STAGE 25 influence 〜生まれる絆、生まれる軋み〜



 フェリーナの結界にウィリアの術知識が加わったことで、野営における安全性はかなりの高水準にあった。それでも、不測の事態に備えて見張りを置いている。
 現在のところ、人里離れたところで寝泊りする場合、ライア達4人から1人と、残りの4人のうち1人が寝ずの番をしていた。残念ながら、まだ、お互いを信用しきっていない面が浮き彫りになった形だ。
 ウィリアは、少なくとも表面上は好意的で、敵意は感じられない。
 ビゼスは何を考えているのか、今一つつかめない。
 ウィルは気まぐれで、いつ態度を改めてもおかしくない。
 ウィーロスは義を重んじる性質のようだが、何かの時は、実の姉や弟につく可能性は強い。
 警戒を怠らない騎士のアルドは、今のところ内心でそう評価している。



 その晩の見張りは、夜更けまでリーティス、そこからライアと交替、であった。
 交替時刻の関係で、仲間を差し置き真っ先に就寝したライアは、夢の中で国王に即位していた。
 引退した母に替わって就いた王座に、疑念は無い。夢の中独特の、不可思議を不可思議と認識しない、その摂理だ。
 スロウディアに、魔族の軍が侵攻してきた。それを食い止めるべく、自分は懸命になって指示を出すのだが、やがて目の前に、魔族達が迫った。
 魔族の軍を率い、その先頭にいたのは、黒髪の青年だった。瞳はこげ茶。武器は、片刃の双剣だった。
『……覚悟』
 彼は、国王たるライアに剣を向けて言い放った。
 夢の中で、ライアは、必死に言い訳をしていた。
『違う! だって、スロウディアは戦争をしていない!!』
 しかし、魔族の青年剣士は聞き入れない。
『……だから、どうだというのだ? 貴様ら人間は、魔族を殺す。ならば、私達は、自分達の身を守るため、戦わなければならない――貴様は、人間を率いる王として生まれた、自身のその境遇を呪うのだな……!』
 彼は、動けないライアの頭上で、高々と剣を振り上げた。

「うわぁぁああ!!」
 自分の叫び声で、悪夢が途切れた。
 見ると、仲間達は寝静まっていた。
「どうした?」
「っあ!?」
 ライアは、本気で一瞬、心臓が止まるかと思った。
(っぶね……、危うく、叫び直すとこだった……)
 自分の胸を鷲づかみにした手は、じっとりと汗ばんでおり、心臓はゴトゴト鳴っている。
「?」
 ビゼスは、怪訝そうにライアを見た。
 不快な残滓を振り払い、頭をすっきりさせるために、ライアは大きく首を振った。
(あれは夢だ――夢で、よかった。俺、生きてるし。こいつ、敵じゃないし)
 勘違いに気づいてあからさまにほっとした様子に、ビゼスが眉根を寄せて言う。
「なんだ」
 怪訝な顔で首を傾げる。
「女子には言えないような、やましい夢でも見ていたのか? ――その割には、うなされていたようだが」
「……いいだろ、どうだって」
 ぶっきらぼうに言って、内心を悟られまいとする。……悟られる要素など、もとよりどこにも存在しないのだが。
(言えるかよ――? たった今、お前に殺されそになった、なんて。……縁起でもない)
「まあいいが」
 それきり、ビゼスはライアを無視するように見張りを続けた。『お前の悪夢になど興味はない』、そう全身で語っている。
 ライアはそこで、ある事に気がついた。
「リーティスは??」
「そこに居る」
 簡潔なお答え。
 ライアは、他の者を起こさないよう、極力『小声で』叫んだ。
「んなの見りゃ分かるって!!」
 見張り担当のリーティスは、なぜか寝こけている。ライアとの交替時間にはまだ早い。
「……見張りはどーしたんだよ……」
 げんなりと肩を落とすライアに対し、ビゼスが返す。
「私が寝ていいと言った」
「はぁ?」
 にわかには、信じられなかった。あの警戒心の強いリーティスが、信頼しきれていない相手の提言を、そう簡単に飲むだろうか。
 ライアが複雑な表情でいると、不意に、ビゼスが言った。
「私達が信用できない、か?」
「ま、待てよ。別に、そうは言ってな――」
 ライアの動揺を余所に、ビゼスは続けた。
「どうせ、そっちは夜半からお前と交代だったのだろう。心配なら、代わりにお前が起きていれば済む。違うか」
 何だか、馬鹿にされた気がする。お前一人が起きていたところで、大した差はないと断言された気分だ。
 そこで、こげ茶の瞳がひと睨みして、棘のある言葉が発せられる。
「しかしまぁ、日中は連戦だったからな。寝不足で足を引っ張ってくれるくらいなら、大人しく寝といてくれたほうが余程マシだぞ。見張りなら、一人でもできる」
「ばっ、馬鹿にしてんのか!?」
 邪険に返したところで、暖簾に腕押しであった。涼しい顔で無視するビゼスに、こいつには怒ったところで体力と気力の浪費と悟り、引き下がる。
「……お前は寝ないのかよ」
「今はな」
(…………。それだけか)
 どうも、質問に対しては、最低限のことしか返さない人種らしい。
 だが不思議にも、ライアは直感した。こいつは、無愛想だけど、疲れてる、とか、きついとか、そういうのを下手に隠しそうにない。今は見張りをできる状態だから、自分が見張る。それだけで、そこに、疑うべき裏はない。
 確認に、もう一度だけ問う。
「ほんっとぉーに、俺が見張り放置で、寝ちまってもいいって言うんだな?」
「二度は言わん。面倒な」
「……」
 このまま素直に寝直すのも癪だ。しかし、瞼は重かった。昼間に魔物の多い山林を通ったとき、後衛が増えた事もあり、ライアは散々囮役を買って出た。正直、眠い。
「わかったよ。じゃ、悪いけど俺、寝るからな!」
 その宣言に、返事はない。わずかに頷いたか、どうか。それきり、ビゼスはこちらのことなど視界に入っていないかのように、無関心に焚き火をつついていた。
 拗ねたように鼻を鳴らして、ライアは横になった。

 朝、鳥が鳴き出すまで――今度は、悪夢を見なかった。



 休憩に立ち寄った町で、物資補給と情報収集のために、数日間滞在する事になった。
 ここからローゼスまでは、馬を飛ばせば約1日の近さだ。以前ライア達が長期滞在の拠点としたシュネルギアからも、そう遠くない。

 町の外れには、クロッカスに囲まれた、こじんまりとした墓地があった。
 曇天の昼下がり、墓地には長身の美青年の姿があった。空色の瞳が見下ろす石碑に刻まれた名は……ジンガ=ローゼット。
 青年の背後には、整然と落葉樹が立ち並んでいる。その一本の木陰に、幹に背を預けた黒髪の青年の姿があった。
 ダークブロンドの美青年は、影のように佇む背後の存在に気づきながらも、振り向かない。
「――謝らんぞ」
 背後から投げられた言葉に、墓碑の前で片膝を付く美青年は、前を向いたまま答えた。
「……うん。謝られても、とても許せそうにないからね……」
 アルドのこんな顔は、多分、ライアでも見たことがない。彼は真剣に怒りながら、微笑んでいた。
 墓に眠るのは、かつて世話になった、兄貴分の先輩騎士。魔族からの挑戦に、彼は勇敢に挑み、そして散った。
 アルドは、周囲に他の人間がいない事を悟って、静かに告げた。
「あの人は、きみに……魔族に、殺されたんじゃない……彼は――戦争に、殺されたんだ……」
「…………」
 ビゼスはアルドの背を見ながら半分瞼を下ろし、それから、どこか遠くに視線を逸らした。



「じゃあ、行って来るわね」
 弟達に別れを告げ、冬物のコートを羽織ったウィリアは颯爽と馬車に乗り込んだ。
 まだ乗り込んでいないもう一人へ、居残り組の年長者が、愛想の欠片もない声で送り出す。
「留守は任された。安心して行って来い」
 アルドが含みのある表情をしたので、ビゼスが首を傾げる。
「何だ。何かあるのなら、正直に言ってみろ」
 一度目を伏せて咳払いをしたアルドは、大真面目に言った。
「ごめん。『すごく不安だ』」
 ビゼスが真顔で返す。
「なら、早く帰って来い」
「そうだね――そうするよ」
 この時初めて、アルドはかつての仇に微笑んた。――あるいは、苦笑だったろうか。

「あーあ、行っちゃったー。うるさいのがいなくなって、こっちはせいせいするけどさ?」
 姉の監視から解き放たれたウィルが言って、ビゼスが目を光らせる。
「騒ぎは起こすなよ、お前ら。一応、私は子守を押し付けられた立場だ」
「子守だぁ!? 何だよッ、お前だって、俺達とそう歳変わらんねーだろっ!?」
 ふん、と鼻を鳴らしてライアを一瞥。
「馬鹿か。貴様らの感覚で見る見た目より、長く生きてるのを忘れたか?」
 ビゼスがあまりに自分達と同じなので、魔族である事など忘れそうになる。
「そりゃ……、だからって、子供扱いしていいと思ってんのか!? 俺17だぞ!」
「ガキだろうが」
「〜〜〜ッ! じゃあ、そういうお前は幾つなんだよ!」
「知らん」
「はあぁ?」
「言わなかったか? 私は孤児だ。正確な歳なんぞ判らん。だが、少なくとも貴様よりは長く生きてる」
「あ〜、そうかよ……」
 額に青筋を浮かべたまま、ライアが返す。
 そこで、ウィーロスが本題に戻す。
「でも、慎重に行動しなきゃいけないね。丁度、どっちのチームもリーダーが出払っちゃったんだから」
 天候に恵まれ、ローゼスで何も問題がなければ、アルドとウィリアは最短5日程度で戻って来る予定だ。
「ふー。そだね。これって意外と、責任重大?」
 前屈みに腰掛けたリーティスが、足を前後にふらふらさせながら言う。
 そこに、ウィルのやる気の無い声が飛んだ。
「てかさぁ、にーちゃんが一番やらかしそうじゃないー?」
 ビゼスは動じず、真顔で返答。
「ならお前らが止めろ」
(おいおいおい……責任ゼロかよっ!?)
 こんな年長者で大丈夫か? 果てしなく不安に駆られるライアだった。

 思った通り、と言うべきか、ビゼスはそうそう気軽に雑用など頼まれてはくれなかった。
(ちっくしょ〜……)
 買出しは、当番製にした。そうでもしないと、このパーティーは上手く回りそうにないと、能天気なライアですら予感がしたのだ。
 だが、実際は――
(なんでだよ! なんで俺が2回やんなきゃなんねーんだよ! あー、くそ、腹立つ〜!!)
 結局ビゼスが捕まらなかったため、一昨日も担当したライアが今日も当番になった。市場からの帰りで、抱えた袋の中身は、主に自炊のための食料だ。
 ビゼスが姿をくらますのは恒例で、意図して当番から逃げた感じでもなかった。捜すのは至難の業だが、見つけたら見つけたで、説得は困難を極めそうだ。自身が適任の仕事なら割と簡単に引き受けてくれる癖に、誰にでもできる雑用となると『面倒だ』の一言でばっさり一刀両断のビゼスである。
 それを承知で捜そうとするライアに、仲間は非協力的だった。昨日当番だったリーティスは、『自分で捜せば?』という態度全開で、ウィルに居場所を訊ねても『さぁ?』しか返さず(実際、誰も彼の居場所を突き止められないのだろう)、厨房の手伝いに入っているフェリーナを巻き込むのは気が引けた。頼みの綱のウィーロスは、情報収集のため聞き込みに出てしまっている。
 そんな訳で、一人で町中探し回ってみたものの、集大成は、自分が抱えているこの荷物だ。
(どーして俺が……)
 リーダー不在で皆をまとめるのがどれだけ大変か。ため息の一つも吐きたくなる。
 帰り際、空き地に小さな人だかりが出来ていた。
(なんだ、あれ……?)
 ライアのように足を止める者もいたが、すぐに立ち去る者も多い。人だかりに埋もれてしまう小さな人影は、淡い灰紫のヴェールを被った、見たところライアとそう歳の変わらない少女だった。希望に満ちた明るい瞳と対照的に、落ち着いた声で人々に何か語りかけている。少女の間近にいる人々は熱心に聞き入っているが、離れたところには、冷やかしや野次と見える大人が多い。
「けしからん」
 突如ライアの後ろでしわがれた声がしたので、ライアは驚いて振り返った。黒い三角模様の入った緑の頭巾をかぶり、杖をついた小さな老婆だ。垂れ下がった瞼の下の瞳に映るのは――純粋な、怒りと憎悪。
「××神への冒涜じゃぁ……くわばら、くわばら……」
 身震いしながら去って行く老婆を見て、ライアは少女の喋っている内容に合点が行った。
(そっか、宗教か)
 ならば、興味がない。そう言ったなら、それこそさっきの老婆は、怒りに打ち震えることだろう。しかし、ライアの育ったスロウディアでは、自然の中に八百万の神が棲むと言われ、山には山の神が、川には川の神がいて、その神々を御祀りする。そんな風習の中で育つと、どうにも、唯一絶対神という概念には疎かった。
(つか、それよりビゼスだビゼス! あいつ、どーして見つかんないんだ……? 帰ってきたら、思っきし文句言わせてもらっからな!?)

 買い出しから戻って、第一声が、よもや全力の突っ込みになろうとは。
「遅かったな」
「なんで先居んだよ!!」
 あれだけ捜し回って見つからなかったビゼスは、先に帰っていた。
 向こうで、事情を知るはずのウィルが、バッカじゃねぇの、という眼で見ているから、余計にむかつく。
 そこにフェリーナが来て、瞳を輝かせた。
「あっ、ライア、ありがとうございます! ちょうど、この香草切らしてたろころなんです。助かりました」
(うっ……)
 これでは、怒るに怒れない。フェリーナが軽い足取りで調理場に引っ込んでしまうと、リーティスがぼそりと言った。
「もう、ずっとライアが担当でいいんじゃない?」
 わざとらしいウィルの声が飛ぶ。
「さんせー」
「だな。お前は無駄に体力が余ってそうだ」
「んだよそれっ!」
「でも、決めちゃったほうが、あれ、今日誰の日だっけー、なんていちいち考えるより、効率いいじゃない」
「そうかもしんねぇけど……じゃあ、そー言うリーティスは何やんだよ」
 うーん、と考えて、リーティス。
「フェリーナの手伝い?」
「うっわ、ビミョーに疑問形ぇ? てかさあ、リーティスが料理してんのオレ見た事ないよ?」
 あははは、と声を立てて笑うウィルを、リーティスが睨む。
「いいの! これでも、薬草の採取とか、木の実集めるのとか、結構役に立ってるんだから!?」
「まあ、いいんじゃないか、それで」
 言ったのはビゼス。ライアが半眼になる。
「案外、てきとーだな、お前……」
「そうか?」
 ウィルはどうするんだ、という質問に、ビゼスはあっさり答えた。
「財務管理だろ。ほっといてもその辺は姉かそいつが遣り繰りしてるからな」
「わかってんじゃん」
 と、ウィル。曰く、頭脳労働専門だそうで。
 基本的に金品は個人個人が持つが、共通費に関しては、ウィルが管理する方向で固まった。
 ビゼスは相談役という解るような解らないような役に落ち着いたが、どうしてこう、自分の『雑用係』とは決定的な響きの差があるのだろう、と、ライアは腑に落ちない気分でいた。
(そもそも、あいつに何相談しろって言うんだよ……)
 野戦暦も長いビゼスは、町の外での行動に関しては、確かに頼りになるだろう。だが、どう考えても気安く相談にのってくれそうな人柄ではないし、相談に行ったところで
『知らん』
(……とかゆーんだろ、きっと……)
 いちいち突っかかって文句を言うのももう疲れたので、放っておくことにした。どうも、アルドのようにきっちり決めて取りまとめる、というのは自分には上手く出来ない。
(俺、国が元に戻れば、いずれ国王だぞ……? いいのかよ、こんなんで……)
 王座に座っているだけのお飾りにはなりたくなかった。けれど、時々不安になる。現在(いま)でさえ、自分には、何かできているのだろうか、役に立てているのだろうか、と。
(くっそ……)
 前にリーティスに、人と比べたってしょうがない、などと偉そうに言っておきながら、自分だって、アルドの背中に追いつけないことを気にしている。
 上手くいかない。
 もっと、強くなりたい。
 せめて、明日は今日よりも、一歩でも先に進んでいる事を――……



「ここね」
 ウィリアの声に頷いて、アルドは彼女に先行して進み出た。
 前回ローゼスを発った際、身辺には細心の注意を払うよう言われている。そんなところへ、ウィリアを協力者として紹介してよいものか。行くと言ったのは彼女だが、彼女の身の潔白を証明するのは、相当の困難を伴う。
 議論は昨夜にまで及び、そこでもウィリアが折れなかったため、連れ立って状況報告に来た。悩んだ末での、決断だ。

 協力者です、というアルドの説明に、迎えた対策課の一同は顔色こそ変えなかったものの、仮面の裏の警戒が透けて見えた。しかしそこは十も承知で乗り込んだウィリアである。遠慮するどころか、笑顔でぬけぬけと言った。
「宜しくお願いします、皆さん。ところで――アルディスから聞きましたが、私も審問とやらは受けなくて良いのかしら?」
「そうですね、必要でしょう」
 ずばり言った若い同僚を、周りの仲間が咎めるような目で見た。実のところ、彼等はウィリアの存在にはかなり動揺していた。どう扱って良いのか、量り兼ねている、といった所か。
 アルドの反論。
「やはり、私の証言だけでは不足ですか」
 本音として、催眠による審問だけは避けたかった。もし、彼女が銀髪の魔女だとばれたなら――場合によっては、怪異の関係者であるより酷いかもしれない。
「いえ――場合によっては、そこまでする必要も――……」
 困ったように言いかけたメリルに、彼は機密保持に忠実であるが故に、猛然と抗議した。
「メリル先輩っ! だめじゃないですか、こんな事で……一人例外を作ってしまえば、そこから全てが崩れるんですよ!?」
 意見が割れたところに、ウィリアがその本性を発揮する。
「心配なら、首に縄でも付けておいた方が良いんじゃなくって?」
 からかうように細い手首を差し出すウィリアに、流石に課員達も逆撫でされた様子だった。
「ウィリア」
 アルドが咎めても効果なし。魔女の紫の双眸は、挑むように課員の一人一人を見ていた。
「できるでしょう? アナタ達ほどの魔法技師が集まれば。もっとも、つけるならマジックペイン級のでしょうけど」
 その言葉に青ざめた課員――確か、以前アルドの催眠を担当した青年だ――が言う。
「さすがに、ご協力いただいているアルド様のご友人に、そこまでの非礼は――」
 高度な魔法技術があれば、目標の人間に印を付け、その痕跡を追う事ができる。そんなトレース系の魔法にも様々なレベルがあり、ウィリアが口にしたのは、肉体に直接印を刻み込む、一生跡が残るものだった。その効果は半永久的に続き、印を付けられた部位を切り落とす事でしか、逃れる術はない。
「そう」
 ウィリアは、狩りをする肉食獣の如き冷たい様相で言い放った。
「けど、私、その位じゃなきゃ、自分で解呪しちゃうわよ?」
 カイ女史は、それまで壁に背をもたれて腕を組んだまま、具合でも悪いのか額に薄く汗を浮かべていたが、ここに来て、つかつかと靴音を響かせてウィリアの前に立った。
「ちょっと貴女」
 厳しい声で、カイが言う。
「いい加減にしなさい。人を弄んで、楽しい? 巧みに言葉を操って、私達の反応を試しているだけでしょう――何か、あるはずよ。ここに出向いた理由(わけ)が。率直に、それを言いなさい」
 ぴくりと繭を動かし、ウィリアは強気に言い返した。
「話の解るひとは、好きよ。ええ、そうね、回りくどいことは、もう無し。交渉に移りましょう」
 ウィリアは、最初から切り札を持っていた。それは、そう、ラースで見つけた術の写し。下の弟に書き取らせたそれと、今までに追ってきた怪物にまつわる情報。それが、ウィリア自身の提示した審問免除の交換条件だった。
「仕方ありませんね」
 そう言って応じたのは、メリル。他の課員達も、ウィリアの最初の出方でだいぶ骨抜きにされたらしく、表立った反論はなかった。
「ありがとう。穏便に済ませることができて、嬉しいわ」
「あっ、待って」
 思い出したように、メリルがウィリアの手首を捕らえ、失礼しますと断った。
 メリルが詠唱を呟くのを、ウィリアは黙って聞いている。いかにも落ち着き払っているが、その詠唱から、どんな呪文かは解っているようだった。
「っ!」
 魔法を受けた瞬間、ウィリアは静電気でも走ったかのようにメリルの手を払った。
 メリルが使用したのは、光魔法。魔力が反発する魔族には、下位の魔法ですら、立っていられない程のダメージになる。一方で、人間なら、一瞬痛覚を刺激される程度に留まる。
 自身の過失に戸惑ったように、メリルは前髪を押さえて言った。
「魔族では、ないですね。……ごめんなさい。変な予感が、したものですから……」
「――。いいのよ――」
 伏せていた面を上げて、メリルは後悔した。
 先刻まで、まるで、恐いものなんて知らない世界の女王のように振舞っていたそのひとが、ひどく寂しげに微笑していた。その紫の瞳に、底知れない哀しさを沈めて。
「ごめん、なさ、い……」
 口元を押さえ、擦れた声で、メリルは謝った。瞳が、後悔に揺れている。彼女は、気づいてしまったかもしれない。銀色の髪。傷ついた眼をするその人が、誰なのかを。或いは、何を抱えて生きてきた人間なのかを。

 約束通り、彼らはウィリアに催眠をかけて自白させることはなかった。
 それに応じて、ウィリアが情報を開示した事で、事態は思わぬ方向に進展した。課員達にとって、そして、ウィリアとアルドにとっても、導き出された推論は衝撃だった。
「……これは、悠長に構えている場合では、ありませんね」
 メリルの声は、硬い。対照的に、カイはさっぱりしていた。
「やるしかないじゃない。何のために、私たちがいるのよ?」
「そうですよ、僕達なら、やれます。……あ、いえ……無論、アルディスさん達のお力添えがあってこそ、ですが。皆さんには、かなりの難題を課すことになりそうですが――どうか、お願い致します! この通り」
 真剣な顔で頭を下げたのは、後ろで髪を結んだ技師のカーラ。
 アルドが答える。
「分かっております。私達でできる事であれば、どんな事でもお力になりましょう。ですから、解析と、バックアップを宜しく頼みます」
「ええ。お約束します。できる限りの事を」

 最後に、アルドだけが呼び止められた。カイから、個人的に。
 カイは、単なる魔法学の権威ではない。彼女自身、類稀な魔力と素養を持っており、魔力の強い者を見抜ける。その点ではメリルも近いが、メリルは、カイのように魔力で人を『視ない』。メリルは心理学にも通じているため、どんな相手でも、魔力ではなく人としての部分を視る。だから、カイとは決定的に違う。付け加えるなら、境遇も。
 人払いをした廊下で、彼女は、額を強く押さえて苦しそうに言った。
「弟が居たの」
 唐突に、告白した。カイには3つ違いの弟が居て、戦争で出兵して、そのまま戻って来なかった、と。
「後で聞いたのよ……魔女に、殺されたって」
 怒りを湛えた彼女の表情は、しかし、今にも泣き崩れそうだった。
「魔女?」
 アルドが、冷静に聞き返す。折れそうな女性がもたれる腕さえ貸しながら。
 カイが頷く。鋭角に切り揃えたショートカットが、頬の横で揺れた。彼女は、必死にアルドをの瞳を覗き込んで言った。
「聞いたことない? ――銀髪の魔女。とても恐ろしい力を使う、残虐な、人間(わたしたち)の敵。その女に、何人もの人間が殺されているわ」
「そうですか。弟さんの事は、お気の毒でした。――でも、聞いて下さい。一年ほど前、その魔女は、討伐されました」
 カイはどこかを見つめながら、震える声で言った。
「そうね……そう聞くわ。ねぇ、貴方のお連れさん」
 カイが、気力を振り絞って核心に触れた。
「貴方は、審問を受けさせたい雰囲気じゃなかった。気のせいかしら。審問を受けさせるのが、一番の潔白の証明だって、知っていたでしょうに。何か、知っているのではない? 違う??」
 アルドは、この聡明すぎた悲しき女性に、答えを与えなかった。
「ウィリアには、弟が二人います。残されたたった2人の肉親を守るために、彼女は戦ってる。今も、昔も」
「ふ、ぅっ……」
 怒りに顔を歪ませ、アルドに背を向けながら、もう行って、とカイは言った。
(弟がいる? だから?? 同じな訳ない。だって、私には、『もう居ない』――!)
 誰もいない廊下に、想いの遣り処もなく、食い込むほど壁に爪を立てるカイの嗚咽が響いた。
 そして、廊下の曲がり角の向こう、カーラは一人、やるせなく宙を見つめた。



 すっかり『雑用係』で通ってしまっている今日この頃、頬杖を付きながら机に向かっていたライアの背後で、ノックもなしに戸が空いた。
「あれー? 兄貴、居ないの〜?」
 猫が勝手に部屋に入ってくるようなものだ。そう考える事にして、すぐには振り向かなかった。
 細い手足の華奢な銀髪の猫は、背後に立って机を除き、紫の瞳を冷たく細めた。
「うっそ、もしかして字とか書けちゃったりー?」
 ウィルもウィリアも読み書きができるが、彼らの環境では、むしろ少数派である。
 やおら振り返ってライアが訊く。
「お前……俺の事なんだと思ってる?」
「え?『馬鹿』」
「ん、の、なぁ〜!? スロウディア城下は、これでも識字率高いんだよ!」
 言って、再び背を向ける。
「冷やかしなら帰れっ」
 すると、ウィルのあとからひょこり現れた影が背後で言った。
「ふーん。せっかく、フェリーナがケーキ焼いたから、知らせにきてあげたのに。行こ、ウィル」
「え? 何、待てよっ!?」
 ウィルとリーティスはどこか似通うところがあるらしく、気が付くと、二人して連携攻撃を仕掛けて来るため非常に厄介だ。もっとも、標的は専らライアだったが。
 追ってライアも席を立つ。ケーキに釣られてしまう自分も不甲斐なかったが、フェリーナの作る食べ物の大半は、食べ逃すのにあまりに惜しい。

 そんな訳で、お茶会会場。
「いっただっきまーす」
 早速取り分に食いついたウィルに、子供みたいに笑う事も出来たんだな、とライアは思った。
 全員揃っていない事を気にして、リーティスが控えめに言う。
「ねぇ……結局、ウィーロスとかいいの?」
 もごもごと口にケーキを詰めながら、ウィルは答える。
「いーの。兄貴なら、時間になれば帰ってくるし、兄ちゃんは捜すだけ無駄だし」

 その頃、町では。

「…………」
 厚い掌にちょこんと乗った髪飾り。それは、淡い赤紫の石を、金色の金属で縁取ったものだった。
 ウィーロスは、拾ったそれを裏返し、文字が刻んであるのを見た。しかし、残念ながら彼は字を知らない。学は無くても兵隊にはなれたし、魔法が使えず、当時は特に体格も目立たなかった彼が、読み書きよりも、一刻も早く一端の戦士になるために体術の鍛錬を優先したのは、至極当然の境遇だったと言える。
 だが幸いにも、記憶力は確かだった。しばし、記憶の糸を手繰って答えに行き着く。
(そっか、いつも、広場なんかで布教してた――……)
 名前は知らない。けれど、その語りを聞いたことはある。歳は、自分と近いだろう。
 彼の足は、自然と彼女の気配を辿った。
 昔から、人を捜すのが得意だった。何となく、その人柄から、居そうな場所を予測する。それは、自覚の有無に関らず、一種の才だった。
 周りが捜索に音を上げる人物だって、彼には関係なかった。
『よく、見つけられたな』
 そう言って、兄代わりのその人はよく微笑した。微笑といっても、ほんの僅かばかり何かが緩んだような気がする、という程度だが、ウィーロスは、その判り辛い感情変化を取り違える事は、まず無かった。
(あ。あの子だ)
 フェリーナと同じ髪と目の色。声をかけると、何か御用でしょうか、と言って屈託のない朗らかな笑みをウィーロスに向けた。
「これ、きみのじゃない?」
 少女は反射的に自分の髪に触れ、そこに触れる物が無い事に気づく。
「! まあ、本当です。心優しい方。どうも、ありがとうございます」
 たおやかに頭を下げると、貴方にミース様のご加護を、と口の中で呟いた。

 レンガ積みの壇の淵に腰掛けて休憩していた少女の隣で、いつしかウィーロスは、彼女の旅の話に聞き入っていた。聞けば、14歳以上の者が各地を廻るのも、ミース神に仕える者の一つの修行なのだと言う。
 初めこそ教義には触れようとしない彼女だったが、ウィーロスに問われて、仕えている神の話をする時、自慢の親兄弟の話をするかのように、はにかみながら、嬉しそうに話をした。
 ウィーロスには、相手の心を解す雰囲気がある。そのせいだろうか、話に熱中していた少女は、うっかりこう口走った。
「我らが父、ミース様の見守られる理想郷は、人間も、魔族も超えたところにあるんです。誰もが、差別なく暮らしてゆける場所。それが……」
 少女は、はっとしてウィーロスを見た。急速に青ざめ、それまでとは打って変わって早口に、硬い声で言った。
「い、いえ! その……違います。魔族こそ、この世の悪の権化。現存する罪そのものです。けれども、その魂が浄化されれば、ミース様は等しくお救いになられ――」
「大丈夫だよ」
 青い大きな目が、ウィーロスを凝視した。そこには、警戒の色が残っている。
「僕は、そういう話、平気だから。全部がぜんぶ、魔族が悪いんじゃないって、そう思ってる」
 少女は、不思議なものを見たように、まじまじと顔を見て、それから、小声で、少しだけ打ち明け話をした。彼女は総本山の出身なので、ミース神の真の楽園の話を知っている。しかしそれは、魔族と人間を等しく扱う時点で、今の世で反感を持たれる事は明白だった。だからこそ、総本山で奇跡の神ミースへの絶対の信仰を明らかにした、敬虔な信徒だけが真の楽園の事を知らされ、表向き、魔族は悪、という名義を掲げながら布教活動をしているという。
「――大変、だよね。そりゃあ、今も、戦争、してるから……。あ、僕、もう行かないと」
 長居してしまった。少女に別れを告げて立ち去ったウィーロスは、通りで見知らぬ女に呼び止められた。
「ちょっとそこのひと」
 黒の帽子に、ぴたりとしたラインの黒のロングドレス、白の手袋。色付き眼鏡と赤い口紅が顔の印象の大部分を占め、その姿は富豪の未亡人を思わせた。
 きょろきょろと周りを見たが、名指しされたのはどうやら自分に違いない。
 年齢不詳の女の後ろに、猫背の大きな体躯の男が控えている。みすぼらしいぼさぼさの髪と髭。使用人だろうか。
「この町で一番いい宿に案内なさい?」
 いきなり命令され、面食らった。お人好しの彼は、頼みごとならまず断らない。しかし、この場合、わざわざ自分に声をかけた理由が判らなかった。
 視界の隅でもあらかた人の動きが見えるウィーロスには判ったが、この婦人は、なぜか真っ直ぐ自分を目指して来た。途中、幾人かの住民とすれ違ったにも関わらず、だ。
 使用人とおぼしき男が婦人に耳打ちしたが、婦人は首を横に振り、男は肩を竦めて引き下がった。婦人が、今度は宿の名前を言い、そこまで案内するよう言った。
「はぁ――こちらです」
 場所は知っていた。何の悪ふざけか、自分達の泊まる宿だ。決して高級ではない。
 先導しながら、違和感の取れない彼は、唐突に気づいて振り返った。
 察したらしいウィーロスの顔を見て、厚化粧をした婦人の目元が、嗤った。

「なんだよそのカッコ!!」
 ライアの叫び。
「舞台役者でも目指すつもりか?」
 ビゼスの冷ややかな発言。……彼だけは変装に騙されず、第一声が『誰だ?』でなかった。婦人を見た瞬間こそ判らなかったようだが、使用人に目を遣り、しばらく首を傾げてから、『何だその格好は?』と訊いた。曰く、気配で判ったとか。ライアには信じ難い話だった。身なりを変え、声を出さなかった上に、普段正しい姿勢まで崩していて、判るものだろうか。
「んん、いや、ね……」
 付け髭を外し、ぼさぼさに乱した髪を手櫛で撫で付けながら、帰ってきたリーダーが弁明した。
「ラースといい、ローゼスといい、監視されてる可能性が高かったんだ。だから、帰りはこの格好。万一、僕らがつけられでもしたら、事だろう?」
「しょーじのメアリーさんて感じ?」
 ウィルの発言に一瞬固まり、アルドはフォローした。
「え? ……ああ、そうだね、『壁に耳あり障子に目あり』かな」
「ナニソレ?」
 きょとんとウィルが聞き返した。とぼけている風でもない。
「何って、諺だろ?」
 ライアが言うが、今度は、彼の兄と姉まで考え込んだ。彼らは顔を見合わせ、
「知らないわ?」
「うん……『ショオジのメアリーさん』なら分かるけど……」
「お前ら……」
 額を指でぐりぐり押さえ、壁際でうんざりと呟いたビゼスに、アルドが目ざとく言う。
「何? 君は、事情を知ってそうだけど?」
 長いため息が、返事になった。

 あるところに、ショオジという地方があった。そこに住むメアリーさんは、三度の飯より噂話が好き。少女の頃から、暇さえあれば、誰かを相手に喋り続けていた。やがて亡くなったメアリーさんは、幽霊になって、隠れて人の噂を仕入れては、風に乗せてそれを広めるのだとさ。だから、誰も見ていないようでも、油断してはならないよ、というのがオチの教訓。
「ってのがぁ、オレ達の聞ーたハナシ?」
「――よね」
「うん」
 頷き合う姉弟に、ビゼスは言う。
「確かに、かあさんは勘違いして、間違って伝わった逸話が正しいと信じていたな。しかし貴様ら、昨年とかスロウディア地方に潜伏していたろう!? そのあいだに間違いと気づかなかったのか?」
「エー。だって、諺なんて、そーそー使わねーじゃん」
 ライアが、本来の諺と、障子の説明をして、スロウディア地方ではたまに間仕切りとして使うのだと教えた。
 顎に人差し指を当て、上を見ながらフェリーナが言った。
「そういえば……うちの診療所にもありました」
 昔、弟と二人で遊んで穴を開けたところ、当時まだ在宅だった両親から叱られたそうだ。
「フェリーナにも、そぉいう時代があったのねぇ」
 感慨深く言ったウィリアに、フェリーナがはにかみながら答える。
「はい……。本当に小さかった頃は、悪戯をして、よく、お姉ちゃんに怒られました」
 家族の話をして、一瞬、表情にかげりがさす。しかしすぐに、フェリーナは笑った。
「あの! ケーキ焼いたんです。まだ残ってますから、お二人とも、座って待ってて下さい」
 ぱたぱたと退室するフェリーナを追って、ライアも席を立つ。
「あ! 俺も手伝う」
 言いながら手近にあった細い手首を引っ張る。
「ちょっと、どーして私までっ」
「いーだろ。俺らもうさっき食ったんだし。手伝いくらいして、ばち当たんねぇって」
「むぅ……」
 出て行く二人を目で追い、相変わらず冷めた瞳のウィル。人の心の痛みが解るが故、沈鬱な表情のウィーロス。もともと孤児で戦場暮らしが長く、殺伐としているビゼス。
 出て行った3人が戻って来る前に、アルドは静かに言った。
「よく、頑張ってるよ。あの子達は」
「『子達』なんて扱いじゃ、きっと、今に抜かれちゃうわよ?」
 探るような眼差しで、ウィリアは黒い帽子に納めていた銀髪をばさりと下ろした。
「うん。でも、追い越してくれる位じゃなきゃ、この事態、きっと乗り越えられない」
 アルドの瞳は、真剣だった。

 夜、寄り集まった8人は、身辺を警戒しつつ、ローゼスで浮かび上がった仮説の話を議論した。
「くそが……!」
 苛立ったように吐き捨てたのは、ビゼス。彼らにとっても、怪異は他人事ではなくなってきた。ウィーロスの表情も険しい。
「まさか、そんな事になってるなんて……。間違いはないの、姉さん?」
「残念ながら、ね。今までの解析なんかも見せてもらったけれど、流石に彼らは玄人よ。観測者や分析官の間違い、という事はなさそうね」
 ライア、リーティスも黙考している。対策課で導かれた推論が正しいなら、事が大きすぎる。
 エストの怪異。どうやら、それだけでは済みそうにないのだ。
 ウィリア達が巡ってきた旅路の中で、怪物出現の噂を聞いたのは3箇所。うち一つは深い山中で、たまたま起こった崖崩れで道が閉ざされ、怪物のもとには辿り着けなかった。もう一つは、人里から遠く、報酬も期待できなかったために素通り。最後の一つは彼らが撃破したが、怪物の先にラースのような術が仕掛けられていたかどうかは、確かめに戻らなくては不明だ。
 対策課は以前、魔力の流れがねじ曲げられ、東に向かう地点を重点的に洗い出してライア達に教えてくれた。しかし、それはウィリア達の怪物の報告地点とは一致しなかった。
「つまり、エストのとは別にあるんだ。今度は、恐らくはノーゼに。同じような怪異を引き起こす、何かが」
 アルドの言葉に、ビゼスが言う。
「ぞっとしないな」
 当初こそ憤慨していた彼だったが、今は冷静だ。
「打つ手はあるのか? ウィリア」
「そうね――ラースで、私達が術を破壊したでしょう? あれと同じようにしていけば、先方の妨害にわなるわ。だけど、先方の人数も、目的も解っていない以上、8人しかいない私達で対処するには、圧倒的に不利ね」
「けーっきょく、犯人見つけなきゃイミないってね。あ〜くっそダル〜」
「でも、術を破壊し続けていれば、いずれ術を仕掛けた何者かに接触できると思う。みんな――……」
 一呼吸置いて、真剣な瞳のアルドは言った。
「この先は、何が起こってもおかしくない。だから、選んでくれ。関わるのを止めて、自分自身の道を行く者。ローゼス、あるいはこの周辺に滞在して、情報を集めつつ、状況の変化を見る者。そして――」
「危険は十もショーチで、化け物とやり合いながら、あの変な術破壊してく者、って?」
 ウィルに先回りされて、アルドが複雑な顔をする。流石に、真剣な話をしている時は、あまり茶々を入れて欲しくないものだ。
 脚を組み、肘から先を外に向けて振って、ウィリアが言う。
「どうせ、魔法のエキスパートの私がいないと、術の解読とかできないでしょ? 行くわ」
「ウィリア……。いいの、そんな簡単に。確かに、この先ノーゼとかも危ないかもしれないけど、これは、元々私達の問題で、危険を冒す程の理由はないんじゃ」
「そぉねぇ。危なくなったら、手を引くわ」
 さらりと言うウィリアだが、これ以上進めば手を引けなくなるからこそ、アルドが確認したのだと、解っていないはずがない。
「結論は急がなくていい。各人、よく考えて、後で、僕のところに答えを言いに来てくれ」
 そう言って、アルドは退室した。一刻を争う事態だからこそ、せめて、それぞれが自分自身の答えを見つけ出す時間を作るために。
 アルドが出て行ってから、ライアとリーティスが、ほぼ同時に席を立った。
 相手も立った事に、どんな対抗心からか、一瞬空中に火花が散ったようだが、敢えて互いの事は気に留めない風を装って、彼らは部屋を出てった。
「…………」
 それを、さも下らない、という目で見るウィル。

 二人は、黙々と廊下を歩いた。
 ウィーロスとライアの部屋の前を過ぎ、立ち止まらなかったライアをリーティスが睨む。
「何よ。帰んないの」
「別に。俺は、どうするか悩む必要もねーから」
「あっそ」
 そして、結局、同じ部屋の前で、彼等は足を止めた。

「……君達。いいけど、決断早過ぎやしないかい?」
 部屋の主は苦笑した。
「早くなんかねーよ。何度考えたって同じだから、伝えに来ただけだ。俺は、アルドと一緒に行く」
「あれ。僕はさっき、行くとは一言も言ってないけど?」
 アルドが意地悪くとぼけてみせても、二人は動じない。
「でも、行くんだろ」
「行かないんだったら、私達がさっさと行って、みーんな術壊して帰って来ちゃうけど?」
 アルドは破顔した。
「はは。それは、僕もこんな所に居て、負けてはられないね」

 自室に戻り、ライアは、安物のベッドに仰向けに寝転がった。
 決断に、迷いはなかった。ただ、拭えないのは、軽い焦燥感。追いかけているはずなのに、事態は、どんどん自分の手から遠ざかってしまうように錯覚する。スロウディアを襲った、自分が一番深く関わっていたはずの事件。それが今や、大陸を、そして、種族までまたいだ問題に発展しようとしている。
(こんな事した奴は、魔族の中に居るのか? それとも、人間なのか――? いや、そんなのどうでもいい。何を狙ってるにしろ、また怪異を起こそうだなんて、そんなの、看過できるはずないだろ。絶対、とっ捕まえて、これ以上の被害は出させない……!!)
 その時、戸を叩く音がして、相部屋の友が入ってきた。
 自分自身の眉を指しながら、おっとりと言う。
「ライア。眉間にしわ、寄ってるよ」
 寝転がっていた姿勢から、後ろに手を付いて上体を起こしつつ、ライアは答える。
「え……あぁ、悪い――」
 むつかしく考えても仕方ない事だしね、と言いながら、ウィーロスは髪を結ぶ紐を外した。就寝前はいつもそうなので、見慣れた光景ではあったが、ある発見をして、つい、まじまじと見てしまった。
「やっぱ似てるんだなー……」
「え――えぇと?」
「いや、ウィリアに。あんま気付かなかったけど、やっぱ、きょうだいって事だな」
 一瞬きょとんとして、ウィーロスはくすりと笑った。
「そうかな。昔は、そんな事、自分では解らなくって、兄さんにライアと同じ事言われるまで、すねていじけて、泣いたりもした。――ほんとだよ。ほら、僕達、拾われた時はほんの赤ん坊だったし、僕だけ、目の色が違って、魔法が使えないから」
(あ、やっぱ、そうなのか――……)
 今まで面と向かって訊かなかったのには、理由がある。どんなヒトも魔力を持つが、魔法を使え無い者はいて、地域によっては差別がある。酷い所では、一族から出た魔法の使え無い子供には生きる権利も与えない。スロウディアでも、地方に行くと、ときたま根強い差別が残っていた。だから、本人が言いたくないなら、言わなくていいと思っていたのだ。
 それはさておき、泣いた事もあるとは意外だった。
「似てないって思って――気にしてたのか?」
「そりゃあね」
 長いけど、聞く?と尋ねられ、ライアは頷いた。
 ライアはベッドの上で胡坐をかき、ウィーロスは話し始めた。
「昔ね、ケンカとかぜんぜん強くなくって、どっちかっていうと、いじめられっ子だった。それで、ある日いじめっ子のグループに殴られて、泣いて帰ったんだ。家に帰ったら、義母さんは留守で、姉さんが待ってた。で、僕を見て言ったんだ、どしたの、って」
 きっと、ウィリアは今と変わらなかったのだろう。可愛くて、自信家な女の子。泣いて帰った弟に、微塵も動じず、首を傾げる。
「その時はまだ、黙って殴られた悔しさが残ってたんだ。だから、初めて姉さんに口答えした。関係ないよって。そしたら、怒って僕の事問い詰めて。その時に、つい拍子で、前から気にしてた事、ぽろりと口に出しちゃったんだ。僕は、本当の弟じゃない、って。僕は兄弟なんかじゃないんだから、ほっといてよって。……そしたらさ、姉さん、余計に怒っちゃって。黙って、ムスッとしながら、魔法の教科書を手に取った」
 それからどうしたと思う、と問われ、ライアは困り顔で首を横に振った。
「めちゃくちゃに殴りつけたんだ。ばか、ばかって連呼しながら」
「うわー……」
「大人みたいな思いやりのある怒り方なら、まだ。でもそうじゃなくて、子供って、怒った時は単純に、本気で怒るよね。……あの時の姉さんは恐かった」
「今でも恐いんじゃないのか?」
 ライアがおちょくると、ウィーロスはこめかみをかきながら答えた。
「うぅん……マシになったよ」
「……、まじですか」
 ライア、完全なる棒読み。至極妥当ではあったが。
「うん。あんまり恐かったから、混乱して、泣くのも忘れて僕が縮こまってたら、ひとしきり殴って息を切らせた姉さん、教科書をこっちに向けながら、堂々と言い放ったっけ。『わたしが覚えてる』って」
「覚えてる?」
「うん。僕とウィルの知らない、お父さんと、お母さんの顔、それから、僕達の誕生日。『ウィーロスは、ずっと弟だった』って。……拾われてきた子じゃない、って言いたかったんだろうね。でね、殴った事一言も謝んないで、一人でずんずん歩いて、自分の部屋入ってっちゃって」
「……そこはいい加減、機嫌直しとけよ……。昔っから、過激だったんだな、お前の姉さん。で、どうなったんだ? そこは、親御さんが帰ってきて仲裁したのか?」
「ううん違うよ。当時はまだ部屋を別けてもらう前で、僕とウィルと3人セットで、ひとつの子供部屋に押し籠められててね。姉さんが中から鍵かけちゃったから、何も知らないで一人で遊んでたウィルは閉じ込められちゃうし、僕は部屋に戻れないし。結局、僕が泣いて謝って、もうこんな事言いませんって3べん約束させられて、やっと部屋を開けてもらえた」
「あ、ぅ……笑い事じゃねぇけど……はは、笑うしかないって言うか……」
 完璧に引きつったライアの声。やはり、ウィリアは今とそう変わっていないようだ。
「でも、姉さんが姉さんで、ウィルが弟で、ほんとうによかったと思ってる」
 しんからそう言うウィーロスに、ライアは、暗澹として目線を落とした。
「なぁ、その……今回の事、知らなかった方が、よかったんだろ? 俺達と関わりさえしなければ、お前の姉さんも、あんな事言い出さなかった訳だし」
 静かに、ウィーロスは聞き返した。
「そう思う?」
 ライアは、やりきれず頭を振った。
「だって、折角きょうだい一緒に、今日まで来れたんだろ。それを……」
 今生、いつ、どんなきっかけで永久の別れになってもおかしくはない。運良く戦火を免れる土地に生まれても、病気や飢え、その他、小さな傷から菌が回っただけでも、この世を去る者は少なくない。だから、ライアは思うのだ。大事な家族が居るのなら、少しだって傍にいるのがいい。一度離れれば、それじゃあ1ヵ月後ね、と言って会える保障はどこにもないのだから。
「心配要らないよ。僕は、ライア達と出会った事、何ひとつ悪かったとは思ってないんだ」
 だって、それでみんながばらばらになる訳じゃないんだから、とウィーロスが続けて、ライアが赤い目を見張った。
「みんな、自分が決めたこと。だからきっと、後悔はしない。僕もそうだし、姉さんもそう。兄さんなんか、すっごい我侭で、誰の言う事も聞かないよ。だから、今回の事だって、自分がしたいからそうするに決まってるんだ。もしライアが、自分達のために気を遣わせた、なんて思うんなら、それ、ただの思い上がりだよ」
「ん……。ならいいんだ。気が楽んなった。けど、こっからの戦い、相当気合入れてかないと、何が起きるかわかんねーよな」
「そうだね……。『戦神ヴァルシュナーの、加護があらん事を』」
「何だ? それ」
 懐から何かを取り出したウィーロスは、もう片方の手で印を切った。
 大きなの掌にすっぽり収まる大きさのそれは、何かを模した、下が尖った棒状の木彫りだった。粗い削りだが、よく見ると、股と両の胸に何かが付いたヒトの形に見える。
「ヴァルシュナー。男でもあり、女でもある闘いの神様で、僕のいたところで――特に、兵士達の間では、信仰が篤かったんだ」
 信仰に関して、身近なところでは、フェリーナが医療の女神に祈りを捧げる姿を見かける。リーティスのそうした姿はついぞ見た事がないが、セーミズ育ちのお嬢様であれば、繋がりの強いエスト北部のクライス帝国と同じ神教だろうと思われる。
(にしたって――)
 ライアは思う。
(困った時には神頼み。……の割に、どうも『これ』って神様が決まってないんだからな、スロウディアは。いい加減っちゃいい加減だよなー……宗教対立が無いのが唯一の美点だけど)
 一方で、エスト南部の国、アリヤは祭政一致である。代々巫女姫を頂点に置き、巫女姫が住まう城とは、すなわち神殿なのである。
 同じ大陸で、同じ人間という種族であっても、文化、思想は様々という事だ。

 そう思うと、生まれも、信仰も、種族さえ一致しない自分達が、一つの目的に向けて走ろうとしているのは実は凄い事で、奇跡ではないかとすら、思えてくる。
(そうなると、今こうしている奇跡に感謝、だな)
 不思議な心持のまま、その夜は目を閉じた。



 そして、各々が自分の道を選び取った結果。
「……。なんかー、ちっとも顔ぶれ変わってない気がするんですけど〜?」
 行くと回答した人――しめて8人。
「ふん。命知らずのヤツばかりと言う事か」
「いや、兄ちゃん程じゃないから。みんな」
 ウィルの冷静な突っ込み。アルドが冷ややかな目でビゼスを見る。
「そうだね。戦いたいから行くってのは、君くらいのものだよ、きっと」
「退屈しなければ何でもいい」
「何か、スゴイ理由だよな……」
 ライアも呆れて言うが、戦闘必至の旅路で、心強いのは確かだ。
 フェリーナは改めて、道中を共にする仲間にお辞儀した。
「戦いでは足を引っ張ってしまいますが、衛生管理と栄養管理は、任せて下さいね」
 ライアと並んだリーティスは、互いの顔は見ずに、前を見たまま言葉を交わす。
「逃げるなら、今のうちだけど?」
「そっちこそ。途中で投げ出すなよ」
「フン、誰が。ライアじゃあるまいし」
「ぁあ?」
 拳を固め、ライアがリーティスに向き直る。これまでならここで勃発のパターンだが、今は、二人を容易く手玉に取る女王様が居た。
「もう、貴方達、本当に仲が良いんだからv」
「「よくないっ!!」」

 辛い旅に、なるだろう。だがそれは、賑やかにスタートを切った。


   →戻る

inserted by FC2 system