「お鎮めください! グローヴズ様……っ」
「どうか早まりませぬよう……!」
 追いすがる二人を、老いてなお凄まじい豪腕がいとも簡単に弾き飛ばした。
「うわっ!」
「……ぐ!」
 彼らには見向きもせず、ひたすらに前進する。その身は老い、病魔に蝕まれた体は荒く息を吐き、残された時間が少ない事を物語っていた。
 ――猛将グローブズ。今は新しい世代の戦士達が活躍しているとは言え、その名を知らぬ者はない。魔族は彼を畏れ、人間はその名を聞けば震え上がった。彼は幾千という人間を倒し、数え切れない戦果を挙げた。
 今、死に行く彼の心残りはただ一つであった。娘亡き今、その目的のためだけに、そこを目指す。

 そこには戦士としてはまだ幼い黒髪の少年がいた。彼は、自分に向かってくるグローブズの気迫に、身を凍りつかせ慄いた。
 巨躯を誇る老将の壮絶な瞳が、瞠目する少年を捉える。
(こんな小僧が……、わしの――)
 グローブズが右手を振り上げた所へ、兵士達が追いついた。
「逃げろ! ……スっ!」
「おやめください! グローブズ殿!」
 しかし、いずれもグローブズの敵ではなかった。彼らを蹴散らすと、グローブズは狂気の瞳で少年だけを見据え、一歩、また一歩と近付く。
「……ぁ……」
 手足が震える。しかし、少年も戦士であった。勇気を奮って自らも剣を抜く。
 そこへ、倒れた兵士のひとりが決死で言葉を寄越した。
「手加減は、いらない……っ。その爺さんは……耄碌して……っ、いいから全力で逃げろーッ!」
 逃げようにも、後ろは壁だ。グローブズに一撃を与えてその脇を駆け抜けるしかない。
 剣を握り締めた少年は果敢にも、錯乱して暴走する老将に挑みかかった。
「やぁーーーっ!!」
 大人顔負けの手並みである。まだ体は小さいが俊敏な彼は、魔族の戦士として将来を期待されていた。
「ぬるい!!」
 しかしその攻撃は容易くいなされる。老将の猛烈な攻撃が始まり、少年は一方的に嬲られ始めた。唯一勝っている素早さも、ダメージを受けて体が思うように動かなくなっては、何の役にも立たない。
「がッ!」
 軽々と吹っ飛ばされた少年の体は背中から壁に叩きつけられ、口から少量の血が流れ出た。
 大槌を振るう老将は、病と老いに息を切らせながら、魔王の如き凄惨な気を放ちつつ少年にとどめを刺そうとした。
 朦朧とする意識の中、それでも少年は抗った。
(おれは……こんな……ちくしょぉおーーッ!!)
 その時、少年の瞳がグローブズと同じ金の光を宿した。
「ア……ァアアアッ!!」
 咆哮と共に放たれた雷光が老将の巨体を撃ち貫き、更に少年は、獣の動きでグローブズに躍りかかった。
 もはや少年に自我と呼べるものは無い。ただ目の前の危険を排除するために、その剣をかつての猛将の胸に付き立てた。分厚い胸から、血が噴出す。
「見、事……」
 事切れようとするグローブズの瞳に満足の光が宿ったのは、誰の目にも耄碌した年寄りの狂気としか映らなかった。



STAGE 35 a descendant of the hero 〜月下のつるぎ〜



「!!」
 あまりに予想外の光景に、二人は息を呑んだ。
 地面に伏した男に、今まさに止めを刺さんとする男がいた。彼らの位置関係が逆でさえあったなら、二人は驚かなかっただろう。
 ライアは目を疑った。
(そん、な……。暴走状態のビゼスを――倒した……? それも一人で……!?)
「ま、待って!」
 リーティスの声に、男が振り向く。――薮蛇だったかもしれない。
 白髪混じりの男は、地獄の釜のように底無しで、昏い眼をしていた。
 視線に中てられただけで、体が言う事を聞かなくなりそうだ。その場からは動かず、ライアが気力を振り絞って叫んだ。
「やめてくれ。そいつは、俺達の仲間だ」
 男は剣を納めはしなかったが、倒れて動かないビゼスから二人に向き直った。
「……この男は魔族だ」
 思ったよりもよく通る声だ。男はそれ以上言わずに二人の返答を待った。彼は無言で訊いている。お前達は何者だ、と。
 いきなり襲って来なかった事に肩の力を抜いて、ライアは改めて対話の姿勢を見せた。
「……知っています。俺達は人間ですが、彼は、必要がない限り人は襲いません」
「…………」
 男は沈黙した。唾を飲み、ライアは続ける。
「彼はあなたを襲ったのかもしれませんが、それは本意でなかったのだと思います」
「どうしてそう言い切れる?」
 男の言葉に、ライアは自我の消失と引き換えの力のことを話した。上手く説明できた自信は無いし、仮に伝わっていても信じてもらえるかは微妙だ。なにせ、ビゼスの他にそのような事例を知らない。
「……その話が本当なら、きっかけを作ったのはおれの方だな。すまない事をした」
 男があっさり剣を納めたものだから、二人は思わず顔を見合わせた。

「……口に合わなかったか。悪いが、うちにはそれしかない。……ここに客など来ないからな……」
 自虐的に口走った男を前に、二人は出された茶を覗き込んだ。赤っぽい液体が、香ばしい不思議な香りを漂わせている。すぐに口をつけなかったのは、遠慮ではなく得体の知れないこの男を警戒してのことだ。
 ここは彼の住み処で、寝室に寝かされたビゼスを無視してここを離れる訳にもいかない。
「……いただきます」
「……! ……!!」
 隣で、リーティスがよせとジェスチャーするのが判る。
 慣れない香りだったが、咽を通ってしまえばすっきりとした後味だけが残った。素直に感想を述べる。
「おいしいです」
 男は、慣れない様子でぎこちなく笑みを造った。……心から、笑えないのだ。森の奥に隠れ住み、ごく稀に現れる刺客を追い払う、それだけの日々を送っているこの男に、表情とは無用の長物だった。
 何か言いたげなリーティスを視界から極力排除して、ライアは頭を下げた。
「俺達の話を聞いてくれて、ありがとうございます」
「いや、手を出したのはおれだ。聞くところ、その話も全くの嘘とは思えない」
 男はそれなりに歳をとっていたが、頭の回転はかなり速いようだ。
「さっき、道に迷って仲間とはぐれたと言ったが、この季節、ここいらに群生する目回し草が一斉に花粉を飛ばす。恐らくそれに中てられたんだろう」
「目まわしそう……?」
 リーティスが怪訝な顔をすると、男は表情を固めたまま話した。
「ファイアプラントとも言う。君達は旅人か? 地元の人間なら知ってるはずだが、あの草の花粉は、ヒトの方向感覚と時間感覚を狂わす。……その調子じゃ、他のお連れさんてのも、今頃困惑していることだろうな」
 言ってから、ぴくりと男が身じろぎする。隣室の僅かな物音を、彼は聞き逃さなかった。

(……気取られたな)
 扉の向こうにいた者もまた、常人離れした感覚でそれを感知し、潔く扉を開けた。
「……ビゼス!」
 リーティスが、あからさまにほっとして言う。連れが出された茶に簡単に口をつけてしまうライアとあっては、リーティスも心許なかったのだろう。
 ビゼスに睨まれて、男は没収した片刃の剣を掲げて言った。
「色々誤解があったようだから、話を聞かせてもらってたところだ」
 ビゼスを寝室に運んだとき、『やり合う気はないが、念のため預からせてもらう』と言ってあっさり取り上げてしまったのだ。ライア達は人間だからか、害が無さそうに見られたからか、剣を渡すようには言われなかった。
 果てしなく剣呑な眼で男を睨みつつ、ビゼスが大人しく席に着く。
 よく、ビゼスが自制を保ったものだとライアは思った。他人に剣が渡るのを極端に嫌がるビゼスである。しかも、男は挑発するようにわざとそれを掲げて見せたのだ。
「……それで?」
 不機嫌極まるその声は、誰に投げられたものか不明確だった。あるいは、答えるならその場の誰でも良かったのかもしれない。
 男がひとまずビゼスに追加で茶を出した。ビゼスは出されたそれを見て、ライアとリーティスの前を目で追う。茶を丸々残して渋い顔のリーティスと、半分ほど茶がなくなっていて目を逸らすライア。それで状況は理解した。
 深々と、ビゼスがため息をつく。
「だっ……仕方ないだろ!? 飲んだって少しだし……俺だって、リーティスがいなかったら、んな事しなかったよ!!」
 それはリーティスも初耳だった。ライアは自分に何かあってもリーティスが対処してくれると判断して、毒見役を買って出たらしい。
「ふーん……一応、脳みそは使ってるんだ?」
「てか、何言わせてんだよ……俺今すげー失礼な事言った……」
 面と向かって男を『疑ってました』と暴露したようなものだ。しかし、男は気を悪くした様子はない。
 ビゼスは相変わらず男を睨みつけている。この場にライアとリーティスがいるから手を出せないと知ってか、男が嗤った。
「――そんな『番犬みたいな恐い目』をしなくたっていい。そこの二人には感謝しておくんだな。もし止めに入ったのがお前と同じにおいを持つ者なら、おれは聞く耳持たなかっただろう」
 男が言う臭気に、ビゼスは自覚があった。殺戮者に特有の、血の臭いだ。
「それを言うなら、貴様も大概だな」
「あぁ――返す言葉もない。おれは星の数程も人を屠った。君たちには信じられないだろうが、おれは人間の身で、かつては魔族の側について傭兵働きをしていた」
 告白のあと男は一呼吸置いたが、ライア達が驚かないのを見て目を見張った。
 しかし、そんな目をされても説明に困る。
(いや、なんつーか……知り合いに居るってゆーか……)
 ウィリア達のような人間がいることは、既に承知だ。どう説明したものか考える間に、男はビゼスを見て別の方向から納得したようだ。
「……そうだったな。君たちは人間、彼は魔族か。ともかく、そういう事情ではあったが、おれは軍を抜けた。だから、さっきは魔族の刺客かと疑ったんだ。許して欲しい」
 男が魔族と手を切ったのはもう随分前というが、魔族は寿命が長いので、今も彼を狙っている可能性はあった。
「――笑えるだろう? こんな目的もなく生きるオヤジが、死も選べずにいるなんてな」
 彼が、こんな場所でひっそり生きる理由が解った気がした。軍を脱走して魔族からは命を狙われ、人間を殺めた身でおいそれと人間の中に出て行く事もできない。生命が危険に晒される度に、自分は生きる価値もない人でなしだと思うのに、強すぎるが故に殺されることも叶わず、惰性で今日までを生きてきた。それは『生きている』としても、決して人として『活きて』はいない。
 殺人という罪を背負いながら、活きる事も死ぬ事もできずにいる男。その昏い焦げ茶の瞳に、底知れぬ悲哀が影を落としていた。
「……今晩は泊まって行くと良い。まちがって襲った侘びだ」
 ライアが腰を浮かせながら言う。
「あ! でも、今からならどうにか森は抜けられると思います」
 男はビゼスを見て言った。
「おれが暴走してるお前を仕留めるのに使った魔法、レイ・バインド(光鎖)が効いたという事は、お前が魔族なのは間違いない。だとしたら、まだ筋肉に違和感を感じるだろう? それが取れるのは――そうだな、あと三、四時間はかかる。そうしたら日が暮れてしまうだろう」
 ビゼスは何も言わず、男をきつく睨んだまま否定をしなかった。

「お前にはまだ名乗ってなかったな。おれはセイルだ」
 夕食の席で改めて自己紹介したセイルにビゼスは名乗り返した。セイルが魔族の軍にいたのは相当昔というが、もしかしたらどこかで繋がりくらい見つかるかもしれないと思い、彼は姓を尋ねてきた。
 ビゼスは孤児である。悩みつつこう返した。
「姓は無い。あえて名乗るなら――……ビゼス=ミリエイジ、になるか」
 セイルが意外な顔をする。リーティス達が不思議そうにするのを見て、セイルはこう言った。
「ああ、すまない……西方では聞く姓だ。よもや『デスローの』ミリエイジ夫人ではないな」
 ライア達の聞き慣れないその地名は、ビゼスの生まれ育った土地の名だ。
「……いや、多分『その』ミリエイジだが」
 セイルは、この男が今後一生涯しないであろう、訳の判らない面をしていた。今まで母親と思っていた人が、ある日『実はお父さんですよ』と逞しい胸毛を披露したなら、人はこういう顔をするだろう。
 時を止めてしまったセイルを前に、ビゼスは考察した。ミリエイジは育ての母の姓である。セイルが軍にいたのが30年前と見積もって、その頃義母(はは)は、人間でいう30代、まだ美しかったであろう。セイルの好みが年上なら、未亡人の義母に恋をした可能性も十二分に考えられた。
「あのー……セイルさん?」
「放っておけ。それより、今のうちに昏倒させて、剣を奪い返しておくか?」
「そ、それってどうなんだろ……」
 3人の会話が交わされる間にどうにか現状復帰したセイルが呟く。
「……驚いたな。その黒髪。戦闘の時に見せた雷……お前はカリナの子か」
「カリナ……?」
 今度はビゼスが聞き返す番だった。
「グローブズの一人娘だ。名くらいは聞いた事がないか?」
 グローブズに娘がいたとは知らないが、ビゼスにとって、グローブズという名は因縁がありすぎる。僅かに眉をしかめた。
「私の母を、知っているのか……?」
「知っている、と言ってしまって良いか迷う処だが……あの猛将の娘だ。おれも、遠巻きに目にした事くらいはある。もう20年も昔に、戦いの最中命を散らせたが――小娘ながらに、歴代の猛者達にも劣らぬ戦いぶりだったと聞くよ。流石はあのグローブズの娘といった所か」
「…………」
 ビゼスが黙り、何やら深刻な空気に、ライアとリーティスは囁きあった。
「(なんかすげー立ち入った話になってんですけど!? 俺達ここに居ていーのか?)」
「(た、退室する……?)」
 しかし、その話はそれ以上続かず、二人は鹿肉と野菜の質素な夕食を食いはぐれる事もなかった。その食卓で二人の記憶に残ったのは、大根は味が薄く、反対に肉はしょっぱかった事、生母の話を聞いてビゼスが珍しく上の空であった事、である。

 皆が寝静まった夜更け。寝室は女子に、空き部屋を男二人に開放して居間で眠ろうとしていた彼は、部屋を抜けてきた男を見てこう言った。
「眠れないのか?」
「生憎、人様の家で高鼾をかける程、太い神経をしてないんでな」
 それは同室のライアに対する嫌味とも、セイルに対する皮肉とも取れたが、恐らくは後者である。ライアの鼾は聞こえたが、さほど酷くない。ビゼスは寝付けないのでなく、寝ないのだ。
 ビゼスは一晩睡眠が欠ける程度はどうという事もない。なれば、今晩はこの男の警戒に徹するのだろう。
 床で寝ようとしていたセイルは、やれやれと起き出し、それから剣を二振り手に取った。
「寝付けないなら、そこの湖までどうだ。今夜は月も明るい」
 そう言って彼は、片方の剣を差し出した。
「用心だ。夜中は危険な獣がうろつく事もなくはない」
 自分の剣を受け取りながら、ビゼスはセイルの真意を量りかねていた。
(やはり、魔族に恨みを持つか――? ……いや、ここを離れてやり合うというなら、むしろ好都合か――あいつらが巻き込まれる危険はなくなる)
「いいだろう」
 剣の重さが手に馴染むのを感じながら、ビゼスはセイルを見据えて返事をした。
 この場で一度抜くが良いか、と目で問う。セイルもまた目で返答した。
 すらりと抜かれた刀身は鈍い銀色で、互の目刃乱(ぐのめみだれ)と呼ばれる不規則な刃紋だった。
「業物だな――」
 セイルも剣士である。得物の善し悪しは見ただけで判った。彼が感心して目を奪われている間に、ビゼスは剣に細工をされていないか確認を終えた。
 ちん、とビゼスが納剣するのを見届けて、セイルは言った。
「では、行こうか」

 フクロウが鳴いている。
 昼に水面を賑わす水鳥達は、今はどこかで休眠しているのだろう。
 天空には、一際強く輝く大きな月がかかっていた。風景の中で細い一本の影となった木も、静かに佇む水も、まるでこれから起こる激闘を誰も予想していないかのようだ。

「まさか、世間話だけに連れ出したとは言わんな?」
 棘のあるビゼスの言葉に、セイルはただ静かに尋ねた。
「昼間戦って感じたが、もとは二刀じゃないのか?」
 流石に、鋭い。胸中で唸りつつも、ビゼスははったりをかました。
「貴様ごとき、油断しなければ一刀で充分だ」
 並の相手ならその通りなのだが、この男を倒すとなると話は別だ。昼間は暴走という反則技を持ち出したにも関らず、セイルは小細工抜きでビゼスを押さえ込んでいる。
 勝機があるとすれば、逆に理性を保ち、どこまでも冷静でいることが求められるだろう。
 ビゼスは僅かだが手に汗をかいているのを感じた。何年振りであろうか。自分より明らかに格が上の者を相手とするのは。純粋に体格や体力、力や魔法でビゼスを凌ぐ相手ならヒトでも魔物でもいくらでもいたし、それらを出し抜く自信はある。だが、この男の場合、どうしたら倒せるのか皆目見当がつかない。それに、まだ不穏な奥の手を隠し持っている気がしてならなかった。あるいは暴走している時の自分はそれを見たのかもしれないが、生憎と記憶には刻まれていない。
 セイルはすぐには仕掛けず、一度自分の剣を抜いた。ビゼスが差しているものに近い、片刃の小ぶりな剣だ。
 間近で見て、その剣の価値が判らぬビゼスではない。セイルは常からその剣と、一回り大きな太刀とを使い分けていた。速さに長けたビゼスを相手にするなら、こちらが適当と選んだのだろう。
「こいつを譲ってもいいと考えている」
 唐突な流れに、ビゼスが不審そうに目を細める。セイルは剣を納めた。
「おれももう歳だ。こんな山奥でこいつを錆びさすのは忍びない。だが、無論……」
 セイルの焦げ茶の瞳が、ビゼスを捉える。
「見合うだけの腕がなければ、誰かに渡すつもりはない」
 セイルはこう言っているのだ。この剣に相応しい腕を見せろ、と。それが本意なのか、開戦のための口実なのかは依然として不明である。
 ビゼスは嘆息する。
「随分と一方的な取り決めだな。私に、その剣を賭けて試合えというのか」
 ビゼスは剣が欲しいなどと口にしていない。剣の後継者を求めているのはセイルの方だ。
「言われれば、そうだな。ではこうしよう。お前もこの試合に何か一つ賭けると良い」
 ビゼスの方で、考えはすぐにまとまった。ビゼスはゆらりと剣を抜き、目の前の強敵に向けながら不敵に宣言する。
「私が勝ったら、父と母の事を聞かせろ」
 さして期待はしていない。だがもし、セイルに悪意がなく、約束を守るつもりでいるならば、聞けるものは聞いておきたかった。子が親の事を知りたいと思うのに、理由は要らない。
「おれも昔に軍を抜けた身だ。知っている事も限られるが……良いだろう」
 セイルも剣を抜く。どちらの武器も鞘の内で勝負が決まると言われる程、抜き付けで効果を発揮する代物なのだが、お互いそこで勝負を決めるつもりはなかった。
 両者、最も慣れた本物の戦場の、ルール無用の戦闘スタイルで決着を着けようとしている。それはつまり、全力で行くと言う事。
「それと、今ひとつ――お前のような現役の若造を相手するには、おれも歳でな。こいつを使わせてもらう……!」
 宣言して、セイルは炎のエンハンス魔法を使った。それは、ヒトの筋力を限界まで引き出し、反射神経を高める炎魔法だ。セイルは、ライアの目と髪が赤かったのを思い出して、尋ねた。
「一緒にいたあの少年は使わないのか」
「聞かんな、そんな話は」
 今は、昼間のセイルの身体能力に合点がいった方が大きい。
「それより、貴様のその可愛げのない動きは、そういう理由か……!」
「老骨を労ってくれて構わんぞ」
「ほざけ――ッ!!」
 割と素直に頭にきた。それ程の力を持っていながら、自分で老骨と言うものではない。
 百選練磨の剣鬼の瞳は、いつの間にか手加減無用と聞いた悪ガキのように据わっていた。

 不思議と戦いにのめりこむ程却って頭は冷えた。常人なら息も詰まって卒倒しそうなプレッシャーの中での打ち合いだったが、当人達は涼しい顔をしている。否、涼しい顔をしていられないようなら、その場で敗けは確定する。
 月は明るく湖畔を照らしたが、足元はやや不安定だった。一度はセイルが浅いぬかるみに入ってそこをビゼスが討ち取ろうとしたが、反射的に踏み留まった。打ち込むにはこちらも一歩踏み込む必要がある。これは誘いだ。
 ビゼスが乗らなかったと見るや、セイルは何でもないように最短の詠唱で光魔法を放った。中級魔法といえど魔族のビゼスが食らえばただですまない。まるで、軽く口笛を吹いたら目の前の木が切り倒されてました、というような事をセイルは平気でやってのける。剣士が本分のくせに、魔法の威力がやたらと高い。
(これは――無茶苦茶な訓練を受け続けたとしか思えんな……)
 並外れた資質の人間を連れてきて、人権など無視した苛烈な訓練を課せば、この男のようになるのかもしれない。
 一合、二合と打ち合って間を読み合い、そして三合目――ビゼスは決着が付いた事を知った。
 それはあくまで空気が静止した事で勝負ありと悟ったのであって、自分が勝ったと確信できたのは一瞬遅れてからだ。
 セイルは敗けを認めて臨戦体勢を解く。ビゼスも剣を引いた。
 セイルは人間としては異常なまでの強さを見せ付けたが、最後まで奥の手は出さなかった。ビゼスはその事実を知らないし、知る必要もなかったが、セイルが死力を尽くせば湖を干上がらせる程の大火を作れたなんて、悪い冗談にしか聞こえないだろう。

「約束だ。帰ったらこの剣はやろう」
 月は静かに湖畔を照らし続けていた。
 ビゼスの催促の視線に、セイルは付け足す。
「そうだったな。――正直、お前の母について知ってる事はもう話した。あとは父親だが……あまり、気を悪くするなよ」
 続けろ、とビゼスが促す。顔も知らない父である。何を言われようがほとんど実感は湧かないだろう。
「……お前の父親は、我が身可愛さに魔族に投降し、自分の育った里を魔族に売った人間だ」
 声が出なかった。
(父が……人、間……?)
 ビゼスの驚きを余所に、セイルは続ける。
「おれは直接会ったことはないが、同じ人間でも――いや、同じ人間だから、好感は持てない。奴が魔族に婿に入ったのも、保身のためグローブズという後ろ盾が欲しかったんだろう。……すまないな。おれも、軍にいたときは散散に人道にもとる行いをした。だから同じようにあちら側にいた人間に対しては、つい辛辣な憶測をしてしまう……。言い直そう。その一件は、一般にはこう言われた」
 セイルは改めて、私見抜きの世間に知れ渡った逸話の方を語った。
 ノーゼ大陸の奥地に、かつての大戦で魔族を苦しめた人間の勇者の末裔が隠れ住む里があった。魔族は勇者の再来を恐れ、その里を潰しにかかった。その任に当たったのが、グローブズの一人娘、カリナである。彼女は見事隠れ里を滅ぼし、末裔を生け捕りにした上で仲間に引き入れ、その功績を讃えられた。その後、カリナは魔族の尖兵に加わった末裔と結婚したという。
 世間に広まったこの話も、セイルの憶測も、どこまでが本当か知る術はない。
「たが、これだけは言える。お前の母は、強く、誇り高い戦士だった。その事を覚えておくと良い」
 その声を聞きながら、軽い混乱は続いていた。
(私は、普通の魔族ではなかったのか? 義母(はは)も、誰もその事を話してはくれなかった――いや、知っていたとしても言えなかったのか……。父親が魔族に寝返ったばかりの人間と知れれば、私の魔族内での立場も危うかったのだろう――)
 義母はビゼスが不自由なく魔族の戦士として身を立てられるよう、黙秘した可能性が強い。義母もかつては軍にいた魔女なので、口外しないよう軍から通達があったのやもしれない
 戻るか、と言って小屋への道を引き返そうとするセイルの背をぼんやり眺める。出自の一件があまりに衝撃的で忘れかけていたが、セイルは帰ったら剣を譲るつもりらしい。あの剣ならば、ビゼスは存分に実力を発揮できるだろう。
 しかし、あの剣はセイルにとって必要なものではないのか。剣を片方無くしているビゼスの剣腕を認め、老齢に差しかかった自分から相応しい若い主へ継承したいというのは解る。だが、本当にそれだけだったのか。ビゼスの実力を見たいというなら、昼に既に一戦交えているのだから、それで充分ではなかったのか。
「待て。貴様は……ッ」
 気付けば、セイルを呼び止めていた。

(……。しょんべん……)
 ライアが起き出したのは、月がまだ明るい頃であった。寝ぼけ眼で部屋を出て、外で用を足す。そして戻ったところで異変に気付いた。
(……あれ? ビゼス――?)
 同室のもう一人の姿がない。出る時には気づかなかったが、そこには毛布だけが残されていた。確認すると、居間で寝たはずのセイルも消えている。
 嫌な予感がした。
(……まさか!?)
「リーティス!」
 扉の前で呼んでみるが、返事がない。緊急事態なので、思い切って踏み込む決断をした。
 勢い込んで部屋に入ると、寝台には金髪の人間が横たわっていた。そっと近付いて、様子をうかがう。
(……。寝てる、だけか……)
 特に、変わった様子はない。ほっとして、忍び足で退散しかけたその時、立てかけてあった剣が盛大に倒れた。警戒心の強いリーティスの事だ。夜中に近付く者があったら倒れるように、わざと不安定に立てたのだろう。
 慌てて剣を拾い上げ、停止。いま背後で何が起きているのか、それは考えてはならない、きっと。
 よし、このまま何事もなかったように退散しよう。
 だが、言いようのない背後からの殺気に、あえなく断念。ライアが超スローモーションで振り返ると――
「〜〜〜〜っ!」
 一瞬で眠気が吹き飛んだらしいリーティスが、耳まで真っ赤になって拳を振り上げていた。
「ヘンタイっ! 信じらんない!! 最ッ低!!」
「ごっ誤解だっ!?」
「何が誤解!?」
「ビゼスとセイルさんがいねーんだよ!!」
「……え?」

「ホントだ……」
 居間をのぞいたリーティスが呟いた。そこに争った跡や荒らされた形跡はない。
 が、居ない者達が者達だけに、いくらでも悪い想像はできる。
「これって……」
「だよな……」
 二人は同じ心配をしたようだ。
 ライアの決断は早かった。
「俺、ちょっとその辺を見てくる」
 エメラルドの瞳が、じっとライアを見る。
(……いや、入れ違いにならないために、片方は残った方がいいんじゃないか? この場合)
 ライアが口にする前に、リーティスは肩をいからせて宣言した。
「ライア一人じゃ、不安に決まってるじゃない!」



 ビゼスに確証はなく、セイルはいくらでも白を切れたはずだった。『違う』――その一言で、ビゼスは自分の思い過ごしと認めたはずだ。しかし。
「言うな――!」
 背を向けて立ったまま、セイルは静かな怒気をはらんで低く制止した。
 うなだれ、辛うじてその先を紡ぐ。
「――おれに、その資格はない……」
「…………」
 確定だった。
 ビゼスは息を吸う。セイルの背に向けて一方的に言葉を投げつけた。
「私は、死に際に錯乱したグローブズから挑まれ、あの雷の力を目覚めさせた――」
「――――」
「あの日以来、私はいつ自分が自分でなくなるか、恐怖と戦い続けてる……!!」
 今でこそ割り切って使っている暴走の力だが、少年の頃感じていた恐怖は、今も消え去った訳ではない。
「私の雷は、人間の魔力とは反発する闇属性だ。父が人間だった事と、この暴走は何か関係があるのかも判らない。だが、関係あるにしろ、無いにしろ――私は戦場で生き残るため、力を使わなくてはならなかった! 一部の味方には、暴走のせいで恐れ、忌み嫌われた。どんなに制御しようと足掻いても、雷の威力を上げれば結果はいつも同じだ――。意に反して、味方を巻き込んだのも、一度や二度でない……!」
 親の無い彼には、庇ってくれる者もなかったのだろう。それでも軍で重用されたのは、ビゼス自身の実力と功績が認められていたからに他ならなかった。闇属性の性質を残す雷は魔法としては不完全でも人間に高い威力があったし、単騎で敵を殲滅する事にかけては、皮肉にも暴走が効果を発揮した。
 セイルは向き直ってビゼスを見ていた。現実から目を背けるつもりは彼にはない。
 ビゼスは真っ向からセイルの目を見て言い放った。
「私がどんな思いをしてきたか、お前には判らない」
 その通りだ。認めるように静かに目を伏せるセイルに、ビゼスは続ける。
「……だが、こんな私でも支えてくれる家族があった。暴走が危険な力と解って、それでも認めてくれる奴らとも出会えた。軍での上官や戦友ばかりでない。今一緒にいる弟子と、あの馬鹿もそうだ。今は目的があって旅をしているが、割とこの環境は気に入っている。だから……私は生まれてきた事を、後悔していない」
「……っ」
 壮絶な人生を歩んできたセイルは、染み付いた険しい表情はそのままに、初めて報われた心境で囁いた。
「ぁ……と…――」

 静かな湖畔を遠目に、怪しい人影が二つ。
「(え?? ひょっとして……早とちりだった? あれってただの――散歩、だよね……)」
「(にしか見えないな……。帰るか……)」
 彼らは大急ぎで引き返し、何事もなかったかのように寝たふりをするのであった。



 十数年後。セイルと名乗る男は、いつかと同じ月光に照らされて、この森で生を閉じる。
 彼は最期に思い出すのだ。森に迷い込んだ3人の客を泊めた奇妙な日の事を。その数年後、息子が美しい嫁を連れて立ち寄った日の事を。そして、忘れ難き亡き最愛の妻のことを。
 あの世に召されんとする彼には、もう、目が見えない。
 だが、そこにはあの日と同じ月がかかって、大木の根本にもたれて眠るように動かなくなる男を、静かに、とても静かに照らし続けた。



「……町だ!」
「判り切ったことを言うな。見れば判る」
 ビゼスが言い、リーティスが不安そうに呟く。
「アルド達、もう来てるかな――」
 他の仲間もファイアプラントに中てられたのだとすると、まだ着いていない者がいてもおかしくなかった。ライア達は森で一泊した分、時間的ロスはあったが、セイルの案内通りに進むと迷わず森を抜けられたので、むしろ早く着いている可能性もあった。
 町へと歩きながら、ライアはビゼスの腰に目をやった。
「そういや、その剣てもらったんだよな」
「ああ」
 森では獣とかち合うこともなく、まだ抜くところは見ていない。
「そうだな。こいつを慣らすのも必要か。アルディス達が着いていなければ時間はあるな。相手しろ」
 ビゼスはやけに機嫌がいい――ように見える。
(ビゼスが普通に笑うとか……逆に恐ぇ……っ)
 ライアが心底寒気を覚えたところで、町の入り口で手を振るブロンドの女が見えた。

 出迎えたペルラは、先に到着していた仲間のところに三人を案内した。
「もうみんな来てるのか?」
「ええ、貴方たちが最後」
 そうして再会した仲間の中に、思わぬ顔があった。
「ご無沙汰してます」
 そう言って、彼女は可憐に微笑んだ。

 時は少し遡る――



 疫病に見舞われ死の町となりかけていたメイスは、危機を乗り越え徐々に平穏を取戻していた。惜しくも命を落とした住民もいたが、多くの人々は快方に向かっている。
「本当に、ありがとうございました」
 歳若いシスター、キサラは、そう言って町の英雄に頭を下げた。
「そんな、当然の事をしたまでです。それに、もっと早ければ――」
 青い瞳の英雄は、教会の椅子の間を駆け回る男の子と女の子を見ていた。
 キサラは首を振った。
「あなたは、できる限りの事をしてくれました。残されたあの子達は、私達にとっても希望です。この教会で、立派に育ててみせますわ」
 元気よく走り回っていた子ども達のうち、男の子の胸に光るペンダントの紅玉に、英雄は唐突に古い記憶を呼び起こされた。
「!! あの――」
 男の子を呼び止め、ペンダントを見せて欲しいと頼むと、彼は口をへの字にした。
「やだよ」
「こら!」
 甲高い声と共に、間髪入れずに女の子が後ろから頭を叩いた。歳は、男の子と同じか、それより下に見える。しかし中身だけは彼女の方が達者なようだ。
「なにすんだよっ!?」
「英雄さんに向かって、なんて口の聞き方なの!?」
「ちぇ…………。少しだけだからな……」
 渋々、ペンダントを外して英雄に見せる。キサラが微笑んだ。
「そうです、偉いですね、ダートさん」  そう言ってほほ笑むと、キサラは、これも何かの縁でしょう、と言って、英雄とよく似た境遇の夫婦の話を始めた。 「フェリーナ様、ダートさんは昔、脚が悪かったのです。ですが2年前、ここを訪れたお医者様の夫妻が、彼の脚を治してくださいました。その時にお医者様からいただいたペンダントは、彼の宝物なのですわ」
 ダートが小さな体で手術と歩くための過酷なリハビリに耐えられたのは、医者が励ましの言葉と共に托したそのペンダントが支えになったからだ。
「そう……ですか……」
 英雄は、まるで懐かしい人の事を聞いたような目をしていた。
「? 姉、ちゃん……?」
 怪訝な顔をしている少年に、大切なものをありがとう、と言って英雄はペンダントを返した。
「ああ、そうですわ! もし、その夫妻のお話に興味がおありでしたら、東通りのハンズさんのお店を訪ねてください。旅の夫婦をお泊めしたのは、確かあの方でしたわ」
 英雄はキサラに礼を言い、その足でハンズの店へ向かった。
「ああ――アシュリーの旦那、ねぇ……」
 修理屋を営むハンズは、茶色い口ひげを撫でながら、当時を振り返った。
「わしゃあの気の強そうな奥さんの方が印象に残ってるがね。旦那の方は――あぁ、医者の腕は確かなようじゃったが、どことなく押しが弱い感じでの」
 英雄には、説明なしに二人の姿をありありと想像することができた。情熱的な赤い瞳に、長く美しい赤毛のフレイア。髪も目も青く、長身で筋肉質だが細身の繊細な顔立ちのゼム。二人の息災を聞けただけで、英雄には充分だった。
「ところで、この町に残ってくれんかって話、検討してくれたかね?」
 英雄は困ったように笑った。
「私はまだ、ローゼスで研修中の身ですから」
「そうかい……そりゃ残念だ。だがな、みんな言っとるよ。あんたなら歓迎だって。あの偏屈ギムリーでさえ、お前さんだったら後釜に据えてやっても良いと言っとった。どうだい、研修が終わったら、この町で働かんか」
「ほ……本当ですか!?」
 頑固で陰気な痩せた町医者は、英雄本人にそんなことは一言も洩らさなかった。彼はただ、町を疫病から救った英雄に、ぼそぼそと礼を述べただけだった。しかし、そんな彼も付き合いの古いハンズにはつい本音が出たらしい。
「あぁ、本当だとも」
「かっ、考えておきます――」
 英雄は頬を赤らめそう答えた。医者として身を立てるのは、実は簡単ではない。医者を雇えずに困っている町というのは大抵貧困で、そこで医者をするならば副業を生業とする覚悟が必要だ。逆に大都市では、名のある医者が薬屋や土地の有力者などと結びついており、新米の医者が飛び込んだところで、成功するにはコネも必要だった。
 メイスは決して大きな町ではないが、住民が穏やかで治安も安定している。拠点として充分すぎる条件だ。医師の卵である英雄にとって、それは願ってもみない申し出だった。

 それから数日。天候に恵まれて潮風の吹く町に到着したペルラは、レイドを近くの林に隠し、ライア達に頼まれた通りに聞き込みをした。

「ええ。私も驚きましたが、町は復興に向かっているそうです」
 届いたばかりの朗報だという役人の説明に、特に感慨もなくペルラは返した。
「そう。」
 目的を果たして去ろうとする彼女に、メイスはもう駄目だと信じて疑わなかった若い役人は、興奮気味に付け加えた。
「あ、もしかしたらまだ町にいるかもしれませんよ、その人!」
 生憎、ペルラはメイスの無事を伝えに来たその人に興味はない。適当に礼を言い、役場を後にした。
 外に出ると、偶然旅装束の乙女がそこを通りかかった。すれ違おうとしたペルラを、乙女が慌てて引き止める。
「何かシら?」
 にべもなく返したペルラに、彼女はにこにこしながら告げた。
「デラス山で助けてくれた方ですよね?」
「……はイ?」
 乙女を5秒ほど見詰め、そして声を上げる。
「アァ! ケーキくレた人!」
 単身ノーゼに渡り、行き倒れになりかけたこと早数回、その胃袋の記憶は限りなく正確だった。

「普通、見張ってた相手の顔くらいすぐ判ろうに……」
「って、君が言えた義理じゃないよね」
「私は見張られた側だ。第一、一度で顔なんぞ覚えられるものか。貴様くらいの色男になると、一度見た女のカオは忘れないものなのか?」
 アルドが咳払いをして、フェリーナが深刻そうに急き込んだ。
「アルド。それで、あの時拾ったアミュレットですけど――」
「そうだ。僕が預かっていたんだった」
「? 何のことだよ」
 ライア以下、メンバーが怪訝な顔をする中で、アルドは紋様の刻まれたアミュレットをペルラに見せた。菫の瞳が猫のように細まる。アルドは説明した。
「これ。デラス山でフェリーナが拾ったものなんです。――心当たりは」
「…………」
 ペルラは久々に見せる剣呑な表情で、静かに言葉を吐いた。
「潮時ね。話せることは話すつもりよ。でも、この話を聞いた後で、本当に気を変えたりしない? もし、話した後で降りると言われても、私は見過ごせない」
 知った上で協力しないなら、いかようにもして口を封じるという、遠回しな宣言だ。
 そこに、ウィーロスが言った。
「大丈夫」
 皆が、彼を見た。
「ここにいるみんなは、そんな生易しい気持ちで怪異と関ったんじゃないよ。例え一国を敵に回したって、怖気ついたりはしないはずだから」
 ウィーロスは言ったが、この方々は。
(ちょ、その『敵』って、やっぱ国家レベル……はぁ。どの道、俺は続けるけど……怖気つかないってのは買い被りだな――)
(覚悟――する時が来たのかな――) (ああんもう、一皮むけて、言うようになったじゃない! 流石はこのお姉様の弟!)
(兄貴ー、ちょっとソレ言い過ぎー)
(アルドと……みんなと一緒なら……!)
(うぅ……国際問題に発展したら、お父様に顔向けできない……かも?)
(暇潰しと思って関ったんだが、な。まぁ乗りかかった船か……)
 見事にばらばらだった。まともに共感していたのは、数名のみ。
 そんな心の不協和音など知るはずもなく、ペルラは小さく息を吐いた。
「いいわ。そこまで言うなら――」
 彼女は、その紋章はスティングル家の家紋だと断定した。ライアを始めとして、その名に聞き覚えのある者はいなかった。
「当然よ。貴方達、エスト出身といってもスロウディアより北でしょう? スティングルってのはね、3代前の巫女姫を輩出した由緒正しいアリヤの家系よ。他にも有力な家は幾つかあるけどね。そして――私は現巫女姫の付き人を務めて『いた』ペルラ=ミラウェイ。つまり……解るわね?」
 しん、と沈黙が訪れる。ウィーロスが真剣な目で言った。
「ミース教の理想の都っていうのは、アリヤがたどりつくべき姿なんだ。神の祝福によって地上の楽園となるアリヤは、ミース教では聖地。人々の祈りと試練の克服と善行とが神の降臨の日を近付け、地上に蔓延る争いと負の感情とが神を遠ざけるって言われてる」
「地上の安寧を願い、楽園を引き寄せようとした――それが、全ての発端」
 戦場は常にと怒りと哀しみと憎悪で満ちている。人間と魔族は長い間戦い続け、大勢のヒトが死に、それでいて尚、争いを止めない。そんな現実を憂い、決意した一人の巫女姫がいた。彼女は、武力によらない方法で戦争を無くすと誓い、その意志は次の巫女へ、更に次の巫女へと継がれていった。
「今の巫女姫様たちもね、先代の意志を受け継いでる。もう後へは引けない。これまでに積み重ねられた汗と涙、血と想いとを、この一代でふいにはできないもの」
「その武力によらない方法というのが――怪異?」
 アルドの質問に、ペルラは自嘲気味に言った。
「あれはね、厳密には人を殺してない。結界の中のものを停止させてるだけだから、完璧ではないにしろ、時を止めたようなものよ」
 命さえ奪わなければ、永遠に等しい静止でも死とは呼ばないのか。怪異を直接目にしているライアには、到底受け入れられない意見だった。
 ビゼスが言う。
「殺さなければ武力でない、か。――狂ってるな」
「そうね。平和を切望したが故の狂気。でも、悪いのは争いをやめない国外の人達よ。少なからず私だってそう信じてた。だって、アリヤでは人間と魔族の共存ができてるんですもの。……あ、これ外に知れたら来年から地図上にアリヤって国は無くなるわね」
「どういう――事?」
 リーティスが、エメラルドの瞳を大きく見開いて尋ねる。ペルラはいっそ愉快そうに話した。
「アリヤには、昔から人間と魔族がいたの。諸外国との争いを避けるために、自分達は人間て言ってあるけどね。本当よ。私だって、血筋をたどれば人間と魔族両方の血が混じってるに違いないし」
 ペルラは肩肘に顎を乗せたまま壁の方を見た。周りの反応を待って、しかし驚きはしても憎悪や忌避の視線を向けないのを見て、困惑したように言う。
「貴方達、普通じゃないわね」
 それを聞いて皆は苦笑し合う。
「まあ、普通じゃないってのは、そうかな」
 アルドが認めた。
「エ〜? オレとか、超標準的で善良な一市民なんですけどォ〜」
「お前みたいなのが『普通』で『善良』なら、この世界終わってんだろ……」
「ライアみたいなのが『普通』でもどうかと思う……」
「あはははっ! リーティス、それイイ!」
 言い争いに発展する直前でウィーロスが慌ててフォローに入る。
「と……ともかく、こーいう人達だから、相手が魔族とか人間とか、そういう目では見ないと思うよ」
 それでも、ペルラはまだ半信半疑の目をしていた。
「貴方達が偏見を持たないのは想定外だったけど、この点はどう? 怪異を止めるなら、民を含めたアリヤという国全てを敵に回すようなものよ」
 この質問には、アルドが答える。
「望んで敵対はしたくないね。だけど、僕はエスト大陸騎士団の一員としても、一個人としても、この事態を看過できない」
「私は相手が国家とかどうでもいいが、」
(気にしろよ)
「思うに、怪異を起こしてるのは一部の上層の人間だろう。そこを潰すだけなら、充分勝機はある」
 先を越されて、ペルラが面白くなさそうに言う。
「鋭いわね――。そう、事実、これを知ってるのは姫様達と、私のような一部の幹部だけ。一般のミース教徒やアリヤ市民は何も知らない」
 さて、と言ってペルラはウィーロスを見た。
「私が知っている事はここまでよ。何か付け足すことは?」
 ウィーロスが真剣な表情で頷き、先を引き継いだ。
「僕が巡礼者として活動する工作員と行動を共にして判ったのは、彼らが次の怪異を起こそうとしてるってこと。その完成まで、もう時間がない」
 少し前にアリヤを離れているペルラに対し、ウィーロスの情報は最新のものだ。彼が言うには、次の怪異はこれから2度目の満月の日、ノーゼ大陸の中部をより広範囲で襲うという。
「次の満月まであと9日――となると、約5週間以内に手を打たんとアウトという訳か。面白い」
 つけ加えた一言に、アルドが嫌悪感を示す。そこに意外にも冷静にライアが問う。
「それで――俺達は残された5週間で、何をすれば良い?」
「ええ。次の怪異を止めるだけなら、戦う準備を整えてアリヤに直行すればいい。私としては、出来たらそうして欲しいとこだけど……貴方達は、エストの怪異も打ち消したいのでしょう? だったら、さっさとヴィータ渓谷のリレーコアを壊して、アリヤに行く!」
 ペルラはごく簡潔に、知る限りの怪異の仕組みを説明をした。大地を巡る魔力をねじ曲げ、怪異の原動力を供給するリレーコア。これが、ライア達が壊してきたものの実態だった。全ての魔力の供給を断った上で、最後にアリヤにある大元の術を操作すればエストもどうにかなるはずだ、というのがペルラの見解だ。彼女も術には直接関っていないので希望的観測に過ぎないが、今はそれを頼りに進むしかない。
 あらゆる術に通じているウィリアが、ここで首を捻る。
「そのリレーコアをぜんぶ壊して魔力の供給を止めても、元の術を操作するまでエストの怪異は維持されるって言うの?」
「『カレーキャク』みたいな?」
「ああ、それね、きっと」
 何だか解らないままに姉弟の間だけで話は完結する。ウィルの言った過冷却とは、通常は摂氏0℃で凍るはずの水が、0℃以下まで冷やされても液体の状態を維持する現象のことだ。過冷却状態の水は衝撃を加えることで氷になる。エネルギーの供給を断たれ、あるべき状態、つまり氷になるはずのエストが水の状態を維持しているので、そこに加える衝撃がアリヤからの操作、という例えだったらしいが、ライア達には高度すぎて珍粉漢粉(ちんぷんかんぷん)であった。
「なあ……何がどういう事なんだよ」
「はァ? いちいち馬鹿のライアなんかに説明して、ら……れ……」
「ウィル?」
 すぐ隣にいたリーティスが心配そうに覗き込み、すぐに異変を察知して倒れかけた細い体を抱きとめた。
 ウィルは、気を失っている。
「休める場所に運ぼう」
 そう言って、アルドがリーティスの手からウィルを引き取った。



「過労、だと思います――だいぶ弱っているみたいですね」
 しかし、ウィリアの見解はフェリーナの診断とは異なった。
「ウィーロス――いいかしら」
 そう言って一人だけ呼び出された時点で、只ならぬ事とウィーロスにも判った。姉には、平静を装いながらもいつもの余裕が全くなかったからだ。そう易々とは動じない姉のことだ。これから聞かされる事の深刻さが、ウィーロスには自ずと知れた。
 二人きりになると、ウィーロスは姉の背に向けてなるべく落ち着いて声を発した。
「姉さん――」
 垂直に下げたままの彼女の拳は、わずかながら震えていた。
「驚かないで聞いてちょうだい」
 そう言って、ウィリアは振り返った。泣きそうな顔のまま、しかしぎりぎりのところで言い切る。
「あの子、数日で――死ぬわ」
 それを事実と受け止めるのに、時間は要らなかった。ウィーロスは堰を切ったように泣きじゃくる姉に胸を貸しながら、次の季節も望めぬ弟のために、泣いた。


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