『まったく…………とんだ間抜けだな、貴様は』

 この声、聞き覚えがある。

 ここはどこだ。

 闇の中に居る。違う、黒の、中。上を見ても、下を見ても、黒く塗りつぶされた空間がある。そのくせ、おれ自身の姿ははっきりと見えていやがる。現世の理屈を超越した、そんな場所。夢の中とでも思えばいいのか。

 ――いや。わかっている。おれは死んだ。汚い覇権争いに巻き込まれた、不憫な姪の子の身代わりになって。
 仕方ねぇだろ、おれぁもう、歳だ。こんな糞ジジイの替わりに、3つの無垢な幼子が死んでいい理由なんて、どこにもねぇ。

 おれは、声がした方を睨んだ。


 おれなんかより前に、とっくに逝ったはずの金髪の野郎が、そこに立っている。
 おれは、ニヤニヤと下品な笑いを浮かべて、そいつを嘲笑ってやった。

『……よォ。老けたな。随分と、久しぶりじゃねぇか』

 野郎は、呆れたように溜息をついた。

『死後までそんなだと、お前の分まで苦労を背負わされた、奥方と親族が不憫でならない』
『そーゆぅお前さんは、40半ば、若くしてお・亡・く・な・り・に、なったろ?』

 非難がましく睨みつける、凍てつくエメラルドの瞳。妙に懐かしい。
 奴は、おれを視野の外に追いやってから言った。

『事故死だ。妻と、湯治に行った先の間欠泉でな。言っておくが、貴様のように、不始末から広がった陰謀に巻き込まれて、間抜けにも暗殺されたのとは訳が違う!』
『あー、はい、そーぅですか』
『……ったく……。貴様は、死んだってそうやって変わりやしない。いつまで経っても、頭の中身は赤子並みだ』

 お前こそ、変わんねぇぜ。可愛げのカケラもねぇ、その言い草。

『それで、本題だ。お前は――どうする?』

 沈黙。言っとくが、おつむが足んなくて意味が解んなかったのと違う。

『解っているだろう? 私もお前も、生前に精霊の加護をこの身に受けた。あの精霊は、私達に力を託した時点で、消滅した。これから、どうするか……加護の力を託すべき相手を見つけ、人間としての正常な死に還るか。それとも、このまま人格を捨て、精霊となって現世の誰かを守護するか。選べる道は、二つだ』

 はいはい。ご丁寧な説明、あんがとよ。
 おれは……どうすっかな。死んだ後なんて、誰も考えちゃねェだろうよ、フツー?

『とーぜん、若くて可愛いお姉ちゃんの傍に居られる方選ぶに決まってんだろーが。つーかよ、てめぇの方こそ、おれがここ来んまで、待ってた理由が解らねぇ』

 少なくとも、おれが奴の訃報を聞いて、裕に20年は経ってるはずだ。
 何か癪だったのか、ぴくりと奴の眉が動いた。絶世の美男子だった若い時分と、何一つ変わりねぇ仕草。

『貴様のような人類の屑は、どうなろうと、どう死のうと、私には関係のない話だ。だが、残されたスロウディア王家の子供たちは、どうも不憫でならんな』
『お、おい。どこ行くんだよ!?』
『私は、私の決めた者を護る』

 そう言って、おれを黒い空間に残して、奴はとっとと先に行きやがった。

『ったく……』

 白頭をかきながら、おれは、考えた。
 あいつは、ムカつく。けどそりゃあ、あっちだってどっこいどっこい、お互い様だ。
 あいつが、おれの残した者達を見守っている、それならば。
(おれは――……)



STAGE 22 solitudinous tears 〜手がかりを求め〜



 エスト大陸の東の玄関、港町ポルタ。そこは、スロウディア地方を襲った怪異が自分たちにも降りかかるのでは、と恐れる人々で溢れていた。富豪や貴族、大商人、それに、密航の隙をうかがう市民やならず者達まで、その身分は様々だったが、その目的は一様に、怪異から少しでも遠くに逃げたい、というものだった。
 混乱を避けるため、十分の期間は、やむなく、船出は見送られる方針だ。
 『船は出ません』――そう言って両手を広げながら立ちふさがる水平達に、人々は不満と懇願の声を上げて詰め寄った。
 夜、港に詰めかけた人々が寝静まる頃、一隻の船が静かに船着場を離れた。それは、昼間、整備中で使えないと説明されていた船だ。
 エスト大陸騎士同盟の正式な書状を持つライア達は、整備中と偽わられた船に潜んで、この時を待っていた。
 選ばれた同乗者の中には、混乱を避けるために、一昨日の晩から船に乗り込み、樽に潜んでいたという魔法学者までいて、ライア達は、お互い大変ですね、と苦笑し合った。乗船者は、操舵の乗組員を除いては、全員、何かしらの形で、怪異の調査に関わる者だ。
 エスト大陸が水平線に消えようとする夜明け前、ライアは後部の甲板にいた。
 もしかしたら、最後になるかもしれない。
 戻って来る時は、怪異を打ち消す方法を見つけた、その時だ。
 船はゆるやかに、波の上を進む。ゆらゆら揺れる水面は、まだ暗い空の星々を映し、船の引く尾が、水面を乱していく――……

 そして一行は、再びノーゼの地を踏むのだった。

「よく、来てくれましたね。貴方が無事で、本当によかった」
 足の悪い夫人は、一年前と変わらず、背筋をしゃんと伸ばし、暖かな微笑でリーティスと面会した。夫人の隣に座る、威厳ある当主は、ひとしきりリーティスの話に耳を傾けた後、自分達の現状を語った。
「えっ!? じゃあ、今二人はいないってことですか?」
 二人、とは、金髪で無愛想で冷酷で不可思議な思考の持ち主、長男坊のヨーゼフと、この家の『兄弟』たちのリーダー格、黒髪のミハエルだった。
「うむ。あやつらは、特殊な任務を帯びて行動しておる。なに、心配は要らぬ。そなたの知る通り、弟のほうは要領が良い。兄のほうに至っては、殺しても死にそうにないだろう」
「はい……」
 本心ではそれはもう深く頷いていたリーティスだったが、息子達を送り出したファーザーと夫人の手前、その言葉に力強く賛同するのも憚られた。
 そしてまた、リーティスには意外な情報がもたらされた。怪異の前後、国外に遠征中だったセーミズの騎士数名が、半月ほど前、祖国復興への助力を求め、この屋敷に立ち寄ったという。その中には、リーティスの縁者の名もあり、同胞の息災を聞いたリーティスは、僅かだが気が休まった。

 当主との面会を終えたリーティスを、『兄弟』達が出迎えた。
「んもー、リっちゃん久しぶり!」
 真っ先に、人懐っこいラッツが、再会の挨拶代わりに肩を組んできた。
「おい、ベルルン。可愛い妹との再会だぜ?」
 『兄弟』達にからかわれ、長身のベルンは顔を赤くした。そこに、横からカントが言う。
「あっ、そうだ、こいつ、次の夏に、結婚する事が決まったんだ」
「ずっりーよな! ひっとり抜けがけしやがって!」
「そういう貴方は、彼女居るだけマシじゃないですか……はぁ」
「元気出せ〜、リシア。振られた分だけ、イイ男になるんだぜ?」
「しかし、お相手の女性、こいつにはちぃっともったいねぇよなー?」
「確かに、花嫁の美しさは、美の使者である僕も認めるよ……」
 変わらない彼らに、いつの間にかつられて笑っていたリーティスは、こそばゆいような気持ちを覚えた。
(なんだろ――みんな、相変わらず。……私、頑張んなきゃ。セーミズに帰っても、こうやって、セーミズのみんなと、笑えるように)
 和やかに再会を果たした彼らだったが、そういえば、と少しテンションを下げて、屋敷に残る9人の『兄弟』のうち、顔を見せていない1人のことを口にした。
 リーティスは、案内された部屋に入ると、静かに戸を閉めた。
「こほっ、こほっ……すみません、折角の再会なのに。夏頃から、少し体調を崩していて……」
 どうやら悪い病をこじらせたらしいフェルブールを見舞った後、リーティスは名残惜しいながらも、『兄弟』とファーザー、そして夫人に挨拶をして、屋敷を出た。
 集合場所の広場では、先に、ライアとアルドが待っていた。
「んじゃ、行くか!」
 彼らの目的地は、ここではない。前代未聞の怪異の原因を探るには、より高度な技術と知識が必要となる。
 目指すは、医療と学問の街――ローゼス。



 ローゼスでは、事の信憑性はともかく、エストでの怪異の事も多少は伝わっているようだったが、町の雰囲気は、初めて訪れた時とあまり変わらないように見えた。
 到着してすぐ、リーティスが落ち着かない様子で言った。
「ねぇ。ここって……」
 先回りして、アルドが答える。
「うん。だけどできれば……彼女との接触は避けたい」
「なんでだよ? げほ、げほっ」
 咳をしながらライアが尋ねる。昨日から、体調を崩していた。
「彼女には、一流の医師を目指す夢がある。それなのに、僕達が今、姿を見せれば――」
「そっか……フェリーナ、優しいもんね。自分の夢は後回しで、私達の事、手伝ってくれようとしちゃう、かぁ……」
「それだけじゃない。僕らが、ここでは真偽が判らない怪異を、『本当』にしてしまうんだ」
 フェリーナのご家族はスロウディア地方にいるだろう、とアルドが言うと、リーティスは気まずい顔をした。真実を知らないほうが、彼女のため、という事もある。
「そだね……やっぱり、会わない方がいいかも」
「うん。噂は流れてきても、遠い場所の話だ。まだ、嘘かもしれない、自分の家は大丈夫かもしれない――そんな淡い期待を抱いていられる。その『かもしれない』まで、奪ってしまいたくないからね。――と、ライア」
「何?」
 枯れた声で言って、ライアは袖で口を押さえながら咳き込んだ。
「やっぱり、今日はよそう。調査に関わる部分は、全員で動いた方がいいからね……今日は、ゆっくり休んで」
 アルドの決断により、この日は早々に、宿に入った。

「ふぅ……」
 息を吐きつつ、ぱたん、と戸を閉めて、アルドは、先にライアの部屋を出ていたリーティスを見て、穏やかに言った。
「大丈夫?」
「え? 何――」
「ライアですら、ああだ。多分、旅の疲れだけじゃなくって、心労が祟ったんだろうね。……君も、ライアと同じで、実際に、怪異が起こる瞬間を目にしてるはずなんだ。記憶にないからといって、心身に影響しないなんて、誰にも言えないんだよ。だから――無理はしないで」
「……うん。まだ、大丈夫。ひとりにされちゃったら、正直へこむけど……。置いてかないでよ?」
 恐いのは、誰だって一緒だ。あれだけ訳の解らない事態に遭遇して、大人のアルドですら、酷く不安で困惑していた。
「置いてかない。正直、今度こそ、僕一人でどうこうできる問題じゃないんだ。ここまで来たら、前みたいに、君達は危険だから来るな、なんて言わないよ」
「うん。――その言葉、信じてるからね?」



 一人になって落ち着いたところを、戻ってきた顔を見て、ライアは言った。
「――なに、帰ってきてんだよ……。ケホッ、ケホッ……早く、出てけって……うつるぞ?」
 むすっとした顔で、ベッド脇に突っ立ったリーティスは、ぼそぼそと述べた。
「………んき…してよ」
「ぁ、なんて……? よく聞こえない」
「元気出せって言ってんの!」
(うわ、逆ギレかよ)
 少し考えて、ライアはお返しのように呟いた。
「……そりゃ、お前こそ」
「何よ!?」
 答えようとして息を吸った瞬間、ライアは咳込んだ。咳が止まって、ベッドに寝転んだまま、横目でリーティスを睨んだ。
「最近、寝てねーんじゃないのか?」
「はぃ? 何を根拠に――」
 野営で寝ずの番が回ってきたとき、何度かうなされているのを見た、とは、プライドの高いリーティス相手に、とても口にはできない。
「げほっ! ……っ、んだよ、違うのか――?」
 どういう訳か、病人と、見舞いに来たはずの人間が無言で睨み合っている。なかなか珍妙な光景だ。
 威勢よく沈黙を破ったのは、リーティス。
「ともかく、早く治しなさいよ!? じゃないと、私が病人食調理してやるんだから!」
(どんな脅しだよ……?)
 しかし、言葉の意味を考えて、ライアは思い直した。
(早く治さねぇと――)
 真剣に療養に努めなくては、リーティスの手料理でノックアウトの命運はまぬがれまい。
「ふざ……ぇんな。だったら、さっさと…ケホッ…ぇてけ。寝られねーじゃね、か……」
 ふん、と鼻を鳴らして少女が退室してしまうと、ライアはようやく安寧を取り戻した気分で、目を閉じた。



「うん――顔色も、大丈夫そうだね」
 そう言って、アルドは、回復したライアとリーティスを伴い、南にある大きな建物に向かった。
 高名な医師や博士、それに研修生達が日夜研究に励む他の棟と違い、その建物は静かだった。
 機密を扱う機関のため、隣の区域に移動する度に、魔法による封があったり、人気が少ない割りに警備の数が多かったり、案内されながらも、程良い緊張感を味わえる場所だった。
 建物の一角に、エストでの怪異の原因解明を専門とする課が設けられており、調査チームの数名が、通された部屋で仕事をしていた。
「こちらです。――お客様をお連れしました」
 案内役の女性は同僚に告げて、ライア達に一礼し、部屋を出て行った。
 入れ違いに、部屋にいた研究者らしき男が応対した。
「貴方がたが、スロウディアから派遣された方々ですね。よくぞ、遠いところをおいで下さいました。ご覧の通り、決して大所帯ではありませんが、ここに居る者は、自然界の魔力の流れや、大掛かりな術に携わるエキスパートばかりです。我が課では、全力を挙げて原因究明に取り組んでいるところです」
 それに対し、アルドが、代表として挨拶と3人の自己紹介を済ませた。
 男はにっこりと微笑んだが、その口からは、きっぱりとこう告げられた。
「我々は、怪異は、自然現象ではなく、人の手によるものだという前提のもとに、調査致しております。すなわち――」
「どこかに犯人がいる居る以上、そして、それが誰だか分からない以上、身内以上の範囲に情報を漏らす訳にはいかない、と?」
 アルドの先回りに、男は少し驚いたようだったが、気分を害した様子はなかった。
「そうです、その通り。だから、申し訳ないですが、まず最初に、皆さんを試させていただきます。そこのところ、どうかご了承下さい」
 アルドが請け負う。
「良いでしょう。では、私達はどうすれば良いのですか?」
「それは、これからご説明させていただきます」

 アルド達が連れられた別室は、魔法に関連すると思われる機材が置かれ、先ほど通された空間とは違い、椅子や机が少なかった。
 四本の柱状の奇妙なオブジェに囲まれた中央に、椅子が一つあった。
 そこに、アルドが座る。
「これから、アルディス様に催眠をかけ、質問させていただきます。……ホントは、こんな自白の強要はどうかと思うんですが、事態が事態ですから……」
 そう言って、課員の一人が説明を始めた。
「質問の内容は、貴方達の素性を問うものです。余計な事は訊きません。一応、その証人として、お二人には同席していただきます」
「てな訳でー、お二人さん? その柱より内側に入ってちょーだいな」
 やけにラフな、助手らしき課員の若者が淡々と言ったが、言われた方としては、おちょくられているのかと考えてしまう所だ。
「あの……これ、結界とかじゃないですよね? 俺達をそのまま閉じ込めたり、とか、実はできちゃったり――」
 魔術師アーサーとの勝負で魔法で痛い目を見ているライアは、不躾とは思いながら、そう尋ねた。すると、先ほどのラフな若者が答えた。
「ああ、ごめんごめん。先に、実演しとこうか? ね、リスト?」
 同僚に一声かけると、若者は、すたすたと、四本の柱の内側に入った。
 リストと呼ばれた課員が制御装置らしき物体に魔力を込めると、隣り合う柱と柱の間に、スクリーン状に、薄いもやのようなものが広がった。
「はいはい、準備オーケー。じゃ、頼むよ」
 内側にいる若者に言われて、制御装置から離れたリストが、こほん、と一つ咳払いをして、始めた。
「……えーと、貴方はどうしてそう、いつも軽い考えで突っ走るんですかね? 子供じゃないんですから、もうちょっと考えて行動したらいかがですか。ていうか、その髪型、昔っから気になってたんですけど。邪魔ったらしく後ろで結んでるくらいなら、そんな中途半端な長さの髪、切ってしまったほうがマシです。いっそ、丸坊主なんていかがですか。カツラで毎日イメチェンできますよ?」
 外側にいるライアとリーティス、それに内側の椅子に座ったアルドは、ぽかんとしている。ぺらぺらと悪口を並べ立てる同僚に、若者は問い尋ねた。
「おい……ちゃっかり本音とか混ぜて喋ってないか……?」
「いえいえ、とんでもない。『全て』本音ですよ? カーラ君」
「あ……っ」
 声を上げたのは、リーティス。ライアも目を見張ったが、柱で囲まれた内側に座ったアルドは、外の二人の反応に、怪訝そうな顔をしている。
「お解かりですか?」
 くるりと振り返って、リストは、ライアとリーティスに言った。
 もやを通して、内側にいた若者の周囲が、燃え立つような激しい紫色に染まっていた。そちらを手で示しながら、リストは言った。
「開発途中なんで、まだ完璧とは言えませんが……このように、激しい感情の起伏などがあると、それを色として知覚できる設備なんです」
「へー……」
「すげー……」
「ではカーラ君。ついでですから、催眠の実演もいきますか。とても自分からは話せない、恥ずかしい秘密の一つや二つ、ちょいちょいと喋る所を見ていただいて……」
「ちょっ、おまっ……!?」
 すると、今度はもやが黄色に変わった。リストは、呑気に言う。
「……ね? こんな感じで、感情の種類によって、色とかも変わるんですよ。いちいち言葉に対して本気になってくれるんで、カーラ君は、実にいい被検体です」
「ちくしょう……みんなして俺をいじりやがって……」
 カーラがしょぼくれると、急速にもやの色がもとの白色に戻った。
「では最後に、『あれ』やって下さい」
「……ああ、これな?」
 言って、カーラは顔の横で掌を上に向けた。
「わ」「えっ!?」
 リーティスとライアが見ている目の前で、今度は、単なる着色ではなく、緑色の強い発光が、上に向けた掌に絡みつくようにして見えた。
 ぴかりと強烈な光の後、手の上に魔法で水球を出現させたカーラは、外のリストに様子を尋ねる。
「どう?」
 外から見ているライア達には、カーラの腕と、その上に浮いている水球の間に流れる、緑色の無数の光の筋が見て取れた。
 水系の魔法ならば、本来発光しない。中にいるアルドが、ライア達の反応に首を傾げている点を見るにつけ、もやを通して外から光を見ているのだと、ライア達は確信した。
「うん、いいよ。ありがとう」
 言われてカーラが水球を消すと同時に、光もまた、消滅した。
 リストが制御装置を操作してもやを消し、カーラがすたすたと、柱の外に出た。
「どうかな。こんな感じで、ヘンな気を起こせば、その場で判る仕組みなんだ。魔法を使おうとすれば、その準備段階から魔力が光って知らせてくれる。てな訳で、お二人もそっちに入ってくれるかい? どしても嫌だってなら、こちらも考えるけど」
 リストに問われて、ライアは答えた。
「わかりました。アルドへの質問に対して、俺達が変な気起こさなければ、何も問題ないんですね」

 アルドの催眠を担当した青年は、当人こそ、あまり自信がないと言ったが、周りの課員達の証言通り、それは謙遜というものだった。
 催眠術の腕は確かなもので、眠ったように目を閉じて椅子に座ったアルドは、課員らの質問に答え始めた。
「貴方のお名前と、出身を教えて下さい」
「アルディス=レンハルト…… ××××、×××――」
 あ、しまった、と、質問をした課員が小さく言った。深層心理に直接問いかけているため、母国語が出てしまっている。ライアが、もや越しに近くに立っていた女性に、小声で尋ねた。
「あの――通訳、しましょうか?」
 女性は、苦笑した。彼女は、最初に建物に入って来た時、案内してくれた課員だ。
「いいえ、それじゃあ、意味がないもの」
「……ですよね」
 課員は、質問を改めた。こちらの言語で喋れるか?――Yes。
 では、その言葉で喋り続けてくれ――了解。……そのような調子で、質問は続けられた。
「それでは、貴方と一緒に、ローゼスの町まで来たお二人は、どなたですか。貴方とは、どのような関係ですか」
 とっさに、ライアが身を固くした。もや越しに、課員の女性がこちらを注視するのが判る。
 動揺している。もやの向こうで自分達を見ている者たちは、気づいているだろう。
(落ち着け――バレたって、構いやしない。俺は、こんな所で……立ち止まれない!!)
 アルドは答える。
「女の子は、リーティス。セーミズのお嬢様で、怪異に巻き込まれた。信用できる。だから、一緒にここまで来た。男の子は、ライア。スロウディアの…」
 本名よりあだ名が染み付いていたのが幸いだったが、ライアも、ここまでと覚悟を決め、自身に言い聞かせた。リーティスに聞かれたところで、今と何が変わる訳でもない。――多分。
「昔からの、僕のともだち。目が、離せないけど……素直で、純粋な子」
 アルドの答えに、一瞬フリーズして、ほっとするより前に、心の中で全力で叫んでいた。
(えぇええ? いや、それはそれで恥ずかしい! なんか!! 危機は去ったけど、なんか本人いる前でそれって、ぶっちゃけ恥ずかしい!!)
 こころなし、外の人々の態度が軟化した気がする。――微笑ましさを噛み殺している、というか。気恥ずかしいという感情も色で見えるのかどうか、内側からでは判らないが、そう考えるとそう見えてしまうものである。
 いずれにせよ、質問の仕方一つが変われば本名がばれていた可能性もあった訳で、今回は運がよかった。
「……少し、立ち入った質問をします」
 そう断った課員は、やや表情を硬くして、続けた。
「貴方と一緒にいる彼らは、怪異と、どう関連するのですか?」
「被害者……。二人とも、一時的に、記憶を失ってた……。原因を突き止めて、エストを元に戻したいと思ってる。それは、二人も、僕も、同じ」
 質問をした課員はうなずき、それからアルド自身の事を尋ねた。
「アルディスさんは、スロウディア地方の怪異について、どうお考えですか」
「……わからない。辛い。悔しい。家族みんな、巻き込まれた。僕以外は……」
 いいでしょう、と言って、質問者は、術者に指示して催眠を解かせた。
「ん……。あぁ……終わった?」
 目を開けたアルドは、横に居た二人に、不思議そうに尋ねた。

 アルドが素性を問われた時、動揺したのがまずかったのだろうか――ライアは、そんな事を思っていた。
 目の前には、先ほど自分達を案内してくれた、ふわりとした雰囲気の女性が座っている。彼女も催眠術の心得があるらしく、これから、この二人きりの個室で質問を受けることになっていた。
 先ほどの調べで、アルドのシロは確定した。しかし、ライアとリーティスに関しては、まだ定かでない。そこで、先程と同じ方法で、今度は別室で一人ずつ質問を受ける事になった。
「あまり、深く考えないで下さいね? こうやって別個に質問させてもらうのは、プライバシーを守るためですから。ここで、私が貴方からうかがった事は、必要のない限り、他の課員にも、お話しは致しません」
「――必要がなければ、ですか」
 勘繰るようなライアの質問に、メリルと名乗った女性は、茶目っ気を込めた微笑を返した。
「やはり、何か気にかかる事でも?」
「……見えたんですね。やっぱり。さっきので」
 ライアは紅い瞳でメリルを見て、はっきりと告げた。
「俺の素性について、疚しい事はありません。ただ、リーティスはその事を知らない。だから、質問された時、動揺したのは確かです。でも、お話できない内容じゃない。今、ここで直接喋っても構いませんが――潔白を示すためにも、俺の心に、直接訊いて下さい」
「ええ。ご協力感謝します。……始めるので、力を抜いて」

 一方の、リーティス。
(116号……この部屋、だよね)
 言われた通りに階段を降りて、教えられた部屋をノックした。
 中をのぞくと、女性が一人いたので、リーティスは尋ねた。
「あの……カイさんは、こちらに?」
「ぁあ、話は聞いてるわ。入って」
 リーティスを招き入れた彼女は、サイドが長めのシャープなボブカットで、仕事の出来る印象を与えた。
「そこ、座って」
 勧められるままに、おずおずとリーティスが腰を下ろすと、女性は首を傾げた。
「ん? どうしたの。私の顔に何かついてる? それとも、カイお姉さんの美貌に、見とれちゃった?」
「えっ!? カイさん??」
「そうよ」
「いえ、あの――お名前を聞いて、てっきり、男の方かと……」
「ああ、そういうのあるわね。貴女、遠くから来たんでしょう。この辺じゃ、カイって、珍しくない女の子の名前よ」
「そ、そうですか……失礼しました」
 リーティスがほっと肩の力を抜いたのを見て、カイはにんまりと笑った。
「そうよぉ。緊張しなくていいの。催眠中だからって、あんなとこ触っちゃったり、好きな男の子のタイプを聞き出しちゃったり、そんなことしないから、安心して」
「なっ、何ですかっ!? それって!」
 冗談とは、判っている。しかし、今からこの人に、洗いざらい吐く事になるのだろうか。想像して、リーティスは頭が痛くなりそうだった。

「――終わりました。どうですか、気分は」
「……。何ともないです」
 このひとは、もう、知っているのだろう。怪異に関する、自分の記憶にある限りの話を。そして、身分の事も。
 それを示すように、メリルは、真剣な顔で述べた。
「貴方の立場は、場合によっては、非常に厄介な火種にもなりえますね」
「…………」
 何を言わんとしているのだろう。ライアは、続きを待った。
「私は、これまでの質問で、貴方の正式な立場と、怪異に関して潔白であることを把握しました。それ以上の事はありません。そして、それ以下の事もないのです。――つまり、私達は、貴方が誰であれ、その障害にはなりません。でも、だからと言って、特別に手助けをする事もできない。私達にできるのは、ただ、一刻も早く、怪異の原因と対処法を、解明に導くだけです」
「……いいえ。それだけで、充分です。俺達だけじゃ、何が起こっているのか、それすらも、本当にさっぱりなんだ。ご協力、感謝致します」
「いいえ。これは、貴方達だけの問題じゃない。人為的な災厄でありながら、犯人とその目的が判らない以上、自分達自身の問題でもあるんです。――このような状況下です。貴方達の旅も、この先、困難が付きまとうことでしょう」
 メリルは、真っ直ぐな瞳でライアを見て、こう言った。
「がんばって」
 それは、国の存亡を背負った王子へ、ではなく、故郷を取り戻そうとする一人の少年への、エール。



 それは、ライア達がローゼスに到着する、半年前の出来事。
「ばあちゃん? 薬、置いとくよ」
 そう言って、診療所の手伝いの少年は、祖母の部屋の入り口にある棚に、今日の分の薬を置き、そのまま踵を返そうとして、立ち止まった。部屋の奥で背もたれの高い椅子に腰掛けていた祖母が、風のように、何か囁いた気がしたのだ。
「ティスや」
 こっちにおいで、と、穏やかな声で、老婆は呼んだ。ティスは、素直に老婆の前に来て膝をついた。皺だらけの手をとりながら、不思議そうに見上げてくる少年に、老婆は言った。
「お前さんはの、口が堅い。じゃから、この話をするんだぞい?」
 ティスが頷くのを確認して、よろしい、と彼女は話を続けた。
「数日前からのぉ、占いに、凶兆が――この老いぼれの腕が鈍ったんじゃと、信じたいところじゃが――何度やっても、恐ろしい結末が、見えるのじゃ」
 ティスは固唾を飲んだ。肝の据わり方は父や姉に似たが、それでも、まだ十台半ばの少年には、変わりない。ティスは、尋ねた。
「恐ろしい、結末?」
「あぁあ」
 答えて、老婆は、ふと、外の穏やかな日差しを見詰めた。孫は、無言のまま待った。
「この辺りにの、もうすぐ、恐ろしい厄災がやってくるんじゃ。おそらく、スロウディアの大半は、その厄災に呑まれてしまうじゃろうて」
 それを聞いて、ティスはまくし立てた。
「それだったら! すぐにでも、町のみんなに伝えようよ。今すぐここから避難して……」
「まぁまぁ、そう急ぐんじゃないよ、ケホ、ケホッ……っと……どうも、近頃は肺が弱ってしまって、いかんね」
 のんびりと呟いて余裕を見せたかと思うと、かつて魔女と呼ばれた稀代の占い師フォレスは、話を再開した。
「その災いは、南から来る強い思念によって引き起こされる。じゃがの、しかし、何が起こるかは分からん。それに、恐らくは、ヒトの手で抑えられるものではないんじゃ」
「わかんねぇよ……ばあちゃん。どうして、そんな話を俺に」
「わしはの、もう充分に生きたと思っているんじゃ。息子夫婦の意志を継ごうとする、フェリーナの巣立ちにも立ち会えた。――じゃがのぅ、ティス。お前さんはまだ若い。お主ひとりなら、ここから逃げることも可能じゃろ」
「やだよ……」
 ティスは、震える声で言った。
「そんなのやだ! だったら、町を挙げて、みんなで逃げればいいんだ!!」
 フォレスは、静かに首を横に振った。
「公言したところで、歳寄りの妄言と言われるのが関の山じゃろうて。だいたいのぉ、真剣に耳を傾ける者があったところで、町に混乱を招くだけぞえ?」
「けど……ばあちゃん」
 ティスは賢い少年だ。そんな話を広めれば、不吉な予言の大元である、祖母の身にも危害が及び兼ねないと、自分で見抜く力があった。
 黙って俯いてしまったティスの肩に、枯れ枝のような手が置かれる。
「だがの、悲観してはならん。もしかすると、その厄災の後、この地から災いを払ぅてくれる者も、現れるかも知らぬ。それを、お前さんは皆と待つのか、その足で僅かな希望を頼りに行くのか、今ここで、決めるのじゃ」
 青い瞳で祖母を見上げ、ティスは、決意を秘めた表情で言った。
「俺、ここでみんなと待つ」
 祖母は、穏やかに返した。
「そうかい」
「だってさ、ばあちゃん、今具合あんまり良くないし、通院してるマリアさんとか、偏屈ゼッペじぃさんとか、まさか、ほっといて行けないだろ?」
 16歳の少年は、少年なりに、すべきことを見つけていた。それは、災いが訪れるその日まで、医師見習いとして、人々の助けになる事。
 たった一人で訳の解らない災いに立ち向かう力はなくても、町の人達の力になることなら、できる。
 フォレスの骨ばった手が、ゆっくりとティスの頭を撫でた。ティスは、くすぐったそうに目を細めながら言った。
「フェリーナねえちゃんもさ、今頃は、ローゼスって町に着いて、勉強してるんだよな? こんなに遠くにいて、こういう事言うの、おかしいかもしれないけど――」
 ティスは、明るく吹っ切るように、言い切った。
「ねえちゃんなら、災いだってぶっとばしてくれんじゃないかって、思うんだ」

 ――はっと目を覚ました。
 昨夜も寝付けずに、暗記するほど読み込んだ医学書を読経のように読み返していた。どうやらそのまま、机で寝てしまったらしい。
 今朝は、眠れただけまだましだ。
 身を起こし、彼女は自分の涙に気づいた。
 何の夢を見ていたか、思い出せない。誰の夢だったか、よくわからない。
 それでもただ、悲しいという感情だけが、そこに残り香のように漂っていた。

 苦しかった。
 誰かに助けて欲しい。
 あの人たちが、すぐ近くに、この町に来ている事には、気付いていた。遠くから見かけて、でも、その後すぐに見失ってしまったから。
 けれども、向こうから会いに来ないという事は、そういう事なのだと……判ってしまった。だから、自分からは何もしなかった。――できなかった。

 彼女は研修生の身だったが、故郷に、ひいては身内に起こった事の大きさを考慮して、感情が不安定なうちは、休学を言い渡されていた。
 ――いつになったら、自分はあそこに戻れるのだろう。
 窓から見える研究棟を眺めやり、彼女はぼうっと考えた。しかし、考えても答えは出ない。
 時計の針が壊れてしまったかのように、時の流れは緩慢で、現実味を帯びない。そうやって、何日も何日も過ぎていた。

 外出は、日に一回、近くを少し歩くにとどまっていた。今の彼女には、それすら気晴らしにならず、ただ、慣習として続けていたに過ぎない。
 ただ、その途中でダークブロンドの青年の背中を見つけた時、彼女はいけないと自分を諌める前に、走り出していた。
 後ろから突然ぶつかってきた彼女に、青年は、びっくりしたように振り向き、それから落ち着いて、彼女の前髪をのけた。
 抑え切れず、細い肩を震わせて、彼女は泣いていた。

 ライアは思う。――立ち聞きなんて、するつもりじゃなかった。
 ただ、幼馴染と、その手前の小さな人影を見つけたとき、思わず脇道に隠れてしまい、出るに出られなかった、というのは、言い訳だろうか。
 それが誰だか、判っていた。心臓がどきどき鳴る。
 早くここから立ち去ろう。そう思うのに、硬直した足は、張り付いたように動かない。

「会ってはいけないって、解っていました。でも――!」
 アルドの胸に顔を埋め、泣きながら彼女は訴えた。
「ごめんなさい……。私、駄目なんです……。私のやるべきことは、ここで、お医者さんとして頑張る事だって、どんなに自分に言い聞かせても――駄目なんです……!」
「フェリーナ」
 彼女の二の腕を両側からしっかり支え、俯いた彼女に視線を合わせてかがみながら、アルドは続きを聞いた。
「壊れそうで……辛くて……。ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……。貴方に会ったところで、何が変わる訳ないのに、迷惑かける、だけなのに――っ」
「迷惑なんかじゃない。会えて、嬉しいよ」
 嗚咽を漏らすフェリーナが落ち着くのを見計らって、アルドは、諭すように言った。
「きみだって人間だ。辛いときは、辛いって言って、泣いたって良いんだ」
 路地から動くに動けなかったライアは、直後のフェリーナの告白に、戸惑った。
 フェリーナ自身も、混乱していたのだろう。家族を失い、深く傷ついた彼女は、正常であれば永久に胸に秘めておいたであろう言葉を、口にした。
 好きです、の一言が、ライア自身にもよく判らない衝撃となって、重く響いた。
(あれ――? 何、これ? いや、だって、フェリーナの事、とっくに諦めてたし……好きだけど、恋じゃないって、気づいてたはずだろ? ははっ……なのに、なんだよ、これ……)
 二人の会話が、耳に入ってくる。
 アルドはやんわりと、断りの返事を口にした。嘘であっても、弱っている彼女の希望となるような返事をしたい気持ちはあった。いや、故郷で怪異に巻き込まれた恋人と出会う以前だったなら、偽りではなく、本心から、フェリーナの気持ちに応えられたであろう。
 ただ、アルドは今も怪異の只中にあるそのひとに、あくまで誠実であろうとした。
 泣きながらも懸命に笑顔を作って、立ち去ろうとしたフェリーナを、アルドが引き止めた。彼女の精一杯の気持ちには応えられずとも、こんな状態の乙女を放り出すような男ではない。
「一緒に、来るかい――?」
 それは、アルド自身が、最も避けていたはずの言葉だった。しかし、傷ついたフェリーナの姿を見た今では、自分達から遠ざけるのは無意味だと、悟ってしまった。
「ごめんね。一人の男として、君を抱きとめる事はできない。だけど、仲間として――友人として、大切な君を守りたい。この気持ちに、嘘はないよ。君を、放ってはおけない。酷い事を言う男だと、都合のいい男だと、思ってくれて構わない。だから――」
 フェリーナは、アルドの胸に身を寄せて、小さく、ごめんなさい、と呟いた。
「……少しだけ、甘えさせて下さい――。一番でなくていい、『妹』でもいい……だから、今日だけ、今だけは……」
 乙女の頬を伝う雨が止むまで、アルドは、優しく彼女に付き添い、抱擁した。

 戻って来たライアがぼーっとしているのを見て、リーティスが冷やかした。
「うっせぇなぁ……」
 お決まりの反論ではなく、だるそうにぼやいて、ライアは返した。
「ほっとけよ」
「ふぅん?」
 リーティスは不服そうに、訳が解らない顔をしながら、引き下がった。
 しばらくは、お互いそれぞれの作業を続けた。ライアは、持ち物と剣の点検。リーティスは、読書の続き。
 しかし、黙々と過ぎる時間は、そう長くは続かなかった。
 読書に飽きたらしいリーティスが、点検を終えて手持ち無沙汰なライアに尋ねた。
「なんかあったの?」
「…………」
 不機嫌にだんまりを決め込もうかと思ったライアだったが、結局、ふて腐れたように洩らした。
「フェリーナを見たんだ。……元気なくて。でも、アルドと二人で居たから――あーもう! 解ったろ!? そんなとこ、俺が横から入っていけっか!?」
「あー……」
 気まずそうに頬をかきながら、目を逸らしたリーティスは、ひとつ頷いた。
「うん。わかった、ごめん。聞かなかった事にする」
「はぁ……最初から、訊くなよな……」
「……。でも、フェリーナ、元気ないんだ――。やっぱり、怪異の事、嫌でも伝わっちゃったのかな……? ――アルドが付いてたなら、大丈夫、だよね……」
「大丈夫だろ? アルドだし」
 言いながら、何で自分は泣きそうなんだ、と、さりげなくリーティスとは逆の方を向きがら、ライアは思った。

「おかえり」
 何事もなかったように出迎えたリーティスがいなかったら、ライアは挙動不審に陥っていたかもしれない。先にリーティスが対応してくれたおかげで、ライアは、『思ったより早いけど、言ってた時間よりは遅いし、何も見なかった振りをするなら、遅かったな、と言うのが自然か?』などという、荒唐無稽な考えを追い払える時間があった。
 フェリーナに会ったよ、と切り出したアルドは、あの場に途中までライアが居たことには、全く気づかなかったらしい。彼は、フェリーナの現状について述べた。
「実習はおろか、勉学すら手につかない状態だと周りが判断して、休学を勧められたそうだよ……。彼女自身は、復学した方が気が紛れると思っていても、医学博士の許可が下りないらしい。なにせ向こうは、心理学も権威が揃っているからね――素人がどうこう言える問題じゃなさそうなんだ」
 アルドにしては大胆な、思わぬ発言が飛んだのは、その後だった。
「フェリーナは、よほど顕著な変化が見られない限り、先半年は休学が強制されている。そこで、なんだ……怪異の調査メンバーに、彼女も加えようかと思ってる。――明日、もう一度会う約束をしたんだ。その前に、二人の意見を聞きたい」
 アルドは、第一の理由を、フェリーナの精神回復という点に置いて説明した。確かに、故郷を取り戻す力になれるという自覚は、フェリーナを良い状態へ持って行くかもしれない。
 そこに、ライアには意外なリーティスの抵抗があった。
「いいのかな――……」
 迷うように、彼女は言った。
「私は、もう帰るとこもないし、この先、どんな事があったって、受け入れる覚悟があるよ。でも……フェリーナみたいないい子はさ、この町にだって、きっと、必要としてくれる人が、沢山いるんじゃ……」
 そこで、アルドが制止をかける。
「リーティス」
 それは、子供をたしなめる母の眼差しに近い。
「そんな覚悟でいるなら、降りてもらわなきゃならないよ? 便宜上、僕がこのパーティーの指揮を取らせてもらうけど、帰らない覚悟で調査に挑むなら、連れていけない」
「ちょっといいか?」
 発言したのは、ライア。
「今のそんな深刻に受け止める事かよ。リーティスのは言葉の綾だろうし、だいたい、こうなのは、いつものことだろ? 何かっつーと、フェリーナと比べて、変な風に考えんだからさ。悪い癖」
「な……っ」
 赤面したリーティスが反撃に出そうな気配だったが、ライアは気にせず続けた。
「いいだろ、自分は自分、で。……で、フェリーナを連れてくの、俺は賛成だ。そのほうがフェリーナも気が晴れるって、アルドが判断したんだろ? リーダーが決めた事なんだし、俺は、それでいいと思う」
「な……何よそれ。それじゃまるで、私だけ悪者じゃない!? 私だって、別に、完全に反対してる訳じゃ――……」
 最後の方は口ごもるリーティスに、ライアが、アルドの方を見て、勝手に解釈を述べた。
「――って言ってるし、いいんじゃねぇのか? あとは、フェリーナ本人が、いいって言えば」
「そう……だね。構わないかい?」
 ペースを崩されがちだったリーティスは、諦めたのか、開き直ったのか、そこでやっと、本来の調子に戻って言った。
「そうだよ、肝心な事忘れてた。私達がどうこう言うより、フェリーナ本人だもんね。本当に行きたいって言うんなら、私は反対しない」
「っしゃ。決まりだな」

 次の日。
「おはようごさいます――」
 どこか気後れした様子で、待ち合わせ場所のアルドの前に姿を現したフェリーナは、不安を閉じ込めた瞳で、うつむいて地面を見つめていた。
「フェリーナ。昨日話した通りだ。可能なら、力になって欲しい。……どうかな?」
 アルドは、いかなる選択肢も、決して強いることはしなかった。
「いいんですか……? 私が、行っても……」
 顔を上げたフェリーナは、海に似た青い瞳で、懸命にアルドを見た。
 アルドは、包み込むように穏やかな表情で、しっかりとうなずいて、手を差し伸べた。



 先日、ローゼスでの審査を通過したライア達は、審査後、対策課で判っている機密を含んだ情報を開示された。
 そこで判明したのが、ノーゼ大陸の、特定のいくつかの地域で、魔力の流れに変動が生じているという事だった。
 その流れは、明らかに、文献に残る限りの自然の流れからは浮いており、ある地点で、大地を巡る魔力の流れが変わって、エスト大陸の方角に流れ込んでいるというのだった。
「その地点に行けば、何か解るかもしれません……。ですが、皆さん、お気をつけて。我々自身がそうであるように、まだ、敵味方の区別がつかない状況です。そこに行けば、核心に迫る事ができるかもしれません。しかし、その分、リスクも大きい――……」
「ご心配なく。自分の身は、自分で守ります。それに、私はもともと、エスト大陸の大陸同盟所属の騎士ですから。きっと、ここにいる二人も無事で、ご報告に上がらせていただきます」
 表情の硬かった課員は、幾分表情を和らげて述べた。
「それは頼もしい限りです」
 そこに、アルドの催眠を担当した青年が言った。
「ご武運を、アルディス様」
「ありがとう」
 メリルが、小さく首を傾けながら、落ち着いた声で言う。
「気をつけてね、ライア君」
「はい」
 最後に、リーティスを担当したカイが言った。
「頑張るのよ、リティ子」
「だ、誰ですか!? 変な名前つけないで下さいっ!」
 審問の際、個室で何が起きたか知らないライアとアルドは顔を見合わせ、カイの性質を知る課員らは、苦笑し合った。



「準備は、いいかい」
 アルドが、真剣な顔で皆に訊く。
「おっけー」
「いつでもいいぜ!」
「よろしくお願いします」
 すっかり旅支度を整えたライア達に、アルドは宣言した。
「それじゃあ、出発だ。行こう――ラース山地へ」

 1年前、共に戦った彼らの旅路は、今この場所より、再び始まる。


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