STAGE 1 the first conflict 〜 最初の諍い 〜



「そうか――……それで、クイーンは、何と?」
 壮年のその男は、スロウディアでは最も多く見られる、赤い目と髪という容姿だった。短く切り揃え、香油で軽く撫で付けた髪は清潔な印象を与えたが、髭は無精髭一歩手前といったところだ。
「分かった――ご苦労だった。下がってよい」
「は。」
 使者を下がらせると、彼は心労を表すように、深いため息を吐いた。
(あれが、病に伏せって回復までは面会謝絶、ね――吐くにしても、もうすこし信憑性のある嘘を吐いたらどうなんだ。少し前に会った者ならば、きっと、真っ先に耳を疑うぞ?)
 城外秘の重大発表に関して、彼にはある心当たりがあった。
 飾り気のない護身用の剣を帯剣すると、彼はそそくさと部屋を後にした。

 彼の向かった先は、豪奢なつくりの中央部からは離れた、城の端っこの閑静な区画だった。
 昼下がりの、人目に付きにくい特定の時間帯を狙っての訪問だったこともあり、近くの廊下には夜間常設の衛兵の姿もなく、静かなものだった。
「遂に、城内で、殿下療養中との報が明らかにされましたね……」
 その男は、彼より幾分若く、唐突な彼の訪問にも、落ち着いた物腰で対応した。冷静なその瞳の奥には、冷徹さすら宿しているように思える。
 壁際をぐるりと本棚が囲うその書斎の主は、切れ者で有名で、訪問者の彼と対等に渡り合える、明晰な頭脳の持ち主であった。
 軍服に近いなりの彼とは対象的に、長くゆったりとした文官の衣を羽織ったその男は、色の薄い髪に深い紺の瞳、と、外見から土地の者で無い事はすぐに知れた。しかしながら、スロウディア現女王の信頼を勝ち取っているという揺るがぬ実績がある。――なればこそ、この男は、次期国王となろう後継者の、教育係にまで任命された。
「――率直に言おう。正直、お前との腹の探りあいは、骨が折れるんでな」
「おやまあ、わたくしの素行に、何か問題でもございましたか? もしそうであれば、今後とも同じような過ちを繰り返さぬよう、努めさせていただきますが」
「……白々しい」
 彼の態度はいかにも剣呑で、ともすると、無手の男相手に、腰の剣を抜くのではないかと思われる程だった。
 しかし、実際のところ、そのような状況になったとして、圧倒的不利と見える男がただで従うかと言えば、そうではなかった筈だ。
 帯剣した彼は、温厚で妻と万年熱愛中で我が子命な姿ばかりが城内で知れ渡っており、剣の名手である事実は、城に仕官する若人達には悲しいほど知られていない。しかし、その彼であっても、この男にはそれ相当の覚悟で望まなくてはならなかった。
 それというのも、男は、詠唱が必要な後天性魔法でさえ、その詠唱を最小限まで短縮して、なおかつ自在に魔法を操れるほどの達人であったからである。
「それで、本日はどのようなご用向きでおいでになられたのでしょう」
 笑みを崩さないままに、椅子と紅茶を勧める余裕すら見せて、男は言った。
 彼は出された飲み物を一瞥して、手はつけずに、きっ、と男を見据えて口を開いた。
「あれに、何を吹き込んだ」
「おや、何のお話です?」
「とぼけるな!!」
 滅多に怒鳴る事などない彼が、声を荒げた。近くを通りかかる者があったなら、怪訝に思った事だろう。しかし幸い、聞きつけた者はいなかった。書斎は、城下町とは反対の、月眠りの森に面した方角にあるため、風向きによって遠くからかすかに城下の喧騒が聞こえ、余計に静けさが際立っている。
「あれをそそのかして、要らん入れ知恵をしたのは、お前に違いないだろう!? ……でなければ、疾うに見付かってていい頃合いだ……!」
「ああ、殿下のお話でしたか……しかし、わたくしを疑われるのは、甚だ見当違いというものです」
 男は、心底気の毒そうな顔をした。
 表向き、王子不在の事実は隠され、城内の者達には王子は病で伏せっているとの報が発表されたばかりだったが、一部の者のみ、真実を知る。王子捜索のためにその頭脳を借り出されたこの男も、そうした真相を知る人間の一人であった。
「以前にも申し上げました通り、殿下は、少々ストレートな所がおありとは存じますが、浅はかな早計で動くような方にはございません。冬に向かおうというこの時期に、北を目指そうとはお考えにならないでしょう。それに、西の山道からセーミズに向かわれた可能性も低い。平時には、ファルド様、貴方や、女王陛下、それに、近衛騎士団長殿、そしてこのわたくし以外には秘されている隠し通路を通らなければ、厳しい山越えが待っています。……となれば、残るは東の海岸沿いか、真っ直ぐ南へ続く街道を抜けたとしか考えようがありません。見つかった例の蹄鉄の跡も、照合の結果、ヘルメスのものと合致しました。ですから、捜索の手を緩めない限り、数日以内には見つかるものと存じ――」
「だが、貴様が手を貸したとなれば、話は別だ。それに、城内での発表に口出しできた立場にいたお前が、なぜ止めなかった? 答えろ!! すぐに見付かる自信があるのなら、事実は伏せておけばいい。あのような発表は、城内を無駄に混乱させるだけだ!それが分からぬお前ではあるまい――?」
「はて? わたくしは、殿下のお姿が見えないと城内の者が不審に思うだろうとの陛下のご推察が正しいと判断し、同調したまで。それに、すぐにでも殿下をお見つけして、殿下は快癒したと発表し直せばいいことだ。民にまでは広まっていない今のうちに修正されれば、問題は無い――そうは、思いませんか?」
「フォルワード、貴様……」
 彼は、ぎりりと歯を食い縛った。そしてなお動じない男から目を逸らし、吐き捨てるように言った。
「そうだ……あれは、少々子供っぽく、甘いところもある。しかし、ただの温室育ちの馬鹿とは言わせん。だからこそ、こちらもある程度の行動を予測することが可能だった訳だ。……だが、もう1週間だぞ!? 行方を眩ます前、直に接触する機会もあった、そしてあれが失踪してからは捜索隊の方針にも口出しできた立場にいたお前が絡んでるのでなければ、どう、この事態に説明がつく!?」
「焦るお気持ちはお察し致します。ですが、あの方ならば必ずご無事でいらっしゃると、わたくしは信じます。城内の混乱を危惧なさるなら、わたくしなぞを問い詰めているより、城内の動きに目を向けられていたほうがよろしいのでは?」
「お前が、それを言うか」
 邪険に切り返した彼に、男は疲れたように息を吐いた。しかし、男を黒幕と決め付ける彼の目には、それすらも演じられたもののように映った。
「わたくしを問い詰めても、何も出ませんよ……もともと、スロウディアの民ではないわたくしをファルド様が疑われるのも、道理ですが――女王陛下に固く忠誠を誓い、真摯に務めを果たしてきたつもりが、ご信頼いただけぬとは、誠に遺憾の限りでございます」
「わかった、もういい」
 遮るように早口で言うと、彼はもう一度、男を見た。
「だが、恐らく無駄だろうとは思うが――最後に一つ、訊いておこう。お前は、何を企んでいる?」
 静かに、ゆっくりと視線が交わる。冴える濃紺と、燃ゆる真紅の瞳が睨み合った時、途端に、刻の歩みは酷く緩慢になった。
 止まった刻が再び流れ出したかと思うと、男は視線を机に落として、冷静な声で告げた。
「何も企んでなどおりません。ただ、これだけは申しておきましょう。発表に賛成してしまったわたくしが言えた義理ではないのでしょうが、今は、殿下のことは捜索隊に一任して、城内で無駄な混乱が起きぬよう、その防止に努めるべきです。無論、わたくしも微弱ながら力を尽くしましょう。ともすると、これを機に、王座を狙う者や、王室の弱体化を狙い、更なる混乱を呼ぼうと王家に連なる者の暗殺を目論む輩が出てくるやもしれません」
 暗殺、という不穏な響きの単語を、この男は繭一つ動かさずに言ってのけた。そればかりか、『わたくしならまず、この好機を逃さなかったでしょう』と平然と付け加えたものだから、さしも彼であっても、絶句した。
「……わたくしは、本気です。無論、そのような不届き者が城内に紛れていないことを願いますし、常に最悪の事態を想定して、それを未然に防ぐのが、貴方や、わたくしども家臣に与えられた役目なのでしょう」
「悪いが信用ならん。……そうやって、脅しのつもりか」
「いいえ。わたくしは女王陛下に固く忠誠を誓った身。陛下や貴方を裏切り、謀反を起こそうだなんて、とんでもございません。それに、脅しというなら――いえ、これはあくまで忠告ですが――先程申しましたような事態が発生してしまった場合、陛下には、貴方という頼れるナイトがついていらっしゃる。しかし、現時点で王位継承第2位と3位の座にあたる、陛下の妹君と、そのご息女であらせられる姫君は、いかがなものでしょう?」
 すっと目を細めて言った男に、彼は、今度ばかりは、胃に冷たいナイフを突きつけられている気分だった。
「かの夫は、庭師上がりの、平凡な男子というではありませんか。それでは、妻と幼い姫君と守り切るに、余りに心許ない」
「クイーンの妹夫妻と知ってのその発言――侮辱罪に値するぞ!!」
「構いません。それでも臣下として、貴方に本当のことを伝えて差し上げるべきだと存じますので。ご不満なら、このお話の後に、投獄でも、解雇処分にでもなさればいい」
 真顔の男を、彼はひと睨みした。
 何かしら企んでいたとして、確かな証拠を掴めぬ限り、あらゆる物事の処理と予見に長けたこの男を失うことは、王室としても大きな損害となる。
「忠告には感謝する。だがな、王室の警護隊を舐めてもらっては困る」
 言いながらも、それが苦しい弁明だとは、彼自身、誰よりも理解していた。
「解っておいでなのでしょう? ファルド様。確かに、女王陛下や殿下をお守りするのに、兵を集める労は厭いません。しかし、殿下の王位継承がほぼ確実となっている今、陛下の妹君の警護となると、その質は一段落ちる」
「くっ……」
「わたくしめをご信用なされぬ理由が、貴方に有ることは、存分に承知しております。しかし、ここはお互い、手を取り合うべき場面なのではありませんか?」
 彼は、あらゆる対処法とその結果を脳内で検討した後、こう結論付けた。
「……わかった。お前の抱く陰謀が私の想像でしかない以上、ここは大人しく引き下がるしかないようだな」
 もし、この男が王子失踪に絡んでいたとして、ここで下手に刺激しては、逆に寝首をかかれかねない。ここは、一応でも協力という形を取っておくのが、当面の妥協策というものだ。
(それでもし、フォルワードが動くような事があれば――その時は、この私が、必ず)
 人知れず、彼は心の中で固く誓った。
「ええ。一刻も早く、わたくしの無実が証明されることを願っております。――お互い、殿下のご無事と城内の安定のために尽くしましょう」
「ああ」
 口先だけで空々しく約束を交わすと、彼は、一瞬でもこれ以上この男と同じ空気を吸っていたくない、とばかりに、足早に部屋を出た。
 書斎に静寂が戻り、男はふと、窓の外を見上げる。
(――さて、殿下のほうは、一体どこまで上手く立ち回ってくれるのやら――)
 男の心境とは裏腹に、晩夏のスロウディアの空は、どこまでも穏やかだった。



「だから! 私は反対だって言ってるの!!」
 スロウディア城から見て南西の小さな町。その一軒の酒場で、少女と少年が論争を繰り広げていた。
「いいじゃねぇか。あっちは助けてくれるっつってんだし、折角の厚意は、素直に受け取っときゃいいだろ?」
 他に連れはなく、どう見ても、彼らは未成年だった。
 表には酒場の看板がぶら下がっているが、午前中の客と言うと、小腹を満たすために立ち寄った労働者か、情報を求めて来た冒険者のどちらかである。二人の身なりを見れば、彼らがそのどちらに属するのかは、自ずと知れた。
「けど……」
 少女は、向こうのカウンターで、愛想笑いを浮べながら話し合いの決着待っている男を意識して、声のトーンを落とした。
「はっきり言って、信用ならない――あの人は、やめたほうがいいと思う。だって、何となく、まともな仕事してそうにない雰囲気だもの」
 論争の焦点は、彼らがこれから請けようとしている仕事に、二人だけで行くか、酒場で見つけた先輩冒険者に手を貸してもらうか、ということだった。向こうで待っている冒険者の男は、仕事の分け前は、3人で等分でいい、と話していた。しかし、少女のほうは彼を胡散臭いと信じて疑わない様子だ。
「そうか? まあ、雰囲気は多少あれかもしんないけど……冒険者やってれば、多少は危険な橋渡ることだって、あって当然だろ?」
「ううん、絶対に取りやめるべき」
 少年の言葉に多少の説得力を感じながらも、少女は頑として譲らなかった。
「今回の相手って、町の周辺に出没してるっていう、牙ウサギでしょ? 聞いたところ数は多いみたいだけど、私達の実力なら、十分に敵う相手じゃない」
「けどさぁ、俺みたいな初心者と女の子だけじゃ、もしもって時――」
「〜〜ッ!!」
 どうやら、地雷だったらしい。彼がその事に気付いたのは、少女が無言でゆらりと立ち上がったその顔を直視した後だった。
「いいわよ……ほんとだったら、私ひとりだって倒せるくらいの相手だもの! そっちはそっちで勝手に組んでやればいい。ただし、私が倒した分は、私の取り分だからね!? どっちが多く倒せるのか、勝負よ!!」

 そんな経緯で、今、ライアは酒場にいた男と二人、牙ウサギの群が見られたという林を目指して歩いている。
「あんまり、連れの女の子のこと、悪く思わないでやったほうが、いいと思うよ?」
 ルイと名乗った、長身で浅黒い肌の、黒い縮れ毛の青年は、パーティーを組んだばかりのライアに、気安くそう告げた。
「そう、ですか?」
 ルイは、二十歳に届くかという外見だったが、先輩冒険者であることを意識して、ライアは敬語で答えた。
「うん。だって、君らみたいな若い旅人で、日銭を稼ぐのは、中々苦労するものだろう? 僕みたく、良心的な冒険者も近頃じゃ少ないからね。自分のほうが先輩なんだから、その分仕事もした、なんて難癖を付けて、後から自分の取り分を引き上げたり、どうかすると、賞金を代わりに受け取ってそのまま消えちゃうなんて例もあるみたいだからね。彼女はそれを分かってたんじゃないかなぁ……」
 どうやらルイは、多少は冒険暦のある彼女の行動を、少しでも実入りを増やしたい一心から来る、防衛行動ととったらしい。
 だが、ライアの見解は違っていた。
「はぁ――そうかも、しれませんね」
(ていうか、どっちかって言うと――)
 当たり障りの無い返事をしつつ、ライアは心の中でつぶやいた。
(絶対あれ、女だからって見くびられたと思ってんだよ……んな、ムキになることないのになぁ〜……ルイさんだって、こうやって、結果的にまともな人だった訳だし)
 ライアは少女と旅を初めて数日になるが、その辺りの性格は、徐々に理解し始めていた。
 林に差し掛かり、夏の間に茂った草を踏み分けながら、ライアは彼女に名前を尋ねた時のことを思い返していた。
「ちょっと! レディに先に、名乗らせる気?」
 そう勿体をつけた彼女に、ライアは小さく肩を竦めた。
「ああ! そーいや言ってなかったっけ? 俺、ライア=バーンズっていうんだ」
 本当の名前ではないが、この際問題ではない。愛称としてライアと呼ばれる事には慣れていたし、不意にそう呼ばれても、他人の名前を呼ばれたように妙な反応をしない自信はある。
「ふーん……」
 それから聞くこととなった少女の名は、ライアにとって、嫌でも一度で覚えてしまえるものだった。というのも、奇しくも、縁談が持ち上がっていたその相手と、同じ名だったのである。
(ったく……みょーな偶然もあったものだよな……)
 しかし、どこからどう見ても、お姫様とは思えないし、彼女がリーティス=クレイア=セーミズである道理もなかった。聞けば、セーミズでは、彼女の同年代から下にかけては、同じ名前の女子が、いくらでもいるそうだ。
「ほんと、やんなっちゃうよね、うちの両親も。そりゃあ、可憐でお美しいリーティス様にあやかりたい、って気持ちは解るけど……」
 その様子から、余りその名前が気に入っている訳ではないらしい、というのは、ライアにも何となく察しがついた。
 かの王女殿下は、まあどこの国の王女にでも付き纏う形容詞ではあるが、可憐で聡明、花のように美しいと賞されている。リーティスは、名前負けしていると思ったのかもしれない。
 余談であるが、当時近衛騎士の一人だった、現スロウディア王室近衛隊隊長によると、ライアの母にそのような形容詞がついた歴史はなく、『お転婆姫』『紅蓮の騎手』『居眠り姫(学習時間に限る)』、のちに『バカップル』『送られ狼(被害者・現夫)』『烈火の女王』といった、後世で伝説になりそうな、息子としては一部非常に複雑な、数多の称号を獲得したという話である。
 それ以上名前の話を引きずるのはよくなさそうだと見たライアは、その話題はそこで打ち切った。
「ま、いいや。ともかく、これからよろしくな!リーティス!」

「大丈夫か? ぼーっとしてるみたいだけど、お出ましだぞっ」
 言われてはっと気付くと、目の前に、三体の魔物が現れていた。野兎のような外見で、どれも中型犬くらいの大きさはある。彼らは、敏捷性こそ恐れるまではないものの、口の両脇に鋭く尖った牙からヒトを痺れさせる毒を分泌するので、油断すると厄介な相手だった。
 ルイの助けもあって、ライア達はすんなりと三頭の魔物達を倒した。賞金を受け取る際、討伐の証として提示を求められる魔物の牙を、ルイが取りだしたナイフで切り取って、再び移動を始めようという時、不意に巻き起こった突風が、ライア達を襲った。
「…………っ!?」
 舞い上がった砂埃に、ライアは思わず目を閉じた。
「あ……っ」
 ルイの声に、目を開けたライアが視線の先を追いかけると、先の戦闘では視界に入らなかった高木のてっぺんに、緑色の布切れが引っ掛かって揺れていた。見ると、ルイの頭からバンダナが消えている。
「どうしよう……あれは、故郷を出た時おっかあが、お守りだよって、僕に手渡してくれたものなのに――」
 青ざめた顔で呆然と立ち尽くすルイを横目に、ライアは高木と睨み合った。足の置き方さえ間違えなければ、上まで登れるかも知れない。ただ、長身のルイを支えられるだけ強い枝かは怪しかった。
「俺、取ってきます」
「え? ほんとうかい!?」
 そう言って顔を輝かせたルイに、ライアは頷いた。
「そうか、だったら、お願いしちゃうよ。ひっかかったり、重みで枝が折れたりしたら大変だ。剣と、荷物は置いていくといいよ。僕がここで見とくから」
 登る際、邪魔になりそうな剣を預けることには躊躇しなかったものの、ライアは、旅の必需品を詰めた鞄を渡してしまうことに、少し抵抗を抱いた。
「大丈夫。心配ないよ。さっき話した誰かさんみたいに、隙を見て逃げるんじゃああるまいし」
「じゃあ――」
 苦笑するルイに、ライアが鞄を体から外そうとした瞬間、凛とした声が林に響いた。
「待ちなさいっ!」
「え――リーティス!?」
 上体を前に傾けて、不機嫌顔のリーティスが、そこに立っていた。



「ねぇ、ちょっといいかしら?」
 派手に啖呵を切った手前、後には引けず、一人で牙ウサギ退治に出向く準備をしていたリーティスに、声を掛ける女があった。
「わたし、ちょっとお仕事探しているの。貴方、見たところ、剣士さんでしょう? 酒場で聞いたんだけど、牙ウサギを狩ってきたら、一頭辺り、50クォーツで引き取ってくれるらしいのよ。――どう? よかったら一緒に行かない?」
 女性は、リーティスより5、6歳は年上に見えた。長い赤髪の一部を左右で結わえ、化粧をして、耳に大きめのイヤリングが光っていた。
 人一倍警戒心の強いリーティスは、女性の話を、納得のいくまで聞き込んだ。
 病気の弟のために薬を買う金が欲しい、という家庭事情は、リーティスにとってどうでもいいことだったが、魔法を使うので、前衛がいてくれると心強いということ、そして女同士のほうが気心が知れているという説明に納得して、リーティスは分け前は二分という条件をしっかり提示しつつ、パーティーを組むことに同意した。
「あ、そうだ。わたし、セルファっていうの。呼び捨てにしてくれて構わないわ。それか、セル、でも、セルちゃん、でもいいから。よろしくね?」
「あ、はい! 私は、リーティスっていいます」
「へぇ。それって確か、セーミズのお姫様の名前よね。素敵じゃない!」
 不用意な称賛に対する嫌悪感は面に出さず、リーティスは微笑で受け流した。

 女二人で林に向かい、牙ウサギをいくらか倒したその時、唐突に、セルファが短い悲鳴を上げた。
「いっけない! 宿に忘れ物しちゃった! ごめんなさい、とっても大事なものなの。すぐに戻って来るから、ここで待って――いえ、ここに留まってて、魔物に囲まれたりしたら大変ね。適当に移動しててくれていいわ。すぐ見つけるから」
 早口にまくし立てて、セルファは踵を返した。
「あ、あの……!」
 リーティスが口を挟む間もなく、セルファはあっと言う間に見えなくなった。
(ま、いっけど……)
 手元に残った4本、2対の牙を見て、ふう、と息を吐くと、リーティスはそれを鞄にしまって、林の奥に足を進めた。今までの戦いで、コツはつかめてきたし、最悪、セルファが彼女を見つけられなくても、一人で大丈夫だろう。
 本音を言えば、魔法専門と言いつつ、今一つ頼りの無いセルファが、独りの時に魔物に襲われたりしないか、その方が、リーティスにとっての不安材料だった。
(だ、大丈夫! 向こうだって、冒険暦は長いみたいだったし、無理はしないはず――それより、なんとしてでも、ライアより多く数仕留めて、見せ付けてやるんだからっ)
 そうして、リーティスは大股でずんずん先に進んで行った。



「え――リーティス!?」
「やぁ、誰かと思えば、酒場で見かけたお連れさんじゃないか」
 にこやかに言いつつ、ルイがポケットから僅かにはみ出していた緑色のものを、隠すように押し込んだのを、ライアは見ていなかった。
「すみません、ちょっといいですか」
「おい――」
 すたすたとルイに近づいて行こうとしたリーティスの肩をライアが引き止めると、彼女はこう怒鳴った。
「ちょっと目を離した隙に、何やってんのよ! こんな知り合ったばかりの相手に、今、鞄渡そうとしなかった!?」
「はぁ? お前ちょっと、人を疑いすぎなんじゃねぇの?? 事情があったんだよ。ほら」
 そう言って、ライアは上を指差した。木の上の枝に、相変わらず緑のバンダナが引っ掛かっている。
「ルイさんじゃ、身長あるから重さ的にちょっとあれだろ? でも、すごく大事なものらしいんだ。だから、今から俺が登って、代わりに取って来ようとしてただけなんだって!」
「ふーん……」
 言いながらも、リーティスはまだ、ルイを疑いの眼差しで見ている。
(ほんと、分かってんの? もし、この人が私みたいに、風の魔法が使えたら、上手くやれば――そこまでいくと、ちょっと考えすぎかもしれないけど……)
「まぁまぁ、お二人とも。こんなとこで喧嘩なんてしてないで。……もとはと言えば、不注意だった僕が悪いんだ」
「俺、取ってきます」
 怒ったように言って、ライアはリーティスの方に鞄を放り投げた。
「ちょっと――」
 慌ててキャッチしたリーティスの抗議など無視で、ライアは、軽い身のこなしで登ってゆき、その手が、バンダナの端を掴んだ。
「よしっ」
 危なげなく降りてきたライアは、バンダナをルイに手渡した。
「ありがとう。君は本当にいい人なんだね」
 ルイの笑顔が心なし引き攣って見えたのは、隣で監視の目を光らせているリーティスのせいだろう。
「いえ、これくらい」
 それから、ライアは仏頂面になると、鞄を抱きかかえていたリーティスの方に、ずいと手を突き出した。返せよ、というその意思表示の仕方に、一瞬不服そうな顔をしたリーティスだったが、黙って、そのまま鞄を返した。
「――で? どーすんだ。今回、俺達とは組まないんじゃなかったのか」
 苛立ちが尾を引き、挑発的な物言いとなったライアに対し、怒り出すかと思えば、リーティスは、以外にも冷静に、ルイのほうをちらと一瞥して言った。
「……いいよ、前言撤回する。私も一緒に行くから。ただし、そっちは取り分の取り決めがあった筈でしょ? これ以上余計なごたごたは持ち込みたくないから、私のことは、頭数に入れなくていい。ライアの援護ってことで。……それで、異論はありませんね――?」
「まぁ、僕はそれでいいってなら構わないが――」
(ぐっ……援護って、なんか俺が半人前みたいですっげぇ癪なんだけど……いや、ここは我慢だ、我慢。確かに俺、冒険者としちゃ駆け出しだし。にしても、どーいう風の吹き回しだ……? ルイさんの事、散々怪しいって文句言ってたのに――)
 表向き真摯な態度に改めはしたものの、リーティスがルイのことを信用したかと言えば、怪しい。頭のいい彼女は、寧ろ、尻尾を掴むチャンスをうかがっているのかも知れない。
(そんなに俺、人を見る目が無くて簡単に騙されちまう程、頼りなく見えんのかよ――)
 そう思うと、自分では、そんなつもりはないだけに、一層腹立たしかった。
(これで、ルイさんが本当に良心的な人だって分かったら、どうすんだよ? 失礼じゃないか……最初くらい、信じてみたって悪かないだろ!? 俺だって、別にこの人を完全に信用してる訳じゃない。けど、そうやって、最初っから何でもかんでも疑ってかかっていたら、最後には、なんにも信じられなくなっちまうんじゃ――?)
 そう思うと、人を疑うことが当たり前になっているリーティスのことが、哀しくすら思えた。
 と、そこを牙ウサギらしき影が横切り、周囲の茂みが一斉に揺れた。
「出たか!」
 剣を構え、ライアは、今は、魔物を倒すことに集中していられた方が救われる気がした。
「待って!」
「何だよ!?」
 勢いを削がれた気になり、つい怒鳴り返してしまったが、次の瞬間、ライアはリーティスの制止の意味を理解した。
 ルイも、これには流石に冷や汗を浮かべて、周囲を見渡す。
「こ、これは……」
 いつの間にか、周囲には7頭の牙ウサギが現れて、四方からライア達を取り囲むように陣取っていた。
「ち……散るんだっ! 固まったら、一斉にそこ目掛けて飛び掛って来られる!!」
 動転した声で言ったルイが、まず真っ先にその場を離れる。そちらの方向にいた牙ウサギ達が、ルイに気を取られている間に、ライアやリーティスも、剣を手に、ルイとは逆の方へ駆け出す。彼らの使う剣は、どちらも一般的な中型剣で、クセが無く、割と幅広い戦法に適応が利く。その反面、持ち主の技量がもろに出てしまうのが特徴だ。
「くそっ」
 行く手を阻もうとする魔物達の間を縫い、その中で突進してきた一頭を斬り伏せながら、ライアは包囲を抜けた。
(これで、魔物のほうも分散し――……はあ!?)
 7頭の包囲の外に抜けたことは確かだったが、振り返ればそこに、10個の目が並んで、こちらを睨んでいた。
「は、はは……っ」
 仕方なく笑いつつ横を見ると、なぜか同じ方向に逃げてしまったリーティス。
「………… なんで」
 くるりと背を向けると、ライアは全速力で走り出した。
「つ、ついて来んなよーー!!」
「そっちこそっ! 何であっち逃げないのぉ!?」
 罵り合って走る姿は、まだ若干余裕があるようにも見えたが、牙ウサギから逃れる道は一本しかなかったのだから、仲良く並走する羽目になったのは仕方がない。
 脇に逸れ、狭い林の間を通ろうとするなら、よほど森林に慣れた者でなければ、牙ウサギの移動の方が早い。
「はぁ、はぁ…………くそっ」
 不意にライアが足を止める。走るのが限界だったのではない。走りながらもちらちらと視界の端では確認していた、斜め後ろを走るリーティスに異変が起こったのでもなかった。
「囲まれた……」
 ライアのすぐ後ろに追いついたリーティスが、息を整えながら呟いた。
 前方にも、また別の牙ウサギご一行様がご到着していた。
(くそっ、なんのツアーだよ!? 別の団体とルート被んないように、配慮くらいしとけっての!!)
 混乱してよく解らない悪態を吐きつつも、静かに紅の瞳が据わった。
「やるっきゃ、ないみたいだな……?」
「言われなくても――!」
 互いに背中を預けつつ、二人は四方からの攻撃に備える。間合いを詰められるまでに残された時間に、ライアは静かに意志を伝えた。
「逃げられるようなら、迷わず逃げろよ……俺、悪運だけは強いから」
「!?」
 それは、リーティスにとってみれば分かり切ったことで、隙さえ出来れば、もちろんそうするつもりでいた。自分の命を守るのは、冒険者として最低限の事項だ。それでも、今、この状況の中で、そんな言葉を率直に口にすることが出来た馬鹿がいた事実に、リーティスは少なからず呆れ、驚いていた。
 それが、単なる口先だけの格好つけでなかったことは、分かっている。それに多分、ライアは、リーティスが思っていた程、現実を甘く見てもない。そうなってしまったら、どうにか自分も生き延びるつもりで、最後まで足掻く覚悟の重さが、その響きには感じられた。
(ここでこいつ見捨てたら、絶対夢見が悪いって……! 剣の扱いだって、実戦じゃ、私より慣れてないくせに――)
「……それより、ちゃんと前見て! そっち、任せたからね!?」
「おぅ!! やってやるぜ!!」
 背後から飛んだ冷静な指示に、ライアは半ば投げ槍に、自身を叱咤する意味で吼えた。

 ここは焦らず、一頭ずつ、近い魔物から順に、素早く倒していくしかない。
 向かって来る敵の数に、複数を狙った大振りの攻撃を出したい気持ちをこらえ、ライアは、着実に守ることと、仕留めることのみに意識を集中させた。
 攻撃範囲と威力だけを狙った力任せの太刀では、精度が落ちる。その上、一撃の後に出来る隙も大きい。それでは、仕留め損ねた場合や、すぐに他からの攻撃が続いた場合、致命的な傷を負いかねない。運良く軽傷で済んだとしても、よほど訓練されている者でなければ、けがによる気の散漫が起こる。
 何よりこの状況で、一人の身に何かあれば、もう一人にしわ寄せが行ってしまう。
 防戦は得意ではなかったが、耐えなければ、この状況は打破できない。一撃で魔物の動きを止められそうになければ、無理をせず防御に回る、という馴れない戦法に、ライアは必死で適応した。普段なら、ここらで忍耐が切れるところだ。気を抜くと、なかなか減らない敵の数にやきもきして、つい、防御を無視した攻撃に出そうになる。
「ライア! 下がって!!」
 不意に掛けられた声に、ライアが対峙していた牙ウサギの爪を剣で弾き返し、大きく後ろに一歩後退する。背中にどん、と何かがぶつかった。
 振り返ると、それはリーティスの背だった。
「――いくよっ!」
(!! この感じ――!!)
 魔力には鈍感なライアでも、この近接距離で魔法が発動する感覚は、すぐに判った。
 ぶわっ!!と巻き起こった突風は、二人を中心に、周辺に刃となって広がる。まさに二人へ飛び掛ろうとしていた数頭の牙ウサギは、もろに衝撃を受けて地に伏した。やや離れていた魔物も、仲間がやられたのを見て、怯んだ。
(ひゅー……やるぅ……)
 咄嗟に前髪を手の甲で押さえたライアは、調子に乗って自分も魔法を披露する程、思慮に欠けてはいなかった。うっかり林を燃やして500人前の牙ウサギのローストが完成した日には、火事の被害が甚大で、ライア達は夜逃げしなくてはならなくなる。林は、果実や薬草の宝庫であると同時に、貴重な蛋白源である獣を狩る場でもある。
「っしゃあ! いくぜぇっ!!」
 敵が半数にまで減った事に勢い付いて、ここぞとばかりに、二人はスパートをかけた。

「ぜぇ、はぁっ……」
「なん、なの、ほんと……っ。数多過ぎだって……ゆーのよ!」
「どーかん……」
 そして彼らはほぼ同時、その場にへたり込んだ。
「〜〜っ! 疲れたぁ〜っ……」
「そんなの、こっちだって……っ」
 あれから、5分は奮闘しただろうか。ライア達はどうにか、牙ウサギの群れを片付けることに成功した。
 乱戦の中で、離れすぎず、互いの背を守り抜けたことは、駆け出しの冒険者としては上出来だったろう。
「思ったより……やるじゃん……?」
 ライアのすぐ後ろから、リーティスがぽつりと呟く声が聞こえた。
「へっ……そっちこそ」
 ライアは、両足を前に放り出し、手を後ろに着いて空を仰いだ姿勢のまま、肘を曲げて右手だけ後ろにやった。
「え?」
 背中合わせのライアから、肩越しに、視界に入った右手の甲。リーティスはその意味を理解すると、強気の笑みを浮べて、左の手の甲を軽く打ちつけた。

「今時、珍しいよねぇ、あのふたり」
 そんな彼らを遠巻きに眺める、怪しげな影がふたつ。
「付き合ってもいない若い男女が、ああやって一緒に旅してるなんてさ。きょうだいって訳でもなさそうだしねぇ?」
「へへっ、けどよぉ、アネさん。あの位の年頃の坊主なんて、一夜の過ちくらい、簡単に犯せちまうもの――」
「しっ! 声が大きいよ!」
「あれ、ルイさん!? 無事だったんですか!」
「(――ほぉら見てみな! 見付かっちまったじゃないか! どうしてくれるんだよ? この阿呆垂れっ!?)」
 他意のないライアの呼びかけに、なぜか忍んでいた泥棒のごとく挙動不審だった二人は、慌てて顔に笑顔を貼り付かせた。
「セル――? お知り合いだったんですか??」
 リーティスが、ルイの隣にいた女性を見て不思議そうに言った。
「あれ、あの女の人、知ってんのか?」
 ライアの問いかけには答えず、リーティスはむむむ、と何か考え込んでいる様子だった。
「いや、まあその……何だ。こっちは、僕の連れで、ちょ〜ど今日、町で落ち合う約束をしていたんだ……なっ? それよか、そっちも無事で、安心したよ」
「ええ、こっちは何とか……」
 答えかけたライアを押しのける勢いで、横からリーティスが前に出た。その視線が向かう先は、セルファの人差し指だ。華奢でシンプルな外見の指輪は、やや色がくすんではいたが、恐らくは金で出来ている。
「セル! その指輪――」
「え? ええ、何かしら……」
 勢いに気圧されたように、セルファは一歩引いた。すると、リーティスはふてぶてしい笑顔で、ずけずけと述べた。
「拾ってくれたんですね? ありがとう! さっき、牙ウサギと戦っている間に落としちゃったみたいで、どうしようかと思ってたとこなんです!」
「ええとね、これは――……」
 しかし、セルファが言葉を紡ぐ隙を与えず、リーティスは次を言った。
「それ、受け取って下さい」
「…………え?」
「忘れ物取りに行くまでは、一緒に戦ってくれたんだし、そのお礼です」
「そ…そう? だったら、ありがたく貰っておいちゃうけれど……」
 しかし、そんなセルファの態度は、どこかぎこちない。ライアは、横目でリーティスの顔をちらと窺った。
(ヤベエ。目が笑ってない――)
 背筋にぞくりと冷たいものを感じながら、ライアは口出しは控えるべきだと感じ、その本能に従った。
「ああ、そう……あっ、これね」
 セルファはぎこちない笑みのまま、自分の荷物をゴソゴソと漁り、中から、青い、豆粒ほどの球体を取り出した。
「こんなもの、幾らなんでもただで貰うのは気が引けちゃうわ。だから、これと交換よ?」
 そう言って、セルファはその球体をリーティスの掌の中に落とした。手の中のそれを見つめて、顔を上げたリーティスは尋ねた。
「何ですか?これ」
「それは、一時的に外からの侵入を防ぐ結界をつくる、便利な道具よ。それを、使いたい場所の地面に叩き付けて、割るだけでいいの。――使い切りなのが、玉にキズだけれどね? 魔物がうろつくような、危険な場所での野宿に使うといいわ。夜は特に、月の影響で魔力が増大するはずだから、半日くらい持つんじゃないかしら」
「へー、すごいな!」
「あ、ちょっと!」
 横から手を出したライアが、球体をつまみ取って、陽にかざしてみる。青い水のようなものが、透明な膜の中でゆらゆらと揺らめいていた。
 リーティスは諦めたようにため息をつくと、眼光を幾分緩めながら言った。
「……分かりました。ありがたく、いただいておきます」
「ええ、そうしといて」
 どこか落ち着かない様子で成り行きを見守っているルイとは違い、セルファはすっかり平静を取り戻した様子で、その微笑は年上の余裕すら窺わせた。
「ふふっ、それで、ゆっくりカレとのひとときを過ごすといいわ」
「か……カレじゃありません!!」
「そうですよ! 俺達そんな関係じゃないし――」
「あらそう? 残念。それじゃ、私達はこれで」
「お……おう! それじゃ、お前ら元気でなっ」
 あくまで、去り際だけはすっきり爽やか、やけに足の速い二人組なのだった。
 そして残された、少年少女。
「なーんかさ、結局けむに巻かれちゃった感じ……」
 リーティスのぼやきに、ライアは言い出し辛そうに頭を掻きながら尋ねた。
「……っと――そのさ、リーティス、やっぱ、あの二人って……」
「そ。物盗りだったんでしょ。最初っからそのつもりで私達に近づいたんじゃない?……指輪をくすねられた私もうっかりしてたけど、全財産預けて盗られちゃうよーな真似は、よしてよね?」
「うう〜〜……」
 結局、リーティスの警戒は正しかった事になる。ライアは自らの不甲斐無さを呪った。
「ごめんっ!!」
「な、何よ急に?」
 間近で勢いよく頭を下げられ、リーティスのほうが困惑する。
「いや、今回は、助けてもらった訳だし……ああもう、だから俺が悪かったって!!」
 認めるのは、悔しい。だが、認めない訳にもいかない。
「じゃあ、今度からちゃんと、危機管理くらいはしてよね?」
「ん。……気をつける」
 物事を引きずらない、さっぱりした性格のリーティスとはすぐに和解が成立したものの、このあと二人は、周囲に点々と転がった魔物の牙を地道に集める作業の手間に気づき、うんざりとため息を吐くのであった。



 ところで、その頃、例の二人組は。
「……で、よかったんですかい? アネさん。あれ、使い捨てっつっても結構するもんじゃないですか」
「馬鹿だね。あのコ、とっくにあたしらのこと気付いてたんだよ」
「ええ!? まさかそんな……」
「いーや。この指輪をくれようとしたのだって、多分、あたしに対する探りさ。対価としてあれくらい渡しときゃ、あっちも黙ると思ってね」
 そう言って、セルファは指輪を外して眺めた。セルファの鑑識眼は、それが金メッキだと見抜いている。だが、意匠は洒落ていたし、大した識別力も無い、どこぞの金持ち相手になら、高くで売りつけられると、彼女は読んでいた。
「はあ…………」
 種明かしに言葉を失ったルイに、セルファは、心底愉しそうに、にやりと笑った。
「それにね、あたしだって、ただであんなものを渡したんじゃない。なかなか、やるじゃないのさ、あのコ。ああいう度胸のあるのは、嫌いじゃないね。それを認めるって意味でも、あったのさ。じゃなきゃ、とぉっくに煙幕でも使っておさらばしてるとこだよ!」
 そもそも、ルイの声で気付かれさえしなければ、彼らは、そのままどこへでもとんずらする予定だった。
「……で、次こそはヘマすんじゃないよっ? まぁた失態を繰り返そうものなら、次こそ本気で置いてくからねっ!!」
「あ……あいよっ!!」
 そう返事をして、ルイはさっそうと歩き出す姉貴分の後を追いかけた。


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