白い石のアーチが連なる回廊は、冬のか弱い日差しを精一杯に取り込んで、やわらかな空間を演出していた。
 南方の諸島を含むこの国では、冬でも氷が張ることが滅多にない。それでも、緩やかながらに四季が存在し、冬が耐え忍ぶ季節であるのは、他国と同様である。
 まして、北東のスロウディア王国近辺では、秋に前代未聞の天変地異が起こったばかりだ。国民の不安は募り、水面下で情勢が不安定になりつつある。
「クローゼ!!」
 呼ばれて振り返ったのは、前髪を左右に流し、腰より長い髪を背に垂らしたおとめだった。彼女は、落ち着いた大人の女性の声で返した。
「リサ。だめよ、巫女たるもの、そんな風に走っては」
 彼女より1、2歳、見た目は若く見える眼鏡の娘は、頬を膨らませて上目遣いに睨んだ。対するおとめは、くすくすと、品良く微笑んだだけだった。
「あたし、長いのだめなのよ」
 いかにも邪魔そうに裾を持ち上げ、娘が文句を言う。おとめと同じく、上から下まで白を基調とした長衣だ。
 神殿では神職に就く者は皆、膝丈の麻のローブを着用する。厳しい試練に合格した一部の者だけが、くるぶしまで届く長衣の着用を許された。それは男女共通だったが、神殿に滞在するのは、巫女8人に対して神官は1人前後と、圧倒的に女性の比率が高かった。
「試練に受かったのだって、きっとただのまぐれよ」
 ため息をつく娘に、おとめは、清流のように透き通る笑みを返した。
「そんなことないわ」
「ありがと。お世辞でも受け取っとく。――ねぇ、それで話だけど……」
「クライスのこと?」
 クライスは、ノーゼ大陸の最北端に古くからある帝国で、興国から150年程度のセーミズなどは、クライスと同盟を組んでいる。政治的には、セーミズを動かすなら、クライスの説得も不可欠だ。
 女神と見まごうおとめが、みけんに小さなしわを寄せて残念そうに呟いた。
「協定は断られたわ。こんな時だからこそ、手を取り合わなくてはならないのに――……。彼らは、私達の事も信用ならないと言うわ。あの災厄は、恐らく人の手によるもので、その首謀者が判らない。それだから、同じ大陸の人間であっても信用に値しないというのが、彼らの弁」
「そんな……」
 失望を露にする娘に、おとめは言う。
「でも、諦めた訳じゃないわ。説得は続けるつもり。だって、諦めたら終わりでしょう。姫様達も、先代のヘレナ様も、そうやってここまで来たんだから――」
 娘が口を噤む。そこでおとめは、ぽつりと言った。
「ペルラ、戻って来ないかしら……」
「あれが姫様達の侍従にまでなったなんて、あたしより奇跡よ。その大事なお仕事ほっぽって今はどこ行ってるか知らないけど、あいつなら、まーたへまやって、そろそろ音を上げて帰って来る頃でしょ!」
「あなた達、昔から仲が良かったものね。ドジっ娘ペルラ、真面目ガネリサ、そう呼び合って」
「って、いつの話してんのクローゼ!? 子供の時じゃない。もぅ……」
「お仕事でノーゼに渡ってしまったエルも、元気かしら……」
「うん……。また、4人でお喋りできたらいいのに」
「えぇ、本当に、本当に――ね……」
 二人は、冬の弱い陽射しにつられるように、自然と空に視線を馳せた。



STAGE 29 rapture 〜道、違え(たがえ)〜



「一旦まとめよう。これまでの事を」
 そうアルドは切り出した。
「目的は、まだ判らない――けど、自然界の魔力を捻じ曲げて、第二の怪異を起こそうとしている者が、どこかに存在する。それを追跡する事が、本来の目的である、エスト大陸の怪異の大元を叩く事と同義であると、僕は考える」
 ここまでで、口を挟む者はない。
「怪異の鍵となる術が、ラースに1つ、それから、レイヤの近くにも1つ。ラースでは、術を壊した事で、周辺の魔力の流れは正常に戻った。それはローゼスの対策課で確認済だ。それと、レイヤの方だけど、あれは僕らが追いつくより先に、ライアが壊してくれたんだったね?」
 ライアが頷く。仲間からの戦力外通知(『無理するな』)は解除されていないが、自力で歩いたり駆けたりできる程度には回復していた。
「でもぉ〜、けーっきょく、あいつら何者か判んなかったし。超ぉー無駄骨じゃね?」
 アルドが落ち着いてウィルを宥める。
「まあ、そう言わず。術を壊せて、先方の妨害にはなってるのと、初めて向こうの人間と接触出来ただけでも、一歩前進、だ。……裏をかかれ過ぎて、ライア以外全員が街中で術に嵌められたのは痛かったけどね……」
 リーティスが感想を言う。
「でも……なんか不気味な感じがした。あの人達――、諦めが良すぎる、って言うのもそうだし……」
 北の洞窟にて、一時は、切り込み隊長の少女を捕縛する事には成功していた。しかし、直後に彼女は、すっぱり命を絶った。
 他の仲間も同様で、深手を負った者は、敗けを悟るや、次々と自害した。
 ウィリアが言う。
「あのね、リーティス。軍隊ってのは、そんなに甘い場所じゃないの。特殊な作戦を除いては、捕虜になっても生き延びろと教えることはまず無いわ。捕まれば、恐ろしい拷問を受けて死ぬ――そう教えられるわ。それは、事実でない場合もあれば、本当にそうなるときもある。軍に所属する兵士なら、それ相応の覚悟は出来てるものなのよ」
 そちらを横目で見ながら、変わらず無表情でビゼスが言う。
「まだ、相手がどこぞの軍と決まった訳ではないがな。だが、特殊な訓練を受けているのは事実だろう」
「いずれにせよ、軍か、軍と同等の力を保有する組織、あるいは国家が関与しているには違いないね。それと、今回はっきりした事がある」
 言って、アルドは前を見た。
「襲ってきた彼らが使った魔法――水、そして雷だった。つまり」
 リーティスが急速に青ざめる。
「クライス……? それに、ゼーク……。確かに、参戦しないスロウディアを、彼らは好く思っていなかった。だけど、そんなのって……」
 リーティスが口にした名は、いずれもセーミズの同盟国だ。初代国王ウィーゼルがクライス帝国の出であるため、外交的には、スロウディアよりも、むしろクライスやゼークと近しい間柄にある。
 スロウディアを狙った術が、誤ってセーミズにまで及んでしまったのであれば、可能性は無くはない。現に、スロウディアではほぼ全土に及んだ怪異の被害も、セーミズでは、スロウディアとの国境付近にとどまっている。
 同じ大陸の仲間同士、嘘だと信じたい。たまたま似た特徴を持つ一団が偶然にも雇われただけと願いたいが、少なくとも、今回剣を交えた相手は、魔方陣のある洞穴に潜んでおり、単なる雇われでなく、限りなく核心に近い人物であったと窺える。
「待って。その心配なら不要だよ、リーティス。君は、大事なことをひとつ、取り洩らしてる」
「え……?」
 アルドに指摘されて、リーティスが戸惑う。ライアが言った。
「ビゼスだけ、俺の事早く思い出してたんだろ? そん時、俺、もう落ちてたから覚えてないけどさ――。なら、あの時術かけたのは、多分魔族って事じゃねーか」
「そっか……、闇、魔法……」
 リーティスが平静を取り戻し、アルドは魔族の軍に居た4人に尋ねた。
「心当たりは?」
「雷使いなら、言うまでもなく私の故郷がそれだな。それと、水、というと――南東のストレイ、他は、西のジェータだ。……どちらも、私達のいた軍とは、ほとんど交流がなかったな」
 余りにあっさり吐いたビゼスに、ウィリアが付け足す。
「一応補足しとくけど、この人の言う故郷の雷使いって、十中八九、この人みたいな黒髪よ」
 洞窟で襲って来た者達は、薄闇の中ではあったが、少なくとも、黒髪よりは薄い色だった。
「じゃあ、ひとまずは除外して良いかな」
 そうは言ったが、アルドが疑いを払拭したかと言えば、答えはノーだ。パーティーの安定を考えて、可能性の低いものは違うと言ってやったに過ぎない。
(これでまた、減りつつあった警戒の理由が増えちゃったね――……いや、相手が魔族と判った以上、魔族の事情に通じる彼らの手を借りられるのは、幸運と言うべきかな)
 顔には出さず、アルドは集会をお開きにした。



「気分が悪い……」
 他のメンバーが釣りで食料を調達するその脇で、自分は釣り糸も垂れずに、ビゼスがぼやく。
 何時にも増して仏頂面だ。
「そりゃそーだろうけど、あのお爺さん、完全に耄碌してたみたいだったし、お孫さんだって、あんなに謝ってたじゃねぇか」
 発端は、物資補給のため村に寄った数時間前まで遡る。
 生鮮品を分けてもらおうと訪ねた家で、今まさに、天に召されようとする老翁がいた。玄関先に出たのは三十過ぎの孫だったが、なにぶん狭い家のため、奥で寝ていた老翁からライア達の姿が見えた。
 辛うじて視力が残っていた老翁は、死の間際にあって、錯乱しながらビゼスに謝った。
「ぉぉ、アスラ……すまんかった……、すまんかったのぉ……」
 老翁は、事切れる瞬間まで、頬に筋さえ作りながら、繰り返し、謝罪の言葉を口にした。
 死に際にそうまでしたのは、よほどに未練があった証だ。他人は他人、無関係、と割切るビゼスであっても、その件については多少堪えたらしい。
 以降、ずっと不機嫌が続いている。見も知らぬ相手に謝られ、あまつさえ直後に死なれては、後味が悪いのは当然だ。
「ごめんさい。お爺ちゃんは、これでもすごい長生きで、もう、充分に生きて、本人も納得していると思います。最期には混乱して、昔の事思い出してたみたいですけど……。皆さんには不快な思いをさせてしまい、本当にすみませんでした」
 亡くなった老翁には、その昔、救うことのできなかった、息子のような歳の青年がいたという。人格を否定され、過度の抑圧の中に居た彼に手を差し伸べてやれなかったことを、ぼけが始まっても忘れえぬほどに、老翁は後悔していた。
「もっとも、その人だって、生きているなら僕よりもおじさんですけどね」
 その目元に懐かしさが浮かび、彼にとってもまた、大切な存在であった事を窺わせた。
 孫は祖父の錯乱を重ねて詫び、ライア達と物々交換した物品以外に、貴重な砂糖まで上乗せしてくれた。

 ――が、だからと言って、ビゼスの鬱屈が収まるものでも無いのである。
「……機嫌直せよ?」
 目線だけで対象を射殺せそうな形相で、ライアはぎろりと睨まれた。相当に虫の居所が悪い。
「ほっときなさいな、ライア。そのうち直るわ。それより、体調の方はどうなの?」
「ああ、何とか。無理に動かなきゃ痛みはそんな酷くねぇし、立ちくらみとかはもう平気だ」
「ってかさぁ〜、ホント使えねーから、この機会に少しはまほー勉強したらあ?」
 そのひょんな一言から、本当に、ライアは魔女直々の指導を受ける事となった。

「いいこと? これから先生とお呼びなさい!」
 ビシ!と差し棒よろしく杖を向けたウィリアに、ライアは思う。
(いや、よくねぇ……)
 難色を示すライアに、ウィリアはそれを魔法への苦手意識と取り違え、語気を幾分和らげて言う。
「別に、むつかしく考える事ないわ? ラースで使ったあの魔法、覚えてるわね」
「あぁ……あれなら、使えって言われりゃ、今でもできると思うけど」
「そう。なら、それで練習するといいわ」
「? 何を」
「バーカ。いっちいち説明しねぇと、解んねぇの?」
 せせら笑うウィルを、紅い目が睨み付ける。
「うっせぇっ! お前、『馬鹿に教える事はありませんー』って、自分から講師の役降りたんだろ。黙ってろよッ!!」
 それをリーティス達と遠くで見ていたビゼスが、一言。
「けがも治らんのに無駄に叫んで体力使うとは。やっぱり、馬鹿だな」
 アルドのコメント。
「ま、まあ……あれがライアだから。元気ないよりは、いいよ。きっと」
「馬鹿でもか」
「ぅ……うん。まあね……」
 あのままでいいのか。複雑である。



 ライアがウィリアに叩き込まれたのは、俗に言うスペルブースト。後天性の魔法の詠唱を短縮する技術だ。
 流石にフェリーナ、ウィル、ウィリアのようには行かないものの、6日足らずの成果を総合して、アルドとウィリアからは筋は良い方だとお墨付きを受けた。

 そして今現在、通過点の町に逗留中であり、目下、その成果を見せる場所はない。
 ここメロアは、領主の治めるそこそこに大きな町で、メンバーの疲労を考えて、滞在は4日を見ていた。
 彼らがウィーロスの変化に気づいたのは2日目の事だ。
 初日は一日中、どこかに行っていた。後で判った事だが、仲間の誰とも行動を共にしていなかった。
 2日目の夕べ。それは、あまりに突然の告白だった。
「姉さん。あの……ごめんなさい。僕、パーティーを抜けたいんだ。これからは、神様の教えに従って、力じゃなく、言葉と信念で、多くの人達を助けて行きたいんだ」
 二人きりの時にそう言われた姉は、突然の暴露にフリーズした。その瞬間は、悪い冗談としか思えなかった。
 けれども、ウィーロスは本気だった。姉や弟、それに仲間達の説得にも動かされず、反対に、ミース教の理念がどれだけ素晴らしいものかを説いた。
「貴方ねぇ――」
 姉は本気で怒ったし、下の弟は、らしくなく心配した。しかし、周囲の反対を押し切って、彼は翌日もミース教支部へ向かった。
 支部に着く前に、ウィーロスは先回りした人物に待ち伏せられた。
「どうしちゃったんだよ、兄貴……」
 紫の眼が、問い詰めるように正面からウィーロスを見ている。
「ごめん……。みんなに迷惑はかけるつもりは、なかったんだ――。今が大変な時期なのは解ってる。でも、もし、怪異の原因を突き止めたとして、次に、またこういう事が起こらないって――そういう事を考える人間が出ないって、保証できる?」
 そう言ったウィーロスは、酷く悲しそうだった。
「繰り返さないためには、人々の意識を根本から変えるしかない。そう思うから、僕は行く。――我侭言って、ごめん」
 ウィルは、自身のプライドをかなぐり捨てて、死んでも口にしないはずの本音を、小さな、ごく小さな声で吐いた。
「行かないで――」
 俯いてしまった弟の頭に、最後に触れようとして……思いとどまった。そのまま抱きつかれでもしたら、何かが揺らぐ気がした。
 彼は、小さな弟を振り切って、走り去った。

 次の日もウィーロスは支部へ出かけて行き、実質リーダーを務めるアルドは葛藤していた。メロアの滞在予定は4日。明日の朝までにウィーロスを説得できなければ、いよいよ、本物の別れとなる。
 本人の意を尊重すべきか、無理矢理にでも連れて行くべきか、アルドも相当頭を悩ませている。今のところ、中立のビゼスとフェリーナを除いては、ウィーロスがミース教徒になる事を快く思っていない。因みに中立の二人は、思想の自由に理解あるフェリーナに対し、ビゼスに至っては『何を考えてるか良く解らん。放っておけ』という非常に突き放したものであった。
 そんな矢先に事件は起きた。
 フェリーナが、只事ではない様相で、リーティスとウィリアが消えてしまったと仲間に知らせた。

「ここです――」
 気が気でないフェリーナは、半ば青ざめながら、二人が『待っている』と言った通りを指した。
 商業地区の外れで、通りの端までに見える商店の数は三軒。露店は出ていない。
 フェリーナが二人と離れた理由を訊かれ、僅かに頬を赤らめて、お手洗いです、と答えた。
「その時に私が入っていたのは、あのお店です」
 言いながら、手を組み合わせ、彼女は祈るように目を閉じた。
「人通りにも波がある。ここなら、場合によっては、目撃者は無しか……」
 難航の気配に顔を曇らせはしたものの、機械的に言うビゼスを、赤い目が睨んだ。
「お前……何でそんな冷静なんだ!」
「貴様は血がのぼりすぎだな」
「んだとっ!?」
「やめて。二人とも」
 落ち着き払った声音で、アルドが二人を引き剥がす。
 ライアが言う。
「心配じゃねぇのかよ、二人の事」
 ビゼスの表情は動かない。本当に、何も感じていないらしい。
「心配? したところで、何か変わるのか。――変わらんだろう。ならば無意味だ」
「お前ぇっ!!」
「あんまりです……」
 殴りかかりそうな勢いだったライアは、その声でぴたりと動きを止めた。
「どう思うかは、人それぞれです。でも、他人の想う気持ちを否定する事は、誰にもできない……!」
 懸命に訴える青い瞳を一瞥して、ビゼスは無関心そうに顔を背けた。
「…………」
 ライアはそんなビゼスを睨んだまま、下げた両の拳を握って黙っていた。
 険悪な空気に、半ば呆れ、牽制するようにして、アルドは言った。
「僕はライア、フェリーナと住宅街の方を回ってみる。二人は、商業地区を中心に当たってくれ」
「了解」
 ビゼスが短く返し、ウィルも頷いた。

 捜索と聞き込みを始めたビゼスとウィルだったが、出だしは決して好調ではなく、露店を含めた商店巡りでは、一切、有益な情報がつかめなかった。
 そして次は、情報通のマスターが居るという酒場を訪ねた。連れの女を捜していると聞いたマスターは首を横に振り、カウンターの金を黙って差し戻した。
 店内には、それを見ていた屈強な6人組の男がいて、そのうちの一人が言って寄越した。
「そぉりゃあ、もう、その娘っこたちぁ、捜しても無駄だろうね」
 男達は、出立前の景気付けに酒場に寄ったらしく、仲間の揶揄に、くくっ、と低く笑みを交わした。
「どういう事だ」
 ビゼスがそちらへ近づくと、別の男が言う。
「あんちゃあん、物の聞き方には気いつけなぁ?」
「そぅそ、『教えて下さい、お願いします』って、そこの地面に頭すりつけてみろよ――」
 適度のアルコールと、数の優勢で気が大きくなっている男達は、にやにやと薄笑いを浮かべていた。
 彼らを鋭く一瞥して、ビゼスは小さくため息を吐いた。生憎、こちらの力量を見抜く眼力も無いらしい。
 その態度が気に喰わなかった一人が、苛立ちながら席を立った。
「おい、聞こえなかったのか? 耳ついてんだろッ!?」
「貴様こそ――、……ッ」
 ビゼスは、剣を抜かず、動きを止めた。異様に筋肉質のマスターが眼を光らせていたのと、客の男達より更に一回り大きな用心棒が二人、そこに控えていたからだ。
「争い事は、よして貰おう」
 マスターの太い声が響き、男達は渋々コップの残りを飲み干すや、ちくしょい、と毒づきつつ、ぞろぞろと店を出て行った。
 始終、冷めた瞳で傍観を決め込んでいたウィルと合流すると、邪魔したな、と言い残し、ビゼスも店を出た。

 町を出た6人の男は、後をつけて来る二つの影に、足を止めた。
「おい、てめぇらァ? 何の用だッ?」
「おぅおぅ、喧嘩する相手は選んだ方がいいぜぇ……? お嬢ちゃん!」
 そりゃいいぜ。ぎゃはははっ、と仲間内から声が上がる。
 戦士にしては小柄な事を指しての嘲りだったが、当然の如く、この男は動じない。
「町の中での荒事は控えてやった――。ここなら」
 ヒュッ!
「!!」
 何が起こったのか、理解できた者はいなかっただろう。
 ビゼスは最も近くに居た一人目を、峰打ちでいとも簡単に悶絶させていた。
「……と、いう事だ。さっきの話の続きをさせてもらう」
「この野郎ッ!」
「やりやがったなあ!? 後悔させてやる!」
 二人がビゼスに、残り三人が手ぶらのウィルを狙って、一斉に襲い掛かる。
 銀髪の美少年の口元が歪む。
「へぇ……やんの? 凍てつきなぁッ!!」

 ものの10秒で、カタは付いた。
 四人は気絶してしまったが、残った二人に、喋らない方の指を順に落とす、と脅したところ、震える声が返された。
「し、知らねぇッ!! 俺たちゃ余所もんよ! レッドスケイルの事たぁ、噂程度にしか……」
「そ、そうだっ! 聞くならあの酒場のマスターに……ひぃいいっ! 知りません! 知りません本当に! 許してぇえ」
 ガタガタと震えながら、男は懇願した。関節を極めて組み敷いた男の掌を地面に押さえつけ、もう片方の手でウィルに借りたナイフを握っていたビゼスは、ウィルと目配せし合った。これ以上、何も出ないようだ。
 聞く話では、レッドスケイルとは一商隊の名で、賊紛いの事をしても揉み消せるだけの力を持っているという。それ以上の事は判らない。しかし、人も商品として扱っているという側面から、リーティス達が何らかの形で巻き込まれた可能性があった。
「あの店主め、とんだ食わせ者だったな。戻るぞ」
「あぁああ……」
 解放された男ともう一人は、腰が抜けたまま後ずさりして、ビゼスから距離を取るのに必死だった。
 そちらには目もくれずに、すたすたと歩きながら、ビゼスは尋ねる。
「やはり私は感情が死んでいる。そう思うか? ウィル」
 男達への脅しの件ではない。ビゼスは、手がかりに届きそうと判っても、焦れもしない自分を自覚していた。
「見つかるまでは続けるつもりだが――それが死体か、そうじゃないか、今はそんな事を考えても仕方ないと、本気で考えている。……所詮、私が殺人鬼だからか」
 んー、と考えて、ウィルは答える。
「にいちゃんは、オレみたく壊れてないっしょ? オレは自分で『壊した』クチだケド」
 ビゼスに歩調を合わせて歩きながら、ウィルは続ける。
「多分さ、兄ちゃん、心配してないってゆーより、信用してんじゃないの? 姉貴とリーティスの事」
「……? 判らんな……」
 本気で悩む顔だ。そのまま、町に差し掛かっても結論は出なかった。

 改めて酒場の入り口を潜った二人は、時間的にまだ人がまばらな店内で、真っ直ぐにカウンターを目指した。マスターの正面を陣取ると、ビゼスが酒と、未成年に至極健全な清涼飲料(無論、ウィルは嫌な顔をした)を注文して、銅のコイン2枚をカウンターに置いて、それとなく語り始めた。
「やはり、あの男達の言う通り、もうこの町に居ないようだな……」
 銅貨を回収したマスターは黙々と作業を続け、まばらな客が皆、無関心を装いながらもよそ者の言動に興味津々なのを知りつつ、ビゼスは独り事を並べた。
「そういえば最近、近くに商隊が来ていたらしいな。遠くから来た珍しい品を見物できなかったのは、残念な話だ」
 飲み物が手元に届き、グラスに口を付けながら、ビゼスは用心深く、ほのめかすような語りを続けた。
「丁度、連れの女どもに逃げられて、色々と困ってるんだが……。その商隊とやらで、代わりの奴を売ってくれやしないだろうか? なぁ」
 マスターの巨体がのそりと動き、初めてビゼスに声をかけた。
「時期が悪かったな、あんちゃん。あれが次来るのは、半年後だ。代わりに、月末に開かれる奴隷市をのぞいてみたらどうだい」
 ビゼスが目を細める。この男は、その気にさえなれば、愛想笑いもできたらしい。
 ウィルの銀髪に触れながら言う。
「そうだな……。でもできたら、ここいらじゃ見ないような、ブロンドや、こいつみたいなシロカネの髪の女が欲しい」
「兄さん。そりゃ、無い物ねだりってもんだ」
 マスターが肩を竦める。
「どうしてもと言うなら、駄目元で半年待つんだな」
 ビゼスがふっと、息を吐く。
「本当に、惜しいな。商隊の行き先を知っている『誰か』が、偶然どこかにいやしないだろうか? いや、無理か。メロアからは計7つもの方角に道が伸びて、途中、見通しの悪い野山や林がいくつもある。だがそれでも『奇跡的に』、判り易い場所でその商隊に追いつけたりすると、この幸運を神に感謝せずにはいられないんだが」
 ほとんど音を立てずに、ビゼスは銀1枚、銅6枚のコインを重ねてカウンターに置いた。
 カウンターの下に屈んで、ごそごそと酒瓶をいじっているマスターは、背を向けたままぶっきらぼうに言い放つ。
「まあ、少なくともこんな場末の酒場に、そんな『誰か』はおらんだろうなぁ……」
 向き直って、別の客の注文の二つのグラスに、両手で一本ずつマドラーを付き立てたマスターは、手元でさらさらと何か書き付けた紙のコースターを、裏返してカウンターに置いた。
 何食わぬ顔でコースターを懐に仕舞い、ビゼスは僅かに首を傾けて目を細めたまま、カウンターのコインをさりげなく、マスターの側に押し出して言った。
「そうだな、諦めて、他を当たるとしよう」
 この酒場では、銅貨1枚で一杯が標準だ。
 マスターは一番上の銀のコインだけ摘み取ると、トントンとカウンターを指を叩いて催促した。
 ビゼスが横目で店内を確認すると、成程、店内の客は計7人だ。
 7枚目の銅貨を取り出して6枚の上に乗せると、ビゼスはウィルを伴って席を立った。
 彼らが店を出る頃には、それぞれの客から、一杯ずつのオーダーの声が飛び交った。これで、マスターと余所者は『何も話していない』事になる。



 一方、ライア達は一軒一軒地道に尋ねて回ったのだが、なかなか効果は上がらなかった。相手を胡散臭い旅人と見て、門前払いのパターンも少なくない。
 エストではかなり有効なアルドの肩書きも、ここいらでは軽視される傾向にあった。
 ただ、アルドが意図して害意のない人選をした甲斐はあって、話だけなら、と応じてくれる住民もいた。しかし、心当たりはと問われると、その答えは一様にノーなのだった。

 中流階級のある小さな屋敷では、鼻髭の小太りの主人が、頭をかきながら腰を屈めて、力になれない事を謝った。
「すいませんねぇ……」
 苦笑いを浮かべる、汗かき体質らしい父親の後ろで、紺色のショートカットの娘が、追い返されるアルド達の様子を、奥からじっとのぞいていた。

 一時間後、アルド達は最初の広場に戻っていた。
「成果なしか……」
 ライアがため息をつき、フェリーナも困り顔をする。
「さっき訪ねたミース教の支部でも、若い娘さんが一人戻らないとか、騒ぎになりかけてましたが――関係、あるのでしょうか……」
「ミース教支部の件はともかく、何か、ここの人達は、こぞって隠そうとしている気配がある……気のせいかな」
 アルドは言ったが、確証がある訳でもなかった。
「なぁ……やっぱあの教団、怪しくないか? ウィーロスがああなったのもそうだけど――」
「そうかな。僕は、別々の問題な気がするけど」
「ええ。むしろ、あの人達も仮に同じ被害者だとしたら、もう少し話を聞く必要はあるかもしれません」
「そうだね。一度、戻ってみようか」
「あの……」
 声に振り向くと、紺色の髪の女性がいた。歳の頃は、17、8か。何か言いたそうにしながら、居辛そうに視線を泳がせ、躊躇いながらアルドに近づく。
 彼女がその白い手を、ぎこちなくアルドの腰に回したものだから、ライアとフェリーナはぎょっとした。
「あ、あのっ……旅の方ですね? 今夜は、この町にお泊りなんでしょうか」
 瞬きしたアルドは、背をかがめて、小声で娘の耳元に何か言う。その瞬間、娘の頬が僅かに染まるのを、ライアは見た。
 ライアは完全に固まってしまったフェリーナを気にしつつ、親友と娘のやり取りを注視した。
 娘が何度か首を振ったり頷いたりした後、アルドが、ライア達に向けて言った。
「ちょっと、先に宿に戻っていてくれないか。……すぐに僕も行くから」
 二人は絶句した。

 変な空気のまま宿に戻って、ひとまずライアの部屋に入って落ち着いたところで、フェリーナが、耳まで真っ赤になってぽそぽそと呟いた。
「ふ……不潔です、そんな、知らない人となんて――病気がうつったり、衛生面から見ても、こんなっ……」
「いや、フェリーナ落ち着いて」
 ライアも十分動揺していたが、男だからまぁそういう事はあるかなとか自分を納得させたところで、それでも、ああも生々しいのは、やはり刺激が強かった。
 そして、意外にも早く、扉が叩かれた。
「入って良いかな?」
 瞬間、フェリーナの肩がびくりと跳ね上がった。ライアが返事をすると、先程の娘と共に、アルドが入って来た。
 体の前で手を組んだ娘は、もじもじと一礼した。
「も、申し訳ありません……。こうしないと、他の人に怪しまれてしまいますので……」
 彼女は、先刻訪問した屋敷の娘だった。父に内緒で、ライア達を追って来たそうだ。
 娘は、アカリと名乗った。父と母の経営する店を手伝っており、昨日、足りなくなった在庫の仕入先を訪ねた時、異変に気づいた。いつも対応してくれる明るい親友の変わりに、陰気なその伯母が顔を出したのを見て、アカリは、親友の事を尋ねた。
「私達、小さい時からずっと仲良しだったんです。それなのに、ミサキが私に一言も言わないで、いきなり遠くに嫁いでしまったなんて、考えられない――」
 このところ、原料の値が上がり、経営が苦しいと、親友は洩らしていた。
「それで、君は心当たりがあると言うんだね」
 アルドの問いに、アカリが頷いた。
「レッドスケイル――通称『緋の鱗』と呼ばれる商隊が、ここ数日滞在していました。ミサキはきっと、そこに売られたんです! でも――」
 アカリの話だと、この地方のほとんどの権力者と裏で関係があり、人々は決して、彼らの気を逆立てるような事はしないのだと言う。ならば、生活苦の娘や、無関係の旅人が目の前でさらわれた所で、目撃者は決して現れない。
 そんな状況で、アカリは親友のため、身を危険に晒してまで、ライア達と接触した。
 気の強いミサキは、女だてらに出世して一流になる事を目標としており、その誇りを傷付ける仕事を強要される位なら、死を選ぶのでは、というのが、アカリの危惧だった。
「皆さんのいた地方では判りませんが、この辺で、奴隷の使役は禁止されていません。だから、取り戻すのは難しいかもしれない――それでも」
 アカリの拳に、力が篭る。俯いたまま、彼女は、お願いします、と言った。

「送って行くよ」
「はい……」
 辺りも暗くなり始め、宿を出たアカリとアルドは、彼女の屋敷の近くまで来ると、堂々と通りで抱き合い、キスを交わす振りまでして、彼女と別れた。情報のやり取りがあった事を隠し、単純な色恋沙汰と見せかけるためだ。
 彼女が無事に屋敷に入ったのを見届け、身を翻したアルドは、そこでぱたりと足を止めた。
 ヒュウ、と口笛を鳴らすウィルと、呆れたような眼で見てくるビゼスに出くわして、アルドは、ちょっとね、と片目を瞑って見せた。

「どうだったの、そっちは」
 宿に着くなり、単刀直入に訊くアルドに、ビゼスは二本の指で挟んだ一枚のコースターを掲げた。
 受け取って、アルドが言う。
「何これ? 地名、かな。『リンド・明後日』……それだけだ」
「そこに、2日後、やつ等がいるはずだ。天候その他の要因で、日程やルートの変更がなければ、だろうが。……行くしかあるまい?」
 アルドの空色の瞳が真剣になり、頷いた。



 人気のない森の中。闇の向こうに、虫とも獣とも魔物ともつかぬ、不気味な気配がある。
 だがそれらは、火を焚き、武装した人間の集団には、易々とは近付かない。

 町を遠く離れ、月が昇る時刻になって、初めて娘達は、それまで詰め込まれていた馬車の幌から出され、目隠しを外された。
 そこは見知らぬ森の中。家族や恋人、友人を想い、あるいは、心細さと絶望から、泣き出す娘もいた。彼女達の左足は長い一本の鎖に一列に繋がれ、抵抗する者があれば全員が仕置きされるので、逃げ出す事も叶わなかった。
 娘達を繋ぐ鎖は二本あって、今は、片方のグループを見張りをつけて外に出したところだった。その中に、一際目を引く美貌の女がいた。
「随分な事になっちゃったじゃないの……」
 ため息と共に、ぽつりと言う。そして、すぐ隣のエメラルドの瞳を持つ娘の髪を撫でた。
「ごめんなさいね。町の中とは言え、油断していたわ――」
 金髪の娘は、黙って首を振る。聡明な光を宿す双眸は冷静で、他の娘達のように、泣いたり、不安がったりする様子はない。
 美女はその豊満な胸に、金髪の娘を抱き締めた。
「心配しないで。この先どうなっても、貴女の事は、必ず私が守り抜く――」
 その言葉は、どこか自分に言い聞かせ、決意するような響きがあった。
 鎖に繋がれ、明日は売られる身の上であったが、ほんの少しの自由な時間に、こうして夜空を見上げている。
「……少し、昔話をしましょうか」
 美女は、長らく沈黙していた金髪の娘に語りかける。――それは、ある一人の男を愛した、魔女の物語。
 魔女は、一人で戦えない。優秀な前衛に守られて、初めてその真価を発揮する。
 だから、幼い頃から卓越した魔法の才を持ったその魔女には、常に専属のナイトがつけられた。魔女を守るため、剣を、槍を、斧を振るい、命を張る事さえ厭わぬ彼ら。そんな陰の勇士達を、軍では『魔女の盾』と呼ぶ。
「魔女とそう歳の変わらない盾もいれば、もっとずっと年上の盾もいた。彼らは、場所により、作戦により、違う人だったけど、必ず一人が魔女の側についた。ずっと守られて、その魔女は何も思わなかった。それが、当たり前だったから」
 中には人知れず表舞台から去った盾もいる。戦えないほど酷い負傷をしたのか、あるいは、敵に殺されてしまったか……けれども、そんな感傷に浸る程、『彼女』は愚かではなかった。戦って、勝つことが彼女の役目。軍においての存在価値。彼女自身も戦争に勝つための道具であるが故、同じ道具に対し、必要以上の思い入れを抱く事はなかった。
 ……ただ一人、その男性を除いて。
「魔女は、本気で恋をしたの。戦地に身を置くうら若い娘にとって、心から、一番に、幸せだった甘い時期。盾だったその若者も、生涯をかけて、その魔女を守ると誓った。そして、誓いは――守られなかった」
 どうして若者が姿を消したのか、魔女にも知る術がなかった。そして半年が過ぎ去ったとき、彼の足取りを追う事を、やめた。それ以上捜しても無駄かもしれないし、知らない方が良い結末かもしれない。そう自分に言い聞かせ、永遠に、心に封印した。
「彼が消えてからも、色々な人がその魔女の盾になったわ。けれど、誰も、魔女の心を動かす事はなかった。……取り分け変わった人なら、一人だけいたけどね」
 その一人とは、幼い頃からの付き合いで、その割に冷淡な彼は、彼女を『守らなかった』。詠唱中に敵からの攻撃が来ても、避けられるものは自分で避けろと、ぬけぬけと言ってのけたのである。
 プライドの高い魔女は憤慨して、もう誰からも守られるものか、と、独自に刃と槍の性質を併せ持った杖術の訓練に明け暮れた。
 その滑稽な姿に、魔法使いが武器の扱いを学んでどうなるものかと、周りから嘲られたものだが、彼女は護身に足る技を習得し、下級兵相手なら魔法を使わずに渡り合える程の腕になった。
 しかし、小娘が安易に武器を振り回せる程、本物の戦場は甘くない。盾を伴わない出陣は許可されず、反りの合わないその盾と組みながら、彼を極力無視し続けた。彼女を守らぬ盾など、いないも同然だ。
 幸か不幸か、守られなくなって初めて、魔女は、詠唱中にターゲット以外のものを視界に入れられるようになっていた。そして、気付く。
「魔女が自分で避けられそうな攻撃は、徹底スルーなのよ。だけど、一応仕事してたのね、その盾は」
 本当に危ない時には、盾としての役目を過たず果たしていた。
「その盾と組んだのは一時期だけ。その後は……貴女も知ってる。弟が継いだわ。――でもね、可笑しな話、魔女が一流になって、戦場でも生き残れたのは、守らないその盾への反撥心と、対抗意識があったから。だからね……」
 金髪の娘が見ると、美女は柔らかに微笑んでいた。
「あの人に、付いて行きなさい。義理の妹にさえそんなで、うちの弟も相当にしごかれたみたいだけれど、本当に生き伸びて欲しい相手には厳しくするの。あの人は」
「おい、時間だ。さっさと中へ戻れ」
 見張りの声がして、娘達は再び、幌に押し込められた。



 太陽が地平から二回顔を出し、再び高い位置に昇ろうという頃。
 空は晴れ、東風が強い。工芸の町リンドから程近い草原の真ん中で、二人の男が睨み合っていた。
 一人は、黒い短髪とこげ茶色の瞳を持った寡黙な剣士。片刃の双剣を手にしている。
 対するは、紺色の短髪と黒目を持ち、不敵に微笑む青年。頭には幅広のバンダナを斜めに巻きつけている。得物は、刀身が湾曲した幅広の太刀、俗に言う青龍刀であった。
 周辺には商隊のテントがいくつも張られ、隊の所有する家畜や何頭もの馬が見える。毛の短い茶色い犬は、東風になぶられながら草地に伏せていた。
 対峙する二人から近い場所に、灰色の毛皮の帽子を目深に被った男が座り、無骨な杖に両手をのせ、くぼんだグレーの瞳で、微動だにせずに成り行きを観察していた。年齢不詳のその男は、三十後半から五十手前まで、どの年齢であったとしても納得がいく。
 座り込んだ男の後ろでは、レッドスケイルの若い衆が、道楽気分で対決を見物していた。彼らは一様にこう思っている。商隊の護衛隊長である血気盛んな腕利きの青年が、どこの馬の骨とも知れぬ相手に屈する道理がない、と。
 別の一角では、紺の髪を持つ商隊の人間とは一目で見分けのつく4人が、同じく戦況を見守っていた。
「来ないのか? なら……」
 青年の、風の精の如きはやての踏み込み。
「こっちから行くぜ!!」

「勝負あったな」
 40秒後、目の前に突きつけられた刃がさも不思議なものに見える子供のように、護衛隊長ヒュウマは、黒い瞳をぱちくりさせた。
「ははっ」
 地に青龍刀を投げ出し、豪快に笑う。
「アンタ、強いな。月が雲隠れするみたいに、するりとかわしたかと思えば、雲間から月光の差すが如く、音も無く反撃ときた。いや、参った。……アンタの剣、まるで月光みたいだよ」
「ヒュウマ!」
「おっと」
 毛皮の帽子を被ったレッドスケイルの長ゲンタが、諌めるように立ち上がりかけたのを、ヒュウマは掌を向けて制した。ゲンタにしてみれば、当然ヒュウマが勝つつもりだったから、胡散臭いよそ者に、勝ったら娘達の引き取り手を教えてやると約束したのだ。ヒュウマが負けたのでは、話が違う。
 だが、当のヒュウマは気にした様子もなくさらりと言う。
「構わんでしょう? 言ったところで、こいつらの手に負える場所じゃない。なにせ、あの金髪のお嬢と、銀髪のぺっぴんさんの引き取り先は――」

 時は前日に遡る。

 そこに売られた5人の娘は、まともな食事と、湯浴みの機会と、狭いが清潔な寝床を与えられ、他に売られた娘達とは比較にならない厚遇を受けていた。
 明日、やんごとなき買い手の御前に出すために、この処遇という事らしい。
 彼女達は、いずれも容姿、気品といった、人を惹きつける何かを持っていた。
 難しい顔のリーティスの隣には、ウィリアの姿があった。
「なぁに? まだ考えてるの――さっきのコのこと」
 午前中、確保されていた5人とは別の娘達に買い手が付き、そのまま引き取られた。そこに穢れ知らずのミース教の乙女がいて、売り手と買い手から下卑た言葉を投げられようと、静かな微笑みを湛え、抵抗もせずに連れて行かれた。彼女は言っていた。『これも、主の与えたもう試練でありましょう。例えこの身が穢れても、主への愛と信仰を捨てぬ限り、必ず、主は魂をお救い下さいます』
 それではあまりに報われない、とリーティスは思ったのであり、神という存在に絶対の信頼を置く乙女に、いささか腹が立ちもした。
「…………」
 リーティスは硬い表情のまま答えない。ウィリアにしてみれば、それが答えだった。
「って、他人の心配してる場合じゃないわよ。私達も売られちゃったんだから。これは本気で、逃げる手段を考えなきゃね……」
「逃げるですって……?」
 側で、紺色の髪の娘が小さく叫んだ。確か、名をミサキと言った。
「ふざけないでよ! 折角こうして、千載一遇のチャンスが回ってきたのに。余計な事しないで。あんな家で細々商売してるより、私はご寵愛を勝ち取って、この手で地位も、幸せも、手に入れるんだから!」
 ウィリアは、そう、ごめんなさい、と謝ったきり、何も言わなかった。

 逃げ出す算段も立たぬまま、翌日、彼女達は謁見の間に突き出された。
 手枷も、鎖も、もはや彼女達を縛るものは何もない。その代わりに、重厚な鎧に身を包んだ衛兵と帯剣した騎士が壁際にもれなく直立し、宮廷魔術師と見られる数名が、柔らかな物腰ながらに油断なく目を光らせている。
(これは、隙ができるまで待つしかないわね――)
 ウィリアが横目で窺いつつ思考していた折、広間中に、凛とした少女の声が響き渡った。
「下がりなさい。わたくしを誰と心得ますか」
 呆気に取られるウィリアと娘達、そして居合わせた全ての者達の注目の的――それは、背筋を伸ばし、毅然と周囲を見渡したリーティスだった。

「どうした?」
「シヨウ様、それが……昨日買い付けた娘達の中に、少々『これ』がおかしなのがおりまして……自分はショウ皇子と面識があるから、今すぐ会わせろと申すのです」
(……。ショウ? いや、シヨウ――わたしの事か……?)
「ほぅ。それで?」
「はい。その者の申すには――……」
 使いから事情を聞き、小首を傾げた第一皇子シヨウは、こう決断を下した。
「よい。紫陽花の間にその者を連れて参れ。そこで話を聞こう」
「しっ、しかし……」
「ほんの余興であるぞ。本物の皇族を前に、そのむすめがどれだけのものを見せてくれるか、試してやろうではないか」
 皇子は少し意地悪く、にやりと唇の端を持ち上げた。



 紫陽花の間では、シヨウともう一人の男児が彼女を迎えた。衛兵に連れられ、部屋に通された娘は、スカートの端をつまんで卆なく礼をしながら名乗った後で、顔を上げ、戸惑ったように彼らの顔を見比べる。
「あの……」
 先に口を開いたのはシヨウ。
「よくぞ参られた。遠慮する事はない、まずは掛けたまえ」
 勧められた椅子にリーティスが着席すると、人当たりの好い笑みを崩さずに、シヨウは尋問を始めた。
「さて……すまないが、いつお会いしただろう? 貴女のような、輝く髪の美しいご婦人を記憶していないとは、紳士の恥だ。今一度、お教え願えないだろうか」
「いいえ、無理もございません。もう9年も昔の話にございます。ショウ皇子は、我がセーミズに、親善大使としておいでになりましたね」
「っはははっ!」
 シヨウが、弾かれたように笑った。
「ショウ皇子……懐かしいな。久々に聞いた」
 それまで黙っていたもう一人が、初めて口を開く。
「名乗りもせず、僕にも黙っていろだなんて、意地が悪いですよ、兄さま。彼女、唖然としちゃってるじゃないですか。やれやれ……改めまして、お嬢さん。僕はシキ=リョク=エイ。幼名をショウと申します」
「そしてわたしはシヨウ=カン=エイ。幼名はライ。因みに、この国の第一皇子であるぞ」
 『因みに』って、付けるとこ逆では。皇子である説明より幼名が主張したかったのだろうか。思いながら、リーティスはつられたように会釈した。

「で、どこで会ったかな? 舞踏会のとき? 僕と同じくらいの可愛い子、いっぱいいたしな。――『子供は寝ろ』だなんて、9時までしか参加させて貰えなかったけれど」
 リーティスは、俯き加減に頬を染め、恥じらうように小さく返した。
「ごめんなさい。わたくし、こうしてシキ様と面会させていただくために、ひとつ、嘘を申しておりました」
 おや、とシキが目を光らせる。
「シキ様とは、直接はお会いしていません。ですが、兄は、貴方と会っているはずです」
 んん?と、シキが考えるような素振りを見せる。
「えっと……じゃあその時、君はどこにいたの?」
「折悪しく寝込んでしまい、熱が下がってからも、三日は部屋から出る事を禁じられていたのです。最後まで、シキ様のお顔を拝することは叶いませんでした」
 リーティスの釈明は淀みない。だがしかし、何の証明になっていないのも事実だ。
 そこで、シキが満面の笑みになる。
「そっか。でもね……僕は、『君に』会った事があるよ」
 心臓が小さく跳ねるのを、リーティスは隠し通すので必死だった。
(そんな筈はない……。だって)
 リーティスの内心の動揺を余所に、シキが続ける。
「子供同士の方が付き合い易いだろうって、君の兄さんには、色々と案内してもらった。でね、自分の妹はセーミズで一番綺麗なんだ、って言い張るから、それならホントか見せてよ、って返したんだ。そしたら見せないって言うから、じゃあ嘘なんだ、って食い下がってね。そうしたら、ムキになって、嘘じゃない、0.2秒だけ見せてやるから付いて来いって、君が寝ているまに、こっそり二人で寝室にお邪魔したんだ。――ごめんね、僕も、子供だったから」
 リーティスが言葉に迷っているうちに、シキは言う。
「その時ね、思ったよ、すっごく可愛い、って。でも、綺麗って言うなら、うちの従姉の優しくて美人でいい匂いのするリーサ姉さまが一番だって思ったけど。……そうそう、それでさ、お見舞いなんだから、って、ささやかな贈り物してったんだ。覚えてる?」
「……っ」
 リーティスの顔が引きつった。
 拳に力が篭り、声を震わす。
「あ……貴方だったんですか!? じょ、冗談が過ぎます! 淑女の部屋に、へ、蛇だなんて……っ」
 きょとんとしたシキは、2秒の黙考の後、手を振って全否定した。
「違う違う! 僕が持ってったのは、中庭で摘んだ花! 蛇の抜け殻の方は、君の兄さんがいたずらで……あぁ、あれ、本気であのまま置いてったのか……。君の兄さんこそ、悪戯が過ぎると思わないかい?」
「そ、そうだったんですか……。ごめんなさい、早とちりで――」
「わ〜、でも君、ほんとにあの時の子なんだ!」
 はしゃぐシキに、取り残されたシヨウが言う。
「むぅ。そち達だけで盛り上がっているな。わたしもまぜてくれ」
「……兄さま。無理言わんで下さい」
「しかしこれで、あなたを侍従なんぞとして扱えなくなった。セーミズは今現在、未曾有の災害に遭われていると聞くが、わたしとしては今後も、セーミズとは良好な関係を築いて行きたい。まずは現状をお聞かせ願おうか。月見草の如く繊細な細腕の乙女が、こんな遠方へおいでなすっている、それだけで大変な非常時と予想はつくが……よもや、壊滅という事はなかろう?」
「兄さま! その言い方は」
「いえ、想像もご最もです。セーミズは、王都を含めた国土の3分の1を、『封鎖』せざるを得ない状況です。怪異の元凶の魔力が活きている限り、人は立ち入れません。ですが、その大元を打ち破る方法はある。だから、今動ける私自身が、信頼できる者達と行動を共にし、怪異の元凶の除去と、更なる怪異の抑止のため、奔走しております。何卒、良識あるご判断と、ご支援を」
 初めて知らされた事の詳細と、深刻な状況に、皇子達は目を瞬かせた。

「リーティス!」
 紫陽花の間に喚ばれたウィリアは、皇子達には目もくれず、真っ先に彼女に駆け寄った。
「変なことされなかったでしょうね!?」
「うん。大丈夫だから――」
「もし、僕達がなんかしてたら?」
 シキが試しに訊くと、ウィリアの即答。
「殺すわ! もしくは、お城がそのまま買い取れる位の慰謝料かしら」
 シキは苦笑する。
「面白いお連れさんだ」
「コホン。それで、事情は聞かせてもらった。機密保持のため、動かせるのはごく一部の者となるが、可能なところについては、支援しよう」
「それにしても、本当に危険と解りつつ旅に出てしまわれるのかな、可憐な花々。貴女たち程の才女であれば、本気で召抱えたいところだし、厚遇もするのだけれど」
「シキ」
「わかってますよ、兄さま」
「それで、どうだ。よろしければ、少し城に滞在して行かれても構わぬが。無論、友好国の客人としてだな」
 リーティスはウィリアと顔を見合わせた。

 レッドスケイルに没収された杖と剣は、珍しい品だからと、偶然にも城に献上されており、服とそれらを返してもらうと、皇子らの厚意で使って良いと案内された浴場の広さに驚き呆れ返ったりもした二人は、保護下での宿泊を断って、城下の広場に出ていた。
「さてと……。これから、どうしましょうか?」
 メロアまでは馬車で一日、徒歩なら丸二日以上かかってしまう。仲間と連絡の取れない状態で、メロアに戻ったところで無駄足になるかもしれない。
「ぅ……。もしかして、無理に断らずに、みんながどこにいるか判るまで、お城に泊めてもらってた方が良かったり……」
 先刻までは、売られた娘の身分から解放されるのに必死で、皇子達の前では大見得を切ったものの、いざ知らない街並みにウィリアと二人立っていると、心細い心情になった。
(少しだけ――みんなに会いたい、かも……)
 その時、通りの方で青年騎士が叫んだ。
「リーティス!?」
「……姉貴!?」
 彼らの声で、一緒にいた赤毛の少年や黒髪の剣士もこちらに気付く。
 青い髪の乙女が駆け寄り、リーティスに抱きついた。
「よかった……無事で……っ」
 フェリーナは気が気ではなかったらしく、固く瞑った目の端には小さな玉が浮いていた。
「ん……。ありがと――ここまで、捜してくれたんだ……」
 自分より小さな体にぎゅう、と抱きつかれて、リーティスは肩の力が緩むのを感じた。
 フェリーナが涙ぐみながら身を離し、ビゼスが、さも不思議そうに真顔で尋ねる。
「城に売られたと聞いていたが、――逃げてきたのか?」
「ううん、一応、ちゃんと説得したんだけど。イデハッタは、セーミズと国交があるから」
 ウィリアがリーティスの後ろに回り込み、自慢げに両肩に手を置く。
「そーよ? 聞いて驚きなさい!」
 リーティスがこらえるような顔で俯く。
「うふふ、そっれはもう、大活躍だったんだから♪ 使用人にされそな所を、セーミズの貴族令嬢だって名乗りを挙げて、このお姉さんの魅力抜きで、淡々と交渉してきちゃったんですもの、このコ」
 はっと振り返るエメラルドの瞳に、ウィリアはウインク一つを投げて寄越した。
 女王様は、曇り始めた空模様を吹き飛ばす勢いで言い放つ。
「感謝なさい? 皇子様とお近付きになる玉の輿の機会蹴ってまで、お城を後にしてきたんだから!」



 全員でメロアに戻るまで、ウィリアは至って気丈に振舞っていた。それでも、彼女の気がかりの事は、誰でも予測がついた。
 町へ着くと、彼らは真っ直ぐにミース教支部へ向かった。そこで判明した事実。
 ――ウィーロスは、既に支部を離れ、巡礼の一行に加わって町を出た後だった。

 彼は、姉とリーティスの身に起きた事を知らずに去ってしまった。知っていたなら、その行動は違っていただろう。
 ドカッ!
「どうしてだよッ!? ……アニキ……」
 ウィルの白い拳が、宿の部屋の壁に突き込まれる。
 窓辺では、ウィリアが険しい表情で、雹の降り始めた外を見詰めていた。
 フェリーナは、二人の気が落ち着くまで、じっと無言で耐えている。
 誰とも違う方向を向いて腕を組んだまま立ったビゼスは、先刻から考え込んでいる。
 重苦しい空気を打破する言葉も持たないライアは、リーティスと席を外し、アルドの部屋に移動した。

 アルドはまだ冷静だ。だからライアは、混乱した思いをそのままぶちまけられた。
「どうなってんだよ……? 俺、ウィーロスの事誤解してたのか――? なんか、こんなの違うだろ、って――そんな気がして……」
 リーティスが、緑の瞳で覗き込みながら言う。
「違和感?」
「……いや。そう思いたい、だけなのかもな……」
 身分抜きでは初めての、同性同年齢の友達。しかし自分は、ウィーロスの考えをこれっぽっちも理解していなかった。それを認めたくないのかも知れない。
「あのね、もしかしたら、なんだけど……」
 リーティスが、控えめに口を開く。
「ウィーロス、優しいでしょ。だけど、小さな時からずっと、戦わなくちゃ家族を守れなくて、だから、本当は戦いたくないって思いが、ずっとどこかにあって――言葉で争いを止めるなんて、夢みたいな話だけど、願いを叶えるために、こうするしかなかったんじゃないかな……」
「――かもな」
 それまで会話に耳を傾けていたアルドは、一度目を伏せ、再び前を見た時、その表情から憂いを消し去っていた。
「ライア。リーティスも。すまないけど、僕は『怪異の調査を任された騎士として』立場を貫く。こんな時期に、貴重な戦力が抜けたのは痛い。だけど……彼を追いかける事は、できない。そんな時間は――僕達には、無い」
「わかってる」
 聞き分けよく言って、ライアは続ける。
「だけど、もし、行く先で出会う事があったら――そん時は、少しだけ時間を欲しい。別の道を歩むとしても、ウィーロスが何考えてるのか、俺は、ちゃんと知っておきたい」
 霞のようにおぼろげな胸騒ぎの原因を、この時のライアは、まだ、知らない。


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