「そっちだ! 気を付けろ」
 奥地での乱戦。戦闘中とは思えないビゼスの平静な声に、ライアが叫び返す。
「わーってる!! リーティス!」
「うん!」
 低空飛行で移動してきた魔物3体を、ライアとリーティスの刃が向かえ打つ。
「く、流石に、数が多いわね――」
 さしも魔女も息が上がりかけていたが、魔法の冴えは衰えない。
「っ。……こっちはあと2体。みんな、頑張ってくれ!!」
 地面から生えた巨大ミミズのような、うにょうにょとした魔物を大剣で両断しながら、アルドが声を張った。
 ウィーロスや後衛のウィル、フェリーナも、周りの動きに合わせて援護に入る。
「ビゼス!!」
 アルドの警告に振り返るが、既に眼前に大蟷螂の鎌が伸びていた。間の悪い事に、魔物に近い方の手には剣を持っていなかった。
 バリィッ!!
 刹那、電撃が蟷螂を貫いた。別の魔物と対峙していたウィルの仕業ではない。
「っ……、――う――」
 腕を突き出して魔法を撃った姿勢のまま上体を屈めたビゼスに、リーティスが駆け寄る。
「ビゼス? あっ……」
(目が、光っ、た……?) 
「だめ!!」
 咄嗟に、ウィーロスが腕を絡めてリーティスを引き戻す。
 ビゼスがゆらりと上体を戻すと、ウィーロスはあからさまにほっとした様子で、力を抜いた。
「? 何――?」
 状況が読めないリーティスは、訝しげに首を傾げた。



STAGE 26 time limit 〜処刑〜



「なぁ……結局あれ、何だったんだ?」
 戦闘後、魔物の気配が消えたのを確認してから、ライアが訊ねた。リーティスと組んで戦っていたライアも、瞳に金色がちらつく瞬間を目にしていた。
「眼のことか? ……色が変わるらしいな。あの状態では」
 珍しく沈んだ調子で、眉間に皺を寄せたビゼスが答える。
「今回は抑えられたが、意識が呑まれると、敵味方の区別が無くなる。私が雷を使ったら、決して近づくな。この目が金のままで、止められぬなら……構わず殺せ」
 ライア、リーティス、フェリーナが息を飲む中、アルドだけは厳しい目線で言った。
「そういえば、まだちゃんと話を聞いていないね。僕らとの対決の時にも使ったあの力、あれは――」
 返すビゼスの声も、いつも以上に突き放している。
「見たままだ。暴走状態では、身体的なリミッターが外れる換わりに、完全に意識が飛ぶ。理由は判らん。だが長い付き合いだ」
 ――そう、初めて雷の力を手にした、その日から。
 リーティスが、記憶の片隅から引っ張り出したその単語を口にする。
「バーサーカー……?」
 薬、あるいは魔術で、恐怖心や痛み、果ては理性までもを消して戦う戦士達をそう呼ぶ。彼らは殺戮者としては有能だが、薬や術の反動で体が駄目になったり、危険とされ味方に処分されるなど、総じて短命だった。
「私は、術にもヤクにも、世話になってないがな」
 短く息を吐くビゼスだが、嘘ではないだろう。バーサーカーならば、精神を侵されて、極端に陽気であったり、言動がおかしかったりするものだが、ビゼスについて、常軌を逸した行動は見られない。
「まあ、そこは疑ってないよ。ただ、言うんなら、早く言って欲しかったかな。君が、普段は魔法を使うつもりが無いんだとしても」
 アルドは、ビゼスが魔法を使いたがらないのを、薄々解ってはいたようだ。
 ビゼスはだんまりを決め込んで、背を向けて先を歩き出す。そこで仕方なく、連れの姉弟が心中を察して(勝手に)代弁してやるのだった。



 ライア達が補給のため立ち寄ったのは、鉱山近くの町だった。
 外出中、ウィルの不機嫌が気になったライアは、帰ってからウィーロスに相談した。
「嫌われてんのかな、俺? それとも、元からあんな感じか?」
 ウィーロスは、おっとりと返した。
「それって、いつから?」
「んん〜……鍛冶屋行った時だったか? それから、ぶす〜っとし出してさ。ちょっと剣見てただけなんだけど。そんで……そだ、俺があんま良くない剣取ったから、ビゼスが自分の剣と比べてみろ、つって――」
「判ったよ」
「は?」
 のほほんと微笑して、ウィーロスが述べた。
「焼き餅。本人には言わないでね。余計に意地張っちゃうから」
「え。なんで。あいつ、ホントは剣士になりたかったとか?」
「ううん、そういう訳じゃないけど。ウィル、兄さんを尊敬してるんだ。ちっちゃい時から、あんな強い戦士になるんだ、って、ずっと背中を追っかけてきたから。僕も似たようなものだけど、ウィルはそういうの、口に出さないし、背伸びして、無理に距離取っちゃっててね。だから余計に、想いは強いんだと思う」
「あ〜、なんかなぁ……」
(そういうタイプだよな、あいつ)
「で、ビゼスみたく強くもなくって、最近ふらーっと参入した俺が、ウィルが入っていけない剣の話とか始めちゃったもんで、マズかったんだな?」
「ぅふふ、甘いわね。話し相手取られたくらいで拗ねる程、あの子、子供じゃないわ?」
「どわ!?」
 台風到来。彼女はもはや、突如として降りかかる自然災害に類するものである。
「い、いつからッ!?」
「姉さん、立ち聞きとか趣味悪いよ……」
「あぁら、いいじゃない? 可愛い弟の事は、気になっちゃうものなのよ」
 ライアは抗議する。
「それで盗み聞きかよ。つか、絶ッ対、別の話題だって同じだったろ!?」
「――悪い?」
「ぅわ! 開き直ったっ!?」
「それで? 貴方はどー思ってんの。ウチの弟の不機嫌の原因」
「うぅん……割と、単純な答えだよ。ライア、信用されてるんだ。兄さんに」
「……へ? ……ごめん、何か俺、聞き違いしたかも……」
「嘘じゃないよ。剣、触らせてくれたんでしょ?」
 ウィリアは納得したようだ。
「あぁ、あの人頑固だものねぇ……。言っとくけど、他人には絶対、剣貸さないわよ」
「うん。そもそも、兄さんの言う処の『なってない人』だと、剣に指一本触れただけで、すごく怒る」
「マジかよ……」
「面白いわよ? 子供みたいに機嫌悪くなっちゃうんだから」
 くすくす笑う姉に、ウィーロスは気疲れしたように言った。
「笑い事じゃないよ、姉さん……。そういう時の兄さん、完全に殺気まとってるもん……」
 どうやら、不機嫌どころの話じゃないらしい。
 思い返すが、ライアが触った時は、何ともなかったはずだ。
「でも、よかったじゃない」
 と、ウィリア。
「鍛えて貰える見込みあり、ってことでしょ。最も、あの人が教えると、3日で半数が脱落して、一週間しても逃げ出さない子は、2割いないって聞くけど」
「あ、あはは……うん。僕も昔は、散々のされた……」
 喜ぶべきなのか? ――そもそも、本当に信頼されているのか。二人の話を聞く限り、疑念120%のライアだった。

 滞在3日目。出立前日のこの日、女性陣二人は、連れ立って通りを歩いていた。
「それでね、フェリーナ……あら、どうかした?」
「いえ。……あの人、昨日も……あんなに必死になって……」
「ああ、彼女」
 氷の女王の瞳が、冷たく細まる。
 昨日も、町の外れで見かけた女性。ヴェールの隙間から零れ落ちる、ウエーブがかった海のように蒼く長い髪。歳は、三十に届かないだろう。彼女はどこぞの異教徒らしく、人々に教えを説いていたところを、昨日は町の教会の人間に見つかり、厳重注意を受けていた。
 それでも懲りない辺りを見ると、よほど熱心な信者らしい。しかし、様子を見ると、盲目的に教義に邁進する、というより、切羽詰って、追い立てられるように必死に道行く人に声をかけているのだ。その姿は、子供が病気で、治療費を持たない母親が、誰かれ構わず、慈悲を求める姿にも似て、宣教師としては違和感があった。
「行きましょ」
 関わり合いを避けるウィリアに対し、フェリーナの青い瞳は、乱暴に撥ね退けられ、それでも追いすがろうとする異教の女性を見つめていた。
「何。貴方まさか、あの人助けよう、なんて言い出すんじゃないでしょうね。そういうの、おせっかいよ」
「ですが……」
 気分を害して斜め下を見ながら言いよどむフェリーナに、ウィリアは言い放つ。
「いいかしら。私達は、自分達の目的以外に、構っている暇なんてないの」
 フェリーナは、顔を上げて正面から魔女を見た。
「でもそれは、ひとを助けてはならない理由には、なりません」
 そこに、一人の医者の顔があった。フェリーナは踵を返すと、住民に石を投げられながらもその場に留って主張を続ける女性に、一人近づいた。
「あきれた娘(コ)」
 蔑んだような、それでいて負かされたような複雑な表情で、ウィリアは立ち尽くした。

 ……『時間がない。厄災がこの地を焼き払い、滅ぼしてしまう。だから、遙か東の聖地へ、共に』
「シューマツ思想ぉーってヤツ?」
 下の弟が飽き飽きと言えば、上の弟は考え込む。
「ミース教徒なら、前にも見たよ。……でも、そのときの子は、そんな事言ってなかったはずだけど――」
「宗教って、同じ源流でも色々宗派があんだろ? そういうんじゃないのか?」
 リーティスも身を乗り出す。
「フェリーナが見たのって、こう、大きな布を頭から被って、この位の、長い髪だった? 今朝、そういうひと居たけど」
「はい。その人です」
「私も見たな」
 ビゼスは相変わらずの自由行動至上主義だったが、町が広くないので、今回は行方不明の頻度が低い。どうやら、協調性皆無という訳でもないようだ。――果てしなくゼロに近いのだとしても。
「それよりみんな、ちょっと聞いてもらえるかな」
 そう言ってアルドが切り出したのは、周辺の事情だった。
 北西にジェタスという都があり、一帯では最大の軍事力を有している。騎士団が市民の安全を堅く護る反面、細部に至るまで王の定めた法で縛られており、不便な面もあった。
 その一つが、関所だ。
「目的地までは、どう考えても関所を抜けるのが近い。どうにか包囲網を縫ってって方法もあるだろうれど――ジェタスじゃ、かなり厄介な法律(きまり)もあるみたいでね。万が一、巡回兵に見つかったときの事を思うと、始めから許可をもらって関所を潜るほうが良さそうに思う」
 ライア達が抜けようとする関所まで、経路は3つ。いずれも魔物の潜む山林を歩く必要があった。どの経路が最良かは地図上では判別できないが、その前に、通行許可を受けるなら山林を少し迂回してジェタスに行かなくてはならない。
「エー、そぉんな悠長でいいの〜?」
「確かに、時間が惜しいな」
 ぼそりとビゼスが言い、アルドは頷いた。
「二手に分かれようかと思う。僕はジェタスに行くよ。手続きはできるだけ早く済ますように努力する。そうだね――……ビゼス、ウィリア――それと、ライア。先行して、関所までの道で、どれが一番良さそうか、様子を確認しておいてくれないか」
 3人が請け負うと、アルドはこう告げた。
「山林に入るところに、休憩小屋があるみたいだ。そこで落ち合おう」
 程なくして、アルドはパーティーを分けたこの決断を、後悔する事になる。



 絶対にやられそうにない人に限って、どうしてこう、いとも簡単に目の前から姿を消すのだろう。
 ライアは、仲間の一人が巨大な肉食植物の蔦に巻かれ、一瞬にして引き込まれて見えなくなったのを、信じられない思いのままでいた。
「ウィリ、ア……」
「馬鹿がッ!」
 ビゼスが、動きを止めたライアを罵倒して乱暴に腕を引く。
「待てよ! ウィリアが!!」
「だから何だ!? 見ろ、ここに居たら別のヤツにやられる!」
「ふざけんな! 離せっ」
「貴様こそふざけるな……!! 死にたいか!?」

 何本もの蔦を伸ばして攻撃してきた肉食植物は一体だけで、植物らしく、その場から追っては来なかった。
 追って来たのは、その場にいた他の全ての魔物たち――木立を住処とするキラービー(巨蜂)と、水辺の魔物、サギハン(半漁人)だった。
 それら全てを撒くのに、かなり走り回った。

 岩陰で、右肘から先を岩肌に付け、息を回復させながらライアが訊ねた。
「はぁ、はぁ……くっそ、どっち行きゃ、戻れる……?」
「戻る事は、考えない方が得策だな」
「な――!?」
 深く考えるより先に、ライアはビゼスに詰め寄った。
「今なんつった!? ウィリアはどうすんだよ!?」
「今更戻っても、手遅れなら、とっくに手遅れだ」
「……んだよ、それ……!!」
 どこからか、蹄の音が響く。木々の奥から現れたのは、通常の2倍はあろうかという、黒鹿毛の巨体。その背には、人為らざるモノが、矛を手に跨っている。
 ビゼスが、引きつった表情ながらに犬歯をむき出しに獰猛に呟く。
「ハッ……相当、ツイていないらしいな――?」
 デュラハン(首無し騎士)だった。ただし地方の伝承にある首無し騎士ではなく、伝承に似ている事から名付けられた魔物だ。乗り手は首無しの甲冑ではなく、変幻自在な影のような悪魔だった。
 馬の体格が並外れている以前に、乗り手の悪魔は魔法と矛を駆使してヒトを殺すため、出会ったらまず普通は死を覚悟する。
 ビゼスは、短く言った。
「雷を使う。追ってくるな。来れば――貴様も殺す」
 返事を待たず、ビゼスは岩陰から出る。ライアは歯軋りしながらその後ろ姿を睨み付け、振り切るように、ビゼスとは逆に走り出した。
(なんだよあいつ! 何でも好き勝手自分で決めて、あんな簡単にウィリア見捨てて、あんな奴――どうなったって知るか!!)
 ライアは、周りにもほとんど構わず駆け抜けた。

 足が、止まる。
 どれだけ走っただろう。それなりに距離は取れたはずだ。
 ――ヒトの声。
 極度の警戒の名残で、ライアは反射的に、息を詰めて姿勢を低くした。
 声の主は二人。会話の内容はよく聞き取れないが、どちらも壮年の男のようだ。
 そこに、やみくもに走る足音が近づいてきた。
「……ヨハン!? おい、どうした。ガルスのアジトの斥候は――」
 驚いたような声が、今度はライアの耳にもはっきりと届いた。
「たっ、隊長がっ……!」
 走り来た若者は、明らかに動転していた。最初からその場にいた一人が問う。
「隊長――? ラスタの奴が、どうした?」
 返事は、よく聞こえなかった。だが、それを聞いて残りの男達が色めき立った。
「本当か! 確かなんだろうな――」
 おいおいよせよ、と茶化すような口調だが、むしろ事の重大さに呆れているらしい。
「わからない……。けど、隊長は、奴が―の――だって……手勢数人だけ連れて、向かってっちまった! だから、早くジェタスから増援を――」
 ドクン。
 今、彼は何と言った?
「なら、こうしちゃいられねぇ。巡回は中止だ。急ぐぞ!!」
「おう! 本物の黒の疾風なら、死人が出るぜ……」
 男達が、去っていく。恐らく彼らは、ジェタスの騎士だ。
 人気が無くなったところで、ライアはふらりと立ち上がった。
「…………」
 胸中で、様々な想いがせめぎ合っている。
 『来れば貴様も殺す』ビゼスは言った。行くべきでない。行きたくもない。……そんなの、こちらから願い下げだ。
 とにかく今からでも、ウィリアを助けなくては。手遅れだなんて、諦めたくない。
 道をたどって直接現場に戻るか、それとも、仲間に知らせるのが先か。休憩小屋まで、どれくらいかかる。

 選べるのは一方。自分は、一人しかいない。
 仲間とはぐれた途端、これだ。自分の非力さを思い知る。

(冷静になれ。考えろ――今俺ができる事。ここからだと……)
 どの道、時間との戦いだ。こうなったら、少しでも近いものを選ぶのが吉だ。
 だがそこで、第三の選択肢が浮上する。
 今現在危機に陥っているのは、ウィリアだけではない。
(くそ……っ!)
 距離的に一番近いものを選ぶなら、ビゼスのところに引き返すのが正解となる。理性で解っていながら、ライアは心中で吼える。
(あいつ、あんな簡単に仲間を捨てたんだ……。戦場じゃ、きっとそれが正しい判断なんだろ。だけど俺は、それが正しいなんて思わない)
 何でそんな奴を助けなきゃなんない? 放っておけばいい。けど――……。
 わだかまりをぐっと堪え、意思を決める。紅い目が前を睨んだ。
(ここで戻らなきゃ、あいつと同じなんだよ……!!)
 しばらくすると、落雷の音が聞こえた。空は明るい。確かめて、じっと耳を澄ました。
(……。こっちか!)
 戦場は近い。
「!!」
「た、たすけてくれ――……」
 肩口からばっさりと斬られ、足どりの覚束ない兵士は、すがるように両手を前に伸ばし、恐怖に涙を浮かべながらライアに近づいてきた。
「あ、ぁりゃぁ……魔族なんかじゃねぇ、っ、バケモン、だ……っ!」
 叫び切ると男は、その場に倒れ、絶命した。
 ぞくりとする嫌な気配。目の前の兵士の血の臭い。
 心臓が嫌にうるさい。落ち着け。駄目だ、早く剣を抜かないと――殺される!
 ザッ!
 そこに現れた人影は、獣のごとく一瞬で飛び掛ってきた。

 ああ、刺したな。
 意識が戻りかけるとき、私はやけに冷静に思った。
 『戻れる』可能性が高いのは、瞬間でもオチた時、体力が限界の時、敵の殲滅後の3つだ。だから、今刺したのが最後の敵だったのだろうと、薄ぼんやりと思ったのだった。
 特に意識する必要もなく、そのまま自然に急所を抉り抜こうとした手が止まった。否、抉る寸前に『止めた』。
 刺したそこ自体は、かすめてはいるが急所ではない。剣を抜かずに、その体を地面に倒した。
 それを見下ろして、私は無感動に心中でそいつに吐き捨てる。
(何をしている)
 踵を返し、私はその場を離れた。



 兵舎の執務室。午後の日差しが注ぐその部屋は、貴族の屋敷に比べれば質素だが、兵舎にしてはインテリアに凝っていた。
 読み終わった書類を脇に除け、背もたれのある椅子に斜めに座って優雅に紙に何か書き付けていた男は、ペンを止めた。
「……うむ、なかなか良いできじゃないか? この詩を、きみに贈ろう」
 机越しに立っていた付き人の女性は、彼のこういった態度には慣れており、上等の微笑で優雅に受け流した。
 そこへ、けたたましくばたばたと足音がした。
「た、大変です! 副団長!」
「入れ。何事だ?」
 椅子に座った体勢は変えないが、声と表情だけが、打って変わって真面目になる。
 女性が脇に寄って道を空け、転げるように入って来た伝令は、部屋の中央で跪いた。
「申し上げます! ラスタ隊長以下数名が、黒の疾風と思しき魔族を発見し、ガルスの隠れ家偵察を中断して、開戦した模様!」
「なんだと」
 言いながら、彼は立ち上がった。
「それは確かか」
「はっ! ラスタ隊長は、戦死した叔父上殿に逃がされた際、一度きやつめの顔を見ております。故に、本物の可能性は高いかと」
「それは厄介だな……。確か、シュネギアで討伐に成功したとの報が入っているが、死体は上がらなかったな。報告のと、今回のと、どちらが本物でもおかしくは――いや、もしかすると、黒の疾風と認識された者は複数いて、どちらも本物という線もありか……」
 顎に手を当てた彼は、いくつか伝令に質問した。場所は。敵勢の総数は。それらを聞くと、彼は速やかに指示を出した。

「なぁおい、何で俺達は留守番なんだ……? 相手は黒の疾風だろう? 俺達みたいな前衛がえれえ少ない配置ってのは、うちの副団長様は、一体なに考えてんだ??」
「さぁねえ。ネルビス様にも、お考えがあるんでしょ」
 そう返したユールは、騎士団でも有望な若手だった。もう一人の若者は、半眼で彼を睨んだ。絶縁状態にある最悪の仲とは言え、隊長である実の兄が黒の疾風と接触したと聞いて落ち着き払っているユールが、彼には信じられなかった。



「リーティス! 慌てたってしょーがねーって!」
「慌ててない!」
 後続のウィルを振り向かず、リーティスは早足に進んだ。その声がどこか泣きそうなのを、本人は気づいていない。
 『黒の疾風が生きていた』――ジェタスで騒ぎを聞きつけて、休憩小屋で待たずに捜索に出た5人は、絶命した食肉植物の傍で、ウィリアを発見した。壮絶な争いの末の、相討ちだった。
 フェリーナが介抱すると、ウィリアは目を開けた。事情を知った彼女は、傷の癒えない体で弱弱しい笑みを見せ、後悔を吐いた。
「私のせいね……私が、油断して捕まったりなんかしたから……こんな事になったのよ」
 誰も、そんな風には思っていない。フェリーナとウィーロスを付けてウィリアを小屋に帰し、残りの3人が、引き続きライアとビゼスの捜索に当たった。
「! あれ、何」
 最初にそれを見つけたのは、リーティスだった。休憩小屋から大きな道をたどってここまで来たが、その道の端っこに、何か突き刺さっている。
 傍まで行ったリーティスが、それを無言で引き抜く。鞘だ。
 不安げな瞳で捧げ持った黒塗りの鞘を見詰めるリーティスの後ろから近づいたアルドは、リーティスも見たであろう、地面に刻まれた印を見た。
「…………」
 アルドの表情は険しい。子供でも判る単純な印――矢印。
「リーティス。それ、兄ちゃんの剣のでしょ?」
 いつもと同じやる気無しの声で、頭の後ろで手を組んだウィルは矢印の先に数歩歩き、リーティスを振り返った。
「行こーよ。なんか判るかも知んないし」
 頷いて、鞘を握ったリーティスも歩き出した。残ったアルドは、しばらく考え込んで、最後の最後に、歩き始めた。

(――あれ?)
 ここは、どこだったっけ。
 今まで、流れる水面に仰向けで浮いていた気がした――けれども、服は濡れていない。
 服。知らない衣服だ。だけど、それは不思議と馴染んだ。俺は、ふらりと歩き出す。
 着ていたそれは、形はガウンに近い。その割に、袖がやけに広くて、脇がすうすうした。色はスロウディアの染物で言う『縹(はなだ)』で、真っ直ぐな裾はくるぶしの上まである。足は素足だったけれど、地面の感触が、その時の俺には無かった。
 そのとき、懐から小さな光が零れ出た。無意識に両手を出し、淡い黄緑の光を包み込むように、左右から囲う。
 夕闇に舞うその虫を、知っていた。夏になると、スロウディアの近くの水辺にも頻出する。
(……蛍)
 気が付くと、視界にはちらほらと、幾つかの同じ光が見えた。
 俺がそれらに気を取られていると、両手の間にいた一匹が、すうっと飛び出した。その一匹を追うかのように、周りの光もゆらゆらと移動を始める。
 俺の脚は、知らず、蛍の群れを追いかける方向に向いた。
 すると、いきなり後ろから乱暴に襟を掴まれた。容赦無く後方に転倒した俺は、顔をしかめながら尻をさすり、背を向けて立つ目の前の人を、上目遣いに睨みつけた。
 後姿の短い黒髪が風に吹かれたかと思うと、俺の意識は、瞬く間に風に流された。

「ん……」
「ライア、大丈夫ですか?」
「フェリーナ? 俺……」
 身を起こす。胸部に痛みが走ったけれど、大したことはない。
「ねぇ、何があったの」
 リーティスの口調が妙に刺々しい。何か気に障ったのか。それとも、心配や不安を隠そうとしての裏返しか。
「何が……って、!! 聞いてくれ。ウィリアが魔物に――!!」
「私はここよ」
 知ったその顔に、安堵する。首を伸ばしてフェリーナとリーティスの向こうを見ると、見知った顔ばかりだ。そこで、俺は気づく。
 三途に逝きかけた俺の襟を、後ろから思い切り引っ張った奴。そいつの姿だけ、そこにはなかった。
 その後で、聞かされた。噂では、周辺に現れた黒の疾風は、ジェタスの騎士に捕縛された、って……。



 現場に着いたネルビスは、自ら編成した部隊の大半を占める、魔法兵に詠唱に入らせた。
(ったく、情報通り、あちらさんが単独(ひとり)で助かったぜ……!)
 自らは、たった3人の精鋭と共に、接近戦を仕掛ける。4人がかりでどうにか押さえ込むうちに、術の発動準備が整い、魔法兵の長が声を投げた。
「副団長!」
 その声に手で合図を送り返し、自らと3人の前衛を一斉に引かせる。残った黒の疾風を中心に、閃光が柱のように立ち上ったかと思うと、ラスタ隊を容赦なく切り刻んだ凶暴な獣は、彼らの手に落ちた。
 目標が完全に気を失ったのを確認し、部下達が拘束していく様を眺め、ネルビスはぼそりと言った。
「一度、あんたと本気でやってみたかったよ。けど、よ」
(俺に付いてくれた部下を、おいそれと死なせる訳にいかんのでね――)
 副団長に就任する前の、一介の騎士だった時分の彼ならば、間違いなく勇んで単騎乗り込んでいた。
 強敵と対等に剣を交えてみたい――疼くようなその欲求を抑えてまで、今回このような作戦に出たのは、一概に、自分が敗北した場合の後を思っての事だ。自分が倒れたなら、即席で編成したこの小隊は全滅する。副団長としての責任が、一人の追加犠牲者も出さずに事態を収める結果に繋がったのだった。



 アルドが、鞘に収まった一本の剣を差し出す。
「これが、ライアの側に落ちてた。――覚えは?」
 ライアは、首を横に振った。
「ビゼスの……だな。本当にあいつ――捕まったのかよ……?」
 ライアは、振り払うように小さく首を振った。
「……ごめん。ウィリアが襲われて敗走したとき、ビゼスともはぐれちまったんだ。それで、最初はウィリアのとこ戻ろうと思って――そしたら、途中で、ジェタスの兵士っぽい奴らが話してんの、聞いちまったんだ。黒の疾風が出たって。それがビゼスの事だったのかは判んねぇけど、とにかく、そっからビゼス捜さなきゃって思って、走り回ってるうちに、別の兵士達のいるとこに出て――で、そっから先、思い出せないんだ。俺、どうしたんだ? みんな、どうやってここまで……?」
 仲間達は一瞬言葉を失い、目配せし合った。

 フェリーナとリーティスがライアの話し相手を務めている間、他の4人は席を外して廊下に出た。
「どういう事かしらね? ジェタスの兵が、捕まえたあの人から取り上げた剣で、ライアを刺したっていうの?」
 姉の意見に、ウィーロスが困った顔で言う。
「でも、ライアの周りの兵士達はみんな死んでいて、鞘は街道に立ててあったんだよね? ますます解らないよ……」
「待ってくれ。もしかすると、ライアを魔族と誤認した可能性がある。ビゼスと一緒に居たところを、ジェタスの誰かに目撃されていたなら――……」
「それじゃあ、街道の鞘で僕達に居場所を知らせたのは、他にも仲間がいると思っての、見せしめってこと?」
「そうね、あり得るわ」
「残る謎は、あの兵士達か。ビゼスの抵抗の跡かもしれないけど、何か知ってるかと思ったライアが、あの様子じゃ、ね」
「え〜、嘘ついてんじゃねーのぉ? 覚えてないとかアヤシーって」
「「「…………」」」
 ウィルの投げやりな発言に、一同は沈黙する。
 考えられる可能性は様々だが、結局誰一人、結論には辿り着けなかった。
 そのまま3人が中に引っ込んでしまうと、廊下に残ったアルドは、ふっとため息をついた。
(さて……)
 壁に背を預け、斜め上を見ながら考えた。
(『覚えてない』のか、『覚えてない振りをしてる』のか――どっちかな)

 その夜のうちに、アルドは全員の前で方針を告げた。
「可能性は低いけれど、ジェタスに、掛け合ってみようと思う」
「あら、珍しいじゃない? アルディス。貴方なら、てっきり、あの人見捨てて行くのが『パーティーのため』って決断するかと思ったけど」
「そう? そんな事をしたら、君達姉弟の信用を失うのはもちろん、そこで僕を睨んでる二人と、フェリーナまで離れて行くんじゃないかい」
「にっ、睨んでねーよ!」
「そういう顔、睨んでるって言うけどね」
 苦笑しながら言って、アルドは、寂しげに告げた。
「人の絆って、案外もろいよ。不審感を募らせたまま先に進んでも、このパーティーは長く無いと見た」
 アルドはジェタスに掛け合うとした一方で、きっちりと条件を提示した。ビゼスがジェタスに捕まっており、まだ無事で居る場合、『穏便な手段のみ』行使可とする。それが不可能ならば、諦めろという話だ。
 リーティスが言う。
「で、でも、どうするの? 黒の疾風だって解ってて、ビゼスを返してくれるはず――」
「……そうだね。そこは、人違いだって説得するしかないように思うけど。黒の疾風だったら、僕らみたいな人間と関わりがあるのはおかしいから、説得材料がないこともない」
「上手く行くのかよ? ……つっても、やるしかないのか」
 アルドが頷く。
「ジェタスの兵力を考えるとね。彼らを敵に回した場合、最悪、僕達全員、一生を檻の中で過ごす事になるよ」
 それを受けて、ウィリアがしなを作る。
「なぁに? じゃあ、お姉さんがこの美貌で看守を落とせばいいワケ?」
「いや、違うと思う……」
 ウィーロスの控えめな突っ込み。その横で、ウィルがげーっ、と舌を出した。



 夜明けと共に、行動を開始した。日の出を待ったのは、相手方も警戒を強める夜間では、話もし辛いだろうと踏んだからだ。
 現地入りして、まず、昨日捕らえられた魔族の処刑が明日だという事を知った。ひとまず安堵したものの、時間はあまり無い。
 アルドの巧みな交渉の甲斐あって、会議室に通されたライア達7人は、副団長なる人物との面会権を得た。聞けば、昨日黒の疾風を捕らえたのは、彼の部隊だという。魔族を敵とし戦う者で、しかも現場を見ているとなれば、不用意な言動による失敗は許されない。
 皆が固唾を呑んで見守る中、背筋を伸ばし、いかにも副団長らしく自信に満ちた表情で入室してきた大男は、邪気のない声で言った。
「あんた達かい? ウチで捕まえた黒の疾風が人違いで、自分らの連れだ、って主張してんのは」
 副団長ネルビスはつかみどころの無い性格で、代表のアルドとしばらく討論が続いた。そして終いに、こう切り出した。
「ガルスって大悪党がここらに居てな。そいつを捕まえるのに、俺達もだいぶ苦労しているって訳だ。奴は、相応に頭の回るのも仲間に引き込んで、強力な武装集団を形成してるものでな。まあつまり、賊のカシラなんだが。そいつを捕まえたい」
 いきなり話題を変えられ不快を顔に出したアルドに、ネルビスは続けて言った。
「もし、日没までに捕らえられるなら、いま地下牢にいる黒髪の兄ちゃんは好きにしていいさ」
「待って下さい」
 発言者は、意外な事にフェリーナだった。
「たった半日で、突然そんな事を言われても――」
「そぉだろうなあ」
 ネルビスは、頭をかいて同情するように言った。
「けど、解るだろう? ラスタ隊を潰したのがあんた達の連れじゃなったにしろ、殉職した我が勇敢なる同胞たちは『黒の疾風』と戦って散った事になってる。それに、奴を捕らえたとしている俺達の世間体ってものもある。処刑日が明日の正午に決まった以上、今更『違いました』は通用しない」
 アルドが、ネルビスを見据える。
「では貴方は、そのガルスと、処刑されようとしている私達の仲間とを、入れ替えるおつもりなのですか」
「その通り。……半日って言うけどな、俺たちだって、これまで黙って手を拱いていたわけじゃない。どうにか、奴の弱点を衝く方法を探ってたんだが――決定打に欠けてな。あんた達が協力してくれるなら、今日中だって、無理な話じゃない」
「?」
 意味深な笑顔を向けられて、ウィルは首を傾げた。

 様々な取り決めがあって、その上で、ライアは保険(人質)として、ジェタスに残る事になった。メンバーのうち6人がガルス捕縛作戦に協力し、作戦を成功させれば、ジェタスに残った1人に連れを引き渡す、という約束だった。それだけ聞くとかなり胡散臭いが、ジェタスは列記とした法国家の都市で、むやみに人を拘束したり拷問にかけたりといった事を禁じている。そこを逆手に取って、最低限、残る者の身は安全と見なしたアルドは、条件を飲んだ。
 最も、アルドは最初、ウィーロスを指名するつもりだったが、ライアがどうしてもと言って聞かなかった。訝ったアルドは、どうしても駄目かな、と一対一で説得したが、ライアは首を縦に振らなかった。
「俺が、会わないと――」
 思い詰めた調子に、アルドはあやすように言った。
「『覚えてた』んだね。どうしたの、ビゼスは――暴走状態だった?」
 ライアがしょぼくれた表情で頷く。アルドにだけは、本当の事を話した。
「これで繋がったよ。ビゼスは、何らかのきっかけで正気に戻ったのかもしれない。でも、自分が騎士に追われているのをその場で悟って、君を治療出来ずに、その場に残した。……知ってた? この鞘は、わざわざ目立つ街道に立ててあって、君の居場所を知らせてたんだ。無理だと思っても、わずかな可能性に賭けたんだろうね……」
 アルドは、鞘に収まったビゼスの剣を、ライアに手渡した。
「いいよ、それなら残りなさい。ビゼスが無事なら、必ず連れ帰っておいで」
 ライアは、我侭を聞き入れてくれたアルドに感謝した。



 ――そして運命の夕刻。

 ウィルが、往来で腹いせのようにぼやく。
「なーっんかさぁ、もう少しで疵物になりそーだったイタイケな少年の硝子の心を癒すのに、慰謝りょーとか払ってくんないワケ??」
「悪いな」
 ネルビスが、人の悪い笑みを浮かべた。
「囮役ご苦労。あんた達のお陰で、大捕り物は無事終了だ。だが、ちゃーんと美少年好きの大悪党の手が及ぶ前に、救出してやっただろう。あと、約束は守るからな。赤毛の坊主と黒髪の兄ちゃんは、夜半を見計らって裏口から出してやる。で、悪いが、あんた達は早いとここの都市を去ってくれ」
 それには非難囂々だったが、ネルビスは譲らなかった。
「なにぶん、この都市は法の規制がな……。あんたら、髪の色も目の色もばらばらで、ここじゃ、ちと目立つ。外部の人間が関わったとなると、色々手続きが面倒なんだよ。お連れさん達には言伝しといてやるから、どっか外で落ち合ってくれや」
 不承不承、彼らは山林近くの休憩所を指定して、ジェタスを発った。

 協力者達を追い返した後で、ネルビスは執務室に一人の若者を呼んだ。
「お前に聞く。『魔族を恨むか』?」
 肘掛に立てた右腕に顎を乗せ、やや斜めにふんぞり返った姿勢で訊ねるネルビスに、机の向こうで直立したユールは、副団長に負けず劣らず食えない笑みを見せた。
「おや、副団長殿は、変な事を聞きなさる」
 ユールの青い目が、挑発的に、副団長たる男を射抜いた。
「僕が騎士になったのは、『正義を守るため』ですよ」
 ネルビスの紫の瞳が、興味深そうにユールの機微を探る。だが、ユールは不動の笑顔を貼り付けたままだ。ネルビスは、再び微笑みかける。
「そうだったな。お前に任せよう、ユール」
「はっ」
 ネルビスが手渡したのは、黒塗りの鞘に収まった、一本の剣だった。



 夜も更けた頃、現れた若者は、血生臭さを感じない、とライアを見てしきりに不思議がった。
「うちの偵察小隊、まるまる一個を潰してくれちゃった殺戮者が、一体どーやって、君みたいな血に染まってない仔犬ちゃんをたぶらかしたのかなー?」
 その言葉には正直カッとしたが、ライアは自制を保った。
 一方で、ユールは考えた。
(これは、ますます興味が湧いたね。黒の疾風……どんな奴だ?)

 松明を掲げるユールに先導されて、ライアは、かび臭い地下牢への階段を降りた。
 ビゼスが最後まで手にしていた剣は、まだ、ユールの手の中にある。アルドから渡されたもう一本は、ライアが持っていた。
 入り口の看守は、ユールの顔を見て、小さく承認の合図を返した。
 地下牢に降り立つユールの後ろに、周りを警戒しながらライアが続く。
 幾人もの罪びとが折り重なって眠る大きな牢を3つほど通り過ぎ、少し行ったところを右へ。続く小さな牢を4つばかり越した所で、ユールはひたと足を止めた。
 手持ちの鍵でユールが開錠すると、キィ、と耳障りな金属音と共に、鉄格子が開いた。
 石造りの壁を背に、両腕を頭上の鎖に絡め取られていた囚人は、顔の近くに松明をかざされ、まぶしそうに目を開けた。捕まってから、魔族を恨む兵士数人から腹いせに暴行を受けていたが、骨や内臓に及ぶけがはしていない。
 少し掠れた声で、彼は挑発的に囁く。
「――なんだ? 処刑を早める気にでも、なったか……?」
 ユールが、松明を動かして、暗がりにいたライアを照らす。
 彼は瞠目し、低く叱咤した。
「何をしにきた!?」
 ライアが口を尖らせる。
「助けに来たんだよ。……悪ぃか」
 ユールは周りに張られた魔法封じの解除にかかった。魔法封じさえ無ければ、ビゼスは、稀に資質で使いこなす者がいる空間跳躍の魔法で逃げる事ができた。
 ユールの行動を探り見ながら目を瞬かせたビゼスは、ライアに警告した。
「この期に及んで、私と関わるつもりか。またいつ、今回のような厄介事に巻き込まれるかも判らんぞ……? お前達とは、利害の一致で、ただ一時、共にいただけだ。――行け」
 それを聞いたユールが、目を細める。
「何かな? 僕が、君達の繋がりを証言して、まとめて処刑台に送るとでも――思った?」
「……黙れ。貴様、この馬鹿だけ連れて、さっさとここから出ろ……!」
 ライアが言う。
「アルドもみんなも、協力してくれたんだ。ここの人達とは、話がついてる。だから心配とか要らねぇって!」
 正気か?という顔で、ライアを見る。魔法封じを解除したユールは、手錠に鍵を挿してビゼスに言った。
「貴方は、存外まともなひとだ。本気でかかられたら、勝てる気しないけど」
 錠が外れて両手が自由になった瞬間、それまで血の巡りが制限されていた腕が、途端に重力に引っ張られる。ライアから剣を受け取り、自分のものとも思えない腕を、どうにかほぐす努力をしつつ、ビゼスが返す。
「お前一人ならな。だがどうだ。ここの砦の全兵力なら。私一人など、どうにでも出来よう」
 ふっ、とユールの口元が嗤う。
「なればこそ、でしょう。今はこうやって、貴方の仲間も居て、敵は僕一人なんですよ? 僕を脅して逃げ道でも確保すればいいじゃないですか。なのに、貴方は手出ししない」
 ユールは、背を向けて鉄格子を大きく開け放ちながら、息を吐いた。
「僕達に仇なす存在でないとさえ判れば、僕としちゃ、どっちでも構わないんですよ。貴方が、黒の疾風だろうが、なかろうが」
 そして没収していた剣をビゼスに押し付け、いかにも面倒そうに言った。
「さ、早く行って下さい。ぶっちゃけ、牢にぶちこみたい糞野郎は別にいるのに、いつまでも場所取られてちゃ、迷惑ですってば」
「変な奴だ」
 言い放って、横目でライアを睨んで続ける。
「お前もな」
「あんな……助けてやって、それかよ!?」
「だーから人の話聞いて下さいって! 早く出てけって言ってるでしょう!」
 2人を追い立てながら、ユールは見て取った。もしも自分が剣を抜けば、黒の疾風は、真っ先に自分が対峙できる位置を保っていた事に。ユールは思わず苦笑した。
(守るものがあるってことは、それが枷にもなる。とりあえず、仔犬ちゃんみたいのが居る限り、この男をマークしとく必要はなさそうだね――)

「『例えどんな極悪人でも、その命を奪って断罪する事、固く禁ズ。ただし、悪魔の尖兵なる魔族には、適用セズ』……と。これで、晴れて『黒の疾風』が『合法的に』処断される訳だ。実に喜ばしいじゃないか、ユール君」
「ええ、全くです」
 今日も今日とて、執務室にて、腹黒な二人の白々しい笑顔が交わされる。それにしても、今日はやけに、二人の表情がすっきりしている。
 昨夜、牢にぶち込まれたばかりの大罪人は、ニタニタと勝ち誇った笑みで、死罪禁止令を高らかに講じた。だがそれも、ひとたび罪状が読み上げられると、震え上がって冤罪を訴える、哀れな男に変貌した。
 ネルビスの配下に限らず、騎士達は皆、ガルスが何と言おうと、彼を『黒の疾風』として取り合わなかった。獄中でガルスが泣き喚く姿は、法規に縛られて悪人を裁けない身の上の騎士達の胸を幾分か、すっとさせた。
 ユールは、窓越しに青空を眺め、亡き兄に想った。
(ラスタ、あんた、兄としちゃ最悪だったよ。それでも一応、兄弟として仇を討つ機会を、ネルビス様は下さった――。なぁラスタ、黒の疾風(あのおとこ)がいつか、おれの中の正義に反する日が来るまで、かたき討ちはお預けだ。……口惜しいか? ざまぁみ、せいぜいそっちで、指咥えて見ていな)



 ジェタスを出て雑木林を抜けたところで、ビゼスは足を止めた。
「どこ行くんだよ。小屋って、こっちだったろ??」
 別の方角を向いて、ビゼスは宣言した。
「この先は、私一人で行かせてもらう」
「な……!?」
 肩越しにライアを振り向いて、ビゼスは言った。
「魔族(てき)の私が一緒では、またこのような事が繰り返されないとも限らん。旅の目的からして、遅延は致命的だろうが。ならば、私はここから別行動を取る。一人の方が、やり易い事もあるしな」
 思考するより先に、ライアは叫んでいた。
「そんな、いきなり何言い出すんだよ!」
 ビゼスは静かにうんざりと言う。
「何の文句がある。なにも死のうとしている訳でもあるまいに。私は、お前達とは別の方面から、怪異を調査させてもらう」
「どうして一緒じゃ駄目なんだよ……?」
「解らんか」
 ビゼスは冷たく言った。
「いや、解らぬから、私の警告を無視して来たんだろう。馬鹿が。暴走状態の私に、不用意に近づくと、死ぬぞ。独りなら、そんな余計な事は考えなくて済む。それに万が一だ、私が黒の疾風だ何だと騒がれたところで、別行動ならば、迷惑もかかるまい」
「そうかもしんねぇけど! ……行くなよ――」
 居待月の夜、静まり返る薄闇の中、こげ茶の瞳が鋭くライアを睨み付けた。
「貴様、本気で生まれた地を元に戻したいと考えているのか? 判断に私情を挟む辺り、およそ本気とは思えん。所詮、お遊びだな。第一、私の事など何も知らぬ癖に、仲間面して近寄るな……! 目障りだ――!!」
「……――じゃない……」
 地面を睨んでいたライアが、顔を上げてまくし立てる。
「遊びなんかじゃない! 本気だ!! 本気だから――お前の力が必要なんだよ……っ」
 その眼は真剣だった。
「それに、何も知らないとかゆーけど、そんなん、何から何まで知ってなきゃ、仲間じゃないなんて、誰が決めた? ……俺、知ってんだよ。ビゼスってすごい冷静そうに見えて、案外無茶苦茶で我侭だったり、ものすごい薄情かと思えば、実はそうでもなかったりするって……、そりゃ、理性が飛んじまう力の事なんて、俺にはこれっぽっちも分かんねぇよ。けど、十分だろ……? 協力し合うのに、全部知ってる必要なんてあるか!」
「フン……茶番だな」
 取り合う気配なしのビゼスに、ライアは真正面から本音をぶつけた。
「これから言う事、甘いって笑いたきゃ笑えよ。……俺、本気で、今いるみんなに死んで欲しくない。だけど、一人でみんなを守れる程、強くはないから――だから、協力してくれ。一緒に来て欲しいんだ。頼む!!」
 頭を下げるライアを前に、ビゼスはふと周りの茂みを睨んだ。
「……敵か」
 現れた魔物は、3体。夜で視界が悪い事を除けば、ライア達が圧倒的に有利だ。
 ビゼスがさっさと2体を倒し、ライアも1体を仕留める頃、ビゼスはある事に勘付いていた。常人なら絶対に気づかない所なのだが、如何せん、彼は『鋭すぎた』。

 夜更けになり、ぽつりとウィリアは洩らした。
「……もうあの人、帰って来ないかもしれないわね……」
 その言葉に、過敏に反応したのはウィル。
「どーいう事さ!? 姉貴!」
 ウィリアは冷静に答えた。
「考えてもご覧なさい? あの騒ぎの後よ。黒の疾風だと疑われてる以上、もうここには戻らない可能性もある――」
「っ――……!!」
 ウィルが小屋を飛び出そうとする。そこに素早くアルドが回り込んだ。
「通せよッ!! ……なんで、ばかライアなんかに頼んだんだ……任せておけるか――ッ」
「ビゼスが心配なのは解る。でも、今は駄目だよ。夜は危険が多い」
 ちくしょう、と毒づきながら押し退けようとする細い体を押さえながら、アルドも複雑な表情をしていた。
 その時、外の暗がりを見つめていたフェリーナが、人影を認めて青い瞳を見張った。
「ライア!」
「え、どこどこ?」
 リーティスも後ろから覗き込む。視力の良いリーティスは、すぐにライアだけでなく闇が保護色の人影も発見した。
 戻って来た二人が一同の妙な空気を察して怪訝な顔をしたので、ウィリアはくすくすと笑った。
「何でもないのよ。ちょっとした杞憂」
 それ以上気には留めずに、ビゼスは、仏頂面でライアの首根っこをつかんでアルドの前に突き出した。
「貴様に文句がある」
 ライアの背を、軽くアルドの方へ突き飛ばす。
「何でこいつを寄越した!? ――治ってないぞ……」
 目を逸らし、やってられんとばかりにぼそりと付け加えたビゼスに、ライアはぎょっとした。
(う、えぇえ――!? なんで……、そりゃ、ちょっと、痛いけど……どーやって気づいたってんだよ??)
 理解できない。アルドですら、気づいていなかった部分だ。
(まさか、さっき戦ったとき……?)
 そんな挙動は一切見せなかったはずなのだが。第一、ビゼスだって戦っていたのだから、ライアの方をそこまで気にする余裕はないと考えるのが普通だ。
「――本当? ライア、完治してなかったのかい……?」
「ご、ごめん……。大したこと、ねぇんだけど……」
「大した事なくても、ちゃんと診てもらう事。いいね」
 アルドから念を押されるまでもなく、笑顔のフェリーナがそこでスタンバイしている。大事無いと思って話さなかったのが原因だろう――笑顔が恐い。ライアは頭を下げて、こう言うしかなかった。
「はい…………慎んで受けさせていただきます」

「もしかして、兄さん、もう戻って来ないんじゃないかって、ちょっと心配してたよ」
「あれでしょう? 結局、ライアをここまで連れて来ちゃったので、改めて出て行くのも面倒、って――違う? ふふっ――図星?」
「…………」
 そっぽを向いたまま、面白くなさそうな顔のビゼスは答えない。
 ウィリア達が復帰したビゼスをおちょくる傍らで、ウィルは難しい顔で、自分の掌を見つめていた。倒れていたライアを発見した際、胸部を貫く剣をアルドが抜くのと同時に、治癒魔法を使ったのは、ウィルだ。
(治ってなかった……?)
 窓の外は暗く、風が強くなってきた。
 もう、今日は寝よう。ウィルは、小屋で一番寝やすい場所をさっさと占領し、猫のように丸まった。


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