5歳のとき、生活苦の親戚から売られた。それから、暗殺の技を徹底的に仕込まれて、13年間生きてきた。
 だから、職を失って初めて、自分がおよそ人の道を外れた外道だという事に気付かされた。
(どうしようも、できないだろ――……)
 生きる手段も失い、今更、そんな自分を変えられない。変われない。そう思ってた。

 流れ着いたのはレイヤと呼ばれる土地で、覚えてるのは、灰色の空。重く垂れ込めた雲。その日、見知らぬ女が、俺に手を差し伸べた。好奇心に満ちた青い瞳に、ふわふわした白髪混じりの赤毛の持ち主で、笑うと、目元に皺がよって――歳は、当時多分、四十くらい。
 彼女は、俺に仕事をくれた。
『私はエトワール。どうかしら、貴方、うちで仕事してみない? 器用そうだもの……』
 俺は、初めて自分の価値に気が付いた。今まで、非合法な薬はいくらだって調合してきたから、薬学の知識は、とっくに専門家の域に達していた。
 薬屋を経営してた彼女が俺を拾ったのは、本当にただの偶然だったとしか思えないが、俺がヤバイ仕事をしてた人間だってのは、彼女も勘づいていたと思う。けれど、太陽のように明るい性格の彼女は、いつだってあっけらかんとしていた。

 彼女は、もうこの世にいないけれど。

 彼女への、恩返しの方法。それは、俺にしてくれたことを、誰かに返すこと。そう思った。

 ひとりだけ。そのひとりにだけは、生活の場を与えてやる。そう決めて、俺は、スラムであいつを拾った。
 他にも、飢えた子供はいくらでもいた。病気にかかったり、死んだりしていく奴も、毎日のようにいる。けれど、そんな連中全てに構ってられたはずはないから、俺は、そのひとりだけは、責任を持つことにした。そいつの存在自体が俺の気に障り、どんなに相性最悪で、どんなに憎らしいからといって、責任を放棄しないこと――それが、俺の彼女への報いだ。



STAGE 27 crisis 〜孤軍奮闘〜



「あーのーさぁ? ワカッテル? アルドと兄ちゃんが上手く捌いてくれたからヨカッタけどぉ、あんなタイミングで飛び出したら、みんなにメーワク掛けまくりだっての!!」
「ごめんなさい。この子が危ないと思って……」
 フェリーナの腕の中で、首の長い白いもこもこが、みぅ、と鳴いた。この地方の草食動物で、大きさからして、まだ子供だ。
 両手を腰に当てたウィルは、ハァ、とため息を吐いて言う。
「んもー、ただでさえトロいんだから、気ぃ付けてよ??」
 はい、と素直に謝ったフェリーナの両脇を、リーティスとウィリアが固めた。
「すみません、私、また足を引っ張ってしまいましたね――」
「気にしないでいいって! ウィルいっつも言い過ぎだもん」
「んふふふ……もう、ほんと子供ね。好きなコにちょっかい出しちゃうんだから」
 ギッ! と向こうから睨み付けるウィルに、魔女は更なるおちょくりを仕掛ける。その間に、リーティスが愚痴る。
「ほんとに、気にする事なんてないんだから。どっちかってゆーと、前衛なのに無駄な動きばっかしてるライアの方が、よーっぽどお荷物だって!」
「んだって……?」
 リーティスは小さく鼻を鳴らしただけで、つんと澄ましてライアに取り合う気配はない。
(ちっくしょう……)
 余計な動きを一切しなかった、と言えば嘘になる。しかし、いきなりビゼスのようになれ、というのも無理な話だ。彼が最低限の動作で敵を斬れるのは、長年戦場に身を置き、日々研鑽したからに他ならない。城で守られて育ったライアとは訳が違う。
 だが、環境に甘んじているのでは、と考えると、リーティスの言葉にもつい、ぎくりとしてしまう。
(いやいや、いつものやつだろ? 何かっつーと、俺に突っかかって来んだからな。――……ない、よな……俺が、ほんとに邪魔なんて――)
 そこに、幼馴染の声がした。
「……どうかした?」
「え、いや、何でも。……そだ、時間ある時にさ、また、剣見てくれないか?」
「ん。いいよ」

 森林の中に綺麗な水場を見つけ、フェリーナ、ウィーロス、ウィルは向こうで一息入れている。
 アルドが少年組に剣の稽古を付ける傍ら、木の幹に背を預けたウィリアが言った。
「んっふふ、精が出るわね。――頑張ってるじゃない?」
 草地に座っていた男は、そちらを一瞥しただけで、冷ややかに返した。
「……どうだか」
「なぁに? なにかご不満?」
 上から覗き込むようにして体を曲げながら尋ねたウィリアに、迷惑そうに身を引きながら、ビゼスが答える。
「いくら剣の腕を鍛えたところで、精神が未熟ではどうにもならん。特にライア、あいつは子供だ。そもそもの考え方が甘い」
「あら、そ」
 そう言って、ウィリアは再び稽古に目をやった。交互に二人の相手をしているアルドは、今は、ライアを指導している。
 少し離れて、それを見るリーティス。
「…………」
 その横顔が複雑な事に、その時気付いた者はいなかった。



 ライア達は、ビゼス達が以前賞金の掛かった怪物を倒したというその場所を目指していた。レイヤという街から近いらしい。
「ねぇ、レイヤって、どんなとこなの?」
「んー」
 少し考えて、ウィルが答える。
「いかがわしー街?」
「そうね。あながち、表現として外れてはいないわ。イヤミな貴族の豪邸が立ち並ぶ一角と、一般庶民の居住区と、スラムが混在した街よ。旅行者が長居すると、厄介事に巻き込まれるかもしれないわ」
「そうだね。前来た時も、上流地区は変に警備が厳しいし、スラムでは犯罪が横行してたみたいだから。中流地区も――結局、その2つに隣接してるんだから、やっぱ、あんまり良くないと思う」
「まー、前は賞金だけかっぱらってソッコーずらかったから、問題とか無かったけどぉ」
「むしろそれ聞ーてると、お前はスラムのが合ってるように聞こえる……」
「見えてきたな」
 ビゼスの声につられて顔を上げると、遠くに雑然と並んだ石造りの四角い建物の群れが、ライアの目に飛び込んだ。

「前情報から判ってたけど、ここの治安は、かなり不安定だ。特に、スラムがある西の一帯には、用が無い限り近付かない事。それと、夜の外出は禁止。あと、念のため、昼間でも女性の一人歩きは避けてくれ。いいね」
 アルド達が選んだ宿は、無難に一般市民地区のものだ。しかし早くも、ここで街の体質を目の当たりにした。
 頭の両脇に白い巻き毛を残した禿頭の太鼓腹の主人は、最初、丸眼鏡の奥から胡散臭そうにアルド達を見た。そして、相手がスラムの人間でも上流階級の関係者でもない事を入念に確かめた上で、ようやく宿泊部屋の交渉に入った。
「むぅ……なんかヤな感じ」
 あとで後ろを振り返りながら言ったリーティスを、ウィリアがなだめる。
「仕方ないわ。ここでは、そういうの、あまり面に出さない方がいいわよ?」
 ウィリアはにっこりと微笑んで、貴女だったら大丈夫でしょうけど、と言い添えた。
 前に来た事があるメンバーで、ビゼスからの忠告があった。
「あのな。一つ言っとくが、街中でも武器の携帯はしておいた方がいい。ただし、その状態で絶対に北東の方面には近づくな。面倒な事になる」
「どうして?」
 既に頭に地図が入っていたリーティスは首を傾げた。北東のエリアは貴族の住まう地区で、治安は一番いいとされていた。
「没収されちゃうからよ。それに下手をすると、何もしてないのに不審者扱いで、しばらく牢屋に入れられるなんて事もありえるわ」
「ジェタスと違って、ここでは、貴族が法って事かな?」
 アルドの推察通り、レイヤでは貴族が金で全てを動かし、私刑が黙認されていた。そこで、初日はまず街を下見して全員が様子を把握しておく事がノルマとなった。
 ウィル、ウィーロスを留守番に残して街に出た一行は、ウィリアとビゼスを案内人に、市民地区と他地区との境を確認して回った。その中で、一度だけビゼスがわざと道を外した。
 街並みの変化を敏感に感じ取ったリーティスが、戸惑いつつ訊ねると、ビゼスは振り返ってこう言った。
「確かに、この先はスラムだ。だが、ひとつ覚えていて損はない店がある。こっちだ」
 ビゼスも、日の高いうちなら安全と判断したのだろう。それに、女連れとは言え、アルド、ビゼス、ウィリアと揃っていながら愚かな失態は演じない。
「『エトの、店』……? 何屋だ?」
「入れば判る。黙って付いて来い」
「んだよ……聞くくらいいいだろ?」
 文句を言いつつ、先にさっさと入ってしまったビゼスを追うと、カウンターの向こうで椅子に腰掛けた、鋭い目つきの男がまず目に入った。癖の無い黒い前髪を左右に分け、縁の細い眼鏡をかけている。
「店主。まだらむしの中和剤はあるか」
 大きな紙面を広げて呼んでいた店主は、視線だけ動かし客を一瞥すると、冷たく言い放った。
「シェリン」
「は、はいただいまっ」
 ぱたぱたと足音がして、16歳くらいの少女が出てきた。おさげ髪の純朴そうなそばかす娘は、小奇麗な服で、健康な肌には傷もないが、そのびくつきようは、虐待を受けている奴隷ではないかと疑ってしまうところだ。
「あっ、あの、こちらですね……?」
 ビゼスが、薬を確認して頷き、数量を指定すると、彼女は薬を包み始めた。その間も、ちらちらと店主の機嫌を窺う気配が見受けられた。
 暇なので、ライアがウィリアに訊ねる。
「なぁ、まだらむしって?」
「この辺りに生息する、親指くらいの虫よ。前回、野営でこの人が刺されてね。すぐに毒を吸い出さなきゃ、危なかったかもしれないわ。処置はしたけど、残った毒だけでも、腫れるし、熱は出るし、一苦労だったもの」
「冬は活動期でないと聞くが、用心するに越した事はないだろ」
 少女が値を言い、薬を渡そうとした時、すっ、と音も無く立ち上がった長身の店主が、店員の少女の後ろに立ち、冷酷に見下ろした。
「バカか?! 余所者にその値か? ふざけるな、しめて36 K(ケリー)だ。だいたい、金をもらう前に品物を渡そうとするお前の頭には、脳みそがちゃんと入っているのか??」
 ひっ、と息を飲んで少女が怯えたが、ビゼスは気にせず、交渉に入った。
「調合前の素材なら、この街でも4 Kで手に入るぞ。ひとつ8 Kで、24が妥当じゃないのか」
「ちっ――30だ。それ以上は譲らん」
 店主は、受け取った硬貨と眼鏡越しに睨み合い、偽金でない事を確かめると、おどおどしていた少女に、薬を渡させた。
「あのっ、また……お越し、下さい……」
 怯えたような少女の声が、店を出て行くライア達に投げられた。

 帰りがけ、彼らは汚れた服をまとった幼い娘を見かけた。彼女が足を引きずっているのを見て、普段おっとりとしたフェリーナの目付きが変わった。

「おい、おい! 困るねお客さん。その子はどうみたって西の地区の人間だ。すぐに追い出してくんな!」
 そう大声を張ったのは、宿の主人。居合わせた他の客が、一斉にライア達に非難の目を向ける。
「足を怪我してるんです。診療する間だけ、静かにして下さい。皆さんに迷惑はかけません」
 そう言ってフェリーナが譲らなかったものだから、宿の主人は困り果てた。
 そして、10分後。
「骨に異常が無くてよかったです。はい、これでもう、大丈夫ですよ」
 切りそろえていない赤髪を後ろでふたつに結んだ7つ位の少女は、くぼんだ瞳をぎょろりと動かして、警戒心をむき出しに、低く言った。
「あたし、金持ってない」
「んなの見りゃ判るケド〜?」
 刹那、少女の瞳に鋭い憎悪が宿った。
「あっ、おいどこ行くんだ!?」
 いきなり立ち上がって走り出そうとした小さな体を、ライアが抱き止めた。治療したとは言え、小さな少女の足は、走るにはあまりに痛々しい。
「帰る……っ!」
「まったく、貴様みたいな汚いガキを、誰が使うために拾うか。そうだろ、フェリーナ」
「え? あ――」
 ビゼスの言葉で、ようやく、フェリーナは少女が逃げようとした理由を知った。
「あの、落ち着いて下さいね? あなたから何か貰おうとか、何かさせようと思って、助けた訳じゃありません。私は医者です。目の前の人を治療するのに、理由はありません」
「お医者、さん……?」
 ほら、行けよ、と言ってライアが少女を放す。
 すっかり毒気を抜かれた少女は、虚勢で睨みを利かせながら、フェリーナ達をちらちらと気にしつつドアまで歩いて行き、去り際に背を向け、ぽそりと名乗った。
「……レティ」
 そしてそのまま、早足に出て行った。

「あんた医者だったのか!」
 よそ者に冷淡な主人が、それを知って態度を改めた。
「よもや、女の医者が居るとは思わなかったがね……いやいや悪かった。お医者様と先生様は無下に扱っちゃあいかんてのが、うちの祖母の言いつけでね。迷惑ついでにすまんだが……滞在する間だけでいい、この辺りの住民を、看てやってくれんか。ここじゃ、腕のいい医者はこぞって『上』に引き抜かれちまう。なぁ、頼む!」
「構いませんよ」
 フェリーナは2つ返事で応えた。が、すかさず強欲な悪ガキが言う。
「フェリーナは暇じゃないんですけどぉー」
 結果、ウィルは宿代をまける事を、狼狽する主人に頷かせた。

 その晩、リーティスはビゼスを個人的に呼び出した。
「なんだ?」
 冷たい言いようだったが、こうして応じてはくれたのだから、きちんと用件を伝えるべきだ。
 リーティスは意を決して、ビゼスの目を見ながら言った。
「お願い」
 頭を垂れる。
「――弟子にして下さい」
 瞬間、如何にも面倒な顔をしたビゼスだったが、ふと、何か思ったらしい。
 沈黙したビゼスに、リーティスが、恐る恐る、顔を上げる。
 愛想というものを知らないこの男は、にこりともせず、正面からリーティスを見据えていた。
「剣を教えろと言うのだな?」
 リーティスが真剣に頷く。それを確認したビゼスの口から、こう続いた。
「言っておくが、私は厳しいぞ。それでも、最後まで付いて来る気はあるか」
「……あります」
 リーティスの声は揺るがない。
 ここに来て初めて、僅かにビゼスの表情が動いた。
「――いいだろう」
 その目元に、不敵な笑みが浮いていた。

 本当は、すぐにでも怪物退治の現場である洞穴に向かう話だったのが、なぜかそこで、アルドのストップが入った。
「もうちょっと、様子を見てからにしよう」
「なんでだよ?」
 ライアは当然、誰かしらが反対するとばかり思っていたが、反論が出ないのを見るにつけ、どうやら、何人かは事情を察しているらしい。
 アルドは理由を明かしてくれなかったが、ここは、従った方が良さそうだ。

 単独行動は禁止。その鉄則を守りながら、リーティスはレイヤの外にいた。
 正面を見据えて、彼女は言う。
「もう一度――」
「待て」
 黒髪の剣士が言う。
「その前に、いま駄目だった理由。――解るか?」
「…………」
 鋭くリーティスを睨んでいたビゼスは、ふいと横を向いた。
「直す場所も判らんようでは、話にならんな。出直して来い」
 帰るぞ、と言って歩き出すビゼスの後ろを、剣を納めたリーティスが黙って歩いた。

 宿での昼食後、暇なメンバーはその場に残って雑談していた。
 暇人エントリーNo.1、今日も脳天に阿呆毛が元気のライア。
「なぁ。リーティスに剣教えてるって聞いたけど。俺にも教――」
「断る」
「はぁ!? なんだよ、いきなりそれか!?」
 呆れたように、ビゼスは息を吐く。
「貴様は、アルディスがいるだろう。そっちで習え」
 そう言われて、納得できるはずがない。
「ちょ――待てよ。リーティスだって、アルドに習ってる。それなのに、どうして俺は駄目って」
 ビゼスは、つまらないものを見るような目で語った。
「貴様には私の剣を教える意味がない。それだけだ」
「っ……」
 そこに、外野から野次が飛んだ。
「てゆーかあ、ライアって、もっと考えてからもの言いなよ? どっちかってと、おつむのほう、先鍛えたが宜しいんじゃないですかー」
「おんまぇ……どうしてそう、いちいち口挟んでくんだ!」
「反応が面白いからじゃない?」
「違うって姉貴。オレ、本当の事言ってるだけだかんね。それであっちが勝手に腹立ててるだけです〜」
「……。文句があんなら、最初っからそう言えよ――」
「んじゃ言うケド。あんまそば居ないでくれる? 馬鹿がうつるしぃ?」
 完全に嘲った目だ。ライアは、弾かれたように立ち上がって怒鳴った。
「あー解ったよ!! もう勝手にしろッ!!」
 出て行くライアを誰も止めなかったが、あとで、ウィリアが、いいの?と肩を竦めた。しかしウィルは動じない。
「頭冷やすには、丁度いいだろう」
 ビゼスが言ったところで、アルドがやって来た。
「――あれ。ライアいなかった? いいや。それより、ちょっといいかな。君に用事なんだけど」
「……私か?」

 店の看板を見上げてビゼスが言う。
「昼間から酒か? いい趣味だな」
 白々しい微笑に、アルドはこれまた白々しい笑顔だけを返す。……この二人が笑い合うと、正直、怖い。
 適度に奥まったカウンター席を陣取ってしばらくすると、マスターが声をかけてきた。
「お兄さん達、『こっち』の客だろう? どんなのをお探しで」
「ここいらで、化け物退治の依頼はあるか? 凶悪であればある程良いが」
「魔物退治ねぇ……強けりゃ良いって、お客さんも酔狂――」
 ふと、マスターは小さな丸眼鏡の奥の黒い瞳を細め、まじまじとビゼスを見た。
「って、アンタあん時の兄さんかい! つーと、あのイカした姐さんと、ボウズ共も街に来てんのかね。お隣さんは……初めての気がするが」
 やめやめ、とマスターは分厚い掌を振った。
「兄さん方が前に倒した怪物以上のバケモンなんて、そうそうお目にかかれるもんじゃないね。ついでに言うと、あれ以上の賞金がかかってる依頼で、今お客さんに紹介できるものは無いねェ……。どうだい、いっそ戦闘以外の仕事に鞍替えするかね?」
「いや、いい」
 素っ気無く断った寡黙な剣士に、根っからの戦闘狂という印象を得たマスターは肩を竦め、他の客の所へ去って行った。
 グラスの端に口を付けながらビゼスが声を落として言う。
「もしやと思ったんだが、化け物は復活はしていないらしいな……」
 アルドが頷く。
「でも、油断は出来ない――で、本題だけど。……『見られてる』?」
 ビゼスはグラスを置くまで黙っていた。それから小さく、ああ、と答える。
「今は、後ろのテーブルの栗毛の女だ。……レイヤに入ってから、四六時中見張られてる訳でもない。それに、その時々で相手も違う。どうも、私達に目をつけてるというよりは、余所者を監視してる複数の人間が居ると見たほうがいいかもな」
「――――……」
 難しい顔のアルドは、ふと視線を感じて左を見た。
 思い切り目が合ったカウンターの端の女性客は、はっとして、頭に被った布をすごすごと深く被り直した。その下から、はらりとひと房のダークブロンドが零れ落ちる。歳は、二十歳すぎだろう。一瞬合わせた瞳の色彩は、野に咲く菫だった。その横顔はヴェールに隠してしまうには余りにもったいなく、アルドは思わずため息を漏らした。
「美人なのに」
「美人だからだろう」
 美貌の女はこの街で顔を晒さないのが無難だ、とビゼスは軽く流した。審美眼はまともな癖に、うら若い仲間の娘達の事には全く無頓着な彼である。
 アルドは整った容姿ゆえ、女性から視線を向けられる機会が多い。ただ、ビゼスが指摘した彼らの背後の気配については、明らかに質の違うものと理解していた。一方で、カウンターの端にいた女性については。
(まぁ、ああもあからさまなのは、まず見張りじゃないけどね――……)
 アルドは、声量を普段の調子に戻した。
「ところで、リーティスに剣仕込んでるって? どうしたの、急に」
 にやりと人の悪い笑みを浮かべるビゼス。
「貴様が真面目に教えんからだ。稽古でも、手加減してたろう。フェミニストも大概にしとけ。あいつは私がもらう。お前はせいぜい、紅いヒヨっ子でも鍛えてやれ」
 返す言葉のないアルドは、苦笑するしかなかった。
 入り口近くのテーブルで、ウェイトレスが二人組みの制服の男に話しかけていた。
「ねぇ検事さん? この間の連続殺人、犯人は捕まったの?」
 今日も可愛いね、などと言って鼻の下を伸ばしながら、二人組の片方が言った。
「いぃや。調査は進んでんだが、犯人の動機がさっぱりでねぇ。被害者の3人ときたら、出身も職業もばらばらで……ああそう、赤毛ってだけ共通点なんだが、どうもこの事件、見えてこない」
「ふーん……」
 つまらなそうにした若いウェイトレスは、ぱっと笑顔に切り替わる。
「じゃ、何かあったら一番に私に教えてよッ。約束だからね!」
 会話は、ビゼスとアルドの耳にも入った。
「…………」
「…………」
 二人は、黙って顔を見合わせた。



 苛々する。いや、もやもやすると言った方が正しいか。
 宿を出てから、ライアは宛ても無く市民区域をぶらついていた。
「はぁ……」
 当分、戻る気にはなれそうにない。
(リーティスは良くて、俺は駄目。くそっ! どーなんだよ、どういう差別だよ!? そんなに俺、才能無いか??)
 城では第一王子の威光に迎合する者も居たが、そうでない騎士もいた。例えば、近衛騎士の古株、ベルダがそれである。彼はその昔、ライアに剣を教えながら言った。
『殿下は、お強くなりますぞ』
 あの屈託の無い笑顔を、今更疑う気にはなれない。
 ベルダの見込み違いでないとすれば、周りから認められない要因は、無意識のうちの自分の怠惰なのだろうか。
(よくわかんねぇ……)
 握った拳は、どんなに強く握っても、掌に爪を食い込ませるばかりだった。

「首尾はいかがですか?」
 落ち着いた声の主は、十台半ばのショートヘアの少女だった。
「上々♪ 仕込みはバッチリ。この調子なら、一両日中に、4人目と5人目は余裕だな」
 犬歯をむき出しにして、活発そうな青年が答えた。髪は、彼だけ目立つ朱に近い赤色だ。
 ゆるりと肘掛にもたれた妖艶な女が言う。
「んふっ。『5人目』の男の子は、ちょっと邪魔なお連れさんが居たけど、さっき、全員あたしの術に墜ちたわ。ついでに宿に居た他の人間もね。くすくす――これで終わりね」
「そうですか。くれぐれも、目立つ真似はなさいませんよう。あくまで我々は、隠密でなくてはならないのですから」
 奥に座っていた年長の男が、しわがれた声を発した。
「それで、一昨日発見した羽根の件はどうなった?」
「はい。潜入中の者に手分けして調査させましたが、結局、何も見つからなかったそうです」
 少しトーンの高い、気だるそうな男の声がそこに割り込んだ。
「僕達以外に、『あれ』に乗ってる人間が近くに居たかと思ったんだけどねぇ? ま、いっか。残念ながら援軍ではなかったけれど、レイヤに関しては、僕達だけでどうにかなってるからね」
「ええ。あのような羽根が落ちていたのは、きっと、どこかの山脈に、似たような翼を持つ魔鳥が棲んでいるという事なのでしょう」

 日が暮れる頃、アルド達は宿のカウンターに集まって、帳簿とにらみ合っていた。
「おかしいな……」
 アルドが珍しく、弱ったように呟いた。宿の帳簿を前に、他の仲間も首を捻っている。リーティスが頭を抱えながら言った。
「うぅん……ほら、フェリーナが診療する事になったから、一つ多く部屋取ったんじゃない? ……じゃ、なかったっけ……」
「おぉ、そうだ、そうだろう。やれやれ、わたしも歳だ」
 そう言ったのは、宿の主人。
「そう、ですよね。じゃあ、部屋にあった荷物は、今日診療に来た方の忘れ物ですね。取りにお見えになったら、ちゃんとお返ししないと」
「にしてもー、全員でド忘れとか、ほんと何だったんだろーね?」
 そこに、重い足取りで赤毛の少年が近づいて来た。浮かない顔つきのまま、怪訝そうに尋ねる。
「? どうしたんだ、みんなして」
「え?」
 リーティスがきょとんとする。
「あの――」
 言いかけたウィーロスも、周りの反応を窺って、言葉を飲み込んでしまう。
「どちら様ぁー?」
「……。あ〜解ったよ。今度はそういう手か。いい加減にしとけよ。他人の振りとか、面白くも何ともないからな――?」
 しかし、そこでライアも様子がおかしい事に気が付いて、息を詰めた。
「ごめん。君、何か勘違いしてるよね。どこかで会ったかな」
「……!」
(待てよ、アルドまでこんな悪ふざけに乗るとか――)
「あ。もしかして、この荷物の持ち主の方ですか?」
 フェリーナの言葉に愕然として、ライアはつられたように頷き、自分の荷物を手に取った。
(どうなってんだ――)
 と、その時、すぐ近くで爆炎が上がった。
「!?」
 数人の客の悲鳴。騒然となる中、立ち込める煙の向こうに、赤い髪の男性が倒れていた。
 煙が徐々に拡散し、うっすらとライアの姿を捉えた瞬間、カウンターの向こうの主人が鋭く叫んだ。
「捕まえろ!」
 炎系の魔法を使いそうな赤髪の人間は、被害者を除いて、ライアのみ。
 咄嗟に、ライアは逃げ出した。

 走って、走って、どうにか撒いたと思った時には、スラムに来ていた。
 通常なら、逃げるのは自分が犯人だと言っているようなものだ。しかし、今の異常な状況で、あの場に留まるのがベストだったとも思えない。
(くっそ――訳わかんねぇ)
 深く考える間も無く、今度は柄の悪い男達が現れて、ライアを取り囲んだ。
(……!!)
 数の絶対的有利を確信し、にやにやと嗤う彼らは、目で合図を飛ばし、一斉に飛び掛って来た。

 スラムの一角。5人の男が寄ってたかって、地面に倒れた人間を痛めつけていた。
 物乞いがチンピラに暴行されたり、酔っ払いが追いはぎに遭うのは常だ。だから、彼は最初、関わるまいとした。
 つい足を止めてしまったのは、男達の隙間からのぞき見た被害者の身なりが、明らかにスラムの人間と違ったからだ。服装からして、恐らくレイヤの人間でない。
「誰だ? ァあ!?」
 棒立ちの彼に気づいた一人の男が、凄みを利かせて近づいて来た。
「…………」
 彼は、男がある程度近づくまで黙っていた。そこでやっと、口を開く。
「誰と問われても、俺の店がすぐそこなんだが」
 近づいて来た男の後ろに、わらわらと仲間たちが集結する。近くに店がある。それなら、売上金を奪ってやろう。男達は揃って下卑た薄笑いを浮かべ、彼を見ていた。
 彼は、動かずに視線だけを男達に走らせた。そして小さく息を吐き、軽く地面を蹴る。――その僅かな間が、男達にとっての最後通牒だったとは、誰も夢にも思わなかっただろう。

 薄れる意識の中、ライアは見た。体に小さな何かが刺さって、ばたばたと倒れていく男達の姿を。そして、その向こうに浮かび上がったシルエットは、眼鏡が無い事を除いては薬屋の店主と共通していた。
 そこで、ライアは力尽きた。

 次にはっきりと覚醒したのは、スラムの裏路地だった。路地の先に、眠っているのか死んでいるのか判らない、家のない人の姿がぽつぽつ見える。緑の瞳の黒猫が、近くでにゃーと鳴いた。
「う、ぁ……っ!」
 少し体を動かしただけで、激痛が走った。手、足、背中、あばら。あらゆる箇所が、悲鳴を上げている。ただ、激痛を感じる部分のほとんどに包帯が巻かれていた。
 ライアは、必死でこれまでの事を思い出そうとした。……ここではなく、屋根のある場所で、誰かに治療されたおぼろげな記憶。それが誰だったか――それは、意識を失う直前に見たその影と一致した。
 『エトの店』。路地の向こうの看板を視界に捉えて、ライアは痛む体を引きずって歩き出した。

「――これで」
 ライアがカウンターに差し出したのは、最上の通貨である金貨一枚だった。
 もう生きては戻らない予感があって、金など持っていても仕方がないという想いが無意識下で働いたのかもしれない。釣りを要求しなかったのは、それ以外に、最低限とは言え傷の処置への無言の礼が含まれていた。
 店主がどういうつもりで処置を施し、再び裏路地に放置し直したかは解らない。彼の方にしても、自分が治療したとはおくびにも出さなかったが、治療したのは彼であるとライアは確信していた。
 眼鏡の店主は、底の知れない黒い瞳を光らせてライアを窺い見ながら、金貨と引き換えに、一包の包みを差し出した。
 それを受け取ったライアは頷き、薬を懐にしまって店を出た。

 そして、市民地区では。
「……どうだ? こっちは今、『6人目』のちび、ヤってきたぜ」
 押し殺した声。それは、身を隠しながら旅人の宿を見ることのできる物陰だった。
 暗がりの中で、筋肉質の巨体がのそりと動く。
「5人目の坊主か? ――帰って来てないな。最初の筋書き通り、スラムのごろつき共に身包みはがれて、今頃は死体置き場に捨てられてるんだろう」
「ああ。たっぷり金を積んでやった甲斐はあるってもんだ。オレがあんまり出ると、イーシャが良い顔しないからな」
「確かに、お前さんのその髪は目立つ」
「そりゃどーも。作戦上、染める必要があったんでね」
「結局、あの栗毛の女まで動かす必要はなかったな。……まあ、捜査をかく乱する意味では、役に立ってくれるだろうが。もう、あの女の方は見届ける必要もなかろう。我々も戻るか」

 夜も更ける頃、アルド達の所に事件が転がり込んだ。
「レティ!」
 リーティスが名を呼び、明らかに様子のおかしい少女に駆け寄った。彼女の住まいはスラムだが、ここまで歩いてきたらしい。だが、もう小さな子供の出歩く時間ではない。
「……医者だな」
 ビゼスが瞬時に判断してフェリーナを呼びに行き、その間、ぐったりとした少女を抱き抱えながらリーティスが話を聞いた。
「青い髪のおねーちゃん、お医者さんでしょう……。たす、けて……」
「うん。大丈夫、フェリーナはすぐ来てくれるよ――」
 言いながらも、リーティスは手遅れの予感がしていた。
 フェリーナが飛んできて処置をしたが、その甲斐虚しく、数分後、小さな体は冷たくなった。
 重苦しい空気が場を支配する中、レティの残した言葉が、彼らの胸に焼き付いていた。
「しらないおにぃちゃんが、たべものくれたの……。でも、たべたら、くるしくなって……」
「――! どんな人?」
「……。かみ、赤かった……」
 レティから見てお兄ちゃんと言うなら、行ってもせいぜい二十台前半に違いない。逆に、下はいくらでも低い事が考えられる。
 夕方に男性を殺害した犯人についても、詳しい事はまだ判っていない。だが、あのとき現場から逃げた赤毛の少年が最重要参考人である事は確かだ。
「このむすめをやったのも、あいつか――?」
 アルドは、判らない、と首を振った。しかし、その胸には着実に怒りの炎が宿っていた。
「遅くに、ごめんよ……」
「!!」
 そこに、栗毛の娘が訪ねて来た。何でも、昼間に酒場でビゼス達のことを見かけ、腕の立つ人間と見込んで、この宿を捜し当てて来たという。宿で殺された男性について、娘の口からこう語られた。
「殺されたのは、アタシの兄さんだ……。頼む! 金は出すよ、だから、現場から逃げたっていう連続殺人犯を、とっちめてやっとくれ……!」
 見たところ、目の前の娘と、昼間の男性の遺体には共通点が見出せないが、本人が言うのであれば、兄妹なのだろう。
 やれる事はやってみると言って、今日のところは娘を返した。

 アルド達は、夜のうちに動いた。犯人が遠くに行かないうちに、というのもあるが、レイヤに来てから時折感じる視線も、夜のほうが避けやすいだろうというのが理由だ。
「よかったのかい? 君達は、宿で待っていてくれても良かったんだけど――……」
 気遣わしげにアルドが言った。既に夜は深く、あと一刻もすれば日が替わる。
「いいえ。私でも、力になれる事があれば――……!」
 フェリーナは、小さなレティを助けられなかった事に責任を感じているようだ。一方で、リーティスなどは宿に残るのを気味悪がってついて来た。
 アルド達が全員で訪れたのは、例の薬屋。
 店仕舞いの後で押しかけた彼らに、店主は不機嫌に答えた。
「最近、毒を買ってった奴? ――おい、よしてくれ。俺は気に入らない奴とは商売しない」
 毒物など売っていない、というのが彼の弁だ。
「ここんとこ、客といえば、常備薬を買いに来たうちの常連だけだ。あんた達を除いてはな。……いや、それと、さっき『死神の薬』を持ってった赤毛の小僧くらいか――」
「その人、どこに行ったか判ります!?」
 青い髪の美少女が思いのほか強く出たので、さしも店主もぎょっとした。
「さぁな。俺は知らな――」
「北の、洞窟です……」
 怯えたような声の主は、店の手伝いの少女だった。店主に睨まれて身を固くしたが、精一杯、言葉を返す。
「マスターは、ひどいです……。あの人を、行かせてしまって……。わたし、何も出来ないですけど、あの人が行くの、ずっと見てました……」
 店主を恐れる少女は、緊張で青ざめてしまっている。けれども、人の命を左右する薬屋としての自覚から、彼女は精一杯の勇気を振り絞った。
「店を出てから、少しして……多分、そこで薬を使って……北の洞窟の方角に、あの人は消えました……!」



 彼らは月明りを頼りに、早足に北を目指した。
「前に、君らが怪物を倒したって言う洞窟に違いないかい?」
「ああ。他にないからな」
 前に来たことのあるメンバーが道を先導する。
「怪物は強かったけどー、洞窟に魔物はあまりいなかった気ぃするね?」
「そうだったわね」
 そうして辿り着いた洞窟は、岩の裂け目から月光が降り注ぐ、壮大な空間だった。時刻は丁度、夜半を回ったところだ。
 歩き出して数分。ビゼスがぴくりと眉を動かした。
「用心しろ。人の気配が近い」
 ウィーロスが無言で頷き、アルドを先頭に、気配に敏感な者が周囲を固める陣形で、慎重に歩みを進めた。

 洞窟の半ばで、天上の穴から零れる月明かりに照らされ、ゆらりと動いたのは、精気のない人影。月光が青白く顔面を浮かび上がらせ、人影を幽鬼の類に見せかけた。
 しかし、眼だけは死んでいない。薄明かりの中にあってさえ、それは、突き抜けるような紅(くれない)だった。
 左手には、指先近くまで包帯を巻いている。冷え込む外気に晒された顔と、袖からのぞく右手ばかりが、月光に青白く浮いて見えた。
 不快感、憤怒、戸惑い、嫌悪。沸き起こる不可解なごちゃまぜの感情を鎮めるために、アルドは敢えてゆっくりと言葉を紡いだ。
「やっと――追いついた――……」
 アルドがそちらに近づこうとした時、後ろからリーティスが声を投げた。
「待って! その、床の――」
「魔方、陣……!?」
 ウィーロスが驚いた声を上げる。……それもそのはず、見れば、それはラースで見たものとそっくりだった。違いと言えば、ラースでは鍵となったクリスタルが、その場には見当たらない事くらいだ。
「お前……」
 ぎりり、とアルドが歯噛みする。
「お前がっ、この術を仕掛けたのか!? 罪無きエストの人々を怪異に巻き込み、レイヤでは、術を壊せる炎を使う人間を消そうと、幾人もの人を殺めた――!! あんな、小さな子まで……ッ」
 激昂するダークブロンドの騎士を前に、俯いた赤毛の少年は、静かに言った。
「そっか……、それは覚えてんだ」
 安堵したように、寂しそうに呟く。
「俺の事は判んなくなっても、そっちの話は、覚えてるんだな。……よかった」
「何の事を言っている?」
 静かに訊いたのは、ビゼス。アルドほど感情的にはなっていない。この辺りは元の性格だろう。アルドは怪異に故郷を奪われた当事者であり、何より正義感の強さ故、人々を殺める悪を、許す事ができなかった。

 足元の魔方陣の上に散らばった細石が、青白い月光を反射している。――俺が、ここまで来て炎で壊した、クリスタルの欠片。俺は、命を狙われる原因なんてこれ位しか思いつかなかったから。だから、ここまで来た。
 俺は真正面から、俺を追いかけて来たみんなと対峙した。
「騙されんなよ……。おかしいのは俺じゃない、みんなの方だ。何があったか知んないけど、本当に、俺の事、思い出せないか……?」
「何を言っているの……? 覚えてるに決まってるじゃない!! 私達のところに来た時、赤い髪の男の人を、あなたが……っ」
「……!!」
 やり切れず視線を逸らすリーティスに、俺は、返す言葉を失った。
 正真、俺の存在はみんなの記憶から消し去られているらしい。おまけに完全に被疑者扱いだ。その事実は、思っていた以上にショックだった。
 その時、胸の前で固く手を握り締めたフェリーナが、一歩踏み出した。揺れる瞳の深い青は、冬の深海のように暗く悲しげだ。
「……貴方、ですか……? 薬屋さんで、『死神の薬』を買って行ったというのは――」
 俺はそっちで何が起こったかなんて知らないから、うっかりこう口走った。
「!? どうしてそれを」
 瞬間、アルドの瞳が据わった。
「やっぱりお前は……!」
 俺を見据えて、アルドは大剣を構えた。
「お前は、僕が――倒す!!」


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