「でさ、コイツどーすんの?」
 冷めた口調で、短髪の少年が問う。
 石床には、金髪のポニーテールの少女が、気を失って倒れている。
「…………」
 銀の長髪をうなじのところでまとめた長身の少年は、何も言わなかった。そこに、銀髪の美女が言う。
「いいじゃない、このコ。私は気に入ったわ。その気があるなら、仲間にしてあげてもいいけれど」
「しかし、頷くとも思えんな」
 黒髪の青年の意見に、にっこりと笑って、美女は言った。
「私もそう思うわ」
 青年は、思案するように視線を上にあげて、呟いた。
「――利用できるものは、利用しておくか。近くに仲間がいるなら、突き返すなり、こいつを餌に始末するなりしてくれよう」
「あっそ。じゃ、貴方に任せたわ」



STAGE 17 days for the final 〜最後の余暇〜



 切迫した空気の中、黒の疾風と二人は対峙した。
 黒の疾風に捕まった人影がリーティスだと判っても、ライアは動くことも、下手に声を出す事もできなかった。
 向こうは、力の抜けたリーティスの体を左腕で固定し、その咽元に片刃の剣をぴたりと添えている。
「どうするつもりだ……!」
 アルドが、今にでも抜剣しそうな剣幕で尋ねた。
 そこで初めて、黒の疾風に表情らしきものが浮かんだ。
「そうだな……」
 下目遣いで愉快そうに言って、黒の疾風は、ライアに目を付けて顎で指し示した。
「お前が、ここまで来い。そうすれば、娘は返す。――そっちの騎士。貴様は動くな」
(くっ……!)
 アルドが悔しげに黒の疾風を睨んだ。言いなりになれば、リーティスだけでなく、ライアまでもが危険に晒される。罠としか思えなかった。
 真顔に戻って、黒の疾風は指示した。
「――剣は、そこに置け」
(……。落ち付け。あいつは、何を狙ってる? 俺じゃない。あいつなら、俺くらい簡単に消せる。それにあれ、本当にリーティスだよな? ……くそっ! こっからじゃ判んねぇ……!)
 視線だけは外さずに、ライアは屈みながら剣を地面に置いた。
「……わかった」
「ライア!」
 アルドの制止を、ライアは聞き入れなかった。
「リーティスには、何もするな」
 相手は答えず、無表情のまま、ふんと鼻を鳴らしただけだった。
 ライアが、黒の疾風に向かって歩き出す。視線だけは、糸で結ばれたように離れない。
 要求を飲んだのは、相手の本気を確かめるためだ。もし、その挙動に少しでも不審な点が生じれば、それを見逃さないつもりで、ライアは相手を見据えていた。
 あと、5、6歩と迫った時、刃を持つ手に力が篭った。
「やめろ!」
 反射的に叫んだところで、ライアは、黒の疾風の目線が自分を通り越し、その後ろを捉えていたことに気が付いた。後ろを見ないまま、アルドに懇願する。
「アルド……頼む、今は、あいつの言う通りにしてくれ。あいつが、俺か、リーティスに手ぇ出そうとするまでは」
「手を出されてからでは、遅い!!」
(だよな。それにアルドなら、俺を助けるために、リーティスを見捨てる大義名分だってある。でも俺は、リーティス見捨ててあいつ倒すとか、そんなのは嫌だ)
 普段の様子からは想像もつかないほど落ち着き払った、王族の威厳すら感じさせる声で、ライアは言った。
「――アルド。お願いだ」
「くっ……!」
 再び、ライアが歩き出す。黒の疾風は、リーティスの咽元に刃を寄せたまま、油断なく目を光らせていた。罠でないとするなら、向こうにとっても、これは命を危険に晒す取引だ。
 ライアが遂に、あと2歩のところまで距離を縮めて立ち止まった。冷や汗がライアの頬を伝う。自分のところからでは魔法による援護も間に合わないと見て、アルドは生きた心地がしなかった。
 黒の疾風は、目を閉じているリーティスから刃を離すと、左腕で支えていた体を、ライアの方に突き飛ばした。その瞬間、アルドは最悪ライアだけでも救うべく、集中力を最大にしていた。
 受け止めたリーティスがまだ息をしていたことに、ライアは胸の底が熱くなるようだった。
「敵の眼前で気を抜くとは、たいしたうつけだな」
 さっと青ざめたライアは、咄嗟にリーティスを抱きしめながら、黒の疾風から身を離すように上体を引いた。
 ……ふ、と、青年の口元に僅かな笑みが生じたかと思うと、次の瞬間それは消え失せ、彼は大きく後ろに跳躍した。
 ライアの眼前に、突如下から鋭い岩が突き出す。
「アルド!!」
 振り返って、ライアが叫ぶ。これは、黒の疾風を狙ってアルドが放った、詠唱のない先天性魔法だ。
 アルドは、またしても逃した仇を睨んでいた。
 黒の疾風は、後退したその場から、ライアに言った。
「その甘さが命取りだ。素人だろうが、魔族に楯突こうというなら、次は、貴様も、その娘も、消す」
 それから、アルドに宣言した。
「――そこの騎士。貴様とは、決着を着けねばならんようだな。その気があるのなら、5日後、太陽の最も高き時刻、青き道の分かつ地にて待つ。信じるも信じぬも勝手だが、これは私の一存だ」
 ライアたちに背を向けると、黒の疾風の後ろ姿は、風のように闇に溶けた。
 ぐったりしているリーティスをひとまず地面に降ろし、その背中を抱きかかえながら、ライアは、複雑な面持ちで林の向こうの闇を睨んでいるアルドの様子を窺った。
「アルド……」
 アルドは、かぶりを振って気持を切り替え、ライアに向き直った。
「ライア」
 警告するように、彼は言った。空色の瞳が、何かを訴えている。
 ライアがその意味を推し量って、リーティスを自分に引き寄せるようにしながら、真っ向からアルドを見返した。
 アルドは、怒っているようにも、悲しそうにも見える表情で、静かに首を横に振った。
 離れなさい、という意味だ。
 ライアは、正面からアルドを睨んだ。――渡さない。頑として、譲るつもりのない眼だ。
 魔族に捕まっていたリーティスは、何をされているか、現時点では見当がつかない。薬や魔法で洗脳されたり、物理的に爆発物を仕込まれたりしている可能性だってある。他にも、あるきっかけで作動する魔法を仕掛けられている等、疑い始めればきりがなかった。
 アルドが、ゆっくりとライアに近づく。力ずくで引き剥がされる予感に慄きながらも、ライアは強くリーティスを抱きしめた。
「う……ん……」
「リーティス! 大丈夫か?」
「え……?」
 ぱっちりと目を開けたリーティスは、異様な物を見たように、ライア達を見て、体を強張らせた。
「ここ……? 何で、私――」
 その反応に、アルドはすぐにでも対応できる姿勢で、リーティスの挙動を監視した。一方で、ライアは、リーティスが混乱しているのだと思い、背中を支える腕を離さずに、冷静に言った。
「黒の疾風。あいつが、ここまで連れてきたんだ。アルドに決闘申し込んで、そのまんま消えちまったけどな。どっか、ヘンなとことかないか?」
 すると、かすかに震える声が返された。
「放して……」
「放せって……お前、自分で起きられんのかよ!?」
 上体を支えるライアには判ったが、リーティスは体重を全面的にライアに預けてしまっている。放すなら、地面に寝かせる事になるだろう。リーティスは、かすれた声で、怒ったように言った。
「放してって……!」
「ライア」
 アルドが、自分に代われ、と訴えているのが解ったが、ライアは首を振ってそれを拒否した。
「嫌だ」
「ッ……! 君は、今の状況を――」
 アルドの言葉が終わらないうちに、リーティスが喚いた。
「どうして私、生きてるの――? おかしいじゃない! 早く、離れてよ……! 私……っ、何、されたかも……判んないんだから……っ」
 アルドが、毒気を抜かれた顔になる。リーティスは、アルドが危惧していたのと同じ事を、自分自身で予測したらしい。態度が妙だったのは、そのせいだ。
 本人が誰よりも一番に心細いはずなのに、リーティスは、仲間から自分を遠ざけようとした。
「……、ごめん」
 片膝をついて、ライアの背を叩きながら言ったアルドの言葉は、きっと、二人のどちらにも向けられたものだった。
「疑ってすまない。リーティスも、多分大丈夫だから、落ち着いて」
 それから、アルドは、何があったのかを訊き始めた。

 リーティスは、覚えている事を話してしまうと、草地にぺたんと座ったまま、視線を落とした。途中からライアの支えも必要としなくなった彼女は、膝を閉じて足先を両側に投げ出した状態で座っている。
「この襲撃は、魔族側で意見が割れていた、と……そう言うのか――」
「森で俺たちを襲撃してきた奴らは、戦火を拡大したくって、黒の疾風の奴らは、準備が完全に整うまで、全面的な開戦は先伸ばしにしたかった、って……なあ、アルド? 本当に、そんな事ってあるのか?」
 地面を睨みながら、アルドは頷いた。
「話の筋は通る。町がもぬけの空だったのは気に掛かるけれど、多分、魔族同士の小競り合いと、それとは別件だ。これは僕の推測だけどね、ロレンスの住民は、魔族の襲撃を事前に察知して、東に避難したんじゃないかな。あっちの方面には、ロレンスと交流のある大きな町があるし、ずっと東に行けば、お城だってある。それで、ロレンスの人たちは、防衛として、巨人を起動できる巫女を残して行ったんだ、きっと」
 アルドは黙祷を捧げるように目を閉じ、ライアもいたたまれずに目線を横に逃がした。彼女達の末路は聞いている。少女達は、巨人を目覚めさせ、魔族に利用されないよう、自ら命を絶った。
「ひとまずは、リーティスの聞いた話を信じていいと思う。それから、リーティスを返してくれた事だけど――」
 人知れず、リーティスは身を硬くした。アルドが危険と判断したなら、黙って指示に従うつもりだ。
「たぶん、裏はないよ」
 しっかりとした声で言ったアルドの横顔を見つつ、ライアは続きを待った。
「気紛れか、挑発か――あるいは、巨人を止めたリーティスへの敬意だったのかもしれない。いずれにせよ、罠を張るだけの理由が、特には見当たらない――」
「挑発?」
 ライアが問うと、アルドは渋々認める顔をした。
「彼はね、自信があるんだ。素人ならいつだって潰せるし、騎士相手でも、正面からの勝負なら必ず勝つ。だから、あんな絶好の機会に、僕らに手出しをせずに退散した。……巨人の停止を手伝わせたリーティスへの借りってのもあったかもしれないけれど、それは、彼らの人間性まで知る訳じゃない僕らには、判らない事だ」
 そう言ってアルドは首を振ったが、ライアには、なぜかその理由で素直に納得できる気がした。別段、黒の疾風個人を深く知っているでもないのだが。
(あれ? でも、そーいや俺って……)
 思い返せば、先の交渉を含めて、二度も命を握られた仲ではある。(嫌な仲だ。)しかし、三度目はないと、つい先刻宣言されたばかりだ。再びまみえる確率は低いにしても、ライアは、気を引き締めずにはいられなかった。
 近頃では薄れかけていた記憶だが、ライアは、湖畔で遭遇した化け物の事を思い出した。金の目をした化け物と対峙した瞬間、ライアは本能的に死を直感した。混乱した記憶に恐怖体験が追い討ちをかけて、今では、本当にヒトの形をしていたのかすら、思い出すと怪しくなっている。
 頭が真っ白になるようなあの時の恐怖に比べれば、黒の疾風と一対一で対峙した2回は、まだ生きた心地がした。恐怖の質がまた違うのだろうが、押し寄せる恐怖に発狂してしまいそうな感覚ではなく、静かな重圧と向かい会って、無防備な自分を曝け出す恐さだ。1度目は、完全に硬直してしまい、後になって、震えがきた。2度目は、面と向かって言葉を交わしたせいもあるだろうが、震えを抑えられたし、まともな思考を保つこともできた。2度目に関して言えば、真の意味で1対1ではなく、後ろには、何かの時に任せられる友がいた。それに、ライア自身も無自覚だったろうが、腹を括れたのには、一時期失いかけたものをもう一度失いたくないという、強い気持ちも働いていた。
 夜風の冷たさに、ライアは、鼻をすすりながら立ち上がった。
「なあ。結論は出たんだし、とっととここから移動した方がよくないか?」
「同感だね。近くに、魔族の残党がいるかもしれない」
 ライアは、ひとり立ち上がらないでいるリーティスに目をやって、首を傾げた。
「? アルドも、大丈夫だろうって保証してたろ?」
「…………」
 抗議のような沈黙に、ライアは初めて、立てないのだと気がついた。ライアの鈍感さに見切りをつけたリーティスは、アルドに頼んた。
「ごめん、もうちょっとだけ、待って、くれる……? 意識が途切れたのって、何かされたせいじゃ、なくって……魔力を消費しすぎたせいだと、思う、から……」
 大抵の事なら、何事もないように振る舞って済ませてしまうリーティスが、こうして自分から申告したという事は、余程、しんどいらしい。
 自分の鈍感は棚に上げ、ライアは呆れ声で呟いた。
「あんなぁ……。辛いんなら、先に言えよ。アルド、戦うのとかは任せたからな」
 戦力バランス的に、何かの時にアルドが万全で動けた方が良い。アルドが拒否するとも思えなかったので、ライアは返事を待たずにリーティスを背負い始めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 リーティスが焦り声で抗議する。
「自分で歩けるってばっ」
「歩けねーんだろ」
「ごめんね。今は、敵が奇襲をかけやすいこの林を抜けるのが先決だから。少しの間、辛抱しててくれるかい」
 アルドにまで言われては、リーティスも反論の余地がない。
 ライアは普段装備している合金の肩パッドと胸当てを外し、マントの代わりに防寒用の長めのコートを着込んでその上からベルトで剣を括りつけた格好だった。その方が身軽で、移動中の寒さもしのげたので、偵察には都合が良かった。同じ理由でアルドも全身鎧は着ていないが、もとから重い装備を身につけていないリーティスは、いつも通りの防具の上から防寒具を羽織っている。
 多分に異議がありそうな空気をまといながらも、背中の気配が大人しくなったのを確認して、それから、ライアは思った。
(いって……こいつ、金属の胸当てしてっから、ちょっと背中に当たる――けど、今更言ったらぜってー誤解される!? だいたい、何が楽しくて、リーティスのなんか意識しなきゃいけねーんだよ!? フェリーナならともかく――って、うぅ……正直に話したら、よけー悪化しそーだ……。もういいや、我慢しよ)
 そんな訳で、お約束の柔らかい感触こそなかったが、一度あらぬ方向に思考が跳躍してしまうと、背中の温もりを意識せずにいるのは難しかった。
 余計な事を考えないで済むよう、ライアは歩きながら話題を振った。
「……気になってたんだけどさ、巨人が人間にしか制御できないものだとすれば、一緒にいた銀髪の女って――」
(人間……なのか?)
 その重さに気が付いて、ライアは言葉を飲み込んだ。深く考えずに口に出してしまった事を、少しだけ後悔した。
 返されたアルドの口調がはっきりしていたので、ライアは、沈みかけた気を持ち直した。
「僕達が戦っているのは、魔族だ。だけど、そうだね……捕虜になったり、亡命したり、何らかの事情であちら側にいる人間も、多少はいるのかもしれない」
 実は、人間同士が血で血を洗う争いをしていたのだろうか。そう考えると、胃が冷たくなる。
 激しい生存競争の中で、同じ種族同士が争う。それは、自然の中ではごく当たり前の事かもしれない。ヒトとてその例外でないのは、人類の歴史と同じだけ戦争も続いてきたことが証明している。
 相手は魔族だ。そう思う事で、諸々の不都合な部分から目を背けていたのだろう。しかし、考えれば、同じはずだった。同じヒトとヒトが争い、憎しみや悲しみを生み出し続ける。戦争とは、そういうものだ。相手が異種族だからと言って、美化されていいものではない。
 ライアは、鬱々とした気持ちで、これまでのことを思い返した。自分は、本当にぬるい環境で育ってきた。いずれ国を引っ張って行く者として、『知らない』では済まされない現実がいくらでもあることを、改めて思い知らされた気分だった。
 そして同時に、今は、自分の目に映る範囲の世界を直視して、自分と、仲間の無事を感謝する時だとも思った。



「やったな、フェリーナ!」
 重体だった男の子が完治したという報せに、ライアが思わず言うと、フェリーナは、はにかむように笑った。目の下に薄く残る隈が、彼女の努力と献身を物語っている。
 ライア達の方で起こったことを話すと、すぐに、フェリーナはリーティスの診察を引き受けた。
「殿方はのぞかないで下さい。絶対に!」
 フェリーナによって、ライアとアルドは廊下に追いやられた。
(誰が見るかよ……)
 ぶつぶつと心の中で文句を言いながら、ライアは、大人しく診察を待った。リーティスに危険が無いとは、まだ、完全には言い切れない。

「ちょっと、いいですか」
「うん?」
 男二人を追い出した後で、フェリーナはまず、二人で輪を作るように、リーティスの両手を取った。
「…………」
 フェリーナが、目を閉じて、魔力を集中させるのが解った。繋いだ手を通じて、清流のように澄んだ魔力が心地よく流れて行く。その間、リーティスは所在無さげに視線を彷徨わせていた。
 フェリーナの魔力をリーティスの体に通わせていると思えば、今の状況を理解し易いだろう。ただし、フェリーナの魔力がリーティスの魔力と交わることは決してなく、フェリーナが発した魔力は、繋いだ手を通して、再びフェリーナ自身に戻ることで完結している。いわば、閉鎖回路内を電流が流れているようなものだ。針金の両端に電圧をかければ、そこに電流は流れるが、電圧を除けば、針金自体に『電気』なるものが残ることはない。
 フェリーナが行なっているのは診察の一種であって、魔力を他者に与える行為、いわゆる『魔力の受け渡し』とは、全く異なるものだった。
「…………」
 フェリーナが真剣な表情のまま、目を開けた。どうしたらいいのか、リーティスが困った顔でいると、フェリーナは医者としての表情で言った。
「大丈夫です。魔力の流れに、異常はありません。次は――」
 一瞬ほっとしたリーティスが、再び、緊張した面持ちになる。
「脱いで下さい」
「……え?」
「直接的な魔力の仕掛けがないことは、今のではっきりしました。ですが、何かのきっかけで作動する間接的な魔法は、封印されている間は感じ取れない時があります。でも、そういう場合は、たいてい体のどこかに徴が表れますから。そういう事で、全部脱いじゃって下さいね?」
「う、うん……」
 カーテンは閉まっているし、のぞき穴は無いかチェックしているから大丈夫です!と力説するフェリーナに、リーティスは観念しつつも侘しく思った。
(うぅ……だって、フェリーナに比べたらあってないようなものだし……。せ、成長は人それぞれ! って、よけーに悲しくなってくる〜……)
 女同士で恥じる理由もないはずが、一抹の寂寥を感じずにはいられないリーティスであった。

「お待たせしました」
 ひょっこりと顔を出したフェリーナの表情で、何と無しに診断結果は読めた。
 フェリーナは、おっとりとした口調で保証した。
「心配ありません。おかしな魔法は掛けられてないですよ」
「よかった、本当に」
 言った後で、アルドはどこか遠い目をした。他の3人には、その心境が手に取るように解った。
 アルドは、決闘を受けるつもりでいる。例え罠ではないとしても、相手の力量を知るだけに、100%無事で帰って来られる保証はない。
 シュトルーデルから見て西北西、ルーテ川が二つに分かれる場所がある。そこが、恐らく先方の指定した場所だ。ルーテ川は、土地の言葉で青い川という意味があり、青き道の分かれる場所とは、分かれた川に挟まれた三角州を指すと推測された。
 シュトルーデルの人員不足は続いており、嘘とも本気とも知れない黒の疾風の言葉に、多くの騎士を巻き込む訳には行かなかった。だからこそ、今回は、アルドの独断で黒の疾風の件は報告せず、単身乗り込む覚悟でいる。

 その夜、食事を済ませて部屋にいたところへ、リーティスが呼びに来た。
「時間ある?」
 用がなければ、リーティスは、ライアのところではなく、湯浴みにでも行っていた時刻だろう。思い当たる節はなかったが、ライアは頷いた。
「ああ、あるけど?」
「なら付き合って。アルド、訓練場、使っていいって言ってたよね? 今日は大丈夫?」
「え? そうだね、今は単純に人が少ないのもあるから、多分空いてると思うけど――いちおう、ひとこと確認を取ってからなら、使っていいと思うよ」
「そう。ありがとう!」
 それを聞いて、ライアは合点がいった。
 特に理由も聞かずに、そのまま、ライアはリーティスの後について、砦の騎士が訓練を行なう演習場に向かった。
 高い天井に据えられた、白っぽい魔力灯の照明が、板張りの床を照らしている。ここは屋内で武芸を鍛練するための空間であり、魔法の演習場は別にある。食堂に人が流れる時間帯なのか、単に人が少ないためか、鍛練をしている騎士の数はまばらだった。一対一の稽古なら、場所は充分だ。
 借りてきた練習用の木剣の重心を片手で振って確かめながら、ライアはリーティスのほうを横目で窺った。空気は重くなかったが、交わした言葉は少なく、宿からここまで、本当に数えるほどだった。
「――やるか?」
「うん」
 許可は取ったとはいえ、一般人が紛れ込んでいるのが珍しいのか、はたまた、剣を構えた少女の腕前に興味が湧いたのか、二人は、周りから若干の視線を感じた。
 しかしそれは、思考の外に追いやる。
 リーティスが先制を仕掛けた。
「行くよ、はぁっ!」
「来い!!」
 前にも増して鋭さが冴えるリーティスの剣を、冷静に刃で受けて横に流す。そのまま、ライアは体の向きを変えながら反撃に転じる。リーティスは、一度距離を空けてそれをかわした。
 10分後、二人は立て続けの試合を中断した。取った本数は、ライアの方が多い。
「……やるじゃない」
 ぜぇはぁと息をしながら、不敵に笑ったリーティスに、同じく肩で息をしながら、ライアはにやりと笑った。
「そっちこそ」
 一度派手に『疲れたー』というジェスチャーをして、一息入れた後、休憩を兼ねて、二人はぼそぼそと話し始めた。
「何だか知らないけど、前より間合いに入りにくくなったみたい」
 リーティスが不満そうに言って、ライアが返した。
「ああ。俺、アルドに言われて直したんだ。今まで、剣より手が先行してる事が結構あったみたいでさ。それだと、剣が活きないから、って。切先から動かすの意識して訓練してたんだけど、その感想だと、ちょっとは良くなってるって事だな?」
「まあね。……前よりはマシ」
 機嫌が悪そうに見えるのは、ライアに簡単には勝てなくなって、悔しいからだろう。
「にしたって、そっちだって、いつの間に腕上げたんだよ。前は、もっと攻撃とか防御とか動きが判り易くて、攻撃仕掛け易かった気がするぜ?」
「へへーん、お生憎様でしたぁ。シュトルーデルで、こっちはみっちり強化合宿してたんだから!」
「はあ? きょーかがっしゅく……??」
 シュトルーデルでのスパルタ騎士生活のお陰で、リーティスは、攻防一体の技を、より実践的に身につけていた。フェリーナが追われる身になってからこっち、直接手合わせをする機会がなかっただけの話で、リーティスは確実に腕を上げていた。
 ライアも、アルドの言う事を守って稽古を続けてきた甲斐あって、ひとつずつ欠点を克服しつつある。
「やるね、お嬢さん」
「いやいや、そっちの子だって見込みあるぞ。確か、アルディスと一緒に滞在してる子達だね? いっそ、君たちも審査を受けて、騎士になれば良いのに」
 遠目に試合を見学していた騎士達に声を掛けられ、二人はしばしの間、拘束された。

 やっと、好奇心を満たした騎士達が散って行くと、二人は、どちらからともなく、無言で訓練を再開した。ただし、今度は手合わせではなく、自分の型の見直しだ。
 各自のペースで休憩を挟みながら、練習を続ける。
 しばらくして、ほとんど休憩を取らずに剣を振っていたライアが、木剣を壁に立てかけて、壁を背に座った。地面に座ると痔になると言うが、幸い石ではなく木の床で、さして冷たくもないから大丈夫であろう。
 丁度入れ違いぐらいのタイミングで休憩を終えたリーティスは、剣の鋭さが衰えていないのが見て取れた。真剣よりも軽い木剣なので、疲労もまだそこまでではないらしい。リーティスは、ライアが剣を振り続けていた間にも、配分を考えて、何度か休憩を取ってもいた。
 リーティスがひと段落した様子を見計らって、ライアは立ち上がった。そろそろ、いい時間だ。あまり遅くなっても、宿の二人が心配する。
「……さてと、もっかいだけ、付き合ってくれるか?」
 エメラルドグリーンの瞳が、不敵に見返した。
「望むところ!」

 訓練場を去ろうとしたところで、ばったりアルドと出くわした。
「……あれ? 二人とも――もしかして、今までずっと?」
 若干呆れたように言ったのは、この時期に強化に励むことに、よからぬ意味を感じたからに違いない。
 しかし、追及には及ばず、二人とすれ違いに訓練場に入ろうとしたその背に向けて、ライアは低く言った。
「おいてこうったって、そうはいかないからな」
 反応して足を止めたアルドは、一瞬息を詰めたようだった。しかしそのまま、何も聞かなかったように振り向かずに訓練所に入った。そこには、アルドがあらかじめ相手を頼んでいたらしい騎士が待っていた。

 少しだけアルドたちの手合わせを見学して、二人は帰路についた。
 今日は、星がよく見えた。
(――…………)
 冬の冷たく冴えた大気に、ひしめき合うようにちりばめられた光を見上げて、ライアは、ぼそりと言った。
「……先、帰ってていいぜ。俺も、少ししたら行くから」
 ぼんやり空を眺めていたライアは、隣でリーティスが睨んだのが判らなかった。
 気配が去らないのに気がついて、ライアはふと目を横にやった。
「いいから、行っとけって。――冷えるだろ?」
「いっくら騎士の街って言ったって、女の子に一人で夜道を歩かせる気?」
 リーティスを言いくるめるのに必要な労力と、自分の考え事の時間とを秤にかけて、ライアは白い息を吐いた。
 ライアは答えず、それは、リーティスの言い分を認めたのと同じだった。
 何気なくまた空に視線をやりながら、ライアは言った。
「やっぱ、レベル違うよな」
「……何? さっきの試合?」
 アルドとその相手の騎士の手合わせは、ライア達に比べて、格段に動きの無駄が少なかった。
「今から弱音吐いてるようじゃ、留守番してたほうが――」
「違げぇって! ただ、認めんのは大切だろ……」
「…………」
 そこそこ素質のあるリーティスが、試合のレベルの高さを見抜けなかった、という事はないだろう。ただ、彼女自身は負けを認めるような発言はしない。
 代わりに、真剣な瞳で遠くを見ながら、静かにアルドの事を尋ねた。
「……勝てると、思う?」
 ライアの脳裏に、アルカディアでの一幕がよぎった。

(――やっぱ、アルドってただもんじゃないよな)
 彼の扱う光魔法の精度と威力に、ライアは舌を巻いた。それは、脚が完治して、地上に帰れる事が判明した頃の話だ。
 自分の使う頼りない炎とは別格の魔力の矢が、複数連なって、正確に一箇所に殺到した。複数のエネルギー源を別々に操り、それらを正確にコントロールするには、並外れた集中力と修練を必要とする。只者でない、という感想は、なにも生まれ持った魔法の才ではなく、その途方もない努力の方を指していた。
 魔法に限らず、武の鍛練を怠らないアルドは、その甲斐あって、現在(いま)がある。扱いが難しい大剣を得物とする彼だが、その卓越した剣腕は、討伐が急務となっている、かの騎士殺しにも匹敵するかもしれない。
 居住区の外で隠れて特訓をしていたアルドは、魔法が炸裂した箇所を見定めてから、流石に疲れるのか、大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
「……ああ、来てたのか」
 邪魔をしないように遠巻きに突っ立っていたライアは、向こうが気づいたので、近寄りながら言った。
「すごいよな。一体どんな練習したら、あんなの使えるんだよ?」
 アルドは、答弁の替わりに軽く微笑んだ。そして、先ほど魔法が炸裂した場所を眺めやった。
「ここまでの威力を出すには、それなりの詠唱が必要になるどね――……かと言って、詠唱の短い低級な光魔法じゃ、きっと通用しない」
「あいつ――『黒の疾風』相手にか?」

 風にかき消されて、答えは聞けなかった。いや、そもそも彼は、答えなかったはずだ。
「勝つよ」
 赤い瞳が、星々に負けない強い光を宿して言った。
「アルドは、絶対勝つ」
 呆れた、と腰に手をやってリーティスが言う。
「どっから来るの、その根拠」
「信じろよ。俺だって、ガキの頃から、ずっとアルドを見てきたんだ。それより……まず自分の心配だろ、俺達は」
 言われて視線を横に逃がしたリーティスは、真剣に考えた。
(正直――まだ恐い)
 もし、現場に例の銀髪の3人組が現れたとなれば、ライアは魔術師の少年と、フェリーナは氷使いの女と対決という流れになる。そうすると、必然的に、自分に回ってくるのは一度敗北を喫した、あの長身の少年だ。
 骨折の痛みは、未だ生々しく記憶に焼きついている。しかし、ライアとフェリーナが覚悟を固めている以上、リーティスもはっきりさせなくてはならない。行くなら行く、やめるならやめるで、ライアとフェリーナは解ってくれるはずだ。
 ――勝てるのか?
 心の中で自問する。
 ……わからない。けれど、勝機も、ゼロではない。
(黒の疾風が約束を守って現れて、アルドが決闘に勝ったとして――その間に、フェリーナとか、ライアがやられてたら? そんなのは……嫌)
 待つのは、性に合わない。セーミズにいた時は、そもそも女性が関われること自体が限られていたので、歯痒い思いもそこまではしないで済んだ。
 が、今はどうだろう。大きな力はなくても、剣を手に取り、できる事はあるかもしれない。あとは、自分の意思だけだ。
(恐くない訳じゃない。だけど、戦う理由なら、私にだってあるんだから……!)
 だから彼女は、不安の代わりに憎まれ口を叩く。
「解ってんなら、しっかりしてよ? 私だって、本番はライア達の方まで見てる余裕なんて、あるか判らないんだし」
「言ってろよ。そっちこそ、俺があいつ倒す間に、やられんじゃねぇからな?」

 ライア達と入れ違いに訓練場入りして特訓を続けていたアルドは、休憩時間に入った。
 不意に、水分補給をしていた対戦相手の騎士がこぼした。
「なぁ、アルディス? なぁーんかさ、むつかしいこと、抱え込んでないか?」
 彼は、眉間にシワ寄ってるぜ、とジェスチャーした。
 決闘の件は、アルドの独断だ。シュネルギアの騎士には打ち明けられない。
 アルドが言葉を選ぶまでの僅かな間に、騎士はさっさと諦めてしまった。
「言いたくないなら、別にいーけど。それよりもさ、俺が訊きたいのは、さっきいた男の子と、女の子のことで」
 アルドは、困惑顔で見返した。
「仲間なんでしょ? 見たところ、結構頑張ってんじゃないか」
「……ああ。二人ともああ見えて、結構、頼りになるよ」
「……頼りにしてる?」
 笑顔で尋ねた騎士に、アルドは即座には返せなかった。
「あの二人がさ、こんな時間にわざわざここ借りに来て、練習してた意味って、解る? 俺は解るよ。何となくね」
 騎士は、びしりとアルドに人差し指を突きつけた。
「あんたに、追いつきたいからさ」
「――僕に?」
 二人が修行に励むよからぬ理由は察していたアルドだったが、事情を知るはずのない騎士の見識は、見事に意表を突いていた。
 騎士は、人差し指を上に向けて、左右に揺らした。
「そーだよ、お兄さん。鋭いくせに、変なとこで鈍感だね。ま、誰だって、自分のことはそうかもしんないけど。あの子達さ、何かよく分からないけど、必死であんたの後、ついて行こうとしてるみたいだったから――気になったんだよね」
 アルドは度胆を抜かれた気分だった。彼の見方は、全くの部外者視点であるにも関らず、見事に本質に迫っていた。
「少しは、信じてあげたらどうかなーって……これは、俺の個人的意見にすぎないけど」
 そこでふと、彼は言った。
「――つい半年前にさ、俺が受け持った後輩がいてさ。そいつ、えらい真面目なんだけど、どーにも固さが抜けないってか……生真面目、ってやつだな、何事も言いつけ通りにこなそうとしてんのは解んだけど、周りの目には、それがちーっと頼りなく映んのな」
「はぁ」
 どう続くと思う、と謎かけするように、茶目っ気をこめた茶色の瞳がアルドを見ていた。
「そいつも、まあ何とか人なみに一ヶ月の訓練をこなして、実戦に出たわけ。当然、現場には、新米の指導を担当した俺たち年長の騎士連中も出てたんだが、ちょっとばかし手こずる魔物がいて、俺とか、何人かはそっちに足止め喰らってたんだ。んで、その間に……いやー、あん時は流石に、心臓止まるかと思ったぜ」
 実戦慣れした騎士達が手を放せないところへ、初陣の新兵達にも危機が迫っていた。
「あいつの目の前にいた魔物を見たとき、ああ、これは駄目だな、って。その攻撃でやられちまう、って思った。だけどどうだ、あいつは、ちゃんとそれを防いで、俺達が応援に駆けつけるまで、新米同士、協力し合って持ち堪えてみせたんだ」
 彼の話はそこまでだった。最後に一言、連れてってやれよ、と呟いた言葉が、アルドの胸にずんと響いた。

 翌朝、アルドが3人に真意を問い質した。ライアとリーティスに関しては薄々判っていたものの、フェリーナの意志が一番固いとなると、さしもアルドも閉口した。
 更に、ライアが明かした、アルドの知らない銀髪の3人にまつわる出来事が追い討ちをかけた。
「……どうして、今まで黙っていたんだ」
 一遍に難題を押し付けられたようで、頭が痛い。
「……仕方ねーじゃん」
 ライアが、困ったように斜め上を見て、頭をかきながら言った。
「言ったら、危険だっつって、俺達のこと、安全などこかに隔離しただろ?」
「それは――」
 否めなかった。すかさずフェリーナが言った。
「そういう事なんです。貴方に会う以前の事で、秘密にしたのは、悪かったと思います。ですが、私は、あのひとを止めると、この胸に誓いました」
「フェリーナ、だけど、君は……」
 呻くように言ったアルドに、フェリーナはウエーブの髪を揺らして首を横に振った。
「民間人の私は、戦ってはならないとお思いですか。ライアや、リーティスのように、剣を持つ者でなくては、戦場に立つ資格がないと、そうおっしゃられるのですか……?」
 フェリーナの青い瞳を、アルドは逃げずに正面から受け止めた。
 フェリーナは、表情を曇らせ、悲しげに言った。
「生意気を言う小娘と、思ってくれて構いません。ですが、譲れないんです。あの綺麗なひとは、無慈悲な氷の刃で、幾人もの人々を傷つけてきました。それだけでなく、あのひとの噂は、今も、罪無き女性達を獄中に送っています。私は、剣士ではなくて、医者です。それでも、医者として人を救いたいという気持ちと、これから戦いに臨む気持ち、そこに、何ら差異はないんです」
 アルドは、すぐには答えず、リーティスが、俯き加減に言った。
「私は……本当は、迷ってた。ライアとかフェリーナみたいに、特別、使命感に燃えてた訳でもない。だけど――」
 リーティスは、顔を上げて、懸命に言った。
「私は、フェリーナのことが好き。それに、アルドや……ライアにも、いなくなって欲しくないから。だから、私に出来る事をしようって、決めたの。私だって、みんなを助けたい……!」
 彼女達のぶつけた本音に、アルドは思った。
(『連れてってやれ』、か……。試されてるのは、僕の方かもしれないね。僕が、決着をつけるといったヤツの言葉と、ここにいるみんなとを、信じきれるのか――)
 フェリーナより色の薄い、空の青をした瞳が、真っ直ぐに3人を見た。
 彼の口から、唯一絶対の条件が示された。
「例え、向こうで孤立しても、ひとりでこの場所まで帰って来られる力と、覚悟のある者。それ以外は、僕は、同行者として認めない」
 よし、というライアの表情が、みるみる少女達にも伝播した。



「ホントに行くつもりなのかな?」
 片手を枕に、傾斜した背もたれに寄りかかりながら、少年は、自分の前髪をひと房つまんで、二つ上の兄に尋ねた。体格は似ても似つかないが、弟のさらさらとした短髪と、兄がうなじで留めて後ろに流したしなやかな長髪は、いずれも銀だ。
「……多分……」
「んじゃさ、雹なんか降っちゃっても? 吹雪んなっても? オレさー、そっちが心配なんだよね。みんなと違って繊細だから、風邪引き易いんだって」
 この辺りは、冬は乾燥して滅多に天候は崩れない。しかしながら、降雪も皆無ではなかった。
「――いっしょに行くの?」
 少しだけ心配そうに、兄は尋ねた。すると、少年は黙り込んだ。
 近く15になる実年齢よりも精神の大人びた少年は、ここではないどこかを見ている。憎悪をこめた紫の瞳が見る先が、自分ではないことを、兄はよく理解していた。それは、憎い敵に向けられたものなのか、あるいは、少年自身にも向いているのか。
「オレは魔族の戦士だから。戦って、人間を殺すしか、価値がねぇんだ。他に、価値を示す方法なんて、認められる方法なんて――知らない」
 少年は嘯いたが、そうやって周りの評価を得てきたのは事実だ。しかし、少年が真に認めて欲しい相手に、それは無効だろう。その人物は、どれだけ多くの人間の首を取ったかで、価値を決めたりはしない。兄に言ったのは、逃げの口実だ。知ってはいても、気づきたくない。
 自分の本音。それは、血が見たい、という単純な欲求。戦っていれば、狂気に酔うことができた。殺戮を、心から楽しいと思えた。
 そして、今、何にも換えて消したい相手がいる。
(……そうだよ、壊れてんだよ、とうの昔に……。ハハッ! ぃーだろう……? どうせ狂ってんだ、自分の命をどう扱うんだって、そんなの、オレの自由だ)
「あら、そう」
 近くでした声に、少年はぎくりと身を竦ませた。どんなに狂おうとしても、壊れようとしても、その声だけは、常に変わらぬ距離感でついて来る。悪態をつけばつねられ、目に余る行動をとればはたかれ、自虐すれば今度は張り倒される。少年にとって、その存在は理不尽以外の何ものでもなかった。
 誰もが目を見張るような美女が、そこに立っていた。
 凶悪な少年ですら怯むほどに顔を近づけて、平然と女は言った。
「じゃあ、見せてもらいましょうか、貴方の戦いぶりを」
 少年から身を離すと、美女はもう一人を振り向いた。
「それで? 貴方たち、揃いも揃って、あの人についてくワケ?」
「関係ねーよ、このクソバ」
「そういう姉さんも、行くんでしょ」
 下の弟の言葉を、兄が遮った。悲しきかな、彼は真ん中に生まれた者としての宿命を受け入れ、緩衝材という重要かつ困難な責務を全うしていた。彼がいないと、この二人は、酷い時には魔法戦にも突入しかねない。そんなだから、いい歳をして、姉弟喧嘩で生傷を作るのだ。
「当たり前じゃない。も・っ・と・も、私の狙いは、あの青い髪のコだから、あとのオマケは、アンタたちにくれてやるわ」
 去り際に、背を向けて手をひらひらさせながら言った女は、下の弟と同じ紫の瞳で、二人を振り返った。
「アンタたち。やるからには、負けんじゃないわよ」



 午前中は砦で雑務をこなし、一番あとに食堂に入って来たアルドは、そこで、妙な顔をした。
「……。あの二人は、何をしてるの?」
 止めなくていいと思います、と言って、フェリーナが苦笑した。
「いーから! 食ってみろって!!」
「い〜や! 絶っ対っに嫌!」
 激しく言い争う二人の議論の火種は――成程、大皿に盛られた小魚の揚げ物のようだ。
「リーティスが、お魚を嫌がって、箸をつけようともしないんです。……折角、湖でとれたばかりのお魚を揚げてくれたんですから、一口くらい、食べてみてもいいと思うんですけど」
 フェリーナの説明に、アルドはつられて頷くばかりだった。
 いつぞやの偵察に出かけた湖は、今や分厚い氷が張り、その氷に穴を空けて釣る魚は、シュネルギアの家庭の味として親しまれていた。
 リーティスの抵抗の激しさを目の当たりにして、アルドは席につきながら、ぼそりと洩らした。
「……そんなに嫌がるなら、強要するものじゃないと思うけど」
 そこにすかさずライアが反論する。
「いーや! 絶対にこいつ、食わず嫌いだって!!」
「ちょっと、私がお嬢様だってこと、忘れてない?」
 そういや忘れてたかも、とライアは思った。
「専属の料理人がどんなに贅をつくしたって、私、お魚だけはおいしいと思ったことないんだから!」
 リーティスは、胸を張ってきっぱりと言い切った。赤い髪をかきながら、ライアがぼやいた。
「だから、食ってみろって言ってんだろ……。セーミズに行ったことはないけど、俺だって、知識としては知ってんだよ。海に面してないから、魚介類の鮮度が落ちて、セーミズ料理って、確かソースとか味付けの方面で発達したんだろ?」
 ついでに言うと、『湯水のように使う』という諺のあるスロウディアほど、水資源も豊富ではないため、上流階級で競うように用いられる香料の発達は、目を見張るものがある。お隣同士とはいえ、山脈を一つ挟めば、意外なほどに文化は違う。
「? 変な事知ってるじゃない。でも、解ったでしょ? その三ツ星料理だって、私の口には合わなかったの!」
 ライアが、机に手を置いて勢いよく立ち上がった。
「だーっ、そうじゃなくて!! 何日もかかって陸路を運ばれてきた魚と、今朝とれたばっかの魚、比べてみろっつってんだ!」
 非難するようにライアの方をちらちらと見ながら、リーティスは大皿の揚げ物に箸を伸ばした。
「わかった。これでホントに嫌いだって解ったら、これっきり、文句言わないでよ?」
「……言わねーよ」
 ぱくりと、リーティスが小魚の尻尾の方にかじりついた。
 口に入れた分を飲み下して、残った頭を持つ箸が、ぱたりと小皿に置かれた。
(嘘。おいしい――)
 理解できないものを必死で理解しようとする顔をしたリーティスに、ほれ見ろ、とライアが鼻を鳴らした。リーティスがむきになって反論しかけたところ、調理した本人がテーブルにやって来て、その手前、口に合わないと嘘をつく事もできなくなった。
 料理の感想を訊かれたライア達の飾らない賞讃と、遠くから来た少女の食わず嫌いが治った話に気をよくした主人は、サービスだと言って、表面がカビで覆われたチーズを運んできた。今度は、アルドとフェリーナが躊躇う番だった。
 チーズを口に運んで、アルドは葡萄酒が合いそうだと言い、フェリーナは、変わった味ですね……と難しい顔をした。あとの二人は平気でそれを食したが、チーズを出された時にライアが妙な顔をしたので、仕返しができると考えていたリーティスは、当てが外れて非常に残念がった。
 ライアが遠い目をした理由は、後にアルドだけが知るところとなる。
「あの白いカビのチーズだけどさ」
「うん?」
 部屋に帰って、唐突にライアが話し始めた。
「つい十何年か前までは、城でも珍しかったんだ。で、父さんと母さんがそれを食す段になって――どうしたと思う?」
「……カビの部分を、皮みたいにむいてしまった……とか?」
「いいや。そんな勘違いならまだ可愛いんだけど。うちの親、二人して――俺に食わせたんだ。真っ先に」
「…………」
 偏見を持たない子供が、両親に感想を求められ、素直においしいと答えたのを聞くと、やっと大人達は安心してそれを口にしたという。
「……酷い話だと思わないか?」
 至極真面目に尋ねたライアに、アルドは視線を泳がせながら答えた。
「それは――えーっと……うん……そうだね」
「あーっ、何だよその反応っ!? それでも友達か!?」
 アルドは、ライアが、王室育ちのわりに野生というか、幼い子供が持つ動物的感覚を強く残している事を解っているだけに、女王夫妻の所作に、変なところで納得してしまったのだ。
 ライアは、嗅覚が鋭い。流石に犬並みとはいかないが、鼻がよいので、味覚も優れている。好き嫌いは別として、害のあるもの、例えば、腐って毒素を出しているような食べ物は受け付けない。逆に、いくら変な味だと感じても、薬湯などは残さずに飲む。頭で考える以前に、体が反応して取り入れて良い物と悪い物とを区別しているらしかった。賞期限が切れたもの(そんなものが王宮に放置されてよいのか?)を食べても、胃腸をやられたことはないと本人は言うが、単に胃腸が丈夫なだけでなく、悪いものは匂いを嗅ぐか、口に入れた時点で判るせいもあったのだろう。息子を使って判断したくなる親の気持ちも、解らなくはない。
(そういえば……ライアって、肉とか魚が焦げてると、いやに几帳面に黒いとこだけよけるけど――あれってひょっとして、育ちのせいじゃなくって、人体に有害だからだったりして……?)
 思考がどうでもいい方向に飛躍してしまったところで、はたと、目の前で見詰める不機嫌な瞳に気付いたアルドは、気を逸らすように言った。
「あー……それより、保存用の携帯食の余り、そろそろ食べてしまわなきゃって思ってたんだけど、いる?」
「え? いいのかっ、サンキュー!」
 ぱっと表情を変えた現金なライアに、国の将来を託す上で一抹の不安を感じなかったと言えば嘘にるが、子供の部分を残すからこそ、成長すると薄れてしまうことの多い動物的感覚が衰えていないとも取れた。
 些細な事でも考え込んでしまう癖のあるアルドだったが、餌を与えられた子犬のように無心に保存食に噛り付く様を見て、今はどうでもよくなってしまった。
(……わかってる。ほんとうは、この子だって、色んな事考えてる。だけど、僕と違って、あれこれ先を心配するより、今、目の前にあることに全力で取りかかるんだ。楽しければ笑うし、悔しかったら頑張る……困難に直面したら、きっとその時考えて、どうにかするんだろうね――)
 直面してからでは遅い事もあろうが、なにぶん、ライアは一人ではなかった。自分と違ったタイプの人間とも着実に信頼関係を築けることは、一種の資質でもある。
 ふと、アルドは自身の心境を振り返った。
(僕は――昔世話になった彼の仇を討つため、決戦の地に赴こうとしている。僕を突き動かしたのは憎しみであって、騎士としての忠義とか、大儀とか、そんな綺麗なものじゃないんだ)
 憎しみであれ、強い感情は、大きな原動力となる。ただし、強すぎる感情は目を曇らせ、剣先を鈍らせる。黒の疾風は、感情に捉われているようでは倒せる相手でないと、アルドは一度剣を交えて、実感していた。
(仇を取るだけじゃない。守るためにも、僕は戦う。今の僕なら、それができる――!)
 守りたいものがそこにあるなら、相討ちはできない。常に冷静でいなくては、相討ちさえ難しい相手だ。そのプレッシャーを撥ね退けて、信念のもとに戦うには、守る者を持つ事が、どんなにか力になった。

 季節は、冬。通りを行く人々は、皆襟をつめ、早足に過ぎて行く――決戦まで、残り、あと2日。


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