うず高く折り重なる無数の骸。そこには、老人、母親から、幼い子供までもが混じっている。

 アルドは、塔のように積み重なったそれを愕然と見つめていた。硬直したまま、吸い込まれるように、ただ見ている事しかできない。
 死体の山のふもとには、忌まわしくも赤い池が地を侵食している。

 地上に、一羽の白い鳩。

 鳩は、純白だった。つぶらな黒い目、人畜無害な顔をしながら、鳩自身は、決して血に染まることなく、血溜まりの上をぴちゃぴちゃと歩いた。
 鳩は、死骸の麓にたどり着くと、小さな嘴で骸をついばんだ。あくまで、自らは白く、穢れず、無垢な瞳をしたまま。
 吐き気を催すような嫌悪感と同時に、アルドの脳髄がカッと熱くなった。鳩の首に手を伸ばし、憎しみの余り、強く締め上げる。
 バサバサと、鳩がもがいた。それでも許せなくて、自分だけ無垢なふりをした白い悪魔がおぞましくて、締め付ける手に力を籠める。
 すると抵抗は弱まり――……

 フッ、と明かりが消えたような感覚に、彼ははっとした。死体の山は、どこにもない。

 見ると、首を絞めていた手は緩んでいた。

 足元の赤い池。それは、彼が思っていたよりも、ずっと、ずっと小さかった。

 さっき見た光景と、違う。
 鳩は、真っ白くなんてなかった。全身に無数の傷を負い、左翼は中ほどで折れ、白い骨の先端がのぞいている。そこからぼたぼたと滴る赤が、足元の池を形成していた。
 両手で捕まえている鳩の体に触れても、わずかしか抵抗がない。
 …………。

「っ!?」
 不意に現実に戻る。気持ちが悪い。とてつもなく嫌な白昼夢を見せられていた気がする。
 前を見る。そこには、自分を見据える一人の少年。
 ――そうだ。
(忌まわしいあの敵を、裁く……!!)



STAGE 28 be agitated 〜洞窟の闘い〜



「どうして……」
 悔しかった。友ひとり説得できないとは。
「どうしてこうなったんだよ!!」
 叫びながら、ライアは剣を抜き放った。クリスタルの破壊には成功したが、いっそ、すべて夢であって欲しい――そう願いながら。

 自分でも、言いようもなく困惑していた。こんなにも激しく怒りが湧いてきて、それでも、とどまるところを知らない。
 ――わからない。辛い。苦しい?
 ……違う。『憎い』んだ。辛いほど、苦しいほどに、憎悪は胸の内を圧迫する。
 気分が悪い。こんなにも感情に流されている自分が気持ち悪くて、自分自身として認めたくない。だから、目の前の敵を消そうと思った。自分の怒りは全て、目の前の存在に向けられている。その存在さえ消せば、僕は、もとの僕に戻れるはずだから――
「覚悟!」
 大剣を向ける先に、迷いはなかった。……それを、聞くまでは。
「……絶ッ対、斬られてやんねぇ……」
「?」
 おかしな話だ。わざわざ宣言する意味が、解らない。
 僕は何を、気にする必要がある?
 惑わされるな。そう自分に言い聞かせ、大剣を振り上げた。

 かかってきたアルドの一撃目を流し、剣を交えながら、ライアは言った。
「正気に戻った、とき……後でどんだけキツイか、俺、知ってんだ――……ッ、だから……斬られてなんか、やるもんかぁっ!!」

 ビゼスが、戦闘中のアルドを見てぽつりと述べた。
「迷っているな――奴らしくもない」
 その横で、リーティスも師に同調した。
「うん……なんか、戦う前からヘンだったよ……。あんなに張り詰めて、感情を抑えられないアルド、初めて見た……」
 ウィリアが、目を細めて冷静に戦況を見つつ指摘した。
「けど、『私達にしたって』、あの赤毛のを見ていると、どす黒い感情に呑まれそうになる――そうじゃない?」
「それは……」
 リーティスは言葉に詰まった。
 何かがそこに引っかかっていたから、彼女は踏みとどまった。どこか納得できない自分がいたから、アルドのように剣を向けるまでに至らなかった。
(でも、そんなの、ほんのちょっとの違い――。私だって、胸の底がちりちりする、この変な感じさえ否定したなら、アルドと同じになれるんだ、きっと……)
 その発想は、背筋を冷たくした。リーティスは、感情のままに動く事に、少しだけ臆病だった――ただそれだけの、小さな差。
 弱き市民を守る盾であり、剣でもある正騎士(せいきし)アルド。彼が怒っている理由は、至極全うだ。そして皮肉にも、相手を倒すには、怒りで我を忘れて敵を斬ってしまうのが、実は、彼自身にとっては一番楽だった。

 アルドとの技量の差を、ライアはここまで、思い切った剣捌きと気力だけでカバーしてきた。しかし、もはや自分自身の体のリミットに目を背けてはいられなかった。
 ギンッ!!
 アルドの重い一撃を受け止め、辛うじて弾き返したその瞬間、視界が揺らいだ。
「は……っ」
 吐く息も、つかえたようになって、自分の制御下から離れていくように感じた。
 その時だった。背後で足場が途切れている事に気が付いたのは。下は崖で、浅く水が流れる地面まで、悠に十メートルはあった。
 ふわりと、ライアの短髪がなびいた。
(ああ、俺、運がいいんだな――)
 アルドの大剣を弾いた反動でたたらを踏み、数歩後ずさったライアは、右手の力を抜いた。
 カラン、と乾いた音を立て、ライアの剣が足元に落ちる。
(……これで、『斬られずに』済む――……)
 見ていた者達に、衝撃が走った。だが、彼らの位置から手出しをするのに、数瞬はいささか短か過ぎた。
 ライアの体が、足場のない後ろへ倒れかかる。――アルドが、思わずその手を引っつかんで、自分の方に引き倒していた。
「……ッ!」
 ライアが自分の意思で後ろへ倒れるのと、完全に意識を失ったのと、どちらが早かったのだろう。アルドに引き戻されたライアは、揺さぶっても、目を開けなかった。
「避けなさい!?」
 ウィリアの叫びにはっとした瞬間、アルドの腕にドス、ドスッ、と衝撃が伝わった。
「――――!」
 あまりの事態に、アルドは声が出なかった。飛来した矢は、アルドの腕に刺さったのではなかった。
 狙われている。
 標的は自分か、少年か。アルドは咄嗟に、抱えた少年を引きずって近くの暗がりへ飛び込んだ。敵からは狙いにくくなったはずだが、そこに容赦ない魔法の追撃が殺到した。
 暗い事が仇となって、今度は仲間からもどうなったのか判別がつかなかった。
 リーティスが、対岸の岩陰を指す。
「! ……あそこ!」
 確かに、弓を持った人影が横切った。一瞬だが、やけに赤い髪が目立った。
 遠距離戦ならウィルとウィリアの十八番だったが、如何せん視界が悪い。ビゼスは彼らを後方に下がらせ、ウィーロスと、意外にも夜目が利くフェリーナをその守りに付かせた。
 そうなると、頼みの綱は、リーティスの風とビゼスの雷だ。顔を歪めたリーティスに、ビゼスは言い切った。
「大丈夫だ。牽制程度の威力に抑えれば、力に呑まれはしない。その分、とどめはお前が撃て」
 宣言通りビゼスは暴走する事無く、抑えた雷撃で刺客を追い込み、そこをリーティスが狙い打ちにした。普段、魔法を主としない二人なので精度こそ落ちるが、被害をそれ以上拡げずに刺客を仕留めたのだから、上出来だ。
「アルド! 大丈夫ですか!?」
 戦闘が終結し、暗がりから、声が返された。
「ああ。僕は、平気だ……」
 らしからず、のろのろとアルドは答えた。
 周囲の警戒は夜目の利く仲間に任せ、ウィルがアルドの所へひょっこり顔を出す。
「大丈夫ぅ〜? 目測でやっちゃったからー、ひょっとしてズレたぁ?」
 矢に続いて魔法が殺到した際、ウィルは遠目から当たりを付けてバリアを展開していた。
「いや、そっちは問題無かったよ。ありがとう、ウィル。助かった」
 アルドの顔色が冴えない理由は、腕に抱えた人間だった。
 仲間が応戦している間、暗がりで、嫌でも気づいてしまった。先刻まで剣を振るっていたはずの少年の指先は氷のようで、呼吸は浅く、とても戦える体では無かった事に。普段のアルドなら、戦闘中とっくに気づいていて良かった所だ。
 ぴくりとも動かない体の背と太ももには、刺客が放った矢が突き立っている。
 感情が先走っていた時点の自分なら、それと同じ事をしただろうか。憎くて憎くて、瀕死だろうが意識が無かろうが、構わずとどめに矢を射り、魔法で完膚なきまでに叩きのめしたいと、あるいは考えたかもしれない。

『……絶ッ対、斬られてやんねぇ……』

 そう、あの時だ。敵であるはずの少年に違和感を覚えてしまったのは。
 あれさえ無ければ、もっと簡単に討てたのに。
 少年は、意識が持たないと悟って、身を投げようとさえした。……アルドに、自分を傷つけさせまいとして。
「どうして、なんだ……ッ」
 握った拳の爪が掌に食い込み、やり場のない後悔が、一筋の涙と変わる。アルドは懺悔するように、胸の内につかえた言葉を吐き出した。
「どうして――この子は、こんなぼろぼろになって、こうまでした――? どうして僕は、この子のこと、何ひとつ思い出せない……!?」
「アルディス」
 気づくと、そこにビゼスが立っていた。
「悪いが、そいつに関する記憶が戻る保障はない。……下手すると、貴様ら人間は、一生そのままかもしれんな」
「兄さん――?」
「それって……」
 ウィーロスとウィルに、ビゼスは小さく頷いた。
「精神操作系の魔法――恐らくは闇魔法、だろうな。その証拠に、お前らはまだ解けていない。だが私は、先刻の奴を討つとき」
 アルドの腕でぐったりしたライアを指す。
「こいつを思い出した」

「その子、敵じゃないんだね?」
 ウィーロスの問いかけに、ビゼスは首肯した。
「レイヤで赤毛を殺して回ってたのは、別の奴だろう――おい、それよりこいつ、死ぬぞ」
 アルドは改めて腕の中の人間の状態を意識させられ、ビゼスの指摘の正しさ悟った。
 フェリーナが、ライアの傍らに両膝を付く。
「この人が誰であろうと、今は関係ありません……。できる限りの、ことなら――!」
 やるだけ無駄じゃ?と呆れたようにウィルが見る中で、フェリーナは黙って処置に専念した。
 やや経って、ビゼスが顔色を変えずに小さく呟く。
「……お出ましか」
 アルドが小さく頷く。気配を隠しているが、近くに何者かがいる。
 ウィリアが短く何か言い、2秒ほど考えてビゼスが返答する。そして、速やかに仲間に作戦を伝えた。
「えー? やんの?」
 愉しそうに返すウィルとは対照的に、リーティスはやや不安そうな反応だった。
「え? うん……」
「大丈夫だ。殺させない」
 ビゼスが即答したので、リーティスは驚いたように緑の瞳を瞬かせて、頷いた。
 作戦を了解したフェリーナが、死者の目を閉じさせるように、ライアの顔を撫でた。アルドが立ち上がりながら防寒のマントを外し、ライアの足から顔までを覆い隠す。そして、哀悼を振り切るかのように、ライアに背を向け、大剣を構えた。
 彼らがこれから演じようとしていること――それは、弔い戦。

 真夜中の洞窟に現れた6人つの影。先制して、ウィリアが探りを入れる。
「あぁら貴方達、さっき、うちのリーダーを襲ってくれちゃった、刺客さんのお知り合い? だったら容赦しないけど」
 6人の中で一番背の低い少女が、静かな怒りを込めた、落ち着いた声で反論した。
「そちらこそ……よくも、私達の仲間を、帰らぬ人にしてくれましたね――」
「あら、知らないわ。正当防衛よ。こんなところで襲って来たほうに、非があるんじゃなくって?」
 その時、ライアの前に座り込んでいたフェリーナが立ち上がった。
「許しません……!」
 鬼気迫った様相は、普段大人しい彼女だけに、演技と解っていても圧倒するものがあった。
 沸々と込み上げる静かな怒りをぶつけるように、フェリーナは言い放った。
「この人は、決して善良な人間ではなかった――けれど、それを更生の余地も与えずに、命を奪うだなんて……そんな事、誰に許されたはずもないのに……!!」
 すると、6人のうち、一人の青年がせせら笑った。
「随分とご立腹だね、お嬢さん」
「いやでもぉー、フェリーナはやっさしいけど、オレとか何とも思ってないしね?」
 飄々とウィルがおちょくる。
「なんかさぁ? アンタ達の狙いって、オレ達じゃなくって、あそこに転がってるアレ、潰す事だったんっしょ? だったら、お互いよかったじゃん。アレ死んで」
 人を見る目ではない。まるでゴミを見るように、紫の瞳が、布で覆い隠された人間を捉えていた。
 歳若い美少年の残忍さを見て取ったか、相手方の6人も、にわかに警戒を強める。
 ビゼスが、一歩前に出ながら、相手に問う。
「――それで? 貴様ら今更何しに、私達の前に現れた?」
「そうそ、あぁんな生ゴミ、回収なんかせずに火でも放って、消し炭にしときゃイイんだって! アハハハハ!」
「ウィル!」
 諌めるアルドの視線に、ウィルは、反省の欠片もない声で一応は返事をする。
 6人の中でリーダー格の、年配の男が言った。
「は! そのような骸一つにこだわり、我らがわざわざ出向いたと思うか、愚か者」
 愚か者は貴様だ、と、聞こえない程度にビゼスがぼやき、リーティスは、味方であるはずのビゼスにこそ、漠然とした不安を抱かずにはいられなかった。
「そう、あたし達はね……あなた達を、消しにきたの。理由は、そう――『ここ』に立ち入ったから。残念だけど、それだけで、死に値するの」
 女が言い、なぜかウィリアが勝ち誇ったように、ふん、二流ね、と呟く。相手の女は確かに美しかったが、悪女の板の付き方は、ウィリアの方が数段上だ。
(そんな事で張り合わないでよ、姉さん……)
 上の弟は、ほろりと心の中で涙した。
「ふん、なら、話は早いな。戦闘(コレ)で決着をつけてやる」
 言うが早いか臨戦態勢に入るビゼスの肩を、待って、と言ってアルドが押し留める。
 年配の男が言い放った。
「あせるでないわ、若造が」
「そうよ。冥土の土産にね、とびきりの真実を教えてあげる」
「なんだって……?」
 アルドは、時間をかけられない焦りとは裏腹に、訝るように応じた。演技に滞りがない辺り、完璧に本来の冷静さを取り戻している。
 一同が苛立つように自分を見るのに気分を良くしたか、たっぷりと余裕を持って、男はしわがれた声を堂々響かせた。
「貴様らは、何を勘違いしている?」
 その言葉に視線が集まるのを確認して、勝ち誇った笑みを浮かべた年配の男は、殊更仰々しく言った。
「くくっ……はははは……っ!! 何ともおめでたい連中よ! 貴様らが殺人犯と思い込んで追い詰めたその小僧、貴様ら自身の同行者であったと言うのに! それをまんまと我らが術中にはまり、易々と殺させよった!」
 男のすぐ横で、女が言った。
「うふふ……残念だけど、アナタ達は二度と、その子の事を思い出せないの。だって――ここで死ぬんだからね!!」

 彼らが敵の口上に真面目に付き合っていたかというと――実は、そうでもない。
「あせるでないわ、若造が」
「(彼ら、私達に精神操作かけてくれちゃった当人ってとこかしらね? 見たところ、やけに魔法戦に特化してるわ)」
「――冥土の土産にね、とびきりの真実ってやつを教えてあげる」
「なんだって……?(同感だね、ウィリア。これは、接近戦に持ち込めば、充分に勝ち目はあるね)」
 敵の言葉に面食らっているように見せかけて、結構いい加減に聞き流している。
「貴様らは、何を勘違い――」
 男が悠長に喋っている間、ビゼスは小声で話した。
「(あの中に術者がいるなら、そいつをヤればいいんだな?)」
 リーティスの表情がひきつる。
「(ビゼス、そんなナチュラルに『殺る』って……)」
「(あのね、リーティス。冷静に見せかけて、兄さん、あれで今、かなり怒ってるよ――)」
「(ほんと?)」
「(うん。本当)」
「(黙っていろ、ガキ共)」
「(ほらね)」
「(……。うん)」
 一人だけ術が解けているビゼスは、相当に苛立っていた。それこそ、この凶暴な獣を敵陣に放てば、一人で敵の首を刈って来るかもしれない。そしてリーティスは、怒っていると確証を得た事で、逆にひどく納得して、奇妙に落ち着いてしまった。
「……――ここで死ぬんだからね!!」
 女のその一言が、開戦の合図だった。
「……行きます」
 意外にも、敵陣営の切り込み隊長は、一番小柄な少女だった。それに続いて、会話に参加してこなかった大男も突撃して来る。
 ウィリアの読み通り、残りの4人は魔法で攻撃を仕掛けてきた。
 偉そうにしていたリーダー格の男は、ウィルに言わせれば『三流以下。屑。』の腕前だったが、あとの3人と前衛の2人がそれなりに連携が取れた攻撃を仕掛けてくるので、近接戦闘に持ち込むのに、少々手間が要った。
 それでも、水を得た魚、もとい戦場に放たれた黒の疾風が、持てる力を余す事無く発揮した時点で、敵に勝ち目はなかったと言える。

「あは……やられちゃった♪」
 しぶとく最後まで残った女は、自らの体を突いた剣に目を落とし、狂人じみて、うっとりと目を細めた。
「うふふ、ふふっ……でも、これでアナタ達は知る――失ったものの、大きさに……っ! 絶望しなさ――がッ!」
 最後まで言わせず、ビゼスは無言で剣を抉り抜いた。



 力なく、ぼんやりと赤い瞳が開かれる。
 そこはまだ、生々しく戦いの跡が残る戦場だった。

 動く力が残っていないらしい体を抱き締めて、アルドは血を吐くように言った。
「誰が………していいって、言った?」
 返事はない。聞こえているのかすら、周りからは判別できなかった。
「誰が、こんな無茶――していいって、言った……? いくら、僕達が敵の術にかかって、独り孤立したからって……」
「――――」
 ぐったりしたライアは、何か言おうとしたようにも見えたが、ただ朦朧としていただけかも知れない。
「逃げたって、よかったんだ……。クリスタルの破壊なんかほっといて、こんな所まで来なければ――」
 レイヤを脱して身を隠せば、あるいは、敵もライアを見逃したかも知れなかった。
 瀕死の弟分に、アルドは言い聞かせる。
「死んだら、駄目だからね……。こんな無茶、後で一発くらい殴らせてもらわないと、僕の気がすまないから――」
 再び意識が遠のき、赤い瞳は閉じられる。



 アルド達は刺客が潜む危険を承知で、レイヤに戻った。荒野では、一刻を争う容態のライアを治療できないからだ。
「この外気に晒されていては、もう長く持ちません――最低でも、屋内で暖が取れる事、きれいなお水が手に入って、充分な量のお湯が沸かせる事……それが、条件です」
 そうなると、自ずと場所は絞られる。一縷の望みを託し、彼らが訪れたのは、例の薬屋だった。
 丑三つ時を過ぎていたが、幸運にも、助手の少女が彼らに気づいて戸を開けてくれた。
 就寝していた店主は、寝ぼけ眼のまま、アルド達をひと睨みし、こう言って寝室に引っ込んだ。
「あとでそれ相当の金はもらう――。覚えておけ」

 助手の少女は、シェリンといった。気が弱く、店主の前ではいつも怯えた風のシェリンだったが、ライアの身を案じる彼女は、フェリーナが処置を施す間も部屋に残り、そこで色々と事情を聞く事ができた。
「マスターは、基本的に無慈悲で冷血で、およそ人の持ち合わせる情なんて持ってません……。この近くで暴行されてたこの人拾ってきたときも、この人死にそうだったから、持ち物だけ取り上げて、すぐ放り出そうとしました……」
 その時シェリンは、体内の出血だけでも止めようと、治癒魔法を使った。
「意識は殆ど無いみたいで、でも、血を吐いてて、苦しそうだったから……。あとで、凄く怒られました。マスターにはぶたれたけど、私、間違った事をしたとは思ってないです。……えへへっ、大丈夫ですよ。叩かれるのは、慣れてるです。マスターが拾ってくれるよりも、前に。今のマスターは、これでも、そんなに酷い事はしないのです」
「でも、何も悪くない君に、手を上げたんだろう? ――辛くは、ないのかい」
 アルドの問いに、シェリンは困ったような笑みで、首をプルプルと振った。
「マスターはですね、無能な私が治癒魔法を使えるのが、嫌いなのです。……解ってます、自分でも。能無しの私なんかより、才能のあるマスターみたいな人が、魔法が使える方が、本当は、ずっと、ずっと、良いですから。……マスターは、魔法が使えません。それだけで、人でなしと差別する人が、世の中にはいっぱい居るのですね」
 シェリンがライアの致命傷を癒したので、店主はやむなく、薬屋のプライドにかけて最低限の外科処置だけを施し、律儀にもライアを捨て直しに行ったそうだ。その時シェリンは、店番を任されていて気付けなかった。だがもし、その場に居合わせたとしても、気の小さい彼女では、店主に一喝されただけで縮み上がってしまっただろう。

 シェリンはそのうち眠ってしまったが、鳥が鳴き、空が白ばむと、店主の方が起きて来た。寝台の上の人間を見下ろして、呆れたように言う。
「お前ら、まさか本当にこいつを助けるとは――……」
 目を閉じたまま動かないライアは、しかし、まだ息をしていた。長身細身の店主は、真っ直ぐに見据える青い瞳を横目で捉えた。
「所詮俺は薬屋、お前は医師……その違いか」
 それは違います、という言葉は飲み込んで、フェリーナはただ真っ直ぐに、強く、店主を見据えた。フン、と鼻を鳴らして、店主の方が先に目を逸らす。

 退室後、廊下で、店主はアルド達の問いにこう返した。
「『死神の薬』の事か?」
 彼は煙草をふかしながら続けた。
「あれは、全く別のモンを調合しようとしてた時の副産物だ。……鎮痛しか効果が認められなかったんで、今後もう作る事もしないだろう。あんたら毒と勘違いしたらしいが、あれの由来は、そもそもそれを服用しなきゃならん程、痛みが酷い奴が使うとすれば、死神に連れてかれるのがオチだからさ。――あの小僧は自分で飲んだんだろ? 左足首、左手、右肩、それにあばらにヒビいって、全身打撲と裂傷だらけだってのに、北の洞窟まで歩いて行ける訳がないからな……」
 そうして店主は早々にアルド達を追い出そうとしたが、交渉の末、夕方まではライアを寝かせておく事を承諾させた。
 夜が明けたので、数名は一旦宿に戻る事にした。戻らないと言ったのは、リーティス。それに、ウィーロスも残ると決めた。
 よもやそのウィーロスに引き止められるとは考えていなかったビゼスは、苦笑しながら返した。
「私は、お前らを残して間違いが起こるとは思っとらんが?」
「からかわないで、兄さん。ここの店主さん、一応、民間人っぽいけど――」
 ビゼスの眉がぴくりと動いた。
「……何か、感じたか」
 口ごもるウィーロスに見解を吐かせ、ビゼスは正解を与えた。
「何かしら特殊な武器――恐らくは暗器を遣うように思う、か。成程。おおかた、正しいだろう。だが、一つ付け加えるとすれば」
 帰宅組は先に行ってしまったので、4人だけの部屋でビゼスは続けた。
「私の見たところ、あの男、今は現役ではないな」
「そう――。じゃあ、杞憂だったね。引き止めちゃってごめん」
「構わん。そこの馬鹿の容態、気にならん事もないしな」
 宿に戻る気でいたビゼスだが、特別な用があった訳でもない。
 ビゼスを引き止めた真意を改めてリーティスが訊ねると、ウィーロスはのほほんと返した。
「あぁ、ほら。万一の時、兄さんなら、どっから襲われても、即座に反撃して撃退してくれそうでしょ?」
「あー……そっか。うん」
「……。貴様ら」



 気が付くと、どこかで一度見た室内だった。
 首だけを動かして見ると、部屋に居た3人の姿が確認できた。
「…………」
 気が抜けてしまった。彼らは、自分を看ていてくれたのか、それとも、敵とみなして見張っていたのか。でも、どっちにしたって、その役割を果たしていない。……全員、寝こけていたのだから。
 不思議と安堵した気持ちで、俺は目を閉じた。

 次に目を覚ましたのは、昼下がり。
 前に見たのと同じ場所である事を確認して、ある種の感慨と共に、言葉を吐き出す。
「俺、また、ここに戻って来たんだな――」
 声を出すだけで苦しいし、あちこち痛い。
「貴様な……ここがどこか、本当に判っているのか?」
 聞き慣れた呆れ声に、仰向けで天上を見ながら答える。
「ああ。前さ、助けられたんだよ。みんなが俺の事忘れてから、スラムで独りん時に襲われて、最後には、ろくに抵抗もできなくなって。これは死ぬな、って思ったんだけど、気づいたら、襲ってきた奴らみんな、倒れてたんだ。そんで、ここの店主さんが立ってた」
 暴行を受けた直後の現場。そこから先は、激痛で意識が飛びかけていたから、酷く曖昧だ。けれども、治療を受けたときの部屋の内装は、確かに覚えがあった。
 ライアは知りえぬ事実だが、店主はその後、放り出しても即死しない程度の頃合を見計らって、ライアを路地裏に捨てた。
(恩を売るのも、買うのも、まっぴらだ――)
 そんな心境は、店主当人しか知りえない。

「…………」
 ライアが黙ったので、ビゼス以外の二人が寄って来た。
「ライア、どっか苦しい?」
 ウィーロスが問い、リーティスも不安そうに訊ねる。
「――怒ってる?」
「――……」
 返事が無いので、リーティスが、表情を暗くした。
「…よね。わかってる。それだけ、酷い事したもん。私達」
 と、そこにビゼス。
「そうか? 何もしてないだろう。元の原因は奴らだったのだし、そこで勝手に無茶やらかしたのは、そこの馬鹿だ」
(く――っ! そこまで言うか!? 勝手って――……勝手、か……)
「……そだな……」
「え?」「ライア?」「?」
 リーティス、ウィーロス、ビゼスが、それぞれ不審な顔をする。
「別に、怒ってねーよ。確かに、勝手やったのは、俺の責任だ」
「ねぇ…………――頭、大丈夫?」
 んな顔で引くなよリーティス!? 引っ張るだけ引っ張っといて、言う事それか!?
 だけど、その態度で確信した。ここに居るみんなは、ちゃんと俺の事、思い出してるって。
「あ・の・なぁ……。俺だって、色々考えてるんだよ!」
 声を張ると、やっぱまだきつい。
 それでも何とか上体だけは起こして、少し声を落としながら続けた。
「みんが忘れちまう前から、思ってはいたんだよ。俺、ここにいても、あんま役たってないだろ?」
「ライア、誰がそんな事――」
 怒ったように言うウィーロスを、無言でビゼスが制した。ウィーロスが険しい表情で非難する。
「兄さん!」
「それで?」
 ウィーロスを無視して、ビゼスが続きを促した。冷淡な態度には腹が立ったけれど、むしろその勢いで、ぜんぶ吐き出してしまおうと思った。
 誰の方も見ないで、窓越しに見えた空を睨みながら、息を吐いて、俺は宣言した。
「俺、ここで抜けるよ」
 意地張んなかった、って言ったら、嘘になる。折角みんなが思い出してくれたのに、また、独りになんのかって……。けど、仕方ない。誰より俺が、解ってた。この体で、敵の包囲は抜けらんない、って。
 大体、誰も弱い俺の力なんか必要としなかった。これまでも。
「逃げるか。臆病者が」
「ッ!! な――」
 嫌味なまでに淡々と、ビゼスは述べた。
「逃げてるだけだろうが。――自分の弱さからな」
 マジ頭来た。もう知らねぇ――!
「だから、弱いから要らねぇってんだろ!? お前言ったよな。リーティスはよくて、俺は駄目だって!! 足引っ張るくらいなら、俺は残る。そう決めた。逃げるんじゃないっ!!」
 リーティスが狼狽しながら言う。
「ライア!? 待ってよ、まさか、そんなのずっと気にして……」
(だったらどうなんだよ……っ。事実は動きやしない。俺に力が足んないのは、俺のせいで)
 すると、ビゼスは悪魔の如き攻撃的な笑みを浮かべて、鼻で笑った。
「――は! 何を言い出すと思えば、そんな事か」
 不意に背筋が凍る。やけっぱちで、こちらが当り散らす立場だったはずなのに。これでは俺の方が、狼の前に引き出された兎だ。
(なんで恐がんなきゃならない!? 何が恐い? 俺が言ってんの、正しいだろ!?)
 一気に立場が逆転したせいで、俺は軽く混乱していた。その隙に、ビゼスは続ける。
「ガキだな。勝手に自己完結して、拗ねていじけて、出した結論がそれか」
「兄さん! もうやめてよ。今のライア、どういう状態か――」
「ここではっきりさせなくてどうする。――この馬鹿、勝手に誤解しているようだからな」
「…………。」
 ウィーロスが黙するのを見計らって、ビゼスは言った。
「いいか貴様。お前みたいな未熟者は、一度に二流派に師事しようなんざ、無謀にすぎる。下手すれば、剣に迷い、命すら落としかねん。私はリーティスに剣を教えると言ったが、そもそもお前とリーティスでは剣の遣い方が違う。お前の型は、スロウディアで一般的に普及してるものだろう。なら、アルディスに習っとくべきだろうが」
「――……」
 そうかもしれない。だけど、リーティスだって、俺と同じにアルドから習って――……
 そこで初めて、俺は苛立ちの原因の一つに突き当たった。
(俺……妬いてた……? リーティスに先越されたみたいで、あいつだけ、ビゼスに認められたような気がしてて――)
 血の気が引けた。嫉妬だとか、そんな理由だとしたら、ビゼスのガキだって言葉に微塵も反論できねぇし、何より、みっともない。
 俺の内心の動揺を余所に、真顔でビゼスは続けた。
「だいたいな、私が遣う剣は、お前なんかが余している体力や力より、技の精度と速さを重視する。そのための集中が要と聞いて、貴様、集中力を保つ自信はあるか?」
「ぐ……っ」
「まあ、長い集中は不得手なようだが、別段人並み以下という訳でもない。だったら、今までの戦い方で、そのまま鍛錬した方がよかろう? 貴様が今より高みを目指すなら、いずれ力や体力以外の要素も不可欠になる。そうなれば、集中力やら何やらは、嫌でも過程で身につくだろうしな。わざわざ苦手なところから始めるより、長所を伸ばす事から始めたらどうだ」
 何となく丸め込まれてしまった雰囲気だが、落ち着いたら、今度は別の事で腹が立ってきた。リーティスだって、ビゼスだって、一切遠慮せずに俺にバカバカ言う。なのに――
(どうして……っ、邪魔なら邪魔って、はっきり言わねぇんだよッ!!)
 ひとが一大決心で、残るっつってるのに、その事にはまだ何も触れて来ない。それが腹立たしかった。
 その時、ビゼスが言った。
「――話が逸れたな。今回の件に関して、言いたい事は山とある訳だが、覚悟はいいな」
「ぃ? ……え……?」
 俺の読みが甘かった。そこまでは、ほんの小手先。そこからが、ビゼスの毒舌本番だった。

 宿に戻っていた仲間が迎えに来た時、リーティスは我関せずと目を逸らし、ウィーロスは、誤魔化すように苦笑した。
「えと――なに、どしたのさ」
 ウィルが驚いて訊くと、ビゼスが満面の笑みでアルドに言った。
「アルディス。代わりに、泣かせといてやったぞ」
「は……?」
 アルドは硬直したが、当のビゼスは、悪びれた様子もない。無邪気すぎる笑みは、いたずらを悪事とも思っていない、悪ガキのそれだ。
「泣いて、ねっ、て……げほっ、げほっ!」
 ライアは抗議するが、実際、声が枯れて喉が痛かったし、目は赤かった。
 それを受けて、アルドはビゼスに視線を戻し、静かに言った。
「僕ね――確か『殴る』って言ったけど、泣かせる、とは言わなかったよ……?」
「そうか?」
 きょとんと目を瞬かせる様は、まるで子供の反応だ。表情からして、本気で、これっぽっちも悪いと思っていない。
「あーあ、いじめっ子が本気出しちゃったぁ〜。いーっけないんだっ!」
 ウィルは、長年の付き合いで慣れているのか、他人事のように言った。
「泣いてない……つったろ!?」
 言って、ライアは思い切り鼻をかんだ。
 おろおろするフェリーナの傍ら、事情を察したウィリアは笑い出した。
「ほんと、手加減を知らないひと」
 いまひとつ状況を把握できないフェリーナのために、リーティスが、ビゼスとライアを順に差しながら、機械的に述べた。
「ビゼスが、ライア泣かせた」
「は、はぁ……」
 フェリーナは困惑顔だ。
 もはや弁明の余地も奪われ、壁側を向こうとする赤髪を上から押さえて、アルドは言った。
「ライア」
 ライアは、眼の赤さを隠すように、必死で睨んだ。
 アルドは、ライアの頭にコツンと額をぶつけた。
「――今度の事は、僕も随分と、酷い事しちゃったね……。ごめん。これでチャラだ」
「殴るのはやめたのか」
「兄ちゃんがやりすぎるからでしょー?」
 呑気に言いながら、ウィルは笑った。
 誰が泣くかよ、とばかりに周りを睨むライアに、リーティスが近づいて言った。
「大丈夫。見なかった事にする」
「……何を?」
 ウィーロスが、慌てた様子で、リーティスに同調する。
「え? いや、その……そう! 僕も、何も気が付かなかったし!」
「だから何をだッ!?」
(思い切りばらしといてそれか――ッ!?)
 そこに事の元凶が割り込んで、容赦なく回答。
「貴様が情けなくぴーぴー泣い――」
「うっせぇえ!! ……げほっ……くっそ、ビゼス……体力戻ったら覚えてろ――」
「ふん、やれるものならな」
「勝てそにないね」
「うん」
 ウィルの言葉に、リーティスが真剣にうなずく。
 と、そこに、気配もなく店主が立っていた。
「ウチは医院じゃない。意識が戻ったんなら、さっさとお引き取り願おうか」
 すると、笑顔で青筋を浮かべたフェリーナが言った。
「随分じゃないですか? 約束しましたよね。今日の陽が沈むまでは、って。それに、聞いてます。あのお手伝いの女の子、自分が余計に働く分、薬代を浮かせてくれって頼んでくれたそうじゃないですか。私達はきっちりお代を払いました。なのにあの子をこき使うんですか?」
「く――」
 歯噛みした店主は、自分でも眼光が鋭すぎる自覚はあって、恐れずに対峙するフェリーナは本当にただの小娘だろうかと疑った。
「……チッ、わかった。シェリンは休ませる。いいからお前ら、陽が落ちるまでには失せろ」
 そう言い捨てて、店主はさっさと退室した。

「……早く、移動しなくちゃね」
 体力が低下しているライアは、まどろみながらアルドの声を聞いた。ビゼスが答える。
「一般の素人を巻き込みたくないなら、な。――あの一味の仲間が潜伏してるなら、早晩仕掛けて来るだろう。どんな手を使ってくるかも判らん。長居は無用だ」
 ライアが少し目を閉じたかと思い、はっと気が付いた時、もうそこに仲間の姿はなかった。
(あれ――? 俺……。待て、今何時だ!?)
 部屋が暗くなっていた。見れば、陽は落ちたばかりのようだ。
 誰も居ない。その上、持ち物は、着ている服と防寒着を除いては、剣も銭袋も、一切が消えていた。
「――――……」
 ライアは、自力でベッドを這い出した。
「ッ!」
 『死神の薬』の効力は、とっくに切れている。
(駄目なんだ……ここに居たら。みんなは――先行ったかな? それでいい。置いてかれたとしても、こんな状況じゃ、恨まねーよ――)
 激痛を伴う左足を引きずって廊下まで出た所で、壁に体を押し付けるようにしながら、一度歩みを止めた。やはり、この体で長くは歩けない。
 そこに現れた店主の顔を見て、ライアは決心して述べた。
「頼む、俺を……街の外まで。でなきゃ、この店だっていつ狙われるか――……」
「……。袋詰めしてスラムの外れの死体置き場に捨ててやる。それで文句は無いな」
 酷な扱いだが、カモフラージュにはなる。ライアは条件を飲んだ。

 最初から、小僧は捨てに行くつもりだった。それが奴らとの取り決めで、捨てる場所もあっちが指定して来た。何とも趣味が悪いが、俺は、俺自身の安全のため最良を選択したに過ぎない。
 俺は、細長い大袋を担いで、街を出る方向に向かった。
 やがて、イヤな臭いが漂ってくる。腐臭。冬だから、これでもまだ良い方だ。
(ん……?)
 俺は、そこにかすかに混じった臭いを嗅ぎ分けた。
 ――油。
 おかしい。そう思ったが、その場所に着いてみると、思った通り、仏さんに油がふっかけられていた。
 レイヤに火葬の風習は無い。第一、スラムでのたれ死んだ人間を、わざわざ焼いてやる者など居るものか。
 俺は、腐ったそれらの『端に』、担いできた袋を投げ出した。袋の口を緩めて一応中を確認すると、重体の小僧は、また意識を失いかけていた。
 口は開けたまま袋を放置して、俺は踵を返した。それまで咥えていた煙草を、肩越しに、なるたけ『遠くに』弾く。そこから、ボッと火が付いた。
 俺はそのまま、帰途に就いた。油を撒いた奴は当然燃やしに来るだろうから、それなら、俺が点けたって同じ事。下手に近くから燃やされるよりはマシだろう。
(あとは、どうなったって知らないからな)
 振り返る気も起きず、ただ俺は、小僧を捨てるように言ってきた奴らに、心中で毒付いた。



 まばらに樹木の生えた夜道を行きながら、リーティスが、手に持った羽毛を軸の回りにくるくると回す。それは月の光をつやややかに反射した。
「きれいな羽ですね」
 リーティスがはにかむように笑いかけたところへ、ウィルの一言。
「でもぉ〜、そんなでっかい羽、ぜぇったい怪鳥のだって」
「むぅ。いいじゃない。魔物の羽だって、それ自体が悪さする訳じゃないでしょ!」
 言い返したリーティスの腰には、2本の剣。彼女もビゼスと同じ二刀流に転身――するのではなく、預り物だ。
 その時、かすかな声がした。
「なん…で……俺、を……」
「「「「!!」」」」
 その場のほぼ全員が、声に反応した。
 ずっと意識不明だったライアを背負っていたウィーロスが、落ち着いて答える。
「なんでって、そんなの。――置いてくとでも、思った?」
「俺、本気で、動けねぇん、だ……荷物になる、位なら――置いてってくれたが、」
 そこにビゼスが呑気に言う。
「置いてけなんざ――偉そうな口は、いっちょ前に自分の身を守れる状態の奴が言え」
 口調からして、とりあえず怒ってはいない。
「傷が治って、それでも抜けたいと言うなら止めはせんが」
「あぁもう――仕方ないわね、そんなだから、ライアが拗ねちゃうのよ」
「そう、一言多いんだよ、兄さん……」
 次に口を開いたのは、アルドだった。
「ライア、大丈夫? ……まだ熱あるね。ごめん、君がキツいのは承知だったんだけど、どうしても街を離れたかったから。街の外れまで連れてきてくれるように、僕らから店主さんに頼んでおいたんだ」
「……完全に、生ゴミ扱いだったけどね」
 ぼそりと言ったのはリーティス。アルドが弁明。
「うーん……現に、それが一番安全だったんだけどね。袋に詰めてしまえば、途中でライアの顔を見られて店主さんが襲われる危険も少なくなるし、ライアは死んだって敵が勘違いしてくれれば――と、思ったんだけど」
 ぐったりと、ライアがコメント。
「何気に酷くないか、それ……」
 せめて、事前に説明があればよかったのだが。
 そこで、思い出したようにフェリーナが手を打った。
「あ、そうです! ライア、ちょっとごめんなさい。口を――」
 そう言って、フェリーナはウィーロスにおぶわれたライアの口元へ、液体の入ったビンを寄せた。
「え……? ぅぐっ、何コレまずっ……!!」
「栄養剤です。吐き出しちゃだめですよ? 効き目はばっちりですから」
「〜〜! ○×△△ッ〜!」
 あまりの不味さに、半ば本気で涙目になりながら、ライアはそれを全部飲み下した。
(口ににがしってよか、これ――うぐっ、鼻の奥と口ん中に変な味が残って……! ぅう……むしろ、この味のせいで気絶しそ……)
 闇と絶望のシンフォニー。そんな形容がしっくりくる、酷い味の薬の効き目は、翌朝になって表れた。

(あれ……昨日よりは体が軽い、かも)
 まだ頭がくらくらするが、熱もだいぶ引いている。
 本日の道程を話し合う傍ら、ビゼスは言った。
「とりあえず、左足だけ治しとけ。あとはいい。戦闘になったら、お前は逃げる事だけ考えてろ。いいな」
 フェリーナも、ライアの傷を全て魔法で癒す事には懐疑的だった。魔法を使う側の多大な負担もあるが、それよりも、フェリーナは医者としてこう心配していた。
「水系の治癒魔法は、その個体が持つ生命力を活性化して回復を早めます。ですが、ローゼスに、こんな記録が残っているんです。長年、治癒魔法に頼って戦い続けてきた兵士に共通する奇病で、繰り返しかけた治癒魔法のために、活性化のスイッチが切れない状態のまま組織が増殖を続け、当該個体を死に至らしめる、と。水系の治癒魔法でも、使用頻度が常識の範囲であれば大丈夫でしょうけど……できるなら、自然治癒が望ましいですね」
 ローゼスでは、通常の医術だけでなく、魔法医療も発達している。フェリーナの話では、原理的に、アルドの使う地の治癒魔法の方が、一般に効き目は低いものの、危険も少ないと考えられるそうだ。
 地属性の治癒魔法は、水属性のように細胞の再生力を加速させる類の物ではなく、魔法自体がかさぶたのような役割を果たす。傷は塞がるが、塞いでいる部分は、本人の体に属すものではない。魔法はあくまで『支え』で、その支柱を軸に、本人の体が自然治癒するのを待つ。そして『支え』は、魔法で構成されたものなので、やがて消滅する。
 雷魔法は治癒に限らず全般に解析が困難で、雷属性の治癒魔法については、未だ謎が多い。
「ウィルは、雷の治癒魔法が使えるんでしたね」
 氷属性の治癒魔法は未確認のため、ウィルの治癒魔法は雷という事になる。
「んー? そだけどぉ〜、原理解明に協力しろとかって、どっかで飼い殺しにされるくらいなら、オレ、舌噛んで死ぬよ?」
 心底嫌そうに言うウィルに、仲間達は苦笑した。万が一そんな協力を要請されたとして、その理由が医療の発展のためだろうが世界のためだろうが、ここに居る者ならまず、ウィルの引渡しを拒否するだろう。
「そう言えばー、雷ってヘンな魔法多いけど、兄ちゃんって、そん中でもかなり特殊なヤツ使うよね?」
「ああ、転移魔法か?」
 黒の疾風の二つ名の由来は、剣の速さだけでなく、多人数に襲われた場合の風のような撤退の仕方にもある。その数々の命の綱渡りの裏には、転移魔法を使用したものも含まれた。
 戦場に立つようになって間もない頃、ビゼスは絶体絶命の危機に、その力を発現させた。眼前に迫った攻撃に、死んだ、と思った瞬間、体は無意識に想った故郷へと跳んでいた。最も、初めて使った魔法で力尽きているところを発見されるまで、戦場で行方不明になった少年兵は、皆から死んだものと思われていた。
「跳ぶ先は毎回安定しないな――。何度か使ったが、大抵、強くイメージしやすい場所に出る。直前にしばらく滞在した駐屯地だとか、たまたま印象に残っていた山林の中だったりな。回数的に、故郷に跳ぶ率が高いのは事実だが」
 転移魔法は使うヒトの絶対数が少なく、ほとんど解明されていないが、どうも、術者の周りの一定の体積の空間を切り取り、転移先の同量の体積の空間とそっくり入れ替える質のものらしい。同じ体積でも、片方にはヒトという大質量を含むので、内部のエネルギーは等価でない。だが、世界全体を1つの系として見た場合、全体のエネルギーは保存される。
 魔法の範囲は体積で規定されるものの、消費する魔力は移動する物の質量に比例するらしく、一度に移動できるのは、せいぜい自分と、ヒト1人が限界だろう、とビゼスは言った。
 先の説明のように、ある一定体積の空間ごと切り取るので、服やら所持品やらはもれなく一緒に転送される。
「まぁ、××ちんでいきなり街中とか出ちゃったら、そーとー問題だもんな〜」
「バカっ!?」
 リーティスが顔を赤くしながら反射的に叫び、ビゼスが犬歯を見せて壮絶に微笑む。
「貴様、今すぐ服を剥いでそこら辺の川に投げてやるか?」
「げ……軽い冗談だろっ!? てか、この水温で川って、俺、体力戻ってない以前にまだ重傷患者なんですけどっ!!」
「知った事か――いや待て、馬鹿は死んでも治らんのか……。糞」
「くそ、って、殺す気満々かよ!? ……く……」
 一瞬声を抑えたのをビゼスとリーティスに気取られ、言うな、とライアは目線で訴えかける。
 不自然な間が空く前に、リーティスがさらりと言う。
「そりゃあ、ライアなんか居なくったって変わんないもん。馬鹿な事言ってると、ほんとに川に投げられちゃうかもよ?」
「ちょ、誰もけが人労わろうって気無いのかよ!?」
(サンキュ)
 何とか、他の仲間には痛みを堪えたのを気づかれなかった。
「あ、そうです、ライア。今日の分のお薬です」
(――え? はいぃ!?)
 笑顔満開でビンを手渡すフェリーナに、ライアは一瞬で石化した。
 じっと小瓶の液体の色を見て、ビゼスが呟く。
「……がんばれ」
(ひとごとだと思って……ッ!!)
「あーあ。……私、大けがだけはしないようにしよ……」
(うっわ、リーティス今の、素で本心だな……?)
 笑顔のフェリーナを前に、ライアが目線で助けを求めても、皆、一様に目を逸らす。唯一、目を合わせてくれたウィーロスも、苦笑を返したのみ。
(……薄情者。みんなキライだ……)
 そうして、一思いに小瓶の中身を飲み干したライアは、口内で繰り広げられる地獄のシンフォニーに再び悶えるのであった。




「うっ、うぅ……」
 朝日差すスラム街を、おさげ髪の少女は泣きながら歩いていた。
 昨夜、スラムの一角で火の手が上がった。夜のうちは外出が許されず、たった今その現場を見てきたが、残されていたのは、大量の灰と、燃え残った多量の人骨ばかり。他は、何一つ見つけられなかった。
 それもその筈、スラムから出た死体など、衣服を身に着けていればまだ良い方で、所持品など盗られない方が不思議だった。
(やっぱり、マスターはあの場所へ棄てたんです……! あの人、何も悪くないのに、あんな怪我してたのに……っ)
 彼女は、店に戻るや否や、ぼろぼろ泣いて訴えた。
「はっ……薄情です! あんまりですっっ!」
「指輪は落ちてなかったか?」
 カウンターの向こうで、店主は無関心に調合ノートに目を落としたまま呟いた。
「はっ――はい!?」
 店主が、目線だけ上げて眼鏡の向こうから鋭く彼女を見た。
「金のやつだ。多分、鎖に通したやつな」
「……?」
 シェリンが解せない顔をしているのを見て、開いたノートに視線を戻しながら言う。
「ああ、無かったか――なら、小僧は死ななかったな。どこぞの物好きが、火が回る前に連れてったか」
 その件に関して、店主は怪訝そうなシェリンを無視しし続けたが、普段のように怒鳴りつける事もなかった。


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