――まったく、奇異なこともあったものだよ。





『……私? 私の名前――いや、そんなものはない。私は名を持たぬ精霊だ。遠い、遠い昔に、人の身であった頃に、そう、私にも名があったのだろう』
『最も、神が存在して、この世界をお造りになったとうのなら、その成り立ちから今この瞬間まで、気の遠くなるようなその長い時からすれば、私がこうしている時間など点のようなものだ。しかし、それでも私は、ヒトの身ではあり得ない永い時を、彼の血筋の者を見守り過ごしている』
『国の歴史とほぼ同等の間、精霊として在り続ける私だが、一人だけ忘れ得ぬ者がいる。ヒトの身を捨てた今、その名も思い出せない。だが、彼が私にとってとても大きな存在だったことは判る。だからこそ、こうして彼の子孫を見守り続けている――』
『彼の血筋には、庇護するに値しない愚者もいれば、この手で呪い殺してくれようかと思う程の、酷い性格の持ち主もいた』
『だがしかし、何にせよ、現在も、彼の血を継ぐ者はこの地上に存在する。そして彼の血を継ぐ、当代の者というのが……これが……、……。そうだな――目が、離せない。一言で言ってしまえば、それだ。そう、その表現しかありえん!! ……見えてもいないのに、目が離せないというのは、おかしな話ではあるのだが』
『断っておくが、私は、神でもなければ、古代より大自然と共に在る精霊でもない。既にこの世の者では無くなって久しいから、生きていた頃のように、周りが見えたりはしない。私がどこに存在するのかと聞かれても、この世なのか、あの世なのか、はたまたその狭間なのか、それすら自分にもよく分からない。彼の血を継ぐ者にしろ、その存在を感じ取り、どのような性質の者であるかを知る事が出来る程度で、今どこでどうしているとまで知るには、相当な無理をしなくてはならない。それが、元はヒトである身である私に与えられた限界だった』
『……だがまあ、それでも、多少の加護を授ける事ならできよう。それが、どんな些細な力だったとしても』
『長くなってしまった。普段は、半分眠りについたような状態で、永い時の大半を過ごしているこの私が、このように長く自我を保つのは、本当に久方振りだ』
『私が半眠状態から覚醒した原因は、そう。私が最も近しく感じられる存在、その存在のすぐ近くに、懐かしい気配を感じたからだ。とても、とても懐かしい――……』






STAGE 3 uneasy 〜予兆〜



「! おまえ――」
 ライアを目指して羽ばたいて来た、一羽の白い、鳩のような姿の鳥。手を伸ばすと、鳥はライアの腕の上に着地し、心地よさげに目を細めながら、ライアの服の袖を軽くつついたりした。
 その鳥の羽を撫でてやりながら、ライアはさりげなく周囲を確認する。今日は、峠越えを終え、その先にある宿場町に着いたばかりで、宿を取った後、フェリーナはこの町に住む知り合いの所に行くと言って出て行き、リーティスも今は外出していた。
 鳥を寄越した人物なら、はっきりと心当たりがある。外見こそ鳥のようだが、それは魔力によって生み出される下級精霊であって、ヒトを魔力の匂いで嗅ぎ分けることが出来る。だからこそ、遠く離れた地からでも、羽を休めること無く飛び続け、また、見つけるべき対象を誤ることもなかった。
 ただし、精霊が形を保っていられる時間は生み出した人間の能力に依存し、城下からこの町までを往復させるとなれば、それなりの魔力と修行を必要とする。最も、この鳥を生み出した術者にしてみたら、この程度の事など朝飯前だっただろうが。
 鳥の姿をしたその精霊には、文は愚か、目印となるもの一つ、ついていなかった。それをライアは、こう解釈した。
(今んとこ、むこうじゃまだ大きな問題にはなってないみたいだな――)
 そうであるなら、一部の人間が、この事態を外には洩れぬよう、尽力してくれているということだった。それを思うと少し罪悪感が湧いたが、ライアは、少し考えて、ぷちりと自分の前髪を1本、抜いた。
「じっとしてろよ……」
 もとから大人しいそれが、ライアの腕の上で首を傾げるような動作を繰り返している間に、ライアは、短い髪の毛を器用に鳥の片足に結び付けた。相手がこの鳥を寄越した理由は、多分、こちらの無事を確認することと、何か困ったことがあれば報せられるように、という配慮だったに違いない。ならば、今自分が返すべき返事は一つ、自分の無事だけである。それには、この鳥が自分のもとに辿り着いたという証拠さえあれば、後は余計なものなど要らない。
「ほら」
ライアに促され、解き放たれた鳥は、あっと言う間に空の彼方へと飛び去った。
 そしてふと、今は晴れているが、雲行きが怪しいことに気付き、ライアは、赤毛の繭を僅かに顰めた。



 フェリーナの故郷を出立したその日、どうにか1日で峠を越えて宿場町に着く予定が、途中で猛禽類の魔物の襲撃に会い、道から逸れてしまった挙句、結局は峠でひと晩を過ごす羽目になった。
「こんなに早く、役に立つ日が来るなんてね」
 いつぞやの盗賊コンビにもらった球を取り出しながら、リーティスが言った。
「あの、それは……」
 首を傾げたフェリーナに、ライアが軽く説明をしてやると、ぽんと手を打ち合わせたフェリーナが、いっくよー、と言って今まさに球を地面に叩き付けて割ろうとしていたリーティスを止めた。
「あの、ちょっとそれ、貸していただけますか?」
「え? あ、はい、どうぞ」
 まだ慣れないほわほわとした空気に、ほんの少し調子を狂わせながらも、リーティスが球を渡すと、受け取ったフェリーナは手の中の球をよくよく確かめ、それから、口の中で小さく呪文を唱えた。すると、フェリーナの手の平の上で、球が一瞬青く発光した。
「はい、どうぞ。いいですよ、使って」
「え、うん……。今、何をしたの?」
 光は消え、見た目には、すっかりもとの青い球に戻っている。
「そうですね……スイッチを付けた、とでも言えば、解り易いでしょうか?」
 昔、教養として無理矢理覚えさせられた属性相関図表や魔法史はともかくとして、魔法の応用分野というのは、ライアにも興味深いところだった。
「この球ですが、確かに、中程度の範囲に結界を張る事が出来る道具です。ですが、このままだと、結界の効力の続く時間は、球自体に込められた魔力の質と量、それから周りに木が多いか、月の満ち欠けは、といった、環境的な要因に強く左右されてしまいます」
「ふんふん」
「多分、ひと晩は持つと思うのですが――逆が、心配だったので。差し出がましいとは思ったんですが」
「逆?」
「逆って?」
 二人が尋ねると、フェリーナはひとつ頷いて言った。
「これは、使い切りの道具ですから、一度結界を張ってしまうと、魔力が切れるまで効能が持続します。そうなると、外に出たくなった時に、困っちゃいますよね?」
「そっか。外から遮断されるってことは、中からも……あちゃぁ……どーして気付かなかったんだろ?」
 リーティスも魔法専門ではないので、実際に結界を張ったこともなければ、こういう点に気付かなかったのも、無理は無いと言っていい。
「でさ、結局、さっきは何したんだ? その、スイッチって」
「はい、微弱ですが私の魔力で結界に干渉出切るよう、いじらせてもらいました」
 フェリーナの説明したところによると、最終的に好きな時に結界を取り払えるだけでなく、結界の強さを調節することで、魔力の消費量を抑えたりも出来るらしい。
「すっげーなぁ……」
「うん……」
 説明を聞き終えた剣士二人が感心していると、フェリーナはのほほんと答えた。
「そうですか?でも、これくらいなら……魔法学の基礎編修了程度の知識があれば、習得できるものです。それに、私には、これしか――魔法くらいしか、能がありませんから」
 そう言ったフェリーナを、ライアは即座に否定した。
「そんな!! 料理だって上手いし、医術の心得だってあんだろ? その上こんなかわい――とっ、ともかく!フェリーナは、すごいって!」
 少し戸惑うようにして、それからフェリーナは、困ったように微笑んだ。
「凄いと言えば、お二人のほうが凄いです。昼間だって――」

 それは丁度、彼らが道に迷い、峠で一夜を明かす原因となった一件だった。
 峠を進んでいた一行に、突然、上からの襲撃があった。襲撃者は、3体の魔物。いずれも凶悪な爪と嘴を持った鳥類に属する魔物で、主食とする小動物以外にも、ときたま人を襲って食べることがあった。
 空中に留まって様子を見ている1体を後回しに、低空飛行をかけながらちょっかいを出してくる2体の相手をしていくうちに、遂に1体の翼へライアの剣が届いた。片翼を傷つけられた魔物は、突っ込んできた勢いでそのまま滑るように、地に堕ちた。
「……!? あ――」
 しかしその時、武器を持たないフェリーナを狙って、空中に留まっていた3体目の魔物が急降下を開始した。フェリーナは、自分目掛けて降って来る鋭い嘴を前に、動けずにいる。
「フェリーナ!」
「どいてぇっ」
 叫んだライアと、そのライアの右肩を退かすようにして前に出たリーティスは、反射的に別々に行動に出た。
 前に突き出したライアの右腕は炎が、
 高く掲げたリーティスの右手からは風が、
 それぞれフェリーナに襲い掛かろうとする魔物に向かって飛んだ。
 しかし、予測される状況は最悪だった。このままの軌道では、魔物に到達する直前に魔法同士がぶつかり合って、炎が風を喰らい尽くすか、はたまた風が炎を吹き消すか、そのどちらにしても、折角の魔法の威力が削がれる結果となってしまう。
 魔法同士の相性というのは、属性だけでなく、もっと複雑な何かが関係しているらしく、その辺りはまだ詳しくは解明されていない。同じ属性であっても、魔法同士が接触すれば相殺し合うのが常であり、属性に関らず、魔法同士が複合化されるのは至極稀な現象であった。親子、兄弟といった血縁では比較的成功率が高いという報告や、属性以外に、術者同士の心理状態が深く関っているという説があるが、例えどんなに強い絆で結ばれた親族や友人、恋人同士であったとしても、複合魔法を発動させられるかと言えば、話は別だった。
 この時、互いの魔法の発動は目に入っていても、どちらも、その手を緩めて譲ることはなかった。協力する気もなければ、邪魔しようというつもりもなく、ただその瞬間、二人は余計なことは考えず、ただ必死だった。
(なっ……!?)
 ライアは、目の前で起こった変化に、目を疑った。
 普段は、詠唱を必要としない先天性の魔法しか使わないライアは、自分が咄嗟に操れる炎の威力を弁えている。それがまさか、こんな風に化けたはずがない。

 魔物に届く寸前で、炎と風がぶつかり合った時、風は、炎を煽り、その威力を数倍にも増した。
「ギャァァッ!」
 炎に包まれた翼で、魔物はフェリーナの手前で踵を返し、もがきながら上空の安全圏へ逃げた。
「来るよ!! ぼーっとしないで!」
「わぁーってる!」
 再び同じ過ちを繰り返さぬよう、フェリーナの近くに走りながら、ライアは、先程から執拗に攻撃を仕掛けて来る、残る1体の動きに集中した。
「しつけーな! 俺なんか食ったって、美味くねーぞ!!」
「そうよ! 鳥は、鳥らしく焼き鳥になってなさいっ!」
(おい……)
 リーティスのあらぬ暴言に、また俺に魔法使えっていうのか?などと心中で突っ込みを入れていたライアは、先の魔法で身を焼かれた魔物が、もつれるようにして、向こうの水場へ突っ込んでいく様を目撃した。
(よっし――あとは、こいつさえ倒せば!!)
 素早い滑空に翻弄されながらも、リーティスと二人でどうにか魔物を追い込み、最後はライアの剣で仕留めた。
「ふぅ……やったか」
 リーティスはしばらく周囲に目を光らせていたが、危機が去ったことを知って、ベルトで腰に括りつけた鞘に、剣を納めた。
「あの、ごめんなさい!」
 そう言って、フェリーナは何度も二人に謝った。自分の身は守る、とは言いつつも、戦う手段を持たない普通の娘では、やはりどうにもならない面がある。
「次の町に着いたら、護身用に、杖とか、何か一つくらい、身を護れるものを探して持っといたほうが、いいかもな」
 ライアのフォローに、フェリーナは、恥じ入るようにしゅんとなって頷いた。
 しかし、そんな気まずい空気は、リーティスの頓狂な声によって掻き消された。
「って、ちょっと! ここどこよ!?」
「はぁ?最初、魔物を見つけた時、ひとまず林のほうにって駆け込んだだろ?んで、あっちが俺達の来た……」
 自身の指差した先を見て、ライアは固まった。そこに見えるのは、針葉樹の林。くるりと振り返ると、そこには、やはり同じような林。微妙に違う気もするが、あまり違いが判らない。いや、それどころか360°、森に不慣れな素人では、見分けの付かない、似たような景色だった。
(……えーと? 待てよ、俺、落ち着け――あっちが、さっき魔物の堕ちた水場で――それって、最初っから見えてたっけか?)
 必死に記憶の糸を手繰り寄せてみるが、どうも不確かで曖昧だ。
 し…………ん。
(迷った。)
 嗚呼、無情なる事実。現実ってキビシイ。折角頑張って危機を乗り越えたというのに。
「何やってんの。そうよ! 日が出てるんじゃない!」
 そうやって、だいたいの見当をつけて歩いてみた先が、方角的にはあっていても、人の通れる場所ではなかったり、
「なあ。ここって、さっきの場所と違うぞ?」
 同じ場所に戻ろうとして少し違うところに出たりを繰り返した結果、
「あ。……やっと道に出られましたね!」
 と、空に星が瞬き始めた頃になって、ようやく踏み固められた道を探し当てることが出来たのだった。フェリーナただ一人を除き、あとの二人は、激しく気力を消費している様子だ。ここまでの道のり、それなりの山道であったにも関らず、疲れた表情一つ見せなかったフェリーナは、案外、タフなのかもしれない。
「でさ、ふぇりーな? ここ、峠のどこら辺なんだ……?」
 その問いかけに、何度かこの道を来たことがあるフェリーナは、えーと、と記憶を辿ると、罪もなく、ほんわかと答えた。
「丁度、町と、町の、中間点付近ですね」
「うげ……」
「ちょっとぉ〜!?」
 二人の声が星空に響いて、消えた。



「へーぇ。そんなに珍しい事なのか。ってか、俺も、実際あーなったの、初めてなんだけど」
 火にあたりながらフェリーナと向かい合って座って、ライアは、複合魔法の希少さについて、フェリーナから話を聞いていた。
 少し離れたところ、と言っても、結界の中なのでそう遠くはなかったが、ライア達とは反対側の、向こう側の端っこで、リーティスは一人、物思いに耽っている様子だった。
 そちらから視線を外すと、ライアはフェリーナと話を続けた。

 何やらあっちで盛り上がっている様子を横目で一瞥しながら、リーティスは星空を見上げ、ため息を付いた。ここ暫くは、フェリーナの家に厄介になって、毎晩、割と遅くまで話し込む日々が続いていたものだから、話し相手を取られてしまったようで、少し寂しい。
(別に、二人が仲良くしちゃいけない理由なんて、ないけどさ)
 ただ、そうしていると、どんどん二人との距離が遠くなって行くように感じた。話がしたいなら、自分も輪に加わればいいだけの話だったが、今は、そうする気分にもなれない。
 フェリーナは、稀に見る良い娘だ。気立ても優しいし、誰とでも、思いやりを持って接する事が出来る。それに、ライアも、人見知りするようには見えなかった。何より、自分の感情を素直に表せるところが、自分とは決定的に違っている。
「…………」
 どろどろしそうな思考をそこで打ち払い、リーティスは、空を見て想った。
(随分、遠くに来ちゃったんだ……)
 家出への決意は固かったものの、故郷の地を遠く離れて旅する少女に、心細さが無かった訳ではない。
(みんな――元気に、してるかな……)



「ほーんと、魔法って便利だな!」
 魔法なんて、たいして使えなくても、とそれまで思っていたライアだったが、ここに来て、また考えを改め始めていた。
 フェリーナのお陰で結界も無事、朝まで持ち、滞りなく、彼らは出発できた。
「あの、お二人はこのまま宿に残られますか?」
 夕方前に町に辿り着き、宿の手配を終えたところで、フェリーナがそう二人に尋ねた。
「んー、少し、町を回ってみっかもしんないけど」
「私は……どうしよっかな。まだ決めてない」
 二人がそれぞれに答えると、フェリーナは言った。
「あの。前にも言いました通り、私、おばあ様のお使いで、何度かこの町に来てるんです。それで、まだ夕方まで少し時間もある事ですし、ちょっと、知り合いに顔を出して来たいのですが」
 そういう事なら、と、ライアもリーティスも、すぐに了承した。
「少し遅くなるかもしれませんが、暗くなる頃には戻るので。では、ライアもリーティスさんも、よろしくお願いします」
 そう言い残して出て行ったきり、フェリーナは夕方になっても戻らなかった。



 町の様子を一通り見て回ったライアは、陽が沈む前に宿に戻っていた。途中、それとなくフェリーナの姿を捜してはみたものの、一度も外で見かけることはなかった。
(――あれ?)
 集合場所に決めた、リーティスが泊る予定の部屋をノックして入ってみると、宿に備え付けの暇つぶし用の本を西日で読むリーティスの姿だけが、そこにあった。
「フェリーナは?」
 何の気なしにライアが問うと、素っ気ない答えが返って来た。
「知らない。まだ、その知り合いのとこじゃないの?」
 ライアは、その反応はちょっと冷た過ぎじゃないかと、深く息を吐き、少し表情を険しくした。
(もう、あと1時間もすれば、陽も沈んじまうだろうし――)
 抜け目が無く、剣術の心得もあるリーティス自身にしてみれば、それ程気にする事ではなかったかもしれない。しかし、やはり、暗くなってからの若い娘の一人歩きは、待つ方の身としては、色々と心配になってしまうものだった。
「俺、ちょっと行って来る」
「うん。――って、ちょっと待って! どこ行く気?」
 それまで完全に本の方に気を取られていたリーティスが、はっとして顔を上げた。今までの話はろくに聞いていなかったようで、ライアはあからさまにむっとしつつ、ぶっきらぼうに言い返した。
「決まってるだろ? フェリーナんとこだよ」
「……いいけど、どこ行ったのか、分かるの?」
「それは――」
 リーティスの質問は、率直に痛かった。フェリーナは、知り合いに会いに行く、と言っただけで、行き先をライア達に告げていない。多分そう広くないこの町のどこかに、その知り合いが居るのだろうか、それだけでは手がかりに乏しい。
「で……でも! ちょっと、遅すぎねぇか?」
 食い下がったライアに、リーティスは、あくまで冷静に答えた。
「心配しすぎだって! 大人しく待ってたほうが、いいんじゃないの?」
「何だよその言い方。様子を見に行くくらい――」
「だから、場所、分からないんでしょ?」
 あっさりと指摘され、ついにライアは口を噤んだ。そして、口では敵いそうにない相手に、胸の内だけで文句を呟いた。
(んな事言ったって……心配して、悪いか……!)
 すると、しょうがない、と呆れたようにため息を吐いて、リーティスは本を置き、立ち上がった。
「そんなに言うなら、私、見てくる」
「!? だから今、場所分かんねぇって……」
「うん。だから、フェリーナが行きそうな場所当たってみて、それで駄目ならすぐに戻って来る。行き違いになるといけないし、ライアはここに居て」
「待てよ。俺も行くって――」
「いいから!」
 同行しようとしたライアに、リーティスが思わぬ強い語気で返した。
「その間に、フェリーナが戻って来るかも知れないでしょ!?」
「あっ……!!」
 止める間も無く、リーティスは部屋を飛び出していた。遠ざかっていく足音をすぐにでも追おうとして、ライアは、冷静になって思い直した。
(何でもなけりゃ、すぐに戻って来るよな――フェリーナも、リーティスも。ってか、何で俺が待たなきゃならねぇんだよ? リーティスがここで待っていたって、変わんねぇ筈だろ!!)
 しかし、こうして留守番を押し付けられた以上、ここを動く訳にいかず、残されたライアは、ふん!と鼻を鳴らして、ひとり、夕暮れの部屋でふて腐れた。



(待てよ――あれから、もうどんだけだ……?)
 待てど暮らせど戻る気配のない二人に、ライアの苛立ちも頂点に達していた。
(もぉ〜待ってらんねぇ! 何やってんだよ――? リーティス……!!)
 怒りで頭に血が上った状態で、ライアは、ずんずんと宿の階段を下りた。そして、宿を出かけて、ふとそこで足を止め、踵を返したかと思うと、努めて平静を装って、夕飯の仕込みにかかっていた女将を呼び止め、尋ねてみた。
「あの、すみません。うちの連れの女の子、まだ帰っていないんですけど、どこかで見ませんでしたか?」
「ああ、あの金髪の、利発そうなお嬢ちゃんのことかい?」
「あ、いえ――青い髪をした、この位の……」
 ライアが手で自分の肩より少し上の高さを示すと、芋の詰め込まれた袋を、よいしょ、と床に置いて、顎に手を当てて考えていた女将は、ああ、と声を上げた。
「そういえば、いたねぇ。帳簿を書いていた時に、隣に立っていたべっぴんさんが。あのコも、まだ戻っていないのかい?」
 不安そうに顔を歪めた女将に、何か、自分が悪い事をしたかのような罪悪感をひしひしと胸に感じつつ、ライアは肯定した。
「悪いねぇ、見ていないよ……。あの金髪のお嬢ちゃんのほうなら、さっき、森のほうに――」
「本当ですか!?」
 勢い込んで聞き返したライアに、どっしりと質量を感じさせる女将は、どんと胸を叩き、いかにも自信ありげに頷いて見せた。
「わたしゃ、この商売やって、長いからねぇ。一度見た人間は、間違えっこないよ。森は、こっから西に行った――」
「っ、ありがとうございました!」
 そう言って駆け出したライアの背に、夕飯はちゃんと取っとくから心配するんじゃないよー、と呑気な女将の声が投げかけられたが、ライアには、それに構っている余裕すら無かった。
(ちっくしょぅ……森って、あいつ、一体、何やってんだよ!? ほんとに!!)
 通りを全力疾走しながら、内心の怒りを隠そうともしなかったので、それを見かけた通りすがりの人間は、ライアの姿を見て、怪訝に思ったに違いない。
「はぁ、はぁっ……」
 街の外れから森へと続く小道は、薄暗く、少し気味が悪かった。膝頭に手を吐いて上がった息を整えていたライアは、きっ!と、目の前の闇を睨み、踏み出そうとした。その時、
「フェリーナっ!?」
 ライアの視界で、何か動くものがあった。たまらずに、ライアはそちらに向けて走り出していた。
「ライ、ア……」
「フェリーナ、しっかり……、!!」
 最初は暗がりで判らなかったのだが、酷く衰弱した様子のフェリーナを抱きとめて、その姿をよくよく見てみると、彼女のスカートやカーディガンには、鋭利な刃物で裂かれたように、あちこち傷が出来ていた。肌が裂けて、血が滲んでいる箇所もある。
「お願いです、これを……」
 フェリーナがその手に握り締めていたのは、一つかみの薬草だった。フェリーナを講師に、野草集中講義を受けたライアの記憶が正しければ、解熱作用のある薬草だ。
「――これは? いや、話は後だ、今は早く、宿屋に!!」
 そう言って、ライアはフェリーナを背に担ぎ上げた。その耳元で、途切れ途切れに、フェリーナが言葉を紡ぐ。
「その薬草……診療所の、シエラさんに、届けて――……お願い、します……」
 今にも消え入りそうな細い声に、背に乗ったその顔を見ることが出来ないライアは、出来るだけ気丈に、明るい声で返事をした。
「診療所のシエラさんて人に、この薬草を渡せばいいんだな?」
 返事は無く、しかしフェリーナが背中で微かに頷くのが、気配で判った。
「宿まで少しだから、ちょっと我慢しててくれよな。……冷てっ」
 ぽつりぽつりと、灰色の空から雨粒が落ち始めた。
(くっそー……こんな時に!)
 フェリーナを背負ったライアは、舌打をして、一層歩調を強めた。

 宿に帰ると、たまたまかち合った女将が、フェリーナの状態を見て目を丸くしたが、そこは流石に肝が据わっていて、手早く処置の支度を整えてくれた。
「何をぼさっとしているんだい! 下から、タオルと、お湯を沸かして持っといで!」
 部屋に担ぎ込まれたフェリーナは、何らかの事情で魔法を使ったらしく、その消耗から意識を失っていた。ライアは、そんなフェリーナの身を案じつつ、素直に女将の指示に従った。
「よしよし、後は任せな。ちょっと、部屋を出てっとくれ。殿方は、覗くんじゃないよ? え?」
 もとより、こんな状況下では、不埒な事を考えている余裕はなかった。
 フェリーナの事は心配であったが、そこは男の自分が出張る訳にも行かないので、治療は女将に任せ、ライアは大人しく部屋を追い出された。
 待つこと、数分。部屋からぬっと女将の巨体が現れた。
「どこかで足でも、滑らせたのかねぇ? あそこの森は、斜面が多いから……」
 ライアが礼儀正しく感謝の言葉を述べると、女将は、何かあったらすぐ声を掛けとくれ、と言い残して、仕事に戻っていった。
 そっと部屋を覗いて見ると、治療を施されたフェリーナは、安らかに寝息を立てていた。この分なら、休ませておけば、問題は無さそうだ。ライアは、ほっとして、それからフェリーナからの大事な託けの事を思い出した。
(そうだ。これを――……)
 フェリーナに託された懐の薬草を確認して、ライアは静かに戸を閉め、それから宿を抜け出した。
 昼にだいたいの町並みを記憶していたので、診療所はすぐ見つかった。呼び鈴に応じて戸口に姿を見せた女性がシエラ本人であることを確認して、ライアは薬草を手渡しながら言った。
「あの、俺、縁があってフェリーナと同行してる者なんですが、彼女、少し、疲れていたみたいで。だから、俺が代わりに届けに来ました」
 シエラは、大人の香り漂う女性で、ボリューム感のある赤い巻き毛をヘアバンドできっちりと後ろにやっているところが、診療所勤めらしかった。
「あらそう? 旅の疲れもあるだろうに、悪い事しちゃったかしらね。いきなり用事を頼まれてくれてありがとう、助かったわ、って、あの子によろしく伝えてくれる?」
「はい。それじゃ、俺はこれで」
 事実をぼかしたのは、彼女に余計な心配を掛けない為だ。シエラは、本人が来なかったことに小さく首を傾げながらも、あの子、昔から変なところで無理するから、と言って、ライアの言葉を信じて疑わなかった。
 宿に戻って雨具を外すと、ライアはフェリーナの様子を見に部屋に入る前に、ふとその隣の部屋に目を留めて、そちらの扉の前に立った。
 ノブをつかんでんでみると、抵抗も無く回って、扉が開いた。
 部屋は、空っぽだった。強くなった雨足が窓を叩きつける音だけが、部屋に響いた。



 フェリーナの眠るベッドの横で、丸椅子に腰掛けながら、ライアはひたすら待ち続けた。
 事実を確かめに、もう一度、森に行ってみようか。そうも考えたが、フェリーナの身に何が起こったかも知れない中で、彼女を一人にするのは心許なく、それこそ、リーティスとは入れ違いになる可能性もあった。
 町の外れから西の森に続くのは、ただ1つ、太い一本道があるだけ。しかし、この宿屋から町の外れへ行くまでの道のりなら、複数考えられた。
 部屋にただ一つ備え付けられた台の上に、予備のタオルと、その上に、きっちりと畳まれたフェリーナのカーディガンが乗っていた。少し紫がかった、青いその上着には、切り裂かれたような後がある。確かに、女将が洩らしたように、土手で足を滑らせて、途中の木の枝や何かで引っ掛けて出来た傷にも、見えなくは無い。
(違う。土手を滑り落ちたとしたって、こんな傷……第一、服はほとんど汚れてなかった。こんな風になるとしたら……――まほ、う? 刃……待てよ、風……!?)
 思考がそこへ行き着いた瞬間、扉の向こうに、聞き覚えのある声がした。
「ライア、いる――?」
 がちゃりと、扉が開く。
 最近は夜、大分冷え込むようになった。半袖に、肘の下まである手袋といういつもの格好に、自分の荷物の中にしまってあったらしいケープをちゃっかり羽織って、リーティスは現れた。ケープは軽そうな素材で出来ており、リーティスの肩から右半身にかけてを、すっぽりと覆っている。
 外はいよいよ本降りらしく、金の前髪は額に張り付き、顔や髪から滴り落ちる雫が、ケープにまだらの染みを作った。
 色んな感情がごちゃまぜで、どんな顔をして良いのか解らないライアは、リーティスの方から顔を背けるようにして、血を吐くようにして言った。
「何やってたんだよ!?」
 叫んだ瞬間に強く目を閉じていたライアは、その目を開けると、真っ直ぐにリーティスのほうを睨んだ。その赤い瞳には、静かな非難の怒りが込められている。
「何って――私はねぇ!……っ」
 言いかけて、途中でリーティスは言葉を飲み込んだ。その視線の先には、青ざめた顔で眠る、フェリーナの姿。
「こんな、ぼろぼろの状態で、森から戻って来たんだ……」
 森から、という部分には、嫌でも力が篭る。
「女将さんから聞いた。リーティス。森に、行ってたんだろ……!?」
「――っ……そうよ! 私は、診療所で話を聞いて、フェリーナを捜して森に――」
「だったら!!」
 反射的に出たその言葉と反対に、弱々しく、そして、一緒に捜しに出なかった自分の行動を悔いるように、ライアは言った。
「だったら、どうして――捜せなかったんだ……っ」
「――――……」
 リーティスが、言葉に詰まる。町から森に入る道は、1本だけだ。そうなると、道から逸れない限り、森に入った筈の二人が出会わなかったというのは、いささか不自然だった。リーティスに限ってみれば、最初からフェリーナの捜索を目的としていたにも関らず、である。
 ふと、思い及んだ考えに、ライアは愕然とした。
「まさか……」
 自分でも信じられない推測に、困惑しながらリーティスを見て、ライアは言った。
「お前まさか、わざと!!」
 言った後で後悔したが、遅かった。リーティスが、そのような事をする筈がない。少なくとも、ここまで旅をして来て、それ位は判っていた筈だ。
「…………」
 リーティスの瞳が、ゆっくりとその色を変えた。色、と言っても、本当に変色した訳ではないが、冷たく感情の消えたその瞳に、今までの温度は無い。
「そうだよ」
「え?」
(今――……なんて?)
 思考が、追いつかなかった。一瞬遅れて、胸の奥にどん、と響く重たい衝撃があった。
「全部、知ってた」
 淡々とそう言うリーティスが恐ろしく、現実とも思えぬ現実に、ライアは当惑した。
(冗談、だろ……っ!?)
「そん、な……」
 悪い冗談だ、と顔をひきつらせながらリーティスを見て、その目が笑っていないことに、ライアは体中の体温が一気に降下していくようだった。
「知ってたの。フェリーナが独りで森に出かけて行った事も、こんなになって戻って来た事も、全部――!」
 余りに衝撃的な告白に、ライアはどうしていいか全く解らず、それから追いかけるように、全身を強い怒りが駆け巡った。
「――んで……っ、こんな事っ!!」
「どうしてって? 私、フェリーナの事、嫌いだもの」
「!?」
「ムカつくんだよね。誰にでも、いい顔しちゃってさ! おまけに、おしとやかで、か弱くて、護ってもらわなきゃなんにも出来ない女の子のふりなんかしちゃって! あー、やだやだ!」
「何言ってんのか分かんねぇ――……一体、どうしたってんだよ!? リーティス!」
 リーティスは、嘲るように下目使いでライアを見、小さく鼻で笑い飛ばした。
「そうよ――私はフェリーナに嫉妬した! 可愛くて気が利いてお淑やかで!! そういうの見てると、苛々するの……!」
「だからって、こんな! 本当に、全部知ってて、フェリーナをこんな目に合っても、それを黙って見捨てたって言うのかよ!?」
「……そうだ、って言ったら?」
「〜っ!!」
 憮然と言ったリーティスに、ライアは、怒りで、頭の中が真っ白になるように感じた。

 彼女は、そんな下らない理由で人を恨んでしまう人間だっただろうか?
 彼女は、こうやって簡単に仲間を傷つける言葉を吐く人間だっただろうか?

 後に残った答えは一つ。残酷な答えだけが、ただ一つ、ぽつりとそこに残されていた。
 深く息を吸って、吐く。そして、今まで、自分の出したことのないような、冷たく凍りつく憤慨を込めた声で、ライアは言い放った。
「出て行け……!!」
(出てけよ――もう、二度と戻って来んな!!)
 小さな信頼の積み重ねが、跡形も無く崩れ去った瞬間だった。


   →戻る

inserted by FC2 system