STAGE 24 entrance to the puzzle 〜その先へ〜



 特訓2日目の夕刻だった。宿に戻り、ウィリアのところで本日の反省会をしていたリーティスが、突然、頭痛でもするかのように両手で頭を押さえて、しゃがみ込んだ。
「う……あぁぁあ!!」
「リーティス!?」
「しっかりなさい!」
 リーティスは、何か恐ろしいものを拒むように、両手で頭を挟むように強く押さえつけ、荒く息をつきながら、なおも小さく縮こまろうとした。
 姉弟が何を言っても、リーティスは、ぼろぼろ泣きながら、激しく首を振るばかりだ。
 その横で膝をついていたウィーロスが立ち上がり、リーティスの肩を支える姉に言った。
「誰か、呼んで来るよ」
 そこへ、か細い声がした。
「いぃ……要らない……っ、ひっく、平気……へーきだからぁ……っ!」
 判断に迷うウィーロスに、ウィリアは、様子を見て小さく頷いた。

「あれ……リーティスは?」
 食卓についたライアが、首をかしげる。
「ちょっと、疲れちゃったみたいね。部屋で休んでるそうよ。大丈夫そうなら、後で行くって言ってたわ」
「あの……どこか、悪いみたいでした? 私、様子を見に行って――」
 ウィリアが、掌を向けてそれを制す。
「いいわ。そんな大したことないみたいだし、戻ったら私が看とくから。……今は、そっとしておいてあげましょ」
 リーティスはフェリーナと同室だ。だが今は、ウィリアがその場の判断で自分のベッドに寝かせ、そのままにしてきた。
 ウィリアの言葉に引っかかりを覚えた者はいた筈だが、彼女の澄んだ柔らかな声色のせいか、繊細な問題な気がして、男性陣は皆、口を噤んだ。
 それからウィリアは、食事中にこっそり、ライアとフェリーナに、後で相談があると打ち明けた。

 ライアの個室に3人が集まったところで、部屋の主は、心配した様子で小声で訊いた。
「……で? 相談て何だよ。リーティスがどうか……したのか」
 ウィリアは唇に人差し指を当て、片目を瞑った。
「部屋を交換して欲しいのよ」
「はぁ?」
「厳密には、うちの弟を部屋から追い出すから、引き取って欲しいんだけど」
 察しの良いフェリーナが、嫌な顔一つせずに返した。
「解りました。それじゃあ、私がこの個室に移って、ライアは、私とリーティスが使ってた部屋を使えば良いんですね?」
「さぁっすがフェリーナ。よく気が付いて、助かるわぁ」
 ライアが念を押す。
「いいけど……リーティス、ほんとに大丈夫なんだな?」
「心配ないわ。病気なら、すぐにそこのお嬢さん呼ぶし。ちょっとね、色々とお話したい事があるの。乙女の内緒話。ふふっ、男の子は、それ以上聞いちゃダメよ?」



 ライアが二人部屋に荷物を運び終えると、後からウィーロスが来て、すまなそうに言った。
「ごめんね。姉さんの我侭に付き合ってもらっちゃって……」
「いや、いい。気にしてないし」
 そう言ったライアが無自覚にふて腐れた顔をしているのを見て、ウィーロスが言う。
「大丈夫だよ。姉さんがついてるから」
「やっぱ、どっか悪いのか」
(つか、あれの日か――?)
 目線だけを動かして問う紅い瞳に、彼は首を振った。
「ライアには、話してもいいと思うけど。リーティスね、怪異に巻き込まれたときの記憶が、戻ったみたいなんだ。で、ちょっと取り乱しちゃって」
 説明はそれで充分だった。怪異の瞬間はライア自身が体験していて、その異常さは、誰よりもよく理解している。
「リーティス、ひょっとしなくても、強がり、でしょ。でも、姉さん相手なら虚勢も通用しないはずだから」
 リーティスが平常に戻るまで、ウィリアが面倒を見てくれるという事らしい。
 普段の女王様な言動を思うと、果てしなく不安になるライアだったが、不意に気付いた。付き合いの長いフェリーナが同室だったとして、リーティスはどんな態度を取るか。フェリーナに、記憶が戻った事を正直に話すだろうか? いや、彼女なら、寧ろ――
「そうだな――あいつなら、相手がフェリーナだって、無理して平気な振りしそうだし。リーティスの事、頼むって、姉ちゃんに伝えといてくれないか」
「うん」
 それからは、他愛のない話をした。組み手の相手でもあり、歳も変わらない事から、同室でも会話には困らない。
 同い年の気安さからか、姉弟に似つかないウィーロスの穏やかな気質のせいか、ライアはいつしか、避難所で記憶が戻った時の話をしていた。
「すぐ傍にアルドがいなきゃ、俺だってあん時、潰れてた――……」
 あの時期、悪夢で夜中に跳ね起きたのは、一度や二度ではない。今ではかなり落ち着いたものの、城に居た時の事を思い出そうとすると、感情が不安定になりがちだ。
 だから、リーティスが少しでも早く復帰してくれる事を、ライアは誰よりも真剣に願った。



 時は少々遡り、夕飯刻。ひとり、部屋に残されていたリーティスは。
 ノックがあって、ウィリアが戻って来ると、リーティスはベッドの上で上体を起こして座っていた。涙の跡こそ消えていたが、無意識に毛布を握り締めた手が白い事を、ウィリアはちゃんと捉えていた。
「ウィリア、私、もう部屋に帰――」
「いいわ」
「?」
 ウィリアは笑いながら言った。
「ここに居て。フェリーナとライアに話は付けたから。お部屋交換してもらったの」
「??」
 訳が解らない顔をしていると、ウィリアが首に抱きついた。
「なぁにー? 美人のお姉さんじゃご不満? 私より、可愛いフェリーナがよかった?」
 リーティスの肩に力が入り、怒ったように言う。
「本当にもう――大丈夫だから……!」
「あらそ。それならいいわー。今夜は、思い切りお喋りに付き合ってもらっちゃうから」
「…………」
 何この人。空気読んで。お願いだから。
 リーティスが辟易しているうちに、戸を叩く音がして、僕だけど、と声がした。
 あら、と言って、ウィリアは淡々と告げた。
「ごめんなさいね。ちょっと、弟に荷物運び出させるから。少しだけ待って」
 勝手に話が進んでおり、もはや、反論する気力も失せたリーティスだった。

「ふぅ……。これで、美味しいお茶がすぐには飲めなくなっちゃうけど……まあいいわ。その時は、あの子呼べば済む事だし」
 銀髪を手で払い、ちょっと失礼、と言って、ウィリアは部屋着に着替え始めた。
 同性のリーティスでも見入ってしまうほど、彼女のスタイルは完璧だった。
 長身に、すらりと長い手足。惜しみない胸と腰つきに、顔かたちも、並大抵の少女達では敵わない。
 たっぷりと揺れる胸元が目に入り、注視するのは何となく気恥ずかしく目を逸らしたリーティスは、想像する。こんなウィリアに言い寄られているビゼスは、さぞ大変な思いをしているのだろう、と。魔族だ何だと言っても、彼も男だ。
「お待たせ」
 簡素な部屋着でいてさえ、長く美しい髪と、豊満な胸が匂い立つような色香を醸し出す。健全な青少年にしてみれば、上に羽織ったショールが、まだしもの良心と言えよう。
 果たしてウィーロスは、こんな姉と一緒で大丈夫だったのだろうか。鈍いのか、慣れたのか、慣れさせられたのか――想像の余地はある。
「さてと。先に、ちゃちゃっと謝っておこうかしらね」
 ウィリアは、リーティスに目を向けると、いやにさっぱりと述べた。
「昨日のクロマト、あれはね、抽出した魔力を検出してるだけだから、肉体への影響は皆無よ。だけど、あの結果を見たせいで、心理的に揺さぶってしまったかもしれないわ。ごめんなさいね」
 謝罪にしては、やけに軽い。しかし、その口から謝罪の言葉が出るとは思っていなかったリーティスは、エメラルドの瞳を瞬かせ、首を横に振った。
「いいよ、そんな……思い出さないままより、よかったと思うし。ちょっと、まだ混乱してるけど……大丈夫。明日は、普通に特訓にも参加できると思う」
 言いながら、リーティスは、自分より先に怪異の時の事を思い出している友を想った。
(……何なの、あいつ。一人で、こんな記憶、抱え込んで……!)
 考えると泣きそうだった。
 でも、ライアに耐えられたんだから、自分に耐えられないはずないじゃない――そう自分に言い聞かせ、リーティスはもう、泣かなかった。

 消灯後、毛布に包まったリーティスはとても静かだった。けれども、決して寝付いてはいない。
「!」
 壁の方を向いていたリーティスは、背後で動いた気配に、身を硬くした。
 ひたひたと、ベッド間の短い距離を移動する足音がする。
(やっぱりまだ、信用できないよ……。――どうしよう。ここは、思い切って反撃に出るべき??)
 何事もまず疑ってしまう自分が、嫌いだった。
 そんな雑念が混じったせいだろう。寝たふりを続けるつもりが、ウィリアに密着されて、短く息を吐いてしまった。
「っ」
 ひとのベッドに潜り込んできたウィリアは、リーティスに危害を加えず、ただ、後ろからそっと抱きしめた。
(やめてやめて……お願いだから……っ!)
 固く目を瞑り、リーティスは必死で祈った。離れて欲しい。すぐにでも。
 長く触れれば、気づかないはずがない。……否、触れる前から気づいていた。だからこうしたのだろう。
 強がりは、虚勢は通用しない。そう言ったウィーロスの言葉が正しかった。
 華奢な体は、かすかに震えていた。ずっと、夕飯刻に一人でいた、その時も。

 やがて、震えていた体から力が抜け、小さな寝息が聞こえても、背中の温もりはそこから動かなかった。

 翌朝になって、落ち着かない様子で、リーティスは口を開いた。
「ウィリア、あの……」
 素直な謝罪や感謝は、最も苦手とするところである。リーティスが口ごもった隙に、ウィリアはあっけらかんと言った。
「あーら、ごめんなさい? 昨晩はあんまり冷えるから、ちょっと抱き枕にしちゃって。お陰様で、よく眠れたけど」
 窓の外に目をやって、ウィリアは、今日も晴れてよかったわねぇ、などと、呑気に言った。



「だいたい、お互いの癖とか、戦闘スタイルは判ってきたかな。今日からは、本格的に全体のチームワークを強化していこう」
 特訓3日目は、そんなアルドの一言で始まった。

 ウォーミングアップに、恒例のペアで組み手をした。
 アルドとビゼスは上がるのが早く、他を見学をしながら待っていた。
 今現在、彼らの前では、女同士の闘いが繰り広げられている。
「…………」
 アルドが、眉間に皺を寄せる。同じものを見ているビゼスは、顔色を変えない。
 ビゼスが鈍いのではない。彼も気づいている。対戦者の片方が、注意散漫な事に。
「ふっっ!」
 くるりとその場で回転して膝を付き、ウィリアが突き出した杖の先端が、リーティスの顔の横に決まった。本番であれば、顔面を突けた体勢。
 ウィリアが、杖を引く。
「貴女、やっぱり今日は、無理しない方が良いんじゃなくて?」
 手を差し伸べたウィリアに、リーティスは悔しそうに唇を噛んだまま、首を横に振った。
 そこに、アルドが入って言う。
「リーティス。今日のところは見学にしておいで。今の君、正直見ていて不安になるよ」
「待て」
 不意に、アルドの後ろから声がかかる。
「替われ、ウィリア。リーティス、死ぬ気で来い……」
 アルドとウィリアの反論を無視して、ビゼスは剣を抜いた。彼は剣一本でも戦えるが、今は二刀。本気だ。
 リーティスは、自身の喉が干上がっている意味を理解した。昨晩のショックで多少感性が麻痺していようが、本能で解る。目の前の存在が、どれだけの脅威であるかを。
 ……やらないと。
 恐れは消せない。それでも、一応は構えをとる。
 無理に受ける必要はない。そう言おうとした二人の傍観者は、それを見て黙る。
「いくぞ」
 短く言って、ビゼスは地を蹴った。
「待――ッ!」
 声を上げたのは、アルド。自分が相手ならともかく、リーティス相手に、あまりにえげつない攻撃だ。
「あ……!!」
 引きつった声をあげ、リーティスは愕然と、寸止めの切っ先を見た。リーティスがまともに受けられたのは、右の剣による一撃目だけ。次の瞬間には、左の剣を急所にぴたりと当てられていた。
「ビゼス! どういうつもりだ!」
「やりすぎよ」
 非難の声は完全無視で、無言で剣を引いたビゼスは、両手の剣を斜め下に向けたまま、半身の構えを取った。お前から来い。そう言うかのように。
 すっかり気圧されていたリーティスは、負けん気を振り絞り、ビゼスにかかった。
 リーティスの4合目までを無表情でいなした後、ビゼスは僅かに体を捻った。
「!?」
 体裁きがあまりに速く自然なために、目が追いつかない。無駄と解ったが、それでもリーティスは、なけなしの抵抗を試みる。
 リーティスの剣は、頭部を狙ったビゼスの一の太刀を止めた。だが、同時に二の太刀で胴を決められていた。
 変わらず剣裁きは狂いがなく、胴に入った刃は、2寸手前で静止していた。
(強い――!)
 解ってはいた。それでも、こうも歯が立たないと、改めて思い知る。
 ビゼスが何を考えているのかは、依然として不明だ。自ら不調を認め、訓練から外れるのを待っているのだろうか。リーティスは首を横に小さく振った。
(――それだけは、嫌)
 実力の差は、痛いほど判る。けれども、自分から降参するのは、リーティスのプライドが許さなかった。
 一旦離れたビゼスを見据え、はー……と、リーティスが深く息を吐いた。
 今朝から今まで、呼吸をちゃんと意識できていただろうか? そんな初歩的な事すら忘れていたのなら、アルドの言う通り、本当に危なっかしくて仕方がなかった事だろう。
 ウィリアが、苦しげに呟く。
「もう、およしなさい……」
 その声は、ビゼス、リーティス、そのどちらにも届かなかった。
 リーティスの呼吸が整った瞬間、両者が動いた。
 先手必勝とは言うが、力量が違いすぎて、技の組み立てを思い描く余裕すらない。リーティスはただ、体が動くままに剣を振るった。ある意味、リーティスらしくない戦い方だ。
「……っ。おい、あれ――」
 組み手を終えたライアとウィーロスのペアも来て、状況が飲み込めないまま傍観するうちに、勝負は付いた。
 結果は、最初の2本と変わらず……と、思えた。
 ビゼスは、剣を納めた。
「……少しは、動けるようになったか。いいだろう」
 独り納得したビゼスは、アルドに近づいて、リーティスを指しながら言う。
「アルディス。問題ない。ここからの特訓、あいつも入れとけ」
「待って。こんな、君は一体、何を考えて……!?」
「はぁ? 軽く揉んでやっただけだろう。危機に晒されてなお、悩みだの迷いだので動けない奴なら、留まらせてやる価値もないと思ったが、少しだが、動きがマシになった」
(そりゃあ、誰だって、身の危険を感じれば、余計な事なんて考える余裕は無くなるだろうけど――……)
 婦女子相手に、やり方が苛烈すぎる。アルドは理解に苦しむところだった。
 ライアが、リーティスに近づいて訊く。
「大丈夫か?」
「うん……」
「ならいいけど。あいつ――」
 はぁ、とため息をついて、ライアは述べた。
「どうやったら、あんなんなれるんだろうな」
 リーティスが、きょとんと瞬く。
「はあ?? 何落ち込んでるの? もしかして……無理、無理! ライアじゃ、どー頑張ったって、あんなになれないって」
「んだよそれっ!? そんなの、判んねーだろ!? ……っくしょう……――――」
「? 何か言った?」
「何・も・言ってね・え」
 こうなったら、意地でも強くなってやる。ライアは胸に誓った。

 ビゼスの行為は、確かに効果はあった。リーティスは負けず嫌いだが、負けん気だけで乗り切れる程、取り戻した記憶のショックは小さくない。そこを、格の違う相手と一戦交えた事で、無意識に何か吹っ切れたリーティスは、腹を括って特訓に挑めた。
 ビゼスのやり方に反感を持つアルドも、それを見て、今回の事は已む無く不問としたようだ。

 特訓後も、リーティスのやる気は継続していた。――否。本当は、逃げていた。
 体を動かしている間は、余計な事を考えずに済む。今日の復習と言ってライアに付き合ってもらい、少しでも帰途を遠ざけた。

 日がかげり始め、流石に戻ろうという段になると、リーティスは俯いて不機嫌に言った。
「ごめん」
「? なんだよ、急に」
「付き合わせちゃって悪かったって、言ってるの!」
「あんなぁ……」
 頭をかいて、ライアは言う。
「んな、謝る事かよ?」
 ここで、『付き合ってくれてありがとう』と言って笑える娘なら、どんなに可愛いかったことか。……そもそも、そんな事をした時点でリーティスではないが。
「……別に。なら気にしないで」
「あっ、おい!」
 一人でさっさと歩き出すリーティスに、立ち止まったままライアが言う。
「無理すんなよ」
 夕焼けの残滓に照らされて振り返ったリーティスが、精一杯の虚勢で睨んでくる。
「俺だってきつかった。ぃいや、今でも正直しんどい。嫌な気分になるから、あん時の事あんま考えたくないし、だからって考えないでいると、逃げてる自分が気持ち悪くてムカついて自己嫌悪。――違うか?」
 黙ってライアを睨み、背を向けた彼女は一つ息を吐いて言った。
「……一緒にしないで」
 もういい。ほっといて。私は、貴方より強い。
 様々な言葉が心に浮かんでは、虚しく消えた。
「…………。そだな、俺と同じにしちゃ、めーわくか。俺、馬鹿だしな?」
 いつも馬鹿馬鹿言うのは自分なのに、その言葉に、なぜかずきりと胸が痛んだ。
「けど、忘れんなよ。みんな、何だかんだでお前の事見てるんだ」
「だ――」
「心配してる相手に頼られて、悪い気する奴はいねぇんだ。謝るくらいなら、思いっきり頼っとけ」
 まじまじと疑うように顔を覗き込んで、リーティスは言った。
「……熱でもある?」
「うっせぇ!」
 柄に合わないのは十も承知だ。当然の如く、言っている当人が一番恥ずかしい。
 ライアは、歩調を強めてリーティスを抜かしながら、帰途についた。



 日が替わり、作戦会議。
「でさぁー? 肝心の魔物ってどんなのー? それ判んないと、対処のしようがないっしょ?」
「えぇと……こんな感じです!」
 ガリガリと地面に絵を描いて、フェリーナが言い切る。それを、ウィルが覗き込む。
「どれどれー? って、ぇ……?」
 ウィルが、らしからぬ間抜けな声を発した。
 怪訝に思って、ライア、ビゼス、アルドが足元の絵を見た。
「これは――……」
「…………」
 アルドが絶句し、ビゼスは考え込む。ウィーロスとウィリアもやって来てそれを見た。……被害拡大中。
 ライアはとりあえず、手近な石を拾って、書き足し始めた。横からどれどれとリーティスが覗き込む。
 その間に、ウィルが複雑な顔で問う。
「ねぇね、あれってさ、キノコのお化け?」
「ハズレです」
 とは言え、ウィルの感性は至ってまともだ。フェリーナ画伯の原画は、4つの茸が傘だけ合体して巨大化した何かに見える。
 ライアの加筆が終わって、ウィリアが言う。
「ふぅん……そう。亀?」
 ライアの横で、リーティスがこくこくと頷く。そして、絵の感想を一言。
「ライアにしては上手いと思う」
「『にしては』って何だその基準!?」
「それって、どの位の大きさ?」
 ウィーロスの質問に、怪物と実際に対峙した四人が、皆して首を捻る。
 リーティスが、近くのこんもりと盛り上がった、半径3m、高さ2m程度の小山を指す。
「……あの位?」
「いや、あれ位だろ」
 ライアが、軽く10mは離れた木から木までを指した。
「ちょ……どんだけ??」
 ウィルが頬を引きつらせるが、アルドが、残念そうに首を横に振った。
「いや、本当にあれ位だ。最も、僕らがてこずったのは、なにもその怪物だけの話じゃないんだけどね」
「うん……怪物は一体だけなんだけど、周りの他種族の魔物まで従えてて、一斉に襲ってきたの。あの時アルドが盾になって、フェリーナが魔法で抑えてくれなかったら、私達、本当に逃げる事もできずに死んじゃってたかも……」
 腕を組んだまま、真顔でビゼスが言う。
「話を聞く限り、私達の狙いの魔物には、違いないな。同族は無く一匹だけ、しかも周りの生態とは浮いているときた」
「そぉよねぇ、こぉんな寒いところで動き回る亀だなんて。どう考えたって、おかしいわ?」
「チッ。亀は亀らしく、冬眠しとけっつうの。ターコ」
「もとから居る魔物を従えてるってのは、厄介だよね。どうするの? やっぱり、頭の怪物を叩けば、他の魔物も怯えて逃げてくれるかな」
 ウィーロスの言葉に、アルドが頷く。
「うん、そうだね。それは僕も考えた。8人なら、周りの魔物から身を護るのは少し楽になるだろうけど……問題は、どうやって中心の怪物を倒すかだ」
「デカブツと言っても、亀に近いなら、動きはノロいんじゃないのか」
 ライアは乱戦の記憶を辿った。
「うーん……そうだな。危険なのは、空から襲ってくる奴らと、動きが速いウルフとかで、あいつ自身は、あんま機敏じゃなかったと思う。たださ――」
 怪物の頭部と脚には、それぞれ1本ずつ、円錐状の巨大な角もしくは爪が生えていた。手足と頭を甲羅に引っ込めてしまうと、その爪と角の根元が穴を完全に塞いでしまうので、丈夫な甲羅を破壊しない限り、一切ダメージを与えられそうにない。
「それなりに厄介な相手のようだな。しかしまあ、やりようはあるだろ」
 他人事のようにあっさりと言うビゼス。そこで、それまで考え込んでいたウィリアが口を開いた。
「ライア。貴方、後天性の攻撃魔法は使えて?」
 後天性とは、つまり、詠唱を必要とし、使用する魔力が詠唱によって定まる非常に安定した魔法のことだ。威力が保証される一方で、術者の魔力が極端に低下した状態で詠唱によって無理に魔力を引き出すと、生命維持に必要な魔力まで消費してしまい、最悪死に至る。
 ヒトが持つ魔力の量は、魔法の得手不得手とは無縁で、体力と同じように生命力に直結している。戦場では失血死も珍しくないが、魔力の欠乏死も、同程度存在していた。
 ライアは唾を飲んで、使えない、と答えた。
 王家に伝わる後天性の攻撃呪文を、一つだけ、知っている。しかしそれは、威力も消費魔力も桁外れの、まさに乾坤一擲の大技であって、今のウィリアの質問の答えとしては、非該当と判断した。
「そう……。じゃ、仕方ないわね。私に考えがあるんだけど、それには安定した炎の魔法が不可欠よ。てな訳で、頑張りなさい?」
「え、ぇえ!? ちょ、俺、魔法は本気で苦手なんだって!! 先天性の方で、どうにかなんねぇのかよ!?」
「えー? でもてめェ、魔法はてんで弱っちぃじゃん。自分で自分の実力、判ってるぅ?」
「うるせぇなっ……!?」
「えー、ナニ、本当の事言われて頭きてんの? マジださぁ〜っ」
「〜〜〜んのッ!」
「あーあー、およしなさい。その子に口で勝とうなんて、考えない方が賢明よ」
 そこに、ライアのすぐ横にいたウィーロスが、ぽそりと補足する。
「考えてみて。『あの』姉さんと一緒に育ったんだよ?」
「あー……そう。ん、そだな」
 やむなく納得して、怒りを沈めるライア。
「うふふ。何か言ったかしら、ウィーロス? ――まぁいいわ、ともかく、勝ちたいなら、一つでいいから、後天性の魔法を習得する事ね。大丈夫よ。消費と威力から考えて、大体見繕ってあげるから」
「くそ、解ったよ……」



 いよいよ本番に向けた役割分担が決まり、連携のテストと作戦の微調整を繰り返す事、一週間。
 ライア達はついに、集落を発った。

「さぁ〜む〜!!」
 開口一番、ウィルが叫ぶ。
「我慢しろ。風は強いが、天候が持っているだけ、まだましだ。今はいいが……山の天候は変わり易い。場合によっては、引き返す」
「えええ〜!? こんだけ寒い思いして? ありえねぇーッ」
「……まあ、お前は細いから、ひとより寒いだろうな」
「だよなー。ちっこいもんなー」
「な……ッ! ちょづいてんじゃねぇ、死ねくそライア」
 ここ一週間でウィルに慣れつつあったライアは、受け流しのスキルを最大限に活用した。
 ウィルはこの冬で16になると言うが、背はリーティスよりも少し低い。体重も、細身のリーティスを更に下回るに違いなかった。ひょっとすると、ウィルより身長は低くても身体的に大人のフェリーナの方が、重さはあるかもしれない。
「そろそろ……かな」
 気をつけて、とアルドが注意を喚起した。前回、先に進もうとして怪物に道を阻まれたのは、この先だ。

 ズゥウウン……と、地を揺るがす足音を響かせて、それは現れた。
「あらー、本当に大きな亀さんねぇ。で・も」
 くるりと半回転して下に向けたウィリアの杖に、魔力が集まる。
「大きいだけじゃ駄目よ?」
 ピキピキ、と地を氷が這うように広がって、怪物の足を捕らえる。
 そこに、狼の魔物と、首の長い異形の魔物が複数現れる。
「相っ変わらず、配下が節操なしの顔ぶれだな……」
「獣系と、アンデット、ね」
 ライアとウィーロスがコメントし、ビゼスが素早く剣を抜いて短く言う。
「打ち合わせ通りだ。こっちは任せろ」
「……頼む」
 返したのはアルド。仇に背中を任せるのは、いささか癪だ。しかしそこは割り切って、アルドは大剣を盾のように構えた。詠唱中に攻撃された場合、最低限防御できる姿勢だ。
「全てを支えし大地よ 地の護り手たちよ ここに集え 我が意思を通じ 変幻せよ…」
 詠唱は、ただ文句を並べただけでは成功しない。言葉に乗せて魔力を練るのが肝心で、言葉だけ早口にしたところで意味がない。詠唱を極限まで短縮できるウィルやウィリアは、実はとんでもない事をやってのけている。
 怪物の足元を固めていウィリアの牽制の氷が、ピキピキと音を立てて割れ始める。
 バキン!!
 怪物は、その怪力によって、束縛を無理矢理破壊した。
「バッカぢから〜」
 うえー、と舌を出しながら、ウィルは器用に、雷で異形の魔物をを撃退しつつ、文句を吐いた。詠唱なしの先天性魔法だけでも、ウィルはそれなりに戦力になる。
「っと」
 不意に、ウィルが細い腕を引っ込めた。魔物の一部が、ウィーロス、ビゼス、ウィリアの攻撃を潜り抜けて側面からウィルに迫ろうとしていた。
「させない!」
 リーティスが斬り込み、そこを食い止める。作戦上待機のライアも、近づく魔物は撃退した。
 徐々に、魔物の数と種類が増え始めた。時折、怪物が雄たけびを上げるように首を振り上げるのは、人間には聞こえない音域の声で、周囲の魔物を呼び寄せていたようだ。
 戦闘能力の低い、兎のような形をした小型の魔物でも、数が多くなると厄介だった。次第に空からの攻撃も混じり始めた今、何としても早期に決着をつけたかった。
「… 貫け!!」
 アルドの最後の一節が響き、怪物の巨体を囲むように、地中から針状の無数の岩が突き出した。うち数本が怪物の脚を刺し貫き、怪物がけたたましく声を上げる。
「っ」
「ぅるせっ!!」
 耳を塞ぎたくなる音だ。
 だが、今がチャンス。ライアはここ数日で叩き込まれた呪文の詠唱を始める。
「応えろ 灯りし火種 …」
 魔法書には『応えよ』で始まる文句が載っているが、唱える側の気持ちと魔力が同調すれば、実は詠唱の言葉なんてどうでもよかったりする。極端な例を示すなら、『今日はとんかつ食べたいな ああ炎よ 油の下で燃えておくれ!』といった具合でも、呪文にはなる(本当)。魔力を練るリズムと言葉の音節が合致していれば、基本的に問題はない。ただ、そんな間の抜けた台詞を真剣に唱えられるか否かが重要で、普通は教科書通りの詠唱を使う。『先人や他の人と同じ文句』『先生から教わった』――そのほうが、人は安心するものである。どのような状況下でも、教科書通りに発音すれば、「これは呪文ですよ」と宣言しているようなものなので、集中を乱す外的要因も減る。
 そうして、公衆の面前で大声で『とんかつ!』と熱い思いを吐露できる人間だけが、詠唱を激しく改造できる権利を持つのだ。
 ――閑話休題。
「閃け! 炎の翼!!」
 叫ぶのと同時、ライアの前に出現した炎が、前方へ走った。
 2本の脚に岩の楔を打ち込まれている魔物は、辛うじて自由が利く残りの脚と首を、堅い甲羅に引っ込めた。ライアの炎は、その甲羅の上を舐めるように燃えて、やがて収束する。
「うっふふ、じゃあ、行くわよ♪」
「ライアにしちゃ上出来ってねー。正直、パツイチでできると思ってなかったしー?」
「いちいち余計なんだよ!」
 文句を吐きつつ、役目を果たしたライアは前線に加わる。こうしている間にも、周囲を囲む魔物は増え続けていた。
「凍りなさい! 其(そ)は天罰 其は精霊の意思 極寒の裁きよ 今ここに――」
「吹きすさべ 北の風 我が意思を映し 凶暴なる――」
 姉弟の魔法が、同時に炸裂する。
「具現せよ」
「牙を剥け!」
 灼熱から氷点への急降下。その温度差で頑丈なはずの甲羅に亀裂が入った。
「行きなさい!」
 姉が言うが早いか、ウィーロスが走り込んで、見事な跳躍で怪物の巨体に飛び乗り、そこで上に大きく飛び上がった。
 最高点に達した後、ウィーロスはそのまま拳を下に向けながら落下した。
「や――っ!!」
 まさに、一点集中。その時"気"は、その真価を発揮する。
 ウィーロスが拳を打ち込んだその場所から、怪物の甲羅が砕ける。
「逃がすか!!」
 すかさずビゼスが、露になった怪物本体に追撃を仕掛ける。余力を残していたウィルとウィリアがそこに続いた。
 ビゼスが飛び退いた瞬間、ウィリアの氷とウィルの雷が殺到し、ついに怪物は倒れた。
「〜っ、うるさあっ!」
 断末魔の悲鳴に、リーティス他数名が、今度こそ耐え切れずに耳を塞いだ。
「! 見て!」
 ウィーロスが注意を促す。気の小さい魔物は散り散りになって逃げ出して行く。好戦的な魔物同士は、たった今鉢合わせしたかのように、他種族と争い始めた。
「なに、これ……」
 驚いて固まるリーティスの腕を、ビゼスが引く。
「行くぞ。今のうちだ」
「なんだか知らないけど、それが良さそうね」
 さっさと割り切るウィリアに対し、ウィーロスの表情は浮かない。
「きっと――あの怪物が、全てを狂わせてたんじゃないかな……。だから、本来仲の悪い魔物同士も居合わせて、それで、目が覚めて争い始めたんじゃない?」
「お前が正しいかもな……」
 ビゼスは言ったが、その目は前しか見ていない。
 と、その時、アルドがふらついた。、
「っ……」
「おい、アルド、大丈夫か?」
 反射的に肩を支えるライアに、アルドは微笑みかけた。
「いや。平気だよ。――すまない」
 怪物の足止めに一役買ったアルドの魔法は、実はかなり激しく魔力を消耗する。
「足は引っ張るなよ」
 冷淡なビゼスに、リーティスが食ってかかる。
「そんな言い方って……!」
「よしなさい。今は、仲間うちでどうこう争ってるときではないわ。――我慢して」
 気が済まなければ、後で私がどうにでもしてあげるわ、と言うウィリアに、戦では敵無しの男が、一瞬だけ怯んだように見えたのは、気のせいだったろうか。

「なんだろーね、これ」
 しゃがみ込んで言ったウィルは、しかし、そこにある何かを冷静に読み取ろうとしていた。その証拠に、紫の瞳は細められ、床の紋章と文字の羅列を射抜いている。
 フェリーナが、困ったように尋ねる。
「……なんなんでしょう? ウィリアさん」
 『さん』はいいわと苦笑して、ウィリアが返す。
「そうね――詳しくは解析しないと判らないけど、見たところ、あの怪物の束縛と、エネルギー源としての役割を兼ねていたようよ」
 普通、目を通した位でそこまで読めない。卓越した知識と才能があってこその芸当だ。
 姉に先を越されて不服なのか、後ろを睨むように振り返り、ウィルが言った。
「でさ。どーすんの。そこに刺さってる水晶が媒体になってるっぽいけどー、さっさと壊しちゃう?」
「いや、待ってくれ。そんな事をして、何が起こるか、予測はつくのかい」
 アルドの問いに、姉弟が答える。
「たぶんー、ヘンになってたこの辺の魔力の流れとかが、もとに戻るだけっしょ?」
「そうね、同感よ」
 一応、危険が無いかだけ、もうちょっと調べさせて頂戴、と言って、ウィリアは文字と紋章をなぞるように読み始めた。その隣で、ウィルは、ウィーロスが背に括り付けていた麻袋の中から一冊の本を取り出し、空白のページにさらさらと紋様を写し始めた。何かのときのための複写、という事らしい。
 ライアが、隣に立ったリーティスに耳打ちする。
「おい……俺さ、ちんぷんかんぷんなんだけど」
「わ……私だって」
 そこに、フェリーナがおっとりと言う。
「お二人とも、凄いですよ。どういった術なのか、すぐに解ってしまったんですから」
「ね、フェリーナにもこれ、読めないの?」
 純粋な好奇心で問うリーティスに、ほんわかと答えが返される。
「部分的になら解読できますが、全体でどうなってるのかまでは、すぐには判りません。実際にああいう術を使ったり、見慣れたりしていないと、とっても大変な作業なんです」
「ふーん……」
「そっかー、性格はアレだけど、やっぱ凄いんだなー……あの二人」
「あらぁ、何言ってんの、性格も極上のお姉様でしょ?」
 ライアの声が裏返る。
「きっ、聞こえてる!?」
「『凄い』って、当たり前っしょ? テメーとは頭(ココ)のデキが違うんですー。ほら、オレって天才だしぃ?」
「姉弟揃って地獄耳かよ……。なぁウィーロス、あんなきょうだいで疲れないか?」
「ぇ? ぁぁ、まぁ、ちょっと……でも、本当は姉さんも優しいし、ウィルも、突っ張ってるだけで、本心は違ったりもするから……たぶん」
 リーティスとライアの同時突っ込み。
「ううん、「いや、 フォローしなくていいから 」」
 なぜか向こうで、ウィリアが笑い出す。それを解せない思いで見つめる当人達が、そこにいた。

「厄介ね……」
 杖を肘に引っ掛けたまま腕を組んで立つウィリアの前に、傷一つないクリスタルが刺さっている。
 術を破壊したときの仕掛けはないと判明したのだが、術の核となっているクリスタルが思いのほか強固だった。この手の術を崩すには、核を壊せば一発だが、核を残して術を端っこから解いて行くには、途方もない時間と労力を必要とする。
 ウィルが、これまでの挑戦を指折り数える。
「武器もだめー、氷も雷も、フェリーナの水も無効。兄貴の"気"でも壊れないって……」
「待ってくれ、それなら、光魔法も試してみる」
「っつってもさぁ、アルド疲れてんでしょ? そっちのパーティー、頼りないのばっかだからさー、アルドけっこー盾んなってたしね?」
 ぱさりと銀髪を靡かせて、ウィルは姉を振り返った。
「ってことでー、いっちょやっとく?」
「そうね、やってみて」
 ウィルは早口に詠唱を済ませ、その手から、雷でも氷でもない純粋な魔力が放たれる。
「なんだよ。光魔法も使えたのか――って、なんだ……結局これも駄目か……」
 依然として、クリスタルに変化はない。
 魔法は素人ながらに、リーティスも知恵を絞った。
「何かと何かを、同時にぶつける……とか?」
 そこで、ビゼスが投げ槍に言う。
「アリだろうが、組み合わせの数を考えると、もう何だか面倒だな。まだ試してない属性の奴。とりあえず全員で、別方向から叩き込んでみるか?」

 ライアは、信じられない思いで魔法を放った掌を見つめていた。
(まさか、俺だったなんて……)
 三方向から同時に放った魔法の中で、炎だけが唯一有効だった。
 別方向の仲間の魔法を相殺しないよう加減して放った、頼りない小さな火がクリスタルの表面に灯った瞬間、その部分から表面にピシピシと亀裂が走り、最終的に、ぱん、と乾いた音を立て、クリスタルは砕け散った。

 炎を護属性とする東の小国を襲った怪異。魔法による炎が鍵となって砕けた核。それらは果たして、偶然なのか。
 考えたところで答えは出ない。判らない事だらけだ。敵の正体も、目的も。だから今は、進むしかない。



「てゆーコトでぇ、しばらくご相伴に与りま〜す」
 気がない声でウィルが言い、アルドが悩ましげに感想を一言。
「うぅん……なんだか、都合良くたかられてる気がしないでもないけど――」
「安心しろ。もっと割の良い仕事が見つかれば、すぐにでも乗り換える」
「……なお悪いよ……」
 アルドが額を押さえながら言った。
 人間的にやや不安は残るが、彼らの知識と能力は申し分ない。
 ライア達は、かつての敵を協力者として受け入れ、先に進む決断をした。



 青空を見て、思い出すのは白い城壁。
 それは、自分を閉じ込めるものではなく、家の壁、そんな感覚。それもそのはず、内側ではなく、外から見た姿のほうが、強く記憶に残っていた。……壁の内側で空が見える代表と言えば、中庭があるが、そこは伯母の気に入りの場所だ。ライアは、用が無ければわざわざ立ち入らないし、厳格な伯母が、次期後継者がぼけーっと空を眺めているのを見咎めないとは思えない。
 城下の子達と遊ぶ事が許されて、外から見る城は、当初は新鮮なものだった。そして、城壁を見上げて漠然と思うのだ。ああ、ここが自分のうちなんだ、と。そう考えると、何か不思議な感じがした。
 成長してからも、城下から見る城は好きだった。スロウディア城には、青空が似合うと思う。
 そうやって、つい2ヶ月前まで、平穏に暮らしていたのが嘘のようだ。
 いい加減、自分も王位後継者として自覚を持とうと思った矢先――。
 現実に返って、ライアは前を見る。
 今日は、風が強かった。走り行く雲に、すかすように片手をかざす。
 このちっぽけな手で、どこまでやれるのか。限界を線引きするのは、いつだって自分。だから、絶対に諦めないと、自分自身に挑戦状を叩きつける。
「ライアー」
 呼ばれた方角を見ると、仲間達が待っている。
 ライアは駆け出した。
「……あれ?」
 近くに来て、ライアは妙な既視感を覚えた。いつも通り、にこにこと笑顔で立つフェリーナの隣に、見慣れたしっぽ頭。謎が解け、ライアはぽんと手を打った。
「ああ、そっか、髪切った!」
 思えば、避難所で会ってから今まで、しっぽの先端が背中の中心辺りまで垂れていた。先端が肩の高さ位だった去年の冬の方が、断然見慣れている。
 リーティスは、半眼でライアに詰め寄った。
「今更ぁ??」
 ライアは、今見たの初めてだろ、と言いそうになったが、『今更』、とは、むしろ長かった時に突っ込みが皆無だった事への抗議らしい。
 そこに突然、背後からウィリアが抱きついたもので、リーティスの両肩は反射で跳ね上がった。
「っ!?」
「んもー、もっと伸ばしても可愛かったのに。もったいないわぁ」
 どうやら、彼女はいたく姉上様に気に入られたようだ。リーティスは離してくれと必死に態度で訴えかけるが、結局通用しなかった。
 ようやく解放され、肩を撫で下ろすリーティスを、アルドは、その横のライアと見比べた。
「こうして見ると、確かに、ちょっと懐かしいね。一年前と変わらない――いや、ライアは、背、伸びたかな」
「ああ、そだな」
「むぅ。自分ばっかずるいじゃない!」
 リーティスに理不尽な理由で絡まれるのはいつもの事だ。
 しかし今日は、そこに洒落にならない殺意の視線が加わった。
「つか、何様? 死んでいーよ」
「生意気な――」
 ウィルとビゼス。どうやら2人に、この手の話題はご法度だったらしい。
 目の前に長身のアルドやウィーロスが居るのに、なぜ。理由を問えば、全会一致で『ライアの癖に』。
「……俺がなんなんだよっ!?」
 ラースの山々に、ライアの叫びが木霊した。



 ラース盆地の遙か上空。そこに、一つの巨大な影が浮いていた。
 全身はうす茶、風切り羽だけが鮮やかな緑色の怪鳥だ。
 驚くべきことに、その背には一人の女が乗っていた。鷹ならば人の手で飼い慣らすことができようが、この怪鳥は魔物に属する。人に懐く道理がない。
 そうなると、背に乗った彼女も、人に化けた魔物だろうか?
 風に煽られ、軽くカールしたダークブロンドのショートヘアが、肩の上で揺れる。こうして見ると、人間、あるいは魔族の女と、何一つ変わらない。
「……jo――uga u―oi―a……」
 怪物が道を塞いでいた地点を見下ろして、彼女は何事か呟き、怪鳥を促していずこかへ飛び去った。


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