ぜんぶ、あいつのせいだ。あいつのせいで、僕は母さんに捨てられた。
 あの子供を森の奥で匿うという名義で、いいように子守を押し付けられたんだ。あいつさえ、あいつさえいなければ、こんなことにはならなかったのに。
 僕なら、新しい父さんとだって、上辺だけだとしても、上手くやっていく自信はあった。でも、母さんは、恋人の前の子供が許せなかった。だから、そいつを遠くにやるために、僕は生贄にされたんだ――。
 あいつが憎い。そうだ、今日こそ、あいつの目の前で、そう言ってやるんだ。
 あいつは、どんな顔をするだろう? その瞬間を想像すると、ぞくぞくする。
 この復讐のために、今日という日まで、苦労して内心を隠し、自分との関係も明かさずに、ごく普通の師弟関係を演じてきた。だからあいつは、僕がこんな感情を隠し持っていたなんて、きっと思いもしないはずだ。

 大粒の雨が降り出し、天候は荒れていた。そこへ、低い獣の唸り声がした。
(――魔物かッ!?)
 『彼』は身構えたが、すぐに、それが数年前の雨の日に、彼の弟子が拾ってきた獣だということに気付いて、構えを解いた。獣は、拾われた当時こそ、ほんの子供だった彼の弟子が両手で抱かかえられる大きさだったが、今は、その面影も残さないほどに成長した。得体の知れないその猫科の動物は、しかし、猫というよりは犬のように主人によく懐き、これまで彼に危害を加えたこともない。だからこそ、彼は、安堵して、目元に上辺だけの優しげな笑みを浮かべながら、獣に近づいた。
「やあ、どうしたんだい、こんなところで……。今頃小屋では、君のご主人様が、ひとりで寂しがっているんじゃ」
 そこで、彼の言葉は途切れた。
 ザーーーーーッ
 雨の音だけがうるさい。彼は、悲鳴すら上げる前に、亡き者となった。
 赤い水が、大量の雨水に押し流され、薄められ、拡散していく。
 獣は、冷たくなっていく人体を置き去りにして、ただの一度もふりかえることなく、森に消えた。
 獣が、魔法使いの血族としての因縁に巻き込まれ、不幸にも命を落とした母娘のうち、娘のほうの生まれ変わりで、現世の主人こそ、前世の弟であったことなど、獣自身ですら知ることはなかった。
 獣に罪はなく、復讐の刃を向けんとした従兄弟の狂気から、主人を護ったにすぎない。






STAGE 12 to get the helper 〜隠者を訪ねて〜



 ライアが、黒の疾風と見られる相手に負傷させられた事件については、アルドが自分の目で確かめたことに加え、ライアから聞き出した詳細を含めて、本来の依頼であった調査結果と共に、シュネルギアの騎士団本部に報告をした。
 アルドの報告を重く受け止め、シュネルギアの騎士達は、黒の疾風の捜索に奔走している。しかし、その甲斐も虚しく、今のところその後の足どりをつかめてはいないらしい。
 アルドのもとに新たな依頼が舞い込んだのは、そんな頃だった。
「黒の疾風や、他の魔族達との戦いは、今後激化していくと予測される。そこで、そなたらに、加勢を呼んできてもらいたいのだ」
「加勢……ですか?」
「さよう。その者は、森の奥地にたったひとりで住んでおる。かなりの偏屈者だが、その魔法の力は、ここシュネルギアにも、及ぶ者がない。今現在、我が騎士団に在籍する者達は、黒の疾風への捜査活動で手一杯なのだ。そこで、そなたらの出番という訳だ。――頼めるかね?」
「……わかりました。お受けします」



「うっへ〜。そいつ、そーとー根暗なんじゃねぇの?」
 周りは、木、木……そして木。うっそうと茂った大樹は日の光をさえぎって、昼間だというのに、薄暗い。どこかで、ギャアギャアと鳥が鳴いている。時折、茂みから光る目がこちらを見ていたりする。
「うん、そう! 絶対にそう! こんなとこに一人で住んでるなんて、どーかしてるって!」
「たしかに……気味が悪い、ですね……」
 フェリーナの生まれ育った森とは違い、彼らが訪れているこの森には、何とも言えない不気味さがあった。ここは、テネシアの森と呼ばれる場所だった。
「なー」
 フェリーナに相槌を打ちつつ、二人で会話を続けるライアの様子を見て、リーティスはふと思案した。
「…………」
 さりげなく、会話をしている二人の後ろに回る。アルドだけが、横目でそんなリーティスの行動を確認していた。
「わ!!」
「どぉわっ!?」
「きゃああっ!!」
「あ、ごめん……。フェリーナまで驚かせるつもりじゃなかったんだけど……」
 突然背中を押され、ライアが大声を発したため、隣のフェリーナにまで被害が及んだ。
「何すんだよ!!」
 ライアが怒鳴ると、リーティスはつまらなそうに答えた。
「えー、なーんだ、ライア、こーゆーの平気なんだ」
「あ・ん・なぁ!? 人をいきなり突き飛ばしといてといてそれか!?」
 しかしリーティスは、懲りた様子もない。ただ、フェリーナにだけはもう一度詫びた。
(くっそ。被害者当人には謝る気ナシかよ!?)
「残念だったなぁ……? 母上なら死ぬほど怖がったかもしんねぇけど、俺はへーき」
(ライア……素に戻ってるって……。たまたま、二人がスルーしてくれたから良かったようなものの――)
 アルドが、目を閉じて額を押さえながら、ひとり心中でツッコミを入れていたことなど、他の3人は知らない。
 因みに、スロウディア現女王の天敵は、暗闇と人参だったりする。意外に庶民的だ。そのご子息はと言えば、有り余る能天気さで暗闇も恐れず、人参もピーマンも食べる元気な子に育ちましたとさ(なぜだ?)。
 ……それはさて置き。
(ちくしょ〜。やられっぱなしで堪るか〜……って、ああ、そだ!)
 ライアは、それまで寒さのため袖の中に引っ込めていた手を、片方だけ冷たい空気に触れさせた。
(もういっか。それじゃ……)
 手先が冷たくなり始めた頃、ライアはその手を、後ろから、知らん振りをしてリーティスの首筋に当てた。
「ぎゃっ!?」
 アルドが、今度こそ深いため息を吐いた。完全に呆れている。
「なぁにすんのよ〜!!」
「さっきのお返し」
「あんたねぇ! それがレディに対する――」
「うるさいなぁ……」
 ぴたりと言い争いの声が止み、4人は一斉に、声がした方を見た。
「子供が。こんなところに、何の用?」
「ええと……」
 突然現れた人間に、ライアはどう答えたものか迷った。彼の方こそ、十台半ばくらいにしか見えない容姿だ。ただし、背はライアより少し高い。
 その時、アルドが歩み出た。
「貴方が、アーサー様ですね?」
「――君は?」
 少年は、軽く目を伏せながら返した。ライアは、アーサーという名を聞いた瞬間から、少年が失望しているように見えた。
(……? 俺の、気のせいか――?)
 アルドが会話を進める。
「失礼しました。私は、アルディス=レンハルトと申します。貴方のお力を貸していただきたく、参上致しました次第です」
「ふん――お前も騎士か」
「はい。貴方は、アーサー様にお間違いあませんね?」
「あぁあ、確かに僕がアーサーだ。だが、おまえ達は約束を破った!!」
「待って下さい!? 私の話を――」
 しかし、少年は全く耳を貸さずに、ぶつぶつと何か呟いた。
 ――それは、魔法の詠唱。
「 『分断せよ』――!! 」
(あ――)
 魔法が発動する寸前、ライアは背を強く突き飛ばされた。
「つっ……」
 ライアが起き上がった時には、目の前に、薄紅色の半透明な立方体が出現していた。そして、その立方体の中に、仲間の姿があった。
「!! みんな!? おいっ、お前、何したんだ!!」
「初対面でお前とは、失礼な奴だな。約束を破ったのは、そっちなんだ」
 アルドが、咄嗟の判断で自分を魔法の範囲外に逃がした事を悟りつつ、ライアは、アーサーに尋ねた。
「約束って……どーいうことだよ……!?」
 アーサーは、値踏みするようにじろじろとライアを見、それから、じろりと睨みながらこう言った。
「……なんだ、お前は、仲間じゃないのか」
 自分がお前呼ばわりされた時は文句を言ったのに、どうやら、人の事はお構い無しのようだ。
 アーサーは、アルドを指差して言った。
「だけど、そっちのおっきなお兄さんは、騎士だろう? だったら、やっぱり落ち度は君らにある」
 ひと呼吸、間を置いて、アーサーは話し始めた。
「君は、知らないのかもしれないけどね、僕は、もう何度もシュネルギアの騎士に勧誘されて、誘いを全て断っている。それでね、最後の時に、もう来るなって言ったんだ。来たら、次はただじゃおかないぞって、きちんと宣言もしてね。……なのに、シュネルギアの奴らは、お前を寄越した」
 アーサーは、立方体の中にいるアルドを睨んだ。
「……。申し訳ありません。そのお話は、私も今、初めてお伺いしました。――ですが、まず、この二人を解放して下さい。彼女達は、騎士ではなく、民間の協力者です」
「聞けないね」
 アーサーは、あっさりと断った。そして、一人だけ魔法の範囲から逃れたライアをちらりと見て、こう言った。
「丁度いい。お前、約束を守らないならこうなるってことを、シュネルギアの奴らに、戻って伝えてやれ」
 言うだけ言って、自分はさっさと退場しようとするアーサーを、ライアが呼び止める。
「おい……。ちょっと待て! 話くらい、ちゃんと聞いてくれたっていいだろう? 俺達は、確かに今、シュネルギアに滞在している。だけど、事情があんだ! 俺たちは全員、エスト大陸から来た。俺とあの緑の服のは、ただの流れもんの剣士で、もう一人の子は、医師になるためにノーゼに渡って来た、お医者さんの卵だ。それに、アルドは、確かに騎士だけど、正式な所属は、今でもエスト大陸の騎士同盟になってる。だから、約束だ何だってのは、関係ないだろ!?」
「いいや。僕は前に来た奴らに、次に『騎士を』寄越したら容赦しない、って、はっきり言っといたからね。つぅかさ、君、これがどういった魔法か、きっと理解してないよね? 見るからに、魔力は人並っぽいし」
「……ッ!」
 ライアは、少年の不遜な態度に、怒り出したいのをこらえた。
 アーサーが得意げな瞳で、ライアの目の前に構成された四角い半透明の壁のことを説明した。
「あれは、僕が編み出した魔法の中でも、最強の部類に入る、バリアーの応用さ。物理でも、魔法でも、そう簡単に崩すことはできない」
「――どうしたら、みんなを解放してくれる」
「ああ、それは聞けない相談だね」
 アーサーは、全く取り合う気なしの様子で、背を向けて、手をひらひらさせながら立ち去ろうとした。
「くそっ!」
 ライアは剣を抜き、薄紅色の壁に向けて、渾身の力で剣を振り下ろした。
「っ!?」
 しかし、壁面には傷一つ突かず、逆に、剣の方がわずかに刃こぼれした。
「言っただろう?」
 アーサーが、ライア達の方を振り返って、くすりと笑った。
「そんなんじゃ、全然びくともしないよ。素直に、諦めたら? 自分が助かっただけでも、運が良かったと思いなよ。君を助けたそこの騎士のお兄さんに、感謝する事だね」
「ふっ……ざけんなぁ!!」
「おっと。僕は強いよ? それから、ひとつ、いいことを教えてあげよう。僕は、中の人に直接手を下すつもりはない。あの中にいても、息はできるからね。数日くらいは、ゆっくりお別れする時間もあるんじゃない? 僕からはそれだけ。じゃね」
(つまり、あの魔法を解く気はない――てことかよ。だったら、どうにかしてあれをぶっ壊す方法を見つけるしか……)
 ライアは、先程斬りつけてもびくともしなかった、半透明の壁を睨んだ。
「ライア」
 中にいる当事者達は意外にも落ち着いた様子で(向こうを向いて文句を唱えながら壁を蹴りつけていた約一名の事は、この際無視しておく)、アルドが冷静に話しかけてきた。
「こっちも一応、中から『これ』をどうにかできないか、試してみる。だから――」
「……うん。俺、あいつを追っかけて、どうにか説得してみる。時間かかるかもしんないけど……待っててくれよな!」
「くれぐれも、無茶はしないで下さいね?」
 気丈にも、ライアの身を案じてくれるフェリーナに、ライアはしっかりと頷き返した。ここは、自分が何とかするしかない、――そう思った。
 そして、ライアは、アーサーの消えた方角に向けて走り出した。



 誰も近寄らない森の奥深くに、4人家族が住めるような小屋が建っていた。
 小屋の側面に回り込んだライアは、窓のような場所を見つけ、爪先立ちで、高床の家の中をのぞいてみた。
 案の定、中には、無造作に切られた肩程まである金髪と、緑の目を持つ少年がいた。机に向かい、分厚い書物を読み進めている。手元には、魔力を源とするあかりがともり、先程は掛けていなかった眼鏡をしている。
(そりゃあ、こんな暗い森に暮らして、本ばっかり読んでたんじゃ、目も悪くなるよなぁ……)
 ひとり納得して、ライアは、それから、考え付く限りの説得の言葉を、ひとしきり叫んでみた。が、この小屋は魔法によって防音完備なのか、はたまた、徹底して無視を貫いているのか、反応がない。
(だめか……――こーなったら)
 ライアは、正攻法で行くことを決め、小屋の正面に回ってドアノブに手をかけた。途端、
「うわぁあーっ!!」
 ライアは体ごと後方に吹っ飛ばされ、背を地面に打ちつけた。
「っててて……」
 いやはや、泥棒さんも吃驚の、セキュリティ万全、素敵住宅である。
「っくしょう……」
 ライアは、すぐには立ち上がらず、胡坐をかいて俯いた。言葉は届かなかった。手も直接届きそうにない。ならば、どうすればいい?
 あの時、魔法の範囲外にいたのが、自分ではなく、知恵の回るアルドだったなら。つい、そんな風に考えてしまう。リィドに操られてからこっち、自分の力にすっかり自信を失くしていた。
『力がないくせに、無理について行こうとしたから、あんなことになった』
 そうやって、今でも自分を責め続ける声が胸の内にはある。
 この状況を、アルドならどう解決しただろう。考えたが、答えは出ない。
(だめだ……やっぱ、俺は、俺だ。アルドみたいには、何でも上手くはできない。だけど)
 赤い瞳が、鬱蒼と茂った木々に隠された空を睨んだ。
(多分、今の俺にできるのは――諦めないこと。ごめん、みんな。俺、頭悪いから、もっといい方法とか、思いつかねぇよ。でも、どうにかして、絶対あいつを説得してみせる!)
 勢いよく立ち上がったライアは、ふと、小屋の裏手の方から、鼾(いびき)のような音がするのに気がついた。
(ん? ……鼾?)
 不審に思いながらそちらの方に回ってみると、そこには、巨大な動物がいた。
(ま、魔物ッ!?)
 相変わらず、しゅー、ふしゅー、と規則正しく寝息を立てているそれを目の前にして、ライアは慌てて剣を抜いた。今はだらしなく寝そべっているこの魔物が起き上がったなら、座った状態でも、ライアの身長を越すだろう。
 魔物は、豹のような模様の、巨大な猫のような外見をしていた。ただし、骨格や筋肉の付き方は、竜族にも近いものがある。竜族と異なる点は、全身を覆うのが、堅い鱗ではなく、ふさふさとした毛だという所だ。
(うわ、触ったら気持ちよさそ……って何うっかり触ろうとしてんだ、俺! こいつが起きたら、俺、絶対エサにされちまうって!?)
 ぱたりと寝息が止まった。
「は……」
 忍び足で退散しかけていたライアは、半笑いで振り返ってみた。冗談じゃない。
「クァァァ……」
 魔物が、巨大な欠伸をした。その口中には、豚一頭を丸ごと噛み砕けるのではないかと思われる、生え揃った健康的な牙。
 じっ……、と、寝ぼけ眼で、魔物がライアを見た。
(ぎゃああぁあぁー!?)
 声無き叫びを上げ、ライアは一瞬思考を停止してしまった。抜いたままだった剣を構えることさえ、その瞬間は忘れ去っていた。
 その時、後ろでぱたりと音がして、開いた小屋の窓から、アーサーが頭を突き出した。逆光で、輪郭部分の金髪がきらめいている。
「ああ、せいぜい、その子に喰い殺されないように、気をつけなよ」
 それだけ言うと、アーサーはひょいと頭を引っ込めて、また元のように窓を閉めてしまった。
「待てっ。あっ――」
 ガキン。
 剣を持っていた右手に違和感を覚えて、ライアは再び魔物の方を振り返る。魔物は、その牙でしっかりと剣に噛り付いていた。
「はっ、放せぇ〜!!」
 両手で柄を持って渾身の力で引き剥がそうとするが、魔物が頭をひと振りしただけで、剣はあっさりとライアの両手からすっぽ抜けてしまった。
「馬鹿力……っ」
 今しがた捻られたせいで痛む右肘を左手で触りつつ、ライアは魔物を見やった。
 魔物は、剣を咥えたまま、にや〜、と笑った。いや、実際にそうとしか表現のしようのない笑い方だったのだ(ライア談)。
 魔物は、ぷいとライアに背を向け、一目散に駆け出した。
「あっ……!! くそ! 返せっ!! このやろー!」
「野郎はないでしょ、野郎は」
 見ると、再び窓が開いて、アーサーが頭を覗かせていた。
「言っとくけど、ガルダは女の子だからね? 手荒な扱いはよしてよ」
「あれ! お前のペットかよ!? 躾ぐらい、ちゃんとしとけっての!!」
 しかし、飼い主はそれを無視して、窓をぴしゃりと閉めてしまった。取り付く島も無い。
(くっそ……。みんなの事もある――でも、今はまず、剣を取り返さねぇと――!)
 この森は、戦う術の一つも持たずにうろつける場所ではない。ライアは、自分の魔法の腕を過信する程、うぬぼれていなかった
「おい、聞いてっか!? お前んとこのペットとっ捕まえて、剣取り返したら、また来るからな!!」
 そう言い残すと、ライアはガルダを追って走り出した。

(確か……こっちの方だったはず――)
 意地悪くも、ガルダは時折、ライアが追いかけて来るのを確認しながら、森の奥へ奥へとライアを誘って行った。
 そのうち、ライアは、ガルダが剣を地面に置いて、脚の毛を舐めながら一休みしているところを発見した。
(いた! っしゃ、今度こそ捕まえてやる――!)
 相手から気付かれないように、木や岩の影を伝って、ガルダの後方へと回り込む。
 だが実際のところ、鋭い嗅覚を持つガルダは、気付かない振りをしていただけで、ライアの手が届く直前で、ひょいと剣を拾い上げて尻尾を向けて去ってしまう。
「お前……主人に似て性格悪いぞっ!」
 ライアは悔し紛れに叫んだが、ガルダにしてみれば、からかってやっているだけのつもりだっただろう。図体は大きくとも、年齢的にはまだ子供である。
 次にガルダが思い付いた悪戯は、少々度が過ぎていた。
 それは、地面にぽっかりと空いた穴のすぐ手前に、剣を放置することだった。そ知らぬ振りをして、それこそ人間であれば、鼻歌のひとつも歌っていたのではないかという軽い足どりで、ガルダはすぐにそこを離れた。
 機を逃すかとばかりに、ライアがダッシュをかけ、ガルダが戻って来る前に、剣を拾い上げた。
(……ん?)
 すぐ近くの穴の奥で、何かが光った。
「うわぁあ!?」
 ライアは、そこから思い切り飛び退いた。剣を取り落としこそしなかったものの、巣穴から大量に飛び出して来た魔物の気色悪さに、表情は完全に引きつっている。
(うげ……こんな大量に――よくあん中に詰まってられたな……)
 魔物一体一体が、それほど気持ちの悪い外見をしているのではない。体長も2、30センチ程度のものだ。ただし、それが大量発生して地べたを這っているので、言い知れぬ気持ちの悪さがある。
「くっそ! あっちいけ! ちくしょーっ!!」
 一方で、魔物たちは、向こうで丸まって欠伸をし始めたガルダには、見向きもしない様子だ。その大きさと外見から、敵に回してはいけない相手と見なされたらしい。
 ライアは、剣を振るいながら、必死に魔物達を追い払った。補助的に魔法を使った時、魔物達が怯んだのを見て、ようやく突破口を見つけた。火を恐れる習性に気付いてからは、案外楽に、魔物達を追い返すことができた。
「ふぅ……」
 人心地ついて、今度こそガルダに物申す!と勢い込んでそちらを見たライアは、予想外の光景を目の当たりにした。
(え……!? 待てよ、あいつ――)

 ライアが、まだ大量の魔物相手に剣を振るっていた頃、奮戦するライアを尻目に、悠々と伸びをして、あまつさえ、うとうとと目を閉じかけていたガルダに、空から一つの影が襲い掛かった。
「クァー!」
 上空からの奇襲に、ガルダも、一度は威嚇の姿勢を取ったものの、相手の姿形を正確に捉えた瞬間、全身が麻痺したかのように、身動きが取れなくなってしまった。
 魔物は、プテラノドンに近い外見をしており、翼とは別に、一対の前足がついていた。前足には、後ろ足同様、鋭いカギ爪が並んでいる。
 体長からすると、魔物が両翼を広げても、ガルダのほうがまだ大きい。しかし、ガルダは、魔物に向かっていくどころか、ショックを受けたように固まっている。
(……くそ!)
 それに気付いたライアは、舌打ちしながら、魔物とガルダの間に割り込んだ。
「……ふっ!」
 剣で魔物の爪を弾きながら、ライアは横目でガルダの様子を窺った。
(……どうしちまったんだ? まともに戦えば、こんな奴、敵じゃないってのに――)
 余所見をしていたライアは、視界に迫った影に気付いて、咄嗟に身を横にずらした。直後、避け切れなかったライアの頬に、二本の赤い筋が走った。
(いって……)
 傷口からぽたぽたと血がこぼれたが、そこまで深く切れてはいない。
 それまで、放心したように硬直していたガルダは、びくりと身を震わせたかと思うと、ようやく我に返り、先程までの調子はどこへやら、弱々しい鳴き声を上げた。それは、単に魔物を恐がっているばかりでなく、ライアを心配しているようにも見えた。
「へーきだ。こんなかすり傷」
 強気に言って、ライアは、一旦上空へと退避して、ぐるぐると旋回を続けている魔物を睨みつけた。
「降りて来いッ」
 しばらく旋回を続けたのち、突然急降下をして上空から降ってくる魔物から目を離さず、ライアは冷静に剣を薙ぎ払った。

 魔物を仕留め、剣を収めて振り返ったライアをまともに見られず、如何にも気まずそうに耳と尻尾を垂れているガルダに、ライアは、悪戯をしでかした子供を叱るように、一言だけ注意した。
「もーすんなよ!」
「クルルル……」
 謝罪なのか不満なのかよく判らない、奇妙な鳴き声を上げると、ガルダは、そのままぷいと背を向けて走り去ってしまった。
(はぁ……、ったく〜……!! いや、それより、早く、あの性根悪まほー使いに、みんなを解放してもらわねぇと――!)

 小屋に戻ってみると、アーサーの姿はなかった。と言っても、窓から覗ける範囲に居ないだけとも考えられる。ライアは、数回、大声で呼んでみたが、反応は無い。
「…………」
 次に、ライアは無言で扉に近づくと、大風に吹っ飛ばされるのを覚悟で、ドアノブに触れた。
(あれ……?)
 何も起こらない。しかし、鍵がかかっていた。
(留守――? それとも、居留守か?)
 考え方として、中に主人がいるのなら、先のように魔法が発動していてもおかしくはない。扉を蹴破るという選択肢はひとまず保留とし、ライアは心当たりの場所を目指した。



(剣もダメ、魔法もダメ……一体、どうしろってのよ〜!?)
 剣でも魔法でも傷ひとつ付かない壁を前に、リーティスは焦れていた。しかしまだ、その緑の瞳だけは、諦めることを知らない様子だ。
「フェリーナ、寒くないかい?」
「はい、私は大丈夫です」
 フェリーナは気丈に答えたが、そろそろ陽も傾き始め、軽装のフェリーナは肌寒さを感じているはずだった。
(本気で、どうにかしないと……。ライアの説得を待ってなんかいらんない! 次にあの魔法使いが来たら、ぜぇーったい!! 出してもらうんだから!!)
 アーサーが森の暗がりから現れたのは、そんな時だった。
「!」
 そこにライアの姿が無いことに、アルドは反射的に、最悪の事態を想定した。しかし、アルドが口を開くより先に、アーサーが意外な宣言をした。
「――気が変わった。そこの婦女子は、解放してやってもいい……」
「!!」
「どぉゆうこと?」
 リーティスが懐疑的にアーサーを見返すが、アルドは、続く言葉を先読みして、何か覚悟を決めたらしかった。アーサーは、慌てて立場を弁明するかのように、少しだけムキになって言った。
「だけど、勘違いするなよ? そこの騎士。お前は、何があろうと、そこから出すつもりはない。それが例え、国王の頼みであったとしても、だ!」
 そんな、と反論しかけたフェリーナを制し、アルドが答えた。
「――ええ。そういうことでしたら、構いません。ですが、彼女たちには決して危害を加えないと、ここで誓って下さい」
「あぁあ、いいさ。約束しよう」
 アーサーの態度はこの上なく不遜だったが、約束を破ろうという気配でもない。実のところ、3人を置いて一度小屋に戻った後で、彼はこう思ったのだった。
(女の子って、いろいろ面倒だ……)
 彼は、偏屈で傲慢で果てしなく人間嫌いではあったが、極悪人ではない。約束を破った騎士の一人を見殺しにすることについては何とも思わなくても、本来無関係の女子供を巻き込むことに、やましさを感じない訳でもなかった。おまけに、長い隠遁生活のせいで、女の子については分からない事が多すぎる。しかし、それに気づいたところで、最初に公言してしまった手前、すんなり解放する訳にもいかず、『騎士は解放しない』という部分を強調することで、自分は考えを曲げていないと主張する他に、雲よりも高いプライドを守り切る術がなかった。
 と、そこに、一つの影が追いついた。
「……なんだ。まぁだ諦めてなかったのか」
 嫌そうに言うアーサーに向けて、ライアは剣を抜いた。
「やっぱ、これしかないみたいだからな……」
 それを見て、アーサーは面白そうに目を細めた。
「ほほぉ?」
 だが、最初の時とは違い、今度は、受けて立つ気配すらうかがえる。
「俺が勝ったら、みんなを返せ」
「本気で勝てると思ってる? ――でも、ま、いいや。君みたいな人間は、こうでもしないと、解らないんだろうからね。僕が勝ったら、大人しく諦めてくれるね?」
 ライアは、黙って頷いた。
「やめてください!」
「ライア! 早まるんじゃない!!」
「そーよ! もう少し考えて――」
 しかし、その言葉も聞こえていないかのように、ライアとアーサーは、互いに視線を逸らさなかった。ライアは、剣を構え、下から相手を睨み付けるように。対してアーサーは、こめかみに掛かる金髪を後ろに遣りながら、いかにも余裕の態度で。
「いいだろう。……受けて立とうじゃないか!!」
 そう言うと、アーサーは片腕を体の横、水平よりやや下方に向けて伸ばし、詠唱を唱えた。風が舞い立ち、術が完成すると、アーサーのすぐ隣に、槍を手にした全身鉄色の甲冑が立っていた。赤い羽飾りの目立つ、頭部をすっぽりと覆ってしまうヘルメットと、指先まで保護するガントレットのせいで、一切、中の人間が見えない。
「君を殺したところで、僕には一文の特もないからね。ハンデをあげよう」
 癪に障る言い方だったが、ライアは黙って耐えた。相手との実力の差は、否めない。
「僕はここから一歩も動かない。君は、そこのしもべと――ああ、中身は無いから斬っちゃっても平気さ。――と、僕からの攻撃をかわして、指一本でも僕に触れることが出来たなら、君の勝ちとしよう。どうだい、この勝負、君は受けるかな?」
 最後の一言には、ここで逃げてもいいのだという、寛容とも侮蔑ともつかない意味合いが込められていた。
 ライアの答えは、端から決まっていた。
「ふん、いい覚悟だ。――いくよっ!」
 アーサーの鋭い声と同時に、中身の無い甲冑が動き始めた。



(〜〜っ! ああもう! そこは、正面から突っ込んで行くとこじゃないでしょ〜!?)
 戦況を見守るしかできないリーティスは、半透明の壁に爪を立て、やきもきしながら見ていた。あそこにいたのがもし自分なら、もう少し上手く立ち回っている自信はある。
 フェリーナは、聞き入れられずとも、めげずに二人に停戦を訴え続けている。
 最初こそライアを止めようとしたアルドは、今は、何か考え込むように黙ったまま、対戦の模様を観察している。
(くっそ! このまんま攻めたって、埒が開かねぇッ……!)
 アーサーは、宣言通り、最初の位置から一歩たりとも動いていない。しかし、上手く甲冑を抑えたと思っても、そこへ魔法による絶妙の妨害が来るために、一進一退の状態が続いていた。このまま戦い続ければ、接近戦で体力を消耗しているライアの方が、先に息切れしてしまう。
 ライアは、ひとまず魔法による援護が届かない位置にまで、甲冑を誘導しようと試みた。
「ふっ、甘いね」
(く――!)
 しかし、ライアの意図に気付いたアーサーは、甲冑を、自分から一定の距離以上は離れさせないようにした。
「ライア!」
 そこへ、アルドが助言を投げた。
「相手との距離は考えなくていい! 甲冑を先に倒すことだけに、専念するんだ!!」
(倒すことだけに、専念、する――)
 なぜ、アルドがそう指示したのか解らず、若干の戸惑いはあったものの、ライアは、アルドを信じることにした。
 アルドは、術者であるアーサー本人が魔法を使う瞬間にも、甲冑が自立して動ける点に目を付けていた。それはつまり、魔法で呼び出された甲冑が、術者の魔力とは既に切り離されている証拠で、一度倒してしまえば、瞬時にその場で復活させることは難しい、というのがアルドの読みだった。もし、魔力と連動していたなら、実態のない甲冑の戦士を、術者の魔力が尽きるまで何度でも甦らせることが可能だっただろう。しかし、それならば、アーサー本人が魔法を使う瞬間は、甲冑の動きが疎かになるはずだった。
(この方法を実践すれば、多分、勝てる――あとは、ライアが、アーサーの魔法を掻い潜って、どこまで戦い抜けるか、だ……)
 ライアは、アルドに比べるとまだ実戦経験が浅い。そこが、唯一の不安要素だった。
「っらぁああっ!!」
 斬り上げから、すぐさま次の斬撃につなげる。しかし、槍や甲冑を叩くだけでは、ダメージにならない。それに、いくらライアが、人一倍魔法耐性が高いといっても、魔法が全く効かない訳ではない。ましてや、相手は、シュネルギアの騎士達が加勢を切望する、大魔法使いだ。
「くッ!!」
 時折援護の魔法を使ってくるアーサーの風の刃を数回喰らっているライアは、致命傷は負っていないものの、確実に傷の数は増えていた。
「もう、いいんです!! それ以上戦わないで!」
 フェリーナが、必死に叫ぶのが聞こえる。無視し続ける事に、小さな痛みを覚えながらも、ライアは、甲冑に立ち向かった。そこでやっと、腕の付け根を狙った一撃が決まり、甲冑の左腕部分が吹っ飛んでいった。だが、中身のない甲冑の戦士は、それだけでは動きを止めない。
「お願いです、アルドも、ライアを止めて……!」
(だめか――やっぱり、これ以上は……)
 リーティスとフェリーナが無事解放されたとしても、ライアが簡単には引き下がらない事は予想できる。あと少しで勝てるのではないかという期待に、胸の内で短い葛藤はあったものの、見るに耐えなくなってきていたアルドは言った。
「ライア! ……もういい、それ以上は――」
「解ってる!? 壁のそっち側にいるの、今ライアだけなんだからね!? 勝ち目なさそーなら、逃げるの!!」
 仲間の制止の声が響いても、ライアの紅い双眸が甲冑から逸らされることはなかった。そんな様子を冷めた目で観察しながら、アーサーは、右腕に、青く燐光を放つ程の魔力を込めた。
(あんまり長引かせるのも、可哀想だしね。ここいらで終わりにしてあげようか)
「これで――」
 ここまで、甲冑の攻撃の合間を繋ぐようにして使われてきた魔法が、今度は甲冑の攻撃と同時に発動する。
「終わりだ!!」
 隻腕の甲冑の槍が降りかかると同時に、風の刃が吹き荒れた。次の瞬間、アーサーの眉間に皺が寄る。
(防い、だ――?)
 ライアは、甲冑の槍を剣で受け流しつつ、アーサーと対角になるように体の位置を変えて、甲冑を盾に、荒れ狂う風の刃から身を守っていた。
「そー簡単に、やられて、たまるかよ……っ」
 そう言って、一歩を踏み出したライアは、突如膝が砕け、自分の意志とは関係なしに沈み込む体を、支えきることができなかった。
「ライア!?」
「お願いです! アーサーさん、やめて!!」
「だから逃げてって言ったじゃないっ」
 そのまま起き上がる気配の無いライアを、アーサーは試合放棄とみなし、それまで一歩も動かなかったその場所から、静かにライアに歩み寄った。
「そうやって、僕の隙をつこうってのかい? そんな陳腐な発想で騙せると思ったのなら、大間違いさ。出直しておいで」
 そこへ、巨大な獣が現れて、アーサーのすぐ横を追い越し、ライアに近づいた。
 獣がライアに襲い掛かるとばかり思った仲間達は、声を張り上げた。しかし獣は、動かないライアに、害を成すことはなかった。
「ガルダ――」
 獣の主人は、ここに居ることが意外だったように、その姿を見詰めた。
 何やら訴えるように、ライアの横を行ったり来たりするガルダに、アーサーは、その意を汲もうとした。
 そして、アーサーは、ライアの頬に走った二本の傷跡を見つけた。彼が魔法で今しがたつけた他の傷とは異なって、そこだけ血が固まっている。
(おい――これは!!)
 傷の形状に思い当たる節があったアーサーは、肝を冷やした。ガルダが唯一苦手としている魔物の爪跡と、よく特徴が一致する。
(ヤツが爪に持つ分泌物――回りこそ遅いが、人間には、猛毒のはず……)
 ガルダの方を見遣ると、すがるような目をしていた。
(こいつを助けろ――そう、言うんだな? けど、こいつは!! ――約束を守らない騎士どもが差し向けた人間じゃないか……っ)
「ライア! しっかりしろ!」
「ちょ、冗談でしょ……? 演技はもういいって! とっくにばれてるじゃない!?」
 叫ぶリーティス達の方からは、背を向けてしゃがむアーサーの動揺が判らなかった。
(こいつが勝手に魔物とやり合ってケガしたんなら、僕には関係ない。けど、ガルダがこんな風にするってことは……。くそっ! あの魔物達(あいつら)だけは、僕が追い払って、僕が、ガルダ守ってやんなきゃいけなかったのに――!)
 ゆらりと、背を向けたアーサーが立ち上がる。そして振り返った瞳は、きっ!と壁の中の人間を、特にアルドの事を睨みつけていた。
 ざくざくと大またで3人に近づきながら、不機嫌この上ないアーサーは、声を荒げて言った。
「おいそこの娘! 医者だと言ったな? 解毒剤の調合はできるのか!」
 その言葉にはっとして、フェリーナが真剣な顔で頷く。
「よし、わかった――出ろ。ただし、そこの騎士! 妙なまねをしたら、僕は許さない」
 アーサーが早口に詠唱を呟くと、半透明の壁は跡形も無く消え去り、3人は自由になった。真っ先に拳を固めたのが、リーティス。
「よぉっくも、あんなとこに閉じ込めてくれちゃって――」
「リーティス、今はライアが先です!」
「わかってる!」
 額に汗を浮べ、荒く息をつくライアは、完全に意識を失っているようだった。
「僕は力仕事はしない」
 そう、きっぱりと宣言して、アーサーは、アルドにライアを運ばせた。小屋に着くと、アーサーは、普段使っていないという、隅の小部屋に、フェリーナを招き入れた。
「ここは、昔お師匠が出入りしてた部屋だ。ここにある薬草の事は、何も教えてくれなかったからね。僕にはさっぱりだ」
 貯蔵されていた薬草の種類の多さに目を見張ったフェリーナは、ライアの症状と、自分の中の知識とを照らし合わせて、すぐに適当な薬草を数種、選び出した。途中、精製しても、毒としてしか使えない類の草を幾つも見つけて、フェリーナはひそかに眉をしかめはしたものの、その事については何も触れなかった。
 フェリーナが調合した薬を処方すると、少しずつ、ライアの容態も治まっていった。



 ゆっくりと、目を開く。目が合うと、フェリーナがにっこりと微笑みかけてくれた。
(……夢? 俺、どうして……。みんなはまだ、あの壁ん中に――)
 上体を起こし、足をずらしてベッドから下ろす。そこに横から突然何かが飛びかかって、ライアの上体はそのまま横向きに倒れた。
「ぐえ……苦し……」
「こら。お前の体重で乗ったら、潰れるだろ」
 面白く無さそうに、飼い主が呟く。ライアが起きたのを見て、思わず横から飛びついたガルダは、とりあえずライアの胸の上から足はどけたものの、猛烈にじゃれついていた。
「うわっ、ほら、そんななめんなって!」
 くすぐったそうに言いながら、ライアは身を起こした。それでもガルダが離れる気配はなく、咽を鳴らしながらライアに頬ずりをする。
「……。ずいぶん、懐かれちゃったみたいじゃないの」
 声をかけたのは、部屋の対角線の壁に背を預けていたリーティス。なぜそんなに離れていたのか、ライアは、すぐにその理由を知ることになる。
「グルルルル……」
 声を発したリーティスを、ガルダは毛を逆立てながら威嚇した。
「僕らじゃ、近づくだけでこうだからね」
 アルドが苦笑する。ガルダが心を許したのは、今のところ、飼い主を除いてはライアだけらしい。
「な。それより、どうしてみんな、ここに……」
 順繰りに、部屋の中の顔を見渡す。少しの間があって、誰も答えをくれなかった。
「??」
 ライアが訳の分からない顔をしていると、リーティスがわざとらしくため息をついた。
「……あっきれた。毒喰らって倒れたの、覚えてないの?」
「は?」
 ライアの反応に、リーティスは思い切り不審な顔をした。
「ちょっと、頭だいじょーぶ……?」
「えっとですね、ライア」
 代わりに、フェリーナが説明を始める。
「気が付かれていなかったみたいですけど、アーサーさんとの勝負の前に、魔物に毒を受けていたんです」
「そぅそ、それなのに、僕との勝負で、無駄に動き回ったりするもんだから、毒が回っちゃったのさ。そっちの子が解毒剤調合してくれなきゃ、君、死んでたかもね?」
「そっか、じゃあ、俺……勝負の途中でぶっ倒れて、それからずっと、気絶してたんだな?」
 一同が頷いた。
 状況を理解した所で、ライアはまた別の不安に駆られた。
「でも、そうしたら、勝負は――!」
「アクシデント発生で、うやむやになっちゃったしね、ふん!! 今更、もう一度閉じ込めなおすのも面倒だし、何よりガルダが、君を傷つけることを許さないだろ……」
(うわ! そんな殺意込めた視線こっちに向けんなって!?)
「僕は、人間なんて信用しないけど、こいつだけは特別さ。こいつが、君を助けろと頼んだから、仕方なく助けてやったのさ。いいか、解ったな!?」
「ん。ありがとな、ガルダ」
 すり寄ってくる巨大な毛玉のふさふさとした毛並みを撫でると、ガルダは気持ち良さそうにゴロゴロと咽をならした。アーサーの不機嫌はとどまるところを知らない。どうやら、今まで他の誰にも懐いたことのないガルダの寝返りに、嫉妬しているらしい。
「それに、アーサーも。何だかんだ言って、アルド達を出してくれた」
「ぅるさい! 僕はもう一度、今度は君たち全員を、この家にこのまま閉じ込めることだって、簡単にできるんだからな!?」
 アーサーは顔を赤くして言ったが、実際、彼が本気になれば、それも可能だろう。
「だいたい、なんだ! 年下のくせに、気安く呼び捨てにしてくれるな!」
 ライア達は、顔を見合わせた。相手の、どう思う、いった顔に、互いに首を横に振り合う。
「あの……失礼ですが、お幾つですか?」
 フェリーナの質問に返された答えは、ライア達を驚かすに足る充分な威力を持っていた。十台半ばにしか見えないアーサーは、この場で最年長のアルドと、一つしか違わなかった。
「これだから困るね、人間は。何事も、見た目で判断しようとする」
 それは彼の人間嫌いに由来する言葉で、アーサー自身が魔族という訳ではない。若く見えるのは、正真正銘、ただの童顔だった。
 ひとしきりじゃれついて満足したのか、ガルダが、本来の飼い主の方へ移動する。それに伴って、リーティスとアルド、そしてフェリーナが、壁伝いに、ガルダの対角を通ってライアの方へ来た。
 今までの居心地が悪かったのではないが、ライアは、仲間が近くに来てほっとしている自分を自覚した。
「なぁ、ところで、一つ聞きたかったんだけど」
 ライアは、ふと疑問を口にした。それは、なぜ、ガルダがあの魔物だけを極端に恐れているのか、という事だった。
「……ああ、まだ仔猫だった時分に、襲われたのさ。その時は、僕のお師匠が追い払ってくれたけどね――」
(仔猫て……あれ、猫じゃない。ぜぇっってぇ、猫じゃない。猫だったら、生物学上、あんなにでかくなんねぇって……)
「お師匠様は、戻られないのですか?」
 遠い目をしていたアーサーは、何気なく質問したフェリーナを凝視した。
「あ、あの、すみません……。ただ、あのお部屋は、あのままにしておいて良いのものか、と思ったもので……」
 フェリーナの見た限り、あの部屋は少し整理する必要がありそうだった。机の上にあった乳鉢には、調合途中であったと思われる黒い粉と、積み重なったほこりが区別もつかない状態になっており、もう長い間、放置されている様子が窺えた。
「お師匠はね、多分、帰って来ない」
 アーサーは、皮肉っぽく苦笑した。
「雨の朝出てって、もう、9年になる。どこへ行ったかも分からず仕舞い。……それきりさ」
 そんなアーサーの傍らでは、ガルダが丸まって、相変わらず呑気そうに欠伸などしている。
 そこで初めて、ライア達は、アーサーの人間不信の一因を垣間見た気がした。9年も昔であれば、いくらアーサーが童顔でも、まだ、本当に子供だったはずだ。一緒に暮らしていた、頼れるただ一人の大人が、理由も言わずに出て行ってしまったのなら。見放された子供は、どんなに困惑した事だろう。何か理由があったのだとしても、置いていかれた子供の方は、見放されたと思い込んでしまっても無理はない。
「お師匠は、魔法を教えてくれた。けど、薬学の方は全然でね。君、あの部屋の薬草類だけだったら、好きなように持って行ってくれて、構わないよ」
 それを聞いたフェリーナは、胸の前で掌を打ち合わせて、明るく答えた。
「そうですか、助かります! それじゃあ、ついでに、使えそうなものと、使えそうにないものとを、分けてちゃんと整理しておきますね」
 呆れたように、アーサーはフェリーナを見返した。輝かんばかりの笑顔の前では、頑固も偏屈も、人間不信も通用しない。
 それから、アーサーは、フェリーナの後ろで黙っていたリーティスに目を留めた。
「君は、ひょっとして、風使いなのかな?」
 護属性も、性格や容姿と同じに親から遺伝する。ライアのように、赤い瞳に赤い髪とくれば、エスト東方の生粋で、護属性は炎だろうと予想がつく。同様に、金髪に緑の瞳で、風を操る者は比較的多かった。
「な、何よ。何か、文句あるわけ」
「いや。その気があるんだったら、面白い魔法を一つ、君にあげよう」
「? 魔法って、あげたりもらったりできるもんなのか??」
「これだから、素人は困る。僕は天才だから、同じ護属性の人間になら、魔法の受け渡しくらいは朝飯前さ。で、君。どうする。要るかい、要らないかい」
「どういうつもり?」
 勘繰るようにリーティスが尋ね、アーサーは答えた。
「なに、ちょっとした暇つぶしさ。僕はどうにも、こんな森の奥に隠れ住んでいる限り、この魔法を使う日も来なさそうなんでね。そりゃあ、君だって、死ぬまでに使うかどうかは判らない。すっごく珍しい魔法だからね。それでも、百分の一だって、一千万分の一だって、使う可能性があるなら、託してみるのも悪くないと思ったまでさ」
「そう。で、それって、どんな魔法?」
「面白い魔法さ。とても、ね」
 笑顔でアーサーは答えた。含み笑いがいかにも胡散臭く、リーティスは疑わしげにアーサーを見た。
「貰えるもんなら、貰っといたらどうだ? なぁ、アルド」
「うーん……そんな習得法は、初めて聞いたけど……。それは、副作用のような危険が無いと、言い切れるのですか?」
「どうかな。適性がなければ弾かれる、適性があれば定着する。――それだけで、普通の魔法の習得と、別に大差ない。定着期が終わってからの後遺症が無い事は、保証済みさ」
「いつまでも、他人の魔力が体に残留する事は、普通では考えられません。大丈夫なんじゃないでしょうか」
 のほほんとフェリーナが見解を述べると、周りの保護者(?)達の了解を得たアーサーが、本人の意見を待たずにリーティスに近づいた。
「そうかい。じゃあいくよ」
「ちょっ、何す――」
 アーサーは、リーティスの額に掌底を押し当て、ふっ!と息を吐きながら手のひらに魔力を込めた。
 次の瞬間、リーティスの体が後ろによろめき、咄嗟にアルドが背中を支えた。
「お、おい! 話ちげーぞ!?」
「違わない。僕は、後遺症が無い、と言っただけだ。しばらく、頭は痛むかもね。でも、だいじょーぶ、死にやしないよ」
 アーサーは、今日は特別に居間を開放してやるんだから、感謝しろ、と言って、アルドに、今度こそ、二度と騎士を寄越させない約束させると、二重に結界を張った自室に引っ込んだ。魔法の研究の続きがあるとかで、うるさくして邪魔をするようなら、小屋の結界の外に放り出す、と宣言して、彼はぴっちりと扉を閉めた。
「リーティス、おい、大丈夫か……?」
 後ろからガルダが、うにょーんと服の裾を引っ張って引き戻そうとするのに抵抗しながら、ライアはリーティスに近寄った。
「いつつ……何よ、私、欲しいだなんて、一言も……っ、う……」
「ごめん。僕らが、勝手に彼の話に請け合ったのが悪かった」
「いや、アルドは悪くねーだろ」
「とにかく、ゆっくり休んで下さい」
「うん……ありがと」

 こうして、ライア達4人は、どうにか無事、全員で、翌朝のシュネルギアへの帰途に付くことができた。



―― in other place ――

「なーんつうかさ、しつっこいよね、人間も。執念深いって言うかさあ……いい加減、集団行動なんてやめて、ばらばらに出て来てくれりゃ、倒す手間が省けんのに――」
 少年は、誰にともなく呟いた。
 彼は、単身敵地に乗り込んでの、遊撃の最中だった。しかし、黒の疾風絡みの噂のために、人間達は警戒して、見回りの一団ごとの人数を増やしてきている。そうなると、流石に、彼一人では手が出せない。
(ひとりふたり殺るてーどなら、どーってことねぇんだけど)
 攻撃手段は専ら魔法に頼りっぱなしなので、一撃でとどめを刺せない場合、多人数を相手にするのは分が悪すぎる。
 一方で、彼は、一騎当千という言葉を現実のものとしてしまう者を、ただひとりだけ知っていた。それが、例え上官でも上辺だけの敬意しか払わない少年の、唯一、戦士として、心から尊敬する魔族だった。
(ふん、そーさ。あの人が、人間なんかに負けるはずがない。……所詮、どんなにあがいたって、お前たちはこの戦争には勝てっこねぇんだよ! ……とっとと全員、くたばっちまえ……!)
 紫の瞳に、14の少年らしからぬ物騒な光と憎悪が、はっきりと浮かんだ。


   →戻る

inserted by FC2 system