再びこちらに向かって来たものだから、必然的に俺達も巻き込まれた。
 男が白龍に投げつけた錘つき網は、迫ってきた白龍への対処に戸惑ったリーティスをも捕えた。
「く――!? っぁァああッ!!」
 網は、接地した瞬間に魔法による衝撃を内部に発生させた。白龍も苦しげに身をよじったが、次の瞬間網に喰らいつき、ぶちりと音がして白い体が宙に逃れた。
「なっ……なんだと!? 特別製の、網をッ……!」
 網は喰い破られた途端、魔法も収まる。こうなってはただの網なので、リーティスが脱出できるのは時間の問題だ。俺はリーティスの方に敵を回さない事が優先と判断して、鎖を得物とする、網を投げた男と対峙した。
 あの小さな体で、白龍の反撃は苛烈だった。一旦林へと退避した白龍を深追いした一人は二度と戻らなかったし、再び姿を現した白龍を戦槌で強かに打ち付けようとした男は高熱のブレスで焼き殺された。ブレスをまともに喰らった上体は、目も当てられない惨状だった。
 仲間の惨い死を前に、3人目は諦めるどころかいよいよ執着が深まったらしい。昂ぶったような、たかが外れたような狂気の目で、ニタリと笑う。
「へへっ……テメェらにはぜってー渡さねぇよォ……」
 鎖を引っ込めて男が服の合わせをがばりと開くと、そこには無数の小型爆弾が収納されていた。
(リーティスは……!?)
 咄嗟に視線を戻す。リーティスは網から這い出して少し離れた所に立ってにいた。
「ハハハハハ!!」
 男は、走りながら俺と白龍とリーティスの三方向に次々と爆弾を炸裂させた。中には不発のまま雪に埋まりお釈迦になったものもあったが、粗悪な爆弾だからこそ性質が悪かった。火薬の量がおかしかったのか、中には突然、他とは比べ物にならない大爆発をするものも混じっていたのだ。
 リーティスは、風魔法で全ての爆弾と爆風を防ぎ切った。事実、それが一番賢い対策だったと思う。
「ぅ……!」
「ライア!!」
 俺は不覚にも右の腿をやられた。痛みを堪えながら爆弾魔を目で追うと、彼は白目を剥いて昏倒するところだった。後頭部を白い尾で強かに打たれた男は、そのまま動かなくなった。一見軟らかそうに見えるあの龍の体は、実は岩のように硬いのだろうか?
 目下の敵がいなくなって、俺は歯を食いしばってうずくまった。右膝から下が裂傷から流れ出す血で染まっていく。そこに駆け寄ってこようとしたリーティスが、唐突に足を止めた。そして俺は、すぐ頭上でバサリという羽音を聞いた。
 身を固くする俺の両肩に重みが加わり、ぺたりと何かが降り立った。……生暖かい。
 絶体絶命だった。俺の胸の前で、右肩から垂れた尾がふらふらと揺れている。左肩に目をやると――
 いた。奴が。
 黒いつぶらな瞳は無機質で、全く感情を読ませない。物凄く怒っていようがこの愛らしい目のままなのだろう。その白龍が、蛇のようにがばりと口を開けた。
 特殊な素材の網を易々と噛み千切った牙を前に、俺は凍りついたように動けない。
 その牙が、ずぶりと白い皮膚を貫通する。
(――ッ!? は……?)
 俺は面食らった。白龍は自分の尾を咬み、ぽたぽたと血の滴るその尾を振った。血の雫が俺の右足にぽたりと落ちる。
 ……――ドクン
「ッ!!」
 俺は額がカッと赤熱するような感覚に襲われた。その熱が全身に拡がる。
「ライア――」
 不安な声を寄越しながらも、冷静なリーティスは近寄って白龍を刺激しないようそこに踏み止まった。それでいい。俺は、目の前でリーティスがブレスに焼かれるのなんて見たくないから。
(……っこれ、何だ――?)
 熱くて毒かと思ったのが、足の痛みが和らいだ。感覚が死んだのかと恐る恐る指で触ってみるが、触った感じはちゃんとあって、血も止まろうとしていた。そしてまた、右肩から垂れる白龍の尾も咬み痕などなかったかのように再生していた。
 龍の血が一時的に驚異的な回復力をもたらしたなんて半信半疑だったけれど、俺は思い切って脚に刺さった爆発物の破片を引き抜いた。
「……っ!!」
 鋭い痛み。だけどそれはすぐ消えて、確かめると傷口の皮膚は再生していた。俺は残りの破片も抜き始めた。
 向こうでリーティスが青ざめている。俺の気が変になったとでも思ったのだろう。俺は大丈夫だと目で合図を送った。
 未だ、生暖かさは俺の肩の上だ。左を見やれば、思考の読めない黒の瞳がそこに在る。
 ……皮肉なことに、俺は白龍の生き血の力を自分の体で証明してしまった。
 この龍の血があれば、ウィルは助かるだろうか。

 ――――……

「ありがとな――」
 俺はそう言って、右肩の上にある生暖かな胴を撫でながら白龍の貌を見た。感情の判らない黒い瞳で、龍は小さく首を傾げ、ばさりと翼を広げるといずこかへ飛び去った。
「ライア……っ!」
 リーティスが走ってくる。俺は白龍の去った方を見ながらいっそ爽快に謝る。
「ごめん。逃がした」
「それより――!」
 リーティスの視線は赤く染まった右脚に向けられている。俺は自分の身に起きた事を説明した。
 リーティスは龍を逃がした俺を責めるかと思っていたら、複雑な顔でこう洩らした。
「ライアってば、動物に懐かれすぎ……」
 なぜか若干恨めしそうだ。気のせいか?
「俺達があの仔龍に手出ししないで男達の方と戦ったから、味方と思ったんじゃないのか?」
 俺が言うと、リーティスはため息をついた。見ている側としては余程に心臓に悪かったのだろう。

 翌日、俺達はついにその滝にやってきた。一度は違う道に迷い込んだので、着くのは今朝になってしまった。
 雪は止んでいたが、万年霧と呼ばれるだけあり、太陽は見えない。
 俺達は待ち始めた。
「ねぇライア――白龍が現れたら、どうするの?」
「……」
 正直、昨日の仔龍だったら、手にかける気になれない。ただ、
「俺達の手に負える相手なら、戦って、仕留める」
 それが、ここへ来た本来の理由だ。伝説が本当だと判って逆に戸惑ってるなんて、おかしな話だったけれど。

 ――そろそろ、昼だろう。
 白龍は現れない。それどころか、一瞬の晴れ間すらなく、冷たく滝の音だけが鳴り続けた。
 もうじきに移動しなくてはならない。二日。それがビゼスの許した刻限だ。多分、ウィルの身ももう持たない。
 複雑な心境で滝を見詰める俺達を、一瞬、ほんの一瞬だけ垣間見えた太陽が照らす。
「……!!」
 滝に虹の色が浮かんだか、どうか。それさえ曖昧なまま、太陽は引っ込んだ。

 それからどんなに待ってみても、虹も、白龍も現れない。
 俺達は、見えたか見えなかったか判らないあの虹に願掛けするように、滝に向かって手を合わせ、それから頷き合ってそこを後にした。



 帰り道、二人の間に会話は少ない。
 結局、ライアの肩に白龍が降り立ったあの時こそが、最後にして最大のチャンスだったのだ。それをみすみす逃したのは、ライア自身の意思である。
(俺……ウィルを見殺しにしたのか……?)
 そう考えずにいられなかった。リーティスは何もできなかったのは自分も同じだと考えているようだった。もう、できることは何もない。
「ねぇ――信じらんないよね…………」
 重苦しい空気の中、俯きながらぽつりとリーティスが漏らした。
「……あぁ」
 自分達より年下の仲間が先に逝くのだ。恵まれた環境で育った二人にとっては初めての経験だった。
 ライアにとっては余計に、自分より先というのが信じられない。……リーティスにはまだ言っていないが、昨日、出掛けにライアは気付いてしまった。
(俺の手首の内側、うっすらとだけど黒ずんできてんだ――多分、もう)
 遠からず呪いは発現する。帰ったら、まずアルドに報告するつもりだった。
 そこで、ライア達は意外な人物と遭遇した。
「――お前達、あの時の……」
 人生に疲れた旅人のような昏い目と、傷ついた猛獣のような物騒な気配とを同居させたその男は、しかし以前より幾分生気を取戻したように見える。
「久方ぶりに人と話をして、おれも少しは変われた。一度は森を出て、妻に挨拶くらいはと思ってね」
 セイルの伴侶はこの近くの山に骨を埋めていて、これから墓を詣でに行くのだそうだ。
「いいと思います」
 ライアが素直に言うと、セイルは凝り固まった険しい表情のまま、気配を緩めた。
「しかし、二人はここで何を?」
 ライアとリーティスは、顔を見合わせた。

「何だって!?」
 白龍と遭遇したと聞くや否や、セイルは声を荒げた。
「あの生き物は、神の使いとされる――いや、おれが言ってるのは神仏だから手にかけるなと言うんじゃない。『あんなものと対峙して』、よく生きてたな――……」
 状況を話すと、セイルは深刻な顔のまま断言した。
「慰めでも何でもなく、その選択は正しかったと言わざるを得ない。さもなくば、その仔龍に絞め殺されたか丸焦げにされてたか、だ」
 セイルは慰めでないと言ったが、少しでもライア達の気が軽くなったのは事実だ。セイルは呆れながらも、伝説を頼りにして来たという二人の話に、瀕死の者について触れた。
「まさか、あの時一緒にいた――」
「いえ、ビゼスじゃないです。ビゼスが兄弟同然に育った……弟、です」
 その説明で、セイルはビゼスがいない理由を納得したようだ。その上で、彼はこう言った。
「どうだろう、少し詳しく聞かせてはもらえないか」

 セイルはウェリスの選択に関して全くの無知だったため、一から説明しなくてはならなかった。
「そうか、そういう症例があるのか――」
 感心したように彼は言った。
「おれは、必要なこと以外何も教えられずに育ったからな……」
 自嘲気味に洩らした一言に二人が首を捻ると、セイルは、とても小さい田舎の里で育ったんだ、と付け加えた。

 二人に話を聞き終えたセイルが、出来ることがあるかもしれない、連れて行ってくれと頼んだ時には、流石の二人も困惑した。
 フェリーナやウィリアでさえ、どうこうできるものでないと断定したのだ。それを、この男がどうにか出来るとは、失礼ながら思えない。
 しかしセイルが強く言うので、やむなく町まで連れて来てしまった。
「お前は……!」
 セイルの顔を見て、因縁のあるビゼスが第一に複雑な顔で睨んだが、
「知り合いなのかい?」
「本人かその二人に聞け」
 そう言ってさっさと引っ込んでしまった。
 ともかくも、セイルはパーティーのリーダーであるアルドに話を通した。もしかするとウィルを救えるかもしれない、という胡散臭い発言をライアとビゼスが傍聴した。
 アルドが結論を出す前に、ビゼスが椅子を蹴って立ち上がり、セイルの前まで来て言った。
「悪いが必要ない。帰ってくれ」
 アルドも、ともすると同じ意見だったかもしれないが、ビゼスがこうもはっきり口出ししてくるとは思わなかったらしい。常ならば、アルドがまとめるまで黙っていて、必要がない限り口は挟まないのがビゼスの性分だ。
 誰の目にも判る程、ビゼスは冷静ながらにはっきりと怒っている。
「最強最悪の炎魔法を、貴様自身の内で捻じ曲げて破壊から再生に転換する? そんな事ができるものか」
「いいや、できる。問題は、その症状に効くかが判らない。おれはその意味で、成功するとは言い切れない」
 アルドがやんわりと言う。
「お気持ちはありがたいのですが、お話を伺っただけでもかなり危険なものとは解ります。純粋に魔法の威力だけでなく、貴方自身の身も」
 主に前者を危惧しての事だったが、アルドのことだ。相手の気を悪くするような言い方はしない。
 昏い焦げ茶の瞳は、アルドを見詰めた。信じて欲しい。そう訴えるように。
 そこにビゼスが詰め寄った。
「だから、断ると言っている」
「――なぜだ?」
 不気味なほど静かなその問いに、ビゼスは嫌々冷徹な自分らしからぬ本音を喋った。
「ウィルには、姉と兄がいる。それがもう覚悟を決めた。貴様のような部外者が入って、あいつらに要らぬ希望と、その後の絶望とを押し付けるな――!!」
 やはりビゼスは彼らの『兄』だった。弟の天寿を受け入れて気丈に振舞う彼らに、恐らくは成功しないその方法を提示するのは、余計な希望を抱かせた後で更に傷付ける結末となる。
 セイルは実感の篭った重みで語りかけた。
「失われた命は戻らない――。それでも、お前は最後のこの機会を拒むのか」
 アルドが剣呑な空気を察知したときには遅かった。ビゼスが迅雷の動きでセイルにつかみかかる――が
 ガッ!!
 頬骨が折れたのではないかという勢いで殴り飛ばされたのは、ビゼスの方だった。
 油断していたのか、目の下の辺りを押さえながら、触れれば切れそうな眼差しでセイルを睨む。セイルは過去を悔やむかのように述べた。
「諦めるのは万策尽きたときだ。諦めるだけなら、いつだってできる。いつだってな……」
「ッ……」
 ビゼスは悔しげにセイルを睨んでいたが、最後に吐き捨てるように言った。
「勝手にしろ」
 ビゼスが放棄したため、アルドはライアに意見を求めた。
「ライア、君はどう思う?」
「俺は――」
 ウィリア達の心境を考えると、ビゼスの意見も正当だ。アルドが心配するように少なからずリスクもある。ただ。
「俺は、セイルさんも考え無しで言ってるんじゃないと思う。だから、このまま何もしないでウィルが死んでくのを見るのは――嫌だ」
 紅い目に一切の迷いはなく、正直に言った後でアルドがどう決断しようと後悔は無い姿勢だった。

 ウィルは眠っていた。3時間程前に眠りに落ちてからそのままらしい。いよいよか、という所にセイルの話を持っていくのは心苦しかったが、その役どころはアルドが引き受けた。
 もとから白いウィルの肌は生気を失い一層白く、美しい顔立ちと銀髪が相まって、眠り続ける綺麗な人形のように見えた。
 アルドが事情を話した後、はじめる、と言ってセイルは淡々と作業に移った。
 だが、詠唱の一節目を聞いた途端、ウィリアの美しい眉がぴくりと跳ねた。遅れてアルドも、この場で剣を抜くのではないかと思わせる警戒を見せる。
 その詠唱を知らないウィーロス、ライア、リーティスは、何事かとただ困惑するばかりだ。
 ――それは、本人の説明した通りに最悪の破壊力を伴う攻撃魔法だった。

 本来の魔法がそのまま完成すれば、ウィリアの氷、フェリーナの水、ライアの炎を合わせたところで恐らく相殺しきれない。セイル一人で、この場にいる全員を消すことが可能だった。防ぐ方法はただ一つ、詠唱中にセイルを害することだ。
 張り詰めた空気の中でセイルを監視するウィリアとアルドの前に、制するように片腕を出したのはビゼスだった。彼は黙って首を横に振って見せた。ビゼスだけは、セイルが自分達を消しに来た敵でないと確信している。
 詠唱が終盤に差し掛かり、上級魔法の発動のため真名を宣言する。それは自ら名乗った『セイル』ではなかった。
「…の御名のもとに 『アスラータが』命じる ……!!」
 セイル。それはかつてノーゼで魔族と戦った勇者の名だ。ノーゼでは人間間・魔族間を問わず有名な話だが、晩年の彼やその系譜については伝えられていない。
 セイルにとって、その名は自分自身に流れる血への最大の皮肉にして、罪を背負い続けるための楔だった。その楔が胸に突き刺さる限り、彼は永劫に苦しみ、血を流し続ける。
 詠唱は、最後の二節に入って初めて様相を変えた。『我が望むは命の終焉、裁きの炎よ全てを滅せ』――それがこの魔法本来の詠唱である。
「…我が望むは 命の再生! 炎の鼓動よ この者に宿れ――!」
 セイルの手から魔力の奔流が放たれ、ついに全てを灰燼に帰す地獄の業火が生じることはなかった。
「カ……ッ!」
 胸の辺りを押さえながら、セイルが屈み込む。誰にともなく、弱弱しく吐く。
「歳は、取りたくないものだな……」
「向こうのお部屋が空いています。そちらで休んでください」
「そうさせてもらう……」
 真剣な表情のフェリーナに付き添われて、セイルは退室した。
「ウィル……」
 ウィリアが、ほっそりとした手でひんやりとした弟の手を握った。反応はない。ウィリアはそのままゆっくりと目を伏せた。
 魔法の効き目は、夜が明けてみないことには判断できない。
 その日、目覚めないウィルの傍には、片時も離れずに仲間の誰かが付き添った。



「セイルさん、ありがとうございました」
 ライアが頭を下げる。町を発つ一行は、それぞれ武器や荷物を背負っている。
 しばらくは一人で生活する事が困難なため、町で療養する事になったセイルは、ぎこちない苦笑を造った。
「礼には及ばない」
 何十年も孤独に暮らしてきた彼は、人がいる場所での生活に抵抗を示したが、医者としての使命感に駆られたフェリーナに言い含められ、渋々滞在を受け入れる結果となった。そんな彼は体力が回復し次第、床を抜け出して森に帰るだろうと何となく予想はついた。
 ライア達が発ってしまうと、セイルはその場でがくりと膝をつく。
 これだけ状態が酷いことに気が付いていたのは、恐らくあの青年騎士とビゼスだ。何でもない風を装ってはみたが、この歳であれだけの無茶をしでかした代償は高くついた。元の状態まで回復できる見込みはあったとしても、療養は数ヶ月では済まされないだろう。
 そんな情けない状態の自分に、ビゼスは散々に悪態をついて最後に礼らしきものを述べて行った。そんなビゼスを不審の眼差しで見ていた騎士もまた、セイルの状態を見抜いていた。
「なぜ貴方は、そんな無理をしてまで……?」
 真摯な空色の瞳に戸惑いの色を浮べて尋ねた彼に、その時のセイルはこう返した。
「お前も、闘う者だな……だったら、おれが『何』だか判るだろう? おれは人斬りだ。この歳まで、何かを奪う事しかして来なかった。だから、そうだな――……一度くらいは、この手で何かが成せると、信じてみたかった……それだけだ――」
 所詮は自己満足、礼は不要と彼は言った。そこに嘘はなかったが、きっかけとなったもう一つの理由に、後にアルドだけが気付く事となる。
 常ならば自分から他人と関ろうとしないビゼスとセイルの関係を、ビゼスが殴られた時からアルドはずっと怪訝に思っていた。そこで自然、ビゼスに目が向くようになり、彼の目元に誰かの面影が重なったとき、謎はきれいに解けた。
(そういう、事なのかな――)
 アルドは微笑ましく、その事実を胸の内にしまった。



「てユーか、正気ナの!? 折角ワタシが探って来タのに!!」
 ペルラは、ヴィータ渓谷までの道のりについて探りを入れて戻ってきた。最短ルートは険しい山岳で、途中に一本道になる場所があり、これまでの中でも最悪のガーディアンが設置されているとの報だった。他の迂回路についてはガーディアンこそいないものの、いずれも数に頼んだ足止めを敷いている模様である。
 どの道ヴィータまで戦闘を避けて通れる道はなかった。相手もあと一ヶ月を守りきるのに躍起になっている。
 アルドが選んだ道は、一番危険な正面突破だ。それというのも、ライアの左腕に、ついに黒い染みが濃く現れ始めたからだった。
「ほんとーに戦えるの……?」
 山岳への行程を急ぎながら疑わしそうに言って来る相棒に、ライアは若干の虚勢を張る。
「へーきだって」
「あーあーやめてよねー? そーやって足引っ張るとかさぁ」
「引っ張るかっ!?」
 セイルの尽力で一命を取り留めたウィルだったが、無論発症前のような魔力は戻っていない。それでも、ここにこうしているのが奇跡のようなものだった。
 ウィルには町に残る選択肢も残されていたが、自分の意思で、この旅の結末を見届けたいと言って同行した。

 手首の内に黒い点がはっきりと現れてから6日。アザは、両側に広げた翼を簡略化したような形に成長しつつあった。呪いの紋が完全な形で浮かび上がるのも時間の問題だ。そうなったらライアは数日の命である。
 アルド達は山脈の一本道を突っ切る手前の、最後の休憩地点に来ていた。
 山奥の簡素な集落は、突然の怪物の発生に沸いていた。しかし、怪物が自分達の手に負えず、その場から決して動かない事を悟ると、なす術もなく元の生活へと戻っていった。
 ライア達が到着したのは、そんな諦めが集落に蔓延した頃だった。
「ウィルは、ここに残る。いいね?」
 ウィルは聞き分け良く頷く。今までで一番手強い怪物というから、戦闘の場に彼を連れて行くのは危険すぎる。問題は、もう一人の方だ。
「ライアは? どうする」
 アルドの問いに、一瞬の間を空けて答えた。
「――行かせてくれ」
 これが、最後かもしれない。いや、確実に最後だ。戦闘に参加できるのは。それが解っていたから、ライアの瞳には痛い程の覚悟が見て取れた。
「じゃあ、現場に向かうのは明日の昼。それまでに各自、体勢を整えておくように」

 宿を取った後、ライアはウィルとウィリアに呪いの紋様を見せていた。
 ビゼスは術については門外漢なので、黙って聞いている。
「右に三本、左に三本流れてく……これは羽ね。下にさがったこの線が尾。火喰い鳥とはよく言ったものね――」
「亜種だから、普通のとはちょっとはカタチ違うんじゃ?」
「知らないわ。見た事ないもの。アナタだってそうでしょう」
 呑気な会話の傍ら、ウィルがライアの手首を無遠慮に観察する。ウィリアが涼しい顔で問う。
「……で? 何か判ったの?」
「この紋様の最終形が正ッッ確に判れば、逆算して消せるかもしんない」
 ウィルはとんでもない事を口にする。いくら術に精通していても、そんな事ができる人間は歴史上に何人存在しただろう。それに普通ならアザが完成した時点で手遅れだが、今回は腕輪の効力が呪詛を弱めている。駄目もとで検討してみようという話になり、今に至っていた。
 弟の才の特異性を知る彼女は、淡々と意見した。
「そう。私はこの6枚の羽が伸びて、炎を模すようになると思うけど」
「ぅんにゃ。これはきっと7枚羽だね」
 さらさらとライアの腕のアザを正確に書き写しながら、ウィルが言う。ウィリアが非難がましく言った。
「何よ、呪いの紋様って左右対称・偶数が基本じゃない」
「けど、オレの勘はそー言ってる」
 ビゼスが顔をしかめる。
「……何を言ってるかさっぱりだ」
「俺も」
 術の論議では呪いを受けた当人さえ蚊帳の外だ。
 ウィルは写し取った未完成の紋様と睨み合いつつ姉に言った。
「……2日くれる? それまでに形状予測して、式解読してみっから」
 ウィルの紫の瞳は、鋭く怜悧な光を宿していた。
「任せたわ」

 小さな集落だ。準備と言ってもやることも限られる。集落の外れで最終調整の手合わせをした後、リーティスは斜面に腰掛け、俯いたままぼそぼそと喋った。
「――――で」
「え?」
「死なないでよ……っ」
 周りには、人もいない。だから抑えていた本音が出たのだろう。
 ライアには、下手な慰めを言うこともできなかった。呪いが消せない限り、自分の死は確定している。
「次の、リレーコアまでは――。それまでは、絶対生きてやる」
 苦し紛れに言えたのは、そんな言葉。それが、リーティスの求めていない言葉と解っていても。
 エメラルドの瞳が、泣きそうに怒ってライアを睨んだ。けれど、言い分はライアにこそある。
「俺だって――……」
 子供のように叫ぶ。
「俺だって、こんな呪いに負けたくねぇよッ!」
 呼吸を整え、冷静な自分に戻ってから続ける。
「けど、どうにもなんねーなら……せめて、俺にやれる事やりきってから死にたい」
「―か……っ」
 リーティスが怒ったまま帰ろうとするので、慌てて後ろからその手をつかんだ。
 リーティスは振り返らない。ライアに手をつかまれたまま、後ろを見ずに告白した。
「私、多分許せない。ライアがこのまま死んだら、アリヤの人ぜんぶが悪いんじゃないって判ってても――アリヤの人達も、ペルラだって、みんなみんな切り刻んで――それまできっと止まれないから……!!」
 リーティスの手は震えている。彼女自身が恐れる結末を、ライアだって望まない。
「……俺、自分がいなくなるの怖くねんだ」
 今度はライアが一方的に話し始める。手は離さない。
「可笑しいよな? この旅で誰かが死ぬの、絶対嫌だって思ってたのに、いざ自分が死ぬってなって、その事は不思議なほど簡単に割り切れてさ――」
 絶対に認めたくはなかったが、つまり。
「これじゃ、ラファーガ(あいつ)と一緒だ……」
 手の力が緩む。こんな自分は、やはりリーティスの相棒には相応しくない。
 手を放した。
 最後に、ありったけの想いをぶつける。
「だから――こんな奴のために暴走なんかすんなよ!!」
 嫌いになってくれ。せめて。もう、一緒にいられないから。
「っ〜〜〜!」
 リーティスは立ち尽くし、それでも強かった彼女は、最後の最後はライアの意を汲んで、何も言わずに走り去った。

 次の日、相棒を解消した二人はお互いどこか余所余所しかった。
 アルドはそれを訝ったが、仲違いした時のような危うさを感じないので、それが余計に不思議だった。

 一本道の半ばで待ち構えていたのは、双子の獅子であった。
「なんだ、アイツは!?」
 ビゼスの声には驚きと動揺がはっきりと表れている。
 亀の怪物のように巨大でも、女神像のように異質でも、蜘蛛の怪物ように異形でもない。ただ純粋にそのスピードとパワーが、生物の極限にまで引き絞られていた。
 魔法は、当たらない。それどころか、本来攻撃の一手先を行けるはずの防御ですら、魔法が追いつかなくなりつつある。
(これは……全滅する!!)
 アルドははっきりと危機を感じ取った。
 レイドの能力ではとても獅子達に太刀打ちできないため、地上に近付くこともできずにいたペルラが、怪物の系統に目星をつけて上空から叫んだ。
「そいつの弱点……多分、炎! 火で囲ってしまえるなら……っ」
 しかし、実現する手段がない。誰もがそう思っていた。ライアを除いては。
 王家に伝わる最強の炎魔法。最悪の状況を前に、ライアは気付けばその詠唱を口にしていた。



(あ、れ……)
 気が付くと、地に仰向けに転がっていた。すぐそこでは獅子と仲間達の激しい戦闘が続いている。
(そっか――倒れたんだ、俺)
 状況を把握する。王位継承者に伝わるこの魔法には、根こそぎ魔力を持っていかれる。呪いに魔力を喰われ始めていたライアに、もはやそれだけの余力は無く、詠唱の完成を前に失神したのだ。逆にそれでも詠唱を唱えきる強靭な精神の持ち主だったなら、魔力を使い果たして死に至っていただろう。
 失神していたのはほんの十数秒のようだが、戦況は絶望的だった。
 戦いながらビゼスはアルドの近くに寄り、言葉を吐く。
「リーダーはお前だ。私は貴様に従う」
 もはや、全員での撤退は不可能と見越しての言葉だ。
「足止めでも、先を任されるのでも、恨みはせん。――それとも二人で、ここを止めるか?」
 死地にあって、尚のこと不敵に剣鬼は口元を歪めた。確かにアルドとビゼスでこの場を食い止めるのが、最も人数的な被害は少ない。しかし、先を考えるとどちらかは生き残ってパーティーの戦力の要となるべきだ。
「すまない……」
 アルドは、絶望的な戦いをしながらも、ごく短時間で考えをまとめた。
「みんな!! 僕はここで時間を稼ぐ!」
 状況から、その意図は一瞬で仲間に伝播した。一瞬の静寂に次いで、ウィーロスが名乗り出る。
「僕も、最後まで戦う……! ごめんね、姉さん、みんな」
 フェリーナもまた、アルドに懇願した。
「側に、居させてください――」
「ありがとう」
 残る者は決まった。撤退するビゼスが、すれ違い様にウィーロスに真顔で囁く。
「地獄で会おう」
 応戦しながらウィーロスもまた小さく頷いた。ヒトを殺めてきた彼らは、いずれ行き着く先は同じだ。
「こんなのっ……!」
 悔しげに洩らしながらも、リーティスが師の後に続く。
 ウィリアが最後の時間稼ぎに氷の壁を出現させ、退こうとしたその時。
(歌、ですって……!?)
 紛れもなく、歌だった。足止めに残った3人はそちらを顧みる余裕もないが、ウィリアは歌い手を見て愕然とする。
 そこには、自分達と撤退するはずのライアが魔力をまとわせて立っていた。

 王家の攻撃魔法を使うだけの魔力は残されていない。だけど、それなら――

 建国から4年が経ち、王の座に就いていたラシアン=ヴィシュタット=スロウディアのところへ、一人の魔術師が謁見に訪れた。
 少々奇抜な服装に、自慢の髭を整えて馳せ参じた高位の魔術師は、恭しく頭を垂れると、王室に相応しい魔法をご用意しましょう、と王に提言した。
 実は既に、一つ目の魔法は授かっていた。国を束ねる王に相応しい最強の炎魔法で、今後、王位に就く者に継承して行く予定だが、腕力に頼って戦ってきたヴィシュタットにとっては持て余し気味だった。
 だがしかし、逆に言えば、実用が目的の魔法ではなかった。王家秘伝の魔法として興って間もない王室に箔をつけるためのものであって、中身はさして重要でない。
(つってもまァ――隣の国のアイツは、おれと違って使いこなしてそうだがな……)
 同じように魔法を授かった隣国の王が王家の魔法をものにしているとしたって、今更そんな事で張り合う気もなかった。
 王座に座して少々考えた後で、王は考えを口にする。
「なんつーかこォ……前線で戦ってる奴らを鼓舞するような魔法ってねぇのか?」
「はっ? ハァ……勿論ございますが」
 血のヴィシュタットともあろう傑物が派手な攻撃魔法を選ばなかったことに、魔術師は意外そうに目をしばたいた。
 あれよという間に英雄として担がれ王位についてからというもの、ヴィシュタットも王が決して前線に立つことのない立場だと理解し始めていた。
 だからこそ、国に万が一のことがあった場合、国の財産である民の守護者たる前線の兵士達を守るにはどうしたら良いか、この男なりに知恵を絞って考えたのだった。

 俺は、みんなを守りたい……!

 前線で仲間達が傷つく様から決して目を背けず、赤い髪と燃えるような真紅の瞳をした王位継承者は、詠唱を『歌い切った』。
「これは……!?」
「……!」
「ライア――?」
 前線で命を削って戦っていたフェリーナ、ウィーロス、アルドが、真っ先に自分達の感覚の変化に気づく。
 激しい魔力の消費にライアは膝が砕けた。それでも意識だけは飛ばさぬように踏ん張る。
 そこで、包囲を抜けた獅子の片割れが動けないライアに襲い掛かった。その速さは獣すら凌駕する。
 そこへ右から剣鬼、左から剣姫が割って入ろうとした。ヒトの身で、それらは決して間に合わない……はずだった。
 ギン!!
 ジャッ!!
 激しい金属音がして、二本の剣が獅子の爪を『止めた』。
 ビゼスが思わず口元をほころばせ、すぐさま反撃に出る。その動きはエンハンス時のセイルをも越えていた。
 獅子の動きを見切れた自身の視力と瞬発力に戸惑いながら、リーティスも加勢に入る。
(今の私……これなら、いける――!!)
 フェリーナやウィリアも、魔法の詠唱速度と威力が格段に上がっていた。暴れ回る水の龍と氷の嵐が、アルドと対峙した獅子を追い詰めていく。
 戦力外のライアを庇いながらも尚、こちらが優勢だ。
 撤退しかけたペルラも、引き返して上空に留まった。
 彼女自身には、エンハンスの効果はさほど現れていない。しかし、それは不思議ではなかった。
(炎系のエンハンスは、術者の心理状態に左右されるからとても難度が高い――それなのに、全員の能力をあそこまで上げるなんて……)
 寧ろその事がペルラにとっては驚きだった。炎のエンハンス魔法は、対象が自分なら、自らに絶対の自信を持つ者でなくてはならないし、人にかけるのであれば、相手への心からの信頼が絶対条件だ。術者からの信用が薄ければ、範囲内にいても効果は皆無である。空間的に広範囲にかけることは容易な魔法だが、個人個人に効果が出るための条件が、如何せん厳しい。
 傍目に見ても、眼下の者達の能力は格段に上がっていた。特に、ライアの傍で戦っていた剣士二人の動きは群を抜いている。
(これが、彼らの絆の強さ……!)
 彼女が見る間に、とうとう決着がついた。

「終わっ、た……?」
 自分でも信じられないといった様子で、リーティスが呟く。戦闘終結を見届けて、ライアは意識を失おうとしていた。
(終わっ……た……)
 そのまま、静かに崩れ落ちる。
「やった、のか、僕達は――」
 魔法の効果が消え、アルドも信じられない目で動かなくなった二頭の獅子を見ている。
「勝ったのよ! これが、私達の実力ってね」
 ウィリアが言い放ち、それから誰からともなくライアの昏倒に気付いて周囲に集った。
「ぁ――」
「――ウィーロス?」
 咽を引きつらせたような声に、ビゼスが屈んでいたウィーロスの肩に触れる。
 ライアを介抱しようとしたウィーロスは、声を震わせた。
「ライア、息――してない」
「何!?」
 脈はある。だがそれも、間近に迫った死へのカウントダウンに過ぎなかった。
「どきなさい!?」
 ウィリアが血相を変えて弟との間に割り込む。ライアの手を取り、魔力を視た彼女は――冷たく怒れる形相のまま、そっと手を置いた。
「魔力が、尽きたわ」
 彼女は、なす術が無い自分に苛立っている。皆、言葉を失ったが、ただ一人、希望を抱く者がいた。
「ねぇ、私が谷で昏睡状態だったとき、最後に私のところに来たの、ライアだったんでしょ?」
「谷――ええ! そうでした!」
 フェリーナが花が咲くような声で答える。
 ライアの前に跪いて動かない手を握ったリーティスに、魔女が慌てた。
「ちょっと貴女何考えて!? ……だめよ!! 貴女が命に代えて全ての魔力を注いだって、ライアが助かるだけの魔力を受け渡せはしないわ!!」
「いや、ウィリア。できるかもしれない」
 そう言って真っ直ぐにリーティス達を見詰めるアルドにも、思うところがあるらしい。
 仲間が見守る中、集中し両手に魔力を篭めたリーティスは、ライアの手を置いてすっと立ち上がった。
「大丈夫――なの?」
 ウィリアが呆けたように声を掛ける。自分で立ち歩けるという事は、そこまで魔力を放出していない証だ。
 続いて、小さく呻き声がして、赤い瞳が開いた。
「あれ……、みんな……?」
「おかえり」
 アルドが上体を起こしたライアの頭をぽんと叩き、フェリーナが功労者のリーティスを横から抱きしめた。
「呆れたわ――」
 魔女だけは、納得のいかない複雑な顔でそれを見ていた。数パーセントでも魔力を受け渡すことができる相手とは、この地上で一生に一度すれ違えるかどうかという確率である。リーティスがさほど消耗していない様子から、変換率は数パーセントどころか1、2割に達しているはずだ。そんな相手と行動を共にできた彼らの運の強さに、魔女はただ呆れるばかりだった。

「早カッタね?」
 こちらは激戦の後だというのに、合流したウィルは感慨もなく呟いた。集落は夕霧に包まれており、決して帰還が早かったとも思えない。恐らく、ウィルはウィルで今まで何かに熱中しきっていたか、さもなくば無事に帰った事への照れ隠しなのだろう。
 ウィルの手元には、訳の解らない計算やら図式やらでびっしり埋められた紙が4枚、あった。中には上から大きくバツで消されている紙もある。
 意味不明のそれを、ライアは眉根を寄せながら眺めた。
 ウィルはやけに機嫌よく(得意なのだろう)説明をしだす。
「いちお図案は3つ考えたけどぉ? ライア、腕見してよ」
 あれから一日半。この短時間で呪いは急激に進行していた。紋様はほぼ完成に近付いている。
 ライアの左腕を確認して、その口元が凶悪にニヤリと歪む。
「――やっぱね」
 後ろから覗き込んだ姉が悔しげに顔をしかめる。その手にハンカチを持っていたなら、今頃その端を噛んでいたに違いない。
 左右それぞれ三方向に伸びた羽の間に、上向きのアザが生まれていた。
「7枚羽なんて非常識よ!!」
「んー、羽じゃなくって鳥の首かもワカンナイね?」
 4枚の紙のうち二枚をひらひらさせながら、ウィルが言う。
「1つはどぉしても解けなくってさぁ。これは二枚とも没。……けど、ライアの腕のやつって、どー見てもこっちっしょ?」
 残り2つの図案のうち片方は、まさにライアの腕に浮かび上がろうとしているそれと一致した。
「すげぇ……」
 よく判らないが、それをぴたり予測したのが神業であるのは解る。
「トーゼン。オレ天才だし?」
 そこには仲間全員が揃っていたが、ウィルの悠長な前置きに、リーティスなどはやきもきしている。ウィルははしゃいだように言った。
「でさ、これとこれは解けた。……てことでー、いっとく? ライア」
 それぞれの紙に一つずつ書かれた図案と、複雑な式や文字、図の羅列。ウィルはそうやって、紋様の最終形から解呪の方法を導き出したらしい。それがどれだけ非凡なことかは、類稀なる魔法の才を持つ姉が一番に理解していた。
 死ぬも生きるも、もう覚悟はできている。現にさっき死にかけて、リーティスに救われたばかりだ。ライアは言う。
「ああ、頼む。別に、消せなかったとしても恨まねーよ」
 紫の目が不服そうに細まる。
「ァあ? ダレに言ってんの?」
 思い切り馬鹿にしたように鼻を鳴らし、それでも眼だけは真剣になって、ウィルはここ数日で溜めたささやかな魔力を手先に集中し始めた。
「水面の門―― 水底の鍵―― ……」
 ウィルが自分で編み出した解呪の光魔法を唱えるのを、誰もがじっと待った。
「… 『開け』――……!!」
 その時、ライアは一瞬だけ身体にかかる圧力を感じた。が、それはすぐに散じる。
 何も起こっていない。
 左手首には、黒いアザ。
「……あ……!」
 フェリーナが声を上げるが、やはり変化は感じられない。
 ややしばらくして、アハ体験を済ませた者から順に、その顔つきが変わった。
「?? 何だよ?」
 仲間の顔を見て、それからもう一度腕を見る。
(小さく、なって、る……?)
 アザは、見詰めるている程変化が判らなくなるような超低速で、歪みつつあった。
 手首を見て驚いているライアに、ウィルが思い切り下目遣いになって言う。
「今日からは命の恩人のオレを尊敬しまくって、様付けてくれて構わねェけど?」
 本当はかなり疲弊しているので、兄に後ろから支えられて立っていたウィルは、リーティスに両手をがしっと握られて躊躇した。
「ありがとう!!」
 真剣な目で言ったリーティスに次いで、背中を支える兄がおっとりと言う。
「ウィルは、やっぱりすごいよ」
「流石は、このお姉様の弟ね?」
「ライアに爪の垢でも煎じて飲ませとけ」
 口々に言われて、ウィルは、
「ふん…………」
 小さくそっぽを向いた。


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